2009年7月 6日 (月)

1年半ぶりの夜遊び

真夏もかくやと思うほどのカンカン照りになったかと思うと、翌日はまたシトシトと降る、やっぱりまだ明けていない梅雨の合間、久し振りに夕方から外出した。昨年秋のクラス会以来、7ヵ月余りご無沙汰していた朋友たちと一夕を過ごす約束をしていたので...。

2007年1月29日にも書いたように、自分たちはクラス会の地域支部会と称して、月1回夕刻から大森山王の某所に参集し、天下国家から文化・趣味・芸能そして身辺些事にいたるまで、大いに談じ、かつ少し(?)歌うことを慣わしにしていたが、昨年は家の建て替えで、清里にいた間はもちろんその前後も、何かとよんどころない事情が続き顔出しができずにいるうちに、かれこれ1年以上経ってしまった。

その間、定期検診の結果この夏手術を受けることになると先日(2009年6月8日)のブログに書いたら、もっと詳しく聞きたいし、ヤツの元気づけのために歌い放題の場を設けてやれということになったらしく、世話人のMとNから臨時の例会開催通知メールが届いた。そこで、これは何としても行かずばなるまいと、万障を繰り合わせた次第。

実はその日の2日後・3日後と、2日続けて仕事のスケジュールが入っていたのだが、その準備も前倒しして怠りなく済ませ、当日は出かける前にムッシュの散歩も終えて、気持ちよく許可してくれた家内にも恐縮と感謝の意を表しつつ家を出たが、外はまだ陽が高く、電車の中もこれからオフィスに戻るビジネスマン諸君と一緒で、何となく後ろめたい気分。

この例会は、メッキリ夜に弱くなってしまった自分たち世代の集まりということで、もともと会場の店主の特別の計らいにより午後6時から開かせてもらっていたが、それでも夜はキツいという者も出てきて、最近は隔月で、昼食を兼ねて表参道方面のレストランにも集まるようになっている。

メンバーの半数以上は、もっぱら昼の部に転向し、つきあいのマメな者は夜の部にも顔を出しているが、自分などは昼は昼でしなければならないことが多いし、今さら男同士が集まってランチをしても楽しいかナーという率直な疑問もあって、何となく気が進まないでいるうち今日に至ってしまった。

1年半ぶりに降りた大森駅の山王側商店街は、どちらかというと飲食店や娯楽施設が密集している地域なので、もしやこの不景気の影響で街の様子がすっかり変わったりしているのではと、ひそかに気にしていたが、どうしてどうして、相変わらずの賑やかさ。これからご出勤のオミズ方面のオネエさまやパート帰りのお買い物のオバサマと思しき方々でごった返していた。

アチコチで閉店の憂き目に遭っている回転寿司チェーンも無事営業中だったので、軽く腹ごしらえをと思いカウンターに座ったが、老眼鏡をかけて文庫本を読みながら摘まんでいたら、握りの1貫、巻き物の1個がバカに巨大に見えて、以前食べていた半分の、たった4皿で満腹してしまった。〆てわずか400円、申し訳ないようなお勘定だった。

定刻に店に着いたのだが、年寄りは気が急くというか(自分も年寄りだけれど)、MとNは疾うに到着していた。久し振りに自分の顔を見て、“オゥ、元気そうじゃないか!”と第1声。“相変わらずダンディ(古い言い方だが)だな!”と第2声。コチトラB型だからすぐに真に受けるが、社交辞令を言い合う間柄ではないからと、悪い気はしない。

そう言うMは相変わらずの太っ腹。Nも上背があるのでBMIは適正範囲と主張するがサイズはMと同じくらいあるようだ。でも最近の学説では、なまじスリムなよりも小太りの方が寿命が長いというではないか――と、自分も彼らに返すと、今度は彼らが悦に入る。で、やっぱり話しは、自分の今回の検査結果、今後の予定などから始まった。

一昨年、自分と同時期に同じ胃部精密検査を受けていた友人のSが、夏前までこの仲間で陽気に歌っていたのにクリスマスを待たずに逝ってしまったということもあったので、余計な心配はさせまいと、問題ないことを先日のブログには書いたのだが、ちゃんと読んでいなかったらしく、同じことをもう一度説明したら、やっと納得、安心してくれた。

自分としては何も心配はしていないし、だからこうして夜遊びに来ているのだが、    早期発見に万全を期して胃と大腸の内視鏡検査は毎年受けているMも、10年以上前に膀胱の内視鏡手術を受けて入院したことがあるがその後はすっかり元気になっているNも、“付き合いのために無理はするなよ”、“手術後は十分摂生して大人しくしていろ”、と気を遣ってくれる。その気持ちと言葉、素直に有難く受け取っておこう。

そして話題は、お互いの近況。まだ元気にちょくちょくゴルフに出かけているM、水彩画だけでなく今度はキーボードのレッスンまで受け始めたN、2人とも趣味三昧の日々でまことに結構ではないかと心底思ったが、彼らに言わせれば、自分のように程々の仕事を、マイペースで死ぬまで続けられるのが一番いいという。日本人は根っからの働き蜂なのだ。

さらに話しはアチコチに飛ぶ。自分が今度手術を受ける横浜市北部病院といえば先日の看護士さん3人のもらい交通事故は気の毒だった...、加害者は運転免許取りたての未成年者だったとか...、だがそういう自分たちも立派な高齢者だからだんだん気をつけるようにしないと...、ところでマイケル・ジャクソンは旅立つのが早過ぎた...、でもエルビス・プレスリーも石原裕次郎も美空ひばりも皆そうだった...など、など。

さて、そんなとりとめもない話をしていたら、予定の2時間のうち早や1時間が経過。時間がもったいない(?)から、早速、本日のメイン・イベントに移らなくてはとご指名により登壇。“暑気払いにハワイアン・メドレーで行けー”という声も掛かって、挨拶代わりに、バラードからフラナンバーまでスタンダードをたて続けに数曲。でも、ワンマン・ショーでは流石の(ナーニが?)ワタシも、嬉しいけれども息苦しくなるので、数曲ごとにMとNが割り込んでちょうどいい塩梅。

店内は借り切り状態だし、遠慮はいらない顔ぶれだからということで、後半は各自厚かましくも、まだ仕上がっていない練習曲まで。自分はフリオ・イグレシアスの「ラ・クンパルシータ」(スペイン語)を、軽くタンゴ・ステップの振りなどをつけながら一度ぜひ験してみたいと思っていたのだが、残念ながら音源がなかった。

気がつけばもう、お開きの時間だったが、外へ出るとまだ宵の口。ウーロン茶を飲み飲みチョッと(?)歌っただけでこんな時間に帰途につくなど、若いころの夜遊びに比べると文字通り今昔の感があるが、それでいいのかも知れない。

MとNとの別れ際、“じゃあ、またな、次は夏の終わりごろかな?”...と握手。 

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2009年6月 8日 (月)

人生70年...やはり何ごともなくとは行かぬもの

実はこの3ヵ月、仕事もこなしつつ近くの横浜総合病院で検診を重ねていたが、結論から先に言うと夏ごろに胃の手術を受けることになった。特に異常を感じたからということではなく、恒例にしていたガン検診がきっかけで、そういう結論に達した。
ドクターの診断・説明を聞く限りでは、そんなに深刻な状態ではないけれども早めに処置しておいた方がいいということだったので、早速そうしてもらうことにしたのだが、まあ、人間ここまで生きてくれば、やはり何ごともなくとは行かぬものだというのが率直な感想で、特に驚いてもいないし、楽観している。

昨年は家の建て替えで明け暮れたため、前半はビルダーとの交渉や引っ越し準備に忙殺され、工事が始まった夏からは横浜を離れて山の中で暮らしながら月に2~3度東京に通勤し、年末ギリギリに戻ってきたので、毎年欠かさなかった横浜市の総合健診を、気にしながらもとうとう受けそびれてしまった。
それで今年は、年が明けて落ち着いたところで早速申し込んだのだが、例年受診していた横浜総合病院では基本健診がすでに締め切られていて、ガン検診(胃・大腸・前立腺)だけを受けることに。それも、予約がとれたのはやっと3月になってから。基本健診は結局、江田記念病院という別の総合病院で受けた。

アルコール類が生来ダメ、タバコも20年以上前にオサラバし、現在の食事の中心は肉・脂肪よりは野菜・海藻、どちらかというと低血圧で痩せ気味の自分は、毎年この検診では、折角の機会だからとアチコチ不定愁訴を申し立てても、データを見て“まったく問題ありませんね”と言われるのがオチで、今年もその通りだった。
ただ、そう判定した江田記念病院のドクターも、かつての基本健診は昨年から“特定健診”という名称に改変されて検査項目が大幅に減り、目的がメタボリック・シンドロームの早期発見のためだけに絞られたため、それによって知り得ることは極めて限られてしまったので、気になることがあったら別途精密検査を受けた方がいいと言っていた。

もともとそのつもりではあったから、前述のような三種類のガン検診を受けたわけだが、最初の段階の検診で、今年は思っていたよりも面倒(と言ってはいけないのだろうが)な結果が出てしまった。前立腺はOKだったが、大腸に潜血が見られ、胃に径20ミリほどの平らな隆起(胃部扁平隆起)ができているということだった。
胃部扁平隆起は、実は一昨年の検診でも指摘され(2007年8月6日参照)たが、そのときの内視鏡検査と病理組織検査の結果では、直ちに特別な処置をする必要はないが以後毎年精密検査を受けること、という診断で、症状的には慢性胃炎、普通の食事・生活を続けていて何ら問題ないと言われた。

そういうことがあったので、隆起は育っていなかったけれども、今回も当然のこととして、また胃カメラを呑んだ。鎮静剤(睡眠薬)を注射してもらったので、痛くも苦しくもなかったのは前回同様。ただ、前回は検査後1時間半でスッキリと目が覚めたが、今回はなかなか眠気が抜けず、しばらくの間レロレロだった。
日時を改めて、大腸も内視鏡検査。これは20余年ぶりだったが、昔とやり方が変わっていて、ある意味楽になったようにも思えたけれども、別の意味ではたいへんでもあった。朝絶食はいいが、下剤を溶かした2リットルの水を2時間で飲み干し、併行してトイレに通って(失礼!)、検査前にお腹を空っぽにしておかなければならないのだ。だが、胃の場合と同じく鎮静剤を注射してもらえたので、検査自体は眠っている間に終わっていた。

また、若いころに膵炎の気ありと診断され、以来それらしき症状がずっと気になっていたので、この際そちらの方も調べてもらえないかとお願いしたら、しておくに越したことはないということで、超音波検査とCT検査も受けることになった。
超音波はこれまでの人間ドックでも何回か経験し、その度に結果はシロと出ていたので、今回もどれほどのところまでわかるのか半信半疑だったが、CTは初めてだったので、何かいままでわからなかったこともわかるのではないかと、内心大いに期待(?)していた。お腹にゼリー状のものを塗られたり(超音波検査)、造影剤の点滴を受けたり(CT検査)ということはあったが、これらの検査はどちらも、何の苦痛もなかった。

一連の検査は、要約してしまえばこれだけのことなのだが、実際には、一つが終わって結果を見た上で次の検査の予約をするということになるので、最初のX線検査からすべての検査の結果が揃って総合所見が出るまでに、3ヵ月近くかかってしまった。
で、ドクターの診断だが、大腸には小さなポリープが見つかったけれども良性なので問題なく、逆流性食道炎の症状が見られるがこれも心配は不要、膵臓は超音波でもCTでも異常なし、問題なのは胃だけ...とのこと。一昨年からあった扁平隆起は要するに“腺腫”で、現在ガンではないけれども、放置しておくとガン化する可能性が極めて高いので、いまのうちに除去しておくことを強く薦めるという話しだった。

チョッとエネルギー不足になったかナと感ずるほか体調はどこも何ともないのだが、なぜか昨年1年で激痩せし、体重が成人後自己最軽のレベルになり、ウエストもメンズの最細サイズになってしまって、もしや胃以外に何かあるのでは...と気になっていたところだったので、この結果を聞いてむしろ安心した。
そして、手術といっても今の段階なら開腹せず内視鏡で、身体の負担も入院期間も最小限で済むということなので、ぜひ早急にお願いしたいと思ったが、ドクターによれば横浜総合病院には内視鏡手術の専門チームがないため、別のより適切な病院を紹介してくれるということになった。

その病院というのは、我が家のある青葉区に隣接する都筑区の「昭和大学横浜市北部病院」。それまではよく知らなかったが、紹介されてから調べてみたら、消化器系の内視鏡手術ではトップレベルの病院と知ってよりいっそう安心し、横浜総合病院のドクターの紹介状を携え6月の初日に初訪院した。
改めてこの病院での精密検査を受けることになり、それが7月の9日に決まったが、手術日はその結果を確認してから決定ということになるので、早くて7月末、遅ければ8月に入ってからになるようだ。余談だが、入院となれば最低1週間くらいはかかるだろうから、アマゾンで文庫本をまとめ買いしておこう、iPodに新しい曲を沢山ダウンロードしておかなくては、などと昔の常識で思っていたら、いまは2~3日で済むと聞いて拍子抜けしてしまった。

ともあれ、緊急・特別なケアを要するような症状ではないから、検査当日とその前後、および入院期間とその前後以外は普通の生活をしていて構わないとわかって、正直のところホッとしている。当初、手術・入院にはもっと時間がかかり、プライベートはともかく仕事関係のスケジュールを大幅に調整しなければならないかと危惧していたが、1~2件スライドするだけであまり迷惑をかけずに済みそうで安堵した。
サテ、そうとわかれば、いたずらに修道僧のような生活を続けている必要もなく、検査中は一応自重していたエンタテインメントも解禁せずばなるまい。急に大人しくなってどうしたかと思っていたかも知れない友人・知人たちにも、近況を知らせなければ...。このブログも、よほどのことがない限り、当面はペースを変えないつもりでいる。

7月9日の精密検査の結果が出たら、また、その先の見通しを報告する所存。

追記:
ニュースですでにご存知の方もおられるかと思うが、たまたま自分が昭和大横浜市北部病院を訪ねたその日の夜に、同病院の看護師さん3人が、病院のすぐそばの交差点歩道上で信号待ちをしていて車両事故の巻き添えになり、尊い命を失われた。病院と職員の方にとても良い印象を受けて帰宅してからわずか数時間後のことだったので、他人ごととは思えないショックを受けた。謹んでご冥福をお祈りしたい。

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2009年5月25日 (月)

毎日がウイークデー

今週は、広告電通賞の部門最終選考会やら総会・パーティーなどが続くので、連日のように都心に出かけることになる。新型インフルエンザがいよいよ身近な脅威となったいま、公共交通機関を利用して大勢の人が集散する場所を往き来するのは、この齢にもなるといささか気苦労なことではあるが、たまに、近所歩きのカジュアルウェアからビジネスウェアに着替えて仕事に出かける気分というものは、決して悪くはない。
常時ではないにせよ、自分がまだ世の中から必要とされている、社会の動きと多少なりともつながっているということが実感できる気がするからで、そう思うことによって元気が出るのだ。とは言っても、そういうことが多過ぎても良し悪しで、現在のような、月2回の顧問業と週1回のブログ書きというコンスタントな仕事をベースに、広告賞審査やカンファレンスでの講演などの集中行事が年に一つ二つというくらいが、脳力と体力維持のために丁度いい。

が、考えてみると、それ以外の時間は十分身体を休めたり、趣味・娯楽三昧に過ごしているのかと言えば、そうでもない。好きな音楽も、乗り物の中や外を歩いているときに、iPodにダウンロードしておいたものを聴くぐらいで、わざわざ室内でプレーヤーに向かうことは滅多にないし、同じく本も、もっぱら電車やトイレやベッドの中でながら読みするだけで、そのためにジックリ時間をかけてということはまずない。
カラオケもこのところ、自分の都合と友人たちの都合とがうまく折り合わなくてすっかりご無沙汰しているし、ゴルフに至ってはもう10年以上、会費を払っているだけでコースに出ていない。そんな、遊ぶことにも不熱心になってしまった自分を何とかしてリフレッシュさせようと、清里の山荘にはせめて月1回くらいは行くようにしているのだが、ツイ仕事がらみの資料やコンピューターを持参して、何のためだったかわからないようにしてしまうことが往々。我ながらどうしようもない。

では一体、そろそろ無限とは言えなくなってきた時間を毎日どう過ごしているのかというと、やりたいことがいくつもあって、その下準備に追われながら、なかなか本格的な作業に着手できないでいる――というのが表向きの言い訳。どうということのない日々の雑事に紛れ、気力・体力が乗らないままズルズルと先延ばしにしているのが実情だ。
4年前に出版した本をアップデートしたい、その前半部分を要約した入門書を上梓したい、かつて2年間にわたって専門紙に連載していた自伝的ダイレクトマーケティング史を全面的に書き直したい、そして仕事だけでなく遊びにもスポーツにも積極的に出かけたいとアレコレ欲張っているのだが、計画ばかりが先走って一向に手を着けられずにいる。

限りがあるといっても、いま時間が不足しているわけではない。とても手が回らないほど忙し過ぎるわけでもない。結局、自分のタイム・マネジメントの問題なのだが、わかっていても上手くできない。成し遂げるには、やはり自分をもっと追い込まないとダメなのかも...。昔からお尻に火が付かないと集中できない性質だったから...。
でも、そんなにまでして成し遂げなければならないことなのかと問われると、コレまた答えに窮する。誰かに是が非でもと頼まれているわけでもなく、それができたら喜んでくれる人がたぶんいて、自分にとってもある種の満足感になるはずと勝手に思い込んでいるだけだから。かくて、昨日、今日そして明日と、変哲のない日が続いて行く。

毎朝起きると、まず食事の前にムッシュの散歩。朝食後は1時間も経たないうちに自室に引き上げて、コンピューターの前に座る。そして昼まで、米欧の主だったオンライン紙・誌のビジネス記事をチェックして気になったものをクリッピング(つまりプリントアウト)、土・日曜にはそれらに仔細に目を通し後日のためにファイルする。午後、ムッシュが昼寝をしている間は、貯まっているファイルや文献を繰ったりネットで検索したりして調べものとメモづくりをしているが、夕方彼が目を覚ますとまた散歩に出る。夜間がいちばん集中できるので、書きものはもっぱら夕食後。興が乗ると、気がついたときは日付が変わっていることがよくある。
これが基本的な日課だが、公私の用事で外出したり、人が訪ねて来たりする日も規則的・不規則的にあるから、毎日が判で押したように同じというわけではない。けれども、概ねこうして日は流れ、一日一日がそれほどハードでないだけに、メリハリをつけてどこかでスッパリと休んで息を抜くという感覚が薄れてくる。現役だったころと違って、土日曜や祝祭日はあまり意識せず、どうでもよくなってくるのだ。

あげく、コンピューターも年中無休、一日12時間営業という状態になり、3月16日に「マイ・パソコン...その後」で報告したように、使い過ぎでダウンということにもなる。おそらくそれが原因でコンピューターを5~6年間に2台潰してしまった勘定になるが、それではそこにヘバリついている本人も相当くたびれるはずだと、やっと自覚した。退職サラリーマン群像を描いた小説で城山三郎の「毎日が日曜日」というのがあったが、その登場人物の一人と同じ退職後の身なのに、これでは“毎日がウイークデー”ではないか!
第一線でフルタイムで働いていたころは、違う意味で“毎日がウイークデー”だったが、それでもやはり、週末を迎えるとホッとした。たとえ休日出勤したり、仕事を持ち帰ることになったとしても...。通常の勤怠観念から解放され、ともあれ朝はゆっくりと起きて、自分のペースで動けるという解放感があり、やり残していたことを全部片付けスッキリとした気持ちで月曜を迎えられるという達成感があったからだ。

ちょうどいま、長男や二男がそんな立場にあるはずで、楽ではなかろうと察するが、苦労ばかりではなく仕事の充実感も併せて味わっていることだろう。それは父も通ってきた道、健康に気をつけながら頑張れよと声をかけてやりたいが、そういう自分が未だに“毎日がウイークデー”では、洒落にならない。
長く外資系の会社にいたから、“よく働きよく遊ぶ”という米欧人のライフスタイルに影響を受け、山荘を持ったのもその考え方の実践の一環だった。だから、本来だったらいまごろの季節は、残雪の八ヶ岳を背景にした紅や黄色のツツジの花のスケッチでもしているか(写生セットを山荘に置いてある)、格好をつけてカウボーイハットなどをかぶり清里の牧場通りあたりで乗馬の手ほどきでも受けているところ(ハットは3色持っている)だった。

それが、いつから、どこでどう外れてしまったのか自分でもよくわからないが、目下のところあえて、予定とはだいぶ違う脇道を進んで行こうとしている。多分、潜在意識下にあった“物書き願望”が、コンピューターという道具とブログという場を得たことによって擬似的に満足させられ、現実にも、それなりの手応えやささやかな自己充足のようなものもあるため、それじゃあもう一丁行ってみるか!と、手を広げる気持ちになってしまっているのかも知れない。
予定とは違ったけれど、この道を歩み続けるのもそれはそれで悪くないと思えるようになっているが、その途上で、あれもしたいこれもしておかなければという思いが次々と湧き起こって、正直いうとこのごろ無意識のうちに歩調が早まり、そのため何だか少しキツいと感じるようになってきた。心は疲れていないつもりだが、それに身体がついて来ないと思うことがときどきあるのだ。積年の疲れがでたか?それとも単に齢のせいか?

ともあれ、いまの生活には何の不満も疑問もないつもりだったが、先日、退職後農業をしながらシンプルでスローな田舎暮らしをしているご夫婦の話しをテレビで見て、未だに何かと気が多く、何もしない時間をつくろうとしない自分の生き方を反省してしまった。
ピンと張り過ぎた糸は切れやすい。“毎日”でも困るが、“週の半分くらいは日曜日”の、ややユルい暮らしにリセットしなければ...。

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2009年4月27日 (月)

親馬鹿

ムッシュ と言っても、本当の(?)子供たちはもういい歳だから、いまさらその対象ではない。これは人間のではなくワンコの親としてのはなし。でも、ワンコの親としてってどういうこと?と思われる向きもあるだろう。が、小型犬、特に我が家のムッシュのようなヨークシャーテリアやチワワなどの極小犬を飼っているお宅なら、きっとわかってくれる。ご主人や奥さんが大真面目で自分をワンコのパパやママに擬して、おチビちゃんたちを人間の幼児のように可愛がっているはずだから。
我が家では子供たちも、ムッシュのことは歳の離れた幼い弟のように扱っているし、ムッシュの方も、自分が犬だとは思っていないようで、長男・次男・長女そして長女の娘(つまり孫)がたまに訪ねて来たときの喜びようと言ったらない。ママやパパに甘えるときとはまた違って、遠慮なしに舐めるワ、ジャレつくワで、それはそれは大騒ぎ。孫娘とも、まだ小さかったころにはお互い敬遠し合っていたが、最近では大の仲良しになった。

ムッシュとの一日は、ふつう、毎朝8時過ぎに始まる。そのチョッと前まではママもパパも、まだそれぞれ2階の自室で、フジの帯番組「めざましテレビ」内にある「きょうのわんこ」というミニ・コーナーを視ているからだ。わずか1~2分だが、早朝の用事があったり寝坊したりしない限りこの何年か、だいたい欠かさず見ており、これが終わったところで部屋から出てきて、“今日の子は可愛かったネ”とか、“今日の子よりもウチの子の方が可愛いネ”などと他愛もない話を、朝の挨拶代わりに交わす。
ムッシュは結構寝坊で、1階から“起きたヨー”といった感じの啼き声が聞こえてくるのは、だいたいそのころ。いったん啼きだすと、こちらが“ハイ、ハイ”と言いながらリビングルームのシャッターを上げカーテンを開けて外の光を入れるのももどかしいように、ケージの中で“ワンッ!ワンッ!”と叫びながらジャンプをしているが、これは元気な証拠だ。扉を開けてやるとトタンに飛び出して、脱兎のようにママのところへまっしぐら。

ムッシュ その後パパから声がかかって、食事の前に朝の散歩に出るが、我が家の東側の坂道を200メートルほど歩いたところに公立の中学校があり、斜向かいの三叉路の角が生徒たちの格好の待ち合わせ場所になっているので、道を渡っていつものコースに出ると、必ず何人かの女子生徒や男子生徒に出会う。
顔なじみの子はもちろん、初めての子にも、人懐っこいムッシュは駆け寄って行って後足で立ち上がり愛嬌を振りまくが、生徒たちも、そうされて迷惑がる子は一人もなく、みんなニコニコ応えてくれる。走っていたのにワザワザ立ち止まり黙って頭をなでてくれる男子生徒もいれば、“ヤバ~い!”、“チョー可愛い~!”といった最大級の賛辞で大騒ぎしてくれる女子生徒たちもいる。

朝の散歩でよく会うワン友は、道の向い側のマンションに住むミニチュア・シュナウザーのプッチ君と、ムッシュと同じヨーキーのイヴちゃん。プッチ君はまだ若いが大人しく控えめだし、イヴちゃんは人見知りで引っ込み思案なので、こちらが声をかけてもモジモジしているが、ムッシュの方は、社交的というか甘え上手というか、お友達には“ア、どうも”といった程度のソコソコの挨拶をして、むしろ彼らのママやパパに向けて盛んに尻尾を振り、“ムッシュ君はホントに可愛いねー”などと褒めてもらう。
昨年清里へ一時引っ込む前までは見かけなかったが、その間近所に戸建分譲住宅が一挙に増えたせいか、戻ってきてからよく顔を合わせるようになったワンコも多い。だいたいご主人が連れていて、ウィークデーの朝にも会うので、おそらく自分同様、第一線からは退いた方々ではないかと想像しているが、初めてのころは厳つい表情だったのが、何度か行き会って顔見知りになり、ワンコ同士名乗り合うようになったら、“やあ、ムッシュ君、オハヨー”と声をかけてもらえるようになった。

でもムッシュは、我が家に来る以前はお母さんと娘さんだけの家庭で育ったせいか、どちらかと言えば女性が好きらしい。向う三軒両隣りの奥さんたちはもちろんのこと、町内のお婆ちゃんから娘さんに至るまで顔を覚えていて、散歩の途中で見かけると走り寄って行っては、“ムーちゃんはいつも元気ね”などと可愛がってもらっている。
向うから知らないご婦人が歩いてきても、目が合ったり微笑みかけてもらったりしたら、もうイソイソとそちらへ。自分がケシかけていると誤解されても困るから、小声で“ムッシュ、止めなさい!止めなさい!”とリードを引いて制するのだが、小さいくせに鼻息を荒くして手足を突っ張り、言うことを聞かない。それでいて、傍へ行って“可愛いわねー”などと言われるとトタンに大テレにテレて一目散に駆けだすので、パパは“済みませーン”と謝って、引っ張られる格好で一緒に走る。恥ずかしいったらありゃあしない。

ムッシュ ムッシュは基本的に快食・快眠・快便。朝は軽めだが1日3食、2~3便(失礼!)、昼寝を2~3時間するが、夜から朝にかけても12時間前後は寝ている勘定になる(もっともこの間ズッと熟睡しているのかどうかはわからないが)。柄の割にはチョッと食べ過ぎ寝過ぎではないかと思わないでもないが、それでもまったくメタボ犬にならず2.8キロのベスト・ウェイトを維持しているのは、散歩をよくするお蔭か。朝のほかに1日3回。そのうち2回は昼食後・夕食後の用足しを兼ねたプチ散歩で、本格的なのは昼寝後の1回だけだが。
コースも距離も、特別な予定や時間の制約がない限り、本人(本犬?)まかせのスタイルなので、以前は、ずいぶんいろいろなコースを辿り、遠出もした(清里でもそうだった)が、最近(こちらへ戻ってから)は、なぜか、コースのバラエティも距離も減少した。体力が少し衰えてきたのだろうか?家の中では、元気に駆け回っているのだが。それでもほぼ毎日の規則正しい、合計すると時間で1時間、距離で2キロ近くになるこの散歩は、自分ぐらいの年齢の人間の体調維持のためにも、実にいい運動になるようだ。“たかが犬の散歩”と他人は見るかも知れないが、どうしてどうして、自分にとっては軽視できない。

散歩と用足しといえば、雨の日は外でできないので困る。前の家は南欧風というか、切妻だが四方に軒が張り出したデザインだったし、清里の山荘もチロル風の大屋根で軒側も妻側も深いので、雨の日でも濡れずに家の周りを歩かせることができたのだが、今度の家は北米風というのか、玄関ポーチと勝手口を除いては庇がなく、壁がストレートに立っていて屋根の軒も妻も非常に浅いので、雨を避けるところがない。
家の中から直接出られ庭にも抜けられるように作った屋内車庫の一隅に、ムッシュ用のトイレを設えてあるのだが、まだなかなか慣れてくれず、雨が降る度に庭と家の周りを、傘を差して二人でグルグル回って苦労している。

話は変わるが、少し前、たまプラーザのT百貨店のホールで、ベストセラーになった「犬と私の10の約束」の映画(2008年3月に封切りされたもの)が上映されるというので見に行った。2007年11月12日のここにも書いたように、この本は既に読んで十分に感動し尽くしたつもりでいたのだが、映画はやはり何倍もインパクトがあった。筋も結末も知っているので、絶対涙をこらえられないと思い、あらかじめハンカチとティッシューを用意して行ったが、案の定、会場が暗くなってスクリーンにタイトルが映し出されオープニング・ミュージックが流れ出しただけで、ウルウルしてきた。
豊川悦司、高島礼子、田中麗奈、布施明など、キャストはみなハマっていたが、特に、加瀬亮が良かった。原作を読んでイメージしていた星君のキャラにピッタリで、この映画の基調を造り出していた。ストーリー全体からすれば決してアンハッピーエンドではないのだが、天国へ召された主人公ソックスの元気なコロコロとした仔犬時代の映像が何度も映し出されると、どうしてもムッシュとダブって、親馬鹿パパとしては切なくないと言えば嘘になる映画だった。

ムッシュは4歳半のときに我が家に来て(2007年6月11日参照)まだ4年しか経っていないのだが、いまの自分たちにとって彼のいない生活は考えられない。どちらが先になっても、どちらも辛い...この癒しと安らぎに満ちた時間がいつまでも続けばいいものを...などと、傍らの椅子の上にお座りし無心に円らな瞳で見上げるムッシュを見ながら、ついそんなことを考えてしまった。

≪来週5月4日は勝手ながらお休みさせていただき5月11日にまたお目にかかります≫

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2009年3月16日 (月)

マイ・パソコン...その後

<祝>カムバック!! 自分で祝ってりゃあ世話はないが、予想よりも早くここに戻ってくることができたのでツイ嬉しくなってしまって...。

我がパソコンは、1月19日に報告した後も相変わらず調子が悪くて悪くて、薄氷を踏むような思いをしながら使っていたが、先々週の記事をアップした後、電源を入れたまま小一時間外出し戻ってきたら、画面が真っ暗になっていた。省電力やスリープの状態ではなく、どうやっても明るくならず、角度を変えて光を当ててみると、かすかにデスクトップの画面が見えるが、アイコンの絵柄や文字はとても読み取れない。でも、だいたいの位置で覚えていたメールやインターネットのショートカット・アイコンをクリックしてみると、それまでと同じように時間がかかりはするものの、画面は開くのがわかった。
ンー...この状況、どこかで経験した記憶があるゾ...と考えてみたら、前機の終末がそうだった。やはりこれと同じS社のVで、約2年半前のこと(その顛末は06年7月20日ご参照)。だがそのときは、極小型ノート(これもS社のVでカメラ機能がついていることなどで一時話題になったヤツ)に繋げて使っていた14型のディスプレーが手元にあったため、それに接続して使うことで作業には穴を開けずに済み、しばらくはそうしていたが、結局、“修理には10万円くらいかかるし、いっそ買い替えては?”というS社カスタマーリンクの兄ちゃんの甘言に乗せられ、同社Sスタイルの通販で新品を買ってしまった。

前のモデルは、それでも4年は保った勘定になり、そんなものかも知れないとまあまあ納得していたが、今回はそういう状態になるのがいささか早過ぎた気がし、もしや回復してくれるのではと一縷の望みを抱いて、ヘルプデスクにサポートしてもらいつつ何度も、さまざまなリカバリーを試みた。しかし、どうやってもダメ。前と同じく、“ディスプレーの液晶バックライトの寿命が尽きたのだと思いますが、修理をいたしますので送ってください”ということになった。とうに保証期限が切れている(メーカー自身の通販だったから量販店で購入した場合のような延長保証の制度もない)ので当然有償、やはり7~10万円で、前後10日間ほどかかるということだった。
こんなに早く、こんなことになるとはまったく思っていなかったから、例のディスプレーはずっと清里の山荘に置いたまま(接続ケーブルも)。それがあれば当座は何とか凌げるのにと思ったが、まだまだ寒い中それだけのために清里まで出かけるのもシンドく、修理に出すか、はたまた買い替えるかの択一を迫られることになった。そしてどちらにしても、データのバックアップを取って置かなければならないことも...。

そう言えば前回のときには、コンピューター・プロの長男にSOSを発し、既存データのバックアップ取りと新機への移し替えをしてもらった。そこで今回も何とかならないものかと、忙しいのはわかっていたので気を遣いつつ相談してみたら、週明け早朝出張の前日、何とか時間を作ってバックアップ取りと移し替え作業をしに来てくれると言う。となると必然的に、現機を修理に出している時間はなく、新品を買うほかない。ならば今度は、行けばその場で手に入り、長期(5年)保証も付けられる家電量販店でと腹を決めた。
長男によれば、バックアップを取るためにパソコンと繋げるディスプレーの代わりには、いま我が家にあるテレビが使えるし、接続ケーブルも持参してくるというので、あと必要なのは新しいパソコンだけになって、その日にまず買いに行き、その後一気に作業をやってしまおうということになった。

で、ちょうどそのころ、引っ越し後まだ完全に済んでいなかった室内の整頓や家具の配置替えなどのための力仕事で次男も来ることになっていたので、男たち全員がタイミングを合わせ、次男の車で最寄りの量販店Y電機へと走り、さっそく新機を仕入れてきた。
これまで9年、3台にわたりS社のV(プラス・ディスプレー1台)を使ってきたが、まったく同じ不具合が、それも思ったより短期間に続けて発生したので、Sはもう沢山という気分になり、長男や販売店の兄ちゃんの意見も聞いた上で、自分の好みも取り入れ、今回はN社のVNというモデルにした。ディスプレーとキーボードが分離している一種のデスクトップ型だが、AC電源以外はコードレス(マウスも)かつ軽量、屋内ならば持ち運びもできるタイプで、なかなか気に入っている。

Y電機から戻ってすぐにバックアップ取りの作業を始めたが、新機の基本的な設定とデータの移し替えが終わった(といっても、すべて長男がやってくれたのだが)ときには、かなり夜も更けていた。翌日の早朝出張のため長男はそれから自分のアパートへ戻り身支度を整えた上で都内前夜泊をせねばならないということだったが、作業が終わるまで文句も言わず次男がずっと待っていて、夜中までかかって兄を送り届けてきた。
グラフィック・ディザイナーの次男は使っているパソコンがMacなので、今回の作業自体には直接タッチしなかったが、決して忙しくなかったはずはないところ黙って時間を割き、機動力を発揮してくれた。ITにあまり強くない上に馬力も衰えてきた父のピンチに直ぐに飛んできて協力してくれた二人とも、どうも有難う。父も母も感謝している。

...が、これですべてが終わったわけではなく、翌日は自分自身でインターネット接続の設定に取り組んだ。長男が心配して、出張先からたびたび電話をしてきたが、プロバイダー(ケーブルテレビ会社I)のサポート・センターのお姉さん(小母さんかな?)がとても親切で無事開通。また、OSが前機のウインドウズXPから新機ではVistaに変わったためやり直さなければならなかったプリンターの設定も、翌々日に済ませることができた。
早速、溜まりに溜まった公私のメールや購読している内外のメルマガをチェック、返事を書いたり情報をクリッピングしたり、お気に入りのブログもまとめて読ませてもらった。そして、なぜこんなことになったのか、いま一つ腑に落ちなかったので、事後ではあるが、自分の使い方に何か問題があったのか?他のVユーザーの場合はどうなのか?そもそもパソコンの寿命はどれくらいなのか?といったことを、さまざまなサイトで調べてみた。

すると、自分とまったく同じように、“処理能力が著しく落ちてきた”、“バックライトがダメになった”と言っているVユーザーが予想外に多く、パソコンに限らずS社の製品は壊れるのが早過ぎると感じている人もかなりいて、それもタイマーでも設定してあったかのように保証期限が切れたころにそうなるため、“Sタイマー” なる都市伝説まで存在する(Wikipediaにも書いてある)ことを知った。
S社のノート・パソコンはスタイリッシュだし、何か1つ同時期の他社にはない新機軸があったりして、好きで3台も続けて使ってきたのだが、どのモデルにも苦労させられた(9年前に買った極小型は裏面のゴム足がベタベタに溶けてしまうほどの異常な高温を発するので、まだ使えるには使えるけれども断熱板に載せなければならない)身としては、そんなことでも言いたくもなる気持ちもわからないではない。

パソコンの寿命というか耐久時間についても、正常な使い方をして約2万時間という説が妙に説得力があった。これは、1日3時間くらいしか使わない人にとっては約10年間に相当するが、仕事柄、自宅などで寝る時間以外はほぼフル稼働させている人の場合は約2年間に相当するという話。
自分などのケースはまさにこの後者に近いのだが、そうすると目いっぱい消耗したということで、今回の件は仕方がなかったのだろうか?確かに、パソコンだけでなく、それを使っている自分自身をも同時に酷使し過ぎていた嫌いがあり、どちらももう少し長持ちさせるには、これを機会に一日の過ごし方を考え直した方がいいかも知れないと、実はそんなことに、まったくパソコンが使えなかったこの1週間で気がついた。

パソコンが使えなくなった最初のうちは、サッサと机の前に座って仕事を始められないことが何か物足りなく苛立たしい気がしてならなかったが、この齢ではむしろそういう何もしない時間のあることこそが正常なのかも知れないと、だんだん思えるようになってきた。またこれまで、情報はほとんどインターネットで間に合うと思い新聞はザッとしか目を通していなかったが、そうでもないことを今更のように認識し、昔のように時間をかけてよく読み、クリッピングしたりもするようになった。
“親が死んでも食休み”などと俗に言うが、食後ゆっくりするようになったら、消化にもいいような気はするし、パソコンの画面と四六時中睨めっこしていなければ、目の疲れも少なくなる。パソコンのない生活は考えられないが、これまでは知らず知らずのうちに中毒症状に陥っていたかも知れないと反省した。

不便でいろいろと困りもしたが、そんな、自分を見直す機会にもなった今回の一件だった。

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2009年3月 9日 (月)

お休みします

いつも、当ブログを楽しみにして下さっている方々へ

パソコンが不調で、メールも出来ない状態になってしまいました。

只今、新たなパソコンを購入すべく、機種の選定をしております。
このためブログを今回とおそらく次回の2週間、お休みします。

3月23日(月)には復旧出来ると思いますので、
また、その頃にのぞいてみて下さい。

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2009年3月 2日 (月)

寒いときは熱々の汁物に限る

先週はほとんど毎日、寒くグズついたお天気だったが、そんな中、仕事と私用であちこちに出かけることが多くて、いささか草臥れてしまった。寒気をこらえようとツイ気を張り、身体を強張らせるため余計な力が入って、なけなしのエネルギーを消耗したようだ。
そんなわけで週末の朝食後、まだまだ春には程遠いし、寒さに負けない元気をつけるために今晩あたり温かい鍋物でもいただきたいナなどと思っていたら、タイムリーにも、その心中を見透かしたようなテレビ番組が目に飛び込んできた。

フジの「めざまし土曜日」の中の、“冬のニューヨークあったかグルメ”と題した、マンハッタン各地域の冬の定番メニュー食べ歩きレポートで、途中から気がついたため最初から最後まで見たわけではないが、イーストビレッジのファラフェル・サンドイッチ、ハーレムのガンボ・スープなどを紹介していた。
ファラフェル・サンドは、確かに熱々だし、ガンボ・スープも香辛料が効いて体の中から温まり悪くないが、ニューヨークでそのてのものと言ったら他にもあって、チキンヌードル・スープやマンハッタン・クラムチャウダーの方がもっと一般的で日本人の口にも合うのに――などと思いながら画面に見入っていた。

思えば自分も、かつてニューヨークに長期滞在していたころ、街角の屋台や駅地下のスープスタンドで、また出張の行き帰りに空港のカフェで、早朝あるいは夜更けに、どれだけ、そんな具沢山のアメリカン・スープのお世話になったかわからない。
そう言えばもう1年半、ニューヨークにはご無沙汰しているなと、いささか旅心も刺激されたが、その朝は、どちらかと言えば食欲の方がもっと刺激され、温かいお茶と味噌汁で朝食を済ませたばかりなのに、昼食にはサンドイッチと熱いカップスープがいいなどと考えてしまう始末。イヤハヤ、それだけ食欲があれば多少疲れ気味でも心配はなかろうと自己納得した。

改めて考えてみると、自分はつくづく、汁物・鍋物というかスープやシチューの類いが好きだと思う。人一倍寒がりのせいかとも自己分析してみたが、暑い時季や場所でも食したいと思うから、それだけの理由ではないのだろう。もしかしたら、食糧事情の悪かった戦中・戦後、有り合わせの穀類や野菜を何でも汁の中にブチ込んでご飯と一緒に炊いた文字通りの雑炊風の食事を、それでも美味しいと思っていただいた記憶が、いわゆる“おふくろの味”として意識下に潜在しているのかもわからない。
あらゆる汁物を験したことがあるというわけではないが、ともかくこれまでに、日本はもちろん世界の各地で、さまざまなタイプのものを、ホテルや旅館、レストランや料理店、カフェやデリ、スタンドや屋台から、家内の手料理、さらには缶詰・ブイヨン・粉末などのインスタントものに至るまでのかちで味わってきたが、どれもそれぞれに美味しく、ブランドや値段は関係なかった。

自分がいま言っている汁物には、洋風概念でのスープやシチューだけでなく、日本・アジアの汁麺類・鍋料理も入る。広い意味では雑煮や豚汁・きのこ汁などもそうだと思う。自分は、生まれ育ちが東北の内陸部なので具材の好みにやや偏りがあるけれども、寄せ鍋・白菜鍋・雑炊・おじやなどの土鍋料理が大好きで、家内によく作ってもらう。毎日オフィスに通っていたころは、昼は鍋焼きうどん、夜は石狩鍋などということもあったし、韓国雑炊のクッパ、雑煮のトックッもときどき食べていた。
汁麺類はいまでも外食することが多いが、どちらかといえば中国よりは日本の、その中でもソバよりはウドンで、このごろは薄味の方が好もしくなってきて、かつてあれほど好きだった油の浮いた濃いスープのラーメンよりも、沖縄ソーキそば、ベトナムのフォー、ハワイのサイミンなどの方が口に合うようになった。ただワンタンだけは別で、昔ながらのしょうゆ味スープ(ただしサッパリ目)のものを家で作ってもらう。そう言えば、最近は食べていないが、ホンコン・台湾・シンガポールなどの汁麺類はアッサリ味で小鉢なので、昔は夜食に現地の屋台でよく食べたものだった。

田舎料理の汁物好きが高じていまのようになったくせに、生意気にも洋食の汁物、すなわちスープ、シチュー類にも目がない。何がそんなに好きなのかベスト3を挙げよと問われれば(誰も問わないだろうが)、ボルシチ、ミネストローネ、クラムチャウダー(ニューイングランド風の白い方)ということになろうか。厳密にいうとスープでもシチューでもないかも知れないが、ポトフも好きでたまらない。嗚呼...。
反面、けっこう大好きな人の多いブイヤーベース、トムヤムクン、チゲ、それに前出したガンボなどは、嫌いというわけではないが、自分から無性に欲しくなるというほどではない。こうしてみると自分は多分、海の食材よりは山の食材、魚介類よりは野菜類が好きなのだ。いま初めて気がついたわけではないが...。

ところで近年は、ムッシュの食事や散歩などの面倒を見ることが生活の節目になっているためか、何となく外出する機会が持ちにくくなり、したがって外で食事をするチャンスも減って、こんどアレを食べようなどと思っていてもなかなか時間をつくれず、そのうちに忘れてしまうというケースが再三ある。
ムッシュが可哀そうだから彼独りを残してまで外食に出かけたいとも思わないが、せっかく食べたくなったものを忘れないように、一応、ここに備忘ログしておこうと思う。と言って別に、そんなに大それたものを望んでいるわけではなく、チャンコ鍋ときりたんぽ鍋くらいのもの。このところ長いこと食していなかったので。

ウウ...2日前のテレビ番組に刺激されて懸命に味覚の記憶を辿り、それを増幅して妄想を逞しくしたので、自分で書いていて、口の中にツバがたまってきた。家内にはまだお願いしていないが、近いうちに何かつくってもらおうか、それともチョッとの時間ムッシュに我慢してもらって外に食べに行こうか...。

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2009年2月 9日 (月)

春はもう? まだ?

先週火曜日は節分。初詣と同じく“厄除け”という意味では欠かすとやっぱり気になるので、福豆を買ってきて一応型通り、“福は内、鬼は外”とやった。
恵方巻きも、かつてはお彼岸のおはぎ同様、すべて家内が手作りしていたものだったが、いまは二人だけになってしまったし、沢山食べるわけでもないからと、これも買ってきたもので間に合わせた。豆は、撒くそばからムッシュが追いかけて、カリカリと美味しそうにいくらでも食べるので、お腹でもこわしてはと、ほどほどに止めた。

Ume その翌日は立春で、暦の上では春が始まったことに。確かに2月に入ってから、ほんのチョッピリ暖かくなったような気がしていたが、その日はまた冬の寒さに逆戻り。...と思っていたら、このところまた少し暖かさが回復。これが三寒四温ということなのだろう。
でも、期待を込めつつ自然をよく観察すると、春の兆しが見えてこないわけでもない。家の脇の緩い坂を50メートルばかり下ったところにある御嶽神社境内の白梅は、ほぼ満開で、歩道の上まではみ出した枝の下を通ると、仄かにいい香りがする。そして、そのお隣のHさん宅の庭には、もう早咲きの紅梅が。


Sazanka わが家にも梅は1本あるが、豊後梅なので3月中旬にならないと開花しない。家は新しくなったけれども、まだ造園屋さんを頼んでいないため、庭の大半は掘り返した後埋め戻したままの状態で、東・南側の生垣と立木だけがもとの姿を保っており、紅い山茶花がところどころに咲き残っている。毎年春先に何ともいえぬ芳香を漂わせていた西側の沈丁花は、いまはもう幻となった。
2月上旬では無理もないが、春の気配を感じると真っ先に白い蕾をつけ始める木蓮も、まだ固く角ぐんでいるだけで、椿や花梨や花水木や躑躅の花が開くのはズーっと先。自室の南窓から机の上に差し込んでくる薄日の温もりに、もうすぐ春...と言いたくなるが、それは願望で、本当の春はまだまだ遠い。

とは言いながら、こうして落ち着いて、そんな思いを巡らしていられる余裕のある今年の2月は有難い。昨年のいまごろは、実はキツかった。
顧問を引き受けていた会社がそのときはもう1社あって、そのために拘束される日が月に3日、原稿書きが毎週の上、講演依頼なども集中して、人と会うために出かけることも多かった。そしてその一方で間断なく進めていたのが、家の建替えプロジェクト。2年越しの話が大詰めに近づいていて、連日のようにビルダーとメールや電話で遣り取りし、また会って話をしていた。

そんな中で、毎晩寝汗をかく、朝起きると身体が痛い、いつも胃が重い...といった症状が出てきて、内科のホームドクターで検診してもらったら、自律神経失調症と診断された。根が単純で、同時に複雑なことをいくつもこなすような芸当が不得手な自分は、意識しないままに疲労とストレスを溜め込んでしまっていたらしかった。
当座ドクターの処方した薬を服用し、以来ずっと指示された食事・生活習慣を守っていたら、いつしかその症状はなくなり現在に至っているのだが、そのときから半年あまりの間に、決して多くはなかった体重がさらに減って、成人して以来最少というところまで落ち込んでしまった。一昨年の総合健診で胃部の精密検査を受け結果的に問題はなかったが、以後食べるものに気をつけていたため必要以上に痩せ過ぎ、そこに家の建替えで心身の疲れが重なって、なおさら痩せてしまったようだ。

でも、食欲はあるし、疲れやすいわけでも、顔の色艶が悪くなっているわけでも、内臓に異常を感じるわけでもないから、深刻には考えていないが、念のため、今月下旬に基本検診を、来月中旬にはガン検診を受けることにしている。
1年前は、ウエストが3センチ縮まって、持っていたスーツやパンツがすべて着用可能になったと喜び、ブランドショップの兄ちゃんにスリム体型とおだてられて細身のパンツを一度に2本も購入したりしていたが、いまは、そのときよりさらにベルトの穴一つ分、細くなってしまい、パンツのウエストを詰めるべきか、自分の腹囲を増やすべきか悩んでいる。まあ、そんなことは、どちらでもいいのだろうが...。

ところで、花粉はもう飛び始めているのだろうか?ときどきクシャミが出るようになってきた。風邪気味なわけでなし、早やシーズン到来としか考えられない。今年もこれからどんどん増えて行くのだったら憂鬱だ。昨年はちょうど自律神経失調症とタイミングが重なって、けっこう参った。
大体において花粉症は、エネルギッシュな、普段元気な人がかかるという俗説があるが、そうすると自分も、元気でエネルギッシュということになるのだろうか?自分としては、もうすっかり脂ッ気が脱けて、枯淡の境地に差しかかっていると思っているのだが。

ムッシュは相変わらず元気で屈託がない。3年余を過ごした旧居と5ヵ月あまりの山荘の暮らしに馴染みきって、新居に戻ってしばらくの間は戸惑いを見せるかと思っていたが、まったくそんな様子はなく、こんどの家の中に特別に設えてもらった専用コーナーで、まるでずっと以前からそうだったかのように寛いでいる。
散歩に出ると、ここは清里の森の中と違って、毎日の朝夕に必ずと言っていいくらい、仲良しのワンちゃんと、顔馴染みの小父ちゃん・小母ちゃん・お姉さんなどの誰かに会える。すると、しばらく留守にしていたので、“オー、ムッシュ君、久し振りだネー”とか“ムーちゃん元気だった?”などと、みなさんに声をかけてもらえるので、ムッシュは大喜び。新しいお仲間も増えた。近所に建設中だった戸建分譲住宅がほぼ全棟完成し、20世帯くらいが新入居したようなので、きっとそのお宅のワンちゃんとご家族だと思う。

暑いの寒いの、痛いの痒いのと、何だかんだ言いながら、外を歩いても以前ほどは冷え込みを感じなくなり、シモヤケも少しずつ快方に向かっている。春一番はまだだが、目と鼻がムズムズし始めてきたから、もしかすると春の先発隊は、そこまで来ているのかも知れない。

家のことが一段落したから、暖かくなったら久し振りにジム通いでもしてみるか...。かつてと逆に、こんどは肉を付けるために。

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2009年1月19日 (月)

コンピューターがわからんッ!

昨年の暮れに清里から横浜に戻って来て、こちらでインターネットに再接続して以来、どうもパソコン(本体かソフトウエアかわからないが)の調子がよろしくない。よろしくないなどというレベルではなく、かなり悪いといった方が当たっているかも知れない。
どう悪いかというと、まず起動(いわゆる“立ち上がり”?)に時間がかかり過ぎる。朝起床後、電源を入れてからデスクトップにすべてのアイコンやツールバーが現れるまで、正確に計ってみたわけではないけれども、10分近くかかる。

そしてメールボックスの受信画面が現れアンチスパム・ソフトウエアによる承諾メールと拒否メールの振り分けが終るまでさらに数分。それも、まともにその段階にたどり着くことは滅多になく、ほとんどの場合、最初は「エラー」画面になり、それを閉じるとやっとメールを開封できるところまで進む。
ウイルス汚染防止やセキュリティ保護のために、毎朝3種類のプログラムのアップデート作業を行うのを日課にしてきたが、このスピードも遅い。特にセキュリティ保護のためのNというプログラムは、従前だとほぼ1時間で終ったのが、半日もかかるようになった。その中の1項目については毎日のように、“1月1日以降アップデートされていないが今すぐしますか?”という警告が表示されるので、そんなことはないはずだがと訝りつつもただちにOKボタンをクリックするが、翌日また、まったく同じ表示が現れる。

文字の入力画面が現れるまでにも異常に時間がかかり、長時間(と言っても1~2時間だが)使い続けていると文字の入力・変換が乱れ出す。ひらがな入力でキーボードを叩いても文字がなかなか現れず、漢字への変換にも手間取る。あまりに遅いので、キーボードの叩き方が悪かったかと2度・3度繰り返すと、時間をおいてこんどはそれが全部一度に、ドドドドッと変換され、ヤレヤレとバックスペース・キーで余計な部分を削除しようとすると必要な部分まで消えてしまい、やり直す破目になる。
これを入力している今ここでも、その現象が起こっているし、メールの文字入力をするときにも、同じような状態になることがある。そうそう、必死にキーボードを叩いている最中に、“ムービー内のスクリプトが原因でAdobe Flash Player9の実行速度が遅くなっています。このまま継続すると応答しなくなることがあります。スクリプトの実行を中止しますか?”という警告がしばしば現れるが、IT音痴の小父さんにはワケがわからない。一体自分が何をしたというのだ!どうすりゃあいいのだ!。

メルマガやウエブサイトのリンクから他のサイトにジャンプするためにクリックしたとき、ランディング先の画面が開かれるまでの時間もずいぶんかかるようになった。
とにかく、このごろ我がコンピューターは、何につけても反応が遅くて、辛抱強いことでは定評のある(?)この私も、さすがに我慢しきれなくなって、ツイ、マウスをクリックし過ぎたり、エンター・キーを叩き過ぎたりしては、自らトラブルを招いている。

自分のパソコンはS社のVで、テレビも受信できるモデル。OSはウインドウズXPで、購入してからまだ2年半だが、テレビの画像・音声にも、時期を同じくして異常(音声がほとんど出なくなる、出ても途切れ途切れになる、画像がテレビ電話のようなストップ・モーションになる)が発生するようになった。
毎朝、電源スイッチオン後、リモコンまたはパソコン上のボタンでテレビに切り替えようとすると、一度では反応せず、2度目の切り替え操作でやっと反応し始めるが、画面や音が出てくるまで、やはり10分ぐらいかかる。

したがって今はもう、朝のテレビは自室のパソコンで見るのを諦めているが、癪なことに、パソコンをある程度使い出すと、切り替えにもさほど時間がかからなくなり、画像・音声の異常も感じられなくなる。が、どういうわけか夜遅くなると、また、朝ほどではないけれども、画像のストップ・モーションと音声の途切れが起こる。何故だ!まだそんなに古くなったとは思えないが、自分のパソコンはイカレてしまったのだろうか?
しかし自分の場合は現在、インターネットもテレビも、電鉄系のIというケーブルテレビ会社兼ISPの通信回線に拠っており、具合の悪くなったタイミングがたまたま、電話回線でインターネット通信だけを行っていた清里から切り替えたときからだったので、パソコンだけでなく、ケーブルテレビ回線の通信環境も疑ってみる必要があると思った。

こんなことが毎日続いて3週間以上経ち、不便さを遂に我慢できなくなったので、パソコン・メーカーとケーブルテレビ会社の双方のヘルプデスクにサポートを仰ぐことにし、まずはケーブルテレビ会社兼ISPのI社に電話をかけてみた。
カスタマーサービスとして表示されているフリーダイヤルに電話をしたら、そこはインターネットのことだけしかわからないのでテレビ担当の方にも電話(有料)するように言われ、電話をかけ直して状況を話すと、結局、I社側で調べたところでは送受信とも問題箇所は確認できずパソコンの問題かと思われるのでメーカーに相談して欲しいと、あっさりいなされてしまった。

ので、S社のVカスタマーリンクに電話した。ここはさすがに、なかなか親切に対応してくれた。状況から判断して問題かも知れないと思われる点のチェックと改善のためだろう、普段は経験したこともないさまざまなステップを踏む作業の指示を受け、間違えるまいと気を張り詰めながら何とかフォローすること小1時間。途中、コンピューターを再起動している間は特に話すこともないわけなのだが、お互い電話口でただ黙っているのに耐え切れず、“こりゃあ、やっぱり時間のかかり過ぎですね”、“でしょう”などと雑談。
で、いろいろと説明してくれたが、素人なりに何となく理解できたことは、“ディスクの容量に対してマイ・ドキュメントの保存データがかなり一杯一杯になっているので、Dドライブに移します”という部分。そういえば確かに、横浜に戻ってくるまでの半年間に、建築中の家の進行状況(自撮・ハウスビルダー撮)や清里の山荘近辺・八ヶ岳・南アルプス・富士山などの画像を、やたら沢山ため込んでいた。

“データの移し替えには30分以上時間がかかるが、それが終れば恐らく状況は改善されるはずなので、結果をみてまたご相談を”ということだったし、こちらも後の予定があり、それ以上パソコンにへばりついているわけにも行かず、その場は一たん終了。
しばらく経って験してみたら、確かに、サイトからサイトへのジャンプ、文字変換などは幾分早くなったように感じられたので、さらに身軽になろうと、余計なデータをファイルから削除するなど自助努力もして、翌日からを楽しみにその晩は電源オフ。

ところが、翌朝また電源をオンにすると、依然としてパソコン自体もテレビも、立ち上がりには今までと同じくらくらいの時間がかかり、テレビの画像・音声の異常も変わっていない。ガックリ来たが、そこでまたVのカスタマーリンクに電話をして長時間のやりとりをするのも、当方としても大変だし、パソコンとしての機能がまったく利用不可能というわけではないので、我慢しつつ、“私設ヘルプデスク”の長男が来てくれるのを待った。
しかし、これまで歴代のパソコンでも何度かあった不具合をその都度駆けつけては解決してくれていたコンピューター・プロの長男も、今回ばかりはかなり手を焼き、時間切れのため未解決部分を残して帰って行った。予想以上にたいへんな思いをさせたようだった。

解説されても、とても全貌は理解できなかったが、保存データをDドライブに移し替える必要があったという指摘はVのヘルプデスクと同じ。フーム、そういうものかと思わせられたのは、セキュリティやアンチ・スパムのためのソフトウエアが何かにつけて勝手に作動しては、他の目的での操作の枷のような存在になっているかも知れないということ。そして驚いたのは、よく調べてみたら見えないところに、接続してあるプリンターのプログラムによって印刷を実行する際に表示される印刷状況画面が、保存データとして山ほど蓄まっていたということ。
後者には思い当たるフシがある。自分は内外のビジネス・ジャーナルの情報をほぼ毎日チェックし、必要があると思ったものは資料として印刷保存しておくことにしているが、その際にプリンターから発信されてパソコン上に現れるこの画面を、印刷が終らないうちに消してしまうようなことを何時もしていた。どうもそれがいけなかったらしい。

メーカーと長男に助けてもらって、OSの立ち上がりの遅さとテレビの不具合を除いては、まずまず使える状態に戻った我がパソコンだが、すべてがスッキリともとのようになるのはいつのことか...。
パソコンを使用する高齢者が増えているこの時代、その知識・利用スキルのレベルが自分程度の方はけっこう多いのではないかと思うが、そういう方は自分と同じような経験をしたときにどうするのだろうか?

今回のことで、“コンピューターはわからんッ!”とばかり言っていないで、もう少し理屈を勉強しておかなければと、つくづく思い知った。

トラブルはまだ完全に解決していない。何か改善のヒントをくださる方がおられたら大歓迎!!

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2009年1月 5日 (月)

あらためて感謝の気持ちのお正月

明けましておめでとうございます。穏やかなお天気で、まずは結構なお正月。
本日よりブログ再開、今年で4年目に入るが、よろしければ引き続きご愛読のほどを...。

昨年の暮れ、丁度クリスマスイブの日に清里の山荘から新居に戻ってきて数日、無我夢中で引越し荷物の開梱をしているうちに、いつの間にか大晦日になり、年が明けた。
戻ってきたばかりは、うず高く積まれたダンボールの山の中で、一体どこから手をつけたらいいか途方に暮れていたが、家内の妹が当日、息子2人と娘が週末に駆けつけてくれ、年内にとりあえず6~7分通りカタがつき、元日と2日も息子たちが通いで手伝いにきてくれたので、室内はだいぶ整理された感じになった。

そんなバタバタで、今年は例年のようなお正月は無理かと諦めていたら、娘から豪華3段重ねのお節料理が届き、家内も忙しい中でもお雑煮だけはと腕を振るってくれ、元日の“東京風”、2日の“富山風”と、男性陣はいつもの年とさして変わらぬ正月レシピに舌鼓を打たせてもらった。
まだ完全に片付いてはいないが、前の家よりかなり広くなった新ダイニングルームで、孫も交えた身内一同が久しぶりに顔をそろえ賑やかに談笑しながら食事をしていると、何とも言えぬ幸福感がじんわりと湧いてきて、ただでも美味しい料理が一入いい味に感じられ、本来はからっきしダメなアルコール(ただしワイン)も何気なく飲めてしまった。

ずっと続けてきた自分の年末・年頭の慣例行事も、2008年末~2009年初はそれどころではなかろうと簡略化するつもりでいたが、結果的にはいつも通り。大晦日から元旦にかけての御嶽神社(わが家から徒歩1分のところにある鎮守の社)へのお参りも、3日の川崎大師への初詣も、つつがなく済ますことができた。
引越しの疲れでバテが来るかと思っていたら、意外なほど、まったく問題なし。川崎大師には過去30年以上、御嶽神社にも25年近く詣でているが、古稀を2年近く過ぎたいまもこうして元気に続けていられることを、あらためて幸せに、かつ有難いと思う。

自分で勝手に決めて、これまで御嶽神社には家全体のことを、川崎大師には身内の一人一人(ムッシュも含め)のことをお願いしてきたが、家の建替えというプロジェクトも昨年中に無事達成でき、みんな元気に新年を迎えられて、今年はどちらにも、お願いするばかりでなく心からの感謝の気持ちを捧げてきた。
世の中は不景気の真っ只中というが、両参道の賑わいは、なぜかそれを感じさせなかった。所要時間から判断すると、同日同時刻の人出と混雑の度合いは昨年とくらべて僅かに少なかったかも知れないが、何か、それを補って余りあるほどの活気があったような気がする。若い人々が増え、自分ぐらいの世代はだんだん少なくなっているからなのだろうか...。でも、川崎大師山門前仲見世の飴屋では、お年寄り向きに、名物の“咳止め飴”だけでなく、“ボケ止め飴”なるものも売っていた。昨年までは一向に気がつかなかったのだが、今年になって目に入るようになったとは、“コリャまた癪でしたッ!”

というわけで、また、いつも通りの暮らしが始まったが、家の中ではまだ、シンプルだった山の暮らしのスタイルを切り替えきれずに、何かにつけマゴマゴしている。
今度の家は、いつか来るかも知れない日のためにバリア・フリー、ケア・フリーにしたいということで、いわゆるオール電化にし、さまざまな箇所をフルオート化してセキュリティ・システムも導入したので、なかなかコントロール・パネルの操作を覚え込みきれず、何をするにもイチイチ取扱説明書と首っ引きしなければならない。どうやらそれも、マゴマゴに輪をかけているようだ。

ムッシュは、新しい家では床暖房と換気装置つきの専用コーナーをもらって、一層熟睡するようになり、お蔭で朝と昼寝の後の散歩は元気一杯。慣れたコースを先に立つようにして小走りし、久しぶりに仲良しのお友達や顔見知りの小母さん・小父さん、お姉さん・お兄さんと会っては嬉々としている。
夏に清里へ移ってから約半年間、最近の氷点下で雪の積もる季節まで、人っ気も生活音も乏しい環境にすっかり溶け込んでいただけに、こちらへ帰ってから調子を狂わせなければいいがと心配していたが、そんな懸念は無用のようだった。

他の方にとってはどうでもいいことだけれども、来る1月10日は自分の誕生日。しかも今年は自分の干支と来ている。だから何だと言われても困るのだが、ともあれ節目には違いないので、公私にわたって、自からいい年にしたいと願っている。
無理は禁物だろうが、元気なうちに、いろいろなことを実現し、成し遂げておきたいのだ。

さて、今週は8日に、初仕事で外出する。そろそろ頭の中も仕事モードに切り替えておかなければ...。

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2008年12月 1日 (月)

やっぱり本が好き

エンタテインメントもニュースもナレッジも、大概の情報は、インターネットやテレビ・ラジオ、そして新聞・雑誌など、いわゆるコミュニケーションメディアを通じて得られるもので間に合うが、人の好奇心や非日常的状況への夢想などは、それだけではなかなか満たされるものではない。
だから、未知・未踏なる内容の、“本”というかたちの情報源を、常に最小限5冊ぐらいは傍に置いておかないと何か落ち着かず、残りがあと1冊になると、早く次のストックを用意しなければと、少し焦ってしまう。

しかし、山で暮らしていると、歩いて行けるようなすぐ近くに大型書店があるわけでなく、15キロ先のショッピングモールまで行けば本屋さんがあるにはあるが、小規模で自分が欲しいと思っているような類いのものは揃っていない。
東京に出たついでに寄れたらいいのだけれども、生憎、移動コース上には格好の書店がなく、たまに寄り道をしようと思っても、ギリギリのスケジュールで動いているため、まずその余裕をつくり出すことができない。

...と、ないないづくしを嘆いているうちに、とうとうストックが全部切れてしまい、どうしようかとあれこれ考えているまま1ヵ月。家の中にいるときはともかく、仕事で出かけて独りランチをするときなど、もの足りなくて困った。というのも、面白い本を読みながらだと、ありきたりのメニューでも、より美味しく食べられるような気がするからだ。
前にも、外出携行用の本を切らして、移動途上のKIOSKで買った週刊誌で間に合わせようとしたことがあったが、やはりそれでは代わりにならなかった。片手で持ち、その親指でページをめくれる、文庫か新書版の単行本でなければダメなのだ。

で、切羽詰ってとうとう、オンラインで注文することに。もっと早くすればよかったのだが、書店で買うようにパラパラと何ページかをチラ見し、タイトルだけではわからない内容をある程度覗くわけにも行かないため、何度も検索しては、欲しいものを見つけあぐねていた。また1店でまとめ買いしようと思っていても、店によって在庫がマチマチだったりして、一たんカートに入れては途中で止めるということも繰り返していた。
本のオンラインショッピングは、タイトル・著者・内容がわかっていて決め買いをするのなら実に便利だが、自分の好みに合いそうなものを特に当てもなく見つけ出そうというときには、けっこう根気が要る。それでも、専門書の新刊などは、概要や目次が紹介されているからいいが、いま自分が漁っているような既刊のエンタテインメント書の文庫版などにはそれがないから、あれこれ類推を働かせざるを得ず、なかなか決めにくい。

Book_2 とかなんとか文句を言いながらA社一つにまとめて一度に10冊注文した本が先日届き、やっと落ち着いた気持ちになった。これで、横浜に戻るまでのあと3週間あまり(うち仕事での東京往復は1回を残すのみ)は、何とか間に合うだろう。
07年4月30日「書店の楽しみ」の回にも書いたように、今回仕入れたものも、例の分野(古代史もの)ばかり。これまで、通説から新説・珍説・奇説まで、歴史学をはじめ考古学・文化人類学・宗教学・地質学・天文学まで、日本だけでなくアジア・中近東・ヨーロッパ・北南米・太平洋地域まで、そして現代から先史・神話の時代まで、お堅い研究書・ノンフィクションの類いはほとんど読みつくしてしまい、いまでは遂に、学者や研究者ではなくて小説家による、創作読み物にまで対象を拡げた。

それも、必ずしも歴史小説と言われるような文芸作品とは限らず、最近ではミステリー、SF、伝奇ものと、本来それほど見向いていたわけではなかったジャンルも視野に入れ、史書に基づいて日本の古代そのものを舞台にしたオーソドックスな作品ばかりでなく、舞台は現代だが、タテ・ヨコの伏線として日本のみならず世界の古代史や科学とオカルティズムが虚実ないまぜに織り込まれた、超常的な物語をも楽しんでいる。
不遜な言い方かもしれないが、何でも勉強のためと読んだ若いころと違って、いまさら読書からは、なまじの知識や教訓を求めようとは思わない。期待するのは逆に、そんなもので一杯になってしまった頭の中を空っぽにしてリフレッシュしてくれるエンタテインメントだけ。それには、このジャンル、スタイルの読み物が打って付けなのだ。

今回も、まずは定番ものをと、故・黒岩重吾の古代史長編小説の中でこれまで書店で入手できなかったものを、ネット上で丹念に検索して掘り出した。豊田有恒・邦光史朗・井澤元彦など、この系列の作品を書いている作家は他にもいるが、この人ほど量・質両面で徹底した人は見当たらない。一般的には社会派現代小説作家として知られているが、自分はむしろ、その古代史小説作家としての活動側面に大きな関心があり、これまでに購入し読んだ作品は、30点以上にのぼる。

“浅見光彦シリーズ”の内田康夫や、“十津川警部シリーズ”の西村京太郎など、一般愛好家向けミステリー作家として人気の高い人たちの作品の中にも、舞台は現代だが古代の歴史ロマンを巧みに取り入れたものがあるのに気がついた。全作品数からすれば決して点数が多いとは言えないが、ひとつひとつを読んでみると、この人たちも古代史が嫌いではないなと思わせられる。
同趣向のよりマニアックな作品を書いている若手に、高田崇史という作家がいるが、書店で読みたい文庫本が見つからず、新書版のいわゆる“ノベルス”ものの棚を何気なく眺めていてフとタイトルに惹かれ、読んでみたら病みつきになった。気が付くと黒岩重吾に次ぐ購入点数で、今回は新刊にも飛びついてしまった。篠田秀幸なども同じタイプで、この手のものをもっと沢山書いてくれればと思っている。

そして、いま最ものめり込んでいるのが大河伝奇小説。半村良・高橋克彦・明石散人などを読み尽くして、やはりノベルスを物色しているうちに、篠田真由美の“龍の黙示録”という超伝奇シリーズに行き当たった。つぶさに見て行くと、富樫倫太郎・三田誠広、西風隆介など、ミステリー・ノベルスのフィールドには、他にもこのタイプの作家がいる。
史実ともっともらしい仮説を伏線にして、時空を超えた何でもありの世界が作者の力量の限りに繰り広げられるから、面白くないわけがなく、その仮説や伏線について少しでも知識や関心があれば、さらに楽しみが増幅する仕掛けになっているから堪えられない。

読む本を十分ストックできた嬉しさに、思わず、大方の読者諸氏にはあまり興味がないかもしれない自分の偏った好みについて、得々と語ってしまった。可笑しくも何ともないだろうけれども、どうか憫笑くだされ。
でも、もしかしたら、中にはもの好きな同好の士もいたりして...。おられたら、ぜひ、面白そうなタイトル・作家をお教えいただければ有難い。

サテ、こんど出かけるときには、どれを携えて行こうか。

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2008年11月 3日 (月)

犬はかすがい

エー、昔の人は“子はかすがい”などと申しましたが、当節は“犬はかすがい”と言った方が当っておりますようで...。

確かにその通り。“夫婦喧嘩は犬も食わない”という諺もあるが、それが起こらないように、また何とか収まるようにしてくれるのも犬だ。同じペットでも、猫ではそうは行かない。
夫婦の関係などというものは、長年連れ添った間柄ではあっても、いつも平穏無事というわけには行かず、我が家でもときに(大方自分のせいだが)、かなり難しい状況になることがある。気まずく長い沈黙の時間が流れて、単純で不器用な自分には、何が問題なのか、どうしたらいいかがわからず、途方に暮れることも再々。だが、そんなとき、ムッシュのお蔭で救われたことが、これまでどれだけあったかわからない。

ムッシュ ムッシュは、ママとパパの間がどうも微妙な雰囲気になってきたなと感じると、初めはやや引いて、しかし心配そうにその様子を見ているが、やがて2人の間に会話がなくなり、もはや一触即発という空気が立ち込めてくると、そこに絶妙なタイミングで、遠慮がちにトコトコと割って入ってくる。
そして最初はママのところへ行き、膝に手をかけて“どうしたの?”とでもいうような仕草で見上げるので、ママは仕方なしに口を開き、パパに対する鬱憤をムッシュに聞いてもらうというかたちで語り出し、パパもそれが耳に入ってやっと、問題の核心を理解する。

ムッシュ自身がどれほど理解しているのか本当のところはわからないが、ひとしきりママの話を聞くと、彼は今度はパパのところへやって来て、“パパ、またドジったの?ダメだなあ、いつもいつも...”といった眼差しで、じっとパパを見つめる。
そこでパパは、よくぞ来てくれたと藁にもすがる気持ちで、ムッシュに対する独白のかたちで自責と反省の気持ちを述べるわけだが、直接にでは言い訳じみて取り合ってもらえないことも、ムッシュを介したかたちでママの耳にも伝わることになる。

いい歳をした人間の、そんな世話の焼けるプロセスに、しょっちゅう付き合わされているムッシュこそ、実にいい迷惑だと思うが、日頃可愛がってもらっている恩義を感じてくれているのか、彼は二人の間を交互に行ったり来たりして、こちらが話をしている間は、それぞれの前にじっと座り、小首をしきりに傾げながら一生懸命に聞いてくれる。
そうやってムッシュは、いつもと違うパパとママに、懸命に気を遣う様子を見せるので、可愛らしくていじらしくて、やがて二人とも、ツイ、“ムーちゃん、ごめんね。心配をかけて...”と、期せずして同じような言葉を発してしまう。

そうなると、いくら何でも、お互いに対することよりムッシュのことが先に立ち、こんな小さな子にそこまで気を遣わせてはいけないな...と、二人とも親の気持ちに帰らざるを得なくなって、事態が治まるのは時間の問題となる。そしていつの間にか、話題の中心はなし崩しにムッシュに移り、ムッシュもそこでやっと安心して、自分の定位置の座布団の上でリラックスの体勢に入る。
こんなしょうもないことを、いったい何度、そしていつまで繰り返していることか...。でも、ムッシュがいるお蔭で、今日も家の中には、共通の話題があり、穏やかな空気が流れている。まことに、“犬はかすがい”と感謝するほかはない。

ところで本日、11月3日はムッシュの誕生日。猫よりも柄が小さいので、散歩中に会う初めての方からは“何ヵ月ですか?”などと子犬と間違えられるが、満8歳になった。我が家に来たのは2005年3月(その経緯については2006年2月27日を参照)で、それからまだ3年半しか経っていない勘定だが、子犬のときから一緒にいるような気がする。
4歳半まで目黒にいたし、そのあとの3年半も横浜だから、チャキチャキの都会っ子なのだが、この夏から3ヵ月あまりこちらにステイしているうちに、すっかり山の子になってしまった。もともと好奇心が旺盛なので、縦横に走る変化の多い森の中の路は面白くてたまらないようで、散歩に出る度に、いくつかある好みのコースのどれかを、アップダウンなどものともせずに遠出する。

散歩中のムッシュと口に入れて運んできたドングリ 秋の路上は落ち葉だらけで、何とも言えない芳香が発生しているらしく、ムッシュは散歩中に、チリチリに丸まった広葉樹の葉はもちろん、細く尖ったカラマツの葉まで口に入れようとする。あとでゲツ!ゲツ!となって苦しそうだから、やかましく制止するのだが、ときに見逃してしまい、家に帰ってきてから、鼻や口のまわりに葉っぱの切れ端を付けているのを見て、驚くことがある。
傑作なのは、ドングリのコレクション。散歩の帰り道、急に首を立て、わき目も振らず前方を見据えて歩調が早くなるので、どうしたことかと思っていると、家に着いたとたん、ポーチのタイルの上に“ポトリ!”と何かを吐き出す。途中で拾ったドングリを口に入れて運んできたのだ。殻は固いし味もエグいだろうから、食べてお腹でもこわしたら大変だと、折角ながらいつもそこで、“ハイご苦労さん!”となるが、何度取り上げられても懲りず飽きもせずに持ち帰ってくる。そんなドングリが、15個貯まった。干からび始めたが、あまりに可愛いので、記念にと、まだとり置いてある。

森も11月に入り、最後の彩りを留めているモミジやドウダンツツジの他あらかたの木々は、ほとんど葉を落として妙に見通しが良くなり、ムッシュと散歩をしていても一際寒さが身に沁みるようになってきた。このところ毎朝、ダイニングルームの窓の先のアカマツの高枝に、子リスが松の実を食べにやって来るが、そろそろ冬篭りの仕度なのだろうか。
横浜の家の工事も、これからいよいよ佳境に入り、何かと細かくチェックしなければならないことも多くなって、もうノンビリばかりはしていられなくなるが、なんとか家族3人、何事もなく年末まで持ち応えたいものだ。

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2008年10月27日 (月)

上棟の日

いつもと比べると忙しい1週間だった。火曜日には大泉中央診療所の歯科、木曜日は東京・八丁堀の顧問先、金曜日にはまた診療所の内科、土曜日は一家(と言っても2人と1匹)揃って、建築中の自宅の上棟のため横浜へ。 ...と東奔西走...というのはオーバーで、単に往復しただけだが。
そしてその間を縫って、冬に備えての薪づくりと、外部はもちろん中も落葉だらけになってしまった車の清掃という、最近はサボりがちだった肉体労働...これまた言い過ぎで、単なる作業...に励んだ。

歯科では、2週間前に発生した口内炎は完治ということになったが、“一生、自分の歯を使い続けられるようにケアを続けましょうネー”と言われて、今更とは思ったがそのための指導を受け、半月ごとのチェックとお手入れで今後とも通院をすることに。
内科は、やはりその2週間前に、例年のように指先の冷えがキツくなってきたので相談して受けた採血検査の結果を聞くためだったが、意外にというか有難いことにというか、血液そのものの状態に関する数値も、腎・肝・膵などの各内臓の状態を表わす数値にもまったく問題がないと言われ、とりあえず血液の循環を良くするためにということで、ビタミンE剤を1ヵ月分もらってきた。

これで、まずは一安心したが、血液検査だけで健康上の問題点がすべて判明するわけではないから、今年は家の建替のことで頭が一杯でパスしてしまった総合検診を、来年になったら早々に受けなくてはと思った。
昨年6月の検診以来、十分にドクターの言いつけを守っており、その効果も感じているので、万が一にも問題はなかろうとは思っているのだが、こればかりは素人判断すべきことでないのはわかっており、もう今年も残すところ少なくなったいま、早急に予約申込をしておかなければと、改めて認識した。

中一日おいて一週間に2度目の遠出となった土曜日は、大安吉日ということで、横浜の自宅の“上棟”。午後3時から行うことにしていたが、車で全員一緒に地元に戻る機会はこれまでなかったので、ついでに他の用事も一緒に済ませておきたいと考え、早朝7時半前に山荘を出た。
いつもなら、家内や自分が2階から下りてくるのが8時前後、1階の通称サンルームの中に置いたケージで寝ているムッシュはそれから起きる(多分それ以前から目は覚ましている)のだが、この日はそのタイミングが1時間半先行したので、人もワンコも、なかなか調子が出なかった。

2日間にわたって雨が降り続けていたから、この日もどうなることかと昨夜まで心配していたが、幸いにも出かけるころには上がって、途中の渋滞もなく、休憩時間も適切にとった上でなおかつ、予定より30分以上早く、11時前に現地に着いた。
工事は、2日間の雨でチョッピリ予定が滞り、上棟の本来の意味であるところの、棟を上げ屋根の形が見えるところまでは行っていなかったが、1・2階の床と壁はできていて(ツーバイシックス工法なので)、現場監督も、全体スケジュール的には問題ないと言っていたのでまずまず安心した。

ここでムッシュと自分は車から降り、家内はそのまま、あざみ野駅近くのホームドクターのもとへ。ムッシュは11時半からすぐ近くのペットサロンでカット&シャンプーをしてもらう予約を入れていたので、それまでの間、久しぶりに、なつかしい自宅周辺の散歩。あそこの電柱、ここの草むらと、彼の定番の場所にマーキングをしまくっていた。
彼をペットサロンに預かってもらった後、今度は自分が、12時に予約していたヘアー・サロンへ。山荘へ引っ越す直前に、無理を言って休日にカットをしてもらった店だ。清里にいる間もカットしないわけには行かないので、どこかいい店を見つけなければと思っているうちに3ヵ月経ってしまい、最早限界という状態に達していたので、やっと思いを遂げられてホッとした。

ビルダーと相談した上で決めたことだが、上棟といっても昨今は、神主さんに来てもらったりして古式床しくとり行うというケースはほとんどないということだったので、儀式といっても、工務店棟梁や大工さんその他工事関係者の挨拶と、それに対するこちらからの心付けならびに祝菓子・飲物・弁当の差し入れ程度。
実際に中心になったことは、水回り・電気関係の配管・配線、照明・スイッチ・コンセントの位置、ケーブルテレビ・電話・インターネットそしてセキュリティシステムがらみの利用形態の最終確認などで、これに、予想以上に時間がかかった。ビルダーの営業・現場監督・設計士・インテリアコーディネーターをはじめ、配管などの設備工事会社、電気工事会社、インターネットと電話サービスを含むケーブルテレビ会社、セキュリティサービス会社などの人々たちと、クロスオーバーして話を進めて行かなければならなかったので、家内と2人でテンテコ舞いだったが、長男と次男も来て、ブレーンとしてまた手足として何かとサポートしてくれたので助かった。

すべて終ったのが、予定よりも大幅に遅れた夕方の5時半ごろ。ムッシュも、いつもはタップリ2~3時間はとる昼寝もせずに、よく我慢してくれた。帰途は、八王子インターに入る前にコンビニに寄って軽くサンドイッチで間食し、ムッシュも晩ご飯。その後は談合坂と双葉のそれぞれでの小憩を入れてゆっくりと走り、10時少し前に山荘に着いた。
清里・横浜間の日帰り往復は、人間はともかくムッシュにはかなりキツいのではないかと危惧していたが、これまで長距離同乗を何十回となく経験して、彼なりの車中リラックスの方法を会得したらしいムッシュは、走行中は後部座席で大人しく伏せていて、停まると元気よく飛び出して軽いウォーキングと用足しをするなど、食事の催促以外にはほとんどグズることもなく、今更ながら、よくできたワンコと感心してしまった。

翌日曜日は、外はもう、冬がきたかと思うような冷たい八ヶ岳颪が吹き抜け、カラマツの葉が一気に散り落ちて、森の路上を、茶色い絨毯を敷き詰めたような状態にした。
この日は、清泉寮―八ヶ岳高原横断道路を往復するロードレースがあり、萌木の村ではカントリーフェスタが行われていたはずだが、寒さと前日の疲れで外出する気になれず、ほとんどの時間を家の中で過ごしていた。普段は散歩好きなムッシュさえ、あまり外に出たがらなかった。

一昨日は、人影も家影もまばらな山梨の森の中から数時間で横浜の住宅街にワープして、23年間馴れきっていたはずなのに、何だか異界にでも来たかのような奇妙な違和感を、しばらくの間覚えていた。目に映る時間の流れる感覚の違いを体感していたのだと思うが、たった3ヵ月で、そんな風になってしまうものかと、自分でも驚いた。
仕事で新宿までバスで出て、JRや地下鉄で都内を移動しているときには、そういう感覚は味わっていなかったのだが、なぜだろう?

ともあれ、遠距離を日帰りで往復するハードスケジュールではあったが、無事、上棟という峠を越え、先に進むことになった。あと1ヵ月もすれば、道の先に、完工という目的地も見えてくるようになるだろう。ただ、新しい家への引越しも楽じゃあないだろうと、そろそろ気になってきた。
が、柄にもなくいまから取り越し苦労をしても仕方がないし、こちらに来るときが何とかなったように、帰りも何とかなるはずと楽観して、あとしばらくの間は、精々いまの静かな生活を楽しむことに心を決めた。

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2008年10月13日 (月)

わたくし、B型ですが、何か...

自分から言い出すことはないが、外で、何かの拍子に血液型の話になったときB型だというと、みんな一様に“エーッ、ほんとですか?”と驚く。B型にどういうイメージを持っているのか知らないが、そう見えないらしい。でも、家族からは、良くも悪くもB型以外であることなど考えられないと言われており、長年の友人や仕事仲間は、わかっちゃいるけどいまさらどうでもいいと思ってか、何も言わない。
もう20~30年前になると思うが、かつて血液型による相性診断といった本が評判になり、血液型の違いによる気質の違いなどが取り沙汰され、自分もチョッピリ興味を持ったことがあったが、元来、人の性格形成などは、生まれた時代や育った風土・生活環境など、それ以外の要因によっても左右されることが多々あるはずと、あまり気にも留めないでいた。ところが最近また、その話題が復活しているらしい。それも、B型の人間について書かれた本がきっかけになって。

以来、あちこちでB型、B型というものだから、参考のためにその本を読んでみようかと思っていたら、いつの間にかベストセラーになり、なんだか買う意欲をなくしてしまった。マスコミや沢山の人にもてはやされているのを見ると、それに追従したくなくなるのだ。
けれども、“B型って意外と沢山の人に興味を持たれているじゃあないか!”と、その現象自体は前向きに受け止め、自己確認のためという理由をつけては時折、そのての雑誌記事やウエブコンテンツが目に入ると、さり気なく拾い読みをしてはいた。けっこう楽しめるサイトがあったりして、それで十分、自分の興味は満足させていたのだが、先日、やはりB型には見えなかった作家の小林信彦が、週刊誌でB型ネタのコラムを書いていたのをたまたま目にして、自分も一度、ブログで取り上げてみようかなという気になった。B型の読者にしか興味を持ってもらえないとは思うが...。

でも、改めてそんなことを考えているうちに、だんだん、いままで意識していなかった自分というものが見えてきた。近頃とみに、家内に対して自分が良かれと思ってしたことがまったく通じず、期待と逆の結果を招くことが多くなり、話をしていても、発想・観点のズレを指摘され、そのために些細なことで面倒な雰囲気になることもあって、そろそろ自分もボケてきたか、歳はとりたくないものだ、などと凹んでいたが、どうやら原因は自分の、B型特有のものの見方・思考回路にあるらしいと閃いて、勝手に自己納得したのだ。
しかし、自分が納得したからといって、それをAB型の家内に説明したところで何の役にも立たず、かえってことをややこしくするのが関の山と自分でも容易に想像できたので、やっと気がついたのに残念だったが、黙っていることにした。

B型人間は、自己中心で我がままという定評(?)があるようだが、そんなことはなく、基本的に自由を愛し、ワクにはめられたり群れて行動するのがきらいなだけ。ただ確かに、他人と一風変った発想をし、なにごともマイペースでしたい類いの人間であることは認める。それを多分、“気まま”というのではないかと思って、このブログもそういうタイトルにしているが、思い起こすと青少年期から、母親が何かの頼みごとで自分を他人に託すときにはいつも、“気まま者なのでどうかよろしくご指導を...”と口を添えていた。
母のその懸念は杞憂に終らなかったようで、長じて自分が選んだ働き場所は、大人しくコツコツやっていればやがて行くところまでは行き着ける日本の会社(かつての)ではなくて、リベラルで自己主張が尊重されるが責任も厳しく問われる、ハイリスク・ハイリターンの外資会社。そのため、山もあれば谷もあり、しなくてもよい苦労も沢山背負ったビジネスマン生活を送ってきたが、いまとなって悔いはない。転社はしたが転職はせず、若いときにこれだと確信した道を一直線に進んできたし、いまも歩み続けている。

地を這うような泥臭さに耐えられる自信はあまりなく、金銭に対する執着心のようなものも足りないB型の自分には、自ら事業を起して成功させるという才覚はないと初めからわかっていたから、組織の中で自己実現する道を選んだわけだが、よく言われるようにB型人間には、弁護士・芸術家・コンサルタントなど、他人に指図をしもされもせず自分1人でやる仕事が向いているかも知れない。確かに、いまの自分もそれに近い立場にあるが、それを実現するためには、起業とは別の、仕事そのものに対する執着心が必要だ。
とは言っても、実際問題として大多数の人は、最初は組織の中で働くことを選択するだろうから、自分の経験による独断と偏見で参考意見を述べるならば、B型人間は外資系または外資的経営スタイルの企業へ行った方が、気持ちよく働けるし、実力も発揮できるのではないかと思う。もちろん、外資系でありさえすればどこでもいいわけではなく、国内系の企業では上手く行かないと言っているわけでもないし、会社の選び方だけでその後のすべてが決定づけられるわけではない。

B型人間は、筋の通らないことがきらい。そのくせお人好しで、頼まれると断れない性質なので、気をつけないとご近所暮らしの中で、猫の首に鈴をつける損な役にまつり上げられ、割に合わない思いをする。自分も、これまで住んできた3つの街のいずれでも、建設会社や行政に対する住民運動のリーダー役をやらされた。
最初に住んだところでは、若気の至りで集会で積極的な発言をし、半ば進んでその役を引き受けてしまったのだが、労多くして感謝されることの少なかったその経験に懲りて、以後は集会に出席しても温和しくしていた。だが、ことの成り行きにツイ黙っていられなくなり意見を吐いては、自ら墓穴を掘ること再三。1つの運動に最低3年はかかり、その間プライベートな時間がかなり犠牲になった。他人だけでなく自分の問題でもあったから、それはそれでいいと言えばいいのだが...。

まあ、いろいろあったし、これからもまだいろいろあるだろうが、B型は過去を後悔しないし、未来も楽観している。根拠も説得力もないかもしれないが、“諦めなければたいていのことは何とかなる”というのがB型の教訓だし、“何でも良い方に解釈すれば人生楽しく暮らせる”というのがB型の生活の知恵。
今回は“気まま...”というタイトルを地で行って、手前味噌なボヤキと開き直りで失礼を。

B型以外の方もそんなB型をご理解くださり、今後ともB型を何とぞよろしく。

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2008年9月22日 (月)

私的・ちょっといい話(副題「一本のリード」)

一難去ってまた一難。幸い大過をもたらさず週末に東海上に去ったかと思っていた大雨と雷の一団は、すかさず次がやって来た。スッキリとした秋晴れはいつになるのだろう。
横浜で自宅の全面建替え工事を進行中なのは既報の通りだが、実はこちら山荘でも、7月下旬から始まったポーチの付け替え工事が同時進行している。が、節目節目で雨に祟られてきたためなかなか完成せず、横浜の方もそんなだと困ってしまうとヤキモキしている。

今月は、毎週のように仕事で東京に出た。先週末も新宿の顧問先に顔を出したが、ついでに私用も済まそうと、それに先立ってあざみ野に向い、かかりつけの歯医者さんに寄り、その足で自宅の工事現場もチェックしてきた。基礎のコンクリート打設が終わり、いわゆる“養生”中のようで、ほとんど全面がシートで覆われ、工事の人は誰もいなかった。
平日の午前中とあって、近隣にはロクに人影もなかったが、帰りがけに偶然、道向いのマンションに住むムッシュのお友達、ボストン・テリアの蘭丸君とそのママに出会って、2ヵ月ぶりの挨拶を交わした。

当日の東京・横浜は、まだまだ秋とは言い難い気温だったが、小雨が降ったり止んだりで、帰りのハイウエイバスも甲府を過ぎるあたりまではそんな状況。この分なら何とか家に帰り着くまでそのまま保つかと思っていたら、小休止のため双葉SAに寄ったところで、本降りになってきた。
そんなわけで、家内とムッシュが待っていた長坂は今日も雨だった。と、くだらないオヤジ・ギャグが出るほど、なぜか、長崎...じゃあなかった長坂からバスに乗って東京に出た日は雨に祟られる。この日を含めて、実に8割という有難くない高確率だが、たまたま台風と熱帯低気圧のハイシーズンだからだろうか。

先月末は家内が、引越し以来はじめての健診のため、バスで東京・横浜に出かけた。最初は自分でドライブして行くと言っていたが、ストレスがかかった状態で診てもらうのでは何もならないからとバスで行くことを薦め、いつもとは逆に、自分が長坂まで送迎した。
その夕刻、出迎えのためムッシュを後部座席に乗せて山の家を出たときは、まったく降る気配がなく、高原大橋に差しかかるころも、薄暮の中にまだ八ヶ岳も南アルプスもシルエットを見せていて、シメシメ今日は大丈夫だと思っていたら、長坂インターの傍まで来たらあたりが一気に暗くなり、やっぱり降り出してきた。

家内と待ち合わせていたのがショッピングモールの入口だったので、車を駐めてからそこまでチョッと歩いたが、ムッシュは、濡れては可哀そうとブルゾンの中に入れて、首だけ出したダッコで連れて行った。
幸い家内とはすぐに会えたので、何はともあれ早く家に帰ろうと、手一杯の荷物を受け取って車まで運び、バックドアを開けトランクに積み込み、ムッシュを懐中から後部座席に抱き下ろしたが、できるだけ雨に濡れまいと片手で傘を差しながらだったこともあって、そのときは、ムッシュの体に装着したハーネス(胴輪)から外したリード(引綱)を、いつものようにキチンと彼のお散歩バッグにしまわなかった。

そして翌日、散歩の時間になってそれを取り出そうとしたが、車中のどこにも見当たらない。後部座席の足下やシートとドアの間はもちろん、前部の助手席も運転席もトランクも、隈なく探したが見つからない。無意識にしまいこんではいなかったかと、お散歩バッグの中も底まで確かめたし、もしかして勘違いだったかと、家の中も再点検した。
しかし、やっぱり見つからないので、どうやら、雨中でのムッシュ乗降の際に、駐めていた車の周りのどこかに、落としたと思わざるを得なくなった。かけがえのない思い出が詰まっていたというほどのものでは、まだなかったし、色は少し違うがとりあえず代りに使えるものもあったから、当座は困るわけではなかったが、ムッシュや家内の手前、何となく面目なく、いつまでも心の中にわだかまるものがあった。

それからしばらく、自分はそのショッピングモールまで行く機会がなく、そこに買い物に出かけた家内が、落し物として届出がなかったかどうかサービスデスクに尋ねたりもしたが、心当たりは得られず、日が経つに連れて、自分の中のわだかまりも薄れていった。
そうこうしているうちに10日あまりが過ぎ、また仕事で東京に出る日が来た。先々週の週末のことだが、その日の帰りは珍しく雨に遭わなかったので、迎えに来てくれた家内がついでの買い物をしている間、ムッシュを遊ばせながら、前回の駐車場所の近くまで行ってみた。“なくてもともと。でも、もしや...”という一縷の望みを胸にして。すると...

遠目だから最初はハッキリとはわからなかったが、パーキングスペースと建物の間を仕切るアルミパイプのフェンスの下の方に、何かが引っかかっている...というよりも、キチンと置いてあるではないか。
“エーッ!ヒョッとしたらあれは...”と、足早にそこに近づくと、何と、ありました!そこに!あのほとんど諦めかけていたリードが!しかも、濡れてもおらず、泥んこにも皺くちゃにもならず、きれいに折りたたまれ束ねられた状態で...。大げさかも知れないが、自分にはそれが、まさに奇跡のように思えた。

大金を入れたまま落とした財布が無事戻ってきたわけでもないのだが、そのときは何とも言えず嬉しくて、いい歳をして人目もはばからず、思わず“あったー!”と叫んでしまった。そのときの表情は多分、グチャグチャに崩れた泣き笑いだったと思う。
どこのどなたがそこまで気遣ってくださったか想像もつかないが、多分、ご自分も愛犬を飼っておられる方が、リードを失くした飼い主の気持ちを察してくださったのだろう。そのお気持ちには、本当に心温まる思いがし、もし同じような状況に出会ったら自分も必ずそうしようと、固く心に誓った。

モールのサービスデスクに家内がそのことを報告しに行ったら、“良かったですネー”と我がことのように喜んでくれたそうな。
また一つ、このあたりに住む人々の何気ない優しさに触れて、八ヶ岳山麓の暮らしが一層好きになった。

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2008年8月26日 (火)

宴のあと

この2週間あまり世間の話題を独占した感のあった北京オリンピックが終った。頃を同じくしてここ数日、気温の低い日が続いているが、これで夏も終わるのだろうか。
テレビの番組も新聞・雑誌の紙面も、報道は連日、朝から晩までオリンピック一色だったが、今回はどうも夢中になってリアルタイムでウォッチしようというほどの気持ちにはなれず、ときどきインターネット上で結果を知っては、それをテレビのニュースでフォローするというぐらいの観戦のし方をしていた。

とは言っても、これだけ多種多彩なスポーツ競技がまとまって行われるオリンピックという機会に格別の興味を持っていたことはもちろんで、それぞれの種目自体は十分楽しんだし、日本選手の期待通りの成果、意外な好結果には興奮・感動して、予想を裏切った結果には率直に失望もした。
いくつかの種目については、選手(特に男子)の心身のひ弱さと指導者の力不足を見せつけられたし、連盟や協会の危機管理の甘さも知らされるところとなったが、いちいちそれらをあげつらうのは趣味ではないので、いまはひとまず、すべての出場選手と裏方さんに、素直に“ご苦労さま”とねぎらいの言葉を贈っておきたい。

人種・宗教や産業・経済、そしてそれらと複雑に絡み合う国際紛争と外交――こういったことをオリンピックと関連づけて論じる向きもあるが、それにも、自分としてはあまり与する気持ちにはなれない。
等閑視するわけではなく、それはむしろ、宴の終ったいまこそ、本来の場で真正面から取り組むべき問題ではないかと思うからだ。マスコミも、いつまでも余談や裏話やプライバシーがらみの五輪ネタを引っ張っていないで、もういい加減に元来の姿勢に立ち返り、そういった本質的な問題こそを追究して欲しい。

さて、わが山荘の森も、夏休みが終りに近づきつつあることもあってか、めっきり、家族連れの賑やかな声が聞こえなくなった。つい先週までは夕闇の木の間を通してあちこちに見えていた家々の窓の灯りもグッと数が減り、ムッシュとの散歩のときに顔を合わせていた人も、ムッシュのお友だちも、ほとんど見ることがなくなって、急に淋しくなった。
路傍をよく観察すると、ハギやアザミなど初秋の草花が咲き始め、庭にはイグチ系やハツタケ系の茸も頭を出し、ベランダの手摺りにはトンボがとまるようになって、秋が密やかに忍び寄ってきた気配が感じられる。

ムッシュ 清里のキノコ

そんなことを思いながら森で過ごしていた先週だったが、週の後半、久しぶりに、仕事と家の建替え工事の進行チェックを兼ねて、東京と横浜に行ってきた。時間を見計らいながら2つの用事をスムーズにこなさなければならなかったので、今回は早朝の7時前に、中央本線長坂駅から「あずさ2号」で新宿へ。
八王子までは、指定席はほぼ50%の乗車率で、周りはほとんどビジネスマンばかり。朝食をとらずに出てきたのでチョッピリお腹が空き、車内販売でサンドイッチとジュースを買い求め、車窓を眺めながらそれを頬張った。久しく忘れていたが、気分はちょっとした出張帰り。でも、昔は物足りなかったそんな朝食をもてあまして、少々残してしまった。

自宅の地縄 新宿に着いたのは、通勤客でまだごった返している時間帯だったが、山手線・田園都市線を逆コースであざみ野へ。駅からのバスを最寄りの停留所で下車し自宅に向かって歩いて行ったら、見えてくる景色が以前と違うので妙な感じがした。すでに旧居は解体され、完全な更地になっているのだから、それで当たり前なのだが...。
前向きなことをしているわけなので、淋しいとか空しいとか、前の家が懐かしいとかいう感傷は、特に湧かず、その日は“地縄”という工程の節目だったので、地面に張り巡らされた縄によるレイアウトの上に、新しく建つ家の姿を思い描いてきた。

前回、8月初旬に出てきたときほどではなかったが、東京も横浜もまだ十分に夏の暑さ。だが、レジャーの最盛期は過ぎたのか、前回見かけた華やいだ軽装のギャルたちの姿はほとんどなく、休みを終えてまた日常の仕事に戻ったという感じの、上着を抱え鞄を提げたビジネスマン諸氏ばかりが目についた。
昼前に、あざみ野から八丁堀へ移動。軽くランチをした後、15時半まで顧問先で、社員の指導と社長との意見交換。マーケティング・エージェンシーという業種柄、社内には夏休み明けの雰囲気などかけらもなく、こちらも仕事モードに本格的スイッチが入った。

そのあと新宿へとって返して、帰途は中央道ハイウエイバス。この時期でもまだまだ出かける人(あるいは帰る人?)は多いと見えて、各方面行きのどのバスも、ほとんど満席の予約状態だった。わが森の中は人の気配が薄れてきたが、観光地はもうしばらく人出が続くのかも知れない。
久しぶりの仕事は、森のスローライフに馴れてしまった身としては、疲れを感じなかったと言えば嘘になるが、そんな気持ちをシャンとさせる効果はあったようだ。1週間後にまた来ることになっているので、そのときまでこのテンションを維持せねば...。

朝早かったし途中から日が暮れたこともあって、帰りのバスの中では終始ウトウト。いつの間にか下車停留所の長坂高根に着いて、側道まで降りたら、家内とムッシュが車で迎えにきてくれていた。その付近はまだ、東京や横浜と変らない30度前後の気温だったが、家に向かってどんどん登って行くと一気に涼しくなり、わが家に着いた宵の8時頃は、20度近くまで下がっていた。
翌日からは平地でも一気に気温が下がったらしいが、清里の森も、日中でも20度前後の日が続き、厚手の長袖シャツだけでは寒くてセーターを着ている。天気予報によれば週明けからはまた少し戻るというが、果たしてどうなのだろう?

ここ2~3日の森は、めずらしく雷を伴わない冷たい雨が一日中降り止まないでいる。23日は二十四節季でいう“処暑”、すなわち夏の暑さが峠を越す、秋との境目だったらしいが、してみると季節とは、なかなか正直なものだ。

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2008年8月 4日 (月)

引越し狂騒曲

先月の初めにしばしの休載宣言をしてからもう1ヵ月経った。そして、その理由であった自宅建て替えのための一時引越しを敢行して早や2週間あまり。
暑くて殺伐な都会の喧騒から離れた高原の暮らしで、このところやっと人心地がついてきたが、思えばこの数ヵ月、特にここ2ヵ月間の生活の目まぐるしさは、尋常の沙汰ではなかった。しなければならなかったことのあまりの多さに、引越しの当日は、体力は限界ギリギリにまで達し、何とか気力でもちこたえたものの、家内共々、まさにダウン寸前といっても過言ではなかった。

その日を当然予想して、それまでにも時間をかけて用意してきたつもりだったが、新居のビルダーと契約をし、旧居の解体工事のスケジュールが決まり、それまでに仮住まいに引っ越さなければならいという、あと1ヵ月半のカウントダウン状態に入ったあたりから、事態は一気にヒートアップ。
新居建築のための今後の諸日程の打ち合わせと、旧居解体とそこから引越すための段取り確認、そしてそれらに伴う費用の決済、自分の仕事関係のスケジュール調整、数ヵ月とはいえ住む場所が変るについての郵便・電話・電気・ガス・水道・銀行・ケーブルテレビ・インターネットなどに関する休止や一たん解約や変更や通知などの諸手続き、かかりつけの内科・歯科・整形外科・ペットクリニックなどのドクターたちとの相談などなど、家を建てるために引越しをするとなると、しなければならないことがこんなに沢山あったかと驚くほど。家内は毎日の家事を、自分は予定の仕事をこなしながら、これらをひとつひとつ遺漏なく進めて行くのは、実際、容易なことではなかった。

家内の日頃の苦労を思い知ったが、“ゴミ出し”も骨の折れる仕事だった。後から後から出てくる不要になった(というかそう決めた)衣類・本・紙製品・樹脂製品・皮革製品・金属製品・ガラス製品、そしてそれらのミックス製品、およびそのどれとも言えないもの――などを、横浜市の分別規準表と首っ引きしながら、毎日仕分けしてはゴミ置き場に運んだり門の前に出したりするのは、肉体的にはともかく、神経的には甚だくたびれた。
いわゆる“粗大ゴミ”は、間際の1~2ヵ月だけでも、若い家庭の1世帯分以上は優に出したと思う。その中には、大きくて重くて、男でも一人では到底動かせない大型家具なども多くあって、それを回収の前夜に2階から下ろしたり室外に出したりし、回収の当日には前の道路まで運んだのだが、正直言って、十分いい歳の自分たちにはキツかった(息子たちも1~2度、そのために来てくれはしたが、9割方は自分たちで動かした)。

しかし何といっても、このバタバタのハイライトは、2日間にわたった“引越し作業そのもの”。どうしても人まかせにできないものだけを自分で梱包し、あとは指示するだけで良いという「おまかせコース」とやらを頼んでいたので楽観していたのだが、予期せぬことが続出した。
なるほど、自分で梱包しなくてもいいということは、山のような蔵書や売るほどある食器類の梱包では大いに助けになった。が、“これは何ですか”、“これはどこ行きですか”、“これはどうしますか”と、朝早くから午後遅くまで6~7人の作業員に矢継ぎ早に尋ねられ、そのたびに右往左往しなければならないのにはホトホト参った。一人に対応しているともう一人の方がお留守になって、結局、指示不徹底のまま、その辺にあるものはどんどん箱詰めされ、積み出されて行ったため、自分たちは何がどうなったのか皆目わからなくなってしまう始末。家内と自分の2人が揃っていた1日目の午前中と2日目ですらそうだったが、自分が仕事で出かけなければならなかった1日目の午後などは、家内一人が、嵐に翻弄されるようなシンドイ思いをした。

2日目は、昼までに梱包と積み出しのすべてが完了したが、それまで自分たちは一瞬も、座る間はおろか喉を潤す間もなく、トラックが去って行ったあと、呆然と立ち尽くすばかり。終ってみて、この「M引越しセンター」という会社の作業っぷりは、確かに手早かったが、自分たちが求め、想像していたものとはだいぶ違っており、欲求不満が残った。
普通の引越しは、すべての家財を旧居のA地点から新居のB地点へ運ぶという単純なケースが多いからだろうか、ともかく早く荷造りして、積んで、運び、生産性を上げるというのがこの会社の方針らしく、顧客によって異なるはずのさまざまなニーズにきめ細かく対応するという感覚がなくて、それを事前に察知できなかったことが、後で悔やまれた。

自分たちの場合は、新居は旧居と同じ場所に、5ヵ月先に出来上がるので、その間ほとんどの家財はトランクルームに預け、当座(夏・秋・初冬)の衣料、身の回りの生活・仕事用品、貴重品、ムッシュ用品などだけを持って仮住まい(山荘)に移り、5ヶ月後にまた預けていたものを新居まで搬出してもらって自分たちも戻る――という、普通の引越しとはちょっと違うかたちになっているのだが、その根本的なことが、現場の引越し作業員にはよく理解されていなかったようだ。
仮住まいに持って行くものは、できるだけ、あらかじめ自分で梱包・上書きしておき、そこまでできなかったものは、トランクルーム行きの家財とは置く場所で区分していたはずだったが、未梱包で当日の指示も行き届かなかったものは作業員の判断で梱包・搬出されてしまったらしく、当座必要だったいろいろなものが行方不明になった。紛失したわけではなく、多分5ヵ月間、トランクルームの中で眠ることになったのだとは思うけれども、トラックが出る前にそれをチェックする機会がなかったのが残念だった。

数え上げたらいくつもあるが、一番困ったのは、引越し先の山荘の鍵。最後に家を出るまではしまい込むこともないと思い、玄関のシューズクローゼット上の小物入れの中に、他のキー(車のスペアキーなど)と共に入れておいたものが、その入れ物ごと、トランクルーム行きの梱包に入ってしまったらしい。幸いスペアキーを、「清里の森」の管理センターに預けておいたから良かったようなものの、そうしていなかったら一体どんな騒ぎになったかと、いま考えても頭が痛くなる。
もう一つは家内の衣服。必要になる可能性があるからと、梱包・入庫すべき他の衣服類とはわざわざ別にしておいた礼服が、やはりどこかにしまわれてしまった。これは1日目の搬出後すぐにわかったので、引越し会社の担当者にトランクルームまで行って調べてもらったが、最早わからなかった。その他にも、信じられないことに、使いかけのペットフード(生もの)や、家内が前日まで水を遣って育てていたセントポーリアの鉢植えまでが、どこかに詰め込まれ、倉庫へ行ってしまった。

この騒ぎの合間に、別口で、ピアノの搬出(専門倉庫での保管のため)とエアコンの取り外し(処分のため)そしてケーブル引込線撤去(一たん解約のため)の作業もしたのだから、なおさらややこしい。
間際までインターネットを使えるようにしておきたかったため、ケーブル撤去は最後の最後にしていたのだが、その前日に、エアコン処分業者が室外機取り外しの際にケーブルを切断してしまうというミスがあって、予定していた仕事上の送受信やネットバンキングができなくなってしまうという、とんだハプニングもあった。

一方、最終的に山荘の方に携行しようと思っていたものも意外に多くなって、かなりの部分、自分の車に積み込むのが無理なことがわかった。それで急遽その分は、次男とビルダーの営業担当者に預けて、後日ついでのときに持って来てもらうことに。
そのためにまた、その場で急遽、どうしてもその日から必要になるものと、少しは待てるものとの仕分けをしたのだが、ここでも混乱したらしく、山荘に着いて開梱してみたら、またまた、“あれもない、これも入っていない”が続出。買えば済むものもあるのだが、それには「長坂インター」の付近まで15キロほど車を走らせなければならず、ガソリン代高騰の折から、1週間後のまとめ買いの機会までの辛抱と相なった。

自分だけのことでも、てっきり携行してきたとばかり思っていた延長コード、LANケーブル、PCプリンター用紙、ホッチキスの針など、こまごまとしたものがいろいろと足りないことがわかった。
そんなテンヤワンヤの中だったが、インターネットがすぐに使えないと不便だろうと引越しの翌日に駆けつけてくれた長男が直ちに回線サービス側(NTT東日本)の設定をしてくれ、長男が帰ったその翌日には自分が、サポートを受けながら何とかプロバイダー側(イッツコム)の設定を済ますことができ、いまこうして使えている。ただ、無線LANカードが1枚足りないので、PCはまだ、電話コンセントに近い食卓の上に置いているが...。

と、まあ、引越しを済ますまではまことにたいへんだったが、日が経つに連れて、その思いも薄らいでゆく。よく考えてみると、この猛暑の時期に横浜を脱出できたことは、思いがけぬ幸いだった。あのままだったら、暑さでもっと体調を崩していたかも知れず、それを回避できたことは有難いと思わなければならないのだろう。
管理センターの人たちのアドバイスで、ここで長期間生活するための要領もチョッピリわかってきた。家内も、静かな環境の中で、溜まりに溜まっていた疲労とストレスが少しずつ癒えているようだし、引越しの最中は居場所も定まらなくて可哀そうだったムッシュも、いまでは毎晩グッスリと眠って元気回復。散歩も気持ち良さそうだ。

そうこうしているうちに、次男が忙しい週末の時間を繰り合わせて、預けていた荷物を届けに来てくれた。今週はビルダーの担当者も、打ち合わせを兼ねて、やはり預けていた荷物を持って来てくれるはずで、来週は再び長男が、無線LANの設定に来てくれることになっている。
みんなの協力のおかげで、多少の不便はあるかも知れないが何やら楽しみもありそうな、数ヵ月の山荘暮らしが始まろうとしている。さあ、自分としても今週からは、平常の仕事ペースに戻らねば...。

これから、東京の顧問先には月に2~3度、中央道をハイウエイバスで往復することになるが、それもまた楽しからずやというところ。ここでの報告は必然的に“山荘四季だより”が増えるかと思うが、このところご無沙汰していた“マーケティング随論”も、むろん忘れてはいない。
久しぶりなので思わず長くなってしまったが、以上、とりあえず近況報告まで。

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2008年7月 7日 (月)

来週から1ヵ月ほどお休みさせて頂きます

というのは、今月の半ば過ぎから5ヵ月間、山荘の方で暮らすことになったため、いま、それに伴う事前の諸準備・作業がピークにさしかかっていて、仕事やブログにほとんど手が回らなくなっており、また、山荘への移動が終ってからも、いろいろなことが落ち着くまでに、おそらく今月一杯はかかるだろうと予測されるので...。
そんなわけで、はなはだ勝手ながら、1ヵ月ほど休ませていただき、多分8月の初旬には、“山荘四季だより”をかねて、事後報告ができると思う。

実は、現在住んでいる家を建替えようと、1年以上前から断続的に検討してきたが、とうとう実行することになって、この1~2ヶ月というものは超多忙の状態に突入した。前回ここで報告すると言っていた家庭内ビッグ・プロジェクトとはそのことである。
今の家に住み始めてから23年、多少汚れたり擦り切れたりしているところはあるけれども、骨格にはまったく問題ないので、本来ならリフォームでもすればいいのだろうが、子供3人が出た後は各部屋がムダに空いたままになっているし、一方、断熱や空調や光熱システムやセキュリティなどもかつてのレベルとくらべると現在は格段の進歩をとげていることもあって、もう残り少なくなった今後の人生を思い通りの家で楽に暮らしたいと、全面建て替えを思い立ってしまった。

最終的にゴー・サインを出すまでにも、ああでもない、こうでもないと、散々行きつ戻りつし、頭も体力も消耗したが、そのつもりになってカウントダウンし始めてからがまた、古希を過ぎた夫婦には、いささかキツ過ぎるスケジュールになってしまっている。
現住地での建て替えだから、一たん今の家を解体するわけで、新しい家が出来上がるまでは、しばらくの間どこか他の所で暮らさなければならなくなったのだが、格好な転居先が、なかなか見つからなかった。

半年足らずの短期で、シニア向きかつペット可、3~4LDK、システムキッチン・エアコン・照明つき、インターネット回線引き込み済み、マンションならエレベーターがあって、現住地に近い、などという条件だと、それらをすべて満足させる物件というのは、まず上がって来ず、辛うじてその条件のうちのいくつかを満たすものを2~3見に行ったが、ショックを受けて帰ってきた。
たとえ数ヵ月とはいっても、あまりにも今とかけ離れた暮らしになりそうな現実を突きつけられてしまったからだ。近所に、今の家と似たり寄ったりの一戸建ての貸家が軽く見つかるものとばかり思っていたが、期待は大外れ。古くても、窮屈でも、不便でも、何かと物要りでも、こういう際はああいうところで我慢しなければならないものなのかと考えると頭が痛くなり、もしかしたら自分たちは、とんでもないことを始めてしまったのではないかとさえ思い始めて、気持ちが萎えた。

その時フと脳裏に浮かんだのが、清里の山荘。あそこならば、都会で暮らすような日常の便利さはないが、身体一つで行っても、その日から何も不自由なく生活ができる...と。そう発想を変えたら気が楽になって、またやる気が出てきた。
で、夏から初冬にかけての最小限の衣服と、毎日使っている生活用品・携帯品、貴重品、そして自分の場合は仕事用具(メインのパソコン、プリンター、資料)だけを持って山荘へ行き、あとはすべての家財を引越し会社のトランクルームに預けることにした。

そうと決めたら、この際、要らなくなったものはすべて廃棄し、できるだけ身軽になろうと、連日のように、自分と家内そして子供たちが残していった衣類、書籍、レコード、CD、電気製品その他を、山ほど回収に出しているが、いくら出してもキリがなく、処分はなかなかはかどらない。というのも、片付けをしていると書棚や引き出しの奥から、自分たちの若かったころの記録・保存資料や3人の子供たちの作品や卒入学のメモリアルが出てきて、その都度、思わず見入ったり読み返したりしてしまうからだ。
それにしても、40年あまりのわが家の歴史の物証とはいえ、不要品がこんなにいろいろ、大量に出てくるのには我ながら驚いた。衣服や食器など、まったくの新品または新品同様のものも沢山あって忍び難かったけれども、そういう気持ちでいるとますますモノが増えてゆくばかりと、心を鬼にした。

家内も自分も、引越しとは関係のない仕事・生活上のスケジュールも多々あるので、それをこなしつつ、毎日何とか少しずつ用意を進めているが、ゴミの分別が難しくて能率の上がらないことおびただしく、かつ根を詰めてやっていると息苦しくなってくる。そうしているうちにも刻々と予定の日が迫ってくるので気が気ではない。でも、引越し会社のスタッフが何人も、移動の前日の朝から来て、どんどん梱包をしてくれることになっているので、最終的にはそれを頼みにしている。
自分だけのこととしては、これから今年の暮れまでは山荘の方で仕事をすることになるので、山梨のNTTに新たにインターネット回線の引き込みを申し込み、メールアドレスを変えないために現在のプロバイダー(イッツコム)との間の契約内容変更を依頼(現在はケーブルテレビ受信とパック契約)し、併せて現在の引き込み線撤去作業の申込をしたが、これがまたなかなか面倒で、何度にもわたる電話でのやりとりに疲れてしまった。

というわけで、今月の20日過ぎからはずっと山荘にいて、月に2~3回、仕事のため、中央高速バスで都心に出てくるようになる。そして、できたらそのついでに、建築作業の進行状況を確認し、さらに時間が許せば、これまで定期的に通院していたクリニックにも立ち寄りたいと思っている。家内も、幾つかのクリニックのお世話になっているが、どうしても定期診断の必要なホームドクターのところへは、何とか月に1回、ドライブで通いたいと言っている。自分での運転はたいへんのような気もするが、家内にとっては、かえってその方がラクなのだそうだ。
ムッシュは、暑いのが苦手だから、この夏は清里で過ごすのがちょうどいいかもしれない。ただ、人間好き、お友達好きだから、今の家の近所の顔見知りの小母さん・小父さんやお姉さん、そして仲良しのお友達ワンちゃんにしばらく会えなくなると淋しかろうと思う。自分も、仕事ではあっても、都心に気軽に出かけるということができにくくなるので、ご用のある方には、場合によってはご足労を願うことがあるかも知れない。ご不便のほどは何とぞご容赦願いたい。

では、8月にまたお会いしたく...向暑のみぎり、各位ご自愛を。

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2008年6月30日 (月)

忙中閑なし...でも山荘へ

来週公表するつもりだが、いま、個人的なことで(というか家庭として)、文字通り寝る間もないほど忙しい毎日を送っている。昨年からずっと継続して計画を進めてきた家庭ビッグ・プロジェクトのスタートが眼前に迫っているからだ。
実は先週末、そのこととの関連もあって、清里の山荘へ行ってきた。前回からちょうど1ヵ月。“忙中閑”と行きたいところなのだが、それどころではなく、持って行く荷物も一杯、やらなければならないことも山ほどあったので、今回はムッシュを近所のかかりつけのペットクリニックに預かってもらった。

そんなわけで、家を出たのは普段よりずっと遅い夕方の時間。山荘に着いたのも、深夜ではないけれども“遅い晩”といっていい時間帯になっていた。ムッシュ連れでなかったので、彼の食事・睡眠時間に縛られない気楽さはあったが、いつも後部座席で、まどろんだり、立ち上がって車外を眺めたりしながら、むずかりもせずに長時間のドライブを共にしている彼が居るべきところにいないと、やはり淋しいもので、途中つい、“いまごろもう寝たかなー”などという話題になってしまった。
夕食も、こだわらず、うるさい注文はつけずに、気軽に食べられればいいと、中央道を勝沼で下り甲府市内に入ってから、国道20号線沿いにある桃のマークの中華ファミレスでとったが、ほどほどにいい味を出していた。

驚いたのは、国道141号線の弘法坂を上りきり、標高1000メートルを越えたあたりから、猛烈な霧が出てきたこと。牧場通りに入るころから10メートル先が見えなくなり、清里の森に着いたときは、辛うじて5メートル先までなら見える状態になっていた。最徐行で何とか山荘に辿り着いたが、これほどまでの霧に出会ったことは、これまでの記憶にもない。標高1400メートルの、ちょっとした山のようなところだから、仕方がないのか。
しかし一夜明けたら、天気予報とはうって変わり、窓から明るい朝の陽が射し込んでいた。外は一面の緑。前回はどこを見てもまだ土が露出していた地面も、今回はすべて下草で覆われていた。高木を沢山伐採し日当たりがよくなったせいか、中・低木の先端が急激に伸び、葉もやたらと繁った気がする。

森全体の印象は前回とさして変らなかったが、我が家の庭では2本あるヤマボウシが白い花を一杯につけ、これも2本あるナナカマドが珍しく目立つほどに花房を垂らし、赤いドウダンツツジの花は半分こぼれ落ち半分咲き残っていた。どうしたわけか、どのレンゲツツジの木にも、例年ならいまごろは一杯についているはずの黄色い花が見当たらなかった。
家の中でしなければならないことが沢山あるので、庭仕事はすまいと思っていたのだが、駐車場を兼ねた前庭の雑草がかなり伸びていたので、今年初めて刈り払い機を振るった。
横浜の自宅でも2~3週間前に芝刈りをしたが、若いときは何でもなかったこの類の仕事が、最近はだんだんシンドくなってきた。そんなことでは情けないのだが。

今年になってから、間が悪く、行く度に肩透かしを食らっていたが、今回やっと、藤乃家の蕎麦にありつくことができた。ウイークデーだったのと、夕方の開店早々に行ったこともあって、珍しく店内はガラ空き。ゆっくりと、久しぶりの天盛りを味わってきた。
横浜の家では、このところずっと、朝から晩まで追われるような気持ちになっていたが、こちらに来ると嫌でもそれから離れることになるので、束の間ホッとし、結果的に少し休まった気持ちになれたかも知れない。

中一日だけ滞在して、帰途についたのは土曜日だったが、談合坂SAで小憩した後再び中央道を走り出したら、いつにない大渋滞。小仏トンネルと上野原の間で事故があったらしく車の流れが止まってしまったので、これはたまらぬと国道20号線に下りたら、こちらも、相模湖町を通過するのにエラく時間がかかり、かつ、大垂水峠を越えたところからJRの高尾駅を過ぎるあたりまで、延々長蛇の列。
ムッシュを夕方の7時に迎えに行くと約束していたので十分余裕を見て出発したはずだったが、その余裕が完全に帳消しになった上、逆にだいぶ遅れそうな見通しに。ギリギリまで状況を見極めていたが、どうにもならなくなり、とうとう八王子で、ペットクリニックに電話連絡した。

到着したのはジャスト8時。ムッシュがどんな様子で出てくるかと心配していたが、やはりいつもとは違っていた。まるで、人間なら100メートルを全速力で駆け抜けた後のように、荒くて急な呼吸が止まらない。そして尻尾は千切れそうに振っているのだが、身体がガタガタ震えている。
淋しかったのだろうか。そう言えばここに連れて来る前に、異様なほど家内に纏わりついていて離れなかったが、何かを察知していたのかも知れない。ペットとは神経が繊細なものだと改めて認識した。けれども、しばらく抱きしめて撫でさすってやっているうちに、やっと落ち着きをとりもどし、いつの間にか自分のケージに入って眠りに就いた。

さて、この後2週間はプロジェクトの最後の追込みで、自分たちの体力が保つかどうか心もとないほどの最大級の忙しさになる。が、ここまで来たら後戻りはできないので、進むしかないと自分に言い聞かせている。では来週、ここでそのことを報告します。

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2008年6月16日 (月)

気候と体調を考えた

今年になってからずっと、何だか気候がおかしい。ここでも度々ボヤいているが、気温が極端に上がったかと思うとまた極端に下がり、6月も半ばというのに、なかなか完全な衣替えに踏み切れない。それにしても、これだけ目まぐるしく気象が変動すると、自分では元気なつもりでいても、どこか体調がおかしくなってくる。
この体調不全は、単にトシのせいか?それとも自分のライフスタイルの問題なのだろうか?と、春先に医者に診てもらったら自律神経失調症と診断され、追われるような仕事を避け映画でも観て気分転換をはかることが大事とアドバイスされているが、寒かった日の翌日、急に真夏日になったり、かと思うとまた逆戻りしたり、こうコロコロと暑かったり寒かったりを繰り返されては、いくら気分転換をしても追いつかなくなる。

個人の話を無理にこじ付けようとしているわけではないが、これはやはり、巨視的に見れば地球温暖化の影響による異常気象の所為ではあるまいか。米国でも、西海岸のワシントン州で季節外れの降雪があったかと思うと、東海岸のニューヨークでは熱波で7人もの死者が出たという。
こういう現象を何とか食い止められないか、何とかしなければということは、いまや先進国なら産・官・民の誰もの関心事。仕事のために毎日チェックしている海外のマーケティング関連ニューズレター上でも、企業や業界の環境保護活動の記事を目にしない日はない。

内外に天変地異が起こり、信じられないような事件も続発している今年の前半だが、大げさに言えば地球全体の存亡を賭けたテーマを論じ合うことになる7月の「洞爺湖サミット」を間近に控え、いま自分も、ひとり内面で盛り上がっている。
サミットへ向けて、「日本学術会議」では“気候変化への適応策”という関係各国の共同声明を発表し、「地球環境シンポジウム」は“地球温暖化への提言”というメッセージを発信したが、自分たち個々の生活者も、面倒だけれども、微力ではあるけれども、日常のゴミ出しにあたっては資源ゴミとそうでないゴミの分別をしているし、やたら車を乗り回さないで、可能な限り公共交通機関を利用するようにしている。

世界中の人々が、そういうところからも気をつけてゆかなければ、やがて大変なことになりかねないと、先日テレビの名画劇場で「デイ・アフター・トゥモロー」を観て、あらためて考えさせられた。ご存知のように、温暖化によって極冠の氷が溶け海流に異変が起き、そのためLAがスーパーストームで壊滅状態になり、ニューヨークが巨大津波に襲われやがて氷河に覆われるという筋で、よく知った場所・建物ばかりが出てくるだけに、我ながら単純だが、映画としての面白さ以上のものを感じてしまった。気分転換のつもりで何気なくチャンネルを合わせたのだったが、見終わってグッタリした。

元来が低血圧なので、雨の日や湿度の高い日は身体全体がむくむように感じ、頭痛に悩まされる自分だが、このところ2~3日は晴れ間が続き、しかもカラッとしていて助かる。梅雨はこれで明けるのだろうか?イヤ、そんなわけには行かないだろう。昨年も、いわゆる梅雨の合間というヤツはあったが、明けるまでずいぶん長くかかった。そして、明けてからは、あの記録的な猛暑だった。今年はどんな夏になるのだろうか。
ムッシュも、梅雨とその後に来る暑い夏は苦手。雨のときは外に出られなくてストレスが溜まるようだし、気温が高くなるとハアハア言って辛そうだ。いつものコースを散歩するときでも、いまくらいの暑さでさえ動きが緩慢になる。それじゃあ誰かと同じじゃないかという噂もあるが...。

それはさておき、昨年総合検診を受けてからそろそろ1年近くになるけれども、あのとき胃の精密検査も受ける破目になったおかげで、以後の食生活に気をつけるようになり、消化器系はすっかり快調になった。(春先にちょっと胃腸症状が出たと思ったが自律神経失調が原因だった)
ただ、寒冷時の指先の血行が悪いようで、ここ何年も、かなりひどいシモヤケとその後遺症としての爪の症状で、年の半分は苦労している。目も、老眼がだんだん進むのは仕方がないが、チョッと使いすぎたかと思うとすぐにシバシバしてくるので点眼薬を手放せない。また、年中肩凝りがとれず、朝目が覚めると首周りから背中がバリバリ、肘が痛くて腕も重いということがよくあるので、整形外科の専門病院でX線検査も含めた診断を受けた。そしたら何と、単に職業や姿勢の問題で特別な治療を要するような病気ではないとのこと。事実、“これで治りますよ”と処方された強力な湿布薬を貼ったら、積年の痛みが1週間も経たずにとれてしまった。この先生は名医というべきなのだろうか?

とまあ、“自分は気候の変動に敏感で”とばかり、相変わらず“暑いの寒いの、痛いの痒いの”と、不定愁訴を漏らしているわけなのだが、いまのところ、家で寝込んだこともなければ、月一回の歯科以外、入院はおろか通院することさえトンとない。ということは、他人から見れば“なあんだ、まずまず健康じゃあないか”ということになるのかも知れない。
家内の方も、かなり以前から、循環器系内科と整形外科のホームドクターがいて、自分などが感心するほど真面目に通っているし、月一回の検診とカウンセリングも受けているので、“一病息災”というか、自分などよりかえって安心だ。

二人ともいわゆる“体育会出身”なので、古稀も超えたというのに未だに気だけは張っていて、梯子に登って自分で庭木や生垣の剪定をするし、電車やバスに乗っても大威張りでシルバーシートに座るようなことはしないなど、自ら年寄り扱いされるのを嫌っているところがある。が、あまりに体力を消耗したときなど思わず弱音を吐くことはあり、当人たちとしても、もうそろそろ無理はできないなという自覚はある。
皆それぞれに独立して、そんな親の日常を見ていない子供たちは、見かけ元気そうな両親が少しずつ弱っているのを恐らく実感できていないだろう。可能ならば長生きして、彼らに心配をかけないようにしたいとは思っているが、こればかりはどうなるかわからない。

いつの間にか、地球の未来を憂える話しが、家族の将来の話になってしまった。失礼のほどご容赦を。

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2008年6月 9日 (月)

人情八丁堀界隈

顧問をしている会社の一つが八丁堀にあり、月に2回ほど通っている。その会社のホームページにもこのブログのリンク・バナーを貼ってあるので、「中澤功の気まま備忘ログ」で検索してもらうとわかるが、急成長中のダイレクトマーケティング専門広告代理店だ。
以前にも書いたけれども、昨年のちょうど今ごろ、DM DAYS NEWYORK 07に参加した際に偶然現地で社長のSさんと出会って以来のことで、早いものでもう1年近く経つ。

自分は長年、勤務地や主な活動範囲が千代田区・港区・新宿区あたりだったため、その間日本橋より東の方は、仕事で訪問先を往復する以外めったに足を延ばすことがなかったが、この数ヵ月は、昼過ぎの僅かな時間ではあるけれども、八丁堀界隈をブラつくことがある。といっても、新大橋通りと八重洲通りの交差点を中心にしたごく狭いエリアだけだが。
なので、まだまだわかったようなことは言えないが、この街、なかなか奥が深い。ところどころに江戸時代の史跡があり、何気ない佇まいの店を訪れても、創業の由緒を聞いて驚かされることがある。だいたいにおいて、八丁堀とか茅場町とか、亀島とか霊岸島とか、桜橋とか新川とか、町名・地名そのものが歴史を語っている。旧江戸市街地で由緒のあった町名を、○○北とか□□中央とか、西△△とか外××とか、実に味気ない町名に変更してしまっている区があるが、どうかこの辺りは、これからもそういうことのないように願いたいものだ。そうしないと、街から歴史の跡が消えてしまう。

ところで、この街に少し慣れてきた半年前ぐらいから、家を午前中に出て、昼食は現地に着いてからとるようにしている。その方が多少でも家内の手を煩わせずに済むし、ある意味で自分にとっての楽しみにもなるからだ。場所柄、この一帯には、美味しいものを食べさせてくれる店がいくらでもあるはずという読みもあった。
で、顧問先の会社に入館する1時間前に現地に着いては、ランチの店を物色しているのだが、この近辺は確かにそういう店には不自由しないものの、まだ、ここぞというところを開拓できていない。いまのところ、新大橋通りと桜橋通り(平成通り?)に挟まれた八重洲通りの南北各1ブロックぐらいしか歩けていないので、今後、亀島橋周辺も探索してみる必要があると思っている。

ともかく、そんな限られた範囲でも、表通りはもちろん狭い裏路地にまで、和・洋・中・エスニックとあらゆるタイプの店がひしめき合っているので、最初のころは迷いに迷い、何を食べるか決めかねるまま歩いているうちに残り時間が少なくなってしまって、結局あわただしくファースト・フードなどで済ますこともしばしばだった。が、毎回それではしょうがないので、いまではとりあえず、和食系の、それも麺類(ということは蕎麦か饂飩)というところに絞っている。
この辺りの店はどこも、サラリーマン・OLの味方というか、ランチにはリーズナブルな値段でヴォリュームたっぷり、カロリータップリのサービス・メニューを出してくれるので、体力全盛期の自分だったら大喜びなのだが、いかんせん、年令とともに淡白な味を好むようになり、かつ量もそれほどいけなくなっているいまは、有難いけれどもトゥー・マッチ。で、どうしても、無難な選択をするとそういうことになってしまう。

土地柄か、蕎麦屋密度はずいぶん高いような気がする。しかし、何店かに入ってみたけれども、山荘に行ったときにいつも訪れる山梨・大泉の藤乃家のように、ここなら通い続けたいと思うような店には、残念ながらまだ行き当たっていない。その点饂飩は、店の数は蕎麦屋ほど多くないが、最近は手打ちではなくともかなり舌触りの良いものが出回るようになってきているせいか、どこの店もまずまずだ。
そんなわけで、このところはだいたい同じ店で、薄味であまりヴォリュームのない紀州梅入りうどんなどを食しているが、それで一件落着というわけではない。たとえ2週間おきとはいっても、同じものばかり食べていたら飽きてくるし、だいいちそれでは、何でもありの八丁堀に来ている甲斐がないので、さらにサーチして、家庭料理っぽい和定食、パイ生地やパンそのものが美味しいオーソドックスなピッツァやサンドゥイッチ、あっさりスープのふかひれラーメンやヴェトナム風饂飩フォーなどが食べられるところを見つけたいと思っている。読者の方々も、ご存知だったら教えていただきたい。

この街にはまた、きっと美味しい和菓子屋さんもあるとにらんでいたが、そのカンは当っていた。気がついただけで2店。どちらも老舗っぽいが、一方が庶民的な感じなのに対し、もう一方はやや高級店。こういう場合自分は、どちらのタイプの店にまず足を向けるかというと、自分の柄からいってやはり庶民的な感じの方。山の手のお嬢様よりは下町娘が好みなのだ。アレ?そういう問題ではないのか。
その店は、新大橋通りから日本橋側に一本入った通称すずらん通りに面し、鍛冶橋通り寄りにあるが、店内に入るとどこか懐かしい雰囲気。大福・吹雪・おはぎ・黄身しぐれ・鹿の子といった通年ものから、道明寺・桜餅・鶯餅・柏餅・葛饅頭・水羊羹といった季節もの、そして海苔巻き・いなり寿司などまで取り揃えた、下町の正しい和菓子屋だ。ケース越しに、おかみさんと若い女性2人(たぶん娘さん?)がにこやかにしかしテキパキと接客し、奥にはご主人(あるいは息子さん?)が無駄口を叩かず(聞こえるわけではないが、たぶん)一心不乱に菓子づくりをしているのが見える。

気軽に好きなものを好きなだけ買えるので、これまでに数回立ち寄っているが、邪魔にならないときに店の歴史を尋ねてみたら、創業は明治時代だそうな。道理で、過不足のないほど良い甘味で、接客を含めた店全体の雰囲気にも、落ち着きが漂っていると思った。
自分が寄る時間帯は、仕事の帰りがけなのでだいたい遅い午後なのだが、時たま、今晩残業する部下への差し入れか、職場のみんなのオヤツなのか、近所の会社の中間管理職らしき小父さんや、制服をきたお姉さんたちが、まとめ買いをして領収書を書いてもらっているのに出くわす。こちらは別に急ぐ身でもないので全然気にせずに待っているのだが、そういうときおかみさんは気を遣って、後でそっと、袋の中にオマケを1個忍ばせてくれる。

何かと世知辛い世の中だが、そんな、ささやかな人情味を感じさせられたことが、この街に来るようになってから2度ほどあった。

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2008年5月19日 (月)

リーダーズダイジェスト 日本市場へ再参入?

先週末、年1回5月中旬ごろを期して開催される日本リーダーズダイジェストの同窓会があった。けれども今年は、どうしても変更できない予定と重なって、出席できなかった。事後に、出席した友人に様子を聞いたら、だいたいいつも通りの参加状況で、珍しい顔も、1~2人見られたらしい。
国内の大企業などと違って、今ではこの日本に存在していない会社なのだが、開催場所が旧社屋のあった竹橋の、パレスサイドビル内のレストラン「アラスカ」なので、参加者のそれぞれが、その辺りの現在に、かつての自分の懐かしい思い出を重ねつつ集うのだろう。毎回数十人が顔を出す。特にイベントがあるわけでもなし、お互いの息災を確かめ合って、世間話をするだけなのだが...。あの会社にはどこかに、そうさせる求心力のようなものがあるのかも知れない。

リーダーズダイジェスト(ビジネスのスタイルも含め、その象徴としての雑誌リーダーズダイジェスト)については、人によって(といっても、もはや現在では一部の人にしか知られていない存在だろうが)評価がマチマチで、ひどく辛口のコメントをする人もいれば、とても好意的に受け止めてくれている人もいる。
現に、グーグルでもヤフーでも、このキーワードで検索すると実にいろいろな記事に行き当たって、散々なことを言っている人もいれば、1986年以来の日本語版無期休刊を惜しんで、いまだに再発刊を望んでいる人もいる。

このブログでも過去1~2度、リーダーズダイジェストのことを書いたが、旧社員か旧顧客かはわからないけれども、その記事には、掲載時だけでなくいつまで経っても、結構な頻度のコンスタントなアクセスがあって驚かされる。
また、2004年から2005年にかけて業界紙とウエブサイトで連載した自伝的ビジネス・エッセー「ダイレクトマーケティング・グラフィティー」も、有難いことに、かなりの方に読んでいただいているようだ。まあ、こちらの読者は多分、友人か旧リーダーズダイジェスト関係者、およびビジネスがらみの知人だと思うが。

ところで、今回リーダーズダイジェストの話を持ち出したのには、同窓会の他にもわけがある。実は、ちょうどそれと前後するタイミングで、リーダーズダイジェストの日本市場での最近の動向についての質問というかたちでのコメントが、わがブログについたのだ。
どうやら、かつてのリーダーズダイジェストの愛読者で、拙ブログも時々読んでくださっているらしい方からのコメント(というか質問)で、Wikipediaに“リーダーズダージェストが「リーダーズダイジェスト・ジャパン」という名で昨年度から日本市場に再参入”という記事が出ているが、もしやこの中澤が関わっているのでは?日本で何か商品を販売しているようだが、どうしたら手に入るのか?という内容だった。

自分の思い出の中のリーダーズダイジェストは、とっくに心の中で完結しており、現実の場でいまさら何が始まろうとあまり関心がないが、自分の名前をあげて尋ねられると何となく気にはなるので、この方が教えてくださったリーダーズダイジェスト・ジャパンなるものの公式ウエブサイト(http://readersdigest.co.jp)にアクセスしてみた。
すると、いきなり、“総額380万円キャンペーン 大賞200万円、スーパー・ボーナス50万円、その他賞金総額130万円以上、 ビジネスクラスで行くオーストラリア旅行が当る!”といううたい文句とコアラのビジュアル、そしてReader’s Digestの英文ロゴの下に小さなゴシック文字の片仮名でリーダーズダイジェスト・ジャパンと入った、ダイレクトメールの外封筒のようなデザインの画面が飛び出してきたではないか。まるで、40年以上前の“スゥイープステイクス”(一種のオープン懸賞)のチラシで、これを見ただけでは、何が目的のサイトなのかわからないし、色彩も、ピンクの地に青と黄色の文字と、あまりセンスがよろしくないので、いささか怪しげな感じがする。

“なんだコリャ!”と思いながら、そのサイトの「特定商取引法に基づく表示」「プライバシーポリシー」なるページに読み進んでみると、これはどうやら、通信販売の見込客を導入するのが目的のようで、オーストラリア(シドニー)のリーダーズダイジェスト社内に運営(多分懸賞キャンペーンの)責任者がおり、香川県高松市の大手通販会社「C社」が商品の販売代理店となって、「リーダーズダイジェスト・ジャパン」と名乗る販売業者が、価格5980円プラス送料・手数料580円の書籍を販売しているらしいことが読み取れた。
そして、懸賞応募者や商品購入者のデータは、この業者が後続新商品を販売する際に使用され、他社の利用にも供される場合があり得ることが断り書きされていた。

暇でもないのにもの好きなとは思ったが、C社のコールセンターに尋ねてみたら、確かにC社は代理店になっており、事務所も同社内に存在していることはわかった。ただし、詳しいことは直接、0120-65-1855(リーダーズダイジェスト・ジャパン)に聞いて欲しいとのこと。で、それ以上時間をかけて詮索もしなかったが、これを、リーダーズダイジェストの日本市場再参入と考えたら、いささか腑に落ちない。
商品が日本語の出版物だとしたら(日本人向けに販売しているのだから当然そうだろうが)、その編集品質を誰が責任を持ってチェックしているのだろう?リーダーズダイジェストの出版物だとしたら、なぜしかるべき出版社が販売代理店になっていないのだろう?リーダーズダイジェスト・ジャパンと名乗っていながら、なぜそれ以上の実態を明らかにしていないのだろう?等々、次々と疑問が湧き起こってきた。

第一、リーダーズダージェストという会社が日本市場に進出するのに、オーストラリアだ、他の通販会社だという、回りくどいチャネルを利用するはずがない。さんざん市場調査やテストを重ねた上で、可能性が確かめられれば、正攻法で再進出してくるはずだ。
聞くところによればこれまでにも、リーダーズダイジェスト誌再刊の話は何度か持ち上がったことがあるらしいが、その度に立ち消えになっては、またしばらくして再燃というパターンを繰り返してきたということだ。そう言っていた消息通も、この話は知らなかった。

それ故、勝手に決め付けるわけにも行かないが、どうもこれは、リーダーズダイジェストのブランドが責任を持てるようなものではないような気がする(そうでなければ幸いだが)。過去に愛してくださったからこそ関心を持たれた方々は、前記のウエブサイトにアクセスし、フリーダイヤルで詳しく実情を問い質してみられた方が良いのではないだろうか?
コメントを寄せてくださったJさん、アドレスがわからないのでこのページでお答えするかたちになりましたが、こんな見解でよろしいでしょうか?

それにしても、忌憚なく言わせてもらえば、これについての商売のかたちと訴求のし方は、今どき驚くほど古臭い。自分などがとやかく言う筋合いのものではないのかもしれないけれども、リーダーズダイジェストの名前がこういうかたちで出てくると、かつてそこに在籍し学んだ多くのことを自分のベースにし誇りにもしている者としては、憮然とした気持ちになってしまう。

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2008年5月12日 (月)

食べる楽しみ

生来アルコールがダメなので、食べることは、毎日の暮らしの中での楽しみのうち、かなり大きなウェートを占める。とは言え自分は、別にグルメぶって能書きを垂れ、家で食べるものにあれこれ注文をつけるわけではなく、毎食、家内が出してくれるものを有難くいただいている。たまに、栄養はあっても本当はそれほど好きではないものが食卓に載る場合もあるが、そんな気持ちはおくびにも出さず、好きなものと同じように美味しそうに平らげることにしている。でも、もしかしたら家内は、とっくにお見通しかも知れない。
何しろ、食事をつくってもらうようになって45年、元来苦手なものは別として、不味いと思ったことは一度もなく、それどころか、子供が全員家を出て二人だけになってからは、黙っていても、食べたいものが食べたいころに出てくるし、さほど食べたくなくても食べた方が良いものは、適度なタイミングで出てくるようになった。

若いころは(というか中年になっても)、朝食をしっかり食べないと仕事ができぬなどとうそぶいて、朝から食パン4枚重ね(薄切りだが)のBLT(ベーコン、レタス、トマト)サンドイッチを頬張り、牛乳2杯をガブ飲みしていたが、今ではとてもとても...。自分としては、すっかり淡白で少食になったと思っている。
ご飯1杯(ときにプラスアルファ)に味噌汁1杯、納豆半パックに卵料理か魚肉料理、それに野菜のお漬しか大根おろしと白魚またはキノコ類、あるいは長芋と海藻類の酢の物、そしてその後にフルーツ(季節によって柑橘類かリンゴ、イチゴなど)と牛乳8割のカフェオレ...といったところが毎朝の標準メニューだが、それを聞いた子供たちからは、“たしかに和食系にはなったけれども、どこが少食だか...”とツッこまれている。家内に言わせれば、若いときの“大食い亭主”のトラウマを消し去れなくて、ついつい色々なものを用意してしまうのだそうだ。

夕食はどちらかというと少品目というか一品重点主義で、洋風または中華風の肉ッ気のある献立のことが多く、和風でも多少オイルを使ったものになる。どちらにしても、サラダや炒め物や煮物のかたちで野菜がタップリ添えてあり、料理に使っているオイルも植物性のものなので、翌朝もたれるということがないのが有難い。スープも、常に味噌汁ではなくて、ミネストローネだったり、クラムチャウダーだったりすることがときどきある。
もっとも、胃がもたれなくなったのは、いただく方も昨今では多少賢くなって、美味しいからといってバカ食いしなくなったことも関係しているのかもしれない。なにしろ、昨年の胃部検診で精密検査を申し渡されてヒヤリとし、それ以来、医者のアドバイスにしたがって“腹八分目よく噛んで”を実行しているから。

昼食は、家で食べるときはたいがい、パン(サンドイッチ)かピッツァか麺類、たまには雑煮などで軽く済ませるが、ムッシュをカットとシャンプーのため近所のペット・サロンに預かってもらったときには、少し足を延ばしてイタリアンか寿司か中華の外食に出かけることもある。
たまには自分で台所に立って、少しでも家内の労を軽減すればいいのだが、クッキングをマスターするとは口ばかりで一向に実行できないので、その代わりというほどにもならないけれども、外食に誘ったり、テークアウトの寿司・幕の内弁当・ハンバーガーなどを買ってきたりしている。

月に何回かは仕事で都心部まで出かけ、一人で昼食をとることもしばしばあるので、それも楽しみのような、面倒くさいような。以前ならば、まずまずいい味で満腹するものなら何でもよかったから選択の幅が広かったが、最近は、もてあますほどボリュームがなく、しかもあまりオイリーではなく、しかし美味しそうなもの...などと、難しい注文をつけてあちこちの店を回っているうちに、次の予定までの間に時間がなくなってしまったこともあった。
で、結局はほとんどいつも、蕎麦・饂飩かサンドイッチなど、どうということもないものに落ち着くのだが、近ごろチョッとハマッているのが“フカヒレそば”。と言っても、フカヒレが丸ごとドカンと載っているような高級品ではなくて、ほぐしたものがスープの中に見え隠れし、それをレンゲで掬って口に入れると微かに舌触りはあるといった程度の、しかしダシには生姜も利いていて、いい味の出ているヤツ。入っている具といえば青梗菜と細切りタケノコくらいだが、中華麺なのにシンプルでサッパリしているところが実にいい。仕事が早めに終った日のそんなに遅くならない午後に、一段落して客がチラホラしかいない店で、好きな本などを読みながらゆっくりとコレを味わうのは、ある種の至福だ。

そんなささやかなことで食の満足と幸せを感じていた今日このごろだっただけに、「船場吉兆」の“食べ残し料理使い回し”のニュースを聞いて、腹が立つ前に唖然として、料理店というものは看板や味だけではわからぬものだという印象を焼き付けられてしまった。大阪や京都の船場吉兆には行ったことがないが、東京吉兆の帝国ホテル店などでは食事をしたことがあり、値段は別として味と接客はなるほどと思っていただけに、もしあれがグループ全体の体質だったらと、頭が混乱する。
自分などは、ああいう高級店の顧客にはあたらないから、直接的なショックは何もないが、贔屓筋や常連客の失望はどれほどのことか。こんな不祥事があってもまだ足を向けてくれるお客さまがいたら、その方は神様か仏様のような人だが、世の中そんなに甘くはないだろう。それは自業自得としても、このことで“吉兆”の看板を掲げる他店にも、何らかの影響が出ないはずがないし、吉兆に限らず、“美味しい食事を出してくれる店でも蔭で何をしているかわからない”などという疑念が頭にチラついた人も、自分をはじめ少なからずいるだろう。

やがて時間が解決してくれるのかも知れないが、このことが記憶に残っている間、何だかせっかくの外食タイムにも気分が乗らない。

家内の手間を増やしてしまうが、しばらくはその分もよろしくお願いしますということで。

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2008年3月31日 (月)

妻古稀の春

昨年は自分が古稀に達したが、今年は家内の番。1週間ほど前に無事平穏に70回目の誕生日を迎えた。と言っても、昨日までと何かが変ったわけではないが、世帯を持ってから45年も経ち、長男・二男が不惑の歳になったかと思うと、やはり感慨深いものがある。今年は、その日がちょうど日曜日だったこともあって、子供たちも全員(といっても3人だが)集まり、母の古稀を祝う食事を楽しんだ。

家内の好みに合いそうなメニューがあって、5~6人がゆったりできる個室を確保でき、十分な駐車スペースもある上に各自の自宅から近い――という条件をほぼ満足させているところを、幹事役の娘が早々と見つけて予約しておいてくれたが、都内に住み、幼児(すなわち自分たちの孫)同伴の彼女にとっては必ずしも近いとは言えず、ご苦労さまであった。

その場所とは、田園都市線の鷺沼駅にほど近い「とうふ屋うかい」。「うかいグループ」として、和・洋さまざまなスタイルのレストランをあちこちに出しているが、豆腐料理が売りであることは前々から知っていた。この鷺沼店をはじめ、地元あざみ野、そして清里へ向かう途中の八王子や高尾など、たまたま自分たちの行動範囲内にいくつも店があるので、一度立ち寄ってみようとは言っていたのだが、これまでなかなか機会がなかった。

その前日あたりまでは、果たしてこのまま春本番ということになるのだろうかと、チョッピリ心配していたのだが、どうやら季節は、年度末になってやっと帳尻を合わせたようで、今やどこもかしこも桜が満開。当日も、コートを着ていると汗ばむほどの暖かさで、案内された2階の一室からは中庭の6~7分咲きの桜が見え、春の気分が一層盛り上がった。

娘に言って、あらかじめ、こういう祝宴向けの料理を頼んでおいてもらったのだが、豆腐料理の名店だからメニューは豆腐尽くしかと思っていたらさにあらず。確かにを中心は豆腐だけれども懐石風コースといった感じで、なかなかバラエティに富み、予想以上に美味しくかつヴォリューム満点だった。

「胡麻とうふ」から始まって「季節の盛り合わせ」「白魚茶碗蒸し」「揚げ炭火焼」「お造り」と続き、メインに「豆水とうふ」「汲み上げとうふ」「鶏串焼き、ふきのとう味噌和え」が出て、締めが「穴子ちらし飯」と「味噌汁・香の物」、それに「白玉ぜんざい」のデザートが付く。豆腐好きの娘や自分たち夫婦はもちろんだが、まだまだ肉ッ気のある食事を好む二男も、大食漢の長男も、十分満足したようだった。
さすがに豆腐の専門店だけあって、特に、豆乳スープにもえも言われぬいい味が出ている「豆水とうふ」、旨味の深いモッツァレラ・チーズといった感じの「汲み上げとうふ」、そして熱々の油揚げに削り節を載せ醤油をたらしクレープ風に二つ折りにしてほおばる「揚げ炭火焼」などは絶品。

昨年の自分の古希食事会のときは、初めてということもあってかどこか形式張って、自分としては嬉しかったものの、家族間の会話がそれほど弾まなかったような気もするが、今回の家内のそれの場合は、料理と部屋の雰囲気もあって、和気あいあい。小さな孫もいたせいか、みんながリラックスし、それぞれの子供の小さかった頃の思い出話に花が咲いて、まことに楽しかった。

母親の目からは、いい歳になった子供も、いつまでも小さかったころのままに見えるのだろうし、子供の方も、母親の前では、幼いときの自分に帰るのだろう。やはりこういう家族一同が集う場では、母親が中心になると自然な求心力が生まれるものだと、ひとりで感じ入っていた。

この話を持ち出した当初は、“わざわざそんなことしなくても...”などと、気乗り薄で億劫がっていた家内だったが、この日は近ごろになく寛いで楽しんでいたようで、こちらもホッとした。みんなからのプレゼントとお祝いの花束も、家内は心から嬉しそうに受け取っていた。

また、こちらからも子供たちに、何かお土産を持たせてやりたいと思っていたので、実は前日に、娘の親友の実家、成城学園前の「成城アルプス」へ足を運んで、人気ケーキの“モカロール”を仕入れておいたら、喜んで持ち帰ってくれた。連中もみんな、昔からケーキ好きだったから、きっとその晩にペロリだったかもしれない。そんなことを、子供たちが帰ってから家内と話し合い、ともあれここまで、子供たちも自分たちも大過なく日を送ってこられたことに感謝した。

後で気がついたのだが、その日は暦でいう“大安”。春の空気のように、何だかホンワカと暖かい気分の一日だった。

今回も身内ネタで失礼しました!

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2008年3月24日 (月)

自律神経失調症にご用心

やっと傍まで来てくれたかと思えば、また後戻り。暖かく接してくれていたと思っていたら、急に冷たくなる。あなたは私の、身も心も翻弄しようとするのか...。

と言っても、残念ながら今さら女性の話ではない。今年の冬から春へかけての気候のこと。ツイこの間までは、こんなに寒い冬も珍しいとボヤいていたが、いつの間にか気温が上がり、庭の豊後梅は散り出し、白木蓮と沈丁花が一斉に開花するポカポカ陽気に。日中の外出はコートのライニングを取り外さないと汗ばむほどになったが、これでは済むまいと思っていたら案の定、その後何日かはまた2月の寒さに逆戻り。
“嵐も吹けば雨も降り、春への道よなぜ嶮し...”と、紆余曲折を経た後、やっとまた“ここに幸あり”と感じられる季節になったような気がするが、果たしてこのまま行ってくれるのだろうか?4月に入ってまた寒波などというのは、もうごめん蒙りたい。

“イヤ、季節の変わり目とはそんなものさ”と言われれば、それまでだが、こう極端に気候が不安定だと、ただでさえアッチが痛いのコッチが痒いのと言っているオジ(イ)さんは、すっかり体調がおかしくなってしまうのだ。
例年通り、最も冷えた時期に霜焼けが始まり、痛くてヒーヒーがやっと治まりかけたと思ったら、すかさず春一番が花粉症を連れてきて、涙がポロポロ。でも今年は、どうもそれだけではない感じがして、めったに行かない眼科を訪れた。片一方の目がゴロゴロ、もう片一方が沁みるようにスースーするのだ。四六時中コンピューターに向かっていて普段から目の疲れは感じていたので市販の目薬を点していたが、それでは効かなくなっていた。

そんなわけのわからぬ自分の訴えに、“ゴロゴロとスースーですか、難しいですなあ”と医師は当惑顔。で、診断は「ドライアイ」だった。3種類の点眼薬を処方してもらったので真面目に点しているが、ひと月たった今もまだ治りきっていない。もっとも、“目をなるべく休ませるように”との注意を守っていないのだから仕方がないが。だって、目を休ませていたら仕事にならないのだもの。
霜焼けの方は皮膚科に診てもらって、もう2ヵ月間、1日3回ビタミンEを服用し、毎日すべての指に軟膏を塗っているが、暖かくなるに連れて少しずつ状態が良くなってきている気はする。まあこれは、時期が来れば治ることがわかっているから、それまでの我慢だ。

何年越しかの腱鞘炎は、もう完治しないものとあきらめているのだが、実は今年の春先は、これらの症状に加えて全体的な体調異変を発症した。時間的には十分睡眠をとっているにもかかわらず起床時に疲労感が抜けないのと、いわゆる胃腸症状があることだ。低血圧のため元来寝起きが良いたちではないのだが、それにしても疲労感の度が過ぎるし、胃と腸の症状は、昨年胃部内視鏡検査をした際の症状に似ているのが気になって、半月ほど前、久しぶりにホームドクターの診察を受けた。この1年あまり、インフルエンザの予防注射ぐらいでしかお世話になっていなかったのだが。
症状を話し、触診とX線検査を受けた結果は、「自律神経失調症」とのこと。ストレスが主な原因で、身体の自己調整能力がなくなっているため、あれこれ弱いところに症状が出るのだそうだ。そう言えば同じようなことを、一昨年の秋にも言われたっけ。あのときは、今回の胃腸症状の代わりに微熱だったが。

胃腸はX線の所見では問題なく、その症状も疲労感も精神的なストレスから来るものだから“気分転換が何よりの薬、一応健胃整腸剤と精神安定剤を出しておきましょう”ということだった。“ストレスの原因で何か思い当たることはありませんか?たとえば原稿の締め切りなど、常に約束の期限に追われているとか?”と、今回も聞かれたが、思い当たるも何も、それが日常だからどうしようもない。
で、“そういう仕事をしている人間はどうしたら良いんでしょう。犬の散歩には毎日出ているんですが?”とドクターに尋ねると、“犬の散歩は、身体を動かすという意味ではいいのですが、その間にツイ、構想を練ったりフレーズを考えたりするので、完全な気分転換にはなりません。一番いいのは映画を観ることです”という答えだった。ウーン...言われてみると、確かにそうかも知れない。でもわざわざ映画館に出かけるのも時間がもったいないから(こういう考え方がいけないのだろう)、テレビでの再放送の面白そうなヤツを探し出して観ることにした。

わが家はケーブルテレビに加入しているので、その気になれば、いつでもいくらでも家で映画を観ることはできるのだが、大型画面の受像機を置いてあるリビングルームは夜間8時を過ぎたらムッシュがよく眠れるように消灯して音を立てないようにしているので、自室のパソコンで楽しむことにした。
でも、根がそんなにテレビ番組のことばかり気にしている方ではないので、すっかり開始時間を忘れていて、目をつけていた番組をスイッチオンしたのは、開始からもうだいぶたってから。それでも、そのとき放映していたエディ・マーフィー主演のコメディ・アクション「アイ・スパイ」はなかなか面白かったし、観ている間は他のことを忘れていた。ウン、確かに映画は良さそうだ。これから、真面目に映画番組をチェックすることにしよう。

というわけで、このところ毎日、5種類合計16錠のタブレットを服用、3種類の目薬を3~4回ずつ点し、2種類の軟膏を2~3回ずつ指に塗りながら、相変わらずインターネットでの情報チェックや物書きの仕事をしているが、その合間にクスリを忘れないようにするためにこれまた神経を使うので、神経症の上塗りになりそうだ。こんなに薬漬けになったことは、生まれて始めてだが、歳をとるとどうしてもいろいろな不調が出て、誰でもこういうことになってくるのだろうか?
仕事をやめて趣味に生きれば良いというわけでもないようだし、だいいち自分はいまの仕事が趣味のようなものなので、これをやめろと言われたら余計に具合が悪くなると思う。何だかんだ不定愁訴を訴えているくせに、そろそろまた新著か既著の新訂版を書こうかなどとも考えているのだから始末が悪い。まことに因果な性分というほかない。

ならば、“ここで四の五の言わずに黙ってやっていればいいのだ”というのが大方のご意見だろうが、その通り。もうグタグタ言いません(多分、当分は)。
でも自立神経症などという症状は、歳にかかわらず、ストレスの多いこの現代社会では誰でも発症しそう。拙文を読んで下さっている皆さんも、どこか調子がおかしいと思ったら迷わず医者のもとへ走り、気分転換にも積極的に励まれるようお勧めしたい。

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2008年3月17日 (月)

3月14日@初めてのニュー六本木

この日は、いまでは下さる人も数少なくなった義理チョコのお返しを忘れてはならない日。また、今まで知らなかったが、円周率の3.14....に因んで、“πの日”とか“数学の日”とも言うそうだ。でも自分は当日、六本木アカデミーヒルズ(六本木ヒルズ森タワー49階)の「ダイレクトマーケティング フォーラム2008」で講演をすることになっていたので、正午ごろ家を出て、田園都市線・半蔵門線を青山1丁目で乗り換え、大江戸線で現地へ。
今にも降りだしそうだったし花粉も飛んでいるらしかったので、なるべく地下を通って行きたいと思い、事前にある程度調べて見当をつけていたのだが、電車から降りて人の波に囲まれたまま何となく改札口を出たら、いつの間にか地上へ押し出されていた。

ここ六本木は、近年では地下鉄の乗換えをするか、車で六本木通りや首都高速3号線を通過するぐらいで、路面を自分の足で歩き回ることなどほとんどなかったので、“ミッドタウン”はおろか“ヒルズ”の方も、恥ずかしながら、実はこの日が初めて。目的の場所に辿り着くまでには、迷うというほどではなかったにしてもどうも要領を得ず、エレベーターを探しながら、だいぶ迂回してしまった。ここのオフィス棟に入居しているいくつかの会社には後輩たちもいるのだが、自分が出不精になって訪ねてきてもらうことが多くなったため、街の様子が一変した六本木に自分が出るとなると、すっかり今浦嶋の有様。
1960年代から70年代にかけてはステーキハウスやピアノバーに外国人同僚と、80年代から90年代の初めごろまではエスニックレストランやカラオケクラブに会社の部下たちと連れ立って、ロクに飲めもしないのに何かと言っては繰り出し、挙句の果てに帰りのタクシーがなかなか捕まらず深夜帰宅となり、よく家内にお灸を据えられたものだったが、それも今は伝説...。そんな時代の六本木を知っている人も少なくなった。

「ダイレクトマーケティング フォーラム2008」は、日本郵便の郵便事業会社が実質主催し、完全民営化前の昨年度までは「ポスタルフォーラム」と称していたが、本年度はその色をあえて表面に出さず、呼称通り“マーケティング・セミナー”的性格のイベントに変った。3日間にわたり30あまりの講演を網羅していたが、出展企業が10社にも満たず、セッションやワークショップ的な場がなかったのは、チョッと淋しい気がしないでもなかった。
でも、すべての講演の受講予約申込が、開会日の2週間前に満席になり、当日の受講者のタイプも明らかに変ってきた感じがするなど、“フォーラム”と銘打ったアカデミックな意味では、成功だったのかも知れない。自分はこの日の午後だけ顔を出して、その1コマで話をしただけだから、イベント全体についてどうこう言う立場にはないし、主催者側の考えと事情もあってこういう性格づけをしたのだろうから、それ以上のコメントをするのは差し控えるが、できたら、ゆくゆくは産学協同で、米欧のこの種のイベント(たとえばDMAの年次大会)のようなスタイルになったら理想的だと思う。ところで自分は「進化するダイレクトメディア」と題する話をしたが、いずれ、このページから資料にリンクできるようにしたいと思っている。

講演前には講師控え室で、広告電通賞の選考委員同士でもあるPOP広告協会のS氏と世間話をし、講演直後には同じカンファレンスルームで、次の講師をする電通OBの盟友F氏と遠くから手を挙げ合って目で挨拶を交し、そのあとはコラボレーションルームで、自分などとは違い会社を自営して頑張っている、同年代のO氏、やや後輩のN君、若手のH君らと業界話しをするなど、こういう場所に顔を出すと必ず誰か旧来の知己がいて気分が寛ぐものだが、今回は新しい出逢いもあった。
ダイレクトマーケティングの名著「Successful Direct Marketing Methods」をボブ・ストーン(昨年2月没)と共著(第7版から)したロン・ジェイコブス。彼も今回講師として来日していることは知っていたが、彼にアテンドしていた日本郵便Y氏の紹介で顔を合わせた。聞けばY氏は、社命により彼の会社で1年間勉強していたそうな。ジェイコブスと自分は、世代には少しズレがあるが、同業ではあるし、故・ストーンをはじめ共通の知人も結構いる気安さもあって、思いのほか話が盛り上がった。

まだ夕暮れには間があったが、ビルの出口まで来たら外は雨。今度こそは何とか地下を通って駅まで行きたいと思いビルの総合案内嬢に聞いたら、やはりそういう人は他にもいるらしく、すぐにわかりやすくコースを教えてくれたので、その通りに行くと日比谷線の改札口に出ることができた。そこでチョッと立ち止まって考えたのが、冒頭のお返しをどこで買ってゆくかということ。品は、ありきたりではつまらないと思い、ニューヨークのソーホーに本店がある「ディーン&デルーカ」のオリジナル・チョコ詰め合わせに決めていた。昨年の夏お土産に買ってきて大好評だったからだ。
来るときには、帰りはバスで渋谷に出てTデパートの“のれん街”で買おうと思っていたのだが、日比谷線だと恵比寿で乗り換えになるので何だか面倒な気がした。そこで閃いた!東京ミッドタウンにはディーン&デルーカが絶対あるはずだと。で、駅の事務員に、地下から直接行けないか尋ねてみた。答えは“160円の切符を買って一たん入場し日比谷線のホームを反対側の端まで歩いて大江戸線の改札口を出ればミッドタウンへの地下道に直結する”とのこと。そんな物好きなことをしてバレたら、きっと家内にお小言を頂戴すると思ったが、内緒にしておこうと心に決めてそのコースをとった。

ところが、大江戸線の自動改札をその切符で出ようとしたら、今度はバタンと遮断され、また事務室へ.。その切符を差し出して、アッチからコッチに通り抜けたかったのだと正直に事情を話したら、大都会のメカニズムについて行けず困り果てているお年寄りと思ったのか、自動改札を通れる切符に替えてくれた上に160円を返してくれた。

そんなことがあったが、そこからミッドタウンまではわかりやすかった。地下1階をザッと一回りしただけだったが、“こらあ、なかなかエエやないか”と感じ、ショップの案内板を見ると、あのとき閃いた通り、ディーン&デルーカがありました。それも2店も。だが、残念ながら買いたいと思っていた品は置いていなかったので、さんざん考えた末に、やはりオリジナルの、チョコレートでコートしたレーズンのギフト小箱を買った。
初めて来て、それも1階と地階ぐらいを見ただけで感想を述べるのはおこがましい限りだが、何となくヒルズはロサンゼルス(旧市街でなくセンチュリー・プラザあたり)っぽく、ミッドタウンは(ディーン&デルーカがあったからというわけではないが)ニューヨークっぽかったと言ったら、見当違いだろうか?

家に帰って、恐る恐る“こんなものですが...”と買ってきたものを差し出したら、前もって何も約束していなかったのが幸いしたのか、“アラ、有難う”とスンナリ受け取ってもらえて一安心。でも、160円バックの件が“ちょっといい話”のような気がして黙っていられなくなり、ツイ自分から喋ってしまったら、“ナーニやってんの”と、叱られず笑ってもらえた。

何だかんだ新しい体験もして、見聞も広めた、割といい感じの3月14日だった。

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2008年2月25日 (月)

春待つ心

立春からもう3週間経ち、あと1週間あまりで啓蟄。どちらかといえば春に近づきつつあるのではないかと勝手に思っているのだが、今年はどうも、そんなにすんなりとは行きそうもない感じだ。
一昨日までの2~3日、10度を越す暖かい日が続き、さらに気温は上昇するという予報だったものだから、それまでの完全防寒装備で外出したらどこかで室内に入ったときに暑過ぎて困ると思い、その日はあえてやや軽装に切り替えて出かけた。そしたら、これが大外れ。

朝のうちこそ陽射しが暖かそうで、絶好の外出日和に思えたが、昼前から何だか雲行きが怪しくなり、窓から見える庭木や街路樹の枝が大きく揺れていた。
それでも、たいしたことにはならないだろうとタカをくくって家を出たら、100メートルほど先のバス停に着く間に、せっかく格好をつけてきた髪がほとんど逆立ってしまい、見るも無残な状態に!(正直、自分ではよくわからなかったのだが、他人が見たら多分そうだったろうと思う)列の後ろに並んでいた野球帽の小父さんを見て、自分もキャップをかぶってくれば良かったと後悔した。

あざみ野から横浜市営地下鉄に乗ってすぐ次の駅で降りたのだが、地上に出ると風はさらに強まっており、ヒエーッ...と思ったが、何とか頭を押さえながら目的の場所にたどり着いた。
用事は2時間ほどで済み、まだ夕刻には間があったが、こんな日は寄り道する気も起こらず、早く家に帰るに限るとそこから道路へ出たら、もの凄い強風を正面から受け、駅まで向かうのにエラく苦労した。

あんな強風は、チョッと近年では記憶にない。気温も予想が外れてだいぶ低下したようで、軽装の身には、冷たい北風がかなり応えた。おまけにこの風は花粉も運んできたらしく、くしゃみは出るわ、涙もでるわで、ダブルパンチ、トリプルパンチ。
“さては、これはアレかな?”と思っていたら、やっぱりそうで、後でインターネットのニュースを見たら、気象庁が、関東地方では「春一番」が吹いたと発表していた。

帰宅すると、ムッシュが玄関まで走って迎えに出てきてくれた。その日はずっと外に出られなくてさぞつまらなかったろうから明るいうちにひと歩き行こうかと、そのまま散歩に連れ出した。
強風は相変わらず吹き止まなかったが、ムッシュは嬉々として門から走り出して、家の横の坂道を全速力で駆け上がり、リードを持つ自分もそれに引かれるようにして走った。

坂を上りきると、道の片側は家屋が途絶え何ブロックもの宅造地が広がっていて、ふだんでも何も遮るものがないところを風が吹き抜けているのだが、その日はまたひとしお...。というよりも、その何層倍。
いつもなら格好の散歩コースなので、それを覚えているムッシュは自らそこを目指したのだが、道路からその一角に進入したとたん、まともに強風を受けて、足が止まってしまった。人間でさえ頭を下げて一歩一歩踏みしめないと前へ進めないくらいだから、小さなムッシュには無理もない。きっと吹き飛ばされそうに感じたのだろう。尻尾を巻いて(と言ってもムッシュの尻尾は“婆ちゃん髷”と通称しているくらいで、巻くほど長くないのだが)、たちまち家に戻る結果と相成った。

翌日はすっかり晴れ上がったが、冷たい風は依然として吹き止まない。でも、家の中にばかり籠っているのも如何なものかと、懲りずにムッシュを連れて外へ出る。前日とは違い時間帯が早かったので、彼としても比較的楽だったようだ。
陽射しはずいぶんしっかりしてきたが、空気は相変わらず冷たく、春への歩みは一進一退というところで、体感的には、まだ冬のままなのか、それとも春になりかかっているのか、定かにはわからない。

が、2月も下旬ともなると、自然の中にはどこかに、春の兆候が見えてくるものだ。つい先日までは、散歩中に目に入る花は、垣根の山茶花と植え込みの寒椿くらいのものだったが、いつの間にか、坂下の御嶽神社境内の白梅が八分咲きになっていて、そばを通るとプ~ンといい香りが漂ってくる。
でも、わが家の庭に春が訪れるのはまだまだ先になりそうだ。白木蓮の蕾はだいぶ膨らんできたが、豊後梅(紅梅)や花梨はまだ堅く角ぐんでいるだけ。

久し振りに清里の森の管理公社のライブカメラを覗いたら、あたりはまだ一面の雪。それもそのはず、今月の3日と9日にはそれぞれ30センチを越す積雪があり、気温は連日氷点下のようだ。この分では我が山荘の前庭は、とても足を踏み入れるどころではないだろう。
もう春一番が吹くところまできた平地の暮らしは、むしろ有難いと思わなければならないのかも知れない。

と、自分に言い聞かせつつも、あまりにも寒かった(と、もう過去形にしていいかどうかわからないが)今年は、本格的な春の訪れがつくづく待ち遠しい。

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2008年2月18日 (月)

着道楽

朝日新聞の夕刊に「男の夢ファッション」というコラムがあるが、去る2月4日の、岡田斗司夫氏(評論家)の回を読ませてもらった。この人は多芸多才の旧世代オタクとして、その方面ではつとによく知られているらしいのに、自分はこれまで寡聞にして存じ上げなかったが、ヒョンなことがきっかけで、その名前と業績を知った。
すでにご存知の方もいると思うが、氏は、1年間で50キロ減量というそのユニークなダイエット体験を綴った「いつまでもデブと思うなよ」(通称“いつデブ”)という本を出して大ヒットを飛ばした人。自分は、別にメタボで悩んでいたわけではなかったが、昨年の秋口にたまたまその本をテレビ化した番組を目にして、氏の食事スタイルに大いに共感したのだ。本は買わなかったが、その顛末を語ったブログも拝見した。

昨年10月15日にも書いたので繰り返さないが、氏と動機は異なるけれども同じような“食事記録方式”によってウエスト3センチ減に成功した自分は、それからというもの、ささやかな自己満足的お洒落として、買ってからロクに経たないうちにはけなくなってしまっていた何本もの細身のパンツを、取っ替え引っ替えしては、独り悦に入っている。
夏冬それぞれ数色・数タイプあるものを、やはり同じくらいあるジャケットやセーターとコーディネートしようと思うと、なかなかこれが悩ましい(お気楽だネ)のだが、それでも何とか、行く先・目的そしてそのときの自分の気分に合わせて、毎回異なったコンビネーションで出かけることにしている。が、その度ごとに、家内にひとこと突っ込まれる。“今日は何のコスプレですか?”と。コスプレじゃあなくってTPOだっツーの...。

前置きが長くなったが、岡田氏もウエストが79センチになって(ちなみに自分は78センチ...誰も聞いてないか)、いろいろな持ち服の組合せでお洒落を楽しんでいるようだ。自分がそうありたいと思う人物のイメージを表現し、その人物の気分になりきるためにいろいろ考え、工夫し、それを “コスプレ”と称して、文字通り“遊んで”いる。
氏とは、会ったこともないし年齢も親子に近いほど違うが、このコラムを読んでまた、そんなところにも相通じるものを感じ、いっそう親近感が深まった。自分だけでなく、家内もそう思ったらしい。実はこの新聞記事、最初は家内が見つけて、“これ読んでごらんなさい。面白いわョ。あなたのような人が他にもいるのネ。”とまわしてくれたのだった。

生来アルコールがダメで、ギャンブル(と言ってもマージャン程度だが)の類いは結婚とともに足を洗い、タバコはとうの昔に止め、食事にもすっかり淡白になって、ゴルフに遠出したりジム通いはおろか、ダンスや楽器いじりを再開するほどの元気もなく、かつての道楽者も、いまではせいぜい、iPodとカラオケとコスプレ(オットそうではなかったTPOだった)を楽しんでいるだけだが、そう楽しみが限られてくると、どうも、どれか一部が極端に突出してしまうものらしい。
他人事ではなく自分の場合も、それが“着る物”に行っているようだ。もともと“着道楽”とは自他共に認めており、この20年間くらいで、体型が変ったため不要になったコートやスーツやジャケットやパンツを、折りがあるたびにフリーマーケットに提供したり、リサイクルに供出したりしているのだが、それでも、自分のウォークイン・クローゼットの中には一向に空間ができず、それどころか、もと息子や娘たちがいた部屋のクローゼットまで占領する始末。

原因は自分でもわかっている。毎日オフィス通いをしていた時代に着用していた何十着ものスーツ、ジャケット、パンツ、コートを、まだいくらも着ていなかったとか、結構いい値段だったとかの理由で、処分を決断しかねているところに、それを忘れてどんどん新しいものを買ってくるからだ。
一時期、その傾向を自分でも反省して、新規購入を自重していたのだが、最近はアイテムをパンツやシャツなど嵩張らないものに限るよう気をつけてはいるものの、頻度や点数は前よりもややエスカレートしたかなという感じがしないでもない。自分でも始末が悪いと思っているのだが、どうにも止められない。

本当にお金持ちでお洒落な人は、何を買おうとどれだけ買おうと頓着しないのだろうが、そうではない自分も、ここ何年か(いや昔からだという説もある)、何か買い物の予定があって出かけたときに、予定外のものまで、それも似たようなものをいくつも、買い込んでくるようになってしまった。気に入ったものがあった店では、同じデザインの色違いとか、同じスタイルの生地・縫製パターン違いとかを、一度にまとめて購入してしまうのだ。
同時に複数点購入する場合もあるし、あらかじめ自戒して最初は1点だけに止めておきながら、やっぱりもう1点の方も欲しいと、一たんその場を立ち去ってから考え直したあげくに戻ってくる場合もある。

つい先日も、特に何か目あてがあったわけでもなく仕事帰りに立ち寄っただけだったが、二子玉川にあるデパートの中の「ジョゼフ・オム」という店で、この寒さだったらまだ当分はけそうなグレーの起毛コットン・パンツを見つけた。その店では、昨年冬になったばかりのころに、スタイルもドンピシャ好みで、はき心地もすばらしく良い、シルク混ツイードのパンツを手に入れることができて、同じ型の色違いか生地違いがあったら何れ買おうと思っていたので立ち寄ったわけである。
で、姿見の前でそのパンツを試着していると、売場のお兄ちゃんが声を潜めて、“失礼ですが、中澤さんのお歳でウチのこのサイズのパンツをはきこなせる方はいませんよ。”などと言う。お世辞とはわかっていても、満更でもない気持ちがして“そうかい”と答えると、兄ちゃんすかさず、“そのタイプがお好きでしたら、きっとコレなんかもお似合いになると思いますが...”と、もう1本、ベージュのベルベットのカーゴ・パンツを差し出した。“どうぞ試着だけでも...”と勧められて、はいてみたらこれが結構いい。でも、“またいつものパターンを繰り返してもなあ...”と、一たんは最初の一本だけにしようと思ったのだが、結局、気に入ったものを買うのは、多ければ多いほど満足感も大きくなるだろうと、2本とも買ってしまった。兄ちゃんの殺し文句にしてやられた。

そんな買い方を、その店の隣にある「カルバン・クライン」でも、昨年の夏にしているし、その前の年には別のデパートの「ゴルチェ・オム」でも、同じ買い方をした。足は2本で、イカやタコじゃあないんだから一度に何本ものパンつが要るわけでもないのに、どうしてそんなに買い込むの?と周囲はもはや呆れ顔。理由を聞かれても、自分でも答えに窮する。

そんなことで、いつも“今日は何を着ようか”などと非生産的なことばかり考え、セッセと着替えているわけだが、まあここまでくると、岡田氏とはまた違う意味でのコスプレと言われるのも仕方がないのかも知れない。自分では、誰に迷惑をかけるわけでなし、そんなに変った趣味というほどでもない、ただの“着道楽”だと思っているのだが。

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2008年1月28日 (月)

年賀状の見直し

会社勤めをしなくなってもう数年経ち、年賀状をいただくのはだいたい個人的な関係の方ばかりになったが、それでもまだ、毎年120~130枚にはなる。で、ほとんどが例の“お年玉つき年賀状”なので、どうせ末等の切手シールくらいしか当るわけはないとわかっていても、抽選日には一応チェックする。
特に今年は、“もしかしたら”という根拠のない期待があって、密かに抽選日を心待ちにしていた。実は昨年末に、顧問をしている会社のイヤーエンド・パーティーでビンゴの賞品としてiPod Shuffleが当り、籤運の弱い自分にも、いよいよ遅咲きの運が巡ってきたかと気を良くしていたからだ。例年だと当選番号の発表は成人の日なので、今年もてっきりそうと思い込んでいたら、なぜかそれが27日ということになっていて、いささかじらされた。家内の行きつけの美容院でも、奥様方がみんな、そのことで憤慨していたそうな。

結果は...やっぱり人生はそう甘くない。1等とは言わないから、たまには、せめて3等ぐらいでも当れば大喜びなのだが、今年も、その辺はカスリもせず、切手シールが1枚だけ。後で無常感を味わわないで済むように、“まさか当っていないよナ...”と最初から自己否定しつつチェックするのだが、その通りになればなったで軽く失望。
でも、よく考えてみるとどの賞品も、欲しいのに今までどうしても手に入らなかったとか、それが賞品であることを知って俄然欲しくなったとかいうわけでもないのだから、何も気落ちする必要はないのだが、マアこういうものは当れば縁起が良い感じがするし、一応気にするのだ。信じてはいなくてもつい見てしまう運勢占いみたいなものですナ。

それはそれでよしとして、この機会にもう一度と、今年いただいた年賀状を見返していたら、いろいろな想いが浮かんできた。まずは、自分もだんだん否応なく、シニア世代の前線に押し出されてきているなということ。毎年少しずつだが、大正や昭和一桁生まれの先輩が静かにステージから退場してゆき、昨年は同年代の友までもが、何人か先立った。昨春の賀状はあるのに、わずか1年後の今春にはもう何もないというのは、何とも淋しい。
何十年と欠かさず賀詞を交わしていた先輩・同輩、そしていつのまにかあまり歳の差を感じなくなった後輩からの1枚が、突然途絶えたのも気にかかる。もしや健康を損ねているのでは...、それとも何か事情でもあったか...と。単に、儀礼的なことはお互いもうそろそろ止めにしましょうということであれば、それはそれで良いのだが。

宛名面の表記のし方からも、いろいろなことが推察される。昨今は、年賀状ソフトを使ってのコンピューター・アドレスが全盛だが、自分のところにいただくのは過半数がそうであっても、手書きも意外なほど多い。同世代の友人・知人に達筆の手書き派が多いのは、過ごしてきた時代環境からして当然なのだが、同じシニアながら頑張ってコンピューター・アドレスしている面々もいれば、コンピューター世代なのにあえて手書きアドレスという連中もいて面白い。自分はといえば、数年前からコンピューター・アドレス派に転向した。仕事上では“ひとりひとりに対するメッセージはパーソナライズせよ”などと言っているくせにまことに申し訳ないが、この楽さ加減には勝てなくなってしまった。
ただ、興味深いことも発見した。同じコンピューター・アドレスでも、人によってフォントの選び方に個性があること。選んでいる書体と、本人の性格や本来の筆跡との間には、何とはなしに共通するものが感じられるのだ。控えめでごく普通の実直なサラリーマンだった友は明朝体、人一倍几帳面で堅物だった友は楷書体、自己主張があってちょっとアクの強かった友は隷書体やゴシック体、自分のようなややお気楽で気ままな人間は行書体―-という具合に。

パソコンもケータイメールも使っていないはずの友人からコンピューター・アドレスの賀状が来ると、“ハハン!さては2世帯同居をするようになって、息子か娘(もしかしたらそのお嫁さんかお婿さん)に代筆してもらったか?だとしたら賑やかになって結構々々”などと、家庭環境の変化にまでも思いを致してしまう。いまの時代はどこも、たいてい子供たちが生家から独立して、老夫婦二人きりというケースが多くなっているからだ。
子供といえば、年賀状の中でも普段の仕事でも、自分の子供の世代にあたる人たちとの関係がずいぶん多くなった。妙に意識せずごく自然な感じで付き合ってくれる若い人たちの気持ちがとても嬉しいし、同時に、自分もまだ、あまり違和感なくそれに対応できている(と思っているのは本人だけかも知れないが)のを有難いと思う。

話はまた、お年玉つき年賀はがきに戻るが、締めてみたら4億枚も売れ残ったそうで驚いた。生産量と販売量の見通しの問題もあるかも知れないが、率直に言わせてもらえばマーケティング――商品の付加価値のつけ方と流通のありかた――の問題ではないのか?何か制約でもあるのかも知れないが、賞品については、毎年もっとオリジナリティを出すようにした方がいいし、流通も、期間中はいつでもどこでも買えるようになっていた方がいい。
実際自分も、買い足す必要に迫られて年末・年初に近所を探し回ったが、郵便局は休みだしスーパーやコンビニには在庫がなく、なのに初詣に出かけた3日には、最寄りの私鉄駅頭で立ち売りをしていた。地域や局によって方針が違うのかしらん?

年賀はがきでお年玉は当らなかったけれど、例年通りダブル初詣には行ってきたし、今年一年の運は何とか大丈夫だろう(と信じつつ)。

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2008年1月 7日 (月)

いつも通り(?)の正月

人手も自分の馬力もなくなったので、年末でも片付けという程度で済ませ、大掃除というほどのことはしなかった。家内はおせち料理づくり、自分は年賀状(それも年内出しは最小限にして)に松飾りぐらいで手一杯で、この2~3年ほとんど変わらず、そんな略式な正月の迎え方をしている。 大晦日も、実質本位の夕食で年越し蕎麦などはしなかったが、新年にあと30分というところにくると、自分は近所の御嶽神社へ。ニューヨークのタイムズスクエアのカウントダウンには及びもつかないけれども、境内には闇を明々と照らす焚き火が燃え盛り、1月1日午前0時が近づくころには200~300人ほどの参拝客の列ができ、日付が替わった瞬間に神主の声に合わせて“おめでとうございます”の大斉唱。順番がきたところでお賽銭をあげ鈴を鳴らし拍手を打って、あまり欲張らずに家族一同(ムッシュも)の無事平穏を祈る。そして御札と熊手を買い、参拝客に振舞われる熱々の甘酒を両手に持って帰宅し、家内と乾杯。何もかも例年通りだったが、それが幸せというものなのだろう。

おせち料理

年が明けて、元日の“東京風”と2日の“富山風”のお雑煮(レシピにご興味の方は昨年1月9日をご覧あれ)そしてすべて家内の手作りのおせち料理と、これも40年来変らない。ただし今年は、裏漉しに手間のかかる栗キントンは、昨年家内がそれで腱鞘炎になってしまったため省略。自分がその作業を代わろうかと申し出たのだが、そんな簡単なものではないと一蹴されてしまった。 元日には娘一家も来訪し、大晦日から来ていた長男・次男とあわせて家族全員が勢ぞろい。幼い孫とムッシュが家の中を走り回って賑やかだったが、家内は暮れからの疲れもピークに達して、その夜も翌夜も完全にダウン。男一同は食うばかりで申し訳ないと自分は深く反省したのだが、倅どもはわかっているかどうか。

川崎大師山門

例年のもう一つの年頭行事、川崎大師への初詣は、昨年・一昨年は人出の少なくなる4日だったが、今年はあえて3日に。混雑しても時間がかかっても、何だか賑やかな方が好ましい気がしてそうしたのだが、もの好きだったろうか?また、いつも帰り途は暗くなるので今年は午前中に家を出たが、どうやら、かえってピークの時間に当ってしまったらしく、参道で並び始めてから本殿にたどり着くまでに1時間半あまりかかった。 でも、読み物とiPodを持参し、防寒には万全の服装だったので、後で多少は足腰にきたけれども、寒くもなければ退屈もせず、無事、納札・お参り・御札と御守購入・山門前の店での葛餅購入と、いつも通りのコースをこなすことができた。川崎大師参道

ところで、行ったことのある人なら知っていると思うが、川崎大師の初詣のときにはいつも、参道の入り口と境内へ続く道の曲がり角には、キリスト教の一派が陣取ってプラカードを掲げ、拡声器を使って声高に人々に呼びかけている。“間もなくこの世の終末がやって来て神(キリスト)を信じない者は地獄へ堕ちる。罪を悔い改めて神を信ずれば救われる。”といった意味のことを叫んでいるのだが、正月早々感じが悪いと、誰も相手にしない。それにもめげず毎年よく続くものだと思いつつ、もう耳にタコができて気にもしなくなっていたが、今年は何だかチョッと引っかかった。 古代史好きが嵩じて最近は宗教史にまで興味が拡がり、ちょうど今、旧約聖書にある神の預言なるものについて書かれたややオカルティックな本を読んでいたところだったので、それとの符合点が気になったのかもしれない。川崎大師仲見世

連中は他所の初詣スポットにも出没しているようで、正月だけ神仏に現世利益を願う人々を罪深き者と見なし、キリストのみに救いを求めよと教宣しているつもりらしいが、どうも善意の警告には聞こえず、聖書の終末論を振りかざした脅しによる入信勧誘としか思えない。自分はその行動を否定も肯定もする理論的根拠を持たないが、初詣には別に、神とか仏を明確に意識してきているわけじゃあないんだから放っといてくれと言いたい。多分、ほとんどの人にとっても、これは、宗教とは無関係な、季節の節目を感じるための生活行事の一つに過ぎないはずだ。川崎大師本堂前
でも、キリスト教にしてもイスラム教にしても、一神教の原理主義者にはそういう日本的な融通無碍な感覚は理解できないのだろうか、どうしてあのように自教を信ずる者以外を否定しようとするのだろう。よくわからないが、それこそ彼らの言う“神”の概念と自己矛盾するような気がするのだが...。オット、オカルト本の生齧りと待ち時間のあり過ぎから、いつの間にかあらぬ方向へ思考が脱線してしまった。が、気まま者の自分の結論はいたってシンプルで、世の中いろいろなことを考え主張する人がいても結構だけれど、それを他人に押し付けるなということ。

というわけで、今年もまたマイペースで行こうと思っているが、心中密かに期するものはある。2~3冊書きたいと思っていながら昨年は計画倒れだった本を、今年こそ、1冊ぐらいは何とかしたい。空手形にならないように頑張らなくっちゃ。
さぁて今週からは、空想に耽ったり、計画自体を楽しんだりばかりもしていられず、現実に追いかけられるようになる。

このブログも3年目に入ったが、倦まず弛まず、これまで通りに書き続けてゆくつもりなので、どうか本年もご贔屓に。そして宜しくご教示を。

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2007年12月24日 (月)

早かったこの1年

月並みな言い方だが、ほんとに“月日の経つのは早い”と実感する今日このごろ。激動する毎日を目いっぱい働き週末が待ち遠しかった若いころと違い、さしたる変化もないまま時間がまとまって1週間単位で過ぎてゆくような気がする。
今年は、四季の移り変わりも何かメリハリがなかった。異常気象ということなのか、猛暑の夏だけがバカに長く続き、春と秋が僅かしかなかった印象で、いつもの年にくらべると桜も紅葉も楽しんでいる間がなかった。

世間では、2007年が明けるとから毎月のように、「食品偽装」「年金記録漏れ」「不条理殺人」「原油高」「防衛省次官汚職」「薬害」など、誰にとっても無関心ではいられない大きな問題・事件が多発し、日本はこの先どうなってしまうのかと暗然たる気持ちにさせられた。
政治家でもないし、ビジネスの第一線を退いた身だから、いくら自分がやきもきしてもどうなるものでもないが、せめて、まだ何らかの関わりを保ち続けている経済分野の片隅で、自分のできるかたちと方法を通じて、少しでも、これからの時代を担う人たちが伸びるための役にたってゆくことができたら...などと、いまは勝手に考えている。

自分にとっての2007年は、これといって何かを成し遂げたとか、大波乱があったとかいうわけでもなく、まずは無難に過ぎたと言っていい年だった。1月の川崎大師初詣から始まり、2月のダイレクトマーケティング・フォーラム、5月のリーダーズダイジェスト同窓会、6月の総合健康診断受診、4月~7月の広告電通賞選考会、11月の早稲田クラス会という、いつも通りの年中行事をつつがなくこなして、一度も寝込むようなこともなく、外出や悪天候のとき以外は1日2回のムッシュとの散歩も楽しんで続けることができた。
このブログも、我ながら感心するほどコンスタントなペースで続けられている。週一回だから、デビューした昨年初めから通算するともう100回以上になる。そのうち月1回はマーケティング・ネタを心がけているので、依頼されて別に書いているウエブ・コラムと合わせると、これも、2年で50本近くこなした勘定だ。テーマが重複しないように意識し、主観的になり過ぎないよう資料の下調べや情報の確認もするので、結果はあんなものだが、けっこう手間がかかる。でも、それによってアタマに良い刺激を受けるから、ボケ防止にはちょうどいいと前向きにとらえている。

今年、自分的に嬉しかったのは、1月に“古稀”という節目に達したことを家族一同が集まって祝ってくれたことと、6月に久しぶりに仕事で(というか勉強で)ニューヨークへの一人旅をして、全然疲労感もなく、“ナーンだ、俺ってまだまだやれるジャン”という気持ちになって帰ってこられたことだ。事実その後は、前にも増して前向きに仕事に取り組もうという意欲が湧いてきた。
ただ、番外だったのは、健康診断の胃部X線検査での結果、精密検査を受ける破目になったこと。詳細は8月6日に報告した通りだが、内視鏡検査と病理検査の両方とも結果がシロと出て、正直のところホッとした。たとえクロであっても、病気は向かって行って治すしかないのだから別に落ち込みもしなかったが、約束・計画していたことの中断によって公私の関係者に迷惑をかけることになるかと、一時はその調整を思いあぐねた。

実は、たまたま同じ時期に、“歌唱付月例懇談会”仲間である早稲田の級友の一人も胃部検診を受け、お互いの様子をメールで知らせたり励まし合ったりしていたが、結果がわかったはずの8月下旬ごろから、プッツリと音信が途絶えた。気になったけれども妙にお節介を焼いてもかえって迷惑かと思い、友人一同、案じながらもソッと見守っていたが、11月中旬に行われたクラス会には“療養中なので今年は欠席するが来年は出たい”という便りを寄せてきたので、一安心していた。
ところが、それから1ヵ月も経たない今月の10日過ぎに、その友の夫人名義で喪中挨拶が送られてきて目を疑った。2日に亡くなったのだという。故人の強い遺志で、友人・知人には誰にも知らせず、ごく近い縁者だけで密葬したそうだ。ゴルフ、テニス、カラオケ、旅行と、仲間の中では最も積極的に退職後の生活を楽しんでいただけに、自分の命運を悟ったときには、さぞ無念だったろう。ツイこの間までは、例会場で快活に歌いまくっていたのに...。今はただ、冥福を祈るしかない。

今年は、1月にも級友が旅立った。それも、本人からの年賀状が届いた数日後だった。昨年の12月から数えると、1年の間に3人の友を失ったことになる。来秋のクラス会まで、もうこれ以上減らないで欲しいと祈るや切。
1~2年前までは、喪中挨拶というと大概、90歳以上の天寿を全うした自分たちの親の世代が多かったが、今年からそれに、兄弟・友人の世代が混じるようになってきた。それも例年になく多い気がする。これから来年の賀状の宛先を確認しようと思うのだが、2度と便りを送ることのなくなった友人・知人のデータを削除するのは、何となく心が痛む。

...と、感傷にばかり耽ってもいられない年の暮れ。たった二人(と一匹)の世帯でも、大晦日までは、けっこう何だかんだ忙しいのだ。で、次の月曜だけはお休みにさせていただき、来年は1月7日に戻って来るつもり。
メリー・クリスマス! そして、どうぞ良いお年を!

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2007年11月26日 (月)

地下街

今年の夏から新たに顧問を引き受けた統合マーケティング・エージェンシーが八丁堀にあり、月に2度ほど顔を出している。最短時間で往復できるということで、これまではもっぱら、田園都市線・半蔵門線を表参道で銀座線に乗り換え、さらに銀座で日比谷線に乗り換えるコースを利用していたが、八丁堀に出るには他にもいくつかのコースがあり、時間のあるときに験してみようとかねがね思っていた(もの好きだが)。
今月から、午後の少し早めの時間に切り上げることができるようになったので、つい先日の仕事の後に、いつもとは違う方角に足を向けてみた。「八重洲通り」を東京駅八重洲口方面へ――多分、いちばん歩行距離が長いと思われるコースだ。

思っていたよりも遠く、またその日はひときわ寒かったので、途中「通り3丁目」交差点のところから、たまらず地下街へ下りた。いわゆる八重洲地下街の東端だ。この辺には、用事があってたまに来ることはあったが、いつもはほとんど駅側からこちらに向かうので、何か景色が違った感じに見えた。しかし同時に、どこか見慣れた感じもしてならなかった。
駅に近づくにつれ、そんな感覚もだんだん薄れて行ったが、やはり何となく気になって、あれはどこの記憶だったかともう一度よく考えてみたら思い出した。今はもうこの世には存在していないニューヨークのワールド・トレードセンター下の、地下鉄コートランド駅で降りてニューアークからの通勤鉄道パストレインのターミナルへ向かう途中の地下街の光景だ。グリーティングカード・ショップがあったり、小さな洋品店があったり、いかにもアメリカっぽいカフェとアジアンなレストランがその間に混在して切れ目なく繋がっている地下の街の通路を、さまざまなタイプやファッションの人々が忙しげに行き交っている様は、在りし日のあの地下街を彷彿とさせていたような気がした。

もっともよく考えてみれば、地下街というものはどこも、大体が地下鉄出口の延長にあり、ターミナル駅に接続し、かつその地上には大きなビル(またはビル街)があると相場が決まっているから、みんな似たような感じになるのは当然で、自分のようにことさら個人的記憶に結び付けて感傷に浸ることもないのかも知れない。そういえば八重洲地下街は、横道に入ると大阪の梅田地下街の雰囲気にもよく似ているし、川崎駅地下街のアゼリアも八重洲に似ているかも知れない。多分、世界のどこかの都市に元祖が誕生して、後発のいろいろな都市がそれに見習っているうちに、そっくりなものになったり、逆に個性的なものが生まれたりしたのだろう。ほんとのところは知らないが...。
理屈は特にないけれど、自分は何となく地下街が好きだ。いろいろな店があって買い物や飲食に便利だからというばかりでなく、明らかにデパートなぞよりはカジュアルで、ブラついているだけでも楽しいのだ。国内ではもちろん、海外へ行ったときにも、大規模な地下ショッピングモールがあったりすると、すぐに飛び込んでしまう。

規模のデカさに驚かされたのがカナダのトロントとモントリオールの地下街。比較ショッピングをしようと思い端から端まで歩き回っていたら草臥れ果ててしまい、その上、目をつけていた店がわからなくなってしまったこともあった。でも、どちらのときも氷点下近くまで気温が下がる季節のことだったから、ホテルからほとんど地上に出ずに歩いて用事をすませることができて助かった。どういう空調の仕組みかはわからぬが、やたらと暖気過剰でもなく、自然な快適さだったのを思い出す。
アメリカでは前記のニューヨークWTCのほか、シカゴやシアトルでも地下に潜ってみたが、こちらは地下“街”というほどの規模ではなく“ショッピング・モール”という印象だった。考えてみると地下街はほかも、モスクワ、北京、ヘルシンキ、ソウルなど、みんな寒いところばかり。ハワイやサンフランシスコやLAなどにないのは、気候のいい土地ではわざわざ地下でショッピングをする必然性がないからなのだろうと、勝手に独り納得。

でもこの日本には地下街がやたらと多く、しかも賑わっている。東京都内の、自分のような出不精者でも出没するところだけでもかなりある。自宅から都心への中継地点にある渋谷、仕事で定期的に通っている新宿をはじめ、新橋・汐留方面にもよく出るし、最近は丸の内もたまに訪れる。プライベートでは、毎年初、川崎大師に詣でるときに、あえて地上を歩かず、地下街を通る(寒いからということもある)。現在のあざみ野の家に越してくる20余年前までは横須賀の方に住んでいたので、横浜駅の地下街は西口も東口も、会社からの帰宅途中にまた休日に家族連れで、どれほど訪れたかわからない。地下街は、古くから自分の生活の一部だったし、今もそうである(とは、ちょっとオーバーか)。
もしもあなたが、新宿の「京王モール」の書店で、歴史書の棚の前で古代史本のタイトルに目を凝らしている様子の、格好だけ若づくりのオジイがいたら、多分それは私だし、澁谷「しぶちか」のパン屋で、トレイに各種の菓子パンを載せ、圧倒的多数の女性群と共に大人しく順番を待つ列に並んでいる、その場に似つかわしくないオジイがいたら、何を隠そう、それも私だ。

ところでその日は、丸の内線で帰ろうと思っていたのだが、その前にチョッと、こちらに出たついでに、最近リニュアル・オープンしたというDAIMARUデパートを視察して行こうかという気を起こしたのが間違いのもとだった。上階へ昇って降りてきたときには、店舗がもとあった場所よりはかなり大手町寄りにズレた位置に変ったことを忘れていた上に、90度ブレた出口から出たらしく、地下道を通って丸の内北口へ出たつもりが、大手町駅の東西線改札口に着いてしまった。ので、こうなったらいっそ直通で行けるから半蔵門線にしようかと、駅員に聞いた通りに構内の地下通路を辿ったが、これまたえらく距離があって時間もかかり、ホトホト疲れてしまった。さすがの地下街のベテランも参りました。

あざみ野~八丁堀の東京駅経由というオプショナル・コースの所要時間を確認するつもりだったのが、結局なんの役にも立たなかったというお粗末!

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2007年11月12日 (月)

犬と私の10の約束

幸か不幸か、仕事柄、広告をあまり素直な目で見ることができない。でも、週刊誌上のさして目立っていたわけでもなかったモノクロ1ページのこの本の広告は、なぜか目に留まった。「犬と私の10の約束」――自然にスッとコピーを読まされてしまい、心に残った。で、近所の書店へ行ってみたら、平台のいちばん目立つところに沢山積んであった。その時すでに評判になっており、よく売れつつあったようだ。
元来、へそ曲がりなところがあるので、いつも、ベストセラーになったものは新刊のうちには飛びつく気になれず、時間が経って文庫版になったところで買っているのだが、この本はなぜか、それまで待とうと思わなかった。直ぐにでも読みたいと思って、買ってきた。家内も、どこかで評判を聞きつけていたらしく、“あゝ、買ってきたの...読んだら私にも見せてね”と言っていた。

あまり詳しい話をしてしまうと、これから読む人には興醒めだろうから、あえて本の内容には言及しないが、タイトルから想像がつくように、犬とその飼い主家族およびその周辺の人々との心の通い合いを、主人公が少女期から大人になって行く様子と重ねて、童話のようにさり気ない語り言葉で綴った一編だ。
一気に読了して、何か心が和んだような、またしみじみとした気分になった、最近では久々に後味の良い読後感の本だったが、家内も同様だったらしく、どちらからともなく“いい本だったね” と短い感想を交わした。犬を可愛がっている人ならきっとそうなると思うが、自分も読んでいて何ヵ所かで、わが家のムッシュのことに思いを馳せ、独り思わず、ウルッとなってしまった。

ムッシュはつい先日、7歳になった。見た目が“動く縫いぐるみ”なので、どうしても子犬のように思えてならず、幼児語で話しかけてしまうが、人間で言えばもう立派な一人前の大人。そのためか、この頃はとみに、こちらの言うことがよくわかるようだ。
ペットとしての基本的なしつけ・日常生活がらみの言葉や「パパ」「ママ」「お兄さん」「お姉さん」「小父さん」「小母さん」「赤ちゃん」「先生」(ペットクリニックの)などは当然だが、「こっち」「あっち」「お庭」「お外」「公園」「グラウンド」「ブーブ」(自動車のこと)などの場所を表わす言葉、「出る」「入る」「行く」「帰る」という行動を表わす言葉、それに固有名詞もわかる。親しい数匹のお友達ワンちゃんの名前はもちろん、驚いたことにはママとよく行くスーパーの名前「丸正」や、散歩のキーポイントになっている直ぐそばの小さなお社「御嶽神社」まで覚えた。ホントである。“丸正まで行くかい”と言って本人(本犬?)にまかせていると間違いなくそちらへ向かうし、“御嶽神社のところで曲がろう”というとチャンとそこで曲がるから驚く。

興味のない方にはどうでもいい話かも知れないが、「犬と...」にある10の約束のうちの一つ「私にたくさん話しかけてください、人のことばは話せないけれどわかっています」は、まったくその通り。ムッシュも人間の言葉を話せたら、どれだけお喋りをしたいかと思う。

愛犬ムッシュ

愛犬ムッシュ
面白いのは、家の中で真の実権をもっているのが誰かをよく知っていること。彼がボスと思っている人に対しては実にロイヤルだが、ボスより立場が弱いと認識している者に対しては、ボスに対してほど言うことを聞かない。 たとえば、自分が在宅していてお天気も良い日には必ず午前と午後に1回ずつ散歩をさせることにしているのだが、その際自分が“ムッシュ、お散歩に行こう”と声をかけても、ママに“行ってらっしゃい”と言われるまでは絶対にパパの方には来ず、“社長、係長がああ言っていますが、どうしましょう?”とでも言いたげに家内の方を見て、その指示を待っている。また、オヤツをあげるときに“お手”をさせようとすると、ママにはキチンと座って片手ずつするのに、自分には腰を浮かし両手で、“それどころじゃあないョ、早くくれョ”という態度をする。実に可笑しくて、何度でも笑ってしまう。

そんな、幾つになっても相変わらずヤンチャなムッシュだが、この頃は“大人になったな”と感心させられることも度々ある。人間の幼児は嫌いじゃないけれども弄くりまわされるのが好きではないので、よその子には、散歩のときなど傍まで近づいて行っては逃げ帰るのが常なのだが、ときどき訪れる長女の娘は家族の一員と認識したらしく、あちこち触られてもジッと我慢して座っており、追いかけられても逃げ回らなくなってきた。 また、パパがドジをしてママに注意を受けているときなどは、二人の間に割って入って心配そうに両方の顔を交互に見上げ、何とかその場をとりなそうとする。そしてその後パパが自分の部屋に戻ると、トコトコ一緒についてきて、無言で足元に身体を寄せてくる。そんなときは何とも愛しくて、小さな声で“有難うョ”と囁きかけ、やはりあの本にあった、「私にも心があることを忘れないでください」という約束を思い浮かべる。

「私を信じてください、それだけで私は幸せです」という約束も、実感として胸を打つ。この家に来たばかりの頃と違ってすっかり落ち着き、傍らに座って自分たちを信じきった円らな目で見上げるムッシュを見ていると、その幸せをいつまでも続けさせてやりたいとつくづく思う。

今回は、身内ネタのペット談義で失礼をばいたしました。

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2007年10月15日 (月)

食欲の秋というが...

つい2週間前まで、あんなに暑い暑いと言っていたのに、一気に涼しく...というより夜間などは寒くさえなってきた。考えてみればもう10月も半ばなのだから、これで当たり前なのかも知れない。いつの間にか、庭の虫の声も聞こえなくなったが、蚊だけは未だにしぶとく生き残っていて、チョッと外へ出たとたんにわんわんとまとわりついてくる。ムッシュのように全身毛皮を着ていれば、家の中に入る前にプルプルするだけでほとんど振り払うことができるが、人間様の場合には手で払ったつもりでも、背中かどこかにへばりついてくるらしく、耳の後ろあたりでプ~ンと音がし、気がつくと刺されている。痒くてたまらないし、そのしつこさにはほんとに腹が立つ。もう、紛れもない秋なのだから、いい加減に退散して欲しい!

ともあれ、天は高くなり食欲もいや増すと言われる季節。だが、前にも書いたように自分はこの頃、意識して大食いをしないように気をつけており、そう宣言し、実行するようになってからもう3ヶ月経つ。けれども、協力してくれている家内は今もって、亭主の大食い時代の記憶がトラウマになっているのか、好物のメユーの時にはツイ多めにつくって出してくれるので、こちらも思わず全部それを平らげそうになる。“折角出してくれたのに残したら失礼だろう”という心理なのだが、どうやらそこまで気を遣わなくともいいらしいことが最近やっとわかったので、今では無理をしていない。
結果、胃腸の調子はすこぶる良い。以前は、好きなもの美味しいものだとトコトン食べ尽くし、後で胃腸薬のお世話になるということもしばしばだったが、ここのところ、そんな馬鹿げたことはしなくなった。

例の胃部検診の結果ドクターから受けたアドバイスを素直に守って、少しずつ、ゆっくりと、よく噛んで食事をするのが習慣になったのも、いい結果に結びついているようだ。そうすると確かに、より少ない食事量で満腹するようになる。
したがって今度は、最初から、出してもらう食事の量を少なめにすることになる。たとえば以前は、家内と二人で一回1パックの納豆を(家内はほんの一口しか食べないからほとんどは自分が)食べていたが、今は二人で半パックで十分間に合っており、一体それまで何でそんなに食べていたのかと、我ながら不思議に思う。

別段、減量をしようと思って食べ方改善を始めたわけでなく、ただ年相応に胃腸を労わろうと思って一念発起しただけだったが、思わぬダイエット効果が出て、体重にして3キロ、腹囲にして3センチは減少した。そんなことまで期待していなかったので、かえって心配してしまったが、そこで下げ止まりしているから、大丈夫なのだろう。
お蔭で、この数年(フルタイムで通勤しなくなってから)腹部に少しお肉がついて穿けなくなりクローゼットで眠らせていたノータックで細身のパンツが、すべて穿けるようになった。中年の一時期を除いて、もともとそれほど太っていたわけではなく、近年もいわゆるメタボまでは行っていなかったが、好みのスタイルでしかもサイズの合うパンツを探すのに苦労していたところだったので、これは有難かった。が、気がついてみるとすっかり、独り者の頃の痩せっポッチの体型に戻ってしまい、今度はもう少し筋肉をつけなければなどと考え込んでいる。いい歳なのだから、もうどちらでも良いようなものなのだが。

そんなところに、先日のテレビ番組で、“レコーディング・ダイエット”なるタイトルが目に入った。毎日毎回の食事の内容を欠かさず記録し続けることで1年間に50キロの減量に成功し、「いつまでもデブと思うな」というベストセラー本まで出した人の話だったが、そこでピンと来るものがあった。それなら自分もやっている...さては、食べ方改善もさることながら、それが減量に利いたのか!と。
実は、かれこれもう1年以上、自分もまったく同じことをしている。ただし自分の場合は、記憶力チェック、ボケ防止のために始めたことだった。チョッと前に“一昨日の晩ご飯覚えていますか?”というCMが話題になったことがあったが、アレである。そして、始めてみて愕然とした。一昨日どころか昨日ですら、主菜は何とか思い出せても、副菜や味噌汁の中身の記憶はあやふやで、記録チェック係の家内の助けも借りる有様。最初の頃のあまりの正解率の低さに、自分でもこれはマズいと思い、意識して食べ、考え考え記録するようになり、最近やっと、正解率が高くなってきた。

自分の場合には、栄養管理士が傍にいるようなものだから、最初からある程度コントロールが利いているわけだが、何も考えず漫然と出されたものを食べているだけでなく、それを記録しながら振り返ることで、コントロールの利き方はさらに増してくるようだ。意識して食生活を自己管理しろと言われてもなかなかできるものではないが、単純に食事記録をとっているだけでも、確かに、自分の食事の量とバランス、バラエティがよくわかるようになり、知らず知らずのうちに自己管理の方向に向かうようになる。
これは、より卑近なことにたとえれば、金使いのコントロールのために小遣い帖をつけるようなものだろうし、大げさなたとえ方をすれば企業の経営管理のようなもので、要はマネジメント意識の問題と見たが、マア、そんな理屈はつけなくとも、そばに食事をコントロールしてくれる人のいない外食中心の独身男性などは、実行してみた方がいい。別にダイエットの必要はなくとも、健康維持のために。
自分の身近にも、それを勧めたい人物が約2名ほどいるが、本人たちはわかるかな?

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2007年9月17日 (月)

優しい時間

愛犬ムッシュ 10日ほど前、購読しているA新聞の別刷版に映画俳優・監督の奥田瑛二が書いていた愛犬との話を読んで、ウルッときた。故あって遠く離れた訓練所に預け、2年間別れて暮らさなければならなかったが、再会したときは遠くから全速力で駆けてきて、10メートルも跳んだかと思うほどの大ジャンプで抱きついてきて感動した、犬も涙を流すのを初めて見た、という話だった。
わが家の愛犬ムッシュも、度々ここで書いているように2年半前愛犬ムッシュ にわが家に来て、今でこそすっかり我が家に馴染み、なくてはならない家族の一員になってくれたが、それでも、生まれてから4年近くを過ごした最初の家と人の記憶は、あの小さな頭の中にしっかりと刻み込まれているに違いない。散歩の途中などで、前の飼い主に似ているらしい母娘(次男から話を聞いているだけで直接会ったことはない)を見かけると、ふと立ち止まって、遠くを見る瞳になる。それを見ているとこちらも、今の暮らしを幸せと思ってくれているのだろうかと何だか切なくなるし、たまに粗相をしてしまったときに妙に悲しそうな醒めた表情になるのを見ると、やはりまだ気を遣っているのだろうかと可哀そうになる。

でもこの頃は、そんなことを気にしなくてもいいくらい、すっかり気持ちが通じ合い、お互いの間に信頼関係ができたようにも思う。ムッシュは人間の言葉こそしゃべらないが、こちらの言っていることはまずほとんど理解しているし、最近は自分の方も、彼の言いたいことがかなりわかるようになってきた。啼き声や仕草や、家内や自分に向かって示す態度によって、何となく判断できるのだ。
日中、家内が買い物に出かけるときなど、以前だと、淋しがって大変な騒ぎになるので、そっと勝手口から音を立てぬように出入りしたものだったが、今では、“ママはお買い物だから、ムッシュはパパとお留守番してようネー”というと、それをチャンと理解して、家内が玄関から出て行くのを、騒がずに見送るようになった。

そしてその後も、“ママはもうちょっとしたら帰ってくるから、パパのお部屋で遊んでいなさい。”と言うと、1時間でも2時間でも、自分の仕事椅子の真後ろに座り込んで、大人しく家内の帰りを待っている。お蔭でこの頃は、ムッシュの面倒見で度々仕事を中断しなくて済むようになった。また、一緒に車に乗って、パパとママの用事で銀行や車のディーラーなどへ出かけたときにも、車中はもちろん、そこの人と相談や打ち合わせをしている間中かなり長時間でも、話が終るまでジッと大人しく待っていて、“ほんとによくできたワンちゃんですね”と感心される。事前によく言って聞かせていると、チャンとそれがわかって、言いつけを守れるようになったのだ。
ムッシュは、この子は生来無口なのかと思うくらい、家では無駄吠えを一切しないし、外でも、人にも犬にも吠えたのを聞いたことがない。だから啼くときはだいたい理由が決まっていて、まだ飼育歴の浅い自分たちにも、その意味がわかるようになってきた。

夜はふつう、夕食の1時間後、午後7時過ぎにはハウス(ケージ)で就寝の体勢に入るのだが、犬とういう動物の天性か、全員が寝静まる夜半までは熟睡していないらしく、その分朝寝坊だ。最初のころと違って最近は、夜中には滅多に声を出さなくなったが、時たま寝ぼけて“ェン、ェン”と泣いたり、外で物音がしたりすると小さな身体に似合わぬ太い声で“ゥワン、ゥワン”と叫んだりすることはある。でも、“大丈夫だよ”と一声かけてやると、直ぐに啼き止み、朝は早くて8時半、遅い時には9時過ぎまで寝ている。きっとパパとママを信頼して、安心しきっているのだろう。
目が覚めると、(ボク、起きた!)とでも言うように、短く小声で“ヮン!”と言って知らせるので、“オハヨー、オハヨー”と言いながらケージの出入り口を開けてやると、自分にはほんの挨拶程度だけじゃれて、脱兎のごとくキッチンにいる家内の足元へ飛んで行き、そこでひっくり返って転げまわる。毎日のことだが、最大限の嬉しさの表現らしい。

感心するのは、ケージの中でグッスリ昼寝しているようなときでも、お腹の中にタイマーがセットされているのかと思うくらい、食事時間には厳しいこと。正午12時、午後6時を10分と過ぎないうちに、結構大きな声で“ワッ!! ワッ!!”(腹減ったー)と吠える。待たせていると、怒って(?)何度も吠えて催促するので、そんなときは“わかった、わかった”となだめながら餌を盛り付けていると、その足元で尻尾を振りながら待っている。
ただ、タップリと散歩をした上にお腹もスッキリした後の夕食は、ちょっと早めに、定刻の20分~30分前から催促が始まる。特に、家の中にパパだけしか居ないときにはわがまま  が出るようだ。“ちょっと待ってなさい!”と言うのだが、どれぐらいのチョッとなのかはわかるはずもないので啼き止まない。そこで一計を案じた。
デスクに置いてある目覚まし時計をムッシュの眼前に差し出して、“この針が、ここまで来たらご飯にしてあげるからね。それまで待ってるんだよ。”と、時計の文字盤と針を指差しながらよく言って聞かせ、その時計を彼の目の前に置いたままにしたら、右に左に盛んに首を傾げ、目をクルクルさせていたが、何と、効き目があってちゃんと待てた。ただ、一回だけでは本当にわかったかどうか疑問だったので、その後も何回か試してみたが、今のところ結構効いているような気がする。

ムッシュのことでは、他人から見れば他愛もない話が山ほどあり、書き出したらキリがないのでこの辺にしておくが、彼のお蔭でわが家には、今日も優しい時間が流れている。

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2007年9月 3日 (月)

往く夏

9月に入った、やっと...と言いたくなるくらい、8月は長かった。毎日のように真夏日が続いたせいで、特にそう感じたのかも知れない。でも、根が単純な自分には、カレンダーが一枚めくれて月が替わっただけで、何か秋に一歩近づいたように思え、気分もチョッピリ切り替わった。
実際のところも、この数日は、8月中とくらべると気温がかなり低めに推移してきたこともあり、気分だけではなく、はや初秋と言えないこともない。ムッシュと散歩するときの鼻歌も、「サマータイム」から「セプテンバー・ソング」に自動スイッチした。頭の中には、さっきからサラ・ヴォーンの物憂げな唄が流れているが、自分ももう、人生のセプテンバーをとうに過ぎたなと感じて、ちょっとしみじみ。

それにしても今年の夏(と総括するのはまだ早いかも知れないが)は、例年とは異なることがいろいろあった。まずは、蝉の大発生。昨年までは、時たま庭のモクレンやカリンなどの高木にへばりついた一匹が、一日中延々と鳴いてはどこかへ飛び去って行ったものだったが、今年は、一本の木に何匹も、それも高木だけでなくアジサイやツツジのような低木にまでへばりつき、人が庭に出るとジジジジッと羽音を立てて飛び出してきては、身体に当たったり、その拍子にフェンスや家の外壁・窓にもぶっつかったりして、挙句の果てに地面に落っこちることがしばしばだった。そんな、仰向けにひっくり返った蝉の残骸が、自分の家の庭にも道端にもやたらと転がっている。
晩秋でもないのに、葉が茶色になって枯れ落ちる立木も。鉢植えの草花はもちろんだ。ちょっと水遣りをサボるとたちまち葉も茎も萎びてしまう。あまりにも暑くて外に出るのが億劫なので、庭の水遣りをロクにしなかったら、これは怪我の功名(というほどのことでもないが)か、芝生の雑草が伸びないので助かっている。

庭の柚子

庭のブルーベリー

いいこともある。2本ある庭のブルーベリーが、やたらと実をつけたこと。何度も摘んだのだが、未だに生っている。お蔭で今年はタップリと、美味しいブルーベリー・ジャムができた。と言っても自分ではなく家内が作ったのだが。芝生はサボったが、果実の生るブルーベリーと柚子にだけは水を遣っていたのが良かったらしい。
いつもだと、どうしても2~3個しか実をつけず、正月のおせち料理とお雑煮用に使ってしまうと終わりだった柚子も、今年は10個以上生っている。今はまだ青いが、少しずつふくらみを増し、十分実用に耐える大きさになりつつあるので、黄色くなる初冬が楽しみだ。

自分のことで言えば、今夏は例年に増して寝苦しい夜が多かった。こう見えて気温には敏感なので(単に暑がりで寒がりという説もある)、エアコンを点けて寝ていると直ぐに体が冷えて夜中に何度もトイレに行きたくなるし、かといって点けないでいると直ぐにじっとりと汗ばんできて夜が明けないうちに目が覚めてしまう。結局、そんなことの繰り返しでいつも寝不足気味だったが、それでも夏バテもせず、毎日けっこう忙しく仕事もこなして過ごしてきた。それというのも、過日の胃部検診以来の改心した食生活と、それを支えてくれている家内のメニューのお蔭と思う。
これまでだと、夏はなぜか食欲が増すため、好きなものをツイ腹一杯食べて、元気も出るがお腹も出るという状態だった。それが、食事の量と摂食態度(腹八分目でよく噛みゆっくりと)に気をつけるよう心がけてきたら、確かにそれなりの効果があって、前とくらべると、食後の膨満感はなくなったし、腹囲がベルト穴一つ分減り、体重も2キロ近く落ちた。もっとも、もともとそんなに太っていたわけではないので、これ以上痩せると逆に心配になってしまうが。

そんな中の8月も終る頃、珍しく午前中だけの用事で都内まで出かけ、午後がタップリと空いていたので、帰りの道すがら久しぶりに玉川T屋百貨店に寄ってみた。ここの4階のメンズ売り場は、いつか書いた渋谷のT百貨店本店と同様に、自分の好みに合うウェアを見つけることができるので、ときどきチェックすることにしている。
両店とも、気に入って買い物をするのは、別にその店だけにある特別なブランドというわけではなく、他の店にもあるブランドなのだが、品数・種類だけではなくて、何というか、品揃えの感覚のようなものが違うのだ。仕入れ担当者の感性の問題なのだろうか。だから気に入ったときには、ツイ、あれもこれもと、まとめ買いしてしまうことがある。

その日は特に何かを探していたわけではなかったので、フロアをあちこちブラつくだけに終始したが、その時点ではまだ8月だったというのに、どのブランドもコーナーも、すでに秋物一色。そうだった、こういう流行り物の商売は、季節を一歩も二歩も先取りしなければならなかったのだっけと、そのあたりのことに自分も敏感だった昔を思い出した。
この店では、奥さま同伴で“これにしなさいョ”と指図されつつ買い物をしているような小父さま方はあまり見かけず、夏の暑い日でもジャケットなどを羽織って独り悠々と品定めをしているお洒落なシニアが多いが、きっと、そういう方々に需要があるのだろう。

と、デパートには一足先に、そして自分の中にもそっと、秋は来たが、今年の異常な暑さがこれで影を潜めるわけではあるまい。きっともう1~2度、残暑はぶり返すにちがいない。

そろそろと夏は往きつつあるが、本格的な秋には、もう少し間がありそうだ。

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2007年8月 6日 (月)

健診顛末記

この10年来、毎年定期的に、いわゆる“半日人間ドック”(簡易総合健康診断)を受けている。また、家内のサポートもあって、食事にも気をつけてきたつもりだった。だから、ときに貧血気味とか加齢による視力低下などを指摘されることはあっても、ほとんどの検査項目が“特に心配はありません”ということで、“要精密検査”などと言われたことは一度もなく、自分でも年齢の割にはまあまあ健康で、さしたる問題はないものと思って過ごしてきた。

ところが先々月(6月)末、前々から予約をしていたので、ニューヨークから帰ってきたばかりではあったが最寄りの総合病院で健診を受けたら、2週間後に担当医から直接電話がかかってきた。何事かと思って話を聞くと、X線撮影(例のバリュームを飲んでグルグルまわされるヤツ)の結果での所見では、“胃内壁に異常を認める”とのこと。
それだけでは結論的にどうこうとは言えないが、実態精査のため、内視鏡(いわゆる胃カメラ)による検査と該当部分の組織摘出による病理診断を受けることをお薦めするという。昨年夏と今年の夏前、同年輩の友人が同じような所見で手術を受けているし、自分の血縁者にもその類いの病気で亡くなった者がいるので、自分もこの歳になれば何かあってもおかしくはないと、特に驚きもしなかったが、ともあれ、疑いがあるのなら早く結論を聞いて、必要な手を打つしかないだろうと、早速、内視鏡検査の申し込みをした。

実は胃カメラは、仕事でのストレスの真っただ中にあって心身を酷使していた時代、25年くらい前と20年前に、それぞれ一度ずつ呑んだことがあったが、そのときは正直言って、こんな苦しいものは二度と呑みたくないと思った。でもそんなことを言っている場合ではないので、その時点から可能な一番早い日時を予約、10日後ということになった。
“苦しいかもしれないが仕方がない”と観念していたが、今は鎮静剤を注射して無痛のうちにできるというので、ぜひそれをとお願いした。当日は午前9時半に検査室へ入室、胃の中のガスを抜くということで小さなカップ一杯の液を飲み干すように言われ、その後すぐに鎮静剤の静脈注射、ベッドに横になったところまでは覚えているが、そこから先は記憶が途切れている。“中澤サーン”と看護士に呼ばれて目を覚ましたのが何と11時。1時間半も眠ったきりだったようで、もちろん胃の中に内視鏡が出入りしたことや組織を摘出したことなど、トンと意識がない。これなら“胃カメラ恐るるに足らず”、“胃療技術も進歩したもんだ”と感心した。ここからの担当は“消化器外科”になる。

結果は1週間あまり後にわかるという。ともかく悪いところがあればそれを、きれいサッパリと取り除いてもらって、一日も早く日常のペースに復帰したいし、ここであれこれ思い煩ってもしょうがないと、それまでの間はいつも通り仕事をし、人に会った。
ただ、仕事がらみで、また個人的に、このブログをはじめ予定している先々までのことがあるので、外科医の話をもとに心中ではいくつかのケース(①内視鏡手術で1~2週間のオフ、②腹腔手術で2~3週間のオフ、③開腹手術で3週間~1ヵ月のオフ、など)を想定し、そうなった場合には今からでもケースに応じた手を打っておく必要があると考え、ごく近しい関係者だけに見通しを知らせておいた。

いよいよ結果通告の日がきた。こんなことは初めてなのでさすがに家内は心配し、一緒に医師の話を聞きたいと病院に同行してきたが、本人は至って暢気。たとえ手術になってもおそらくは軽く済むはずだし、もしかしたら、“調べた結果、悪性のものではありませんでした”と言われるかも知れないと、何の根拠もないのに勝手にそう信じていた。
待つこと約30分。順番が来て呼び出され、診察室に入ると早速、内視鏡で撮影した数点の写真を見せられながら、医師からの話があった。

“なかなか立派な胃をお持ちで...”(褒められているのかナ...)、“此処と此処に扁平隆起があり、糜爛しているところも認められます”(ウーン、やはり只では済まないのか...)、“2ヵ所の組織を摘出して病理検査というものをいたしましたが...”(それはわかっているから、早く結果を言って欲しい!)、“ガンとかポリープの心配はありませんのでご安心ください”。(楽観はしていたが、医師からそう言われるとやはり嬉しい)
家内の表情にもやっと安堵の色が浮かんだ。で、いろいろ補足説明や指導があるのかと思って、そのまま医師の顔を見つめていたら、“ハイ、以上です”で終わり。(問題ない人には、そんなに長く付き合っていられないらしい)でも、あまりにアッサリし過ぎていて物足りない気がして、こちらから質問した――“この症状は結局何なのか?今後の食事や日常生活の送り方は?特に何か気をつけるべき点は?”等々。
すると、この状態は「慢性胃炎」で、今まで通りの食事・生活で構わない。ただ、年一回の内視鏡検診を欠かさぬように――ということだった。

肩の荷がいっぺんに軽くなった気はしたが、今回の経験を健康管理のいいクスリにしなければとも思った。自分は若い頃から、好物だとつい量を過ごして食べてしまう傾向があったが、それ以来(といってもまだ数日だが)隠忍自重している。
前に知らせていた関係者にも早速報告すると、みんな喜んでくれた。有難いことだ。

いよいよ本格的な猛暑。折角お墨付きをもらったのだからしっかり自己管理しなければ...。

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2007年7月23日 (月)

食品メーカーの体質

中国の“ダンボール入り肉まん”事件は論外だが、日本国内でも、さかのぼれば「雪印」、ついこの間は「不二家」、そして最近の「ミートホープ」と、人の健康・生命に関わる業種なのに、食品関連企業での不祥事が多過ぎる。マスコミの話題になっているのは数社だが、あえて“多過ぎる”と言っているのは、こういった事件で明るみに出るのは恐らく氷山の一角に過ぎないと思えるからだ。
もちろん、良心的なメーカーも多いとは思うが、この業種の企業体質の深いところに、何か消費者の理解できない“業界常識”が沁み込んでいるのではないかと勘ぐりたくなる。

引き合いに出すのはもしかしたらお門違いかも知れないけれど、つい最近、自分の身辺でも、食品(具体的には洋菓子)の購入に関して、チョッと引っかかることがあった。
翌日の午前中に来客があるという日の晩(7時40分ごろ)、家内が近所のT百貨店の食品売り場で、「M」という洋菓子メーカー(神戸に本社がありロシア風の社名)の売り場で、ショウケースに並べられていたレア・チーズケーキ(ホール)を購入した。素人考えかも知れないが、買ってから丸一日ぐらいは保つだろうと思ってのことだ。で、支払を済ませ、包装された商品を受け取ろうとすると、“今晩中にお召し上がり下さい”と言われたそうな。
今晩中って言われたってあと4時間くらいしかないし、その時間内では自分たち古稀の夫婦がどう頑張っても食べきれない。明日の午前中ぐらいは大丈夫だろうと思ってそう家内が問い返すと、“イエ、今晩中です”とダメを出されたという。

代金は既に支払って品物は受け取ってしまったし、“あと4時間のうちに食べなければならないのだったら要らない”とも今更言えないと、家内は、その場は一たん引き下がったが、どうも釈然としなかったらしく、帰宅してからその売り場に電話をして、なぜ先に(これを下さいと言ったときに)、“賞味期限は本日中(すなわちあと4時間)ですがよろしいですか?”と言ってくれなかったのか、また、どうして賞味期限まであと4時間しかないものを何の表示もせずに売っているのか?という意味のことを申し立てていた。
自分も傍らでそのやりとりを聞いていて、“今晩中に食べ切らなければならないものだったら、それと知らずに夜の8時近くに買おうとしたお客さんには、先に言ってくれるのが店の親切というものじゃあないのか?”と思っていた。

しかし相手(販売員)は、品物を渡すときに(賞味期限を)言うのが、そしてそれをあえて事前表示しないのも、会社の方針であり、特にそのことに問題があるとは思わないと言うばかりで埒が明かず、やりとりが感情的になってきたので、自分が代って電話に出た。
だが、話は結局同じことの繰り返しで、販売員は定められた会社の方針に従っているだけということがわかってきたので、その方針の拠りどころについて責任者の話しを聞きたいと思い、電話を要請した。間もなくM社の「東京支店」営業部長と名乗る人物から電話がかかってきたので考え方を聞くと、要するに、タイミングはどうあれ“今晩中にお召し上がり下さい”と断ることで食品メーカーとしての説明責任は果たしており、それ以上のことは考えられないということだった。

そこで、「C鮨」(首都圏一円の百貨店・スーパー・ショッピングモールのインストア店、繁華街・盛り場のロードサイド店などを手広く展開しているテークアウト寿司チェーン)では、すべての寿司のパッケージに貼ってある価格シールに、製造日(当日)と時刻(1日2~3回転するようだ)とそれに伴う賞味期限(時刻)が記載してあり、期限が4~5時間以内になるとその分は値引きをしているし、「Hフルーツ」(同じT百貨店内に販売店がある青果・和洋菓子チェーン)では、当日製造のフルーツケーキを、閉店1時間前くらいになるとやはり、売り切りのために価格サービスをする。どちらの場合も客はそれを事前確認して、納得の上で購入しているが、そちらではそういうことを考えないのかと、消費者としての素朴な質問をしてみた。だが意見が噛みあわず、結局それはできないという結論。

この一連の会話でわかったことが一つあった。この会社のレア・チーズケーキは、前日製造したものを当日の朝店頭へ配送しているということ。それなら尚更、注文を受けて、品物を包装し、代金を受け取り、引き渡してからではなくて、事前に、賞味期限を表示しておくか、口頭で断るかしなければならないのではないか?あるいは、製造・配送も前日だけでなく当日も、何度も小まめに行うべきではないのか?そう疑問を提したら、その東京支店営業部長は“ご意見は承っておきます”という答えで、基本ポリシーは譲らなかった。
これは、食品メーカーに限らず自社の製品に自信を持ち過ぎているトップ・メーカーによくある顧客対応で、消費者ではなく自分たちの立場からしか物事を考えられず、自分たちの基準で決めたルールが絶対に正しいと思い込んで(あるいはそう信じさせられて)いることがよくわかり、販売業・サービス業などの場合の顧客対応とくらべて違和感を禁じ得ず、これだから時に取り返しのつかないところまで行ってしまうのかなという気がした。

なお、仕事上の参考にもなるので、この件についての会社としての公式見解を文書のかたちで欲しいと要求したら、2~3日後に、同社の「お客さまサービスセンター」室長の名義で手紙が届いたが、内容は東京支店営業部長との対話とほとんど同じ。問題を店頭販売員の“説明不行き届き”というところに結論づけ、“今後は「お早めにお召し上がり下さい」というご案内を確実にお伝えするように努める所存”と結んでいた。が、“事前に伝えるようにする”とは一言もなく、東京支店営業部長に対して提示した自分の意見は、型どおり、“今後の参考に”という受け止め方をされただけだった。

この会社のホームページに記載されている社長の言葉を見ると、“すべてはお客様の笑顔のために”というスローガンを掲げ、“顧客満足活動の強化”を高らかに謳っているが、あれからしばらく経った今も、店のショーケースには何の変化もない。

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2007年6月25日 (月)

ニューヨークから帰ってとりあえず報告

行ったと思ったらもう帰ってきてしまった。歳をとると時差ボケからの回復が遅くなって、一晩グッスリ寝てもまだ時々フッと引き込まれるようになるが、体調全般としてはすこぶる気分爽快で、疲れてもいない。
半 日時差のあるよその国へ行ってきたわけではあるけれど、日常の連続だったような気がして、何の違和感もなかった。行く前は久しぶりと意識してあれこれ思い を巡らしていたのだが、現地に着いてみるとさして特別な感懐も湧かず、帰るまでズッとそのままだった。まあニューヨークという街は、自分にとって馴染みす ぎるほど馴染んできた街であるから、自然に溶け込んでしまったのかも知れない。

今回は、毎日早朝から遅い午後まで目一杯、コンベンション・センターに詰めっきりで、自由にしていられる時間は夕方以降くらいしかなかったので、と てもショウや美術館などに足を運ぶ余裕はなく、ごく限られた地域内でしか動けなかったのだが、それでも折角だからと地下鉄と自分の足を使って、いまの ニューヨークを歩き回ってきた。

ペンシルバニア・ホテル今回泊ったところは、これまでなぜかあまり縁のなかったヘラルド・スクエアと通称さる地域にある「ペンシルバニア・ホテル」。グレンミラーのヒット 曲に電話番号が出てくるぐらいの古いホテルで、大きくて交通の便は良いが、とかくの評判を聞かなかったわけではないので居心地を懸念していたが、まずまず 基本的なことでの問題はなかった。予算の関係とコンファレンス会場(ジャビット・センター)への地理的利便性からここにしたのだが、結果はオーライという ところ。
マンハッタンの巨大ターミナルの一つ「ペン・ステーション」と、その上に建つスポーツ・イベントなどでよく知られている「マディソン・ス クエア・ガーデン」(自分たち世代にはスポーツ・バッグのロゴでも懐かしいが)の真向かいにあたり、すぐそばに「エンパイアステート・ビル」や「メーシー ズ」百貨店があるといえば、何となく想像がつくだろうかエンパイアステート・ビル

この辺りは、ミッドタウンには違いないが、通りの雰囲気や歩行者のタイプは、明らかに“アッパー...”と呼ばれるロックフェラーセンターあたりか らセントラル・パークまでの一帯のそれらとは異なり、“雑多”で“大衆的”。ミッドタウンとダウンタウンのいろいろなエリアがミックスされたようなところ なのだが、だからと言って、チャイナタウンに代表される安くて美味しい食事ができる店がそこいら中にあるわけでもないので、晩飯の場所を見つけるのが難し かった。
アメリカン・フードは決して嫌いな方ではなく、むしろベーグルとクリームチーズやパストラミ・サンドなどは大好きなのだが、それでもこれ が朝・昼と2食続くと、量と味覚の点で、どうしても一日一回くらいは和食が欲しくなる。で、結局2度ほど、食べ慣れた和食の店が何軒もあるアッパーの方へ わざわざ地下鉄に乗って出かけた。

着いた晩は近所のアジア系デリで、プラスティック・カップ入り超薄味の怪しい“シーフードうどん”なるもので間に合わせ、帰国の前の晩は帰り支度に 忙しかったのでメーシーズのデパ地下でテイクアウトした寿司ボックスをホテルの部屋で食べたが、二日目は55丁目のラーメン屋まで足を運び、三日目は偶然 会場で知り合った日本からの参加者の方(業界ではけっこう名前の売れているダイレクトマーケティング・エージェンシー)に、初対面にもかかわらず49丁目 の日本料理店で、厚かましくもご馳走になってしまった。
そんなわけで、足を運んだついでに、家内と行くときには定宿にしているホテルのあるその近 辺を南北に7~8ブロック、東西に2~3ブロックほど歩き回ってみたが、店や人通りも相変わらずだったような気がした。ただ、ヘラルド・スクエア周辺と 違って自分が隅から隅までよくわかっているだけに、歩いていてより気楽ではあった。

ソーホーソーホーには、家内と行くたびに必ず立ち寄る「ディーン&デルーカ」という食料品とキッチンウエアの店がある(日本でも最近あちこちに出店してい る)ので、コンファレンス最終日の午後に、この店オリジナルのチョコレートを仕入れに、やはり地下鉄で向かった。プリンス・ストリートという駅で降りる と、階段を上がった目の前にその店はある。ついでに道を挟んだ隣の「AX(アルマーニ・エクスチェンジ)」も覘いてみた。ここでは必ず、自分や家族の気に 入るカジュアル・ウエアが何かしら見つかるからだ。
また外へ出て、メイン・ストリートのブロードウエイをブラブラしてみたら、変らないニューヨー クの中でも、ここでははっきりとした変化に気付かされた。この一帯は有名ブランドが出店しては撤退するファッション激戦区なのだが、バナナ・リパブリック とリーバイスに挟まれて日本のユニクロが出店していた。中に入るとなかなかのインテリアの大型店で、けっこう客も入っていた。成功すると良いのだが、商品 次第だろう。

しばらく来なかったうちに、ソーホーはえらく観光地化してしまったような気もする。数年前までは、5番街などとは違ってセンスはあるが構えていない 感じの、あまり混み合っていない店に寄って気楽に買い物ができたのだが、今は路上も店も観光客らしい人たちで一杯。以前にはなかったのだがブロードウエイ に面した2~3の街角には、その人込みを眺めながら食事やお茶をするカフェもできた。何だか、パリやローマの盛り場に似てきたような気がしてソーホーらし さが少しなくなったのが気になるが、余計な詮索か。
観光客目当てのドリンク類を売る屋台も沢山出ていて、この日の午後は急に暑くなったので自分も 他の歩行者と同じように、水分補給のためのミネラルウォーターのボトルを買って、歩きながら直か飲みした。そういえば、ニューヨークが暑かったのはこの日 のこの時間くらいで、あとは(自分にとっては)長袖のシャツが丁度いい気温だった。コンファレンスの会場やホテルはそれにジャケットを重ねても寒いくらい で、どうして米国人はこんなにギンギンに冷房を利かすのだろう、食い物や皮下脂肪の厚みが違うから体温が高いのだろうかなどと、どうでもいいことまで考え てしまった。もっとも、日本人の若い参加者の方に聞いても平気だというから、どうやら自分が寒がりなだけのようだ。

今回はとり止めもないことの報告で終始してしまったが、コンファレンスそのものについては次回に報告し、そのあともう1回だけ、ここで書ききれなかったニューヨーク・ネタを書かせてもらうことにする。

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2007年6月11日 (月)

愛犬ムッシュとの日々

このブログにもときどき登場しているわが家の愛犬ムッシュ。ヨークシャー・テリア(通称ヨーキー)のオスで6歳半になるが、体重3キロに満たない極小犬で愛くるしい顔をしているので、初めて会った人にはまずほとんど子犬と間違えられてしまう。
次男が、事情あって手放さざるを得なくなった前の飼い主の方から貰い受け、家内へのバースデー・プレゼントとして突然わが家に連れて来たのが2年前の年の3月だったが、それまで生きたペットなど飼ったことがなかった(ロボット犬のアイボはいたが)ので、当初はどう扱ったらいいものかもわからず大いに戸惑った。

籐で編んだベッドに小さな敷布団と掛布団と枕、移動用のキャリング・バッグ、使い慣れた毛布とタオルと座布団に玩具一式、それに当座用の食べ馴れたドッグフードまで持たせてもらい、名残りを惜しまれつつ送り出されてきたようだが、本人(本犬?)としては、ある晩いきなり見ず知らずの家に連れて来られて、さぞ心細かったに違いない。当初は自分の居場所も頼るべき人もわからず、可哀そうにブルブル震えてばかりいた。
でもあれから2年以上たった今ではもう、ムッシュはすっかりわが家での生活に溶け込み、かけがえのない家族の一員になった。

来たばかりの頃は、新しい環境になかなか馴染めず一晩中啼き叫び、こちらもそれに悩まされて頭が痛かったが、試行錯誤の末に彼自身の居場所を決めて(ケージを設けて)やってからはやっと安心したらしく、外出や旅行などこちらの都合で時間を変えない限りほぼ規則正しく、晩には7時に就寝して朝は8時に目を覚ます。夜中も、何か理由のあるとき以外は決して吠えないのでこちらも安眠できている。
食事はパパ・ママ(自分と家内のこと)と同じ時間に、1日三食。だが、最初はよくわからなかったもので3回とも同じ量をあげていたらコロコロに太ってきて、かかりつけのペットクリニックの先生から“あげすぎですよ”と注意された。

だから現在は、朝はほんのスナック程度。アニマル・ビスケット3~4枚に低脂肪ミルクを20~30ccくらいで、それにパパ・ママが食べるフルーツのお相伴にあずかる。柑橘類はいけないと聞いているので決してやらないが、リンゴ、バナナが大好物。レタスやキャベツなどの野菜も好きだ。犬がこんなに青果物好きとは、ついぞ知らなかった。
それからムッシュは、卵料理、魚料理、パスタ類にも目がない。朝・昼・晩に限らず、これらのおかずが食卓に載ると――というよりもママが調理している最中から――足もとにからまって、声をあげてせがむ。匂いがたまらないらしいのだが、魚をねだる時などはママに“アンタは猫か?”と突っ込まれている。

ヨーキーは陽気(なんとベタな駄洒落!)で元気で人懐っこい。雨降りやパパの外出時と重なったとき以外は必ず、午前・午後と1日2回散歩する。お蔭で、トンとスポーツにご無沙汰のパパは、何とか健康維持のための最低限の運動量を保つことができている。
よくわからなかった頃は、よかれと思ってやたらとあちこちに出かけ、長距離を長時間にわたって歩いたものだったが、いつの間にかコースもスタイルも自然に決まってきた。

午前の散歩は、朝食の後にすぐ近くの神社の境内や小学校の門前を経由し町内を一周して戻ってくるだけのプチ・コースだが、ムッシュはまだ何となく気だるいらしくて、道草を食いながらタラタラと歩いている。時間も早い時は15分くらいで、30分とかからない。
午後の散歩はタップリする。夕方近くまでよく休んだムッシュは、門を出ると俄然、元気一杯走り出し、リードを持つパパの方が逆に引っ張られてハアハア言ってしまうくらいだ。コースは、町内2ブロック分を30分あまりで一回りするショート・コース、ママがよく買い物に行くスーパーを40~50分で往復するミドル・コース、広い公園のグラウンドまで足を伸ばしそこで仲良しのお友達とひと遊びして合計1時間以上かけて帰ってくるロング・コースと、基本的に3つのパターンがあるが、本犬に任せて観察していると、どうやら自分で考えてローテーションしているような気がする。

犬の聴力は人間の何十倍とも言われるが、東京・目黒育ちのムッシュは、散歩途中の車や工事の騒音をまったく気にしない。というよりもむしろ賑やかな方が性に合っていて、静かな山荘の周りはつまらないようだ。人込みが大好きで、商店街やデパート周辺などでは、行き交う沢山の人々の優しい眼差しを浴び、愛想を振りまきながら嬉々として歩いている。
でも誰にでも尻尾を振ってついて行くわけではなく、真のボスの命令・許可がないと、やたらな行動はとらない。たとえばパパが気軽に“ムッシュ、お散歩に行こうか?”と誘っても、ママが“ムーちゃん、いいわよ、行ってらっしゃい”と言うまで動かないのだ。

親馬鹿(犬に対してもそういうのかな?)かも知れないが、人間の言葉がよくわかり、日常の大概の話は通じる。その上耳がいいときているから、ムッシュの“ム”でも言おうものなら寝ているときでも、“エ、なんですか?”とでもいうように、「ワン!」と叫ぶ。何しろ学習能力は、“誰かさんよりも高い”と言われているくらいだ。

でも話が通じるのはホントに嬉しいもので、人はどう見ているか分からないが、今日もパパは“ムッシュ、いいお天気で気持ちイイね”などと話しかけながら街を歩いている。

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2007年5月22日 (火)

母の日は誰の日?

先だっての日曜日、午前中早々とチャイムが鳴ったので出てみると、娘から家内へ宛てた宅配便だった。箱を開けると、熊の赤ちゃんの縫いぐるみ(Tiny Bearというらしい)が、3色のミニバラの鉢を抱っこして入っていた。その愛らしい小ささは、先日遊びに来ていた娘の娘(すなわち孫)のようでもあり、我が家のムッシュのようでもあった。
それを見て家内は、“またインターネットで見つけたのかしら、こういうのが好きなんだから”と呟いていたが、顔はほころんでいた。

そうだ、「母の日」だった。娘も、一人の子を持つ母親になって、毎年のこの日をことさらに意識するようになったのだろうか。
さすがに娘は、昨年もその当日にお花を届けてきたが、せがれ達は父親にリマインドされるまでほとんど意識していなかった。仕事がいちばん忙しい年齢だし仕方がないとは思うが、元気そうに見えるので母親のことをあまり気にかけていなかったのではないのか。
それぞれ後日、けっこう高価なプレゼントを持ってやってきたけれども、そういうモノに金を使うのではなくて、母親には、普段からこまめに気を遣えというのだ。

今年は、長男が前の晩遅くに出張帰りだと電話してきて、翌日に来るようなことを言っていたが、何か催促がましくなると思い、母の日のことは敢えて言わなかった。次男はといえば、最近しばらく連絡がとれていなかったので、そろそろ顔見せに来るころかとは思っていても、その日を意識しているかどうかはまったく見当がつかなかった。
連中は、言えば思い出すのだが、黙っていれば多分忘れているはず。男はしょうがないものだと、自分も身に覚えのある父親は、母親とせがれ達の間でひとりやきもき。

それでも家内は、久しぶりに長男が来るというので、好物の冷シャブ用の牛肉を山ほど買い込み、昼のうちから準備を始めて夕方にはすっかり出来上がらせ、盛り付けた大皿を冷蔵庫にストック。ひょっとして次男も来ても大丈夫なようにと、ボリュームも十分に用意したようだ。ムッシュにも、“今日はお兄ちゃんが来るからねー”などと話しかけている。
そう聞いて大喜びのムッシュ(言葉がよくわかるのだ)は、お兄ちゃんが直ぐにも来るのかと思って玄関へすっ飛んで行き、ドアの内側で一生懸命耳をそばだてていたが、“今じゃないよ、後でだよ”と言うと、つまらなそうにトボトボと戻ってきた。ホントに可愛いヤツ。そんなにしょっちゅう来るわけではないのに、長男も次男も娘も孫も、みんな自分の心を許せる家族だと、直感的にわかっているらしい。

夕方、ムッシュを散歩させ帰ってきて玄関を入ると間もなく、外でブロロロロ.....という聞き覚えのある車の排気音が。まさか...と思ってドアを開けると、やっぱり次男だった。照れているときの癖で、わざと無表情をつくろって鼻の穴を膨らませ、大きなカーネーションのバスケットを提げて“ハイ、おふくろさんにプレゼント”と入ってきた。
なかなか連絡がつかないことに業を煮やし、今度来たら小言の2つか3つも言わなければといっていた家内も、これには機先を制された格好で、 “アラアラありがとう”と笑顔で言うほかなかった。

前後して長男から、沈んだ声で“どうも疲れがとれないし、仕事もしなければならないので、またにさせてもらおうかな...”と電話があった。が、“それはいいけれど、今夜はせっかく冷シャブにしたんだがなー”というと、とたんに声のトーンが変って、“行きます、行きます”だと。単純なんだからホントに。でも、これも父親ゆずりかも...。
で、すっかり食卓の用意が調ったころに長男が到着。忘れていたかと思ったら、これまたチャンとカーネーションの花束を抱えていた。家内は、“オヤオヤ今日はどうしたことでしょう、お花だらけネ”と苦笑していたが、内心は嬉しそうでもあった。

それからは、せがれ二人で(自分も参加したが)アッという間に山盛りの冷シャブをぺろり。ほかにも二人の好きなご馳走ばかりだったので、イヤハヤよく食ったこと。
自分もこのくらいの年齢の時はそうだったかと傍らの家内に尋ねると、“あなたはそれ以上でした”という証言が返ってきた。そうでしたか。それじゃあひとのことは言えません。

実は、ちょくちょく顔を出すと約束したはずなのに偶にしか訪れて来ず気ままに独り暮らしを楽しんでいる二人に、“両親はもう立派な高齢者だということを忘れるな”“そろそろ自分たちの先のことも考えろ”と、お説教をするつもりでいたのだが、久しぶりに顔を見せられ、殊勝げに母の日プレゼントなどをされて、家内も自分も、ツイ言いたいことの十分の一も話せなかった。連中の作戦勝ちか?

二人とも、美味しいものをお腹一杯いただいた上に、沢山の食料品・日用品のお土産を持たされ、喜んで帰っていったが、朝からずっと休みなく立ち働いていた家内は、それを見届けると堪らずダウン。今日は母の日だったはずだが、いちばん喜んだのは誰だろう?

家内が、“お母さま、今日ぐらいは何もしないで休んでいてください、ぜんぶ私たちがしますから”などと言ってもらえるのは、いつになるのだろうか?

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2007年4月30日 (月)

書店の楽しみ

いまは、本やCDを買うのにオンライン・ショップがあって、とても便利だ。自分も大いに利用しているが、だからといって書店やレコード店に行かなくなったかといえば、そんなことはない。特に書店についてはそうである。ビジネス書や実用書など、あらかじめジャンルやキーワードなどである程度の見当がついているものは、オンライン・ショップで検索して買うことが多いが、楽しむための読み物は、書店を訪れて棚や平台をざっと眺め、気になったものを手にとり、目次や奥付をチェックしたりして、あえて手間をかけて買うことがほとんどだ。そうしないと、本を買うときの喜びと楽しさが半減(以上)する。
そう、書店へ行って本を買うということは、単なる実用上の行為ではなくて、一種のレジャーであり、憩いでもあるのだ。

だから、自宅の近所にある書店に散歩がてら足を運ぶのはもちろんだが、仕事で出かけたときに大型オフィスビルの中で、あるいは他の買い物でデパートなどに入った際に、また電車の乗換えで地下街や駅ビルのショッピングモールを通るときなどは、時間のある限り、つい書店に立ち寄ってしまう。
たまに授業や学会などであちこちの大学に行ったときには、必ず傍に何軒か書店があるので、それらをハシゴするのも序でながらの楽しみだ。

だが、書店に入っても、すべてのセクションを万遍なく見てまわるというわけではなく、チェックする分野はだいたい決まっている。
まずは最初に、やはり仕事柄ということで、一応ビジネス書のセクションを見る。オンライン・ショップに当然取り揃えてあっても、文体や編集スタイルなど、実物を見ないともう一つわからない場合もあるからだ。そしてそこでは、コッソリ横目で、自分の著作が置いてあるかどうかも確かめる。超大型店ではだいたい置いてあることが多いので、まあまあ安心していられるが、中途半端な大型店では、あるべきところにないので独り落ち込む。予想外に、私鉄沿線や大学周辺などの古くからある小さな本屋さんなどで発見することもあって、そんなときには、思わず店主の見識に頭が下がる...思いだ。

書店で探して購入するジャンルは、昨今では非常に偏っている。8割方は“古代史もの”で、残りの2割が“海外紀行・ドキュメント”、“お笑い・風刺エッセー”などで、それぞれのジャンルの間にまるで脈絡がない。強いていえば、みんな電車やトイレの中で欠かせない、肩の凝らないエンターテインメントだというところか。
これで結構へそ曲がりだから、ベストセラーなどになったものはとたんに買う気が起きなくなり、新刊もハードカバーのうちは我慢して、文庫版になってから買う。なにもケチっているわけではなく、外出するときに、重くて厚いハードカバーは物理的に携帯に不便なのだ。(自分の本がそうなのは棚に上げているが...)
というわけで、文庫・新書のセクションには最も時間をかけ、本を探す楽しみを心行くまで味わい、何冊もまとめ買いして、常に自宅の在庫を切らさないようにしている。

雑誌はこのごろ買わなくなったし、立ち読みすらあまりしなくなったので、このセクションに寄ることはめったにない。大部分の情報がインターネットで間に合ってしまうせいか、編集者の世代交替で自分たちにアピールするコンセプトのものがなくなったせいか、それとも単に文字が小さくて読みにくいせいか...その何れでもあるかも知れない。
外出携行用の文庫や新書の在庫がたまたま切れたとき、やむを得ず駅のキオスクなどで週刊誌を買うことがあるが、読み応えがなくて後で必ず失望する。何か、そうさせない知恵はないものか。私見では、次の号、先の号へと後を引くような、インターネットでは真似のできない独自の“連載”を(できたら何本も)考えたらいいのになどと思っている。

ところで、購入する本のジャンルの筆頭に挙げた“古代史”だが、知る人ぞ知る、自分はかなりのマニアだと思う。このテーマがらみではいろいろな引出しがあるから、これから折りに触れて書かせてもらうかも知れない。
興味を持ち始めたのは、40年前、宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」を読んで以来。今では時代を縄文以前から平安末期まで、舞台を日本に限らず東アジアから中東にまで広げ、学者・好事家の諸論はもちろん、紀行・ドキュメント、文芸作品やSF・ミステリー、その他ややキワものと思われるものまでも、ともかく日本という国とその文化および日本人という民族の成り立ちに関する本は、片っ端から買い求め読破してきた。
だいぶ前に、この類いの本だけで自宅の書棚が満杯になりその分を山荘の方に移したが、その後またスペースがなくなってしまったので、先日オープンに行ったときにダンボール一杯分を運び込んだ。まだ残っているし、すぐに増えてしまうので、近いうちにまた運ばなければならない。あらためて数えたこともないが、多分、全部で1000冊近くあるのではないだろうか?チッとも自慢にならないが、もちろん仕事関係の本より多い。

誰もそんなに興味がないかも知れないのに、思わず長々と書いてしまったが、実はいま書店で探すのが最も楽しみなのは、この分野のもの。
近所であるいは出先で、今日もまた自分は、何かその手の本が新しく並んではいまいかと期待に胸をふくらませながら書店のドアを開ける(といっても大概自動ドアだから独りでに開くが...)。

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2007年4月 9日 (月)

国立新美術館に行ってきた

いつも「日展」「示現会展」の招待券をいただいている成田禎介画伯から今年もまた頂戴して、家内と一緒に示現会展へ行ってきた。昨年までは上野の「東京都美術館」で開催されていたのだが、今年からは六本木の「国立新美術館」になった。
都心へは車だとけっこう時間がかかるので、たまプラーザの駅前に駐車し電車で行くことに。表参道で千代田線に乗換え乃木坂で下車し地下道を出ると、目の前に館がそびえ立ち、入口までは館外のデッキ状の通路を歩くようになっていて、そこからフェンス越しに、思ったより近く「六本木ヒルズ」と「東京ミッドタウン」のビルが見え、寒くはないけれど風のある日だったので、向かいの青山公園の散り遅れの桜が頭上を舞っていた。

館の前壁面は総ガラス張りで、大きく波状にうねり、やはり美術館ともなると意表をついたデザインにするものだなと思ったが、中に入ってみてまた驚いた。ロビーのスペースがえらく広く、かつそのまま3階まで吹き抜けになっており(天井高が21メートル以上あるそうだ)、その中央部にはドでかいコーヒーカップを置いたような2本の逆円錐柱(てっぺんがそれぞれレストランとカフェになっている)が屹立している。
入口で館内ガイドのパンフレットをくれたのだが、どうも案内表示がわかりにくく、トイレやエレベーターのある場所がなかなかわからず、建物の中を端から端まで、散々歩いてしまった。で、これらは、両端のよく注意して見ないとわからないところに位置していたわけだが、デザイン優先のために、足の弱い人や高齢者などにはやや不親切になってしまったのではないかという感想を持った。

さて、ムッシュを近所のペットショップに預け、自分たちはランチをせずに出てきたので、最初に食事を済ませてしまおうかとも思ったが、やっぱり見る方が先だろうということで、まずは2階の示現会展示場へ。
いつも思うのだが、示現会展には、奇を衒わない写実的で清澄ないい絵ばかりがそろっているので、見ていて、疲れた神経が癒やされるような気がする。あまり適切な譬えではないかも知れないが、油彩なのに淡彩の透明感がある。その代表格が成田画伯で、同じ画風を目指す後進会員の作品が年々増えているのが今回の展示会からも見てとれた。

時間を忘れて多数の作品群を堪能していたので、見終わると急にお腹が空き、急いで3階のレストラン「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」に駆けつけると、何とランチタイムが目の前でクローズ!では、カフェでサンドイッチでもと、2・1・地下1階を往き来してメニューを見比べているうち、それも品切れに!!
何と間が悪いのだろうと嘆きつつ、館外のどこかで食べようかと乃木坂駅の地上出口から外へ出てみると、そこは車の往来の激しい大通りで、見渡す限り飲食店などは存在せず、また地下へ逆戻り。結局は、勝手知ったる地元たまプラーザ駅前のイタリアン・レストランでやっと遅いランチにありついたというお粗末で、時刻はすでに午後4時過ぎだった。

後で、美術館の入口でもらったガイドマップを見たら、どうやら自分たちが出入りしたのは環状3号線側のいわば裏口だったようで、その正反対の方向にメーン・エントランスがあり、そこから至近距離でミッドタウンに行けたらしい。そこまで行けば美味しいものが何でもあったろうにと臍を噛んだが後の祭り。
何しろ初めての場所なので方角がよくつかめなかったの、ガイドパンフレットが見にくいのと、ブツブツ言い訳していたら、“しっかりしてよ!”と喝が入った。ハイ、その通り。タマの夫婦水入らずの外出というのに、チャンと事前学習をしてなかった自分が悪かった。

ところでこの日、成田さんの「白い峰と山里」という絵の前で家内を立たせ写真を撮っていたら、人品卑しからぬ2人の老紳士に“どちらの山ですか?”と尋ねられた。当てずっぽうを言って間違えたらいけないので“私は存じ上げないのですが”と答えたら、“作者の方かと思ったので...失礼しました”とその方たちは頭を下げて去って行った。恐縮してしまったが、どうやら自分は成田さんと間違えられたらしい。タートルネックのセーターに茶色のコーデュロイ・ジャケットなどを着ていたので、画家らしく見えたのだろうか?
そういえば自分はこれまでにも、他のある種の職業の方に間違えられることがよくあった。第一線を退いてからはほとんどなかったのだが、この日は久しぶりだった。

だいぶ前のことだが、東京シティエアターミナルのリムジン乗場で、サングラスをかけ大きなパイロット・ケースを提げていたためか、“乗務員の方はこちらからどうぞ”と優先入口に案内されたことがあった。また、家内が入院していた某大学病院に見舞いに行っての帰りにエレベーターに乗り込んだら、客員の先生とでも思われたのか、何人もの看護婦さんたちから“お疲れ様でした、失礼しまーす”と最敬礼されたこともある。さらに、都内のさる名のある中規模ホテルでパーティーがあったときには、ロビーの入り口近くで人を待っていたら、入ってくる人々の何分の一かに宴会場やレストランの場所を尋ねられた。スリーピースのダークスーツだったので支配人に間違えられたのかも知れない。他にも、いろいろな職業の方に間違えられたことが度々ある。

今更どうでもいいのだが、こういうことって、どう解釈したらいいのだろうか?

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2007年3月19日 (月)

早春随想

今年もやっと、確定申告の手続きが済んだ。と言っても、書類作成に時間を費やし、届出のために税務署の窓口で長い行列に並んだのは専ら家内で、我々(自分とムッシュ)はその準備期間中は、ひたすら邪魔をしないよう、作業している家内を遠巻きにし、当日も、駐車した場所の近辺でウロウロしていただけなのだが...。
経理畑出身の家内にとって、この手の仕事は最も得意とするところの一つなので、それを良いことに任せっきりにしているが、さぞ大変だろうと思い、たまに“何か手伝おうか”と言ってはみる。だが、結局何の役に立つわけでもなく、そんなこんなで、もう30年以上。いつもほんとにご苦労さまでお蔭さまと、感謝するのみ。

例年、この届出をする時期は、戻ってくる家内を車外で待っている間、背中にポカポカと暖かい春の陽射しを感じていたものだが、今年はそうではなかった。何週間か前に一度、早々と春の到来を思わせるような日々が続いたが、このところまた、朝夕は身を切るような寒さで、日中も寒風が吹き荒び一向に気温が上がらず、冬に逆戻りした感さえある。2~3日前の朝などは、雪がチラついていた。
昨年の備忘ログを読み返してみると、ちょうど今頃は、庭の豊後梅・白木蓮・沈丁花などもまだ五分咲きで、春の来るのがいつもよりやや遅いかなという感じだったが、今年は早く来たかのような思わせぶりに誘われて、梅はだいぶ前に咲いて散り、木蓮と沈丁花も満開のピークを過ぎた。いつもは四月になってから開花するカリンやブルーベリーも、今にも咲き出しそうに花芽が膨れ上がったが、このところの寒さでそのまんま。

ムッシュと散歩に出かけるときも、もう春仕度でいいかと一時は思わせられて、気が早く衣替えをしたら、とんでもなかった。寒さのぶり返しで、一度は仕舞いこんだ冬物をまた取り出して着なおす破目に。家の中でも、もう暖房はあまり使わないで済むかと思っていたら、そうは行かなかった。近年とみに寒がりになった自分は、いまだに、起床・就寝時の着替えには暖房のスイッチを入れずにはいられないし、机に座って仕事をしているときは足温器を離せない。
やたらと鼻がムズムズしクシャミが出るが、これも、必ずしも花粉症のせいだけではなく、もしかしたらUターンしてきた寒さのためもあるかも知れない。どっちにしても、早く終わって欲しいものだが。

気象庁も、何を早まって、例年よりもだいぶ早い桜の開花日を宣言してしまったのだろう。そのせいで、桜祭りや花見などのイベントの計画が狂ってしまい、経済的にも思わぬ影響を蒙る商売や人々が出現しそうになったが、あの話は、その後どうなったのだろうか?この季節の足踏みで、結果オーライということになったのか?気象庁はミスでしたと頭を下げていたが、それにしても、とんだ人騒がせで罪作りなことだった。

ところで3月という月は、季節の変わり目だけではなくビジネスの変わり目でもあり、多くの企業で、新しい方針が打ち出され、それに伴って組織が変り、人事異動がある。もう自分自身は疾うに、それによって直接左右されることはなくなったが、関わりのある人々の消息を聞いて何がしかの感慨を覚えるのも、この時期の常だ。
今の自分自身にとっても3月は、12月とはまた違った意味で、年間の節目になっている。外部との関わりにおいて、何かが改まったり、始まったりすることが、間々あるからだろう。自分の1年は、2つのサイクルが少しずつズレて重なり合いながら進んでゆく。

話は変って、今春の新卒者は売り手市場とか、就職活動には苦労がなかったらしいが、長女が卒業した時は史上最悪の就職氷河期で、ずいぶん辛い思いをさせた記憶がある。現在、本人が幸せなら、それでいいのだが、昨今の景気のいい話を聞くと、今更言ってみてもどうしようもないけれども、その頃のことをフト思い出してしまう。
長男・次男も、会社の中では紛れもなく中堅といわれる年齢にさしかかっており、好まずとも、春を迎えるごとに、よりハードな役割に取り組むことを強いられる立場になっているのだろうが、それに押し流されず、一年一年を強く乗りきって行って欲しいと思う。健康にだけはくれぐれも留意して。自分も通ってきた道だけに、この時期になると、ひとしお、そんなことを思う。

ムッシュも、我が家に来てちょうど2年になる。年齢も6歳半ばになって、今や長男・次男に続く三男坊のような存在。すっかり言葉も通じるようになり信頼関係もでき、家内にも慈しまれて、まことに平穏な日々を送っているが、散歩の途中に街角で、ときどきフッと立ち止まり、心なしか遠くを見るような感じになることがある。
そんなときは、もしかしたら4歳まで育った街や以前可愛がってくれた人を思い出しているのかも知れないと、犬ながらいじらしくて、そっと見守ることにしている。“人生いろいろ”だが、“犬生”もいろいろ。我が街、我が家で、ズッと幸せに暮らして欲しい。

春を迎えるという時節柄か、これから花も咲き実も生る人たち(犬一匹を含む)のことを、あれこれ想ってしまった

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2007年1月29日 (月)

「好きネー...」と言われても

実は、昨年の7月28日に書いた東横線J丘でのTさんらとの集いのほかに、もう一つ、毎月一回顔を合わせようということにしているグループがある。毎年のクラス会“早春会”の仲間のうち首都圏に住んでいる連中の集りで、大した人数でもないのに、仰々しくも“早春会関東支部”と称している。

一応、“広く時局を語り合う会”ということになっているが、なあに、早い話が、クラス会の2次会から始まったカラオケ好きの集いで、不定期だった頃から数えると、もう10年以上になる。場所はここ数年、JR大森駅山王口至近の某クラブだ。若くはない方々の集まりなので、その日は特別に宵の口に店を開けてもらい、他のお客さんで賑わってくる頃には退散することにしている。

特にみんなの興味が一致しているとか、何か特別な楽しみでもあるとかいうわけでもなく、ただめいめい勝手に好き放題にしゃべりかつ唄っているだけなのだが、オレ、オマエの半世紀前に帰って、誰に何の気兼ねも気張りもなく、気ままに時を過ごしているのがいい。

この歳になったら、普通、クラス仲間とは年1回も顔を合わせれば上等の部類らしいし、カラオケも毎月2回ずつというのは、世間的には少ない部類でもないらしい(あたしゃあ決して多すぎるとも思わないけれど)。だから自分としては、けっこう気を遣いつつ出かけるようにしている積りなのだが、ときどき、「好きネー...」と呆れられている。

でも、この仲間は全員メール(ケータイではなくパソコンの)で連絡がつくところがミソで、何かあったときには、そのネットワークが役に立つ。過日のN君とT君の不幸の時も、これがあるお蔭で、時間のないところ、いろいろと迅速に事を運ぶことができた。
ただ、我々の世代になると、クラス全員がメールで連絡というわけには、とても行かないようで、調べたわけではないけれど、まだ他にパソコン・ユーザーがいたとしても、多分数人。40人ほどいるクラス全体でも、半分に満たないだろう。自分たちは、それも国内企業だった連中は、それでも何とか済んだ最後の世代かも知れない。

先週は久しぶりに、この集まりに顔を出した。仕事や個人的都合で、昨年の秋以来になる。今年初めてだったせいか、思ったより多くの顔がそろった。この店の永年の常連で幹事役のN、自分よりもっとカラオケ好きのS、もと合唱部のW、あまり唄わないが聞き上手のT、もう一人の幹事役で仕切り上手のMa、それに自分の6人だ。
もとクラス委員のYo、弁護士の長老になってしまったK、いまだに山登りに忙しいYa、昨年千葉から故郷の和歌山に移住したMiの4人は、それぞれ先約や都合があって出てこられなかったが、それで一向にかまわないのだ。約束し合っているわけでも何でもなく、気が向いたらフラリと出てくればいいだけのことだから。

いつもなら、声がかかって渋々(のフリをして)、だいたい自分が最初にマイクを握るのだが、この日ばかりは珍しく、建前上の会の趣旨に沿ったかたちで、延々と世相を語り合ってしまった。
「不二家」の期限切れ製品出荷と期限切れ原料使用、「関西テレビ」(というよりも我々にとっては「フジテレビ」と思えるが)の番組「あるある大事典」でのデータ捏造など、社会的影響の大きい事件がどうしても話題の中心になったが、母校にハンカチ王子が入学してきたので一度どれほどの力があるか見に行ってやろうか、楽天に入った田中の方が伸びるのではないか、などという他愛もないスポーツ・ネタも。

みんな子供が一人前になり夫婦二人(あるいは自分のようにプラス・ペット)だけになっているので、若い頃のように家庭や家族の話はあまりしなくなった。

けっこう盛り上がったのが、迷惑メール談義。自分もそうだが、ほとんど全員が、毎日何十通もの迷惑メールで悩まされていると知った。思わずクリックして開いてみたくなるなどと言う、純なオヤジの正直な告白も。でも、どんなソフトをインストールするといいのだろうなどと話が難しくなったら、いつの間にかウヤムヤに。

で、決まって話の落ち着く先は健康問題だ。「あるある...」の納豆の話から発展して、肥満の気にし過ぎ、過剰ダイエット信仰などに話が及び、ホントは太り気味の方がいいのだなどと、ウエスト・サイズ自慢になってしまった。
そう言っても、テーブル上の飲み物はみんなウーロン茶。何だかんだ言って、やっぱり気にしているじゃあないか。

不二家や関西テレビの事件から、“だいたい、顧客のことを忘れている企業が多すぎる”などと自分が能書きをタレ始めたら、誰もまじめに聞いていない。そうだナ、空気を読めなかったナと、すぐに反省。折り良く(?)“一曲行けー”と声がかかったので、ためらいつつも(?)立ち上がった。

そして私は唄った。「好きネー」と言われて家を出てきたが。

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2007年1月 9日 (火)

年頭に想う

ブログ2年目に入る。昨年は初めてのこともあって、つい意識過剰になったりしたこともあったが、今年は淡々と続けてゆくことにしたい。

さて、年末・年始休みをして2週間、けっこう長いかなと思っていたが、瞬く間だった。一日にいくつものことをこなすのがシンドくなって、今日は年賀状、今日は片付け(大掃除というところまではとても行かないが)、今日は松飾りと、ひとつひとつ取り組んでいたら、いつの間にか大晦日。
明けてからも、年賀状の返事出し(本年は勝手ながら年内出しを最小限にさせてもらった)、メール・チェック、ムッシュの散歩のほかにはさしたることもしないまま毎日を過ごしているうちに、もうここまで来てしまった。まあ、一年のうちにはこういう時期もあっていいだろうと、自己納得。

でも、例年通り、31日から1日にかけては近所の御嶽神社へ初詣。今年は11時半(もちろん夜の)になるかならないうちに家を出たので、トップ・グループでお参りすることができ、あまり寒風に晒されないで済んだ。そして4日は川崎大師。こちらの方は、同じ日時だったが昨年より人出が多かった気がする。世の中は景気がいいのだろうか、参道を行き交う人々の表情はみんな明るかった。
どちらの初詣も、家族・親族と愛犬の全員を代表してその幸せと無事を祈り、御札と御守をいただいて来た。毎年感ずることだが、こうして元気で出かけられるのは、ともあれ幸せなこととつくづく思う。

久しぶりで実家に顔を見せ3が日滞在していた長男と次男は、幼い時から馴染んできた母のお雑煮とおせち料理をたらふく食べては、時間があると寝てばかり。本人たちもこの一年の仕事の疲れがドッと出たのかも知れないが、だんだん体力のなくなってきた母親がこれだけのものを用意するについての苦労を、わかっているのだろうか?

2日に家族一同でやってきた娘は、配偶者の実家に母親秘伝のブリ雑煮の美味しさを吹聴したら、自分でつくって振舞う破目になったそうな。幸い評判は上々だったらしいが、我が家では所帯を持って以来ン十年、毎正月には、このブリ雑煮(通称「富山のお雑煮」)と東京風雑煮の二種類をいただくことにしている。と言っても、つくるのはもっぱら家内で、他一同は食べるだけなのだが。
ちなみに、“東京風”とは、鳥肉、筍、蒲鉾、鳴門巻、小松菜、三つ葉、柚子などが入って、鰹節と昆布でしっかりダシをとった澄まし汁。“富山風”とは、ブリ雑煮の別名通り、素焼きして細かくほぐしたブリをメインに、牛蒡と人参の笹がき、こんにゃくの薄切り、焼豆腐などが、日本酒と味醂を隠し味にしたけんちん風味の醤油味の汁に入ったもので、ダシは具になっているブリと牛蒡から出る。餅はどちらも角餅。

これが毎年だから家内はたいへんなわけだ。餅焼き当番だった娘も、もうそばにはいないことだし、来年からは無理をしてもらわないようにしよう。

5日は自分の公式な仕事初め。顧問になっている新宿のT社へ出向き、マーケティング部門の諸君と会議ののち会食。そして7日の朝には七草粥をいただいて、いよいよ正月気分返上だ。やっとエンジンがかかってきたかな?

と、平凡でそこそこ幸せな、相変わらずの暮れと正月だったような報告をしたが、実は、昨年12月半ばと今月の初めに、たて続けに二人の級友が他界して、彼らを送った後の寂寥感が、正直のところまだ胸に残っている状態でもある。

先に逝ったのは、昨年10月末のクラス会の幹事をしてくれたN君。学生時代にはアイスホッケーの選手でもあり頑健そのものだったが、一昨年のクラス会で呼吸器系の癌から奇跡的に生還したと聞き、安心していたところだった。
後を追ったのは、学生時代から社交ダンス・クラブに属し、最近までもそれをずっと続けていた、多趣味でエネルギッシュなT君。筋肉が自由にならなくなる難病にかかって昨年のクラス会には出てこられず、さらにその後、消化器系の癌とも闘っていることを知った。あろうことか、彼の逝去の翌々日に届いた自筆の年賀状によってである。彼自身も、頑張って克服する積りでいたに違いない。
どちらも、周りの者はもちろん本人も予期していなかったであろう、突然のことだった。

しかし、自分の身に置き換えて考えてみると、当然、もう少し遅くてもよいということにはなるが、考えようによっては、特に早過ぎると嘆かなくともよいような気もする。われわれの世代は、これまで十分に、世のためにも家庭のためにも尽くしてきたのだから。
そう思って、心安らかに旅立って欲しい、N君、T君よ。いつかまた、あちらで会って、アイスホッケーや社交ダンスの話に花を咲かせようではないか。合掌。

おっと、気がついてみたら、準備しておかなければならない講演や書かなければならない原稿が目白押しになっている。サア、今週からはフル稼働しなくっちゃ...。

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2006年12月11日 (月)

高齢者講習

まだあまり知られていないのではないかと思うが、「高齢者講習」なるものを受けてきた。健康維持やパソコンのではなく、ドライバーのための講習で、運転免許を更新する際の年齢が70歳以上になる人が更新手続きの前に受けることを義務づけられているものだ。

一月ほど前に県の公安委員会から案内のハガキが来たときは、免許更新のお知らせと形式がそっくりなので、今回は早いナなどと思っていたが、よく読んでみるとそうでないことがわかり、今度はこれを受ければ即更新ということになるのかとまた早合点したが、それも違った。要するに、高齢者に新たに付加された、免許更新のための前提条件なのだ。道路交通法の改正に基づき平成14年から実施されていたらしいが、よく知らなかった。

近頃は、高齢ドライバーの高速道路逆走、駐車場でのブレーキとアクセルの踏み違えなどのニュースをしばしば耳にするから、何らかの対策は必要だろうとは思っていたし、自分も、そこまでではなくとも若い時のようなわけには行かなくなるだろうから、ボチボチ気をつけなければいけないと思っていたところだったが、ハガキを受け取って、あゝとうとう、そういう年齢になってしまったかと、改めて実感した。

この講習が実際に行われるのは、公安委員会が委託した最寄りの自動車学校で、ビデオなどによる高齢者向けの安全運転の知識学習(免許更新のときに警察などで見せられるものとはまた違う)、自動車学校のコースを使っての運転実技チェック、シミュレーターを操作しての運転適性検査、そして動体視力検査など、タップリ3時間かかった。
当日会場に集まったシニアの面々は男女合わせて15人。最初に係の人(講師兼検定者)から、これは別にテストではないし、その結果が更新手続きに影響するわけでもないから、あまり緊張しないようにという説明があったが、どの顔も一様に難しい表情だった。
来年の1月までは辛うじて60歳台の崖っ淵にぶら下がっている自分が最若年(!)だったようで、この講習が2度目という方も何人か居り、80歳台の方も3人、最高齢者は何と88歳と言っていた。お腰がかなり曲がっていて、失礼ながら大丈夫なのだろうかと心配していたら、もう実際には運転せず、証明書代わりに免許を更新するのだとのことだった。

逆走や踏み違えなどは運転能力の低下以上の極端なケースだろうが、講師の話によれば、高齢になると誰でもやはり、心身機能の変化は避けられず、比較的単純な作業ならまだしも運転のように複雑な作業を同時に行う場合には、状況の認知、それに対する判断・操作の速さと正確さが、若い時にくらべるとどうしても低下するということだ。
視覚機能も加齢とともに変化して、静止視力の低下(いわゆる老眼)だけでなく動体視力はより急激に低下し、夜間・薄暮時の視力が落ちてきて、視野も狭まってくるという。

話を聞いて、講習の目的は、この知らず知らずのうちに忍び寄っている機能の衰えを、自分はまだまだ大丈夫と思っているシニアにも自覚させて意識的安全運転を心がけさせ、自分と他人の危険を未然に防ぐためなのだなと、まずは、頭でよく理解した。
そして、実際にコースに出て運転し、またシュミレーション・マシーンでさまざまな反応テストを受けてみて、これまでは自覚していなかった以前の自分との変化、染み付いていたクセなどもわかって、さらに納得した。

視力そのものは、動体視力も夜間視力もまだ30~40歳台レベルという検査結果が出たが、コース走行中に見通しのよい交差点で、徐行しただけで一時停止せずに通過したため、注意力不足を指摘された。一時停止の標識があったということだが、見落としていたのだ。
また、ハンドルの持ち位置も注意された。正しい位置は、時計の針の“10時10分と9時15分の間”と言われるが、自分の場合は左の手が無意識のうちに上に行く傾向があり、そのアンバランスが何かあったときに危険ということだった。
この、ハンドルの持ち位置と一時停止標識の件は、自分だけでなく、ほとんどの男性ドライバーが指摘されていたようだ。

アクセルとブレーキの踏み替えの機敏さ、すなわち“足さばき”は、単純反応検査(子供の飛び出しとか、対向車・横断車の出現などのそれぞれに対する反応)では平均をかなり上回る若者並みという数値がでたが、選択反応検査(上記のそれぞれが不規則に連続して出現してきた場合の反応)になると、とたんに平均値に落ちてしまい、総合的には“平均よりはやや良い程度”という結果に落ち着いた。

運転実技検定のようなテストではないとあらかじめ分かってはいても、他人の前でみっともないところを曝したくないとか、万が一、自覚していなかったとんでもない欠陥が見つかったらどうしようとか、つい、いろいろと意識してしまって、けっこう気疲れした3時間だったが、今まで家族以外の第三者的な目で自分の運転の評価を受けたことがなかったので、自分のためにはもちろん、家族のためにも良い機会だったと思っている。

自分はゴールド免許で、対象者としては最若年での受講なので、今回に限り5年更新になるが、その後は3年ごとになるそうだ。面倒なようだが、いつまでも運転を楽しむためにはそれも有難いと、前向きにとらえることにしよう。

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2006年11月13日 (月)

秋日和

このところずっと、晴天で日中は比較的気温も高く過ごしやすい日が続いた。自分は血圧が低めな体質なので、こんな高気圧で低湿度の季節はほんとうに有難い。とは言えやはり、日の暮れるのが早くなったし、朝夕の冷え込みは暦相応で、紅く染まっていた庭のハナミズキの葉もあらかた散り落ち、生垣の山茶花が濃く薄くピンク色に咲き出してきた。

ムッシュと近所に散歩に出ると、歩道に降り積もったイチョウの黄葉がめっきり多くなり、歩いていると足元でカサコソと音がする。公園の大樹の下で銀杏を拾っている人も時々見かける。単純な条件反射で、いつの間にか“♪枯葉よ...”と口ずさんでいた。

三連休だったせいか、だいぶご無沙汰でどうしているかと案じていたディザイナーの次男が、本人も好物のケーキ持参で、ひょっこり顔を見せた。多くは言葉を交わさなかったが、少しフックラしたような感じがし、穏やかな顔つきをしていたので、仕事のペースが落ち着いてきたかと安堵した。

数日おいて、これまた久しぶりに長女が、もうすぐ1歳になる娘を連れてやってきた。家内は2~3ヵ月前にも外で二人には会っているし、そもそもが3人の子供を産んで育てた専門家だから赤ちゃんの抱っこは慣れたもので、された方の赤ちゃんも喜んで活発に動きバブバブ言っていた。だがこちとらは、どうしたら良いものやらさっぱりわからず、少し離れてぎこちなく言葉をかけるだけだった。
自分の子供が赤ん坊のときはどうだったのか、一向に思い出せない。正直なところまだ、“おじいちゃんでチュヨー”などと手放しで言える心境には達しきれていないわけだが、そんな自分を孫娘は、何か不思議な生き物でも見るような瞳で見つめていた(ような気がする)。

我がパソコンの私設ヘルプデスクをしてくれている長男も、しばらく音沙汰がなかったので、こちらから電話をしてみた。ちょうど、セキュリティ関係のソフトウエアの更新とプリンターの不調のことで相談しようと思っていたところでもあったからだが、電話で説明しているより直接の方が手っ取り早いと、結局、彼も家にやって来た。家を離れた子供たちは、来ないときは何ヵ月も来ないが、来るときは集中して来るものだ。

そんなに電話もよこさないで、親がどうしているか心配じゃあないのかと聞いたら、みんなが口裏を合わせたように言うには、ブログを読んでいれば大体の様子はわかる、だと。気ままに書いている積りだったが、家族内広報に役立っていたとは気がつかなかった。

ムッシュも満6歳になった。3キロにも満たない小犬(ヨークシャーテリア)で童顔(?)なものだから、よく幼犬と間違えられるが、人間でいえばもう立派な大人。我が家に来てからも1年半以上経ち信頼関係もできて、すっかり家族の一員となり、長女の赤ちゃんが来たときも、程よい距離を置いて落ち着いて座り、あやすように尻尾を振っていた。

元来がとても人懐っこく、毎日の散歩コースでは決まって立ち寄って可愛がってもらえる場所もでき、通りすがりの方に思わず“可愛いねえ”と言っていただくことも多い。

近所には、公園の中のグラウンドやまだ家屋の建っていない造成地など、ドッグランに好適な場所が2ヵ所ほどあって、いつも大・中・小型のワンちゃんが沢山集まって仲良く遊んでいるのだが、そこでも、お蔭様でムッシュは人気者。何人もの方が、自分の飼い犬そっちのけで可愛がってくださる。幸せなことで、こちらまで嬉しい気持ちになる。

ところで家内は、自分などとは対照的に、記憶力と計算力のかたまりというか、本人自身がコンピューターのような人なので、ついこの間まではパソコンなどは不必要と、ケータイも持とうとしなかったが、必要に迫られて先月から、遂にケータイ・デビューした。
家族割引を享受するため、自分と同じa社のものにしているが、二人とも、やたらな多機能は不必要、何よりも表示される文字の大きさとキーボードの見易さ・タッチし易さが必要なので、使っているのは、いわゆる“簡単ケータイ”に属する機種だ。

自分は、メールはもっぱらパソコンで間に合っているので、ケータイ・メールはまったく使っておらず、家内にやり方を聞かれたときにも、いちいちマニュアルと首っ引きしなければならなかったが、さすが人間コンピューターの家内は、たちまちマスター。請求書の額を心配しながらも、先日清里の山荘に同行した友人たちや娘と、楽しげに、早くも絵文字まで使ったメールのやりとりをしている。

スポーツの秋というのに、自分は相変わらず机にへばりついていることが多く、なかなか、計画しているジム通いが実現できない。誰のせいでもなく、自分がグズグズしているのがいけないのだが。こんなことではそのうち、ジムどころか医者通いになってしまうと自戒。

小津安二郎の名作「秋日和」には及びもつかぬ、我が家のどうということのない秋日和でした。

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2006年10月20日 (金)

ムッシュとお留守番

“ムッシュ”と言っても、“ムッシュかまやつ”ではない。我が家に来てからもう1年半以上経ち、すっかり家族の一員になった小犬のことである。

先だって、家内が友人と連れ立って清里の山荘へ行ったので、数日、二人(いや一人と一匹)だけで、留守番をすることになった。ムッシュが家内の不在を淋しがって世話を焼かすのではないか、あるいは案外、思ったほど苦労せずに過ごせるかと、出かける前に家内が心配していたが、“なあに大丈夫、まかせてください”と送り出した。

こうして毎日一緒に暮らしていると、犬とはいえ、日常の経験によって学習したことについては、人間の言葉がほとんど分かるようになるらしい。人間語で返事するわけではないが、一つ一つの言葉に、感心するほどちゃんと反応するのだ。

だから、傍から見たらさぞ可笑しいだろうが、朝起きたとき、食事をさせるとき、一緒に散歩をするとき、用を足させるとき、ハウス(室内のムッシュ用サークル)で昼寝させるとき、夜寝かしつけるときは、人間の幼児に対するように話しかけている。
すると相手は、声にこそ出さないが、目をクリクリさせ、首をかしげて、一生懸命理解しようとし、また、ちゃんとそれに応じて行動するから、可愛くなってしまう。いつの間にか、自分たちは自分たちのことを、パパ、ママと呼んでいた。

幸い、歩いて5分もかからない近所に、ペット・クリニックもペット・ショップもあり、両方とも、人犬共にすっかり顔馴染みになっているので、定期的な健康診断やグルーミングはもちろん、家内と二人そろって海外や国内の旅行に出かけるときには、いつもどちらかに預かってもらっている。そんな時、パパとママから離れて過ごすのはさぞ淋しかろうと初めは思っていたのだが、回が重なると、それはそれで本犬も馴れてきて、違和感を示さなくなった。
だが、今回のようにパパだけと数日過ごすのは初めてのこと。家内には大丈夫と言ったものの、実は内心どうなるかと、あまり自信がなかった。

家内が出発したのはまだ陽も高いうちだったし、これまでにも遅い午後に出て夜の8時過ぎに帰宅することは間々あったので、本犬も当座は、ママはいつものお出かけと思っていたらしく、普段通りに散歩もし、夕食も食べ、すべきことはすべてして、あとはハウスに入って寝るばかりという時間になった。
だが、「もうおやすみの時間だよ」といつもの言葉をかけても、言うことを聞かない。玄関を見通せる居間のガラス扉の前に陣取って、テコでも動かなくなってしまった。無理に抱き上げてハウスの方に連れてくるのだが、その度に同じ場所に戻ってしまう。どうやら、ママは遅くなっても帰ってくると信じ、姿が見えるまで待っている積りのようだった。
いじらしいので、しばらくはそのままにしていたが、こちらも自分の食事を済まさなければならないし、仕事をしに書斎に戻りたいので、いつもよりはだいぶ時間が経ったところでハウスに強制収用し、「おやすみ」と言って部屋の灯を消した。

いつもならその後は、よほどのことがない限りまったく声を出さず、翌朝の8時まで熟睡するのだが、その晩は、どうも様子がおかしいゾと感じたのか、思い出したように「ワウ!」「ワウ!」と啼き叫んでいる。それでも、パパが起きている気配が感じられるうちはまだよかったが、日付も変わってこちらも就寝しようかという時間になってからが困った。
どうしても寝つかず、ほぼ1時間おきぐらいに、最初は咎めるように「ガウ!」「ガウ!」と、だんだん哀願するように「フィ~」「フィ~」と声を出すので、何とかなだめすかして寝かしつけようと、その都度、起き上がらなければならなかった。

丑三つ時までそんなことの繰り返しで、こちらもヘロヘロ。「頼むから寝かしてくれよ!」とか、「いい加減に寝なさい!」とか、つい大きな声も出した(後で考えると可哀そうなことをしてしまったが...)。そのせいか、やっと2時間ほどウトウトすることができたが、また、泣くような声で起こされる。早朝の5時だった。

もう相手は、小犬だか人間の子供だかわからなくなり、朦朧とした中で「ママは清里のおうちに行って、四日ぐらい向こうにいるんだよ。でも、必ず帰ってくるから、パパと二人で、いい子でお留守番してようね。」と一生懸命言って聞かせたら、なんと!その後はピタリと啼き止んで、朝8時過ぎまで3時間、お互いに曝睡した。ひとつひとつの単語を理解したかどうかは分からないが、ニュアンスが通じたらしい。

翌日からは毎日、「ママはあと○日寝たら帰ってくるヨー」と、アイ・コンタクトしながら話をしてやると、昼も夜もまったく問題なし。ムッシュはいつもの通り元気に過ごし、自分も十分仕事ができ、夜も安眠した。

この経験で、心から語りかければ、たとえ相手が動物でも意を通わせることができるものだと、改めて悟った。ムッシュが、またひとしお可愛くなった。

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2006年10月 5日 (木)

季節の変わり目

「暑さ寒さも彼岸まで」とは、ほんとによく言ったもので、9月も20日を過ぎると“残暑”という感じがなくなり、ここのところ一気に、朝夕のみならず日中も、めっきり涼しくなった。実際、日差しが結構強いと思って夏の服装で家を出ると、帰宅時には冷えを感じることが再々だ。
先週たまたまデパートに行ってみたら、ファッション・フロアはすっかり秋模様。ついこの間まで、暑い暑いと言っていたような気がするが、いつの間にか夏は終わっていた。

私事だが、どうも、季節の変わり目になると体調がよろしくない。風邪のひきはじめのような感じで、軽い寒気と微熱感があり、かといって暖かくして寝ると、翌朝起きた時、汗ビッショリになっている。今年の春先もそうだったが、医者にかかっていろいろな検査を受けてみると、格別どこも悪くないし、したがって薬も出しようがないと言われてしまう。

じゃあ、この症状は何なのか、何が原因で、どうすりゃあいいのかと訊ねると、“ストレス”による“副交感神経炎”(いわゆる“自律神経失調症”)だそうで、根を詰めて同じことばかり続けていずに、まったく違うことをして気分転換をはかることが必要と言われた。いつもスケジュールに追われていて、几帳面にそれを守ろうとするような性格の人間がそうなりやすいらしい。

そう言われれば、思い当たるフシがないでもない。今年から、こうしてブログを始めたが、誰に約束させられたわけでも、誰が急かしているわけでもないけれど、自分の中で“週1回”と決めて、ほぼ、そのペースを守ってきた。また、誰に頼まれて書いているわけでもなく、どこから原稿料をいただいているわけでもないのだから、もっと気楽に書いていればよかったのだが、つい、エッセーでも連載しているような気になってしまって、必要以上に義務感を抱き、また、内容にも気を遣っていた。

血液型B型のマイペースのくせに、妙に凝り性で、はまってしまうと物事をいい加減に済ますことのできないという因果な性分があって、ブログに限らずそれまで、確かに、自分で自分を追い込んでいたところがあったかも知れない。

と、特に深刻な病気でも何でもないと理由がわかってみると、多少気が楽になった。そして、医者に言われたからといってすぐに暮らし方を直せるものでもないと開き直ったら、何の療法も試みたわけではないが、陽気がよくなるに連れて、それまでの症状が嘘のように無くなった。やはり、「病は気から」なのだろうか?

このところ、また、春先と同じような症状が出ているが、要するに、年をとって環境適応力が衰え、季節の変化に身体がスムーズについて行けなくなったのだろうと思っている。きっとこれは、本格的な秋・冬になったら、かえって身体がそれに馴染んで、いつの間にか消えてゆくに違いない。

元来の体育会系、若いころは、そんな何とも言えないサワサワした不快感のあるときには、スポーツで汗をかいて吹き飛ばしたものだったが、十数年ぶりにまた、ジム通いでもして汗をかこうかな(体型回復のためにも?)と、いま密かに考えている。
1日2回、計1時間くらいは、ムッシュとブラブラ散歩をしているのだが、それぐらいではきっと、十分な運動にはならないのだろうなあ。

ご老体、大丈夫なのかと心配してくれる向きもあるが、なあに、平気でしょう。パワーはなくなったが、食欲もまずまずあり、循環器系統もどこといって悪くない。問題は精神的持続力で、途中で挫折せず、規則正しく通い続けることができるかどうかだ。
だが、何しろ春先にも、そんなことを言いながら途中退場してしまった前科があるので、事前にあまり大口は叩かないことにする。

でも、続けよう続けようと意識し過ぎると、これがまたストレスになるのだろうか? そんなことばかり考えているときりがないから、ともかく、まずは始めよう。

エッ?途中退場の前科とはって?――言いそびれていましたが、3月26日付けで報告した「健康体操」、実は“ダンス・タイム”が辛くって、1回サボり、2回サボりしているうちに、とうとう行かず終いになってしまいました。

まあ、今度は、あまり気張らず焦らず、ボチボチ行きますワ。

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2006年8月 1日 (火)

気まま夏休み

長かった梅雨がやっと明けた。それを機にというわけでもないが、年初からほぼウィークリーで続けてきたこのブログを、勝手ながら、ここらでチョッとひと休みとしたい。
一応、8月いっぱいの積りだが、そこはソレ、“気まま”と称しているくらいだから、何か書きたいネタが出てきたら、その間でもヒョッコリ、休みから戻ってくるかも知れない。

夏休みといっても、実際は、すべてのことから解放されて1ヶ月まるまるどこかに雲隠れできるわけではない。月例のコンサルティングや原稿もあれば、前から予定が入っている会議や打ち合わせなどもあって、都心まで出かけたり、家にいても一日中パソコンにへばりついている日もある。ので、その間隙を縫って、普段よりはマメに山荘通いをし、少しでも長い時間、頭と手指を休めてきたいのだ。

もちろん、仕事類は一切持ち込まず、森の木々の枝落としや下草刈りなどの肉体労働に徹し、このところ大分消耗気味の脳内をリフレッシュ・充電してくる積りだが、果たしてその通りに行きますやらどうやら?

世間に先がけ休みモードに入って、この暑さの中で毎日頑張っている第一線の皆さんには申し訳ないが、ご同様にしていた若い頃とは違って、そうでもしないとだんだん保たなくなってきた。

皆さんも、働き過ぎで夏バテせぬよう、くれぐれもご自愛を祈ります。

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2006年7月20日 (木)

トラブル二重奏

今週に入って思いがけず涼しくなったが、先週来の猛暑には参った。というのは、選りに選ってこんな時に、自室のエアコンが故障したのだ。もっと早く故障と気がつけばよかったのだが、戦中派の悲しさで夏は暑いものと悟り、やたらと人工的に冷やすことを良しとせず、暖房が終った4月以来ついこの時まで、一度もスイッチを入れていなかった。

しかし連続する熱帯夜の寝苦しさには耐え切れず、深夜リモコンを手にとってスイッチ・オンしたら...アチャー! 運転ランプが点かない。風向フラップが開かず、ウンともスンとも音がしない。いろいろリモコンの切り替え操作をしてみたがダメ。電池切れかとも思ったが、手元にスペアがない。ストックしてある場所に取りに行けば、せっかく寝付いたムッシュを起こしてしまうので、その夜は我慢して汗ダクで朝を迎えた。

あわてて修理を頼んで、来てもらったら何でもないことだったと恥をかかぬよう、電源、ブレーカー、ヒューズ、リモコンの設定、そして応急スイッチなど、自分でできることはすべてやってみたが、どうやっても動かない。メーカーの相談センターに電話して指示通りにやってみてもことごとくアウトで、遂に修理を頼むことに。
一応これでメドはついたが、1週間待たなければならないという。仕方なく、物入れの奥にしまったままだった簡易取付け式の小型扇風機を取り出して、数夜を過ごすことにした。これがあれば確かに風は来るが、もともと気温が高いので、とても涼風というわけには行かない。が、ないよりはマシというところで、久し振りに団扇も使った。

本格的な夏に入る前だったから、むしろこれで良かったのだと、前向きに考えることにして一安心していたら、また別のトラブルが発生した。今度はパソコンだ。何か画面が揺れるような感じがすると思っていたら、ちょっと目を離した隙に、ほとんど真っ暗になってしまった。光の当たり具合で微かに見えなくもないが、とても使えるレベルではない。ウーン、これは困った。エアコンはまだいいが、パソコンが使えなくては商売にならない。

修理しなければならないのだろうと思うが、期間が問題だ。その間、現在進行中の案件や約束に関する遣り取りはどうしよう。とりあえず、電話かハガキで一報を入れておかなければ....。いや、それよりもファックスか。でもその前に、ほんとにイカレてしまったのかどうかもう一度チェックしてみる必要がある。等々、考えが堂々巡りしているうちに、また日付が変わってしまった。でも、一晩たって少し落ち着いたら、修理には何日かかるのか、いちばん時間のかからない方法は何かを知るため、まずはメーカーのヘルプデスクに相談する必要があると考え、受話器をとった。

トラブルが発生したパソコンはS社のVのノート型。ヘルプデスクが指示する通りいろいろ操作してみたが、やっぱり画面は明るくならない。恐らくは液晶ディスプレイのバックライトの故障で、修理に出すと期間は10日ぐらい、保障期限切れなので費用は9万5千円はかかるという。S社のオンライン・ショップに10万円台の新モデルがあるから、いっそそれに買い換えたらという提案もあり、それもいいがその場合、既存のデータを自分で新しいパソコンに移すにはどうすればよいかという話になった。

その話の流れの中で、ハタと、自分が同じS社のVの極小型ノートと、それと組み合わせて使っていたディスプレイも持っていることを思い出したので、そう言ったら、とりあえずのところは、そのディスプレイを接続して使ったらというサジェスチョンを受けた。
しかし、この種の作業はいつも長男・二男まかせ。自分自身がやったことがあるのはプリンターの接続くらいで、あまり自信はなかったが、探してみたらそれらしき接続ケーブルも出てきたし、マニュアルと首っ引きでともかくやってみることにした。

電源以外、両機で2ヵ所ずつ、都合4ヵ所を接続すればよいのだが、ディスプレイ側の端子の1ヵ所にどうしてもプラグが入らない。端子のある個所のカバーが半分くらいしか開かないので、とみに不器用になった手先では上手く差し込めないのだ。よく見えないこともあって、もしやこのプラグは違うものでは?などとも考えてしまった。何度やってもうまく行かないので、思い余って、迷惑だろうとは知りつつ長男に電話したら、案の定、休日だというのに会社で仕事中。わけのわからない相談を長々と続けていては邪魔になると思い、早々に切り上げた。かくて、その夜もあきらめることに。

翌朝早く、気分を一新し改めてとりかかる。明るい自然光の下で、端子が最大限によく見えるようにディスプレイを逆さにし、どうしても入らなかったプラグの角度を微妙に変えながら何度も試みると...何と、今度はピタッと噛み合ったではないか!ネジも締まる!
ホクホクして、他のすべての個所も接続し、コンピュータとディスプレイの電源を入れると...キレイに出ました、画面が!二日ぶりに! アー良かった。

そして今、こうして使えているわけで、長男以外誰にも迷惑をかけずに済んだが、一時はどうしようかと焦った。いずれ買い替えなければと思うが、しばらくはこれで行こう。
夏の初めの、とんだトラブル二重奏でした。

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2006年6月27日 (火)

父の日プレゼント

先週の日曜日、娘からズシリと重い宅急便が届いた。早速開けてみると、“父の日プレゼント”仕様の「虎屋」の羊羹と最中の詰め合わせ。アルコールがまったくダメで甘いもの(それも和菓子)には目がない父の嗜好を思い出してくれたのだろうか。ともかく、欲しいものが特に思い浮かばない今では、こういう贈り物が一番嬉しい。小さい頃は、手書きイラスト入りの手作りカードなどをくれた娘も、いまは一児を持つ身。自然に、親の喜ぶ何気ないものに気がつくようになったのだろうと思う。

そこへ行くと、せがれ達は電話もかけてこないが...などと心のうちで思っていると、次男が一週間遅れの父の日プレゼントと、一カ月余り遅れの母の日プレゼントを持ってやってきた。長男は、「母の日」こそ忘れなかったが、「父の日」は多分、忙しくて念頭に浮かばなかったのだろう。まあ、それで良い。こちらも、別にプレゼントを楽しみにしているわけではないし、自分の若い頃だって、そんなにマメではなかった。

ところで我が家では、「父の日プレゼント」のことを“父プレ”という。「母の日プレゼント」は“母プレ”、「誕生日プレゼント」「クリスマスプレゼント」はそれぞれ“誕プレ”“クリプレ”だ。多分、我が家だけでしか通用しない言い方だろう。

もう随分前のような気もするし、ついこの間のような気もするが、子供たちが全員家にいた頃は、何かというとプレゼントをし合っていた。もっとも品物を贈るのは夫婦間と親から子へだけで、子から親へと子供達の間は、カードか口頭でのグリーティングだけだった。
それでも、家の中で賑やかなことをするのが大好きな家族だったので、毎年の父プレ、母プレ、誕プレ、クリプレに大騒ぎしながらお道化たポーズで撮った写真と寄せ書きのカードが、今も残っている。可笑しいのは、意識しているわけでもないのに、みんないつも同じポーズで写っていること。でも、そんな写真をあらためてよく見ると、子供たちは年々成長して、体つきや顔つきなどが少しずつ変化しているのがわかる。

あの日々はもう帰ってこないが、今度は子供たちの家族がそれを繰り返してくれればそれで良い...などと、渋茶を啜り最中をパクつきながら、ついいつの間にか、来し方を振り返って物思いに耽っていた。自分もそういう歳になってしまった。

最中と羊羹ですっかり満足していたのだが、それだけでは何だか可哀そうだからと、家内が何かプレゼントしてくれるという。これは何プレと言えばよいのか? ずっと“お父さん”と呼ばれてきたから、やはり“父プレ”か?(これがホントの“親父”ギャグ!)

何がいいかと聞かれたが、格別にこれといって欲しいものはない。強いて言うなら、いくらあっても良いのは着る物ぐらいだろうか。それも今ではもう、毎日取っ替え引っ替えしているわけじゃあないのだから、どっちでもいいのだが...。と、グズグズしていると、「サマー・ジャケットでもどうなの?デパートを見てらっしゃい。」と“鶴の一声”。で、久し振りに、多摩川を渡ったところのT屋デパートと、近所の私鉄系T急デパートのメンズ・フロアを巡ってみた。

両店とも、けっこう時間をかけて見て歩いたのだが、なかなかこれはというものが見つからない。ただやたらと歩き回っても疲れるばかりなので、若い頃から好きだったアメリカン・トラッドだけに絞って、PR、BB、JP、PSなどをもう一度見直すと、ありました! 好みに合って試着してもピッタリのものが、近所のT急デパートのJPに。
でもよく考えると、カラーも生地もデザインも似たようなものを既に3着持っており、これに決めたら流石に呆れられるのではないかと思い、ドナーに一緒に来てもらって客観的な意見を聴いてからにしようと、出直すことにした。主体性がないのだ、我ながら。

昔は、勝手に衝動的に気に入ったものを買ってきては、ときどき眉をひそめられたり、いつの間にか没収されたりしていた。その頃は多分、自分自身がイメージしている自分と外から見た自分が食い違っているのに気がつかなかったのだろう。では、この頃は自分が見えるようになったのかと問われると、それも自信がない。イヤハヤ、すべてにそれでは困るのだが、たかが着る物のことだから、まあいいことにして欲しい。

付き添いつきで再度JPに行くと、案の定、最初目をつけたものは“ン?”で、その時見過ごして試着もしてみなかったカラーとデザインのものを見立ててもらったら、意外にマッチすることがわかった。こんなに目が節穴になっているとは自分でも気がつかなかった。綾小路きみまろが言いそうだが、もうこうなったら、ついて行くしかありません、あなたに。今はつくづく、“老いては子に従え”ではなくて“妻に従え”だと実感。

何はともあれ、久し振りの父プレ・ラッシュは、家族がみんな元気でやっていることの証し。ささやかなことだが、そういう平凡さを幸せに思う。

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2006年6月24日 (土)

奇跡は起こらなかった

アーァ、肩が凝った。息苦しい。サッカー・ワールドカップの日本対ブラジル戦が終った直後から、これを書いている。敗戦のインタービューなど辛くて見たくないから、テレビのスイッチも切ってしまった。奇跡が起こることを願っていたが、やっぱり無理だった。
サッカーは素人なので、わかったようなことは言えないが、オーストラリア戦とクロアチア戦はともかく、ブラジル戦は実力の差だろう。

個々のプレーを振り返って“たら”“れば”を言っても今さら始まらないから何も言わないが、ただ三つの試合を通じて、我々日本人の、フィジカルだけでなくメンタルでの“押しの弱さ、淡白さ”みたいなものは感じた。
ともあれ、選手たちは、いつまでも落ち込まず、挫折から立ち上がって強くなって欲しい。ジーコもご苦労様。自分も頭を冷やし、これでまた日常に戻ることにする。大事なことがほかに幾つもあるのだから。

今日は午後から山荘に行くことにしていたので、途中眠くならないよう、試合開始の時間までは少しでも睡眠をとっておこうと、いつもよりは少し早めに布団に潜った。3~4時間は眠ったようで、目覚ましをかけていたがそれが鳴り出す前に目が覚めた。
本来なら、居間のテレビを家内と共に大騒ぎしながら見るところなのだが、居間の隅にはムッシュのケージがあり、せっかく8時ごろからグッスリ眠っている(いつも夜の7時半頃から朝の9時頃まで眠る)ので、我々が騒いで起こすには忍びないと、ドアを閉めボリュームを下げて、それぞれの自室で見ることにした。

最初は横になって見ていたが、日本が先取点を入れた時に起き上がってしまい、前半のロスタイムで同点に持ち込まれた頃から椅子に座っていられなくなり、後半は室内を歩き回りながら、あえてチラチラと横目で見ていた。家内も同じらしく、立ったり座ったり落ち着けない様子が伝わってきた。
地区予選やオーストラリア戦、クロアチア戦でも、始まるまでは楽しみにしていながら、いざ試合開始となると怖くてみていられないと言って毛布をかぶったり、別室へ逃げてしまったりする家内のこと、ゲームセットでさぞショックを受けているだろうと、すぐに“お見舞い”(?)に行くと、あまりの完敗だったせいか意外にさばさばしていたのでひと安心。

何だかんだしていたら、もう7時になる。これから寝ようと思っても無理なので、今日はこのまま起きていて出かけることにする。清里の森のホームページで天気予報を見たら、幸い午後からは晴れるらしい。

ここのところ公用私用があって何かと忙しく、つい今日に至ってしまったが、前回行ったのは5月の初めだからもう7週間になる。遅咲きの深山桜も散り、ウドやタラの芽ももう葉が開いてしまっているだろう。せめてフィトンチッドだけでもたっぷり浴びてくるか。

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2006年6月19日 (月)

新車に替えるとき

今月の初め、6年ぶりに車を替えた。今まで乗っていた車に特に問題があったわけでも、はたまた特に購買意欲をそそられた新モデルがあったわけでもないのだが、何となく、気分転換(自分よりは家内の)という感じで買ってしまった(真のターゲットは家内なのだ)。まあ、今どき新車に乗り替えるのは、どこの家庭でも何も珍しいことではないのだが、我が家的には一つだけ画期的なことが...。

それは、今回は自分の車歴の中で初めてAT車にしたということ。そう、我が家は、1964年に最初のマイカーを購入して以来ずっと、MT車に乗ってきたのである。トヨタのパブリカから始まって、いすゞのべレット、ホンダの1300クーペ、ニッサンのローレル、トヨタのマークII、ニッサンのテラノ、そして直前のスバルのフォレスタと、さまざまなメーカーのさまざまなモデルに乗ってきたが、一貫してMT車だった。もっとも、最初の頃には、AT車はまだ日本の市場に存在していなかったが。

この時代にMT車とは、鶴田浩二の「傷だらけの人生」ではないけれど“古い奴だとお思いでしょう”(この譬え自体が古い!)が、そこには自分たち(家内も)なりのこだわりがあった。AT車も初期には何度か試乗してみたのだが、“アクセル・レスポンスがどうもしっくり来ない”の“運転する面白みがない”のと吹いているうちに、こうなってしまった。
最初のパブリカ(その名の通り低価格・高経済性の当時の大衆車、予算的にこれしか手が出なかった)と途中のローレルとマークII(この時期、いつも5人家族の全員を収容する必要があった)は別として、他は一貫して、MT車であることが意味を持つスポーツ・タイプ車か4WDのオフロード・タイプ車に乗ってきた。だから今回も、そろそろディーラー巡りをしてみようかなと思い立った時には、MT車しか念頭になかった。

ところが最近は、MT車は不当にマイナーな存在に押しやられているようだ。高級スポーツカーは別として、ほどほどの価格帯でスポーティ・ワゴンというと、ニッサンのXトレイルかスバルのフォレスタまたはレガシイぐらいにしかMT車はない。
ただスバルは、情報はよく送ってくるのだがしょっちゅう営業マンが変り、親しく話す機会もなくなってだんだん気持ちが冷め、次は別のメーカーの車にしようかと思っていたところだったので、まずはニッサンに行ってみた。
ニッサンにはもともと付き合いの長い営業マンがいたし、ニッサン車そのものも嫌いじゃなかったのだが、テラノを買い換えようとした時MT車がなくなってしまい、それでMT車の揃っているスバルにしたのだった。

ところが、久し振りに訪ねてみると、その営業マンは3回行って3回とも休み。よく聞けば病気で長期療養中という。おまけに、XトレイルのMT車はその店には置いてないし、他の店からも回せないという。結局、カタログとAT車を見ながら話をするしかなかったが、よく聞けば、MT車は最下級の車種なので、オーディオや余計なアクセサリーは一切付いておらず、ごく一般的な装備にするだけでAT車よりも高くつくことがわかった。
これは、量産車種だけに絞って生産や販売を効率化しようとするゴーンさんの戦略か?シートが撥水性のみを重視した素材であることや、メーター・パネルが運転席の真正面ではなく左方にズレている(ダッシュボード自体の中央ではあるが)ことにも違和感があった。

せっかく盛り上がっていた購買意欲がかなり萎えてしまい帰宅してみると、郵便受けにスバルのこの地区担当営業マンの顔写真入りニューズレター形式チラシが入っていた。普段なら一瞥するぐらいなのだが、タイミングが絶妙だったのでつい読んでみると、ちょっとそそられる、予想外にお買い得な情報が載っていた。
かくてその後はスバルへ行って、話も聞き試乗もするのだが、やはりMT車はフル装備すると高くつき、今回の情報にあったATの特別仕様車が最もお買い得とわかった。レガシイB‐スポ