山荘四季だより

2016年6月 6日 (月)

清里四半世紀―身辺整理のとき

先月は何だか忙しかった。気候不順な4月からやっと爽快な5月に変ったと思っていたら、いつの間にかひと月が経っていた。5月は、仕事がらみでは例年の広告電通賞の選考で2日間拘束されただけだったが、この4月から地元の気功・太極拳同好会に週1回顔を出すようになって、どうも日常が今までよりもハイペースで進んで行くようになった気がする。
毎年5月には、月例の通院診察に加えて半年毎の内科的定期検診と前立腺ガン手術後の定期検診もあり、それに車の定期点検(持ち込みでの)や孫の運動会なども重なってアチコチに出かける機会が増えたのが、さらにその忙しい気分に拍車をかけた。

そんな中、連休が明けたころに、昨秋10月下旬以来半年余ぶりで清里の山荘に行ってきた。ゴールデンウイーク中は道路が渋滞し高齢ドライバーにはキツいと思い、敢えてそのタイミングを避けたので、中央道もまずまず問題なく流れ、午前11時過ぎに横浜の自宅を出て途中何度も休み休み行ったけれども、余裕で午後3時頃には現地到着した。
この時季は、平地がそろそろ夏日近い気温になる頃なので、わかってはいながら懲りずに25年以上もの間毎年、いくら清里でももう寒くないだろうとタカをくくっては予想を外していたが、今年もやはり例年の通り、甲府・韮崎あたりで28度だった気温は、山荘に着いたときには18度まで下がっており、日暮れにはまだ間があるというのにシャツだけではチョッと風邪をひいてしまいそうな肌寒さだった。

山荘のミツバツツジでも、約2ヵ月遅れながら季節は確実に進んでいると見え、標高1400メートルの森はミツバツツジとスミレの真っ盛りで、我が山荘の庭もあちこちが、地面は濃紫、地上は濃ピンクに彩られていた。一面の浅緑の中に真っ赤なヤマツツジの蕾も散見されたが、それを追い越すように、今月中旬過ぎにはオレンジ色のレンゲツツジが一斉開花するのだろう。
道路沿いのフェンスの下には端から端まで毎年冬の間も青々としたままの蔓日日草がはびこっていたが、珍しくもその中にゼンマイ状の山草の大株を発見。家内が食用になるコゴミではないかと摘み取ってはみたが、余りにも巨大で気持ちの悪いほど繊毛がビッシリついていたので、自分が鬼ゼンマイと判定して試食を断念。他方、楽しみにしていたタラの芽はまだだった。いつもタイミングが合わなくて残念なのだが...。

そんな山の春はごくわずかの間だけで、レンゲツツジが終わるとヤマボウシやウコギの白い花が満開になって、清里の森は一足飛びに初夏に近づく。昨今は年に1~2回しか来荘できず、季節の推移を肌で感ずることがなかなか難しくなってきたが、かつては――というか数年前までは――雪が未だ融けきらぬ3月末から始まってまた降りだす11月末まで、少なくとも月に1回以上は足を運び、四季の遷り変りを如実に体感したものだった。
しかし、横浜の家の建て替えでだいぶエネルギーを消耗し自分自身の年齢も70代に差しかかった頃から目に見えて体力が衰え、毎年、入院・手術を繰り返すようになって年々来荘の回数が減って行き、3年前に家内が路上で転倒し背椎骨折という大怪我をするに至って(現在もリハビリ療養中だが)遂に、現在のような回数に減ってしまった。

にもかかわらず、何とか老骨に鞭打ってやって来なければならない理由が今回はあった。建て替えのときに保管倉庫に預けきれず身の回り品の一部として山荘の方に持ち込んだままにしていた、大・中型段ボール箱15箱分の書籍(1000冊までは行かないかも知れないが優に5~600冊以上)の処分のためだった。
自分の昔からの趣味だった古代史関係の図書・文献を中心に、娯楽・文芸書、家庭・児童書、それに山荘生活を始めてからいつの間にか増えて行ったアウトドア・田舎暮らしの関係図書などが主な内容で、できれば森のコミュニティハウスの蔵書として寄贈したいと管理事務所に申し出ていたが難しいようだったので、専門業者に引取りを依頼することに決心した。ただ、店に持ち込むパワーはもうないので、出張引取りということで...。

で、すぐに頭に浮かんだのはご存知「Bオフ」だが、問い合わせてみると清里の山荘辺りだと出張の地域外らしく、一たん横浜自宅に持ち帰らなければ引取り不可能とわかった。しかしこれだけのものを、たとえ何回かに分けたとしても、山荘~自宅間を自力で積み下ろし運搬するのは今さら体力的に無理だし、と言って忙しい働き盛りの子供たちの手を煩わすわけにも行かず、ハタ...と行き詰まっていた。
結局、現地で資源ゴミ回収にでも出すほかない(それでも都会とは勝手が違って管理事務所までは自力で運ばなければならない)かと諦めかかったが、他の件でネットを検索していたときに突然ひらめき、古書専門店に相談してみてはどうかと思いついた。

調べてみたら、ありましたありました“出張引き取り(価値があれば買い取りも)いたします”という古書店が...。沢山ではないが、関東近県はもちろん“出物によっては全国どこにでも伺います”と謳っているところもあって、早速何店かに問い合わせた。が、地理的に山梨県、しかも長野県に近い清里はビミョーなゾーンらしく、“1000冊以上あれば...”とか“その内容では...”とか体よく断られ、1店だけ、“ウーン...ともかく伺ってみましょうか...”と言ってくれたところがあった。
それは東京神田神保町の古書専門店「愛書館N書房」。ホームページを見ると、四代続いている由緒ある古本屋さんのようで、扱い図書もさまざまな分野に亘っており何やら懷の深さが感じられた。はるばる清里までの出張を即断で承諾してくれたところから察すると電話に出た人自身が店主らしかったが、そのご当人が来てくれることになった。

約束の日――自分たちの到着の翌日――約束の時間に、N書房さんが来てくれた。名刺を受け取るとやっぱり社長。でも、思っていたよりもはるかに若い年格好の屈強そうな体格の青年で、この人なら独りでこれだけのヴォリュームの本を搬出することも可能に違いないと、すっかり体力の無くなった我が身としては一安心した。
事実、ザッとではあったが全冊をチェックし、各箱に紐掛けまでしてくれて車に積み込むのに2時間もかかったろうか...さすがプロ、そして若さだと感心。仕事が片付いたところで茶飲み話をしたが、いま古書業界は不景気でよほどの稀書でもなければなかなか買い手がつかないという。この日引取ってくれたようなものも店に置いてみなければわからないとのことだった。ともあれこちらとしては、本として扱って引取ってもらっただけでも有難かったのに、5千円という買い値までつけてもらって嬉しかった。

サテ、これで懸案だった本は片付いたが、まだ山荘には500枚近い30センチLPレコードと100枚近い古CDが残っているので、これも何とかしなければならない。やはりネットで調べて何店もの古レコード店に当たったが、こちらは古書のようなわけには行かず、引取って(できれば買取って)もらうにはどうやら、段ボール箱を送ってもらい自分で梱包し、地元の郵便局の集荷サービスを利用して着払いで送るということになるようだった。
さらにその他にも、やはり長い間に貯まりに貯まって何とか引取り手を見つけなくてはならなくなっているものに食器類がある。これは家内の分野なので自分は数えたこともないが、種類も量も半端な数ではないようで、ブランド品も多く半分以上が新品のままらしい。流石に食器の引取り店というものはないが、不用物として処分するにはあまりにも忍びないので、できれば子供たちや親しくしている方々に受取ってもらえたらと思っている。

ところで、いまこんなに身の周り品の整理に躍起になっているのは、実は、この山荘を手放すことを決心したから。25年経ったとは思えないほど綺麗で何処も傷んでないしメンテナンスもちゃんとできていて、愛着がなくなってしまったわけでもないのだが、いかんせん、前述したように自分たちの高齢化のためコンスタントな来荘と維持管理が無理になり、年金生活の身としては税金・共益費などの負担もこたえるようになった。
建てたときには、いずれ子供たちの誰かがまたは全員で、親の目の黒いうちに引き継いでくれるだろうと当然のように思っていたのだが、みんな仕事がたいへんだったりまずは己の家庭という先立つ事情があったりしてそれどころではなく、何度も考え相談した挙句、やむなくそういう結論を出した。

清里の森の同じ立場の多くの山荘オーナーの方たちがそうしているように、いまのところ売却の広告は「清里の森管理公社」のサイトの“売り物件のご案内”というページにだけ出している。掲載は昨年の夏からで、これまでに2~3引き合いがあり実際に見てもらったりもしたのだが、売値と買手の方の予算が折り合わず、商談はなかなか進んでいない。
土地・建物一切で新築時の費用の半分以下に付値しているので、現地・現物を見た方にはそれだけの価値が十分あることはご理解頂けていると思うのだが、昨今個人で別荘物件を求められている方のほとんどは、土地が狭くとも建物が小さくとも自分の予算内に収まるものを希望されているのだとか。マア我が山荘は土地も建物もやや広く部屋数も多いのでそういう需要には合致しないかも知れないが、きっとどこかにそうでない方もいるのではないかと、期待しながら待っている。

たまたま以前から、我がホームページ(「中澤功ドットコム」当ブログからリンク可能)には、画面の賑やかしとして山荘内・外観のショットを数点載せているので、それなどもご覧になり興味を持たれたら、“清里の森”で検索して管理公社の方に問い合わせてみて頂ければ幸いに思う。

早く買手がついてくれればもちろん有難いのだが、いざそうなったらとても淋しくなるだろうと思う矛盾した自分もいる...。次に行けるのはいつごろになるだろうか。

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2013年8月 5日 (月)

3ヵ月ぶりの清里

「土用」に入り「大暑」だという日の午後に発って、実に久し振りに清里へ行って来た。前回はゴールデンウィークの前半だけで帰ってきたから、約3ヵ月ぶりということになる。当然もっと早く行きたかったのだが、いろいろあって、こうなってしまった。
今年は早々と梅雨が明け、すでに一頻り猛暑の洗礼を受けており、いまさら土用と言われてもピンと来なかったが、それでもその日は30度を越す暑さで、これからももう一山、暑さのピークが来るかも知れないと予感させられた。

これまでにないほど、あまりにも長い間ご無沙汰していたので、何となく身支度もマゴマゴ、ほとんど横浜にいるままの感覚で出かけてしまったが、標高1000メートルに達しない辺りまではよかったものの、清里高原に入ったころから急に肌寒くなってきた。
山荘到着時の気温は20度を割り込み、薄い綿カーディガンぐらいでは間に合わない寒さ。玄関内のクローゼットに厚手のアウターを常備してあったからいいようなものの、この甚だしい気温差には、長年のことでわかっていながら、いつも同じ戸惑いを繰り返す。

結局、暖炉こそ焚かなかったものの、やはり床暖房は点けざるを得ず、風呂に浸かり全身が温まってやっと人心地。ただ、ムッシュはといえば、暑かった横浜から避難でき、むしろこの低温が気持ち良さそうで、夕食を摂ったらすぐに眠りに就いた。
既報のごとく、前回、今年初めてきたときには、冬季の凍結で浴室のシャワーが壊れていて不自由したが、留守中に管理センターのSさんに取替え工事をしてもらっていたおかげで、今回は何の問題もなく滞在第一夜を迎えることができた。

そんなに長いわけではないが短か過ぎもしない一週間というのが、今回の滞在予定期間。なら、慌てることもないと、翌日は朝から雨だったこともあって、家の中でのんびり。しかし気温は20度までしか上がらずやはり寒いので、真夏というのに暖かく重ね着。
テレビによれば、その日の東京は27度とか。してみればあちらもそんなに暑くないわけだが、前日は都内で局地豪雨に襲われたところもあったようで、勤めを終えて家路に急ぐかなりの人々がたいへんな目に遭遇したらしい。皆さんご苦労様でした。

朝食の後はいつもコーヒー(と言っても最近はコーヒー牛乳状態の薄めマイルドのもの)にするのだが、ここのところずっとアイスにしていた横浜とは室温が違うので、さすがに清里では久々のホット。夏のさ中で異例だが、これはこれで美味であった。
今回は徹底的にのんびりするつもりで、あえて、本数冊以外にはパソコンはもちろん何もヒマつぶしの道具は持ってこなかったら、ヒマをつぶすというのもなかなか難しいもので、思わず、昼寝などしてしまった。

グータラばかりしていてもいけないと思い、労働も少し..と発心。といっても、いつもと変哲なく、前庭駐車場の草むしりや裏庭の枕木遊歩道および家の周りの周回歩道の笹刈りぐらいだが、膝を曲げ腰を屈めての作業なので、正直のところ応えた。
もうダメだ、ギブアップしたい...と何度も思いながら、一方では、途中で投げ出すわけには行かぬ...という義務感というか責任感のようなものもあって、ともあれ今年もやり遂げたが、あと何年体力が続くか...。

Picsでも、外へ出ると、単に疲れるだけではなくて、フィトンチッドを一杯に含んだ空気が美味しいし、樹木や山野草の花々が、目を楽しませてくれる。いま森全体は、ウツギやヤマアジサイの白い花々で真っ盛り。
我が家の庭も、上を仰げばそれらとヤマボウシが重なり合い、下からはホタルブクロやオダマキが立ち上がっていた。いつもならそこここに群生するギボシは、今年はまだ姿を見せず、その代わりというわけでもなかろうが、早々とタマゴダケが1本生えていた。
(写真は上から順にホタルブクロ、オダマキ、タマゴダケ)

さて、前回はどこにも出かけなかったので、今回は一度くらい外に出ても良いかと思い、大泉の「藤乃家」まで蕎麦を食しに。齢を重ねてくると、だんだんレストランやカフェのメニューよりも、ザル蕎麦のようなシンプルなものがよくなってくる。
ついでに「ひまわり市場」と「ウエルシア」にも寄って買い物をし、帰途、「清泉寮」でお土産の瓶詰ジャムを仕入れ、定番だからとソフトクリームも食べてきた。ムッシュは昼寝させたまま出かけたが、帰って来てもまだ眠っていた。いい子、いい子。

気がつくと、もうこちらに来て5日め。毎日がどうということなく過ぎて行き、所在なく、持ってきた本も全部読んでしまい、こちらに置いてある一度読んだ本を読み返す。エンタテインメント系のものだと案外内容が記憶に残っていないもので、けっこう楽しめた。
本といえば、建て替えのとき段ボールに詰めて運び込んだものがいまもそのままで、横浜の家の書棚が満杯になっているため、持ち帰るに持ち帰れない。専門書なども多数あるから処分してしまうのも惜しいような気がするし、ハテ、どうしたものか...。

帰宅予定の前日もすることが特になく、手持無沙汰。いっそ今日帰ろうかなどと家内と話し合ったが、急に思い立ってではバタバタするし、日曜なので中央道上りは渋滞するかも知れないと考え直す。
気温はやはり、あまり上がらず22度。肌寒くはあるが快適といえば快適。明日戻る東京・横浜は今日も30度まで上がったらしいから、こちらのこの低温はむしろ、有難いと思うべきなのだろう。

...と、持て余したようでもあったが過ぎてみれば束の間だったようにも感じられる日々が終わって帰宅する日は、生憎の雨...しかもかなりの激しさ。運転はもちろん荷物の積み込みもたいへんになるナァと、降り出した前夜から憂鬱だった。
でも、翌日に前立腺ガン手術後2年半の検診があるので、帰らないわけには行かず、気持ちを奮い立たせて用意・出発。この雨では途中の乗り降りのときにも必要になるだろうからと、こちらに置いてあった厚手の撥水ジャケットも身に付けたままで。

ところが何と...、国道141号線の弘法坂を下ったあたりから雨は小止みになり始め、須玉に着くころはほとんど上がったではないか。気温も出発時は20度あるかなしかだったのにもう25度までアップ。撥水ジャケットはたちまち無用の長物になってしまった。
実は、帰途トイレ休憩に立ち寄る談合坂SAでの乗降が、駐車場と建物とがかなり離れているため、大雨のときはムッシュ連れだとずぶ濡れになってたいへんだろうと心配していたのだが、それも杞憂に終わって、この日の帰宅は結果オーライだった。

中央道上りは、なぜか走行車両の台数は多かったけれどもさしたる渋滞もなく、きわめて順調に運行。横浜の家にはほぼ最短時間で到着したので、ムッシュには夕食を待たせることもなく、荷物下ろしも余裕を持ってできた。
でも、勝手なことを言うようだが、清里から帰ってくるとやっぱり横浜は蒸し暑い。我が家は24時間自動換気のシステムが作動しているはずなのだが、それでも、1週間戸締りをしたまま出掛けると、帰って来たときにはモワッとする。

毎度のことながら、数時間でガラリと変わる清里と横浜の気温差には、体調のフォローが難しいが、猛暑のときに逃げ込む場所があるだけ良しとせねばなるまい。暑いの寒いのとその都度文句を言っているのは我が侭が過ぎるというもの。
と、納得して、あちらは寒かろうと雨が降ろうと、こちらのこの暑さが続いている8月中には、もう一度清里に行ってこようと改めて思う。もう齢で、往き帰りは確かに楽ではなくなったが、時間だけはタップリあるのだから、できるうちにそうしておかねば...。

余談ながら、帰宅の翌日に行った東京医療センターの検診では、前立腺のPSA値が0.33まで下がっていた。実は、前回3月の検診では、それまでほぼ順調に下がり続けていた同値がなぜか突然2.44まで跳ね上がり心配していたが、これで一安心ということのようだ。
何と言っても健康第一。この暑い中、皆さまにおかれましても、くれぐれもご自愛の程を。

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2012年11月26日 (月)

山荘の水抜き

今年の清里の秋は気温の低下が急速に進行しており、近ごろは最低温度が氷点下まで下がる日も珍しくないというので、山荘の水廻りの凍結が気になっていた。で、できるだけ早く “水抜き”(すなわちクロージング)をしなければと思っていたが、色々な予定があってなかなかそれがならず、やっと先日行ってきた。
その日は、どうやらこの秋一番か二番の寒さという日だったようで、山荘に着いたときの冷え込みは半端ではなかった。いつも水抜きに行くころは、ある程度の寒さは想定内なのだが、それでも思わず、“ウ~”と、声にならない声を上げてしまうぐらいだった。

昨年の同じ時季に夜間に到着して、電気系統のトラブルに遭遇し途方に暮れたことがあったものだから、それがトラウマになって今回も、先ずポーチ灯が点き、次に床暖房が暖まって来るまでは心配だったが、どちらも無事で一安心。
かなりの寒さだろうとは覚悟していたので、暖衣は抜かりなく用意して来ていたのだが、冷え切った寝室で直ぐに着替えるのはチト辛いし、さりとて、暖炉も焚いて暖かくなっているからと言って、オープンなリビングルームでご開帳というわけにも行かず、取りあえず、アウターを重ね着して凌いだ。

ヨーキーは全身長めの体毛で覆われているといっても、ムッシュだって寒かろうと、彼用のケージは全面を何枚かの毛布で完全にカバー、ベッドも冬仕様にして、布団代わりにフリースの小さなケットを重ね掛けしてやり、ペット用の電気アンカも入れてやった。
人間さまのベッドもすっかり冷え切っているので、暖めないととても寝つけない。だが、横浜の自宅では使っているのになぜかこちら山荘には電気毛布や暖房シーツの用意がなく、いつも布団乾燥機のお世話になる。1時間ほど稼働させておくのだが、これがなかなかの優れモノで、一たん温まれば朝まで十分それが維持されて安眠できる。

散り敷いたカエデそうして、家族一同その夜は何とか寝就いたが、夜半に目が覚めると天窓を叩く生憎の氷雨。宵の内は雲一つなく晴れ上がっていて、あんなにきれいな星空だったのにと気落ちしたけれども、幸い夜が明けるころは小止みになり、起床時にはほとんど上がっていたので、寒くはあったが、いつも通りムッシュを散歩に連れ出すこともできた。
一夜明けた外は、モミやトウヒなどの常緑針葉樹以外はすっかり葉が落ちて、晩秋というよりはもはや、寒々とした初冬の景色。もしやまだ少しは紅葉が残っているかと淡い期待を抱いてきたのだが、やっぱりダメで、いちばんいい色だったはずの裏庭のカエデは、茶褐色に変色した落葉を、術もなく地上に敷き積もらせていた。

ところで今回の目的は、紅葉でもキノコでもなく山荘のクロージング、早い話が凍結防止のための水抜きだったが、昨年もボヤいたように、年々作業がシンドくなってきた。肉体的にだけでなく、精神的にも...。
ボイラー・床暖房の電源をオフにし、ガス・オイルの栓を閉め、もちろん水道元栓を閉めた上で、台所・洗面台・浴室・トイレ・洗濯機など全館の各蛇口と排水バルブを全開にして水を抜き切るわけだが、地下室から2階まで何往復もするだけでなく、文字通り漏れがないようにと何度もチェックするのに、体力も神経も消耗するのだ。

山荘を建てて最初の2~3年は、どこかを開け忘れたり気がつかなかったりして、蛇口や水道管を凍結で破裂・変形させ大騒ぎしたことも再々だったが、毎春オープニングのときにはビクビクしながらもだんだん慣れて来て、20年あまり何とかこなしてきた。
その間、家内と二人で分担しまた相互チェックしながら、頭と身体の両方で手順を覚え込んだ積もりでいたが、どうもこのところ、メッキリ自信がなくなってきて、一度やったことを再度確かめなければ不安になるなど、作業にエラく時間がかかるようになってきた。

...ために考えた。家内は自分よりずっとマシだと思うのだが、それでもやはり心許ないということなので、チェックリストを作ることにしたのだ。これがあれば、誰かに頼まなければならなくなったときのマニュアルにもなると思って...。
作業プロセスを思い起こしながら草稿を書き、カン違いや過不足のないように実際にそれに沿って現場をなぞってみながら推敲を重ねたので、けっこう時間がかかった。でも作り上げたら一安心で、昨年からは、それと首っ引きしながら念を入れてやっている。

だが、毎年そんな思いを繰り返していると、いつまでこれを自力で続けて行くことができるのだろうかと、フと考えてしまうことがある。水抜き、クロージングだけでなくオープニングもそうだし、ひいては日常の管理・維持にも思いが到る。
マニュアルさえ作っておけば、山荘の開け閉めぐらいのことは管理センターが仕事として引き受けてくれるが、掃除や洗濯や布団干しなどの日常のメインテナンスは、何さまでもないのだから、すべからく頼むわけには行かないだろう...等々。

今年はこれでやっと6回目の来荘。4月から11月のシーズン内でも毎月というわけには行かなくなってきた。横浜の自宅の方で、病院だ何だかんだとケジュールに縛られてということもあるが、寄る年波には勝てず、清里との間の150キロを車で往復するのが昔のように何の苦もないというばかりではなくなってきたというのも大きな理由だ。
こうやって、来る回数が年々減ってくると、このままずっと自分で山荘を保持し続けることにどれだけの意味があるかとも考えてしまう。確かに、ある種の満足感はあるかも知れないし、実際にも夏などは、ここがあることの有難さを再認識はさせられるのだが...。

いっそ手放してしまう...という選択肢もなくはないが、それではあまりにも淋しい。自分たちの好みに合わせて設計し、什器・備品も何不自由なく揃えて、家族や友人たちと楽しい時間を過ごしてきたこの山荘には、簡単に断ち切れない深い愛着がある。
家屋にも、まだ十分な耐用年数はありそうだし、理想を言えば、子供たちが代を引き継いで、共同で使用・管理の主体になってくれれば言うことないのだが、彼らも気持としてはわかっていても、いまは仕事や子育てに忙しくて、それどころではなさそうだ。

かと言って、今後いつまでもこれまでのように自分たちが主体であり続けることも、実際問題として限界があるのは明らかなので、好むと好まざるとにかっかわらず、いずれそう遠くないうちに、どうするか結論を出さなければならない。
この1~2年は、そんなことを、山荘に足を運ぶたびに家内と話し合い、特に水抜きの時季などには強く意識しては話題を蒸し返してきたが、そろそろ決められる気持ちになったと思いながら、いざとなるとなかなか決め兼ねている。

そうやって今回も、そのことを話し合いはしたが、結局結論は先延ばし...その間にどんどん自分たちの齢は重なり、体力も精神力も衰えて行くというのに...。

牧場通りからの富士山と、チョッピリ胸にわだかまるものはありつつも、今年も無事作業を終えて帰途についたが、折り良くすばらしい好天で、牧場通りから富士の絶景を遠望し、弘法坂の下りで新雪の赤岳を仰ぎ見たら、ひととき、そんな憂さも吹き飛んだ。

斯様に、決めなければならないがまだ性急に決めたくもないという複雑な心境にあるこの問題。いつまでも保留しておくわけにも行かないから、そのうち子供たちと率直に話し合わなければなるまい。

長い歳月が経つと、山荘ライフにも楽しみばかりでなく悩みも伴ってくる。

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2012年10月15日 (月)

清里の紅葉はまだだった

5週間ぶりに清里の山荘に行って来た。前回、9月の初めに出かけたときにはまだ残暑の尻尾が残っていたが、今回、10月も半ばにさしかかるとさすがに横浜でも秋ムード、午後に出発するときも、長袖シャツにベストを羽織ってちょうど良いくらいだった。
が、標高1400メートルの山荘に着いてみると、陽が落ちたばかりというのにもう10度を切りそうなところまで気温が下がっていた。平地の11月下旬の寒さ...天気予報である程度の覚悟はしていたものの、やっぱり震え上がった。

これはたまらぬと早速アウターをもう1枚重ね着し、例によって床暖房だけでなく暖炉も焚いて、1時間後にやっと人心地がついた。これくらい寒いだろうとは予想がつかないわけではなかったが、横浜を出るときがそうでもないので、いつも同じことを繰り返す。
ムッシュは長時間のドライブに愚図りもせず、寒さもさして苦にならない様子で元気にしていたが、夜半から早朝にかけては気温が一桁台に下がって冷え込むということだったので、寒気を防ぐためにケージのまわりを毛布で囲ってやった。

翌朝は快晴、だが寒い。けれどもムッシュの朝の散歩はいつも通り、胸一杯に吸い込んだフィトンチッドが美味しく感ずる。彼も自分も既に十分に齢を重ねている身だが、お互い変わらずにこうして元気でいられるのが有難い。
3連休の後の週なので、森の中は人影も疎らだったが、それでもご近所には秋を過ごしに見えているお宅もチラホラ。自分たちだけしか来ていないらしいときは、静かではあっても何となくモノ寂しいが、そんな他の人の気配が窺えるとホッとする。

森の家々も25年近くも経つと、オーナーが高齢化して管理・維持が難しくなるケースが増えるらしく、我が家の周辺だけでも、お向かいの2軒と一つ措いた隣の1軒のオーナーが変わったが、どうやらその中の1軒の方が、自分たちの直前に見えていたようだった。
玄関ドアの把手に、挨拶の書面と品の入った袋が下げられていたが、このような場所では珍しくご丁寧なこととお人柄が偲ばれて、こういう方が増えると山荘ライフもより潤いのあるものになるのにネと、家内と話し合った。

ところで、森はすっかり秋めいた雰囲気なのに、家の周りの木々はほとんどまだ黄にも紅にも染まっていない。横浜の自宅の方でさえもハナミズキなどがいい色になっているというのに、こちらはどうしたことなのだろう。例年ならこの近辺はもうそろそろで、来週・再来週あたりが見ごろになるはずなのだが...。
なので、足を延ばしもうチョッと標高の高いところまで上ってみれば、もしかして紅葉にお目にかかれるかも知れないと、モノ好きだがその翌日に、八ヶ岳中腹の「サンメドウズ」(清里スキー場)へ行ってみた。

スキー場と赤岳登りの道すがら、両側の雑木林のところどころに紅く染まったウルシやドウダンツツジの木が見えたので、これは期待できるかと思っていたが、1600~1900メートルのゲレンデはもちろん、その背後2300メートルの牛首山も、はるか仰ぎ見る2900メートルの主峰赤岳も、わずかに黄褐色に色づいてはいるものの、紅葉にはほど遠かった。
“どうやら今年は少し遅れているようですね”と、乗客もなく手持無沙汰にしていたリフトのお兄チャンがそう言っており、自分たち同様に足を運んできていた他の観光客も、口々に“そのようだね”と言いながら戻って行った。

スキー場のムッシュスキー場に、それも雪のないシーズンオフに来たのは実に久し振り。いつの間にか滑らなくなってから、かれこれ10年(もっと?)以上経つが、よく行っていたころとほとんど変わらないセンターハウスの佇まいや、そこからの360度の大パノラマが懐かしかった。
連れて行ったムッシュは、日ごろ見慣れない広大な芝生の原っぱに大喜び、元気一ぱい走り回っていたし、係員の人たちとアレコレ今昔話もできたので、紅葉は見られなかったが、何やら楽しい気分になって帰荘した。

紅葉の遅れとは関係ないだろうが、今年は夏に二男が笹刈りをしてくれたこともあって、久方ぶりに庭にはキノコが群生していた。...けれども、素人の自分たちでも食用とわかっているお馴染みの3種(チャナメツムタケ・ハナイグチ・シモフリシメジ)は見つからず、どれも、何となく見知ってはいるような気はするが確信の持てないものばかり。
だったら放っておけばいいのかも知れないが、ともあれ勉強のためと、サンプルを採取して図鑑で調べてみることにした。しかしこれは根気の要る作業で、いつも途中で目と頭が痛くなり、いい加減のところで“ワカラン!”と匙を投げ出す結果になる。

山盛キノコ今回もまたその通りで、山盛りに採ってきた各種のキノコを2時間ほど矯めつ眇めつし、図鑑の写真と首っ引きしたが、結局、一つもわからないままギブアップしてしまった。
我が家は家内も自分も、食材としてのキノコも大好きで、シイタケ・シメジ・ナメコ・エノキ・エリンギなどは常食(マツタケも何とか年に一度くらいは)しており、ここでの山荘暮らしを始めた理由の一つにも、自分の家の庭で美味しいキノコ(前述のような)がどっさり採れるからということがあった。

数年前までは、そんなわけで秋に山荘を訪れてキノコ採りをするのが無上の楽しみだったが、どうやら樹々が大きくなり過ぎて地面の日当たりが悪くなったせいか植生が変わってしまい、以前は毎年生えていたお馴染みのキノコが顔を出さなくなってしまった。
それもあって5年前には、高木を30本ほど伐採してもらったのだが、一たん変わってしまった植生は、オイソレとは回復しないようだ。でも今年の秋は、正体はよくわからないがずいぶん沢山の種類と量のキノコが新たに生えてきたので、この先に希望が持てそうだ。

今回の来荘はわずか3泊4日、幸いお天気はまずまずだったが、上のスキー場以外はどこにも出かけず、庭や近所の散策と読書三昧で過ごした。でも今回の主たる目的は、家内が夏の初めに避暑させるために運んで来ていたセントポーリアの鉢たち(30鉢ほど)を、本格的に冷え込む前に持ち帰ることだったから、とりあえずこれでいいノダ。
何だかワケがわからないのに連れて来られてすぐにまた帰るという忙しい思いをしているのはムッシュだけ。なのに、何の文句も言わずそれに適応してくれているからホントに可愛いと思う。

サテ、こんど来るのはおそらく11月の中~下旬、今年最後ということになるだろうが、この1年も時間の過ぎるのが早かった。
数えてみると今年は、山荘に来たのが次回を含めても6回にしかならない。だんだんこうやって回数が減って行くのだろうか...。

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2012年8月20日 (月)

やがて寂しき...

“おもしろうてやがて寂しき祭りかな”...3週間にわたって繰り広げられていた世界のスポーツの祭典オリンピックが終り、テレビも、自分たちの生活も、ほぼ日常に戻った。
...とは言っても、自分はとうとう、生中継をみるために夜ふかしや早起きをするということもないままに過ごしてしまったので、あまりペースは乱れずに済んでいる。が、考えようによっては、それはもはや勝負や競争ごとにも血が熱くたぎらなくなった証拠で、必ずしも喜ばしいことではないのかも知れない。

ともあれこの期間の自分は、オリンピックに夢中になるよりむしろ、静養にいそしんでいたと言った方が当たっている。前回おことわりしたように、夏休みのつもりで横浜の自宅を離れ、ずっと清里の山荘で暮らしていたので...。
今回は思い切って例年よりも長く滞在することにし、かつ、休養を第一目的としていたから、パソコンなどはあえて持って行かず、図書館から借りて来た長編小説を4冊ほど携行したが、すぐに読み切ってしまい、ずいぶん暇な時間が出来た。

ムッシュ毎年のことだけれども、この時分の清里の気温は平地と10度は違い、朝夕は何か羽織らなければいられないほどだが、日中は実に快適な涼しさで、茹だるような暑さの平地からやって来ると、まさに生き返る心地がする。
ムッシュも、横浜では外の暑さに閉口して、大好きな散歩もためらいがちだったが、ここでは嬉々として外へ出たがり、一日何度も森の小径をアチコチへ歩を延ばし、おかげでこちらもいい運動になった。

 

室内でも、横浜の家ではクールダウンしてやらねばと気を遣って、エアコンを点けたり、扇風機の風を当てたり、クールマットを抱かせたりしていたが、ここではまったくそんな心配は要らず、彼は、毛足の長いムートンの上で気持ち良さそうにまどろんでいた。
そんなわけで、着いてしばらくは特にどこかへ出かけたいという気も起こらず、人犬ともひたすらノンビリしていたが、気がついてみたらいつのまにか、数日が経過していた。無為に過ごしたようにも思えるが、たまにはそのくらいがいいのだろう。

もともと長期滞在のつもりだったから、食材はある程度は持ち込んでいたが、野菜や果物やデリ類は現地調達を最初から予定していたので、十分休養がとれたところで買い出しに。管理センターの売店、コンビニ、そしてスーパーを回る。
スーパーは、過日のブログで「ひまわり市場」のことを書いたら、社長のNさんから“立ち寄ることがあったらぜひ声をかけて...”というコメントをもらっていたので、偶然遭遇することもあるかも知れないと、そこへ行ってみることにした。

とは言え顔を見知っているわけでもないので、家内が店内で買い物をしている間ムッシュと遊びながら外で待っていて、お年寄り(自分もか!)に傍のベンチに座るようにすすめていた店員らしき青年に今日は社長はいるかと尋ねてみたら、何と彼がNさんだった。
自分のブログを読んでコメントを寄せてくれたことを感謝したら、店のことを取り上げてもらって嬉しかったと逆に礼を言われ、その日の朝捥ぎの桃をもらってしまった。最低3日くらい置いた方がよかったのだが硬いのも好きなので2日で食べたが美味しかった。

ところで今回清里の森に行ったら、地デジになって以来NHK1、2と山梨放送、テレビ山梨しか映らなかったものが、テレビ静岡と静岡朝日テレビ、それにどこの県の局かよくわからない第一テレビなるチャネルまでが映るようになっていたのでビックリした。
以前、地デジ化支援機構に調べてもらって、当時映っていた4つのチャネル以外を受信するにはアンテナの調整あるいはブースターの変更、配線の見直しなどが必要と言われていたのだが、どうも過日の強風でアンテナの向きが変わったようだ。それしか考えられない。これがほんとの“どうした風の吹きまわしか...”というヤツだろう。

遊歩道毎年のことだが、今年も横・裏庭の笹が伸び放題に伸びていた。けれども、だんだん自分に無理が利かなくなったため、二男がそれを刈り払いするために用意を整えて来てくれた。長男も合流するはずだったが、仕事が忙しくて都合がつかなかったようだ。
1人で全部やるとすれば2泊3日の中1日作業だけではとてもカバーし切れぬ広さだが、枕木を敷設して作った庭内遊歩道とキノコの好生スポットだけは仕上げてくれて、大いに助かった。自分も、何日にも分けて、家屋の周りの雑草を刈った。

 

伸び放題と言えば、笹や草だけでなく木々の枝葉も...。先月、玄関先のカラマツの巨樹を伐採してもらって、その辺りはだいぶ日当たりが良くなったが、それでも、近くのカツラや反対側のトウヒの枝が軒に迫っていて、早晩何とかしなければならなくなりそう。
みんな、23年前に家を建てたとき一たん裸にしてしまった森を復元するために植樹したものだが、こんなに成長するとは予想していなかった。この分では来年また、かなりの規模の間伐か少なくとも枝落しをしてもらわなくてはならない。

トンボ夏の真っ盛りに行ったつもりだったが、長くいる間に、森にはどことなく秋の気配も押し寄せて来て、散歩の道すがら、黄色のオオマツヨイグサや薄紅色のハギそして青紫色のギボシなどを見かけることもあった。名もない低木の枝先にはトンボも止まって...。
今回はさすがに、ウールのセーターを着るほどのことはなかったが、それでも、山荘の内外にいるときは長袖の綿カーディガンを離せなかった。横浜の家ではシャワーしかする気がしなかったが、山荘へ来てからは毎晩バスを使っていた。

 

ただ家の中にいるだけでも、そして時折り付近を散歩するぐらいで十分夏休みの醍醐味を満喫できていたので、とりたててどこかへ行こうという気にもならなかったが、二男もわざわざやって来たことだし、家内の炊事の手間を少しでも省けたらと、たまには外食しようと提案して清泉寮のファームショップの方のカフェへ行って来た。
あまりにも定番的だが、森の中のショッピングアーケードを除くと山荘からいちばん近いし、ドリンクバーでジャージ牛乳を初め有機栽培のコーヒーやフルーツジュースが飲め、自分の好みのサンドイッチ類も揃っているので、つい繁く足が向く。

...と、これと言って何も変わったことも珍しいこともないまま、今年の夏休みも終わった。日数を数えてみるとけっこう長かったはずなのだが、過ぎてみれば呆気ないくらい...横浜に帰って来て、連日の暑さに早くも里(山?)心がついている。
すっかり秋になる前にもう一度行くつもりでいるが、いつにしようかと迷う。こんどは、行こうと思えばいつでも行けるし好きにすればいいのだが、なかなか腰が上がらない。行けば気持がいいのはわかっていても、正直のところ行き帰りが億劫なので...。

以前はこんなことはなく、思いついたら即、行動だった。それがこんなためらいを感ずるのは、やっぱり齢をとったということか...。

でも、できたら飛んででも行きたい。いまの季節、あの涼しさは何物にも代え難いから。

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2012年7月 9日 (月)

清里の森、春から夏へ

ちょっと前の話になってしまったが、先月の末、2ヵ月振りに清里の山荘へ行って来た。例によってセッカチな、2泊3日のショートステイではあったが...。タマに行くのだから、もっとゆっくりしてくればいいのだが、この時季はせっかく清里に来ても特にこれといって楽しみなことがなく、逆に自宅の方にはあれこれと用事ができるので、どうしてもそうなってしまう。それでも、久し振りだし、オープン作業は前回に済ませてあるし、もう寒くはないだろうし...ということで、現地に向かう気持ちは軽かった。
ムッシュに少しでもお昼寝をさせてからと思ったので出発がだいぶ遅くなってしまったが、途中さしたる渋滞もなく、薄明るいうちに山荘に到着。思っていた通り、寒いというほどではなし、雨にも見舞われなかったので、ブレーカーのスイッチ入れやら、ガス・オイル・水道の開栓、荷物下ろしなどのいつもの作業を、落ち着いて滞りなく終えることができた。が、陽が落ちて辺りが暗くなると、やはりそこは標高1400メートルの高地、急激に気温が下がって、何か重ね着しないといられないほどに冷え込んできた。

たまらず、とりあえず携帯してきたGジャンを羽織ったが、それでも冷え込みは抑えられず、さすがに暖炉を焚くところまでは行かなかったものの床暖房はスイッチオン、部屋が暖まってくるまでは震えが止まらなかった。ウールや厚手の衣料を常時備え置いてあるから何とか間に合うものの、この時期山荘に来るときにはいつも、いくら何でももう防寒に気を遣う必要はないだろうと、平地の気温を基準にした身支度をしてきては失敗する。20何年経っても、そのことを一向に学習できていないのは我ながら情けない。
でも、前回4月末のときとは違って、ベッドの寝具やクローゼットの中の着替え類はさほど冷え切っておらず助かった。バスを熱めにしてよく身体を暖めた後は、むしろ少しほてりを冷まさなければならなかったほどで、何も特別なことはせずとも安らかに入眠できた。ムッシュも、お昼寝時間が足りなかった上に、到着時間の遅れでいつもの夕食と就寝の時間がズレこんでしまったせいか、自分のハウス(ねぐら)に入るなり、何もグズることなく寝ついてくれた。

夜半、雨が降り出し、かなり強く天窓をたたいていたので、寝ている間も翌朝のお天気が気になっていたが、目覚めてみると幸いにも上がっていて薄日も射し、気分が良かった。寝室の窓から外に目を遣ると、そこは隙間なく深い緑一色。前回来たときの灰色でスケスケだった景色とはエラい変わりようで、いつものことながら、わずか2ヵ月でも時間が経つと自然というものはこんなにも姿を一変させるものかと、改めて感じ入った。
ムッシュに朝の散歩をさせて戻ってくると、道路から眺める前庭の印象がずいぶん変わっているのに気がついた。何だかイヤにサッパリと明るい感じになっていたのだが、考えるまでもなく、その理由はすぐにわかった。家屋の西北角にあったカラマツの巨樹と、それに追いつかんばかりに枝を拡げていたカツラの高木を伐採し、辺りの日当たりが一気に良くなったからだった。この2本の木は、毎年秋になると大量の落ち葉を降り散らし、それが屋根の東側斜面に積もり積もって、これまで簡単に清掃もできず困っていた。
思い余って管理センターに相談した結果、原因になっている2本を思い切って伐採してしまった方が良いだろうということになり、前回来たときに依頼、伐採と屋根の清掃の作業を同時に行う予定になっていたのだったが、連絡がないのでまだだと思っていたところ、伐採だけは済んでいたようだ。問い合わせてみたところ、屋根清掃の方の作業はまだ業者の都合がつかず、もうちょっと先になるらしいという話しで事情了解。そうは遅くならないということなので、この次に来るころには終っているのだろう。

カラマツの切り株 カラマツはもう少しで幹が屋根の端に触れそうになっていたし、カツラはあまりにも四方に枝が伸び葉が茂り過ぎて周囲の中・低木への日当たりを遮っていたしで、何れにしてもこのまま放置しておくわけには行かなかったのだが、いざ伐採してみると、折角あそこまで育ったものをスッパリと切ってしまってよかったのだろうかなどと、詮ない反省の念のようなものも胸をよぎった。でも、これで屋根の破壊が助かり、他の伸び悩んでいた樹木の成育がはかどるようになったのだから、以って瞑すべしと考えるべきなのだろう。
いまさら意味があったかどうかわからないが、その2本の樹の切り株を覗きこんで年輪を数えてみた。裸眼のままではよく見えないので、わざわざ老眼鏡を取りに戻って...。近くで見ると思っていたより太いその切り株は、カラマツの方が直径約50センチでカツラが25センチほど。山荘を建てる前からそこに生えていたカラマツの年輪は何度数え直しても50年以上、山荘建築と同時に苗を植樹したカツラも、30年近くに達していた。人間の勝手で植えたり切られたりしたこの樹たちは、そのとき何を思っていたのだろうか...。

ところで前回、今年初めて来たときは、時間がつくれなくてどこへも外食に行けなかったが、今回はムッシュをお昼寝させている間にそっと脱出、藤乃家へ行って来た。昨年11月以来の半年(以上)振り。森はまだ肌寒くとも、この辺りまで下りると平地とほとんど差のない初夏陽気なので盛り蕎麦と天麩羅を頼んだが、相変らずの味で大満足。この店の天麩羅は京風でも江戸風でもないがカラッと揚がっていて美味、つゆも甘過ぎず辛過ぎずほど良いので、いつも食後の蕎麦湯を楽しませてもらう。
天麩羅はタラの芽など地場の山菜が美味しいのだが、今年は時期が遅くてありつけず残念した。タラと言えば我が山荘の庭にも十数本生えているので毎年楽しみにしているのだが、今年も食べごろのタイミングに都合を合わせられず、今回来たときにはもう、ほとんど葉が開き切っていた。5月末か6月初旬がベストなのだが、なかなかその時季にマッチするのが難しく、賞味は2~3年に一度くらいしか実現しない。来年こそは...と毎年思うのだが、さて、どうなるか...。

ヤマツツジとヤマボウシ 今回の清里の森は、春から夏へと移り行く途中で、そのどちらともつかない言わば端境期。春の花ツツジは、赤紫色のミツバツツジや黄色のレンゲツツジ、暗紅色のドウダンツツジが終わって、オレンジ色のヤマツツジの花だけがまだ咲き残っていたが、横浜の自宅では真っ盛りのピンク色のタイムや青紫色のツルニチニチソウはまったく開花しておらず、彩りとして淋しい限りで、ヤマボウシとナナカマドの花だけが、幾重にも重なる木々の濃い緑の中に白く浮き上っていた。
仕事を抱えてきたわけではなかったけれども、滞在時間が短かったことと、何となく気分が乗らなかったこともあって、今回は庭仕事ができず、樹の枝葉も下草も伸び放題繁り放題にしたまま、後ろめたい思いで帰途についた。今度来るころにはおそらくジャングル状態になっているだろうが、それを考えると次の作業が一層億劫になる。できる中は自力でと思っていたが、いつの間にか齢をとって厳しくなってきた。業者に頼めばいいのだろうが、相当費用がかかりそうだし、倅たちでも動員して人海作戦で解決するか...。

あれから10日あまり経ち、こちらはそろそろ梅雨明けかと思わせられる日もあるが、清里はいま、どこまで夏に近づいているだろう?
次回山荘を訪れるのは、多分、土用に入って平地が本格的な夏になるころかと思うが、そうなったら今度こそ森は、寒さの心配をしなくともよくなっているに違いない。

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2012年4月30日 (月)

2012年山荘開き

今年になって初めて、清里の山荘へ行ってきた。現地の例年の気候状況からするともう少し後にしたかったのだが、毎年この時期は、どうしても4月中に済ましておかなければならない用事があって、いつも連休前ということになってしまう。今回の滞在期間はわずか2泊3日、冬の間の5ヵ月間閉めていた山荘をオープンするための諸作業をし、あちこちで用事を済ませたら、チョッと一息入れただけで横浜にUターンだ。慌しいようだが、年の初回はそんなものでいいということにしている。4月とはいえ、清里の森はまだまだ早春の肌寒さで、どっちみち長居には適さないと思っていたし...。
というわけで、4月最終週の後半になって出発。天気予報では、初日は曇り後雨、2日目は雨後曇り、3日目になってやっと晴れ間が出るということで、往きの道中は雨の中を覚悟していたが、ラッキーにも中央道に乗るころから雨が止み出し、談合坂SAでのトイレ休憩のための乗り降りも傘要らず、山荘に到着してからの荷物下ろしと開荘作業のための地下室往復も傘なしでできて大助かりだった。ムッシュを連れての山荘行は、雨に降られると本人(犬)はもちろん、連れているこちらとしても何かと煩わしいが、そんな思いをせずに済んだのも有難かった。

昨年の初回もほぼ同時期だったが、あのときは到着したら雪がチラついていたほどの低温。けれども、今回は寒いながらもそれほどのことはなく、慌てず作業できて楽だった。2日目の朝も思ったほど寒くなく、曇ってはいたけれども雨も降っておらず、ムッシュとの散歩もリラックスしてできた。昼過ぎに、諸々の用事を足しがてら萌木の村に立ち寄ったときには薄日さえ射してきて、思いがけず春めいた陽気に。我が山荘よりも標高が200メートルほど低いだけだが、ずいぶん体感が違うものだと思った。昨年の4月末に訪れたときには寒さのせいか人影もまばらだったが、今回はけっこう人が出ていた。
萌木の村から戻ってからは、ムッシュを昼寝させその間に庭に出て、冬の間に折れたり倒れたりした大小の木の枝の片付け。ここ清里の森は雪こそそんなに積もらないのだが、北西から吹き付ける八ヶ岳颪が厳しく、毎年かなりの量の折れ枝が出る。大方は柴と言ってもいいくらいのさして嵩張らないものだが、中にはやっと移動できるほどの長大なものも何本か混じっていて、それらを邪魔にならない数箇所にまとめるのはいい運動になる。のみならず、程よい枯れ具合の焚きつけと薪を暖炉用に集めている結果にもなって、まことに無駄がない...とは自画自賛。

周りの木々を見回したが、モミやトウヒなどの常緑針葉樹以外は、まだ花蕾はもちろん葉芽も固く縮こまって灰褐色のままで、寒々とした眺め。でも、よく目を凝らしたら、そんな中にも小さな春の兆しが見つかった。開ききっていないフキノトウ、先端からわずかに芽を覗かせたタラの木、傍に近づいてやっとわかるツツジの新芽...などだ。新芽といえば天麩羅にすると美味この上ないタラの木は、山荘を建てた当初は沢山生えていたものがなぜかいつの間にか姿を消し、落胆していたが、それがどういう自然の摂理かわからぬけれども昨年あたりからまた姿を見せるようになり、喜んでいる。
前夜、空がよく晴れていて素晴らしい星空だったので翌朝の快晴が予想されたが、3日目、横浜へ帰る日は、ベッドサイドの窓のカーテンを通した早朝の陽射しで目が覚めた。前日に増して、この時期の清里とは思えない暖かさになり、帰り支度も早々に終わったので、午後の出発までにはだいぶ間があると、久し振りに清泉寮へソフトクリームを食べに。めずらしく雲がなかったので、八ヶ岳も南アルプスも全容をクッキリと望むことができたが、やはり春の訪れが遅かったせいか、連山にはまだだいぶ雪が残ったまま。富士山も、姿の見えていた部分は真っ白だった。

4月の末ともなると関東の平地では桜はほとんど終り、咲き残っているとしてももう八重桜くらいしかいないが、今回の清里往復でははからずも、今年2度目の花見を楽しむことができた。中央道は標高500メートル前後の地帯が多いので、沿線の山々はいま山桜の真っ盛り、全山がパステルカラーの薄ピンクで靄っており、甲府盆地の辺りではそれに濃ピンクの桃の花も加わって咲き競っていた。国道141号線沿いにはソメイヨシノも、未だ満開の状態で見受けられ、南清里道の駅の中空に泳ぐ数百匹(と言われている)の鯉のぼりの脊に、花吹雪が降りかかっていた。
それにしても、あんなに寒さを気にしていたのは何だったのかと思えたほど暖かかったこの3日間。特に横浜へ帰る日などは、暖かいというよりも暑いと言った方がいいかも知れないくらいの夏日だった。我が山荘の辺りも朝からグングン気温が上がって、昼近くには20度を越し、帰り途の中央道では28度にも達する始末で、今年初めて車内冷房のエアコンを点けた。マア、自分などは、どちらかといえば寒いよりはまだ暑い方が好きなので、その意味でもこの陽気は悪くなかった。お蔭で、ホンの短期間だったにもかかわらず、2人と1匹で、散歩とお出かけを楽しみ、しかもゆっくり骨休めもできた気がする。

正直いうと出かける前は、清里はまだ寒い上に予定していた期間はお天気が芳しくない(予報では)...という先入観があって、腰を上げるのが億劫だったが、帰って来ていまは、行って良かったと思っている。特別にいいことがあったわけでも何でもなく、普通に過ごしてきただけだが、何だかとても楽しかった。
ムッシュもいま、楽しかった今回の清里のことでも思い出しているのか、ソファーのクッションに顎を載せ、笑っているような表情でまどろんでいる。

5月の連休後は、仕事や集まりの予定がビッシリと入っていて、下旬まで出掛ける余裕がないが、梅雨に入る前の月末にでも、また行って来ようかと思う。そのころは多分、タラの芽も食べごろになっていることだろうし...。

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2011年10月10日 (月)

山荘で大ハプニング

先週後半、紅葉にはチョッとまだ間があると思ったが、用事があって清里の山荘に行ってきた。家内が夏のうち避暑させていたセントポーリアの鉢を、そろそろ横浜の方へ引き上げなければならない季節になったということで...。自分だけの用で皆を付合わせるのは心苦しいから、1泊だけして単独で行ってくると家内は言っていたのだが、それではいくら何でも身体がキツかろうし、そうすることで留守番をするこちらの方が楽になるということでも必ずしもないので、いろいろ相談した結果、2泊3日のショートステイではあるけれども、やっぱりいつも通り、2人と1匹で行くことにした。
というのも、自分のしつけが甘かったのかも知れないが、家内がいない夜はムッシュが寝つかなくて困るのだ。彼女が友人たちと2~3日山荘に出かけて、自分と二人でお留守番をするときなどは、2日目以降はあきらめて観念するが、初日は必ず、一晩中、ひっきりなしにケージの中で啼き続けていて、本人(犬)はもちろんだが、こちらも、何度もベッドから出てなだめたり叱ったりで、眠る時間がなくなってしまう。先日、自分の手術で家内の病院からの帰りが深夜になったときなども、留守番をしてくれていた二男の言うことをどうしても聞かず、家内が帰宅してやっと寝ついたのだそうだ。

それはそれとして、前回行ったときからまだ1ヵ月と少ししか経っていないけれども、気候条件はすっかり変わってしまい、出かける前日までは横浜でも、晩秋の寒さが続いていた。ので、その中を清里に向かうのは、いささか気が重いと思っていたが、出かける当日になって一転、横浜は夏日と言われるほど気温が急上昇し、この分なら清里の寒さもそんなに厳しくならないのでは?と、例年に懲りずに、また甘い期待を持ってしまった。あらかじめ当地の天気予報も調べ、この期間、最高温度は17~8度までしか上がらず、夜間・早朝は5度以下になることもあるということを知っていながら...だ。
長袖のシャツを着て出たので、中央道を下りる辺りまではやや暑いくらい。日が沈み始め、141号線に差しかかるころになって、ようやく適温になってきた。登坂するにしたがって気温はどんどん下がり始め、清里高原に入る前に20度を割り、山荘に到着したときには12度まで急降下していた。何と言ってもまだ10月初めなので、迷いながら最小限の寒さ仕度をし、身近には綿カーディガンしか置いていなかったが、車外へ出ると、それを羽織っただけでは耐え難い冷えが、身体の芯に沁み込んできた。

でも、すっかり日は暮れたが、途中渋滞もなく意外に早く(午後6時に)着くことができたので、ヤレ嬉しや、早く屋内に入って暖をとろうと、いつも通り玄関を開けようとしたら、何と、とんでもないハプニングが待っていた!暗くなってから着いたときには、まず外付けのポーチ灯を点けるのだが、スイッチを入れても点灯しない。ン?と思ったが、電球が切れているということもあるかも知れないと、車のライトの明かりで玄関を開け、屋内廊下各所のスイッチも入れてみたが、それらもダメ。
そこでさすがに、これは電気関係に何か容易ならざる事態が発生したと感じ、家内と共々、懐中電灯を頼りに配電盤のブレーカーを点検...あれこれいじってみたが、漏電ブレーカーが落ちて(“切”になって)いたこと以外は、どこがどうしたのかわからない。ちょうどムッシュの晩ご飯どきで、車内でも少し催促が始まっていたがそれどころではなく、このままではどうしようもなくなると、とりあえず、管理センターに相談の電話をかけた。すると、時間が割合早かったのが幸いし、いつもお世話になっているAさんがまだ在所していて、話を聞いてくれた。が、夜勤の人との交代時間で動けないので、こちらから管理センターまで来られないかという。

もちろん、そうする外ないから、さっそく2人と1匹で駆けつけた。直接より詳しく状況を話すと、漏電ブレーカーが落ちていたのなら、それは、さまざまな電源の配線のうちどれかに断線などがあったのだろうから、個別のブレーカーを上げ下げして、まずはその個所を特定しなければならない、でもAさんは一緒に行けないから、自分と電話でやりとりしながら、一つ一つのブレーカーを点検しよう――ということになった。で、再び山荘に戻り、配電盤面を懐中電灯で照らし、Aさんと電話で話しつつ、問題個所発見のための点検を始めた。可哀そうに、ムッシュはまだ、晩ご飯にありつけない。
点検のやり方はこうだった(皆さんも、覚えておくとそういうことがあったときの参考になるかも知れない)。まず主電源のブレーカーから始まって、漏電ブレーカー、そして各部屋や場所ごとの個別ブレーカーを、一つずつ“切”にして行き、次に同じ順序で、それらを一つずつ“入”にして行く。その際、個別電源のどれかのブレーカーを“入”にしたときに漏電ブレーカーが落ちて、上がらなく(“入”にならなく)なれば、その個所に原因(断線など)があるということになり、そのブレーカーさえ“切”にしておけば、漏電ブレーカーは上がるようになって、他の電源は使えるようになるというのだ。

この点検でわかったのは、冬季の凍結防止のため床下(地下室)の配水管に巻いてあるいわゆる“水管注熱”用の配線のどこかに何らかの異常があったということ。確かにAさんの言う通り、その水管注熱のブレーカーを“切”にしたら、漏電ブレーカーが上がるようになり、他のすべての電源が回復して、屋内外の照明も、ボイラーや床暖房も、テレビもキッチンの電気製品も、外の浄化槽のモーターも、すべて正常に作動し始めた。水管注熱自体の必要な時季はまだ少し先だから、とりあえず今回はこれでステイOKということになりホッと胸をなで下ろし、ムッシュも1時間以上遅れてやっと夕食にありついた。
一時はどうなることかと思い、これから探してホテル泊?でもペット連れで泊まれるのか?それとも横浜までトンボ帰り?など、さまざまなことが頭に浮かんだが、ひとまず解決してホントに助かった。とっさに適切なアドバイスをしてくれたAさんにはいくら感謝してもし足りないくらいだが、聞いてみれば、近年似たようなケースが、ここ「清里の森」で少なからず発生しているそうだ。大多数の家が、築20年以上経つので、電気配線なども個所によっては経年劣化して、そういう事態を招くことが多いらしい。

さて、そういうことで今回、ステイには差し支えがなかったが、だからと言って、そのまま帰るわけには行かない。次回山荘に来るのはおそらく11月半ば、もうそろそろ水周りの凍結が心配になり始めるころで、今年の最終回になるだろうから、ここで何らかの手を打って置かねばならないことは自明。で、翌朝またまたAさんの手を煩わせて、信頼できる設備業者に来てもらった。本来ならば、山荘を建てたときの業者に頼むべきなのだろうが、工務店経由だったので名前も知らなければ直接連絡する方法もなく、工務店の棟梁に依頼した日には、いつのことになるかわからなくなってしまいそうなので...。
Aさんが紹介してくれた業者は、社長が翌日さっそく様子を見に来てくれ、横浜に帰宅する日には職人と二人で来て、朝から半日かけ注熱用配線を全点検し、問題個所を発見してくれた。しかし、コンクリート床の一部を削り、埋め込んであった部品をまるごと交換しなければならないという話で、その日のうちの修理は当然無理ということになり、日を改めて工事してもらう約束をした。できるだけ早い方が良いに決まっているのだが、それに合わせてこちらがまた来て立ち会うのも難しいので、管理センターに預けてあるスペアキーを使い、専用入り口から地下室に入ってもらうことにして...。

ナナカマド そんなわけで、今回は、家内のセントポーリアを持ち帰るという本来の目的以外には、このハプニングへの対応に追われて何もできなかった。でも、それで良かったと思っている。もし今度のようなことが、今回ではなくて次回に来たとき、そして今回より遅い時刻に到着したときに起こったら、一体どうなってしまったろうかと、考えただけで冷や汗が出る。その意味で今回は、たまたま、いろいろな条件が良い方向に作用して、より大ごとにならないで済んだということで、まことに、不幸中の幸いだった。
どこへも出かけなかったので、周囲の秋の様子は赤くなったナナカマドの実ぐらいでしか気づけなかったが、夜間の尋常ならざる冷え込みで、森の秋はかなり深まっていることだけは如実に感じさせられた。

さあ、次回はクローズ作業だが、正直言えばこれもだんだんキツくなってきて、いろいろなことを考えてしまう。山荘通いも、決して楽しいばかりではない。
マア人生も、そんなものかも知れないが...。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり...って。

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2011年8月22日 (月)

また、森へ

一雨二雨来て、グッと気温が下がったが、これでいよいよ秋と考えるのはまだ早計なのだろう。さて、報告がまた1週間遅れになってしまったが、先々週もずっと、涼しい森にいた。その期間、テレビのニュースで東京・横浜は猛暑だったことを知ったが、たまたま脱出した結果になってラッキーだった。でも、その涼しさからたった1週間で舞い戻って来て、いまはまた横浜。前回書いたように、先週・今週は病院通いがあるので仕方がない。
あちらでは、幸いなことに天候には恵まれて、ズッと晴天続きだったが、なんの因果か往き帰りの道で今回も、ゲリラ雷雨とやらに見舞われた。特に、ちょうど2週間前の夕方、往路(下り)甲府盆地へ入ったとたんに襲って来たソレは凄かった。笹子トンネルに入るころから、どうも山の向うの雲行きが怪しいとは思っていたが、抜けたとたんに、フロントグラスを叩きつけるような大粒の雨と稲妻で、ワイパーを最速にしても前方がほとんど見えないほど。這這の体で境川PAに逃げ込んだら、同じような避難車が沢山いた。

頭上は真っ黒な雲に覆われ、ひっきりなしにピカピカ、ゴロゴロ、ドッカーンと、直ぐ近くに落ちたような雷鳴が轟くのだが、彼方の八ヶ岳方面を見遥かすと明るい夕焼け空。この分なら間もなく上がるかもと、30分で痺れを切らして見切り発車したら、何度かの束の間の小止みはあったものの、韮崎辺りまではしつっこく、驟雨が後を追いかけてきた。が、流石に、141号線に下りたころは嘘のように空は晴れあがり、路面も濡れていなかった。一体さっきは何だったのかと思ってしまったが、これがゲリラ雷雨たる所以なのだろう。
山荘に着いたら、お湿り程度はあったらしいが大雨の痕跡はなし。前回までと違って寒いというほどのことはなく、まだ薄暮だったこともあり、荷物下ろしも気分よくはかどり、やっと夏休みにやって来たという心境になった。そろそろお盆休みということか、近所のお宅も見えていて、どこからか幼児の声やワンちゃんの啼き声も聞こえていた。そうそう、森のゲートを入ってすぐ、道路の真ん中に立ってこちらを見ている大鹿に遭遇したが、クラクションなどを鳴らしてビックリさせては可哀そうだから車を止めて様子を見ていたら、しばらくして悠々と茂みの中に立ち去って行った。

今回は、着いた翌日には長女母子、さらにその翌日には長男もやってきて、山荘は一気に賑やかになった。どうせなら子供全員一緒にと、次男にも声を掛けていたのだが、仕事の関係でどうしても都合がつかなかったようだ。それにしても、これだけ人数がまとまったのは久し振りのことで、何かといつもとは勝手が違い、受け入れ準備一つにも、役立たずの自分はただマゴマゴするだけ。その点家内は万端抜かりなく、というよりも、そんなに気を遣っていたら神経が休まらないだろうと思うほどにクルクル立ち回っていた。
娘たちは新宿駅―清里間の直行バスに乗って来たのだが、渋滞で1時間ほど遅延しているという連絡が入ったら、家内は心配して何度もメールで状況を確かめ、2人分の荷物も重いだろうからと、とうとう下車地点の清里高原ホテルまで車で迎えに行った。我が山荘までは歩いても10分ほどのところなのだが...。1時間遅れた分を計算に入れて迎えに出たのだけれども、それからさらに30分も遅延したようで、留守番のこちらも、どうしたことかと気を揉んでしまった。バスは、なぜかまず小淵沢まで行き、それからアチコチのホテルに立ち寄りながら来て、ここがほぼ最後になってしまったらしい。

普段の山荘暮らしと異なって、5歳の孫娘が来ると、家の中は賑やかにかつ忙しくなる。娘たちも久し振りだし、途中車内のエピソードなどもあるので、話題はそれに輪がかかり、ヤレ喉が渇いたろう、お腹が空いたろうと言いながら世話をしているうちに、いつの間にか夕方。小さな子もいることだし、それぞれの好みに合わせたメニューで夕飯を用意するのもたいへんと思い、どこかで外食しようかと提案したら、珍しく全員スンナリと意見が一致して、あとはどこでしようかとうことに。
こういうときは子供の意見を尊重するに限ると、何を食べたいか孫娘に聞くと、意外なことに日本蕎麦がいいという。3歳で来たときに、一度藤乃家へ連れて行ったら、あの店の何の変哲もないザル蕎麦がいたくお気に召したらしい。それなら手っ取り早いと全員で車を走らせたが、ムッシュは、出掛ける前にご飯を済ませているので、ちょっとの間、駐車場に停めた車の中でお留守番をしてもらった。

前回来たときには、彼女はまだ一人前などはとても平らげられなかったが、今回は自ら大盛りを注文してぺロリ、蕎麦湯まで楽しんだ。言い草が振るっていて、“ここはツユの味がいいネエ”だと。好みが渋い!このくらいの年輩の子は、ケーキだハンバーグだカレーだスパゲティーだと、好きな食べ物の相場はきまっているのだが、この子は、白いご飯と、海苔に豆腐に納豆、モズクにワカメに昆布、ナメコにシイタケにモロヘイヤ、そして味噌汁が大好物...と来ている。いわゆるお子チャマ・メニューではないので、面食らうやら、手がかからなくて助かるやら...。
これは偏食というものでもないだろうが、でも、小学校へ通うようになって、給食のときなどに他の子が食べているものが食べられないと困るから、何とかいまのうちにもっと好みの幅を広げられないものかと母親や祖母たちは心配している。けれども、なあに、子供なんて、本当にお腹が空いたり、自分の好きなものが周りと違うことに気がつくようになったりすれば、そんなものは自然に変わるさと、自分は楽観している。

その孫が、馬さんや牛さんを見たーい、メリーゴーラウンドに乗りたーい、ソフトクリームも食べたーい...というので、家内は翌日つまり3日目は、もっぱら清里観光案内係で、午前中はポニー牧場や萌木の村へ行ったかと思えば午後は清泉寮へ。その間に今度は長男が、やはりバスで到着。高原ホテルからは歩いてくると本人が言っていたのだから放っておけばいいのだが、家内はやはり自分が迎えに行くと言って車を出そうとする...ので、ならば自分が...と申し出たが、さまざまな理由により却下。
その晩は、近来にない大人数での夕食で、娘も手伝うと言って台所に立った。が、見ていてどうも、かえって家内には勝手がちがってやりにくそう。それかあらぬか、みんなが順番にバスを使ううちに、疲れてリビングのソファーの上に倒れて眠り込んでしまった。ふだんは2人に1匹で、夜の8時を過ぎると翌朝の8時まではすっかり静かになっているこの山荘も、その晩は兄妹間で遅くまで話が弾み、翌朝は未明から元気な孫の声で目が覚め、ムッシュを含めて自分たちはいささか睡眠不足気味。

4日目は娘の亭主が車で妻子を迎えに来た。次男と同業のいそがしい仕事に何とか都合をつけて時間をつくったらしいが、ご苦労なことだ。娘も免許証は持っているのだから、自分で運転して来るようにすればいいのにと亭主も親も言っているのだが、なぜか言うことを聞かない。マ、そのうち必要に迫られて、誰に言われなくとも運転し出すと思っているけれども...。迎えの車が到着したその日の午後は賑やかさも最高潮に。渋滞のハイタイムに捲き込まれないように娘夫婦が頃合いを見て帰りの車を出そうとすると、孫が、もっと泊って行くとベソをかいて、テンヤワンヤ。ムッシュも、お昼寝どころではなかった。
で、長男だけが残ったが、最近は写真撮影に凝っているとかいうことなので、近所の好スポットを案内してやろうと思い、軽い気持ちでサンダルを突っ掛けて屋外に出た。森の中の木漏れ日などもきれいだが、やはりこの辺に来たらオブジェクトは八ヶ岳や富士山や南アルプスや秩父連峰などの山々だろうと、美し森交差点付近まで出てみた。が、生憎と夏雲が湧き立って、東方の金峰・瑞牆連山くらいしか見えない。で、もうチョッと高いところに登ればもっとよく見えるのでは...と、美し森頂上を目指した。

美し森とファームショップ自分のところの標高が1400メートルだから1540メートルの美し森ぐらいは訳もなかろうと思っていたら、これがどうしてどうして。昔と違って登山道が全面的に枕木で整備されていたから良かったようなものの、けっこう足腰に来て、爪先が痛くなり、サンダル履きで来たことを後悔させられた。途中まではともかく、展望台のある頂上まで登ったのは初めてだったが、雲がなかったらさぞかしという中々の絶景で、長男と2人、ソフトクリームで喉の渇きを癒しながら、しばしその眺めを楽しんだ。
よりスケールの大きな天空からの一望を求めようと思うならば、冬季に、もう少し上の、キッツメドウス・スキー場(標高1600~1900メートル)まで足を延ばすと良い。背後に迫る八ヶ岳連峰を含めて、それこそ360度のパノラマが楽しめる。いまの時季もそこは、お花畑として開放されているが、もちろんその日はとてもそこまで足を延ばす元気などなく、美し森頂上のベンチに腰を下ろしたまま、身体が言うことを聞くうちに、もう一度滑りに行きたいものだなあ...などと語り合って、家族中で遊んだ往時を偲んだ。

長男も帰る日、世話になりっ放しではナンだからと言うので、彼の奢りで外でのランチ。高原ホテルにしようか、ロックかハットウォルデンまで行こうかとも思ったが、近場で気楽なところがいいと、清泉寮のファームショップのカフェへ。ここは、ソフトクリームの行列も本館ほどではなく、カフェはいつ行ってもすぐに座れるので、夏の清里ではチョッとした食事の穴場。自家栽培の野菜と自家製のソーセージ・乳製品などをふんだんに使ったカレーやパスタ、天然酵母のパンでつくるサンドイッチやホットドッグなどの軽食、そしてジャージー牛乳や有機栽培コーヒーなどのドリンクバーが、気軽でしかも美味しい。
そうこうしてその日も暮れ、最後のゲスト長男を送り出すと、やっと、2人と1匹だけの日常の静寂が戻ったが、翌日はもう横浜に帰る日。この数日間は、自分も何もしないでいたわけではなく、テレビアンテナの調査に来てくれた「デジサポ山梨」のスタッフに対応したり、刈払い機を振るって横庭のかなりの部分の笹を刈ったりしたし、夫婦ともあまり休む暇もなく過ごしたが、しかしそれはそれで心休まる思いでもあったような楽しい日々だった。でもさすがに、自分はまだしも家内は疲労困憊で、“孫は(だけではなく子供も)来てよし帰ってよし”を実感した。こういうことは、しょっちゅうではなく、いろいろな意味で“たまーに”が宜しいようで...。

次に行くのは月末あたりになりそうだが、そのころ森では、もう、初秋の風が立ち始めているかもしれない。

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2011年6月27日 (月)

休息の森

ハッキリした宣言もないまま、何だかいつの間にか梅雨に入っていたという感じだった。が、数日カンカン照りの猛暑日が続いたので、今年はこれで早めに明けるのかと思ったらそういうわけでもなく、また、冷んやりと湿気の多い天候に戻った。毎年のようにボヤいているが、この時季は自分のような低血圧人間にとっては、片頭痛がし身体がむくんで憂鬱だ。でも、そんな中、億劫ではあったがいろいろと用事もあったので、重い(?)御輿を上げて、約8週間ぶりに山荘へ行ってきた。
今年になってまだ2度目。当初の予定では6月の初めか遅くとも半ばまでにはという積りだったが、身内の法事があったり、その他の何やかやで、数日延ばしを繰り返し、ようやく出掛けようかと思ったら、今度は雨が続いて、結局、高速道休日特別割引――いわゆる“1000円高速”――の最終日になってしまった。

いろいろ用事といっても、そう大したことではない。一つは、毎年の恒例になっている家内のセントポーリアの避暑大移動。花鉢を入れた沢山の段ボールを車に積み込み、また下ろすのは、数は多いけれども重くはないので、面倒というわけでもないが、脆い花茎・葉茎を折ったりしないように結構神経を使う作業ではある。秋にはまたそれを山荘から横浜の家に持ち帰ることになるので、そのときもまた一仕事。
もう一つは、家内の寝室用のテレビを地デジ化するための、デジタルチューナーの接続。他の部屋のテレビはすでに地デジ専用機への切り替えが済んでいるのだが、そうしてしまうとこの地域では4つのチャンネルしか映らなくなるので、チューナーだけは早々と購入したものの、ギリギリまでアナログのままにしていた。しかし次に来るのは7月24日以降になるのは確実なので、いよいよ今回で切り替えということになった次第。帰る日の朝まで、今後は見られなくなるアナログチャネルのお馴染みの番組を見ていたいと家内が言っていたので、作業は出発直前にアタフタと行った。

それはともあれ、今回も中二日の短期滞在でどこにも出掛けなかったが、ひねもす降り注ぐヒグラシの音のシャワーを浴びながら、フィトンチッドを胸一杯に吸って、休息だけはとれたような気がする。往き帰りのドライブで疲れが残る齢になったので、これは正解だった。でも、そんなにシンドいのなら、わざわざ遠くまで出て来ずに横浜の自宅で落ち着いていれば良さそうなものを...と、自分でも思うのだが、やはり人はときどき、何でもいいから慣れ過ぎた日常から非日常の世界へ脱出したくなるらしく、自分たちの場合はたまたま山荘に来るのがその目的に合致しているということなのかも知れない。
山荘で思い知る非日常の最たるものは気温だ。横浜を発った日は、グズついた天候が続いて薄ら寒かった日々の後で、午後には24~25度まで上がり、夏仕様の軽装で出てきたが、山荘に着いてみたら、まだ日も暮れないのに早や12~13度までダウン。その後の2日も、テレビでは東京が連日30度超えとか言っているのがピンと来ない涼しさ...というか寒くさえ感ずるほどの低温で、厚手の長袖シャツにセーターを重ね着していた。

でも、森の様子は前回4月末とは一変、どの木も例年になく枝が伸び葉が厚く繁って、隣地の建物が見えないほどになり、日の当たらないエリアがまた拡がってしまった。夏は涼しくていいのだが、これでは、ツツジやシモツケ、ギボシやオダマキなど、中低木や山野草の花がつきにくくなるし、地面近くまで陽光が届かないと、春のタラの芽や秋のキノコの出来にも影響が及ぶ。3年前に高く太くなり過ぎた木を20本以上伐採して、ヤレヤレと思っていたが、どうやらまた、相当の本数を間引かなければならないようだ。
タラの芽と言えば、今年こそグッドタイミングで来て、たらふく(タラだけに!)賞味しようと思っていたのが、前述のような何やかやでその時機を逸し、やっと来てみたら、ほとんどが開き切って葉になっていた。スーパーなどに出回っているハウスものはさておき、自生ものは、標準的には(高地・寒冷地では)5月末から6月初めが好機とされており、さらにその年の気候などにも影響されるので、旬を捉えるのがなかなか難しい。いまから言うと鬼が笑うかも知れないが、来年こそはということで...。

ドウダンツツジ・ヤマボウシ・ナナカマド そんなわけで、タラはもう遅いだろうと来る前から半ば諦めていたが、季節の花々にはいささか期待していた。特にレンゲツツジは、地域のイベントとしてもこの時季に設定されているくらいなので楽しみにしていたのだが、これも大外れ。ドウダンツツジとヤマツツジだけが開花していた。わが山荘のドウダンツツジはベニササラと言われる種類だが、今年はいつも以上に沢山の花がつき、色彩もひときわ深い紅色になっていた。
中木に咲く花は地上からではなかなかわからないが、2階自室の窓から見渡したらヤマボウシとナナカマドの花盛り。ヤマボウシは、横浜の家の近辺ではもう完全に散ってしまったが、牧場通り辺りではまだ満開のままだったし、我が山荘では白くなる一歩手前のペールグリーンの状態。ナナカマドは、小さな花がアジサイ状に密生した大きな白い塊になってあちこちについているという、これまでに見たことのない印象的な眺めだった。どちらもこのまま行けば、秋には美しく紅葉し、赤い実がたわわに生って目を楽しませてくれるに違いなく、いまから待ち遠しい気がする。

八ヶ岳 今回は梅雨のさ中とあって、森に来ている人もほとんどいないだろうと思っていたらそうでもなく、ムッシュとの朝夕の散歩のときに何組ものワンコ連れ家族に出会った。みんな晴れ間を待つようにして外へ出て来たので、たまたまタイミングが合ったのだろうが、ベストシーズンではないときに森に来ると滅多に他所の人やワンコに会う機会がなく所在なげにしていなければならないことの多いムッシュは大喜び。一緒にいる自分も、何だか幸せな気分になった。
さて、前日までは降ったり曇ったりで終始肌寒かったのに、帰宅する日になって一転、早朝から快晴で気温はうなぎ昇り、八ヶ岳も何日ぶりかで豪快な夏姿を現した。帰途、昼過ぎに甲府辺りに差しかかったときにはすでに34~35度、夕方横浜の自宅に着いてからも、30度を下回ることはなかった。我が家は自動換気なので、夏季に数日留守をしていてもそんなに熱気が籠ることはないのだが、それでも、山から車中ズーッと適温に馴れきってしまった身体はなかなか室温に順応できず、その晩は寝苦しかった。

エアコンを点ければ、問題は簡単に解決するのだろうが、あえてそうしないのが自分たち世代の厄介なところ。“欲シガリマセン勝ツマデハ”のスローガンを刷り込まれ、“我慢は美徳”と教え込まれてきたので、ここではときどき気を許して愚痴ったりしているけれども、実は、変に我慢強い。節電のためエアコンの設定温度を高めにして扇風機を併用するなどということも、むしろ贅沢なくらいに思え、このところの熱帯夜にも、窓とドアを開けっ放しにして、団扇を使いながら、エアコンを点けずに凌いできた。
昔は...というより自分が所帯を持ったころでも、まだエアコンなどというものは庶民の家庭には無縁だったのに何とか夏をやり過ごしていたのだから、“何のこれしきの暑さ”と、自室では日中も自然風だけで頑張ってきたが、齢は争えないということか、午後の2~3時になると全身が気怠くなり頭がボーっとしてくるようになった。吐き気がしたり体温が異常上昇したわけではないから熱中症的症状ではなかったと思うのだが、かえって家族に迷惑をかけるようなことになってはと考え直し、我慢もほどほどにすることにした。

...と、山から戻って以来、自分なりの節電協力のつもりで、あまり賢明とは言えないかも知れない密かな葛藤を続けてきたが、幸いこの1~2日は、グッと気温が下がって助かっている。と言っても、この涼しさがいつまで続くかは保証の限りではないし、あと2週間もすれば梅雨が明けて本格的な暑さの毎日になるのだろうから、それなりに過ごすための妥当なスタイルを考える必要があると思っている。
若かったころは、そんな季節の変わり目などには無頓着で、降ろうが照ろうが、暑かろうが寒かろうが、オフロード車のようにただバリバリ突っ走ってきただけだったが、本人が意識しないうち、パワーは年月と共に容赦なく衰えてきて、いまでは定期点検とときたまのオーバーホールが欠かせなくなっている。今年も8月に、前立腺の9ヵ月検診と胃の6ヵ月再検診があるが、問題なくパスすることを、正直、自分でも祈っている。

次回の山荘行は、どうやら来月の末あたりになりそうだが、できれば少し長めに滞在して、心身共に休めてきたい。

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