2009年11月 9日 (月)

清里・09年秋

3泊4日という束の間だったが、久し振りに清里の山荘に行ってきた。冷たい秋雨前線が通り過ぎた後だったので寒かったけれども、全日快晴で気持ちが良かった。
出発した日の晩から翌日の朝にかけてはこの秋一番の冷え込みになると聞いていたから覚悟はしていたが、横浜を出たときはまだ十数度あった気温が山に近づくにしたがってどんどん下がり、長坂インターを下りたときには7°、通称“黄色い橋”(八ヶ岳高原大橋)を渡るころには3°になり、山荘に着いたときには、まだ夕方の6時前だったにもかかわらずジャスト0°まで下がった。ウウ...予想していたとはいえ、やはり骨身にこたえた。

往路は、休日の反対方向だったのでまったく渋滞なし。ならば...ということで、いつもは立ち寄る談合坂SAをパスして一気に釈迦堂PAまで走った。甲府盆地を見下ろせる辺りまで行くと、その日は雲一つない晴天のお蔭で、普段はなかなか勢ぞろいでは姿を見せない富士・南アルプス・八ヶ岳・奥秩父連峰が一望のもとに。
前日まで雨だったので全山冠雪かと思っていたら、あにはからんや、白く化粧していたのは富士山と北岳のみで、甲斐駒も赤岳も金峰山もスッピンのままなのは意外だった。でも11月ともなると、さすがに季節は足早に進んでいるようで、山々の紅葉・黄葉はまだ残ってはいるもののすでに盛りを過ぎた様子。何となく輝きを失いつつあるように見えた。

山荘のモミジ我が山荘のモミジも、どうかな?と心配だったが、清里の森まで上がってからでも、管理センター付近やもっと上のお宅の庭々の樹に、けっこうまだ赤く色づいた葉が残っており、これなら多分...と、期待を持たせてくれた。
果たして、どうだったか? 到着して荷物下ろしもそこそこに、取るものもとりあえず裏庭に回ると...嬉しいことにバッチリだった。もはや辺りは少し薄暗くはなっていたが、シッカリと紅く色づいているのが確認できた。


すぐに夜の帳が下りてきたので、シモフリシメジ探しは翌朝までおあずけ。気温はますます下がるばかりで、暖炉を焚き床暖房を高温にしても室内はなかなか暖まらなかった。永い間留守にしていたから無理もないのだが。
二階の寝室には、電気ストーブくらいしか暖房器具を置いていないので、晩秋になると布団乾燥機を使って寝具を温めるのを常としている。そうしておいて、風呂で温まった身体が冷えないうちに潜り込まないと、なかなか寝付けないからだ。窓ガラスはすべて二重なのだが雨戸がなく、あとはカーテンで遮蔽しているだけなので、こんな晩には毛布と掛け布団を肩口まで引き上げていないと、寒気が容赦なく忍び寄ってくる。

それでも、いつしか夢の世界へと誘われ...目が覚めたときには天窓のロールスクリーンの隙間から真っ青な空が見えて、東に面した窓のカーテンを開けると、まばゆいばかりの朝日が差し込んできた。下の部屋ではムッシュが“ヮッワッ!”(目が覚めたヨーッ!)と啼いているので早速朝の散歩に連れ出すと、外気は確かにかなり冷たかった(あとで管理センターに聞いたらその朝はマイナス5°まで下がったそうだ)が、幸い風もなかったので、体感的にはそれほど厳しいとは思わなかった。
戻って、できたら朝食の味噌汁の実にと、いつもシモフリシメジが生えるコブシの樹の周辺を丹念にチェックしたが、そうは上手く行くわけがない。残念ながら影もかたちもなし。チョッと遅かったようだ。あるいはもしかしたら、今年は全体にキノコが不作だったらしいから、9月初めのハナイグチもそうだったように出ず終いだったのかも知れない。

モミジの絨毯 庭のモミジは、明るくなったところで改めてよく見ると、もう六分通り散り落ちて地上に紅い絨毯を敷き詰めていたが、残り四分でも、降り注ぐ陽光に照り映えて十分に紅く、庭から家の方に向かって見上げても、2階の窓から見下ろしても、期待を裏切らないだけの見ごたえはあった。
ご近所を見ても、右隣りも左隣りもお向かいも、紅く散り残っているのはモミジばかりで、シーズンならきれいに黄葉しているはずの他の広葉樹はどれも、すでにすっかり葉が落ちて、やはりもう冬がそこまで迫っていることを実感させられた。

3日目の散歩のときに、一軒置いたお隣のIさん宅の前を通ったら、ご主人が前庭に出て何か仕事をしておられた。昨年秋から1年ぶりの出会いだったので足を止めて話し込んでいたら、屋内から奥さんも、愛犬のジョニー君(ヨーキーとミニチュアシュナウザーのミックス)を連れて出て来られ、ムッシュも大喜びだった。
近所にはそれまでどなたも見えていなかったので、我が家一同は寂しい思いをしていたが、これで何かホッと人心地がついたような気がした。

でも、人っ気もまばらなオフシーズンの清里というのも悪くはない。夏の盛りと違って、どこかへ食事に出かけても、満席だったり待たされたりすることもないので、ゆったりとした気持ちで、その店本来の良さを楽しむことができるからだ。
小食癖がすっかり身についてしまい、ハットウォルデンのランチコースでは重過ぎるような気がして、今回は藤乃家へ蕎麦を食べに。11月ともなるとさすがに、見えているのはジモティと思しき方々ばかりで、駐車場も店内もガラ空きだった。冷え込んだ身体を中から温めようと汁蕎麦を頼んだが、濃からず薄からずの程よい味加減で、野暮だし決して身体には良くないと知りつつも、思わずかなりの汁をゴックンしてしまった。この店は、盛り蕎麦が本命だが、掛け蕎麦もかなりイケる。

藤乃家の行き帰りに、もう遅いだろうとは思いつつも念のために紅葉スポットをチェック。行きは森から少し上って、山岳道路の川俣東沢渓谷に架かる通称“赤い橋”(東沢大橋)を通ったが、残念ながらここはもう終わっていた。しかし、その道から大泉駅・五町田方面に下る坂の両側はちょうど見ごろで、帰りに通った黄色い橋から眺めた川俣川渓谷も、赤い橋より少し標高が低いだけなのに、まだまだいい色だった。
地元野菜を買おうかと、その足で管理センターに寄ったら、いつも何かと親身になってもらっているAさんがいたので、しばらく冬支度について雑談。今年の清里はどうやら例年より寒気の到来が早まっているらしく、この分では我が山荘も、いつもより少し早めにクローズする必要がありそうだ。

横浜に帰る前夜は、持ってきた文庫本もすべて読み終えてしまったので、眠りに就くまでのしばらくの間、目を閉じたままこの数日を振り返った。短期間だったが一日一日の時間がゆったりと流れて、何だかずいぶんノンビリできたナと。
多分、あえて普段の仕事を何も持ち込まなかったのが良かったのだろうが、実はパソコンがそばになくて軽いフラストレーションを起こしていたのもまた事実。まだまだ精神修養が足りない。

次回で今年は最後にするつもりだが、クローズの際は間際まで何かと作業があってバタバタし、ムッシュにも目が行き届かなくなりそうなので、可哀そうだけれども彼は、1日~2日、近所のクリニックに預かってもらおうと思っている。

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2009年7月13日 (月)

梅雨の山荘、戻って検診

先週もいろいろと、スケジュールで一杯だった。週末には昭和大横浜市北部病院で、予約していた胃部内視鏡検査を受けたが、1週間~10日ぐらいで結果がわかるものと思っていたら、次の診察(すなわち結果説明)は2週間半後とのこと。手術の日程など詳しい今後の見通しは、その日にならないとハッキリしない。
5月末に受けた前の病院での内視鏡検査では胃部扁平腺腫ということで、その病院から昭和大での内視鏡手術を薦められ紹介されてきたわけだから、再度検査しても同じ結果になるはずとは思っているが、次のステップまでこんなに時間がかかっていては、様子が変わってしまうのではないかと、素人は正直のところ気にしてしまう。マ、ダブルチェックで最新の状態がわかるわけだから、それはそれで有難いことだが...。

その予定が前から入っていたため、行くならばこの期間しかないということで、検査前の数日は清里の山荘で過ごしてきた。5月・6月が公私ともに何かと忙しかったし、天候も不順だったので、用事があるのについ、出かけるきっかけをつかみ損なっていたが、あらためて数えてみたら、前回以来もう2ヵ月経っていた。
毎年この時季には、家内が育てている何十鉢というセントポーリアを、そろそろ暑くなり始めた横浜から涼しい清里へ大移動しなければならないことになっていた(そして寒くなる前にそれを持ち帰ってこなければならない)し、今回は、昨夏以来置きっ放しにしていた盛夏用の衣類を持ち帰る必要もあったので、静養になるかどうかは別にして、とにかく行かなければならなかった。

この20年間、毎年のことながらこの季節は、どうしても忘れてしまう(か、ないしはタカをくくってしまう)のだが、平地を軽装で発っては、山に来て寒さに震え上がる。今回も、蒸し暑い28度の午後に横浜を出たら、夕刻の清里は17度だった。気温だけ言ってもピンと来ないかもしれないが、20度を下回ると、ウールとは言わないまでもコットンのセーターかカーディガンでも羽織らないと寒くてたまらなくなる。
2ヵ月留守にしたため、前回きれいに刈ったはずの前・横・裏の庭や家の周りの通路は、草茫々、樹々の枝葉もすっかり生い茂って、足元も見通しも悪くなっていた。ヤレヤレこれだから山の家は長期間留守にできない、明日はさっそく草刈りをせねば、でもどこから手をつけたらいいものやら...と、心の中で呟いて溜息が出た。

ヤマボウシの木 翌朝は幸い、陽は差さないが雨は降らず。寝室から見下ろしたヤマボウシの木が、今年は一段と枝を拡げ、一面に十字の白い花をつけていた。秋にはさぞかし沢山の赤い実が生って、熟れ落ちたものにムッシュが夢中でかぶりつくのだろう。落ちる前に摘んで自家製のジャムにするとすこぶる美味らしいのだが、高い脚立がなくて毎年摘み取れないでいる。
散った花が樹下一帯に雪のように降り積もるエゴの木も、今が花盛り。我が家には結構大きくなったものが数株生えているが、表道路に面した1株が特に目立つ。下向きに鈴なりに生る、純白の可憐な五弁の花は、満天星とも言われるように咲いているときは見事だが、あっという間に散り落ちてしまう。


エゴの木 ともあれその日は、前日の疲れが抜けなかったし、必要最小限の通路部分だけ草を刈ってお終いに。いま張り切って一度に全部やろうとしても、また生えてくるし、本格的には夏が終わってからにしようと勝手に決めた。その翌日は、できたら久し振りに地元のレストランにでもランチに行こうかと思っていたのだが、生憎と朝からひどい雨で1日中降り止まず。とうとう出かける気を削がれてしまった。
というわけで、今回の清里は梅雨に祟られ、ほとんど何もせず、どこにも行かず帰途に就いたが、頭を空っぽにしてひたすらボンヤリと、コゲラが赤松の幹を突いているのを眺め、月遅れのウグイスとカッコウの鳴き声だけしか聞こえない森の中をムッシュとそぞろ歩きできたから、神経を休めたという意味では良しとしなければならないのだろう。

そう言えば、これまではほとんど意識していなかったのだが、今回久し振りに行った清里の山荘は、横浜の新居とくらべてとてもシンプルで素朴で妙に懐かしい感じがした。上手く表現できないが、古臭いとかローテクとかいうことだけではなく、何か人間本来の生理に合っているような落ち着いた気持ちになれたのだ。
たとえば風呂のこと。横浜の新居はオール電化ですべてコンピューター制御のため、温度や湯量や各種の設定でいちいちコントロール・パネルのボタンを押さなければならず、それが自分たち世代には、誤操作してはいけないというストレスになるが、その点清里の風呂は、ボイラーに点火し沸かしておけば、後はカラン・レバーの手動で温度も量も加減できるのが気楽だった。こういったことが、一種の“スローライフ”になるのだろうか。

さて、帰宅後1日置いて、いよいよ新病院での検査の日。これまで(前の病院の場合)は、だいたい10時~11時ころの予約で待たされもせず、昼過ぎくらいには帰宅できて、食事も朝食抜きだけで済んだのだが、今回は予約の時間が13時なので、帰宅は15時過ぎにはなり、朝・昼2食抜きになると覚悟していた。けれども結果として、食事はともかく、病院を出ることができたのが19時近くになってしまったのには驚いた。
予約の時間までに受付を済ませれば良いと言われていたが、少しは早めに行くのが常識だろうと30分前に行ったところ、内視鏡検査室前ロビーのソファーはすでに満席(ざっとみて40~50人ほど...付き添いの人々も混じっていたかもしれないが)。受付で“現在1時間遅れになっておりますので、それまでは(1時間半ほど)外出なさっていても構いません”と言われ、帰りに何か買い物をと思っていたところでもあったし、ちょうどいいと、隣接ブロックのT急ショッピング・センターへ暇つぶしに。で、普段にないほどゆっくりと店内を見て回り、15分前(つまり13時45分)に戻ってきたが様子は一向に変わっておらず、未だ座る場所さえなく、折りたたみ椅子を出してもらう始末だった。

それからさらに、今か今かと待つこと2時間近く、やっと声がかかって“待合室”に入れることになったが、検査着に着替えさせられてまた小1時間。そこにはテレビや雑誌なども置いてあって、外のロビーよりは明るくリラックスできるラウンジ風の雰囲気になってはいたが、まだ待たなければならないのかと、いい加減ウンザリした。
でも、ここまで来たらひたすら待つほかないと諦めて周りを見回すと、ご一緒の男女十数人はみな無言で目を閉じて同じような達観した表情。“アラ還暦”から“アラ古希”の年齢層と思しき方々ばかりだった。

そして次に招き入れられたのは、その待合室のさらに奥の大部屋。検査が終わったらしい大勢の方が、点滴の針を腕に射されたまま、フル・リクライニングしたシートで昏々と眠っていた。この場所は“回復室”と言うらしく、シートは数えたら16台、ほとんど満席で、部屋の最奥部というか突き当たりに4つほどの検査個室があり、そのうちの1つの入口横の事務椅子に座って待つように言われた。
他の3つの部屋の入口にも、同様に検査を待つ方々が座っていて、検査のための入室が近づいてくると“3分間含んでいてください”と、喉に麻酔薬を注入された。ので、もしや鎮静剤(睡眠薬)は使わないつもりかと気になって尋ねたら、そういうわけでもなかった。

いよいよ検査個室入り。看護師に言われて診察台で左を下にして横になると、目の前に技師が、こちらに背を向けて座り、指差確認をしながらパソコンの画面と睨めっこしていたが、どうやら前の病院から送られてきた写真を含む検査データのようだった(以前説明を受ける際に一度見せてもらっていたのでそれとわかった)。
喉の麻酔が効いてきたところでマウスピースを咬ませられ、いよいよ鎮静剤の点滴注射が始まった。すぐに意識が朦朧としてきたが頭の芯は完全に眠ってはおらず、前回と違って、内視鏡が挿入され喉を通って行くのがわかった。が、その後の記憶は朧。検査室からどうやって出てきたのかよく覚えていない(多分、脇を支えられながらリクライニング・シートまで歩いてきたのだと思う)が、シートに横たわるときに誰かが背中を支えてくれていたのと、指示されてオットマンに足を載せたことだけは記憶している。

その後は深い眠りに落ちたらしく、目が覚めたら時計はすでに18時を回っており、周りには自分以外に2~3人しか残っていなかった。してみると、自分が受付に来たのは随分と遅い順番だったようだ。そう言えば初診のときもかなり待たされたが、この分野では有名な病院だけに診察希望者が殺到していたのか...。次からはその辺りもよく考えねば...。
今回は鎮静剤が少なめだったのか、検査中は完全昏睡ではなく、何もわからないうちにすべてが終わっていた前回とくらべてちょっと違和感があったが、目が覚めてからは頭もスッキリ。ただ、2~3日間、喉に痛みが残った。同じ内視鏡検査といっても、病院によっていろいろ違いがあるものだ。

次回の予約日は、今月末の28日。もっと早く手術日程の見通しがつくかと思っていたが、これではどんなに早くても8月中ということになりそうだ。でも、チャンとした病院でしっかり手続きを踏んで手術してもらうには、それもやむを得ないのかも知れない。
これまで幸いにも、検診や手術のための通院・入院には永いこと縁がなかったので、大病院ともなるとこんなに混み合って、何ごとにも時間がかかるものとは、トンと想像が及ばなかった。

この検査の診断結果の報告は、多分9月にさせていただくことになるだろう。

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2009年6月15日 (月)

森の中の匠たち

そう言えば、清里へ1ヵ月以上行っていない。こちらはもう梅雨入りだが、もともと雨の少ない向うは、いまがベスト・シーズンのはずなのに。でも、先月一杯からここまで、カレンダーが真っ黒になるほどすることがいろいろあって、思い出す余裕もなかった。
そんな中、先週の日曜の朝、「遠くへ行きたい」(ご存知だろうが日テレのロングラン旅番組)で、「八ヶ岳山麓 森の中の匠たち」という回を観た。清里のある高根をはじめ大泉・長坂・小淵沢・白州など八ヶ岳南麓の旧町村が合併して生まれた北杜市に住む、創作楽器、ガラス工芸、オリジナル絵本、自給自足の農林畜産複合型農業などさまざまな分野のこだわりの仕事人(それを番組では“匠”と呼んでいた)たちの話だったが、画面に登場した意外にスマートで社交的な匠たちを見ながら自分は、それとは対照的にアバウトで偏屈で、こちらが気疲れしてしまうローカルな匠たちのことを思い出していた。

番組の匠たちは、一見のんびりと田舎暮らしを楽しんでいるように見えるけれども、おそらくは都会出身者で、自分の好きなことをビジネスにしたいというマインドがあって、そのために望んでこの場所に仕事をしに来た人たちにちがいない。だからこそ都会から押し掛ける観光客の心理やニーズがわかり、テレビの取材などにもソツなく対応でき、仕事を成功させているのだと思う。
良い悪いの問題ではないが、現実の地元の匠の大多数は、なかなかお付き合いに骨が折れ、何か仕事を頼んでもそうスムーズには事は運ばない。都会の常識や人間関係には馴染めず、また馴染もうともせず、この土地だからこそやって行けている人たちで、生活感覚や仕事の観念などが、まるで都会の人間とは違うからだ。我が家でもこれまでの山荘暮らしを通じて、彼らとの感覚・観念の違いによる欲求不満をいやというほど味わわされた。

そもそも、山荘を設計・建築した棟梁が、そんな匠の典型だ。若手(当時)ながら清里のペンション建築では第一人者ということで、たまたまそのペンションの一つに泊ったときオーナーに紹介されて意気投合し、気に入った建物をほぼ約束の予算・期限通りに完成してもらって大いに満足していたが、数年も経たないうちに、いろいろ問題が出て来た。
まずは床暖房。毎年秋口や春先など、しばらく使わなかった後は必ずストライキを起こし、その都度電話で連絡しては設備業者の親父さんに来てもらわなければならなかったので、休日や夜更けに到着したようなときは難儀した。連絡は棟梁を通すことになっていたため、本人がどこかへ遊びに行っていて捕まらなかったり、捕まえても酔っぱらっていたりしたときは、1~2晩、暖炉だけで寒さを我慢しなければならなかったことも再々。挙句の果てにはその設備業者が倒産・夜逃げして修理ができなくなり、新しいボイラーを買わされた。

10年を越したらベランダの床板が腐ってきて、自分が足で踏み抜いてしまった。幸い軽傷だったから良かったが、さらに危険が予想されたので取りあえず部分応急修理を頼んだものの、その2~3年後には完全付け替えをすることになった。が、そう決まってからなかなか取りかかってくれず、夏前に頼んだのに年を越してしまった。
家本体を建てているときにはわからず、後で人伝に知ったのだが、単純にヤイノヤイノ言うと臍を曲げたり、煩がってますます逃げ腰になったりする人物なので、なだめたりすかしたりしながらやっと完工させたのが1年後。でも、その後がまた一苦労で、旧ベランダの解体で出た大型の廃材をなかなか運び去ってくれず、新しいベランダの下がサッパリ、スッキリするまで、さらに2年待たなければならなかった。最初予定通りに山荘が建ったのは、どうやら奇跡に近いことだったらしい。

棟梁との疲れる付き合いはこれで終わったわけではなく、もっとダメを押すような話があるのだが、それはひとまず後回しにし、自説の傍証として、我が山荘の家具づくりの匠、インテリア工芸品づくりの匠の話もしておきたい。
もともとは都会で会社勤めをしていたが、そういう環境に耐えられなくなっていわゆる“脱サラ”をし、このあたりに住みつき、けっこう良い仕事はするのだけれども、やや周りに甘ったれているところがあり、何か少しキツいことを言うとすぐにイジケて近づいて来なくなるという、やはり付き合い方の難しい人たちだ。

家具の匠は、家本体の建築作業スタッフも兼ねていた(当時)こともあって棟梁から紹介され、造りつけのシューズクローゼットを始め、リビングルーム用の引出し付きウッドソファー、ティーテーブルとサイドテーブル(2基)、ダイニングルーム用の大型食卓とベンチ、ワインボード兼用のカップボード、3つのベッドルームそれぞれ用のデスクとチェストなど、実にさまざまの木工家具を造ってもらった。
そのころは多分まだまだ経験不足だったろうから、出来栄えにバラつきがあったのはご愛嬌のうちと思って何も言わなかったが、最も手の込んだ作品だったワインボード兼カップボードを造ってもらったとき、約束の期限が大幅に遅れた上に平気な顔で予算よりかなり上回った額を請求してきたので、その通りに支払いはしたけれどもチョッピリ苦情も言ったら、その後パッタリと顔を見せなくなり、年賀状も来なくなった。どうしているかと案じていたら、一昨年の清泉寮カウンティフェアに店を出していたが、バツが悪そうにして黙って頭を下げただけだった。

インテリア工芸品の匠もやはり脱サラで、ふもとの萌木の村のレストランスタッフやカメラマンをやりながらコツコツと金属工芸品を造っているという話を、そこに食事に行ったとき本人から聞き、ポーチのシーリングランプ用のオリジナル・シェードや、大小の燭台、花置き、ラックやブックエンドなど、さまざまなものを造ってもらった。
なかなかの出来栄えで気に入ったので、何種類かのテーブルウエアをまとめて依頼したら、忙しくなって優先的に時間がとれなくなったのか、他に何か理由があったのかわからないが、どんどん約束が遅れているうちに、音信不通になってしまった。こちらから強く催促したわけでもなかったが、不義理に感じて連絡し辛くなってしまったらしい。そのレストランには今もときどき行っているが、いつ行っても彼の姿は見かけないし、こちらも何だか消息を聞きにくくて、それっきりになっている。

さて、棟梁の話しに戻るが、実は昨年の後半は、横浜で本宅の建て替え工事が進行している一方、清里の山荘でもポーチの付け替え工事が行われていた。好きでタイミングを合わせたわけではなく、やむを得ず、そうなってしまった。というのは、上部がバルコニーになっていたポーチの天井が腐り落ちて、玄関の出入が危険な状態になってしまったのだ。昨年4月オープンに行ったときに、そうなっていた無残な姿を発見した。
もう10年以上前から、建物本体の外壁は何ともないのに、ポーチの壁や天井だけにクラックが走るようになってきたので、もしかして内側に問題が生じているのではないかと思い、よく調べて対策を講じて欲しいと棟梁に言い続けてきたのだが、外側からのその部分だけの補修でお茶を濁されてきて、挙句の果て、こういう結果になってしまったのだ。

直ちに棟梁に連絡し、7月後半からは長期居住するようになるのでそれまでに何とかしておいてくれるように依頼し、その後も山荘に行った都度電話催促していたが、最初の連絡から3ヵ月後に横浜から移り住んだ日まで、例によって何も進んでおらず、ポーチ天井部分の腐食・崩落度はより進行し、危険レベルは最高近くまで上がっていた。
ために、万が一のことを考えて、不自由だけれども裏のベランダ側ドアから出入りすることにし、同時に棟梁にその状況を話して、怪我でもしたらどうしてくれる...と強くプッシュ。すると、さすがに今度は、慌ててスッ飛んできた。彼と一緒に上から下からのチェックをしたが、原因はバルコニーの雨水排水装置の不良とその手摺・床部分の亀裂からの浸水により長年の間に水がたまって、内部がグズグズに腐ってしまったものとわかった。

こりゃあヤバいと予想していたのか、棟梁は高い梯子と大きなヤットコ・掛矢をあらかじめ用意してきており、モノも言わず解体に掛かり始め、その日1日で、旧・バルコニー兼ポーチをすっかり取り外してしまった。
作業の四六時中は密着していなかったので細かいところはわからないが、どうも相当問題があったらしく、それを見られるのが具合悪くて、焦って大急ぎで取り壊しをしたようだった。本来なら2~3人でする作業を1人でやったため、前庭に駐めておいた我が家の車に解体した柱の一部を落として傷をつけてしまったり(端っこだったからまだいいが)というハプニングまで引き起こして...。

そんなこんなで、おおよそのディザインを打ち合わせただけで、ともかく早く、そして費用は最小限(もともとの工事と管理上の手落ちに対する責任を取って欲しいというハラがこちらにもあったから)ということで、やっと工事は始まったが、当時彼が引き受けていた近くの新築工事とかけもちで、その合い間を縫っての仕事だったらしく、一気に進めれば2~3週間で済んだはずの作業のすべてが終了したのは11月に入ってから、残っていた建築材料や道具類が片付いたのは雪が積もるころだった。
それから今年の3月まで、何の連絡もなかったので、ことがことだっただけに今回は費用の請求をし兼ねているのか、あるいは請求金額を決め兼ねているのかと思っていたら、ある日突然、何の配慮もないバッチリ満額の請求書が届いた。

まさか責任の一端は感じているだろうと信じて、工事内容にもアレコレ注文はつけず、納期もいつになるかわからないのを我慢して任せていたら、前もって何の話しもなくイキナリこれだったから、当然、ソレはないだろうということになった。
さんざんもめた末、結局は、もちろん満額ではないけれども請求額のかなりの部分を支払うことで手を打ったが、床暖房のときも、ベランダのときも、似たような仕事ぶりと支払いのし方だったことを思い出し、また家具の匠とインテリア工芸品の匠の場合も考え併せて、信頼しているからと格好をつけてビジネスライクな発注のし方をしなかった自分も悪かったかも知れないと、密かに反省した。

本来気のいい、腕も良い地元の匠連中なのだが、お互いに満足する関係を続けるには、疲れるけれどもこちらが神経を使わなければならいのだろうと、いまは思っている。

テレビは所詮、きれいごとやエンタテインメントになる部分だけしか取り上げない。

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2009年5月11日 (月)

清里グータラ日記

例年だと、ゴールデンウィークをチョッと外すところだが、せっかく高速道路1000円乗り放題という恩恵に与れることだし、4月の下旬がずっと晴天続きだったからもう清里も寒くはなかろうと思って、先月末に山荘へ出かけた。前回から丁度1ヵ月、オープンのための作業はすべて済ませてあるので、何とはなしに気楽な感じで...。
とは言っても、渋滞に巻き込まれるのは避けたいとアレコレ考えた末、横浜の家を出たのはムッシュの夕食も済ませた18時過ぎだったが、ズバリ、読みが当たった。連休の谷間ということか、ピーク前だからか、これまであまり経験したことのないほどのガラ空き状態で、予定より早く21時前に着いてしまった。でも気温に関しては予想が外れ、やはりいつも通り、山の夜更けはまだまだ寒かった。

遊歩道 カラマツ フキノトウ しかし夜が明けると一転、明るく暖かい朝の陽光がカーテンの隙間から室内に射し込んでいて、窓を開けて見ると裏庭の木立は、さまざまな春色に彩られていた。モミジの新芽はまだ赤褐色に蕾んだままだったが、前回は灰褐色だったカラマツの枝々が乳緑色に煙り、ナナカマドの葉が清々しい若緑で開き始めていた。
気分よく外に出て庭の遊歩道を一めぐりすると、足元はスミレの花でいっぱい。ミツバツツジももうすぐ開花しそうで、その傍の実生のカラマツにも、小さな緑の新芽が沢山息吹いていた。1ヵ月前は影もかたちもなかったフキノトウもそこかしこに顔を出していたが、もはやすっかり開き切って、今年も食べごろを逸してしまった。

コガラ 横浜の家の周辺も緑は多く空気は悪くないが、ここに来るとハッキリとその新鮮さを意識する。大気に何とも言えない芳香と味があるのだ。もちろん、排気ガスやウィルスなどとは無縁で、今回は考えて行動したわけではなかったけれども、期せずして新型インフルエンザから逃れてきた格好になった。平地からやって来ると気温は1ヵ月あまり逆戻りするが、ここでは杉花粉が飛ぶ心配もなく、煩わしいマスクなどなしで、澄んだ空気を思いっきり呼吸できるのがありがたい。
小鳥のさえずりも、この時季の森の風物詩。スズメよりも小さいコガラやヒガラは早起きで、“ツツピー、ツツピー”というよくとおるその声は目覚まし時計代わりだ。その間を縫ってウグイスも負けずといい声で、“ホー、ホケキョ”と啼く。ふだん人がいないので、この辺の鳥たちは物怖じせず、アカゲラやキビタキが毎日のように窓先の樹木に餌を啄みに来ていたし、ベランダに出しておいたヒマワリの種をコガラがセッセと食べていた。

森を散歩していて気づくのは、この20年の間にかなりの数の別荘のオーナーが変わってしまったこと。経済的な理由で維持しきれなくなったお宅もあれば、高齢化のため利用できなくなったお宅もあるようだ。法人所有だった保養所などは手放す際に更地に戻すのが条件だったらしくいつの間にか解体されてしまっているかと思えば、久しく主の訪れが絶えていて軒に落ち葉が積り庭先は草茫々という個人の家もある。
さながら、この世の人それぞれの移ろいを映しているかのようでもあるが、翻って自分たちの場合はこの先どこまでこうやっていられるのだろうかと考えてしまった。あと5年もすれば、車での往復は体力的にかなり厳しくなるだろうし、春・冬のオープンとクローズおよび日常の管理もいまのようにマメにはとてもできなくなるだろうが、そうなったらどうするかということだ。子供たちが共同で管理して、親に楽をさせてくれるようにでもなればいいのだが、それが難しかったら手放さざるを得ないかも知れない...などと。

ムッシュ 実際、最近は、気分転換としての楽しみでもあった山の力仕事がだんだんシンドくなってきただけでなく、机仕事にさえ昔のような気力が続かなくなってきた。だから今回もパソコンはあえて携行せず、日ごろ溜め込んでいた資料読みくらいで仕事らしい仕事はほとんど持ち込まなかったのだが、それで正解だった。
予想以上の温暖さに体がふやけてしまい、かっタルくてたまらなかったが、これまでのように刈払機やチェンソーを振るいストイックに汗をかいてそれを解消しようという気にもなれず、運動はムッシュの散歩と焚きつけ用の柴集めくらいでお茶を濁す有様。フラリと屋外へ出ては、日一日と雪が少なくなって行く八ヶ岳と、緑の濃さを増してくる木々を眺めて過ごし、何も好んで人が沢山出ているところに行くこともないと、滞在中はほとんど森の中にいた。






ムッシュ 家内もこのところ、大人数になると家事をするのが決して楽ではないようで、今回は子供たち(と言ってももう立派なオジさんオバさんだが)が全員一緒のタイミングで訪ねて来そうになっていたのを、家庭のある娘には日を改めてもらうことにし、先ずは独り者の長男・次男だけを受け入れることにした。ただし2泊3日、力仕事とムッシュのお守つきという条件で...。
そうでもしないととても保たなくなった親の衰えを、連中は実感できているのだろうか?もっとも、それを意識させるためには自分たちとしても、つい最近まで、あまり泣き言を言わず、年寄りらしからぬ行動力を発揮して威勢のいいところばかりを見せ過ぎていたことを、反省しなければならないのかも知れない。しかしながら古人曰く、“いつまでも あると思うな 親と金”。わかっているかな?

ムッシュには、まったく手がかからなかった。この4年間、年に数回ずつ来ているだけでなく、昨年は半年間ここで暮らしたこともあってか、何の違和感もなく、横浜にいるときとまったく同じペースでこちらでも、食べ、眠り、散歩して過ごしていた。お兄チャンたちと一緒の数日間も殊のほか楽しかったようで、ママやパパに対するのとはまた違った甘え方、ジャレ方をして、タップリ遊んでもらっていた。
そんなこんなで、取り立ててどうといったことは何もなく、できたら...と思っていた藤乃家にも、ハットウォルデンにも、ぼのボーノにも行けなかったが、森で過ごした1週間はまずまず心身の癒しにはなった気がする。最後の2日は生憎の雨だったが、帰途通った牧場通りの山桜が、高原の春の名残を惜しんでくれていた。

横浜に戻ってきて数日も雨続きで、あまり清里のことを思い出す気分にならなかったが、このところは朝から暑いくらいの陽気なので、ムッシュと散歩しながら“清里の朝は涼しくて気持ち良かったネー”などと話し合っている。

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2009年4月 6日 (月)

望春の清里

例年より一足早く、清里の山荘へ行ってきた。いつもだと、平地のソメイヨシノがすっかり散ったころに出かけ、中央道沿線の山々の白い山桜を眺めながら走って、標高700~800メートルの長坂・大泉あたりでもう一度お花見をするのだが、今年は横浜が2~3分咲き程度で出発して、戻ってきてもまだ5~6分、ここにきてやっと満開になった。
早く出かけたのには訳がある。昨年は自宅の建て替えで、夏から冬にかけて半年近く山荘で暮らしていたが、その際に持って行った秋~冬(冬~春でもある)の衣服類を、暮れに新居に帰ってくるときにまるまる置き忘れてきたので、まずは、それを急ぎ持ち帰りたかった。また、山荘ではあまり役に立っていなかったが新居では使えそうな、籐椅子やキッチンワゴンなどの小家具類を運んできたいという思いもあった。

今回は出かける当日まで、ムッシュを連れて行くかどうか迷っていた。本年度初めての山荘行とあって、到着したとたんにいろいろと作業をしなければならないし、帰りも車いっぱいに荷物を積み込むことになるから、彼にとっては必ずしも嬉しいことではないだろうと考えて...。お馴染みのペット・ホテルに預けて行こうかとも思っていたのだが、いざとなるとそれも可哀そうだし自分たちも淋しいと、結局、連れて行くことに。
賢いもので、こちらがどうしようかと思いあぐねつつ朝から出かける用意を始めていると、彼も敏感にその雰囲気を察知して、ママとパパを交互に見上げながら足元をウロウロ、訴えるような瞳をするので、とても独りおいてゆくわけには行かなくなってしまった。

かくて2人と1匹、ふだん通りの日課も済ませ、成行きまかせでブラブラと遅めの午後に出発。同じ行き先に向けて同じコースを辿りながら、フッと、あの息も絶え絶えだった去年の夏を思い出したが、十分癒えたいまでは、あれは遠い日の夢だったような気さえする。また、本宅から別宅へ向かっているのに、まるで懐かしい田舎の実家にでも帰省するかのような心境になるのはどうしてだろう?新居での暮らしはまだ3ヵ月半だが、昨年は半年近くをずっと山荘で過ごし、身も心もそこに馴染んでしまったからだろうか?
ともあれ、久し振りのことではあるので、水抜き口の閉栓、各ブレーカーのスイッチオン、水道元栓・ガス・オイルなどの開栓、水回り各部の凍結・漏れなどの有無の点検、ボイラーや床暖房の始動など、クローズのときとは逆の作業をしなければならない億劫さはあったが、半面、住み慣れた家に戻るような気楽さもあった。

清里といっても標高1400メートルの高みにある我が山荘の季節感は、平地のだいたい2ヵ月遅れ。だから3月末や4月の初めはまだまだ寒い。清里の森のホームページで気象記録を見ても夜間から朝にかけては氷点下の日が続いていたので覚悟はしていたが、横浜自宅を出たときには2ケタ台だった気温が長坂インターで中央道を下りるころから1ケタ台になり、さらにどんどん下がり続けて、山荘に到着したころはついに0度にまでなった!
夜目でよくは見えなかったが、家の前の道の路肩や玄関ポーチ軒下、横庭の北側斜面などには、まだ少し雪が溶け残っていたようで、車から降りて寒風に晒されると、半端ではない冷気が肌を刺した。

そんな中、自分は屋内と地下室を何度も往復して、すべての排水栓を閉め戻し、水道・ガス・オイルの元栓を開け電源をセット。家内は急いで暖炉を焚き、ボイラーと床暖房をスイッチオン。どこも水漏れはしていない、カランから水も湯もチャンと出る、床も暖まってきた...と、一通りの点検を済ませて、やっと一息ついた。
クローズ時にはチャンと水抜きをしたつもりでも、どこかが凍結して破裂したりしていないか、電気系統は大丈夫か...などと、毎年、ここに戻ってくるまで心配しているが、今年も無事で、ひとまず安心した。そういうことがなくて当たり前なのだが、山荘を建てて数年は、いつも何か一つぐらい忘れたり、見落としをしたりして、春のオープン時に、水が出ない、暖房が利かない、などという騒ぎを繰り返していた。

その晩は2人ともヘトヘトに疲れてしまい、まともに食事する気にもなれず、途中談合坂SAのリトルマーメイドで買ってきたサンドイッチを熱いミルクティーで流し込んだだけ。部屋が暖まってくるにしたがって猛烈な眠気に襲われ、テレビを見る気も話をする気も起こらなくなり、それぞれ早々と2階の自室に引き上げた。
眠りにつく前、目の隅で天窓を見上げると、屋根にも雪が残っていることに気がつき、改めて寒気の厳しさを認識したが、天気予報では翌日は晴れて温度も上がるということだったので、目が覚めるころにはそれも溶けてなくなっているだろうと勝手に想像していた。

ところが翌朝、どうも室内が暗い。カーテンを開けていないからかと思ったが、それだけではないようだ。眠い目をこすりながら上を見ると、天窓が全面雪に覆われているではないか。ン?と思って起き上がり、眼下の裏庭を見ると、そして表側にまわって前庭を見ても、地面もベランダも車の屋根も一面真っ白になっていた。空は確かに青く晴れ上がってはいるが、どうやら昨夜のうちに降ったらしい。
ムッシュに朝の散歩をさせるため外へ出ると、積雪というほどには当たらない1~2センチのパウダースノーで、朝日の当たるところから溶けて行く様子。陽が高く昇るにつれ、軒先のツララもポタポタ水を垂らして痩せ出した。清里はまだ冬から完全に抜け切っていたわけではなかったが、それでもやはり、春は確実に近づいているようだった。

冬から完全に抜け切らない清里 午後には、以前からの残り雪は別として、昨夜の雪はあらかた溶けてしまった。そこで、折角だから家の中に籠ってばかりいないで出かけてみるかということになり、まずは清泉寮のパン工房へ。ここは、食パンも美味しいがデニッシュやジャム類がまたいいと、家内はお土産を含めてしこたま買いこんだ。ムッシュが店内に入れないので、自分は一緒に外で遊んでいたが、シーズンオフのためか建物の周りには人影もなく、広い庭の向うで、夕暮れの八ヶ岳が逆光の中に黒ずんでいた。
ちょっと時間が早かったが、ついでに夕食も済ませて帰ろうと、その足で藤乃家へ。冷えた体を中から温めたかったので、たまには汁ソバもいいかと“八ヶ岳きのこそば”なる特別メニューを注文したら、これが大正解。いいダシが出ていて実に美味かった。

雄大なパノラマ ...と、それぐらいで、とりたてて何もしないうちに時間が経ち、帰る日がきた。でもまずまずの天候だったし、束の間の滞在ながら山荘開きも恙無く終え、未だに冠雪したままの八ヶ岳・富士・南アルプス・奥秩父の山々の雄大なパノラマも、久し振りに目に収めることができた。
昨年末の帰り支度とは違ってのんびりと、しかしこんどは忘れずに衣服・小家具類もみな積み込んで、山荘を後にしたのはやはり来るときと同じ午後だったが、帰り道は甲府盆地一面の桃畑が、麗らかな陽の光に映えて美しかった。たぶん、濃密な春の香りが漂っていたのだろうが、無粋な花粉症マスクの内側までは届いてこなかったのが残念だった。

清里の森が本格的な春になるまでは、あと暫くかかりそうだ。

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2009年1月26日 (月)

いま、清里の日々を想う

前半は快晴続きで穏やかな正月と喜んでいた今年の正月だったが、暦はやはりダテではなく、大寒に入ったらチャンと本格的な冬になった。このところ、朝夕は横浜も寒気がきつく、日によっては雪片さえチラつき、清里以来治らない両手足指のシモヤケが辛い。清里の冬は横浜より一足半ぐらい早く11月中旬から始まるが、季語として句をひねるわけでもなし、シャレにもならない自分のシモヤケも、だいたい同じころに発症する。
田舎の子だったころの昔とは生活環境も全然違うし、毎日朝晩の水仕事をしているわけでもないのだから、いまさらシモヤケで悩んでいるのもどうかと思うが、この2~3年、気温が一桁台になる季節がやってくると、身体の末端の冷えがひどくなり、そういう症状になってしまうのだ。要するに血の巡りが悪くなっているわけで、末端といってもこれが手足だからまだいいものの、頭の方まで来たらチョッとヤバイのではないかと思う。イヤ、もうすでに来ているという説もあるが...。

で、細かいことをするとき以外は、家の中でもほとんど手袋をしっ放し。パソコンなども、どうしても時間が長くなってしまうため、手袋のままキーボードにタッチせざるを得ず、しょっちゅう余計なキーまで叩いては打ち直しをしているので、効率が悪いこと夥しい。
治療のため、清里にいる間に麓の診療所で処方してもらった塗り薬と飲み薬を用いているが、1ヵ月分だけだったはずなのにまだ使えている。――ということは、真面目に毎日用いていなかったわけで、これでは治りがはかばかしくないのも仕方がない。

ところで麓の診療所とは、正式に言うと大泉中央診療所。昨年10月20日にも書いたが、何ともレトロな雰囲気がたまらなく、いま思い出しても懐かしい。待合スペースの一角が6畳ほどの小上がり風畳の間になっていて、11月中旬ころからは大きなコタツがしつらえられるので、そこに手足を入れて十分暖をとり、“ガソリンの値上がりは困ったモンですナ”などと世間話をしながら、ノンビリと待ち時間を過ごすことができた。
この診療所がある辺りは、旧大泉村の村役場(現北杜市役所支所)やJP(郵便局)、JA(農協)、駐在所などが集まっている地区の中心地だが、北を振り仰げば八ヶ岳、南には甲斐駒・北岳など南アルプスの山々を見遙かす絶好のビュー・ゾーン。内科や歯科や皮膚科で診てもらいに来たついでに目の保養までできる仕掛けになっていた。

そこを初め、チョッとしたところへ出かけるにはどこへ行くにも、山荘からは車で20~30分かかっていた日常は、不便といえば不便ではあったが、行き帰りに繰り返し眺めた360度の雄大な展望と、フィトンチットをタップリと含んだ澄んだ空気は、それを補って余りあるものがあり、夏から晩秋にかけての清里の暮らしには文句をつけるところがなかった。
ただし、冬場の暮らしはそう生易しくはなく、未明には氷点下まで気温が下がるようになる11月の下旬ともなると、毎日朝晩、暖炉を焚かずにはいられなかった。室内全体が暖まるには時間のかかる床暖房だけでは、とても足りなくなるのだ。

12月の清里の山荘の様子 清里・大泉・小淵沢など、八ヶ岳南麓の山梨県側は、北麓の長野県側とくらべると比較的に降雨・降雪量が少ないとされているのだが、それでも一冬に何回かは相当量の雪に見舞われる。まだ自分たちが居た12月の中旬にも20センチほど積もった日があり、車を出すために、車上の雪下ろしと前庭および前面道路の雪かきに大童だった。
その後数日間も、夜間は轍の跡がそのままアイスバーンという状態が続き、その上にまた何度か粉雪が、薄くではあるけれども降り重なることもあって、予定していた12月24日に無事横浜に帰れるどうかヤキモキさせられた。


1月の清里の森の様子 当日後の様子を聞くと、自分たちは丁度いいときに戻ってきたようだ。その翌日・翌々日には2日続けて積雪があったとのことだし、そのまた翌日には、最低気温が氷点下13度近くまで下がったという。もし、山荘を引き揚げるのが1日か2日遅れていたら、その後いろいろと予定が狂って、面倒なことになっていたかも知れない。
清里の森管理公社がホームページで発表している気象記録によれば、年が明けた1月はさらに寒気が厳しくなった。最低気温は連日氷点下で、これまでのところマイナス10度前後の日も10日以上、積雪(写真は管理公社ホームページから転載)はつい先日も含めて4回あり、そのうち20センチに達したことも2回あったと報告されている。

そう言えば、こちらに戻ってからまだ1ヵ月しか経っていない勘定だが、早や、あの厳しい清里の寒気に耐えてきたことを忘れて、氷点下にも達しない横浜の寒さぐらいで音を上げている自分が、考えてみると情けない。森には、家族3代で20年近くも定住して、小学生のお子さんたちを数キロ離れた学校まで通学させているお宅もあるというのに。
5ヵ月あまり清里の森で暮らし、そんな一家ともお近づきになれたりして、楽しいことも沢山あった。マックもミスドも回転寿司もないが、とびきりのパンやケーキやアイスクリームや手打ち蕎麦を食べさせてくれるお店があり、果物・野菜をはじめ地元産の食材もすこぶる美味で、食生活にも何の不満もなかった。デパートやブランド・ブティックはないが、1時間足らず車を走らせれば小淵沢の林間にはアウトレット・モールもあって、ボストン郊外のタングルウッドあたりを散策しているような気分も味わえた。

いまとなっては、そんな清里での日々は、時間がシンプルにゆっくりと流れる異次元の空間で過ごす夢を見ていたようにさえ思えるが、どうやらその夢を、別れを告げる日が過ぎてもボーッと見続けていたようで、大事なものを忘れてきたことを数日気付かなかった。出発する直前に車に積み込もうと思っていたコートやジャケットやパンツなど4組、お気に入りの冬の外出着一式で、自分的には欠かせなかったものだった。
ので、少し落ち着いたら日帰りででも取りに戻ろうかと思っていたが、こんな気候だし、代わりに着るものがないではなしと引き止められ、春まで待つことにした。

いま清里は、真冬に突入したところ。2月に入ると気温はさらに下がり、雪もこれだけでは済まなくなるが、山荘をオープンしに行けるのはいつになるだろう。
建てたばかりのころは本格的な春が待ちきれず、残雪の下にフキノトウが顔を覗かせる3月下旬には出かけたものだったが、最近はそれほどの元気はなく、雪がすっかり消え去ってコブシの花が満開になる4月下旬まで待つようになった。

でも今年は、忘れ物のこともあるし、少し早めに行ってみようか...。

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2008年11月24日 (月)

清里は秋から冬へ

Yamagoushi 清里の森から見える山々は、富士山をはじめ、北岳・甲斐駒などの南アルプスも、赤岳・権現岳などの八ヶ岳も、もう上半身が真っ白になって、いよいよ冬到来を告げている。我が山荘の庭先も、ツイ先日まで紅葉が目を楽しませてくれていたと思ったら、いつの間にか樹々はすっかり落葉して、時として粉雪が舞う寒々とした初冬の景色になってしまった。
でも、遠景の見通しはよくなり、陽光を遮るものがなくなった分、全体に明るくなったような気はする。地面には、まだ鮮やかな色のままのモミジの葉が散り敷き、その上に赤紫に熟しきったヤマボウシの実が沢山落ちこぼれていて、ムッシュが庭へ出るたびに夢中でかぶりつきたがる。確かに、甘いジャムのような強い香りがするから、本犬としてはたまらないのだろう。

月1回くらいのペースで来て、長くて数日しか滞在しなかったこれまでの秋にはさほど気にならなかったが、しばらく車の掃除をさぼっているうちに外も中もカラマツだらけ。特に、フロントグラスとボンネットの間の溝(ワイパーがついているところ)は、まるでビッチリ埋め込んだようになっていて、きれいに取り出すのにエラく苦労した。
散歩も、寒さが身体の芯まで沁みるようになってきたが、ムッシュは相変わらず元気で遠出。それは良いにしても、その度ごとに二人で足に沢山落ち葉をつけて帰ってくるので、ポーチも玄関内も上がりがまちも、いくら掃除しても散らかってしまう。

何日か良いお天気が続いたので、懸案だったベランダの塗装を。毎年やっているのだが、昨年は水性塗料を使って夏季に作業をしたせいか、その後の強烈な直射日光と雨風に当った平面部の塗料がアチコチ浮き上がり剥がれてしまい、冬を越す前に何とかしておかなければならない状態になっていたからだ。
今回はチョッとやソッとでは剥げぬようにと、長坂のホームセンターJで油性塗料を仕入れ、塗り刷毛も大・小2本を新調し、旧い塗料を削ぎ落とすためのブラシも用意した。10㎡ほどの床面に、8段の階段、そしてそれらに付随する手摺りの平面部だけだから(側面や縦柱は昨年の水性塗装でも何ら劣化していない)、塗りの作業はさして大仕事ではないのだが、それにかかるまでの前作業がけっこうたいへんだった。

まず、浮き上がったり剥げたりしている旧い塗装を、金属のヘラのようなもので削ぎ落とし、その上で硬質のブラシをかけて表面を平準化する。さらに微細な粉末が残らないように全体をデッキブラシで清掃、そして雑巾で水分を拭き取っておく。床板の隙間や柱材の継ぎ目に詰まっているカラマツその他の落ち葉を取り除いておくことはもちろんだ。
こう書くと、スムーズにできた一連の作業のようだが、実は、半日ずつ2日を要し、3日目にやっと塗装にかかることができた。けれども、塗りの段階に入ると仕事は何かクリエーティブな感じさえしてきて、鼻唄まじりで楽しんでいるうちに終ってしまった。塗料の色も、前のものとまったく同じものではなかったが、違和感はなく、自分でも満足できる仕上がりになった。

秋が終わりに近づいて、リスをはじめ森の野生動物たちは冬越しのための食料確保に忙しいようだが、それに関して気になっていることが一つある。それは、裏庭のど真ん中に、何だかはわからないが、そういった小動物の棲家があるのではないかということ。
この山荘を建てたときに伐採・裁断した樹木の一部が長い間積み重ねられたままになっていて、上部はすっかり苔で覆われているが、地表に近い数ヵ所に小さな穴が開いており、どうも、何か生き物が出入りしているらしき形跡があるのだ。

Yamane リスか?それともヤマネか? ためしに2ヵ所の穴の前に、小鳥やリスが好きなヒマワリの種を餌皿に入れて置いてみた。すると日中はそのままだが、翌朝になると2つの皿はきれいになっており、穴の入口の少し奥に、食べかすが散乱しているのが見えた。1週間続けてみて、結果は毎朝同じなので、これは間違いないと思った。
しかし、姿は見えない。もしリスだったら、以前にもベランダまで何度も食べにきていたし、先日も窓から見える樹々の枝を飛び回っていたから、とうに姿を見せているはず。するとヤマネか?ヤマネもかつて、2度ほど発見したことがあった(ただし可哀そうにも亡くなった状態で――1度は留守中に屋内の作業用流しに水を飲みに来て帰れなくなったらしく、もう1度は庭で鳥か何かに襲われたらしかった)。昼間はどうしても出現しないところをみると、夜行性のヤマネの可能性が高い。この寒さだから、夜通し観察しているわけには行かないが、遭えたら可愛いだろうと思う。何しろ手の平に乗る超ミニサイズだから。

Shimobashira このところ、日中陽が射しているときは最高気温が5度前後まで上がることもあるが、最低気温は氷点下が当たり前になって、陽の当らない場所には一日中霜柱が立ちっ放し。少しでも風のある日は、八ヶ岳から飛んでくる雪片が空中を舞う。そうなると、室内全体が十分に暖まるまでには時間がかかる床暖房だけでは足りず、朝夕は暖炉を焚くのが欠かせなくなり、したがって、柴や薪の備蓄にも勤しまなければならないことになる。
これまでの年は、暖炉を焚かなければならないほどの日は、年間延べ半月もなかったから、薪の消費も知れたもので、何年も前に買い置いたもので十分間に合っていたが、今年は既に1ヵ月焚き続け、この後も1ヵ月は続けなければならない。買い置きのものだけでも恐らく大丈夫とは思うが、“備えあれば憂いなし”だし、いい運動にもなるので、チェーンソーとマサカリを振るい、積み置いた古材・伐採材で薪作りに励むことにする。

気がついてみれば、もう11月も下旬。例年ならそろそろクローズして帰る時期だが、横浜の家が完工するまであと1ヵ月、雪が降ろうと八ヶ岳颪が吹き荒ぼうと、ここで過ごさなければならない。
戻りの引越しの準備はまだまだ先のことと思っていたら、もう目の前に迫ってきた。そろそろ気持ちを切り替えて用意を始めなくては...。

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2008年10月20日 (月)

森の秋

♪ 静かな静かな里の秋...ならぬ森の秋。 机から目を上げて窓の外を見ると、2~3メートル先のヤマボウシの葉がいつの間にかだいぶ紅らんで、ツンツン上を向いて生っている実も赤く大粒に。その左手奥のアカマツの幹に絡まりついているのはウルシヅタか、暗紅色だがきれいに色づいている。手前のモミジはまだ3~4分というところで、全体が真紅になるのはこれからのよう。けれども、モミやトウヒなどの常緑針葉樹を残して、ミズナラもカツラもすっかり黄褐色を帯び、裏庭の森は全体が秋色に染まってきた。
玄関から表庭に出てみると、今年はドウダンツツジがいい色で、ナナカマドも、葉はもうほとんどなくなったが、赤い小粒の実が鈴生りになって残っている。
1_yamaboushi_5  2_urushi_3    3_tutuji_2

4_sanpo_2 ムッシュを連れて散歩に出ると、路上には早くも散り落ちたコナラやクヌギの枯葉が積もり、歩を踏むごとにカサコソと音をたて、退色したカラマツの葉が、音もなく肩に降りかかる。ときどき“パーン、パーン”と、まるで銃声のような音がして耳を驚かすが、ドングリが家々の屋根に落下しているのだ。一帯が静かだから、木の葉が落ちても何かと思うほどの音がする。
森の散歩道は、いま、赤・茶・黄・緑のパステル・カラーに彩られて、新緑のときとはまた違った美しさ。咲き残った薄紅色のアザミや薄紫色のノコンギクもひそやかに風情を添えて、秋が一日一日と深まってゆく。



こちらに越してきてからもう3ヵ月。夏はアッという間に過ぎ、いま秋も終盤にさしかかっている。月並みな感想ながら、まことに月日の経つのは早いもの。この分なら、家が完成する年末までも、あまり待ちくたびれずに過ごせるかも知れない。
ここでの生活ペースがすっかり身につき、毎日をゆったりと過ごすようになって、ずっと体調も悪くなかったが、このところ口内炎が出て、2~3日痛みと微熱が取れないでいた。仕事と私用との両方で、1時間刻みのスケジュールをこなしつつ東京・八ヶ岳間の日帰り往復を繰り返した疲労が、積もり積もったのだろうか。

横浜の家ならば、気軽に歩いて、近所のかかりつけの医院に行くところだが、ここでは様子がわからない上、どこへ行くにも遠い。でも、やはりこの土地でも一度は医者に診てもらっておいた方がよかろうと、腰を上げることに。
まずインターネットでザッと調べて、長坂にある北杜市立の総合病院「甲陽病院」と、内科・小児科・神経科・耳鼻科・眼科・皮膚科・歯科と一応揃っている大泉の「大泉中央診療所」に絞り込んだ。選択基準として正しかったかどうかわからないが、なるべく規模の大きそうなところが良いのではと考えたわけである。その先の判断は直感で、あえて小規模な方の、大泉の診療所へ行くことにした。甲陽病院は、以前スズメバチに指を刺されて駆け込んだことがあったが、ここからはかなり距離があって通院しにくいし、大病院の常として延々と待たされそうな気がしたので...。

国道141号線から小淵沢方面に抜ける、車も人通りも建物もまばらな県道沿いにあるその診療所は、築20~30年は経っているかと思われる小ぢんまりとした平屋で、いかにも昔の地方の町の小病院といった趣き。玄関で靴を脱ぎ、ビニールのスリッパに履き替えるようになっていて、十字に走る板張りの廊下にベンチはあるが、コーナーの一角が一段上がった6畳ほどのタタミ部屋で、そこに座って待っているご老人もいた。
自分は内科と歯科で診てもらったが、都会とくらべて拍子抜けするほど待ち時間が短く、先生も看護婦さんもとても親切かつ気さく。たまたま後に続く患者さんがいなかったので、ツイ世間話も弾んでしまった

内科・小児科・神経科の先生が院長で、歯科の先生が奥さんらしく、診察室は、先々週から始まったフジテレビの連ドラ「風のガーデン」に登場する北海道富良野の診療所もこうではないかと思わせる質素な雰囲気。とはいっても、院長は故・緒形拳とは全然ちがったタイプの、血色も恰幅も良い初老の紳士で、“わたくし、生まれも育ちも、いま住んでいるところも大泉で...”と自己紹介までしてくれた。
緒形拳といえば、たまたま自分は、明治座で彼の初舞台を見ている。1960年、「遠い一つの道」という現代劇で、新人ボクサーの役。時代もの中心の新国劇にあって、鮮烈な印象だった。あれから半世紀近く、彼は数々の映画・テレビドラマ・舞台を経て、年輪を重ねた名優となったが、いささか早過ぎる旅に発ってから、はや半月経ってしまった。自分も同い年だが、まだやりたいことが沢山あるので、願わくはもうしばらく元気でいたい。

5_countyfair 週末、景気のいい打ち上げ花火の音に誘われて、「ポール・ラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェア」に出かけた。この数年、清里に来るタイミングとなかなか合わなかったので何年ぶりかになる。前回は、まだムッシュがいなかったから、少なくとも4年以上前だ。
いつも駐車場が大混雑するし、絶好の散歩日和でもあったので、今回は清里の森の出口近くの駐車場に車を置いて、歩いて行こうということになった。ポール・ラッシュ通り(いわゆる“清泉寮通り”)に出るのは、サイクリング・ロードやハイキング・コースのある森を横切って行けば直ぐなので、高をくくっていたが、そこから会場までが、思い込んでいたよりはるかに遠かった。車のときはごくわずかの距離にしか感じていなかったけれども、上り坂ということもあって、けっこうキツかった。会場内を歩き回ったのを別にして、往復4~5キロは歩いたような気がする。

でも、たいへんな人出で大賑わい。家族連れ、若い女性グループが多く、みんな楽しそうな表情をしていた。ムッシュも、久しぶりに沢山の人の中に入って可愛がってもらい、また沢山のお友達とも遊べて大喜び。そろそろ8歳になろうかというのに、元気に全コースを歩ききった。
前回来たときには、ちょうど中村誠一バンドがジャズを演奏していてノリノリで楽しんだが、今回はアトラクションに時間が合わず、テント・ショップ覗きと散策だけ。顔馴染みの「ホテル・ハットウォルデン」や「いずみきのこ園」も出店していたが、とりたてて欲しいと思うほどのものはなく、買ったのは、長野県から来ていた店のリンゴと、静岡県からの店のミカンのみ。

帰り道、あらためて気がついたが、山からの風が吹き抜ける森のメインストリートは、もうすっかり、真っ赤・真っ黄色に彩られていた。八ヶ岳山麓全体としての紅葉は、どうやら今週から来週一杯が見ごろの模様。

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2008年9月16日 (火)

風立ちぬ

9月ももう半ば。早いもので、横浜の家からここ清里の森に移ってきて、もう2ヵ月になろうとしている。

朝目が覚めて部屋の窓を開けると、冷たい空気がサーッと室内に流れ込み、見上げると抜けるように青い空をバックに、木々の梢がサヤサヤと揺れている。時計を見ると7時半にはまだチョッと間があるが、1階でムッシュが“ワッ!...” “ワッ!...”と、2階の様子を窺いながら啼いている。
家内が隣室から、“ムーちゃん、もう起きたの...”と言いながら、先に階段を下りて行き、自分は洗顔と歯磨きを済ましてから行くが、そのころはもうムッシュはケージの外に出してもらっていて、キッチンにいる家内の足もとから自分をめがけ、一目散に走ってくる。そんなムッシュに、“お早う...よく寝たね”といつも同じ言葉をかけるのが、特別な予定のない日の朝の慣わしだ。

その後すぐ、ムッシュに“行こうか?”と声をかけて散歩(兼用足し)に連れ出すが、11月で8歳になるのに元気一杯。子犬のようによく走るので、こちらもつい、それに釣られて走ってしまう。100%は付き合いきれないが、できるだけ一緒に走るようにしていると、いい有酸素運動になる。
先週末は2週間ぶりで東京に出かけたが、もう涼しくなったかと思っていたらまだ30度前後はあって、残暑という感じだった。当日は早朝6時に森の家を出たが、気温は何と12度。その日は最高でも20度前後だったようだ。実際、このところ清里の森からは夏が完全に去ったようで、自分のように皮下脂肪の蓄えがなくなってしまった者にとっては、朝夕はウールのセーターを着て丁度良いくらいになっている。

それだけに、日中の散歩は実に快適で、頬をなぶりながら森の中を抜けてゆく風の気配に、柄にもなく、昔読んだ堀辰雄の「風立ちぬ」を思い出した。
別にああいった小説に傾倒していたわけではなく、文学全集中の一作品として通り一遍に読んだだけで、ハングリーで毎日を精一杯生きていた自分とは縁のない世界と、そのときには実感もなければ、イメージも湧かなかった。が、いまこうして、あの作品の舞台と同じような環境の中で晩夏を過ごしていると、断片的に記憶に残っている作中の地名や情景や季節感が、リアリティを持って蘇ってくるような気がした。

「八ヶ岳山麓」「南アルプス」「落葉松林」「白樺の木蔭」「下生えの羊歯」「郭公」「茜色を帯びた入道雲...」「九月になるとすこし荒れ模様の雨が何度となく降ったり止んだり...」等々、どれも、作品が書かれた70余年前(1936年)もいまも変っていない。あのサナトリウム(富士見高原療養所)も、「長野県厚生連富士見高原病院」として現存している。
もっとも、厳密に言うと、富士見高原が標高1000メートルなのに対して清里の森は1400メートルだし、八ヶ岳を軸にしての方位も、清里高原は富士見高原より90度東に振れているから、季節の変わり目はひと足早く、こちらに訪れているのかも知れない。

根が至って単純なので、チョッとしたことからすぐに、そんなベタな連想をするが、気持ちよく散歩しているときには、ムッシュとの対話(と言っても他人が聞けば独り言)の合い間に歌も出る。そんなに大声を出すわけではなく、口ずさんでいる程度だが、森の中なので誰も聴いていないのを良いことに、結構まじめに歌う。

歌も楽し 山小路 香れる 朽ち葉踏みて 
行きゆけば 梢の 小鳥 歌う
夏の光 葉漏れる陽は 我らが 歌も楽し    
(ドイツ民謡/高橋信夫作詞「歌も楽し」)

野バラ咲いてる 山路を 二人で 歩いてた
夏の太陽 輝いて 二つの影 うつしてた
今はない君の 面影 求めひとり 僕は行く
(市川染五郎=現松本幸四郎作詞/作曲「野バラ咲く路」)

30分から小1時間の散歩中に2~4曲くらい歌うのを常としているが、いまの季節に必ず口をついて出るのがこの2曲。どちらも、周りの情景と気分にピッタリなのだ。
一緒に歩いているムッシュは、“また始まった”と思っているのだろうが、そのうち条件反射で、散歩の度に“歌って”とせがむようになったりして...ンなことはないか。

つい数日前の朝は、庭の木立の枝から枝へ、子リスが飛び回って遊んでいた。真冬と真夏は姿を見せないはずなので、彼らも秋の訪れを感じて出てきたのだろう。
以前、足繁く山荘通いをしていたころは、皿に入れた餌を出しておいてやると、よく目の前のベランダまで食べに来ていたものだったが、こちらがたまにしか来なくり、餌を出しておいてやるのが途切れ途切れになってからは、めったに姿を見ることができなくなっていた。今回は彼らが冬眠するまでズッと居るわけだから、また、餌を出しておいてやることにしよう。

このところ、夜半の月明かりが煌々とまぶしいほどなのに気が付いたが、考えてみたら、十五夜の満月のようだ。
土地のスーパーのチラシにも、“十五夜大特集――月見団子(餡入り/餡なし)・茨城産生栗・岐阜産松本早生柿・千葉産土里芋とりそろえました”などとあった。

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2008年8月18日 (月)

森の暮らし

♪山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ
 娘心はヨー 山の天気よ
(作詞:神保信雄 作曲:不詳 「山男の歌」)

いまどきはシニアの山登り愛好家ぐらいしか歌わないと思うが、自分たちがまだ若かった昭和30年代、「歌声喫茶」なる場所での愛唱歌の一つだったこの歌のこの部分が、近ごろやたらと脳裡に浮かんでならない。
と言っても、“娘さん”の部分ではなくて、“山の天気”の部分がそうさせるのだ。清里の山荘に来て、今日でちょうど1ヵ月になるが、これまでの比較的短期の滞在のときにはわからなかった山の天気の“変りやすさ”をイヤというほど味わって、“なるほど、ホントにそうだ”と、何気なく見過ごしていたこの歌詞のリアリティを認識したわけである。

毎朝、目が覚めて窓のカーテンを開けると、木々の梢のはるか上に目に沁みるような青空が広がり、頬をなでるヒンヤリと乾いた大気が今日一日の快晴を予感させるのだが、実はその状態は24時間とは続かない。
夏季などには決まったように、早いときは午後2~3時ごろ、普通でも夕方に、遅ければ夜更けになってから、おおむね雷鳴を伴った大粒の雨が屋根や窓を叩きつける。それでいて翌朝は、そんなことはほとんど忘れたかのような快晴に戻るから、まさか今日は降るまいとツイたかを括ってしまい、それでまた性懲りもなく降られては大慌てする。

まったく、山男ならずとも振り回され、戸惑ってしまうのだが、考えてみればここは標高1400メートル超、チョッとした山の5合目ぐらいにあたるわけで、そんなことは当然なのかも知れない。
事実、標高700メートルくらいのところにある中央道長坂インター傍のショッピングセンターで買い物をして帰ってきたとき、森の近くまでは何ともなかったのに森に入ったところから大雨が降っていたこともあれば、その逆に下がひどい雷雨で、開けっ放しだった窓を心配しながら帰ってきたら、森の中は何ともなかったということもあった。

ここ八ヶ岳をはじめ、富士山、南アルプス、秩父連山などの山々に囲まれた山梨県は、地域全体がそういう気象条件なのかも知れず、今月の初めなどは、大月の変電所に落雷があって県全体のほとんどの世帯が1時間あまり停電になってしまった。一般家庭ではたまたま夕食を済ませた時間帯だったから、影響はまだしもだったが、幹線道路などでは信号がやられて、交通が一時大混乱に陥ったようだった。
雷が鳴っているとき、数秒から数十秒にわたって電気が消えるのは、もはやこのあたりでは珍しいことでもなんでもなく、自分たちもすっかり慣れっこになって、山の夏の風物詩として受け止める心境に達した。ゴロゴロいう雷鳴が苦手なはずのムッシュも、最初は飛び上がって走り回っていたが、このごろはあまり動じなくなった。

ここ清里の森にも、ときどき雷が落ちる。森の落雷事情をよく知らなかったころに我が家でも、近くの木の天辺に落ちた雷が地下を伝わって建物の中の電気設備に侵入し、電話とボイラーの頭脳部が破壊されたことがあった。ちょうどお盆の時期だったこともあってメーカーや電器屋さんに修理を頼むこともままならず大弱りしたことを覚えている。以来それに懲り、夏から秋にかけてしばらく山荘を空けるときは、ほとんどすべてのブレーカーを下ろして帰るようにし、また山荘でコンピューターを使用中に近くで雷が鳴り始めたら、直ちに作業を中断して、コンセントからコードを抜くことにしている。
ちなみにこの土地の人々は、そんな被害を、“雷に入られた”と表現する。感心だけしている場合ではないが、なかなか言い得て妙ではないか。 “娘さん”はそんなことはあるまいが、この辺の“山の天気”は、気まぐれな上、ときに人を困らせる。

そんなことはあっても、それも森の暮らしの一コマと、このごろは笑って過ごせるようになってきた。何しろ平地は連日の猛暑というのに、それより7~8度は気温が低い涼しさが有難い。“便利さ”をとるか、“のんびり”をとるかと、建て替え中の仮住まいの選択に一時は迷ったが、今ではこちらにして本当に良かったと思っている。引越し騒ぎでだいぶ縮まったかも知れない寿命を、少しずつ取り戻せているような気もする。
確かに、医療機関などの便は、都会にいるときのようなわけには行かないが、その分ここには、それを補ってくれる自然の癒しの環境があることがわかった。そういった理由によるものか、原油高騰の折から近場で楽しもうとする人々が増えてきたからか、例年に比べて今年は、森に長期滞在しているお宅が目立って多い。お蔭で、いままで話を交わす機会がなかったご近所さんとも親しくなり、ムッシュにも沢山のお友達ができた。

とは言え、森の暮らしは基本的に単調だ。外出したくなるような刺激がしょっちゅうあるわけでなし、訪ねてくる人もまばらだから、毎朝ポストに入っている新聞、ほぼ毎日の昼ごろ配達される郵便、時折届く宅配の小包、そして管理センターや近辺の関係業者が投げ込んで行くチラシにさえ、なんだか親しみと温もりを感じてしまう。
あらゆる生活インフラが整った都市部の暮らしの中では、ごく当たり前のこととして特に意識もしていなかった自分たちと社会とのコミュニケーションというものを、ここで暮らすようになって改めて考えさせられた。

時間がゆっくりと流れるようで、聞こえてくるのは小鳥のさえずりばかりという日が多い。だから、神経がリラックスし過ぎてしまい、机に向かっていても、いつの間にかウトウトしてしまうこともしばしばあって、これではマズいと思い始めている。ボーッとしているのがクセになり、脳みそがフヤケて社会復帰できなくなったらたいへんだ。
幸い(?)今週末と来週末は、仕事のために2週連続で東京へ行く。ついでに新居の建築作業進行状況の確認もある。早朝出発することになるので、2重の意味で目を覚まし、チャンとすることをしてこなければ...。

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2008年6月 2日 (月)

薫風 清里の森

先週の日曜日から、今年2度目の山荘行。もっと早く、ゴールデンウイークの直後ぐらいにと思っていたのが、何だかんだと忙しくて、前回から早や1ヵ月経ってしまった。けれども今回は天候に恵まれ、3泊4日の滞在中はずっと晴天続き。

横浜の家を出た日は昼過ぎまで雨が降っていたが、折り良く出発前の午後2時くらいからすっかり上ってくれたし、山荘から帰る日も、前2日間 にくらべると八ヶ岳が少々霞んでは見えたものの、一日中まったく降る気配はなかった。ところが帰宅の翌日からは、また雨で気温も急降下。今回の山荘行は、 お天気に関する限りまことにツイていた。日頃の心がけが良いからかナ?

八ヶ岳

うまくタイミングが合えば、採れたてを天ぷらにして...などと、 毎年庭に自生するタラの芽やウドを密かに楽しみにしていたので、着いた日の翌朝、早速チェックのため外に出たが、今年は残念ながら収穫なし。摘みごろもとうに過ぎていたのかも知れない。それでも直ぐには諦めきれず、昨年立ち木を伐採してすっかり陽当たりの良くなった庭を、何か他にも山菜はないかと眺め渡していたら、あちこちに、ゼンマイ(コゴミかもしれない)が生えていたので一応摘んでみた。

が、生ゼンマイの調理のし方がいまひとつわからないということで、結局は食べずじまい。
新緑というにはもう時期を過ぎた庭では、すっかり生い茂ったカラマツやカツラやミズナラやリョウブの葉の下蔭になって、赤いドウダンツツジも三つ葉ツツジも山ツツジも、まだ十分に開花しきっていない状態。レンゲツツジやヤマボウシや山アジサイなどにいたっては全然で、黄色や白い花が見られるようになるのは次回かも知れない。

山ツツジZenmai_3

それにしても、二日間というものは抜けるような青空で、陽射しはけっこう強いのに、風はヒンヤリと肌寒いほど。森を訪れている人もほとんどいないので、静 かで空気が澄んでいて実に気持ちが良く、家の中から窓越しに近くを見ても、庭に出て辺りを眺め渡しても、木々の緑が目に快い。
こ のぐらいが適温なのか、ムッシュも元気いっぱい。一日中散歩に出たがり、目覚め一番、午前、午後、お寝み前と、回数もいつもの倍ならば、走行距離もいつも の倍。楽しくてたまらないように駆けまわるので、それに付き合っているパパはフウフウ言ってしまう。でも、運動になるからいいか。

前回、藤乃家の蕎麦を食べたいと思っていたのにちょうど休日で果たせなかったので、今回こそはと意気込んで行ったが、何と、前日から週末まで臨時の4連休。家内と“今回はマサカそういうことは...”と話し合いながら行ったら、その“マサカ”だった。お天気にはツイていたが、蕎麦にはツイていない。
代わりに他の店でという気にもなれなくて、自宅に逆戻りし、また家内の手を煩わせてしまった。口ばかりでなかなか調理ができるようにならない自分は、せめて外食に誘って、点数を稼ごうと思っていたのに...。

コンピューターを持参して行ったので、原稿書きの仕事もはかどったが、力仕事もだいぶできた。10年近く前に、家の前の道路沿いに大掛矢を振るって20本近くの杭を打ち込み、それに笠木と横木を打ち付け、ペイントも塗って仕上げた手製のフェンスが、冬季の積雪の重みに耐えかねてか、杭の根元の地盤が緩んだのか、かなりの角度で傾いできたので、応急の矯正工事(工事というほどのことでもないが)を施したのだ。
昨春に伏流水路改善工事のため庭を掘り返したとき、大小さまざまの岩石が出たので、その中から径15~20センチほどの小石(というよりも“中石”?)を選んで、それぞれの杭の根元周りの地盤を固めるために埋め込んだ。埋め込む作業も、杭一本ずつ根元の土を掘っては石を入れ、小槌で叩き固めるので、決して楽ではなかったが、一回に1~2個ずつ抱えて20メートルくらいの距離を往復する石運びの方が、けっこう応えた。が、自分で思っていたよりもチャンと仕上がって、それを見た家内に“アラ、良くなったわネー、たいへんだったでしょう”と褒められたら、格好をつけて無理に涼しい顔をつくり、“イヤ、それほどでもなかったヨ”と、痩せ我慢してしまった。

工事といえば、今回来てみたら、ポーチ入口の30センチほどの厚みでアーチ状壁になっている部分の天井が、片側1メートル近くにわたって漆喰が割れ落ち、内側の木部も腐れ落ちていた。数年前から、ポーチの外壁・柱の角などの漆喰にクラックが走るようになって、塗装補修はしていたのだが、どうやら、バルコニーになっている上部のコンクリートの亀裂から雨水が滲み込み、内部に溜まって木部を腐食させ、長年のうちに耐え切れなくなってしまったらしい。
同じくらいの幅のもう片側は幸い剥がれ落ちていなかったので、今回出入りするには差し支えなかったが、早晩落ちる危険性があるのは明らかなので、直ちに、この家を建ててもらったYさんに連絡。6ヵ所の現場に関わっているとかで多忙を極めているらしいYさんだが、事が事だけにすぐに飛んできてくれ、次回(多分3~4週間後)来るまでに全面改修(一たん解体して新たに取付け)してもらうことに。3~4年前にはベランダの全取付け直しをしたが、今度はポーチ・バルコニーの全取付け直し。20年近くも経つと、雨風に晒される部分にはこんなことも起きるものなのか。本体の方はビクともしないのだが。

庭の木々 窓越しに見える木々の緑

と、いろいろあったが、久しぶりの山荘は、中2日のゆとりをとったらずいぶんゆっくりできたような気もした。立ち木伐採後の様子を見に、管理センターのAさんも訪ねてきてくれたし、忙しくてなかなかつかまらなかったYさんとも何年ぶりかで会って四方山話がはずみ、特にどこへ行ったというわけでもなかったが、清里らしい時間を過ごせた。
ムッシュも、車中はもちろん山荘の中でも外でも、すっかり要領を飲み込んで過ごしているので、まったくの世話要らず。往き帰りの中央道談合坂SAでは、老若男女あらゆるジェネレーションの沢山の人々にモテまくって、ご満悦の様子だった。

“忙中閑あり”という感じの、リフレッシュできた数日ではあった。

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2008年4月28日 (月)

今年初めての清里

週末の道路渋滞とゴールデンウィークの行き先での混雑を避けようと、先日、あえてウィークデーを選んで、清里の山荘へ行ってきた。今年になって初めて。昨年とくらべて10日遅く、一昨年よりも1週間早い。...などと、なぜ毎年、初めての山荘行の日をあれこれ言っているかといえば、途中・現地での桜や桃の花の見ごろに関係してくるから。今年は残念ながら甲府盆地の桃は終っていたが、中央道沿いの山々には、刷毛で暈かしたようにホンノリと薄ピンクの山桜が、まだあちこちに沢山見えていた。
国道141号線を標高700~800メートルくらいのところまで上ると、平地では3週間ほど前に終ったソメイヨシノがいま満開。そういえば朝のニュースで、桜前線が北海道に達したと報じていたが、この辺のいまは北海道と同じなのだなと改めて納得。いつものことだが、標高1000メートルを越え、141号線から分岐して牧場通りに入ると、道沿いに、また家々の庭に、白いコブシが真っ盛りだった。

この日、平野部では最高気温20~23度(甲府市内は何と26~27度)で、さすがに寒がりの自分も、セーターを着ていると汗ばむほど。夕刻山荘に着いてもまだ16~17度あって、この場所この時季にしては異例だった。昨年・一昨年とも5度を割る低温で、到着後すぐに床暖房のスイッチを入れ暖炉を焚かずにはいられなかったほどだったが、今年は夜になっても、低温の床暖房だけで十分だった。
メイン・ボイラーも、昨年水抜きに失敗して取り替えたウォシュレットも、すべて順調に作動し始めたので、ヤレひと安心と夕食後に入浴しようとしたら、一箇所だけ異常を発見。バスタブに湯を張るためのカランは問題ないのだが、シャワーと一体になっている洗い湯のカランから熱湯が出てこない。少しいじってみようかとも思ったが、多少面倒でもとりあえずもう一方のカランを使えばいいわけだし、素人が余計なことをしてかえって具合を悪くしてはまずいだろうと、翌日管理センターに相談することに。

一夜明けた次の日も気持ちの良い暖かさ。早朝から目が覚め窓から外を見ると、立ち木を伐採してすっかりオープンな感じになった庭に陽光がいっぱいに射し、先日管理センターのAさんから連絡をもらった通り、前回の作業で片付け残していた材木はきれいに回収されていた。まるで5月下旬並みの陽気なので、思わず木々が新緑に彩られているかのような錯覚を起こし空を見上げると、さすがにそこまでは行かず、カラマツはその名の通りまだ葉が落ちたままの寒々とした状態(写真)。やはり清里の春は、そんなに甘くはない。
庭の残材回収のお礼かたがた、本年度の管理費を支払ったり、バスルームのカラン修理の相談をしようと、昼食に外出する途中で管理センターに寄ったら、Aさんも昼食のため外出中。でも、やはり顔馴染みのSさんがいたのでカランのことを話すと、帰宅後すぐに飛んできてくれた。分解して調べてもらったら、熱湯の通り道にあるストレーナー(濾過装置)に細かい鉱粉(水自体に含まれていた砂のようなものか、水道管のサビのようなもの)が詰まっていたとのことで、それをきれいに除去したらすぐに開通。お手数をかけてしまった。甘え過ぎてはいけないと思うが、管理センターの皆さんにはいつもチョッとしたことでも気軽に対応してもらって本当に助かる。感謝、感謝。

昼食は久し振りに「萌木の村」のホテル・ハットウォルデンへ。シーズン前のウィークデーということもあってか、客は自分たち夫婦一組だけの貸し切り(借り切り?)状態。ムッシュを車中でお留守番させていたので、思いっ切りユックリというわけには行かなかったが、それでもゆったりとした気分で、新メニューのランチを楽しむことができた。ほかに客が居なかったので、ホテル支配人のKさん初め、レストランのシェフTさんまでが出てきて、しばらくの間は今年の清里の季節談義や萌木の村のスタッフの近況報告などに花が咲き、美味しい料理がいっそう味わい深く感じられた。
以前に自分のウエブ・エッセー「カウンターの片隅から」(このページからリンク可)の最終回にも書いたように、このホテル、レストランに来るようになってから、もう20年以上になるが、親しくなったスタッフが変らないということが客にとっては何よりのサービスだと、つくづく実感する。

ところでムッシュは、山荘に来るようになってからもう3年あまりになるので、横浜から清里への切り替えにもすっかり適応したらしく、山荘の内外ではもちろん、車中も、途中休憩に立ち寄る談合坂SAなどでも、自分なりの楽しみ方を覚えて何の違和感もなく過ごすようになっているが、今回また一つ知恵がついたようだ。
彼は横浜の自宅では、夜間および昼寝の時間を、リビングルームの片隅に置いた“ハウス”と称する幅90㌢・奥行き60㌢・高さ60㌢ほどのケージ内で過ごさせているが、山荘では、リビングルームとの間をガラス格子の折りたたみ式ドアで仕切った“サンルーム”と称している6畳ほどの部屋に籐で編んだ人間の赤ちゃんサイズの寝籠を持ち込み、そこで寝起きさせている。境のドアだけで仕切り、籠から出てサンルームの中を歩き回るのは自由にさせているので、朝がた自分や家内が2階の寝室から下りてくると既に目を覚ましていて、ガラスの向こう側に鼻をつけてクンクン言っていることもしばしばだったが、これまではそこから出てくるようなことはなかった。しかしながら今回のムッシュは、着いた翌日の朝、思いがけない動きをしていた。

いつものように階段を下りてくると、途中から見えるはずの場所にムッシュの姿がない。どこへ行ってしまったかとビックリして、サンルームからリビングルームの方に頭をめぐらせると、何ともう、部屋の真ん中に置いてある自分用の座布団の上に座っていて、瞳をクリクリさせながらこちらを見ているではないか!
4連の折りたたみドアは、真っ直ぐ一杯にピンと引き伸ばして閉めたはずだったので、一体、どうやって出てきたのだろうとチェックしてみたら、ヒンジ部分に角度ができ、ドアの端と柱の間に10㌢ほどの隙間が空いていた。彼は、出たい一心でアチコチを鼻面や前足で押しているうちに、それがレールに沿って少しずつ動くことを学習したらしい。恐るべしムッシュ!それからというものは、昼寝の後も、自分でドアを開けてリビングルームに出てくるようになった。もちろん次の日の朝も。まあ、いまは、それで何か粗相やオイタをするわけではなくなったから、いいといえばいいのだけれど...。

中1日の束の間の滞在だったが、お天気にも恵まれ、花粉症もぶり返さなかったし、取り立てて肉体労働もデスクワークもせずに過ごしたので、それなりに心身ともリフレッシュできたような気がする。
ただ、帰りの日は朝から冷たい雨で、気温7度といういつもの4月の清里に逆戻り。その雨は午後からも降り止まず、八ヶ岳も、雨(雪?)雲の中にすっかり隠れてしまったが、今度行くころには、五月晴れの空を背景にスッキリとした姿を見せてくれるに違いない。

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2008年4月 7日 (月)

春待つ清里

毎年、桜が満開になってスギ花粉の飛散がピークに達するころになると、家内と自分との間でどちらからともなく、“今年はいつごろ清里へ行こうか”という話しが出る。行ったところであちらは、4月中はまだまだ寒いのはわかっているのだが...。

今年もそんな話をしていた先日、山荘のある「清里の森」の管理センターのAさんから、久しぶりに電話があった。昨年秋、カラマツやミズナラなど、伸びすぎた庭の立木を伐採・裁断してもらって、まだ片付け残していたものがあったが、“ちょうどいい機会があるから、回収・処分しておきましょうか?”という連絡だったので、有難くお願いした。

Aさんたちはいつも森の中をパトロールしてくれているので、ついでに私宅近辺の残雪状況を聞いたら、家の前まで、道路にはまったく問題はなく、家屋の南側にはもうほとんど残っていないが、北側(道路からの入口側)がまだ融けきっていないとのこと。

横浜ではもう、桜が満開を過ぎて散り始めていたときだったので、わかっていながらつい、何か花芽は出始めていませんか?などとAさんに尋ねてしまったが、もちろんまだ。清里高原のわが家のあたりに春がやってくるのは、早くとも、平地の1ヵ月後なのだ。

管理センターのライブ・カメラに映し出されている八ヶ岳の山々は、まだ上半身に真っ白な雪を帯びたままだし、3月15日撮影の周辺風景(許諾を得て管理センター・ホームページより転載)を見ても、地上にはまだまだ雪が残っている。

春待つ清里 春待つ清里 春待つ清里

しかも、Aさんと電話で話した直後の3月31日には、また20センチの降雪があったというから、現在ライブ・カメラから見えるあたりはともかく、わが山荘の庭は、春を目前にして再び白一色になったかも知れない。

思い出してみると、昨年は4月の半ばに山荘を開けに行ったが、夜間は氷点下まで気温が下がり、薄っすらとではあったけれども雪まで降った。そういうことが間々あるので、どうしても、無難なのはゴールデン・ウィークごろということになるのだが、これがまた、せっかく清里に出かけるという意味からすれば、あまりタイミングがよくない。

行き帰りに車の渋滞に巻き込まれる可能性が大だし、外で食事をしようと思ってもどこも一杯。山菜の食べごろも、フキノトウには遅すぎ、タラの芽には早すぎるのだ。家の窓から外を見ても、木々の枝はまだ茶色のままで、一面の若緑にはなっていない。おまけに、平地での花粉症がようやく治りかかるころなのに、途中、標高500~900メートルのあたりを通るとき、あらためて花粉を吸い込み直す破目になる。

なので、結局、こちらではすっかり終ってしまった桜を、あちらでもう一度楽しめる、4月中旬ごろにしようかということになる。その時期だと、行き帰りには中央道や国道20号沿いの山腹が一面に白い山桜で覆われていて、なかなかの景観だし、山荘からちょっと大泉方面に下れば、八嶽神社、谷戸城跡、泉小学校といった、標高1000メートル以下の八ヶ岳南麓の桜が真っ盛りのはず。

その年その年で微妙にタイミングが違うが、うまくすれば、さらに下った長坂の清春美術館の桜にも間に合うかも知れない。武川の山高神代桜は、いくら何でもそのころには咲き終わっているだろうが。

ところで今年は、17日までは仕事の予定が入っていて、どうにも身動きができず、どうやら行けるのは20日過ぎになりそうだ。そしてゴールデン・ウィークはあえて避けて、人出が一段落したころに、また行こうかと思う。

そのころなら、森もすっかり新緑に彩られ始めているだろうし、立ち木を伐採してだいぶ日当たりの良くなった庭に、新しい山菜も芽を出しているかも知れず、ムッシュとの散歩も寒さを気にせずにできるようになるだろうから。

と、毎年のことながら4月になると、想いだけは遥か清里の空に馳せるのだが、本年も山荘開きは遅くなりそうだ。

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2007年12月 3日 (月)

今年最後の清里

何だかんだと忙しくて、前回からまた6週間以上経ってしまったが、来春まで山荘をクローズするために、今年最後の清里へ。もうすっかり冬モードに入り、夜間や早朝は氷点下前後まで気温が下がるこの時期の清里の森は、散歩するにはいささか寒過ぎるし、厳冬の数ヵ月を留守にするに当たり凍結防止のための“水抜き”などの作業があるので、今回はムッシュを近所のペットクリニックに預かってもらって出かけた。
その前日、ホテルの予約を入れるため散歩のついでにクリニックに立ち寄ったら、どうも話を聞いていて預けられることを察したらしく、気になるのかその夜はほとんど眠らず啼き続け(おかげでこちらも眠れず)、夜が明けて当日になると、いつでも一緒に出られるゾという体勢でクレート(出かけるときに入るドッグ・バッグ)の中からこちらを見張っている。そしていよいよ預ける時間がきて外へ連れ出したら、“ブーブに乗ってお出かけするんでしょう?”という精一杯甘えた表情をつくって、車のドアの前から一歩も動かない。3キロそこそこの極小犬なのに、リードを引っ張っても足に根が生えたようにビクともしないのだ。仕方なく抱き上げて、“すぐに帰ってくるから、お姉さん(ペットシッターの)のところでいい子にしているんだョ”と道すがら何度も囁きながら連れて行ったのだが、腕の中で終始小刻みに震え続け、クリニックで大好きなお姉さんに抱っこされてからも放心したような表情だった。

初冬の八ヶ岳

それはチョッと気になったのだが、ママとパパも、たまには自分たちのペースで走りたいように走って、止まりたいところに止まり、ムッシュ連れでは入れないレストランでゆっくり食事もしたいと、内心ではゴメンねと言いながら、後ろ髪を引かれる思いで出てきた。ムッシュには済まなかったという気がするし、いつも傍にいる子がいないと淋しくもあったが、何しろ自分たちのペースで動けたので、クローズの作業もスムーズかつ的確にはかどり、やはり、何かと楽だったことは否めなかった。
わずか中一日ではあったが、お天気にも恵まれ、この時季ならではの富士と南アルプスと八ヶ岳連峰と秩父連山のパノラマ・ビューをエンジョイしながら八ヶ岳高原ラインを往還して、しばらくご無沙汰していた萌木の村の「ハットウォルデン」や大泉の「いずみきのこ園」に顔を出し、また、先日庭の立ち木の伐採をしてもらったお礼と料金の支払いに、森の管理センターにも立ち寄った。

初冬の山荘

今回は、育ちすぎて通風や採光の妨げになっていたカラマツ、アカマツ、ミズナラその他の雑木を20本ほど、管理センターの職員の人たちに伐採してもらったのだが、到着の翌朝窓から外を見て驚いた。木の葉がすっかり落ちていたこともあるかも知れないが、室内への陽の差し込み方が、これまでとはまるで違っていた。
家屋に近接していた高木を何本も切ったので、地面と空の広さと光の量がこれまでの何倍にもなったような感じがしてまことに気分が良く、家内と何度も、“伐採してもらって良かったね”と言い合った。これでまた最初の頃のように、風通しの良いスポットが庭のあちこちにでき、来年の春・秋の野草とキノコが楽しみになった。予想以上にスッキリして本当に嬉しかったので、作業をしてくれた管理センターのAさんやSさんに感謝の気持ちを伝えたら、そこからまた我が家の樹木談義に花が咲いて楽しかった。

さて、昨年も書いたが、クローズの作業は何十回やっても、これで完璧という気持ちになれない。すべての水抜き栓を開放し、電源スイッチをチェックし(オフにするところとオンのままにしておくところがあるからややこしい)、全部の窓とドアのロックを確かめるのだが、いつも、あれでよかったのかと自信が持てぬまま帰途につくことになる。
もう二人とも頭の中に覚えているだけでは無理なので(家内は多分まだ大丈夫とは思うが)、マニュアルを作らなければとパソコンに入力中なのだが、一連の作業手順を脳内だけで整理・反芻しつつ文章化しようとしていると途中で疲れてしまい、2年越しに未完成のままになっている。来年のクローズまでには、何とか間に合わせなければ...。

今回はもう一つ、念願があった。それは、ムッシュ連れだとどうしても無理だった「ぼのボーノ」で食事をすること。今年は春先に一度寄ったきりで、久しく訪れるチャンスがなかったが、最後の最後に想いが叶った。
と言うのも実は、今回はせっかく自由に動けるのだからできるだけ外で食べようと、往路では竜王町(現・甲斐市)の国道20号線沿いの蕎麦屋に立ち寄ったところ、これが暖簾の旧さの割にはツユ・蕎麦ともイマイチ。翌日行った「ハットウォルデン」は折悪しく団体さま貸し切りとかでランチにありつけず、「いずみきのこ園」でもお目当ての品が売り切れ。ツイてないねと家内と嘆き合っていたが、最後に帰り道の「ぼのボーノ」で、今年の山荘通いを美味しく締めくくることができた。

と、自分たちは満足裡に帰宅したのだが、ムッシュを迎えに行ったら、初めて経験するような事態が起こっていてビックリした。ストレスのためかムッシュは、身体に痒みを発症して自分で体毛の一部を齧ってしまい、そこが赤むけになってしまったのだ。幸い預かってもらったところがクリニックだったので、適切な処置と投薬で大過なく済んだが、気にしていたことが当たってしまったようで、可哀そうなことをした。

子育ても難しいが、犬育ても難しい。

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2007年10月29日 (月)

清里・紅葉・キノコ

前回以来ちょうど一月ぶり、幸い好天気続きだったので紅葉とキノコを期待して、ムッシュ共々清里の山荘に行ってきた。往路到着したのは午後6時を少し過ぎたばかりだったが、秋の陽はつるべ落としとはよく言ったもので、あたりはもう真っ暗、清里の森のゲートを入ると木々の色もよくわからず、わずかに見えたのは車のライトに照らされた部分だけ。でも、どうやら植え込みのドウダンツツジが色づいているようだったので、翌日を楽しみにした。キノコの方も、到着してすぐにガス・水道・オイルの元栓を開けボイラーと床暖房の電源を差し込むため地下室へ庭を往復する途中で、地面にライトをかざしてチェックしたら、いつも出るところにシモフリシメジが頭を覗かせていたので一安心。 10月も半ばを過ぎた時期だから、夜間はもう相当寒いはずと来る前から覚悟はしていたけれど、標高1400メートル地点の気温の下がりようは、やはり半端ではなく、床暖房を入れても、暖炉を焚いても、しばらくの間はなかなか室内が暖まらず、熱いスープを飲んでも、風呂で身体ごと温まっても、ベッドの冷えでなかなか寝付けなかった。だが、考えてみたら、いつも冬季にはそうしていた布団乾燥機で事前に暖めておくことを忘れていた。

翌日、窓から外を見て“アレー”と思った。というのも、わが家の庭はまだほとんどグリーン一色で、例年だったら茶ばんで散りかかっているカラマツの葉も付いたまま。ほんの一部の樹木だけが黄葉し、あるいは枝先がわずかに紅くなっているだけで、いつもの年の同時期とはまったく様子が異なっていた。やはり今年は異常な暑さが長く続いたせいなのかと、首を捻ってしまった。

かくなる上はキノコだけが楽しみと地上に目を転ずると、これもおかしい。この時季には群生するはずの当家の庭特産のチャナメツムタケが一つも見当たらない。その代わりというわけでもなかろうが、9月初旬でとうに終っているはずのハナイグチがまだ出ていた。昨晩見当をつけていたシモフリシメジは、本来ならその名の通り霜の降りる頃、11月初めにならないと姿を見せないはずなのに、既に数株、食べごろの状態に。異常気象で、ついに自然のサイクルに狂いが生じたか。

次に来るのは今から1ヵ月後の11月下旬になるだろうが、この調子だとヒョッとしてそのときまでも、何か残っているかも知れない。

山荘黄葉

ハナイグチ

シモフリシメジ
この日、二日目は、午後から雨が降り出したのでどこへも出かけず、これ幸いと身体を休めることに。自分は今回あえてコンピューターを持ってこなかったので、仕事をするわけに行かず、家内も、横浜の家にいるときのようにアチコチ忙しく出かけるわけにも行かなくて、二人でローカルテレビの退屈な番組を見たり、普段は話題にしないどうでもいいことを語り合ったり、ひたすらノンビリしていた。でも、こうしていることも、この歳になると必要なのかも知れないと自己納得。
...と思いながらも、快晴の三日目は大奮闘。前回、細め(と言っても径15㎝ほど)の中木を1本伐採した後、径20㎝のとてつもなく堅い2本目に取りかかって外れてしまったチェーンソーのチェーンを取り付け直し、改めてその木を、辛抱強く時間をかけて切り倒した。ところが、倒す方向は考えていたのだが横枝の長さまでは計算に入れていなかったため、完全に地上に倒れず別の木の俣に引っかかってしまった。力いっぱい押しても、どうにもそれ以上動かず、斜めになったまま。時間が経てばやがて枝が枯れ、自然に倒れ落ちるとも思ったのだが、近いうちに管理センターの人たちにカラマツやミズナラの高木を間伐してもらうことになっていたので、ついでに引きずり下ろしてもらえないかと頼んだら、一緒に始末してくれるとのこと。有難や。

その日の昼食は藤乃家へ。シーズンでさぞ混み合っているかと思ったが、予想外にもすぐに座れ、車の中で留守番するムッシュをあまり待たせずに済んだ。

往復の八ヶ岳高原ラインからは四方の山々がきれいに見えた。富士山の冠雪は事前に承知していたが、八ヶ岳の主峰赤岳も、北側の頂上付近が白くなっていた。この道路の途中には、川俣川東沢渓谷に架かる通称“赤い橋”と呼ばれる絶景紅葉スポットがあって、いつもならこの時季は全山見事に紅く染まった中で大賑わいの人出になるのだが、この日はイマイチ。それもそのはずで、山は紅葉には程遠い状態だった。

出かけたついでに寄ったいずみキノコ園の奥さんや清里の森管理センターの人たちとも話をしたが、“夏が長かったせいで今年は遅い、下手をするとこのまま行ってしまうかも”ということだった。ただ、管理センター周辺の樹木だけはいい色になっていた。周辺の空間が広く、陽当たりがよくて風がよく抜け、昼夜の気温差が大きくなるからだろうか。
富士山冠雪

赤岳冠雪

赤い橋

管理センター前

四日目も、寒かったけれど爽快な晴天。自分は電動刈り払い機と剪定鋏みを振るって庭の笹を刈り、家内は春に咲く花々の球根を花壇に植え、ムッシュは人影のほとんどない森の中の小径を元気に駆け回った。体力を使った後の疲れの残り具合が年々少しずつ増えているなと実感しないわけには行かなくなってきたこの頃だが、肉体労働で頭の中を空っぽにすることができて気持ちはよく、久しぶりにリフレッシュした。 夜は、庭で採れたキノコと管理センターで購入した地元の野菜を使って、家内がパスタとミネストローネスープを作ってくれ、秋の我が山荘ならではの滋味に舌鼓を打った。

今回は4泊5日で随分ゆっくりできた感じがしたが、次回はおそらく今年最後、2~3日の忙しいスケジュールで、来春までクローズのための諸々の作業をすることになるだろう。何だかんだいいながら、八ヶ岳の秋は深まってゆく。
   

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2007年9月24日 (月)

八ヶ岳の残暑

今年の夏は異常に暑いので、こんな時こそマメに山荘通いをせねばと思っているうちに、前回からまた1ヵ月近く経ってしまった。何だかよくわからないが時間が速く過ぎてゆく。公私にわたって仕事が多すぎるのか、それとも単に、こなして行くペースが落ちてきたのか。マイペースでのんびりと暮らすつもりでいたのが、気がつくと毎日、ムッシュとの散歩の時間以外は、机の前に座ってばかり。あらためて数えてみると、一日たっぷり8時間以上は仕事をしている。それも、週末の休日などなしでだ。
これじゃあオフィス通いをしていた頃と変らないとも思ってしまうが、朝はゆっくり起き、往復の通勤による体力消耗がないことでは助かっている。疲労を感じないことはないのだが、ともあれ、まずまず健康に過ごせているのが有難い。そんな状態なので、骨休めにはならないかも知れないがせめてもの気分転換にと、合い間を縫って数日、山荘に出かけることにした。前回もそうだったが、今回もまた、タップリと仕事持参で。

先月末チョッと涼しい日が続いたので、もしやこのまま秋に?と思いかけたが、そうは問屋が卸さず、横浜を出た日の午後は32度という厳しい残暑。夕刻、山荘に到着してやっと、ホッと一息をつく。気温は20度だった。夜半雨音が聞こえたが、翌日は晴れ。
今回は、ただ場所を変えただけで持ち込んだデスクワークにかかりっきりになっているのでは意味がないと思い、庭で力仕事をしようと密かに心に決めてきた。前回は駐車場しかできなかった“笹刈り”と“雑木の伐採”を、少しでも進めなければならないと。
笹刈りのターゲット・エリアは、自称“遊歩道”の路上とその両側。建物の南側に、林の間を縫って回遊できるように、枕木を組んで敷設してあるのだが、全長にすると50メートル近くあり、電動刈り払い機を使うのに位置によっては電源から延長コード2巻きを繋いでこなければならず、さればといって手刈りではそれこそ“手間”がかかり、毎年のことながら、なかなか腰が上がらないでいた。しかしいつまでも億劫がってはいられないと意を決し、一心不乱に機械を振るった結果、2時間近くかかったがきれいに仕上がった。

雑木の伐採も、幹が太くなった高木は素人独りでは無理だが、直径15センチ未満くらいの実生の中木、株立ちの中の1本などは、自分でチェーンソーを使って切り倒せる。細くても高さは優に10メートル以上はあり、けっこう重さもあるので、倒す方向を見定めつつ、いつでも逃げられる体勢をとりながら慎重にやる。
ここのところ、毎年1回3本ずつくらい切っているのだが、今回は1本切り倒したところでチェーンソーのチェーンが外れ、使えなくなってしまった。これまでにも度々あったことなので簡単に直せると思ったが、老眼鏡をかけていない(この作業のときは目の保護のためサングラスをかけている)ので細部がよく見えない上に指先がすっかり不器用になっていて、何度リセットしようとしてもダメ。屋内にメガネを取りに戻るのも面倒だし、出かける予定の時間も迫ってきたので、あっさりとギブアップしてしまった。情け無や。次回はチェーンソー直しから始めなければならない。

庭の立木伐採については、今回は自分でできることをしただけでなく、「清里の森」管理センター職員の人たちと、カラマツを初めとする何種類かの高木の間引きについて相談した。頼めば、切り倒してその場に1メートルくらいの長さに裁断して積み上げておくところまではやってくれるということなので。
20年近く経つと、最初は気にならなかった枝が伸び葉が生い茂って、日照と通風を妨げ、地表のキノコや山野草などの植生を様変わりさせ、後で植えた花木の生育の邪魔をしている。かと思うと、大雨や嵐の後などには根が浮き上がって傾いでしまっているものもあれば、いつの間にか丈が伸び幹が太って今にも家の軒に食い込みそうになってきているものもある。特にカラマツは、かなりの大木でも根が弱いらしく、チョッと風が吹いてもユラユラしているし、ミズナラは葉が大きく厚いので夏の繁茂期には鬱陶しい。いろいろな樹木が、それこそ“林立”しているが、昔植林したらしいものもあれば実生で大きくなったものもあって樹木間の間隔は一定せず、これも日照と風通しの悪化の一因になっている。

そんなわけで、まずは自分で見回って、これは明らかに切った方がいいと思うものを数本、見当をつけておき、その上で管理センターの人たちに見てもらい意見を聞いた。やはりプロの目は違うもので、結局、約20本を伐採することに。他にも順番待ちをしている方がいるとのことで、実際の作業は葉が落ちた晩秋か初冬になるらしい。
ところで、伐採してもらった木の後処理のことだが、今年の春先に庭の伏流水処理工事をしてもらったときに出た材木でえらく苦労をした(5月14日参照)ので、今回は何とかならないものかと事前に相談してみた。すると、原則として管理センターの作業は伐採・裁断・現場積み上げまでだが、木材をチップ化する業者がいて、頼めば引き取りにきてくれるということなので、是非にとお願いした。これでもう一つ、肩の荷が下りた。

外から戻ると、家内が小声で玄関横の和室から呼んでいる。窓のすぐ外を指差すのでその先に目をやると、ヤマボウシの木につかまって子リスが遊んでいた。最近は自分たちの来る回数が減り、ベランダに餌を置いてやらなくなっていたので、しばらく見かけなかったが、元気にしていたようで(といっても同じリスではないだろうが)安心した。

9月の八ヶ岳は、昼の気温はまだ夏だが、ウルシの葉はもう紅く染まってきた。

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2007年8月20日 (月)

熱帯からの脱出

愛犬・ムッシュ仕事関係の予定や、前々回に書いたような自身の健康上の問題もあって、かれこれ40日間も山荘にご無沙汰。めっきり体力の衰えた夫婦と小犬は、どんどん上昇してゆく気温に最早ダウン寸前だったが、やっと先々週の金曜日に、熱帯化した横浜を脱出した。
標高1400メートルの山荘に着いてみたら、その夜の気温は何と21度。寝具も、前回来たときのままのウールの毛布と普通の掛け布団でちょうどよく、こんなに涼しかったのなら、無理をしてでも、もっと早くから来ていればよかったとつくづく思った。

ソバナ翌日からもずっと快晴続きで、陽射しはさすがに夏のそれだったが、湿度はほとんどなく、連日報道される全国的な猛暑のニュースがピンと来ないほどここは快適だった。
この暑さの中で、休まずに汗を流しながら働いている方々も沢山居られるだろうにと、申し訳ない気もしたが、これまで長年ハードに働き続け、今もそこそこ頑張っていることに免じて、たまにはこういう贅沢もお許し願いたいと、誰に言うともなくつぶやいた。

ハギそれにしても清里は、日中も涼しかった。関東や中京で40度をえた日でも、ここの木蔭や室内は25度を超えることはなく、 横浜の家ではエアコンで冷やした室内に閉じこもってばかりだったムッシュも、すっかり元気回復。カラマツやシラカバやミズナラの葉が茂った裏庭や、車はもちろん人もあまり通らない家の前の道を、飽きずに走り回っていた。
でも、人通りがないからと言って近所に人ッ気がないわけではなく、さすがにこの時期は、辺り一帯の家にも大勢の人が来ていて、あちこちから賑やかな話し声が聞こえた。ムッシュを連れて散歩に出かけたら、森の中としては珍しく、お友達(ムッシュの)にも会え、ムッシュは大はしゃぎだったが、相手がシャイな女の子だったのでスベッてしまった。

ギボシ着いて三日目の朝にN君夫妻が来訪。N君は、ITにあまり強くない自分のその方面の作業を何かと手伝ってもらっているH君の会社の若手技術者だが、ちょうど自分たちと同じタイミングでこの辺りを旅するという知らせを予め受けていたので、声をかけてあった。 
バイクに二人乗りで、中央道に上がったり下りて寄り道したり、宿はその日その日で探すという気楽で気ままな旅だそうで、その日は午後から、小淵沢から白州の方へでもまわってみようかということだった。彼らを見送ったあと家内と顔を見合わせ、“若いっていいネ”と、しばし遠くなった日々を懐かしんだ。

13日の夜だったか、自分は室内で仕事をしていたので、「ペルセウス流星群」のことを忘れていたが、家内は長時間、バルコニーと自室の天窓から夜空を観察していたようだ。“群”というほどではないが、肉眼でも結構よく見えたらしい。
後で話を聞いて、それは残念をしたと自分も翌日と翌々日に、バルコニーに出たり、家の外まで出てみたりしたが、どうもうまく見えなかった。既にタイミングを逸していたのかもしれない。子供たちが一緒に来ていた頃に使っていた天体望遠鏡もあるのだが、使い方を忘れたし、正直言ってそこまでしてというほどの情熱もない。これも老化現象か?
でも、真っ暗な森の夜空を見上げて、久しぶりに、文字通り“降るような”満天の星を体感した。横浜の自宅も割りと空が大きく広がり、星もよく見えるのだが、それと比べても段違いの、圧倒的な眺めだった。

ところで今回、あえてハイタイムのこの時期に出かけてきた理由の一つは、この森の住民有志による親睦と活動の団体「清里の森の21世紀を考える会」の総会があったから。知る人ぞ知る10年越しの“水道料減額裁判”に決着がつき(最高裁で勝訴)、今後の会の活動をどうしようかということがメイン・テーマだった。これまでの苦労を考えると、ここらでチョッと一休みしたいというのが皆の本音だったが、ともあれ特定の活動はしなくとも、会自体は解散せずに続けようという、ごく常識的な結論に落ち着いた。
この10年という歳月は、人によって長いとも短いともいろいろな受け止め方があるだろうが、久しぶりに顔を会わせ、話を聞いて、その間にもさまざまな転変があったことを知った。意見が合わず脱会して行った人、家屋と土地を手放さざるを得なくなり森から去って行った人、大病を患って動けなくなっている人、とりあえず回復したが見る影もなく様子が変わってしまった人、ときどき顔を見ていたはずなのにいつの間にかすっかり老け込んで足元もおぼつかなくなっている人、そして不幸にして鬼籍に入られた人、等々...。それを考えると、自分たちは今、まずまず元気でこうしていられることを有難いと思わずにはいられない。

今年の夏休みは、思ったよりも長くとれたが、何せお盆どきと重なったので、どこへ行っても混雑しているだろうと、ロクに外出しなかった。でもそれでは、あまりにも家内にばかり負担をかけるので、横浜に帰る前日に、「萌木の村」のプチホテル「ハットウォルデン」のレストラン「ネスト」でランチをした。やはり混雑していて30分待たされたが、ランチ・タイム最後の客だったようで、結果的に落ち着いて食事でき、味も結構だった。
ムッシュにお昼寝をさせたまま出てきたので、食事が終ってすぐに家に戻ったが、しばらくしていきなり雷鳴が轟き篠衝くような雨。梅雨明け前は、雨が降るとまたかと文句ばかり言っていたが、こう久しぶりだと恵みの雨という感じがする。まったく勝手なものだが。

夕立だったようで雨は間もなく止んだが、シットリと濡れた八ヶ岳の森は、何となく秋の気配が忍び寄ってきたように感じられた。気がつくと、ギボシが薄紫に群生し、ソバナが可憐に俯いた青い花々をつけ、ハギの花もピンクに色づいてきた。今度来るのは多分9月だろうが、その頃はもうすっかり秋になっているに違いない。

さて、仕事を持ち込んでしまったせいか、大して働きもせず、かと言って大して遊んだわけでもなく、なんとはなしに同じような毎日を繰り返してしまった8日間だったが、帰宅後に振り返ってみると、ともあれリフレッシュだけはできたように思う。
帰った翌日、横浜もちょっと涼しくなったので、このまま行くかなと思っていたら世の中そう甘くはなかった。でも今回の充電で、どうやら残暑は乗り切れそうな気がする。

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2007年7月 9日 (月)

忙中閑あり

...というか、ニューヨークから帰った翌日から、仕事やらプライベートの用件やらで数日忙殺され、また7月の第1週も予定がギッシリと入っていたので、ここしか空いているところはないと、6月末から7月初めにかけて1ヵ月ぶりに清里の山荘へ行ってきた。
出かけた日は横浜で30度、甲府で31度という、まるで梅雨明けのような暑さだったが、韮崎を過ぎてからは例によって、標高が100メートル上がる度に気温は1度ずつ下がり、到着したときには19度。もう7月になろうかという時季だからさすがに前回までのように寒いというほどの感じはなかったが、やはり、半袖のままでは長くいられなかった。

いつもより1時間くらい遅く午後3時過ぎに出発し、途中も八王子インターまでがえらく渋滞したので(談合坂で途中休憩もしたし)、山荘に着いたのは7時半近く、ムッシュの晩ご飯も1時間以上遅れたが、何にもグズらず、ずっと後部座席で良い子にしていてくれた。
もうほとんど日が暮れていたので、その日は何もしなかったが、前庭に車を入れるとき草ぼうぼうになっているのが眼に入り、明日は草刈りをしなければ...と思った。
が、翌日になってみたら、あいにくの雨。やってやれないこともないのだが、こんなに密生しかつ丈も長くなると、濡れたままでは刈り払い機の刃に絡まってしまうので、晴れ間を待つことに。1ヵ月来ないとこれだもの、まったく日本は植物の成長が早い。

もちろん木々の葉も完全に開ききって、前回来た時は遠くまで見晴るかせたのに、もう空もお隣の建物もロクに見えないほど。特にミズナラとカツラの枝がまた一段と上に伸び横に広がって、後で植えた(といってももう20年近く経っているが)コブシやナナカマドやヤマボウシの成長の邪魔をしている。
このように伸び放題にしていると、目には青々として気持ちよく、夏などは陽射しを遮って庭一杯に涼しい木陰をつくってくれていいのだが、森全体の植生のためには決して良いことではないらしい。今年は専門の人に頼んで、かなりの本数を伐採してもらわなければなるまいと家内とも話し合った。

二日目は朝から一日中雨が降り止まず、結局家の中に籠もりっきりだったが、別に時間をもてあましたわけでもなかった。自分は仕事を持参してきていたのでそれに集中、家内もやることはいくらでもあると家事に専念し、ムッシュだけが所在なさそうだった。家の中を歩き回ってはママやパパにじゃれつき、相手をしてもらえなくなると自分のハウス(わが家へ来るとき持たされてきた長年愛用の籐で編んだベッド)で眠るほかなかったのだが、涼しくて休養にはなったはずだ。
それにしてもムッシュは、初めて連れて来たころは夜間1階の一部屋で独り寝かされ、ママとパパが2階へ行ってしまうとヒーヒー泣いて淋しがっていたものだが、最近は夜もすぐに寝ついて熟睡、朝は目が覚めていても誰かが降りてくるまでワンとも言わずにジッと待っているし、昼寝もよくするようになった。ものの道理がわかってきたのだろうか。

三日目は晴れ。持ち込んだデスクワークは昨晩のうちに終えていたので、午前中は本領発揮の――とはチト大げさで、それぐらいしか役に立てない――力仕事。伸び放題に伸びた前庭の草を、刈り払い機を振るってきれいに刈り取った。本当は横庭・裏庭の笹も、伸びきらないうちに刈りたかったのだが、それを始めると1日では済まなくなるので、無理はすまいと次回にとって置くことにした。
いい汗をかいて、お腹も空いたので、昼シャワーをしてから久しぶりに藤乃家へ蕎麦を食しに。前回も前々回も時間がなくて行けなかったので2ヶ月半ぶりだったが、いつもながら美味い。家内に言われて気がついたが、20年余り通っているうちに世代交代も進んだようで、店主の息子(らしい)が蕎麦を打ち、親父は客と無駄話をしていた。店員も、以前の見るからに地元の小母さんという感じの年輩の方から、グッと若く小ぎれいなお姉さんに変っていた。

四日目は帰宅の日だが、ムッシュの晩ご飯までに着けばいいと午後2時ごろに出ることに。掃除やポリタンクへの水詰め(水道水がミネラル・ウォーターなのでいつも100リッター前後持ち帰る)などの帰り支度はあらかた前日に済ませていたし、それまでゆっくりした。
道中も、談合坂SAでムッシュと同じヨーキーのアダム君という子と知り合い、のんびりと遊んでいたら、そのあと渋滞に巻き込まれてしまった。よく考えればその日は日曜日、混むはずだ。最近はいつもウィークデーにばかり走っていたため渋滞に対する堪え性がなくなってしまい、こりゃあたまらんと上野原から国道20号線に下りた。
急がば回れとはよく言ったもので、これが大正解。相模湖町の街中で信号待ちしたぐらいで、大垂水峠も難なく越え、高速を使っていた場合よりは多分30分は早く八王子市内を通過、ムッシュを空腹で泣かせずに済んだ。

前回とくらべてたった1日長いだけだったが、中2日ある三泊四日は、中1日の二泊三日とはユッタリ感に随分違いがあるもので、身体も休まった上に、何だか余裕を持っていろいろなことができたような気がした。

何かと忙しかった前後の一週間に挟まれた文字通りの“忙中閑”だったが、リフレッシュできた数日だった。

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2007年6月 4日 (月)

新緑 清里の森

韮崎の家電店の人に来てもらう約束をしていたので、先月末また山荘に出かけたら、前回から3週間の間に森はすっかり新緑に彩られていた。着いた日はちょっと肌寒いくらいだったが、その前日まで気温の高い日が続いていたらしく、一気に新芽が開いたようだ。
それでも、葉が鬱蒼と生い茂る梅雨どき以降とは違って、カラマツ、ミズナラ、カツラなどの葉が完全には開ききっていないので、陽光も十分に地面に届くし、木の間から遠くまで見晴るかせる。木々の若葉も、まだ薄く瑞々しく透き通るような感じで日の光をよく通しているので、下から見上げると明るい浅緑色が目に清々しい。
日中は暑くもなし寒くもなしで、玄関から一歩外に出ると甘いような爽やかなような何ともいえない芳香がするのも、新緑に包まれるこの季節ならではのものだ。その大気の中に家内としばらく佇んでいるうちに、毎年のことながら、“今が一年中でいちばん良い季節だね”という言葉が、どちらからともなく口をついて出た。

残念だったのは、何年か前に地元の植木市で購入し、厳しい気候条件の中でも順調に育っていたフジザクラ(マメザクラともいう)の花が、すでに咲き終わって小さな桜ん坊になってしまっていたことと、タラの芽がほとんど出ていなかったこと。タラは古い木が生命力を失ってしまったようで、また新しい木が生えてくるのを待つしかない。タラの木というのは荒地になったところに出てくるのだが、今年は庭の大木を何本も切り倒しその部分の地面が丸裸になるような大土木工事をしたので来年が楽しみだ。
そうそう、タラで思い出したが、やはり天麩羅にすると美味しい若芽を毎年同じ場所から覗かせていた山ウドも、どうしたわけか今年は影も形も見えなかった。

でも、前回家内が庭先のポットやプランターに植えつけておいたペチュニアやノースポールなどの色とりどりの花苗はしっかりと成長していたし、ベランダの紅と白のローズゼラニュウムも見事に咲き始めていた。また家の前の道路沿いに這わせているツルニチニチソウは前回剪定して周囲の雑草取りをしたのが良かったか、青紫色の花をたくさん着けていた。レンゲツツジも蕾が黄色く膨らみ始めていたので、もう直ぐ開花するだろう。
花ではないがサンショの葉(食材としての通称は“木の芽”)は、ここでは今が味わい時。横浜の自宅にも分植してある方は1ヵ月半前に終わっていたので二度目のお楽しみだ。
ささやかなサプライズも一つ。15年くらい前から置いてあったシイタケのホダ木は、この2~3年まったく何も出てこないのでもう駄目かと思っていたら、今年は突然、立派なものが1個出ていたのだ。幼菌も2~3個頭を覗かせていた。

放っておくと自然の樹木や山野草は、何年かの周期で勢力交替するらしいが、今年はどうやらギボシの年らしい。自分のところはもともと少なくはない方だったが、今年は大葉・小葉のギボシがやたらとたくさん生え広がり、ご近所もどこを見てもギボシが目立つ。夏になったら薄紫色の涼しげな花があたり一帯にひろがって、さぞ壮観なことだろう。

今回は用事を済ませたらすぐ帰るつもりで2泊しか予定していなかったが、それでも1度くらいは藤乃家の蕎麦を食べに家内を誘うつもりでいたのに、自分が体調を崩してそれが叶わず、あげく、お粥をつくってもらったりして、かえって手間をかけてしまった。
唯一の取り柄である力仕事も碌にできず、かと言って机仕事に精が出たわけでもなく、できたのはムッシュとの散歩くらいという始末で、情けなくかつ申し訳ない思い。次回――といってもニューヨークから帰ってきてからだから1ヵ月後になるが――はそんなことのないように気をつけて、美味しいものを食べに行き、力仕事も精一杯したい。

この3日間は、終始好天に恵まれたまま終わるかと思っていたらそうは問屋が卸さず、帰る日の午後、韮崎を過ぎた頃から猛烈な局地集中豪雨に見舞われた。ワイパーを最速にしても足りないほどの近来稀な大雨で、気温も見る見る下がり、空も真っ暗になった。
でも不思議なことに、東に向かう途中ある地点だけは全く雨が降っておらず、また降った痕跡もなかったり、大降りの後に青空が見えたかと思うと再び激しく降り出したり、夕刻に横浜の家につくまで訳がわからなかった。

余談だが、翌日も同じようなお天気に雷まで加わって、田園都市線のあざみ野、たまプラーザ近辺は午後・夕方からテンヤワンヤ。あざみ野駅の構内や駅近くのコミュニティ・センターは、降雨量が傍の調整池の許容量を超えてしまったため逆流で水浸しとなり、たまプラーザの東急百貨店では地下の食料品売り場が、天井のアチコチからの水漏れで大騒ぎだったそうだ。地上の急激な増水が排水溝だけでは捌ききれなくて、どこかの隙間から1階と地階の境目に流れ込んだらしい。

家内は丁度そのとき買い物で現場に居たため、この稀に見る珍事を目撃した。売り場の女性店員ではなく年配の事務・管理系らしき男性社員が総出でシートやボウルを持って、大慌てで右往左往していたようで、水漏れもさることながら、“デパートにあんなに男の人がいたとは知らなかったワ”と家内が驚いていた。

そんなこんなしているうちに、季節はいつの間にか夏に近づいて行く。もしかしたらもう梅雨に入ったのかな?今年は猛暑になるのだろうか、それとも冷夏か?

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2007年5月14日 (月)

ゴールデンウイークだからというわけでもないが...

今年になって2回目、数日間山荘に行ってきた。会社勤めの身でもなし、何も好き好んで道路が混雑するこの時期に出かけなくてもとは思ったのだが、後半はお天気の良い日が続きそうだということだったので、前半が終わったところで横浜の家を発った。

あいにく昼過ぎから降り出して、チョッピリ憂鬱だったが、標高の高い清里も前回行った4月中旬とくらべると随分気温も上ったようで、その分やや気楽だった。何しろ前回は、着いたら雪が降っていたのだから。
途中、中央道の談合坂SAでオヤツ休憩したり、韮崎の電器店に立ち寄ったりしたので、到着時間が少し遅くなり、ムッシュもお腹を空かして啼き出したが、何とか真っ暗にならないうちに到着。思っていたよりも寒く気温は7度を下回り、夜が深まるに連れてますます冷えて、やはり、床暖房を点けた上に暖炉を焚かずにはいられなかった。

ところが翌日になると、天気予報通り早朝から晴天で気温もうなぎ登り。全員(と言っても二人と一匹だが)早くから目が覚めてしまったが、疲れが抜けきっていないのであまり動き回らず、近所の散歩と前庭での軽作業程度で過した。
連休の前半に来ていた人たちは引き上げ、後半組がまだ来ていないところだったので、森の中は人出もほとんどなく、街っ子のムッシュには散歩もつまらなそうだった。早起きしたせいか、一日がえらく長く感じられた。

三日目は森の外に出てみた。さすがに連休後半の初日とあって、どこへ行っても人が多い。昼食に蕎麦でもと藤乃家へ行ってみたら、駐車場が満杯で、中に入りきれない人々が何組も外で待っていた。で、こりゃあダメだ、家へ帰って何かで簡単に済まそうとUターン。帰りがてら、いつも寄る「いずみきのこ園」と「まきば公園」のテント売店で、生しめじや地元の野菜類を仕入れた。
この日は、「清里の森」から直結の「八ヶ岳公園道路」を通って大泉に出たのだが、雲ひとつない青空の下、残雪を頂いた富士、八ヶ岳、南アルプス、奥秩父の峰々が、クッキリと見えた。心なしか、前回来たときよりも雪が厚く新しくなっていたような気がした。
午後からは本格的な作業開始。昨秋苦労して全面塗装したベランダの床部分の半分近くが、そのときの塗りが薄かったせいか、ひと冬風雪に晒されてまだらに剥げ落ちたので塗り直しをした。思ったよりも時間がかかってしまったが、きれいに仕上がった。

その次の日が今回の大仕事。春先に県(山梨)の林務事務所に、東側の横庭のほぼ中央部を走っていた伏流水の処置(土管を通して埋め戻す)工事をしてもらったが、その際伐採し1メートルほどの長さに切断してその場に積み上げてあったカラマツ、アカマツ、ブナ、ナラなどの丸太を、薪に加工するため家の壁に沿った場所に移し変える作業だ。
最初は、その場で半分の長さにしてから運ぼうかと思っていたが、驚くほど堅くて素人のチェーンソーでは文字通り歯が立たず、直径20センチほどのものでも、一本切断するのに20~30分はかかり、そこにあった4~50本全部をそうしようとすると気が遠くなりそうなので、切るのは後で少しずつとあきらめ、そのまま運ぶことにした。

といっても、それも大変。一本一本がとても重く、口惜しいが2本と抱えて動けない。で、管理センターから“猫車”(手押し一輪車)を借りてきて、それに載せては一度に2~3本ずつ運ぶことにした。しかし、チャンとした運搬用の通路をつくってあるわけではなく、凹凸や障害物もあり、また短いけれども急な斜面もあったりで、バランスを失って途中でひっくり返してしまうことも再々だった。
でも、“これをやらなかったら男が廃る!”と、歯を食いしばって自分を鼓舞しながら、やっとの思いで全部運び終えたが、そのときはもう、滝のような汗で息も絶え絶え。そのままバスルームへ直行しシャワーを浴びて、やっと人心地がついた。

さて奮闘の翌日は、折角いい陽気の清里なのに結局どこにも行かなかったではつまらないので、せめて人様並みにランチでもするかと、また森の外へでかけた。今度はお蕎麦屋さんではなくて、「萌木の村」内のプチホテル「ハットウォルデン」のレストランだ。村は観光客でごったがえしていたが、飲食する人のほとんどは大型パブレストランの「ロック」の方に流れるらしくホテル・レストランの方は予想外に空いていて、すぐに座れた。
このホテルには山荘を建てる前から、数え切れないほど、夫婦二人でまた家族や友人たちと、食事・宿泊をしているが、レストランのメニューはいつ来ても口に合う。ここでもときどき紹介している「ぼのボーノ」と同様にオイルとクリームを控えめにした味付けで、「ぼのボーノ」の南イタリア風に対して、プロバンス風とでもいったところだろうか。

帰る日になって、ふと気がついたが、わずか数日の間にカラマツの芽が一気に膨らみ、森はすっかり浅緑で何か清々しい気分。今回はこれと言って特別なことはしなかったけれども、気になっていた作業は済ませたし、仕事を忘れてリラックスでき、まずまずだった。

でも、往復の運転と家の中での食事の用意は相変わらず家内。彼女も楽しかったと言ってはいたが、さぞ疲れたことだろう。いつも申し訳ない。そして感謝。
ムッシュもいつものペースに戻って、元気に走り回っている。

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2007年4月16日 (月)

山荘山開き

平地では春がどんどん進んで行くような気がして、例年より早めの山荘オープンに清里へ。4ヵ月ぶりで、昨年とくらべると2週間ほど早い。
長距離ドライブに出かけるとなると、小犬のムッシュは生活ペースに気を配ってやらないと体調を崩すので、彼の日常生活サイクルに合わせて出発と到着の時間を見計らう。

午後から雨になると天気予報で言っていたが、そういう時だけはよく的中するもので、中央高速の小仏トンネルに差しかかるあたりから降り出した。だが、低気圧の進行方向とは逆の西に向かっているので、笹子トンネルを抜けるといつの間にか上がり、目の前一杯に広がる甲府盆地の、桃とすももと桜の花の入り混じった春の色が美しかった。

しかし、高速を下りて141号線を登り始める頃には再び雲行きが怪しくなって、いつもなら前方に見えているはずの八ヶ岳が見えなくなる。でもこの辺は今が春爛漫。淡いピンクの桜とまっ白いコブシが、何処にも彼処にも満開だ。

それが、標高7~800メートルくらいの地点になるとパッタリ目に入らなくなり、気温もぐっと下がる。八ヶ岳を覆い隠していたものの正体は雪雲で、山荘に着いた時には、薄っすらとではあるが地面には雪が降り敷き、気温は3度。暦の上では春とは言っても、ヤッパリこのあたりの自然は平地ほど甘くはない。

翌朝目が覚めると幸い空はカラッと晴れ上がり、地面の雪も消えていた。だが八ヶ岳颪は散歩を躊躇させるほど寒く、この日の午前中2人と1匹は、前日の疲れもあり、どこにも出ずに家の中に。
木々はまだロクに芽吹いていないので、森は妙に空間が多くて物音もなく、その中を飛び回る小鳥の声だけが、ときどき静寂を破っていた。わずか2~3時間のことだったが、時がやけにゆっくりと流れていたような気がした。

午後からチョッと戸外に出てみたが、ご近所はどなたも見えてないようだ。時期が少し早かったのかも知れない。寒いの何だのとばかりも言っていられないので、そのまま庭で、冬の間の風雪で折れ落ちたままになっていた大枝・小枝の片付けに精を出す。毎年のことなのだが、こんな軽作業でもだんだん疲れを感じるようになってきた。

三日目も晴れて、気温も上昇。本日は、久しぶりに藤乃家で蕎麦を食した後で、山里のお花見と洒落込みたいと思い、ムッシュにはお昼をあげたが、自分たちは食べずに出かけた。ムッシュを車中でお留守番させていたので、大急ぎだったが、久しぶりの天盛りは、すこぶる美味だった。

藤乃家は標高6~700メートルくらいに位置しているため気温も平地に近い暖かさで、この高さの地域の桜は今が満開。ソメイヨシノが1000本近くもあると言われる谷戸城址はもちろん、2~30本ずつはある八ヶ岳神社や大泉小学校なども、いずれもまさに観桜の絶好のタイミングのようで、人も出ており、イベントなども催されていた。

一時停車したり、徐行周回したりしながら、大泉の桜を十分に堪能したので、今度は長坂の町を越えて、やはり桜の名所、清春白樺美術館へ。例年だと、自分たちが出かけてくる4月末には咲き終わっているので、ここの桜を見るのも久しぶり。
何というのかは知らないがクラシックな建築様式のアトリエが中央に位置する広い庭園を取り囲んでいるここの桜は、かなりの樹齢の巨木・老木が多く、なかなかの壮観だ。

美術館では丁度「ルオー展」が開催されており、花見の時期と重なってかなりの人出。駐車場には串焼きの屋台や地元農産物の売店まで出ていた。
周辺も絵に描いたようなのどかな田園風景なので、桜だけで帰るのは惜しいとしばし散策。ムッシュも、のんびりとした田舎道のお散歩を楽しんでいたようだった。

中二日で、横浜に帰る日が来た。本日も快晴で、まだ白雪に覆われたままの富士、八ヶ岳、南アルプスの峰々がクッキリと見えた。

今日は、帰途「美味しい学校」の「ぼのボーノ」で昼食。このブログでも何度か紹介しているイタリアン・レストランだ。往復路の途中にあるので、どうもタイミングを上手く合わせることができず、考えてみたら昨年は夏に一度来たきり。ムッシュの再度の協力で、やっと今回、思いを遂げることができて幸せだ。筍やグリンピースなど季節の自家栽培野菜を使ったオリジナル・メニューのパスタが滅法美味しくて、大満足した。

余談だが、ここ「美味しい学校」(旧津金小)の桜も観光名所のはずなのに僅かしか花をつけていないので、どうしたのかと聞いてみたら、鳥に啄ばまれてしまったのだとか。そんなこともあるのだと初めて知った。

年初としては、いろいろな予定・希望がほとんど果たせた、まずまずの山荘行だった。

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2006年12月 4日 (月)

山荘の冬支度

先月の29日から昨日まで、清里の山荘に行ってきた。今年はこれで最後、来年の春まで4ヵ月余りはご無沙汰することになる。
建てたばかりの頃は、まだもの珍しくて、大晦日も正月も、家族そろってわざわざ山荘で迎えたりしたものだが、この頃はスキーに出かけようという元気も湧かず、12月には早々に水抜きをしてクローズしてしまうのが恒例になっている。

ということで、晴天が続きそうな期間を見はからって出かけることにしたが、今年最後ということになると、持って行って置いてくるもの、また、忘れずに持ち帰ってくるものなど、出かける前に何かと準備やチェックに時間がかかり、当日は、出発が予定より大幅に遅れて午後3時頃になってしまった。
それでも、八王子で中央道に入ってからのペースは順調で、談合坂サービスエリアでしばらく休憩はしたものの、韮崎で下りるまで1時間と少ししかかからなかった。

久しぶりの晴天で、横浜を出る時は日差しも明るく気温17度の小春日和だったが、山荘に到着した頃にはすっかり日も落ちて何と4度まで下がり、車外に出る時には慌ててコートを羽織らなければならないほどの寒さになっていた。
ムッシュも、いつもならば到着してすぐは、喜んで家の外で遊んでいるのだが、この日は早々に屋内に入って丸くなってしまった。犬は寒さに強いと言われるが、それは大型犬・中型犬のことで、猫並みの極小犬にとっては、どうやら寒さは苦手らしい。

前回来たのが1ヵ月前で、その後夜間の冷え込みが厳しくなってからもだいぶ経っている。そのため室内も寝具もすっかり冷え切っていて、床暖房をした上に暖炉を焚いても、やっと人心地がつくまでに2時間ほどかかった。寒冷地は、山荘暮らしも楽じゃあないのだ。

翌朝も良い天気。晩秋から初冬は大体こうなのだが。モミやイチイなど以外の樹木は完全に葉が落ちて、カーテンを開けると東の陽光が室内一杯に差し込み、遠くには秩父の山々が見通せた。外は2~3度の冷気のはずだが、この季節の森は、凛として気持ちがいい。

今回は、もちろん最後の水抜きが大仕事(神経を使うという意味で)だが、その他にも、前回やり残していたベランダ塗装と樹木の大枝切り落としという力仕事があった。この家を建てた際、それまで生えていた樹木をかなり伐採したのでその回復のためと、自分が欲しい木もあったことから、100本以上のさまざまな苗木を植えたら、17年経った今ではその背が伸び枝が広がって地面の日照に影響を及ぼし、キノコや草花の生育に差し支えるようになって、間伐や枝落としをせざるを得なくなってしまったのだ。
はしごの高さと道具(ノコギリ)に限度があるので、プロがやるようなわけには行かなかったが、まあまあ、多少は片付いたのではないかと自己満足。

今回は中二日の余裕をとったので、久しぶりに「萌木の村」の「ロック」にも顔を出してみたが、ウィークデーのせいか来店客はまばら。でも、天井の高い店内にはもう、美しいイルミネーションをほどこした大きなクリスマスツリーが立てられていた。隣のプチホテル「ハットウォルデン」は、来年になったら全面的に立て直しをするという。

家内にばかり料理をさせていては申し訳ない(といっても自分はできない)ので、そばを食しにいつもの「藤乃屋」へ誘う。彼女は暖かい天麩羅そばで自分は冷たい天盛り、ムッシュは大好きなデンタルガムをしゃぶって車内でお留守番だ。帰り道には、顔なじみの「いずみきのこ園」にも寄って、しめじを購入すると同時に年末の挨拶をする。

二日目も三日目もよく晴れていたので、往復に通った八ヶ岳スカイラインからの山々の眺めが、いつものことながら素晴らしかった。真っ白になった富士山、頭の方だけ冠雪した甲斐駒ケ岳や北岳などの南アルプス、秩父連山の金峰山、そしてもちろん主峰赤岳を初めとする八ヶ岳連峰を一望することができた。
だが、標高1600m~1900mのはずの「大泉清里スキー場」はまだ地肌のまま。9日からオープンと聞いているが大丈夫なのだろうか?もっとも、人工雪を降らすという奥の手はあるけれど。毎年どんどんオープン時期が遅くなり、クローズ時期が早くなっているのが気にかかる。自分たちがよく滑っていた初期の頃には、12月の最初から、上手くするとゴールデンウィーク頃まで滑れたものだったが。やはりこれも、地球温暖化のせいか?

最終日。掃除をして、あらゆる水周りの水抜きをして、電源を抜いて、戸締りをして、いよいよ今年も山荘にお別れだ。来春来たときに問題なくオープンできるように、何度も何度も上へ行ったり下へ行ったり、外に出たり中に入ったり確認するので、けっこう時間がかかった。その間ムッシュは可哀そうに、あっちでウロウロこっちでマゴマゴ。気疲れしたらしく、帰りの車内ではほとんど眠りコケていた。

ところで、最近とみに自分の記憶力に自信が持てなくなり、山荘の冬支度は万端済ませて来たはずなのに、何か忘れて来はしなかったかと氣になる。が、そういう時にはたいてい後で大丈夫だったとわかるので、これ以上心配するのは止めることにした。

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2006年10月30日 (月)

秋色八ヶ岳

2人プラス1匹としては約40日ぶりに、清里の山荘へ出かけた。仕事が特別に忙しかったわけでもないのだが、前から決まっていた公私の予定のため、なかなかまとまった時間がとれず、これではきのこや紅葉の時期を逸してしまうと焦っていたところ、うまく3~4日続けて空いたので、25日に急遽、出かけることにした。
前日までの雨が嘘のように晴れ上がり気温も上昇してきたので、道中、山々の紅葉でも鑑賞しながら行こうかと、午前中に出発する積りでいたが、何だかんだとその前に済ませておかなければならないことがあって、結局、家を後にしたのは午後の2時過ぎ。

我が家の庭や近所の街路・公園などのハナミズキは、すっかりいい色になっていたので、山の方はさぞかしと思っていたら案外そうでもなく、やや標高が高いはずの中央高速道の談合坂サービスエリアあたりになっても、まだほとんど紅い色が目立たない。しからばと、大月からは国道20号に下りて桂川の渓流沿いに進んでみたが、ようやくまばらに山が色づいてきたのは、笹子トンネルを抜けて甲府盆地の上縁に差しかかった頃だった。

秋の陽はつるべ落としというが、その通り。夕刻の5時というのに、甲府市の中心部を過ぎる頃はもうトップリと暮れて、遠くの景色は見えなくなり、清里の森に入ってやっと、車のライトが照らす闇の中に、真っ赤に色づいたカエデやドウダンツツジが浮かび上がった。これなら我が家の方も、かなり色づいているかもと一安心。
と、思いきや、着いてみるとどうもまだ前庭はあまり紅くなっていないようで、少し落胆。だが、きのこが呼ぶ匂いがする。で、到着早々ムッシュを放ったらかしにしたまま、家内と二人真っ暗闇の中を、ポータブル・ライトを頼りにきのこチェック。

今回は全三日の予定だったので、時間がもったいないと翌日は自然に早々と目が覚めた。さっそく外に出て、家の周囲を一通り歩き回ったが、残念ながらやはり、紅葉はさほどではない。一方きのこは、いつもの場所には全然出ていなかったり、これまで一度も生えたことのなかった場所にヒョッコリ頭を出していたりと、相変わらず気まぐれだった。

我が家の東側の庭では、いつも、チャナメツムタケというナメコの兄貴分のようなきのこ(味噌汁や大根おろしで食すと美味い)がよく採れるのだが、今回はその場所には出ておらず、予想もしなかった西側の庭の朽木と落ち葉の中に群生しているのを見つけた。きのこという奴は、ただ立って上から眺めていたのではなかなか見えないが、しゃがみこんで目線を下げると、不思議と見えてくる。一つ見つかると、次から次へと見えてくるのだ。

これが本当の“朝飯前”だが、家内と二人でも一度ではとても採りきれないほどの収穫。昨晩すでに確認済みの、前庭のシモフリシメジもまずまずの量が採れたので、早速朝の食卓に載せてもらう。歯ごたえがあって、いい味が出て、実に美味い。が、毎食でもとても食べきれないので、帰ってからも食するため、茹でこぼして持ち帰ることに。

実は今回のメインの仕事は、ベランダの塗装。2年前に新しく付け替えたのだが、山の厳しい風雨に晒されるので、毎年ケアしないとたちまち傷みがきてしまう。しかし、ただ塗ればいいというわけではなく、その前にまず、床板の上に降り積もり隙間に詰まったカラマツの落葉を、掃き去り取り去らなければならない。しかもこの時期は、掃いても掃いても、そのそばからハラハラ、ハラハラと散ってくるので厄介だ。

ほとんど無我の境地で、真っ暗になるまで塗装に集中した結果、床下の支柱部分と庭から上がってくる階段の一部を除いて、あらかた仕上がった。翌朝明るくなってから改めて見ると、塗り直した甲斐あってやっぱりきれいになっており、チョッピリ自己満足。

でも決して、ぶっ通しで作業ばかりしていたわけではなく、間には、ムッシュの散歩もさせたし、昼食には蕎麦を食べに、前に紹介した「藤乃家」へも行った。そしてその往復に、八ヶ岳スカイラインから望む八ヶ岳連峰をはじめ南アルプスや秩父連山のパノラマと、川俣渓谷の東沢大橋から展望する山一面の紅葉も、また天女山から大泉駅に下る坂道の紅葉のトンネルも、タップリと楽しんだ。

他には何もできず、ムッシュなどは何のために来たのかわからずつまらなかったろうが、天候にも恵まれたこの三日間、けっこう充足感があった。

帰りの日は、朝方雨が降ったようで、午前の森は曇り空。ハックショイとくしゃみも出て、いやにゾクゾクすると思ったら、出発する午後になっても、何と外気温はまだ7度の肌寒さ。でも、山を下りてくるにしたがってどんどん上昇し、甲府盆地の真ん中では24度まで上がり、本来は適温のはずの車内が暑く感じられた。

今年も、あと2回くらいだろうか。最終回は今回以上にいろいろ作業しなければならないから、可哀そうだがムッシュは預けてこなければ。そしてその時ぐらいは久しぶりに「ぼのボーノ」で食事をしたいものだなどと、家内と話し合いながら帰途についた。

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2006年9月21日 (木)

スズメバチの恐怖

先週末から今週半ばにかけて清里の山荘に行っていたが、18日に栃木県の那須で、高齢の(ッたって、自分もそう言われる年齢だが)女性が、70匹ものスズメバチの攻撃を受けて亡くなられたというニュースを聞いて、思わずゾッとした。自分も、14~5年前になるが山荘を建てたばかりのころ、実はスズメバチに刺されたことがある。

森の中の家は夏季になると、どんなに密閉していた積りでも、どこからともなく蟻が這い込んだり、虫が飛び込んだりしていて、久し振りに行ったときなどは、着いた早々に掃除をしなければならないということが多い。
あのときも、ちょうど今くらいの、夏も終わりかけたころだったが、明るいうちに着いて荷物を降ろし、サアちょっとその辺に散らかっている虫たちの残骸を掃除してしまおうかと、2階へ上がった。部屋ごとに換気扇があり、夏季の不在中は各室のドアを開けっ放しにしてあるため、廊下に、アブやハネムシが何匹も転がっていることがあるからだ。

案の定、ゴミに近い小さなヤツに混じって、体長2~3センチはあろうかというかなりの大物が2匹、仰向けに引っくり返っていた。黄色と黒のダンダラ縞模様の胴体で、今なら直ぐにスズメバチとわかるのだが、そのときは大きな山アブかと思った。クマンバチやミツバチ、アシナガバチなどはよく見知っていたのだが、スズメバチは、名前は聞いたことがあっても、実際に見たことがなかった。

田舎育ちで、ハチやアブに追いかけられたり刺されたりするのは子供のころの日常茶飯事だったので、特に警戒心も持たず、掃除機などを使わずにティッシュー・ペーパーを2枚重ねにしてそのままつまみ上げ直接ゴミ箱に捨てようとしたが、その時! 右人差指の先に、信じられない激痛が走った。

“チクリ”などというものではない。形容が難しいが、あまり切れ味の良くないナイフで“ザクリ”と切られたという感じで、さすがに大声を上げて飛び上がってしまった。その声に驚いて家内も飛んできたが、引っくり返ったままバタバタしているその虫と自分の指の傷口を見て、ただごとではないと判断、直ちに、最寄りの診療所や病院に電話をかけまくった。その間自分は、本能的に、指の第2関節あたりのところをギューッと押さえて、“毒があっても体中に回らないように”という積りの動作をしていた。傷口は長さ2センチ、深さは3ミリくらいで、出血はあまりなかったが、早くもズキンズキンと痛みだしていた。

幸い、隣町の長坂(現北杜市長坂町)にある山梨甲陽病院が対応してくれるというので、家内の運転で15キロあまりの道を飛ばしに飛ばし、20分ほどで到着。待機していた医師から検査を受けたら、人によっては致死の恐れもある毒の方は大丈夫だという。電話口でこちらの話を聞いてすぐにスズメバチとわかり、そのハチを持ってきてくださいと言われていたので提出したら、間違いなくそうだった。屋内に紛れ込んで出られなくなり、動けなくなって引っくり返っていたが、敵が来たと思い、最後の力を振り絞って一刺ししたのだろうとのこと。
この近辺にはよくあることで、毎年何人も病院に担ぎ込まれるが、そのうち一人二人は必ず命を落とすという話だった。恐ろしや。

自分の場合は、ハチが瀕死の状態だったので毒が弱かったのか、自分にまだ体力があったため毒を撥ねつけたのかわからない(自分の毒がハチの毒を制したという説もある)が、ともあれ大事に至らず、その場での解毒注射とその後にしばらく服用する薬だけで収まったのは幸いだった。
でも、これによって自分の体内にはスズメバチの毒に対するアレルギーができてしまったので、こんど刺されたら危ないと、医師におどかされた。そのとき以来、大型のハチには気をつけるようにしている。

森の暮らしでは仕方ないことだが、当節は市街地にもスズメバチが巣をつくるというから恐ろしい。自分の場合には、お向かいの山荘の前庭(といっても高木が文字通り林立しているのだが)の、一きわ太くて高いモミの木の大枝にバスケットボールのような巨大な巣が作られ、そこから、当方の庭に植えていた各種のハーブの花を狙ってハチが飛来していたことを、後で気付いた。“ブゥ~ン”という羽根音がすごいから、すぐにそれと知れるが、平地でも、たくさん花を咲かせているお宅はご用心を...。

今回山荘に行ってみたら、台風が近づいていたせいもあるのか、あまりカラリとは晴れ上がらず、最低気温が12度、最高でも19度で、気温の上では完全な秋だった。しかし、木々はまだ色づかず、夏の緑のままだった。ただ、9月になると庭にいつも必ず顔を出す、カラマツ林特有のきのこ、ハナイグチは、ちゃんとお約束の場所に数本生えていたので、味噌汁の実にして有難く頂戴した。美味だった。今度行ったときには、もっといろいろなキノコが味わえるようになっているに違いない。

特にどこかへ食事にも出かけなかったが、それなりに穏やかでまずまず楽しい数日を過ごした。ムッシュも、山荘通いにすっかり馴染んで、行き帰りの車中も森の中でも、自分なりにエンジョイしているようだ。

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2006年8月30日 (水)

八ヶ岳の短い夏

先々週から先週にかけて、清里の山荘で夏休みを過ごしてきた。こちら横浜の家を出た頃は連日の30度を越す暑さで、夏の真っ盛りと思っていたが、向こうに着いたら空気も冷んやりと、はや、秋の気配が漂っていた。外気温も20度近くまで下がり、標高1400メートルの山荘の付近には、実際、ハギやオオマツヨイグサなど、秋の訪れを知らせる草花が咲き始めていた。

どうやら八ヶ岳の夏の盛りは、その前の週までだったようで、入道雲が出て激しい夕立が降り、どこかはわからないがごく近所に大きな落雷があったそうだ。首都圏大停電と同じときらしいが、この「清里の森」も変電施設が毀れてしまい、やっと修理が終ったところだと管理センターの人が言っていた。

“雷”といえば、この地域では、“落ちた”のではなくて“入った”という。カラマツやモミなどの高木に落ちた雷が地下を這って、各戸のアースや地下ケーブル経由で屋内の電気・電子器具の心臓部にまで侵入するから、そう言うのだそうだ。

実は我が家でも、思い当たるフシがあった。今回来て見たら、施工業者の言いつけを守って電源を入れっぱなしにしていたウォシュレットが、まったく通電せず、作動しない状態になっていたのだ。以前(山荘を建てたばかりの頃)にも、器具は違うが似たようなことがあったので、すぐに(雷が入ったのではと)ピンときた。
そのときは、ボイラーと電話機の心臓部を直撃されたのだが、あいにく電気屋さんもお盆休みで、数日どうにもならず、えらく不自由した。が、今回はACアダプターにブレーカーが内蔵されていたので電流がそこで自動遮断され、リセットボタンを押すだけで回復した。
冬季の想像を超える水道管の凍結といい、高山の暮らしには何があるかわからないのだ。

ところで今回は、宣言していたように、酷使していたアタマを少しでも休ませようと仕事は一切持ち込まなかったが、ただ毎日グウタラ過ごしていたわけではない。衰えたりとはいえ男の仕事をしようと、カラダは目一杯使ってきた。
珍しく長男と二男も、入れ替わりでやってきたので、彼らにも、この時とばかりと強制労働奉仕をさせた。やはり、男3人で仕事をすると随分作業もはかどるもので、懸案だったことがだいぶ片付いた。

冬の間の厳しい風雪で折れたり倒れたりしたままになっていた朽木・枯枝の処理、横庭・裏庭一面に延び放題になっていた笹刈り、“遊歩道”と名付けている裏庭を周回する枕木の通路に厚く降り積もりこびりついていたカラマツの枯葉の除去など、重い刈払機やスコップを使う単純な力仕事は倅たち。チェーンソーと鉈と鋏を使い分けてする余分な幹・枝の間引きと前庭の部分笹刈り、そしてバルコニー手摺りの塗装など、説明・指示するよりやった方が早い部分は自分の受け持ち。家内も、草花や山菜やキノコのための日照の妨げになる枝葉の剪定に高枝切りを振るった。

結局、全員でまる三日かかったが、それだけの時間を費やした価値はあったような気がする。ムッシュも、行き帰りの道中だけでなく、やや勝手が違う山荘の暮らしにもすっかり馴染み、我々の作業中も騒いだり足手まといになったりすることもなく、自分のペースとポジションをつかんだようだった。

毎年のことなので、特に出かけたいところがあったわけでもなく、いつものように「萌木の村」(今回はムッシュと一緒に入れる「カフェ・ロック」)へランチに、「藤乃屋」へ天ざるの夕食に、2~3度出かけたくらいで、あとは、負担をかけ過ぎて済まないと思いながらも、家内の手を煩わせた。
いつまでもこれではいけないことは分かっている。山荘にいるときぐらい、自分も何か料理を作るようにしなければ...。反省してます、がんばります。

どうと言うほどではないのだが、清里のこの夏、ちょっぴり良いこともあった。マスコミの話題にもなっていた水道問題(一般町民との理不尽な料金差別)も8年越しの裁判で最高裁勝訴。ベランダを付け替えた時に出た廃材の山の処理を2年越しで大工さんに頼んでいたが、それも完了。前述の庭仕事も含めて、何かとスッキリした。

天候にもまずまず恵まれ、夜間雨に見舞われたことは2~3度あっても朝になると上がり、滞在中ずっと晴れか曇りで適度の風もあり、汗をかいてもすぐに乾く絶好の作業日和が続いたのもラッキー。平凡だが何となく楽しい夏休みだった。

今度来るのは恐らく9月の中旬過ぎになるだろうが、もうその頃はすっかり、八ヶ岳の夏は終り、木々も黄ばみ始めて、ハナイグチなど初秋のキノコも生え出しているはず。そんな、たぶん肌寒いくらいの大気を想像しながら帰途に着いたが、1000メートル下って韮崎まで来たらまた30度の真夏に逆戻り。ヒエ~。

でも、残暑にメゲているわけには行かない。いろいろな仕事が順をつくって待っている。

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2006年7月 3日 (月)

梅雨の合い間に

7週間ぶりに山荘へ出かけた。ほんとは3週間ぐらい経ったところで行くつもりだったが、当初予定していた週もその次の週も降られて、結局こんなに延び延びになってしまい、いろいろな当てが外れた。

例年なら6月の初めには、敷地の中や周縁に自生するタラの芽やウドを摘んで、天麩羅にして楽しむところなのだが、今年は時すでに遅し。茎は伸び、葉はすっかり広がり切って、もはや、食べ頃の少し開きかかった蕾の時の面影はない。また来年までお預けだ。
森の花もほとんどが終ってしまって、わずかに咲き残っているのはレンゲツツジ、ドウダンツツジ、それにヤマボウシくらい。ミヤマザクラもとうに花が散って、小さな青い桜ん坊だけがぶら下がっていた。八ヶ岳の春は、ほんのわずかの間しか待ってくれない。

今回は昼過ぎに横浜の家を出たのだが、途中の甲府盆地では30度近くあった気温が、夕方清里の森に着いた時には17度。半袖ではちょっと肌寒い気がしたが、それでも前回とは大違いで、随分と楽だった。
ただ、景色は一変。5月の初めにはまだ白く残っていた山々の雪はすっかり消え、ほとんど枝だけで灰褐色だった木々には深緑の葉が幾重にも生い茂っていた。

車を乗り入れる前庭は草ぼうぼう。後庭も、昨年さっぱりと笹を刈ったはずだったが、またもとの木阿弥にもどっていた。一日二日の間に全部きれいにするのは無理なので、とりあえず前庭だけ、刈り払い機を振るう。幸い晴天に恵まれ、暑くなし寒くなしの絶好の作業日和、いい汗をかくことができた。

わずか3日間だけだったので、仕事も抱えて行かず、と言っても他に格別何もできなかったのだが、一つだけ、久し振りに思いを遂げてきた。4月19日に紹介した「おいしい学校」の中のイタリアン・レストラン「ぼのボーノ」でランチしてきたのである。このところ、往復どちらかのついでに寄ろうと思い、ついタイミングを失してばかりいたので、あえて滞在の中日に、須玉町まで下りて行ってきた。と言っても、車で20分ほどなのだが。

まだ夏の繁忙期でもないのだが、週末だったこともあって座席はほぼ満杯。けれども、我々が行った時ちょうど運良くテーブルが一つ空いたので、待たずに着席することができた。
この店のランチ・メニューには、各種パスタやピッツァのアラカルトはもちろん、それらをサラダ、ドリンク、デザートつきのランチ・セットにしたもの、さらにはそれに肉または魚料理とスープを加えたランチ・コース(もちろんどれにもパンが付いている)などがあるが、普通の食欲の人ならパスタまたはピッツァのセットで十分だ。きっと、サラダとデザートに嬉しい驚きを感じるだろう。自分もこの頃はあまり量を必要としなくなったのでパスタ・セット(自家栽培の夏野菜、トマトソース)にしたが、大満足・満腹した。

4月19日の「美味しい話」でも触れたように、ここの味付けは“南イタリア”風。イタリ
ア料理はどこの店でも、オリーブ油やワインをじゃぶじゃぶ使えば必ずある程度まで美味しくはなるのだが、「ぼのボーノ」で出てくるものにはそういう過剰さがない。実にあっさりとしていて、しかも他所にはない絶妙な味付けなのだ。いつ来ても、何度来てもそうで、頼まれてもいないのに他人に薦めたくなる。

残念だったのは、ゆっくりできなかったこと。ムッシュを山荘に一人(一匹?)残して出かけるにしのびず一緒に乗せてきて、我々の食事中、駐車場の車の中で留守番させていたので、食事が済むや否や席を立たなければならなかった。
晩秋の閑散期などで他に客が誰もいないような時には、キャリーに入れておけば室内の片隅に置くことを黙認してくれることもあるのだが、原則は当然、ペット持込禁止なのだ。

まだ行ったことはないが、清里や大泉にも“ペット可”のカフェがあるそうだ。が、そういうところは、メニューが限られるのではないかと思ってしまい、もしそうだったらそれも物足りないと、つい足が向かない。
犬の気持ちを尊重するか、飼い主の都合を優先するか、なかなか難しいところだが、これからはたまに、ムッシュのことも考えてやらねばなるまい。

梅雨の合い間に大急ぎという感じで山に行ってきたが、自宅に戻った翌日からはまた雨に逆戻り。まだしばらく梅雨は上がらないだろうから、今度行くのはすっかり明けてからにしよう。その頃はまた、今とは景色が一変しているに違いない。

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2006年5月 8日 (月)

八ヶ岳は春未だし

先月末28日から6日間ばかり、約5ヶ月振りに、家内および愛犬ムッシュと清里の山荘へ行って来た。世間でいう大型連休よりやや早めだが、往き帰りの高速道・国道の渋滞を避けるため、早く行って早く帰ってこようと思ったのだ。

明るいうちに到着するよう、昼過ぎすぐに出発する積りでいたが、久し振りに出かけるとなるとついあれこれ準備に手間取り、家を出たのはかれこれ午後3時近く。それでも、中央高速道に入るまではいささか時間がかかったものの、八王子インターからは快調に走ることができた。当日の横浜は日中20度以上あり汗ばむほどだったが、談合坂SAで一休みする頃には頬をなでる風も心地良く、周囲の山々を淡く彩る山桜が目を和ませてくれた。 韮崎を過ぎて国道141号線に入る頃は、もうあたりは薄暮。上り勾配にかかると、それに反比例してどんどん気温が下がり、たちまち17度ほどに。でもここらあたりは、東京・横浜ではとっくに散ってしまった染井吉野がいま満開で、宵闇の中のそこかしこに、それが仄白く浮かび上がる。

だが、標高が1000メートルを超える清里高原に入るとまた、目に入る夜景が異なってきて、141号線から分かれる牧場通りでは、道の両側には真っ白な花を一杯につけたコブシの並木がライトに映えて続く。昼間だったら、♪コブシぃ咲ぁく、あの丘北ぁ国ぃの...♪と、鼻歌の一つも出るところだが、この辺りの夜間はそれどころではない。外気温はぐっと下がって、標高1250メートルの小海線の踏切を渡ったときは遂に7度。それから5分もかからない標高1400メートルの我が山荘に着いた時は...ご想像願いたい。

さすがに雪はもう残っていなかったが冷え込みは半端ではなく、暖炉までは焚かなかったけれども、床暖房を最高温度にセットしても、屋内が完全に暖まってくるまでには2~3時間かかった。家の周りは漆黒の闇で、中の明かりが届く至近の木々しか見えなかったが、昨年の秋の終りにクローズした時とまったく変っていないように見えた。それでも、気にしていた水道管の凍結や水漏れ事故などもなく、今年も無事オープンできたことはたいへん幸い。ヤレヤレ一安心というところだ。

夜が明けて翌朝、外の景色を見て驚いた。例年なら落葉松の枝に一斉に新芽が膨らんで森全体が浅緑色に見えるところなのだが、今年はまだ冬の茶色のまま。どうやら、春の到来が大幅に遅れている模様だ。外に出て冷えと寒風に堪えながら、どこかに春の兆しが見えないかと懸命に落ち葉に埋もれた前庭を観察していたら、3~4本のニオイスミレだけが、いつもの場所に小さな紫色の花びらを覗かせていた。 山荘の前庭

最近はただでさえ出不精になっているので、とりわけこんな寒い日はあまり出かける気がしない。しかし、せっかく山に来ていながら家の中にばかりいても仕方がないと、ムッシュの散歩がてら、地元の農家の小母さんたちが直売市を開いている「まきば公園」(電話:0551-38-0220)へ車を走らす。たまたま、美味しそうな自家製の味噌と季節最後の筍が手に入った。これがほんとの“犬も歩けば棒に当たる”か。

その翌日は一転快晴で、気温が急上昇。平地は軒並み30度以上の真夏日とか、山荘近辺も20度弱の程よい陽気になったので、久し振りに蕎麦を食しに「藤乃家」(電話:0551-38-3370)まで下りたら、そこは春の終りの高気温。冷たい湧水でしめた打ち立ての天盛りが実にうまかった。今日は、ムッシュが留守番をしてくれているので、馴染みの「いずみきのこ園」(電話:0551-38-2432)でシメジも買えた。往き帰りの八ヶ岳山岳道路からは、目の前の八ヶ岳連峰はもちろん南アルプスや奥秩父の連山そして富士山など、まだかなり雪の残る四方の峰々がくっきりと見えた。

山荘へ来ても、自分が食事を作る(れる)わけでなし、往復の運転もこの15年くらいは家内まかせ(運転歴45年なのだがあなたの運転は怖いと言ってさせてもらえなくなった)なので、せめてもと、こちらではいつも、チエンソーでの倒木裁断や刈り払い機での笹刈りなどの力仕事を引き受けている。冬越しということもあって今回もその積りでいたのだが、寒風や雷雨にたたられたり、体調がいま一つだったこともあって、とうとうできず終い。結局、ムッシュのお守りぐらいの役にしか立たなかった。残念!! ただ、帰る当日の午前中は、「清里の森」の開設20周年記念ということで植樹祭などのイベント、樹木の苗や伐採した檜材のプレゼントなどがあり、八ヶ岳の見える広場に集まって顔見知りの管理センター職員の人々や森の住民の方々と、ひと時の共同作業ができたのは楽しかった。 愛犬ムッシュ 広場より八ヶ岳を望む

帰途は思惑通り、まったく渋滞に遭わず、往路と同じく午後3時頃に出発したにもかかわらず、明るいうちに着いた。時間が中途半端だったので、残念ながら、4月19日に紹介したイタリアン・レストラン「ぼのボーノ」には立ち寄らず。この次、仕事も一段落して気候もすっかり良くなった6月の初め頃にまた来て寄ろうと思う。

その頃はきっと、山荘の周りには、レンゲツツジや山桜が花をつけ、タラの芽が顔をのぞかせていることだろう。

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2006年2月14日 (火)

八ヶ岳の冬

トリノ冬季オリンピックが始まった。真夜中や未明に寝ないでテレビにかぶりついているわけではなく、ニュースや特集番組などで見ているだけだが、アルペン競技の会場になっているセストリエールのゲレンデとその向うのアルプスの峰々のパノラマチックな光景が、我が山荘のほど近くにあるスキー場(サンメドウズ大泉・清里スキー場)とその背後の八ヶ岳連峰に似ているなとフト感じ、冬の清里に思いを馳せた。

山荘を建てて17年になるが、なにしろ標高1400メートルの高地なので平地との気温差は10度以上、冬の寒さは半端ではなく(特に今年は思いやられる)、床暖房や暖炉もあるものの、まるまる一冬を向うで過ごしたことはない。それでも最初の数年は、クリスマスや正月を家族そろって山荘で迎えスキーを楽しんだりしたことがあったが、子供たちがみな家を離れ小犬一匹と夫婦二人になった今は、億劫でなかなか出かける気になれない。
スキー場は山荘から車で10分もかからないところにあるので、身体が言うことを聞くうちにできるだけ何回も行っておこうと毎年のように話し合うのだが、実際にはここ何年もご無沙汰している。このところ冬の山荘は専らクローズしており、気温が氷点下まで下がる冬季は水周りの凍結防止のため、いわゆる“水抜き”をして帰ってくるので、また行って使うためにいちいちリセットするのがだんだん面倒になってきたのだ。

実は、スキーを始めたのは50代になってからで、10年前ぐらいまではそれでも元気一杯、周りから無理はしなさんなと言われながら毎冬滑っていたものだが、こんな弱音を吐くようになったのは、もはや気力・体力の限界か。上手く行けば4月になっても雪が残っていることもあるので、春が来て山荘をオープンする頃にでもと願っているがどうなるか。
雪と言えば、山荘の所在する森の管理センターによれば、今年は例年になく雪が少ないという。12月からの記録を見ても、10センチ積もったのが1回(この時は関東南部も大雪)で、あとは数回2~3センチ積もっただけである。事実、センターのホームページを通じて定点カメラからのライブ画像を見ても、雪がかすかに白く見えるのは、建物の陰の陽の当たらない個所ぐらいだ。

八ヶ岳南麓は本来、降雪が少ないのだそうだが、10年以上前の大雪(と言っても20~30センチが2回)の時にはいささか苦労した。3月になってからのことだったので、まさかと思って出かけたが、管理センターによる除雪は家の前の道路までで敷地内は一面積もったまま、家内と二人で汗だくになって、やっと車を入れる最小限のスペースを空けた。オフロード車でいつもスコップを積んでいたから良かったようなものの、そうでなければ目の前まで来て戻るほかなかった。それにつけても、今冬の豪雪各地の大変さが偲ばれる。

清里というところは、夏をピークとして春から秋にかけては様々なカントリーライクなイベントが催され、多くの人出で賑わうのだが、この季節に訪れているのはスキー客ぐらいのもので、オープンしているカフェやレストランもそう多くない。中には、冬季は木工職人やスキー・コーチに早変りする店主もいるくらいだ。
山荘の庭もまだひっそりと静まり返って、倒木の洞穴ではリスやヤマネが冬眠中だろう。厚い毛皮を着た野うさぎや狐だけが、雪の上に点々と足跡をつけて餌さ探しに歩き回っているかも知れない。でも、“冬来たりなば春遠からじ”とか、分厚く降り積もった腐葉土の下では、もう蕗のとうが頭を出す準備をしているはずである。

山荘開きはいつも3月末頃だが、クローズの時に十分念を入れて水抜きした積りでもどこかしら見落としがあって、凍結で蛇口が破裂したり、ボイラーから熱湯が出ないなどということも再三ある。何年経っても、その年初めて山荘に向う際には常に不安がつきまとう。と、何だかんだ言っているうちにあと1ヶ月ちょっとでその時期になる。今年は果たして大丈夫だろうか。
ここ横浜の家の庭にも今冬は何度も霜柱が立ち、寒い寒いとぼやくことが多かったが、このところ枯れ芝に青い芽がまじるようになり、梅の小枝が角ぐみ、木蓮のつぼみも膨らんできた。すぐそことまでは行かないが、着実に春は近づいてきているようだ。

2月は短い。トリノ・オリンピックが終ると間もなく3月。新たな春からまた次の冬を迎えるまで、時々清里の山荘を訪れては、このブログから八ヶ岳高原の季節感を発信しよう。

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