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2016年8月 1日 (月)

忙中徒然

一ヵ月に少なくとも1回、遅れても毎月月末までには...という心積もりで今年の1月から再開したこのブログだったが、とうとうその目標を自ら破棄し、ズルズルと延ばし延ばしにしてきた挙句、ほぼ二月、間を空けてしまった。
前回も5月末のつもりが6月初めにズレ込んでしまったことをあれこれ言い訳したが、今回も懲り性なく、また言い訳を繰り返す。と言っても別に誰も気にしちゃあいないだろうが、どうしてここまで延ばしてしまったかと、おのれ自身の気持の辻褄合わせのために。

まず、アップを予定していた7月の前半が、正直忙しかった。仕事がらみでは、4月から何回かにわたって行われてきた広告電通賞選考関係の会合の最終イベント、贈賞式と懇親パーティーが月初にあり、一週間後には、自分が数年間社員研修を引き受けていたダイレクトマーケティング・エージェンシーの20周年記念パーティーがあって、はるばる(?)都心まで足を運び、久し振りに帰宅が夜になった。
その間、兄弟同様にして育った故郷の従弟夫婦とその妹(は東京在住)が何十年振りかで訪ねて来て、たまプラーザでランチ、家でお茶をし、前後には家内と自分の通院、子供たちと孫の来宅、自身の気功教室や図書館通いなどのスケジュールが挿まり、これに日々のお使い(家内の代行)や買物の荷物持ち(家内に同行)などとが加わって、けっこう一杯々々だった。

Blueberry 後半は、自分の通院はそれほどでもなかったが、家内の通院がほぼ隔日、日によっては午前も午後もということがあって、自分もただ留守番でノンビリというわけにも行かず、自分なりに考えて何やかやと立ち回っているうちに結構忙しく日が経ってしまった。
庭のブルーベリーがいま摘み頃で、この時期になると毎年梅雨が明け暑さが本格化するのだが、遅れ遅れてやっと明けたものの、それまで続いた低温・多雨の所為かともかく湿気が多くて身体がむくみ、ただでも最近とみに回転が鈍ってきた感のある頭もフルに作動せず何をするのも億劫になって、ついダラダラとここに至る。

前半から後半まで、ズーッとそんな調子だったが、改まった所用・約束で外出したり他人と会ったりしたときには、それが良い刺激になってかえって心身がシャキッとした。人の暮らしには何かしら気分転換が必要なものだが、その意味で、招待を受けた両パーティーは自分にとって格好のリフレッシュメントだった。
どちらも業界の現役バリバリの人たちに会うし、ドレスコードも“スマートカジュアル”でいいとあって、ネービーのサマーブレザーにノータイで純白のボタンダウンシャツとオフホワイトのスリム綿パンをコーディネートし足許をプレーントウの黒ローファーという定番スタイルでキメたら、何やら若返った気分になった。

行き先は、前者がもう何十年と行き慣れた「グランドプリンスホテル新高輪」、後者はいま話題(と言っても早やオープン後2年になるが自分は初見参)の「虎ノ門ヒルズ アンダーズ東京」ということで、決して横浜から近くはないが、たまに真ッ都心に出かけ人込みの活気の中に身を置くのも悪い気はしなかった。
ただ、どちらのパーティーもブッフェ形式だったので、1時間も立ちっ放しでいたら足が棒のようになって参ったというのが本音。見回したところ、参加者の中ではどうやら自分が最高齢クラスだったようで、みんなは全然齢には見えないとおだててくれたものの、今さらながら足腰の衰えを実感した。

虎ノ門ヒルズでは時間に余裕があったので、お上りさんよろしく会場に入る前にビル周辺を一廻り。東京シャンゼリゼと自称する「新虎通り」にも出て広い歩道をしばし散策したが、その自称が当たっているかどうかはともかく、道は以前からそこにあったかのように、何の違和感もなく辺りの風景と同化していた。
宴たけなわとなり人いきれが増してきた頃、チョッピリ外気に触れたくなって52階の会場のテラスに出ると、薄闇の中に拡がっていたのは東京タワーも目立たなくなるほどに林立して煌めき瞬く高層ビル群のパノラマビュー。かくてその日、久々に自分の中の昼と夜の大東京のイメージがアップデートされた。

さて、従弟たちとの再会はたまプラーザ駅改札口で待ち合わせ。約束の時間に、お互い1メートルの至近距離に迫るまで気がつかず、危うく鉢合わせしそうになって“オーッ”とビックリ。最後に会った頃とくらべて、彼は見違えるほど恰幅がよくなっており、逆に自分はすっかりスリムになっていたためだった。
ランチはこちらで勝手に薦めて、味も値段もヴォリュームもまずまず及第点と評価していた行きつけのトラットリアへ。最初は互いの齢相応に和食辺りが良いかとも考えていたが、彼が昔から洒落者だったことを思い出してイタリアンに誘ったら即座に賛成し、また食べても喜んでくれた。

食後のお茶とスイーツは場所を変えて我が家で。骨折後の回復がまだ完全ではないのでランチには参加せず自宅で待機していた家内も一緒になって、まずは、今お互いがこうして元気で顔合わせできていることを喜び合い、長い間のブランクを埋め合う懐旧談と近況報告に花が咲いた。
中でも盛り上がったのは趣味の話。現在従弟は、夫婦で定期的に日本各地を旅したり、毎朝ウォーキングに勤しんだりしているとのことだが、自分より3歳若いとはいえ、その行動力には敬服...自分たちもまだまだ家の中で燻ってばかりはいられないと思った。

元来多趣味、若い頃は他人に先駆けたカメラ小僧で家の中に暗室を作りフィルムの現像から焼付けまで一切自分の手で行うほどの凝り性だった彼は、今はオカリナにハマっているという――よりも、同好会を主宰しアンサンブルを編成し町で定期コンサートを開くという活動を続けている程の、いわばセミプロ級になっているらしい。
オカリナ奏者と言えば宗次郎、楽曲としては中南米のフォルクローレなどを連想するが、YouTubeにもアップされている彼らのレパートリーは、「故郷」「浜辺の歌」「見上げてごらん夜の星を」「北の国から」...等々、日本の愛唱歌が主なよう。で、話が縦横に錯綜してお互いの少年時代に遡ると、思わぬ“秘話(?)”が披露された。

何と、彼のオカリナ・レパートリーには、自分が中学時代に作詞・作曲した曲も入れてあるとのことで、自分には直ぐにあれかとピンと来たが、訳が分からず目をパチクリさせている女性方の前で彼はその曲を唱ってみせ、自分も思わず途中からハモってしまった。
それは「負け試合」と題した曲で、当時音楽の授業の宿題として上げたもの。初歩の知識しかなかったから、シャープもフラットもつかないハ長調4分の4拍子、4分音符と8分音符だけで構成した二部形式(a/a‘/b/a’)の単純素朴な曲で、メロディーは遠藤実風、千昌夫や小林旭あたりが唱ったら丁度良さそうなカントリー演歌調。全体に長調だがサビ(b)のところで哀愁を帯びた短調に転じて最後にまた長調に戻るというところが我ながら気持ちよくて、実は、ムッシュとの散歩のときにはよく鼻歌で口ずさんでいた。

楽器とてロクなものはなく、従弟の玩具の鉄琴(せいぜい2オクターブくらいだったと思う)を叩きながら作った自分のいわば処女作だったが、その頃せいぜい小学校高学年に過ぎなかった彼が、譜面もなかった筈なのによくぞメロディーを正確に憶えていてくれた(歌詞は一部誤記憶があったが)と、ビックリすると同時に感動した。
稚拙ながら興味をそそられて同じ頃に同じようにして作った曲には、やはり調号なしで4分の4拍子二部形式、イ短調純邦楽風のメロディーと、ベートーベン作曲の学校唱歌「花売り」(原曲「マーモット」)に啓発された同じくイ短調二部形式で8分の6拍子の「虫の一生」と題する2つがあり、何れも自分の記憶には留めてある。

このことから、あの頃の自分の音楽的環境というもののタカが知れるが、その後はより多くの種類の音楽に触れ楽器も弄れるようになったのに、作詞・作曲したのは大学時代にたった1曲だけ。当時かぶれていたシャンソン紛いの、ギターで弾き語りする唄を書いたきり。いろいろ他のことにも興味が拡散し、社会人になってからは仕事と家族が関心の中心になって、これまですっかりそんなことは心の片隅に追いやっていた。
が、従弟のおかげで遠い日の懐かしい記憶が呼び覚まされ、何十年ぶりに感性(?)が蘇った気がして、暑さで茹だり湿気でふやけて何もする気が起きなかったにも拘わらず、無理に、独りミュートしたピアノに向かってみた。けれども...ダメ。もはや何のインスピレーションも湧いて来なかった。

つい最近まで、音楽は少なくとも聴くこと唄うことは癒しになっていたが、今では情けないことに、高音・重低音やハイキーの曲を長時間聴いているのが苦痛になってきた。これが老化というものなのだろうか?見た目年齢は何とかサバを読めても、中味はそういうわけには行かないのかも知れない。

この2ヵ月は、忙中徒然、機会あって図らずも今昔のさまざまな時空に想いを馳せ巡らせることができた。

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