ムッシュ、いつまでも
2月も末になり、寒さの中にも庭の紅梅や白木蓮の蕾が膨らみ綻び始めできた。早いもので、ムッシュが旅立ってからもう10カ月が経つ。彼が家の中にいなくなった淋しさがすっかり癒えたわけではないが、ようやくこの頃は何とか、彼が傍にいてくれて楽しかった日々のことを、思い出話として家内と語り合えるようになった。
でも不思議なもので、彼の匂い、頭や身体の手触り、その辺を歩いている足音などは、いまも自分の感覚に鮮やかに焼き付いたままで、時折りどこかから今にも、彼がトコトコと足許に歩み寄って来るような気さえする。
我が家には仏壇などは設えていないので、彼はいま、中2階の和室の南側窓際のチェスト上の小さな壺の中で眠っているが、お互いに淋しくないように、毎日、朝の“おはよー”から夜の“おやすみー”まで、何かにつけて言葉をかけている。
そして彼の写真の前には、お腹を空かしたり喉が渇いたりすることのないようにと、主食のドライフードをはじめ好物の菓子・果物を供えていつも切らさないようにし、飲み水は毎朝取り替えて、綺麗でいい匂いのするお花を飾っている。
どういうものかつい最近までは、見たいと思っていながらもムッシュの夢を見ることはなかったが、嬉しいことに、ここに来てたて続けに3回も、彼が夢の中に出て来てくれた...それも元気でヤンチャに走り回っている姿で...。
それを追いかけている自分もどうやらまだ若かった頃の自分だったらしく、楽々と走っているようなシーンだったのがどうにも説明がつかなかったが、朝目が覚めたとき何とも懐かしい気持ちになっていて、家内に報告すると、“いいわネー、私の夢にも出て来てくれないかしら...”と羨ましがられた。
その夢のように、今から2年半くらい前の夏までは、ムッシュもまだまだ元気で、視覚・聴覚・嗅覚も何ら衰えていなかったので、この分なら彼の換算年齢と自分の実年齢が合致する傘寿を一緒に迎えられそうだと密かに思っていたが、残念ながらそれは叶わなかった。
ドッグイヤーということもあるから、20歳までもなどということはもちろん無理だろうし、亨年14歳半というのも決して早過ぎたわけではないと考えることもできるかも知れないが、今となっては詮ないこととは知りつつも、自分にもっと犬の病気についての識見と病院選びについての深慮があったなら...と、つい振り返っては胸が痛む。
ムッシュの様子がどうもおかしいと感じ出したのは、2013年の8月末に理由のわからない切り傷を発見し、その治療のために近所の動物病院を訪れたところ膿皮症という皮膚病も発症していると診断され、毎日3回の内服薬と消炎剤を処方されて、週一回の通院を続けて2ヵ月になった頃からだった。
アレルギーがあるようだからということで食事は医師に指定されたほぐし鶏笹身と茹でキャベツ擂り潰しを与えていた(同時期骨折入院・通院していた家内の介助と重なって次第に手作りが困難になり後に「低プロテイン」という既製の処方食に切り替えた)が、彼は次第に食欲不振に陥り動きが悪くなって、ときに嘔吐を起こすようになってきた。
この頃からはほとんど毎日のように通院、点滴を受けるようになり、内服薬も変り、症状が重いときには注射を打たれることもあったが、一向に体調は回復せず、食事も付きっきりで給餌してやらねばならぬことが多くなった。皮膚炎の方は軽癒してきたが、この全体症状の原因・病名は不明ということで、血液検査を含む検体検査を受けることになった。
と言ってもその病院には分析設備があるわけではなかったので結果が判明したのは10日後だったが、そこで聞かされたのは、副腎皮質ホルモンの分泌異常による「クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)」というそのとき初めて知った病名と、最早やその病院の手には負えないので、高度の治療のできるより大きな病院にかかって欲しいという、詫びのような言い訳のような言葉だった。
どうして今までわからなかったのか、これまでの治療はほんとに適切だったのか、今ごろになってよくもそんなことが言えるものだ...など、疑問は百出、怒りもこみ上げて来たが、そこで言い争っていても時間がもったいないし、何よりも速やかに、信頼できる良い病院を見つけることの方が大事だと考えを切り替え、直ちに行動した。
そして、ネットで調べるだけでなく行きつけのペットサロンの店長にも相談して決めたのが、ベテランから若手まで多数の医師とスタッフが揃い、検査・治療システムも完備していて、年中無休・24時間体制で受け入れてくれる、たまプラーザのN動物病院だった。
ペットサロン店長の口ききもあって、その病院の医師団の事実上のトップであるF副院長直直に診てもらえることになり、前の病院での検査データと処方されていた薬を提出し、自分の口からもムッシュの容態を説明したが、それだけではもちろん不十分なので、触診の後あらためて検査を受けることになった。
血液検査とレントゲンおよびエコー撮影の結果分ったのは、確かにアレルギーはあり、肝臓肥大と胆のう結石も見られ貧血もあるが、症状の根源はステロイド系薬剤の過剰使用によるクッシング症候群だということで、直ちに、これまで前病院で処方されていた薬の服用を中止し、先ずはしばらくの間、所謂“薬抜き”をすることになった。
そうして数日経つと、心なしか元気が回復し食欲もやや改善してきたが、2週間後の血液再検査の結果では尿毒素値が非常に高く「腎不全」の症状をも呈していることが分り、さらに薬抜きを続けながら、食事も低蛋白の療養食「腎臓サポート」に変更することになった。しかしこのフードはかなり固くて、3年前に16本も抜歯されていたムッシュには食べにくいようだったので、ある程度ふやかしミキサーで細かく砕いてから与えることにした。
ここに来て自分としても、ムッシュの病気はただごとではないとわかり、さまざまな情報を集めて貪り読んだが、やはり原因は皮膚病の治療に安易にステロイド剤を多用し続けたことにあるのではないかと思えてきて、当時の医師・病院の選択と薬剤・治療内容の適否について自分は余りにも無知だったと、今さらながら強い自責の念にかられた。
ステロイド抜きが一段落し多少落ち着いたかに見えたが、多飲(水)多排泄(大小とも)というこの病気の典型的症状は続き、新しい薬の服用を開始したもののなかなか直ぐには効果は現れず、2週間毎の検査でも、副腎皮質ホルモン機能レベルを表す「CRE」値と腎臓の尿毒症のレベルを表す「BUN」値は依然として危険水域に止まったままだった。
やがて、食欲不振に加えて下痢と嘔吐が気になるほどに目立ち始め、身体の動きも見るからに弱々しくなってきたので、2月の半ば頃からは連日通院し検査と輸液(点滴)治療をしてもらったが、BUN値が異常に高くなり腎不全を発症しているということでついに緊急入院、懸命の治療のお蔭で、数日後に危機を脱することができた。その間毎晩のようにF医師は、ムッシュの状況を電話で伝えてくれた。
この集中治療が効を奏し新しい薬の効きめも現れてきてか、この後やっとBUN・CREとも僅かずつながら改善し始めたようで、朝の目覚めが4時~5時台というやたら早い時間帯になった(多分排泄の欲求によるものだったと思う)ことを除けば、ムッシュの容態はだいぶ改善し、通院間隔も1週間から2週間そして3週間になり5月からは1ヵ月間隔となって、以前と同じとは行かないまでも、それなりに落ち着いた日々が過ぎて行った。
暑い夏も、清里で過ごしたり、自宅でもエアコンとクーリングマットで何とか乗り切ったが、ムッシュはこの頃から目がだいぶ不自由になり、同時に聴覚・嗅覚も衰えて行く様子が見えて来て、食事のときに全面的介助が必要になった。ただ、摂取量は減ったものの、好物のバナナやヨーグルトのトッピングによって、コンスタントな食欲は維持できた。
病気のせいで大小排泄の量と回数が増え、時と所もコントロールできなくなってきて、ベッドやケージ・室内のあちこちを汚すことが多くなり、後始末や洗濯にも手がかかるようになってきたが、そんなことは何にも気にならず夢中で世話をした。本人(犬)自身も排泄は外でしたがっていた(そのため早朝目を覚まして知らせたのだと思う)ようなので、様子を察し、面倒がらずできるだけ頻繁に屋外に連れ出すようにした。
12月に今度は自分が、3度目の胃の手術で入院したが、家内が1年前とくらべるとずいぶん元気になり、家族みんなが協力してムッシュの面倒を見てくれたお蔭で、2015年は無事迎えることができた。ムッシュも朝の目覚めがユックリになり、食欲も順調で、遠出こそしないものの日に何回もの散歩を喜ぶようになり、月1回の検査もまずまずの成績で、この分なら病気治癒の朗報を聞けるのも遠くないのでは...と思えるほどだった。
しかし4月に入って、急に容態が変わった。嘔吐を繰り返すようになって食欲も衰え、大好きな散歩にも出ようとせず、自分のベッドや座布団の上で丸くなって寝てばかり。多少身体の調子が良さそうなときもあったので、とりあえず毎日通院するかF医師に電話で連絡をとり指示を仰ぐかしていたが、最早それでは済まない状態と判断してその16日に2度目の入院をさせてもらった。けれども、検査の結果ではBUNもCREも限界値をオーバーし、今回はもう難しいかもしれないと宣告されるところまで悪化していた。
その後のことは既に前回(2016年1月25日)も報告し、改めてここで繰り返すのも辛いのであえて控えさせていただくが、一つだけ、決して忘れられない思い出がある。入院中は連日、家族が入れ替わり立ち替わり面会に行き、自分たちはもちろん毎日訪れたが、最早や手の尽くしようがない状態なのでせめて最後だけでも自宅で看取ってあげたらとすすめられ退院することになる3日前のことだった。
他の家族が見舞ってもケージの隅で背中を向けジッとうずくまっているばかりだったというムッシュが、自分たちが訪れ“ムッちゃん、パパとママだよ”と顔を近づけ声を掛けると、何と奇跡的にも、ヨロヨロと立ち上がってこちらを向き、覚束ない足取りでそばに寄って来たではないか!耳も聞えず目もまったく見えなくなっていたはずなのに...。あまりにもいじらしく可哀そうだったあの姿は、今でも思い出して涙がこぼれそうになる。
2015年4月26日、家族全員が揃った日曜日に、ペットメモリアルでしめやかにムッシュの葬儀をとり行った。ムッシュは小さなお棺の中に、いちばん似合っていた洋服を着て、きれいなお花と好物のフード・菓子・果物、大好きだった玩具、みんなと一緒の写真、そして孫からの手紙などに囲まれて横たわり、まるで安らかに眠っているようだった。
お棺の蓋を閉じる前に、最後のお別れにと、いつもじゃれ合うときの儀式だった“お鼻スリスリ”をしたが、もう応えてくれなくなったムッシュに、涙が流れて止まらなかった。
いつもパパとママの傍で暮らせるように、まだ自宅で祀っているムッシュのお骨は、やがては自分たちと一緒の場所に葬ってもらうつもりでいる。そのときはまたアチラで、楽しく遊んだり散歩したりしようネ、ムッちゃん!いつまでも忘れないョ。
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