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2016年1月25日 (月)

お詫びそして再出発

前からこのブログを読んで下さっていた皆様、長い間のご無沙汰をお詫びします。

思えば、ずい分長期間休んでしまった。“気まま”を地で行くように、突然、何のことわりもなしにアップが途絶えたことを、怪訝に思われた方、心配して下さった方も居られたと思う。が、これからまた、できるだけ以前通りのペースで、日々の、身の回りに起こったこと、感じたこと、考えたことなどを、コツコツと書き続けて行きたいと思っている。

あれからもう、2年半近くも経った。この余りにも長かった空白のわけについては、到底簡単には話し尽くせないが、ここまで長引いてしまったのには、それなりの事情があった。実は、2013年の8月末以来わが家には、これでもか、これでもかというほど、実にさまざまな災厄の波が立て続けに重なるように押し寄せ、自分は精神的にも肉体的にも、とてもブログを書くどころのゆとりが無くなってしまったのだ。
けれども、急に音信をまったく絶つわけにも行かないので、とりあえずごく身近の方々には、何とかその年を越したところで、かいつまんだ事実だけをお知らせしたが、語ればきりがなくなるとそれ以上の言及を控えている中に、さらに1年が経ってしまった。

やっと、それら大小の波がほとんど治まったような気がしたのが、昨春、2015年のゴールデンウィーク明けのころ。苦しかった胸中を打ち明けて少しでも楽になりたいと、そろそろブログを再開しようかと企てたが、いざとなってみると今度は、なかなか気持ちが盛り上がらなくなっていて、パソコンの前ではいたずらに時間を空費するばかりだった。
己を奮い立たせるために、かつて自分のブログを読んで下さっていたとわかっている方々には、“そろそろ...”とか“もう少ししたら...”とか、あえて再開を宣言していたが、グズグズしているうちに直ぐに数カ月が過ぎ、ついにまたまた新しい年を迎えてしまった。

気がついてみれば2016年、1月生まれの自分は10日で79歳になり、傘寿の大台にあと1年というところまで来て、さすがにいささか感ずるものがあった。自分としては、このところやっと取り戻せた感のある比較的穏やかな暮らしをいいことに、このまま流れに身をまかせて日々好日を決め込んでいていいものだろうか?という反省の念が湧いて来たのだ。
そこで、昨年末に受けた既往の各種ガンの定期検診の結果が、たまたま年明け誕生日直後に何れも問題ナシと判明したことにも大いに気を良くして、今度こそは...と再開を決意した。書き続けて行くことが、己の心身の老化防止にもつながるような気もするので...。

で、いよいよ...となるのだが、恐縮ながら、世の中のリアルタイムの話題にシンクロするようになる前に、先ずはしばらく、これまで我が家に一体何が起こっていたのかを語らせて欲しい。第三者にとってはどうでもいいような、過ぎてしまったことについての繰り言に聞えるかも知れないが、当事者としては、後日何らかの必要があったときのためのそれこそ備忘ログとして、また家族ヒストリーの記憶に残すべき幾ページかとして、ぜひ書き留めておきたいと思うので...。
とは言うものの、正直、どこから始めようか、何から書き出したらいいものかと、戸惑っている。それほどいろいろなことがあったわけだが、忘れられない、忘れてはならないことについては、今後改めて詳しく書かせていただくとして、今回はとりあえず、この2年余りの間にあったこと起こったことを、時系列で要記しておくことにする。

・波乱の予兆は2013年6月にあった。同月10日に報告した、家内の、眼科難病「黄斑円孔」手術のための突然の入院。
・その手術がともあれ成功して家内も眼帯が取れ、やっと普通に近い生活をとりもどせたかと思われた、その年の夏も終わるころの清里での、今度は自分の救急車搬送騒ぎ。スズメバチに刺されてアナフィラキシ―・ショックを起こしたことを、やはり同年9月2日に報告したが、いま考えて見ればこれがすべての災厄の発端だった。
・家内は、片道約40キロある清里の山荘と小海の病院の間を丸1日の間に2往復、横浜への帰途も神経を使いながらの運転で疲れ果て、体調を崩し風邪をこじらせた。
・さらに、帰宅してから発見したムッシュの脊中のかなり深い切り傷。自分の入院騒ぎで目が行き届かなかった間に、病院敷地内のどこかで受傷してしまったらしい。早速近くの動物病院へ連れて行ったが、これが彼の1年半あまりの闘病生活の始まりになった。
・そして忘れもしない9月26日。微熱を押して近所のスーパーへ買い物に出た家内が路上で転倒したという誰かからの電話が、留守番をしていた自分のもとに入り、現場へ駆けつけると救急車もほぼ同時に到着したので、そのままそれに同乗し病院へ直行した。
・仰向けに転んだので頭部と背腰部を強打し、幸い脳内には影響はなかったものの、胸椎と腰椎の境目を骨折したことがわかり、1ヵ月近く入院。退院後も長期の車椅子生活と全身的不調が続いた。
・家内は、骨折自体の苦痛に加えて、時を選ばぬひどい目まいに悩まされるようになり、不眠・不安感とそれによる食欲不振に陥って、消化器系の不具合をも併発し、体重が短期間に10キロ以上も激減した。
・ムッシュは、怪我だけでなく皮膚のあちこちがアレルギーによる膿皮症になっていると診断され、週1~2回の通院と抗生・消炎剤の連用そして食餌療法が義務づけられたが、指示された手作り食を男手一つで毎日用意するのが容易ではなくなって、ひと月あまりは頑張ったものの、止むを得ず医療用の低プロテインフードに切り替えた。
・家内の入院中、毎日の見舞いとムッシュの世話、掃除・洗濯・買い物・食事といった諸々の家事...しなければならないことは山ほどあって、こういう時こそ自分が頑張らねばとはわかっていたが、情けないことになかなか思ったようには行かなかった。
・必要には遠く及ばなかったかも知れないが、自分としては全力で、家事に通院・療養介助に、そうやってキリキリ舞いしているうちに、ムッシュが見る見る体調を崩して行き、連日のように治療・検査を受けていたにもかかわらず、クッシング症候群で最早やその動物病院の手には負えないということで、言わば見放されたかたちになってしまった。
・12月、八方手を尽くして、行きつけのペットサロンの店長に紹介してもらった大規模病院で検査を受けると、ムッシュは、ステロイド系薬剤の濫用によるクッシング症候群に加えて腎不全も併発していると診断され、先ずは徹底的に“薬抜き”をしなければならないということになった。
・そこにさらに追い打ちがかかる。家内の全身症状がいよいよ悪化し耐えきれない状態になり、大晦日も含むその年最終週の3日連続で、夜間救急医療センターで治療を受け、子供たちも全員病院に駆けつけて、ムッシュは可哀そうにも長時間留守宅で誰にも構ってもらえない慌ただしく淋しい越年をした。
・年が改まって2014年に入っても、家内とムッシュの容態はなかなか改善せず、二人とも週を措かずに頻繁に通院して懸命の治療を続けた。家内は整形外科だけでなく、耳鼻科、脳神経外科、心療内科、消化器科...などでも診療を受け、ムッシュは前年末に診断された病気の症状がさらに進んで、数日間の緊急入院さえ余儀なくされた。
・家内の病院の関係者の薦めもあり、介護サービスを申請、3月、“要支援”という認定が下り、ヘルパーが週1回来宅し掃除と料理をしてくれるようになって、ほんの少しながら毎日の暮らしの中にゆとりが生まれ、気候が良くなるにつれて家内の体調にも、徐々に徐々にではあるけれども改善の兆しが見え始め、ムッシュも、本復には遠かったものの何とか安定症状を取り戻した。
・それから約1年の間、4月に別世帯の娘が婦人科の手術で1週間入院したという番外の出来事はあったが、家内もムッシュも、週1~2回の定期的通院・治療・リハビリと毎日欠かさず服薬を続けることでまずまずの体調を維持し、家内は杖を頼りにごく近場までなら出歩けるようにもなってきた。が、好事魔多し!今度は自分に番が回って来た。
・2009年から4年連続で、胃・前立腺・胃・大腸と手術・入院を繰り返したものの、13年~14年は自分が頑張らねばと気が張っていたこともあって何とか持ちこたえてきたが、夏の終わりころからの何度かの内視鏡検査で、胃に新たな腫瘍ができていることが発覚。2014年の12月にまたまた入院・手術ということになり、折角まずまずの体調を維持していた家内とムッシュに、思わぬ負担とストレスをかける結果を招いてしまった。
・2015年、それでも家族の運気は以前よりは改善したかに思え、春に向かって家内も自分も少しずつ元気が回復して行くのが自覚でき、ムッシュにも食欲・散歩意欲が出てきて、落ち着いた容態がずっと続くかに見えていた。
・しかし4月に入ってからのムッシュは、突然、食欲を失くし嘔吐を繰り返すようになり、動物病院に急伴したが、検査の結果かねての病気の状態を示す数値が限度を超えるところまで悪化していて、入院させ最善の努力は尽くすけれども不幸な結果も覚悟していなければならない状態とドクターから告げられ、入院5日目には、せめて慣れ親しんだ我が家で最期を看取ってあげてはと薦められて、複雑な気持ちで彼を引き取ってきた。
・それからまる二日朝昼晩と、もしや奇跡的に元気を取り戻してくれたらと祈りつつ、家内と自分の二人がかりで、小さくなってしまったムッシュを赤子のようにそっと抱きかかえて流動食を給餌したが、最早や一匙分を飲み込むのも苦しそうになった二日目4月23日の春の宵、ムッシュは静かに14年半の生涯を閉じた。

早いものでそれからもう9ヵ月。振り返ればアッという間で、ムッシュのこともだんだん、楽しかったことだけを思い出して話し合えるようになってきた。だがここに至るまでには、辛く悲しいけれども記憶に留めておきたいこともいろいろあったので、次回は、亡きムッシュに捧げるメモリアルとして、在りし日の画像と共にそれらを綴りたいと思う。

久し振りで、いささかくどい長文になってしまったが、何とぞご容赦を。

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