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2013年9月 2日 (月)

生まれて初めての救急車

山荘に行くのは、環境がふだんとはガラリと変わるところに身を置き日常から脱出して、多かれ少なかれ非日常による気分転換を求めてのことなのだが、環境の変化も何も事と次第によるわけで、ときにトンデモない非日常に遭遇することもある。
先月末の9日間、4週間振りで山荘に行ってきたが、1日くらいは雨に降られたものの、他の日はまずまずの好天で、この分なら穏やかに気持ちよく帰宅できると思っていたところ、途中で予想もしていなかったハプニングに捲き込まれる破目になった。

いまからすればもう数日前のことになるが、滞在も予定の半ばを越したその日のその時は、「萌木の村」の「ハットウォルデン」にランチをしに行って、村長の弟で村の専務の船木淳さんに久し振りに会い、楽しく近況などを語り合って、気分よく帰宅したところだった。
食卓に座って一休み、家内とお茶を飲みながらノンビリと、この25年間何かと世話になってきた淳さんとの思い出話にあれこれ花を咲かせていたら、卓の下に置いていた(ので当然自分からは見えていない)左の足首に、突然、激痛が走った。

グサリ!と、何か切れ味の悪い刃物で抉られたような感じのする強い痛みに、思わずそこに手をやると、かなりの手応えのある異物感。...と思っているうちに、何か大きな虫様のものが下から飛び出してきた。
それは一気に逃げもせず、手の届く近くの窓枠に止まったので、目を凝らしてよく観たところ、何と!態はそんなに巨大ではないが、紛れもなく、あの身の毛もよだつダンダラ縞のスズメバチではないか!

一瞬、ヤラレた!それにしても何でこんなところに...と思ったが、詮索よりも、ともかくそれ以上の被害は食い止めなければという気持ちが先に立ち、家内から分厚い雑巾を受け取って夢中でソイツを押さえつけ、ビニ袋の中に取り込んだ。
と同時に念頭をよぎったのは、自分がスズメバチに刺されたのはこれで2度目だから、早急に手当てをしなければ危険な状態になりかねない...ので、とにかくどこかの病院に連絡して指示を仰ぐ必要があるということ。

1度目に刺されたのはやはりこの山荘の中、もう25年近く前で、そのときかかったのは長坂の甲陽病院だったが、今回は一刻を争うという気持ちがあったので、管理センターに相談して、より近い野辺山のクリニックに、家内の運転で駆けつけた。
刺された方の足はズキズキ痛むが、歩けないほどではなかったので、自力で乗降しクリニックの中に入ったら、たちまち、待機していたドクターとスタッフに抱きかかえられるようにしてベッドに寝かされ、酸素吸入器・血圧脈拍計などを装着された。

自分で状況を説明できたし、当然意識も明確(のつもり)だったので、自身にそれほどの切迫感はなかったが、何やらすぐに頓服剤を服用させられ、注射も打たれて、性急に反応確認などをされ、そこに至って、どうやらそう簡単なことではないらしいとわかってきた。
自分ではそれとは意識していなかったが、後で聞いたところによると、このとき、顔面は蒼白になっていて、ただでさえ低い血圧が下がるだけ下がり、脈拍も、測定計器を疑うほどまで微弱になっていたそうだ。

そんなこととは露知らなかったが、何しろ話されていることはみんな聞えていたので、チョッとこのままでは済まなそうだけれどもこれからどうなるのだろうなどと考えていたら、そのうち、“救急車!救急車を呼んで!”と叫ぶドクターの声が聞えた。
(エーッ、救急車?ここだけでは不十分で、別の病院へ移送されるのかな?こりゃ大変だ!)などと頭の片隅で思いめぐらしているうちに救急隊員が到着。ウンもスンもなくストレッチャーに移され、ボディー・手足を固定されて、そこから運び出され車の中へ。

意識不明になっていたわけではないので、経緯は一部始終、目を開けて見ていたが、車内は思ったより狭く、医療器具や計器のようなもので三方を囲まれ、隊員の男性2人とクリニックからの付き添いの女性看護師さんで一杯一杯のようだった。
車はピーポーピーポーとサイレンを鳴らしながらかなりのスピードで走っているのがわかり、カーブや悪路にさしかかるらしい度に、左右・上下に身体が揺れ、固く浅いいストレッチャーに当たって痛かったが、そんなことを言っている場合ではないと我慢した。

付き添いの看護師さんが腕に何か薬を注入しマッサージをしている様子がわかり、隊員が絶えず声をかけてきて、姓名・年齢・住所・電話番号・持病・アレルギー・既往症・喫煙飲酒習慣・常用薬などを聞き出し、本人の意識の確認をする。
寒くはないか、気持ちは悪くないかなどとも尋ねられたが、長袖シャツ・ジーパンにセーターという着の身着のままで来てしまった割には、毛布も掛けてもらっているらしかったので特に寒くはなかった。

身動きならぬままそうしていて気懸りなのは、飛ばしに飛ばす救急車を後からマイカーで追っている家内のこと。いま、精神的にも身体的にもたいへんな思いをしているだろう、とんだことになってしまって済まない、という思いがヒシヒシと胸に迫った。
だいぶ走ってやっと目的地に到着したらしいので、相当遠くまで来たのだろうと思ったら、何と、清里から優に30キロ以上はある長野県小海の、佐久総合病院小海分院とわかった。家内は途中で救急車に置いて行かれ、道を尋ねながら辿り着いたようだった。

救急車から下ろされてからもう一度診察を受けたが、応急手当はとりあえず上手く行っていたものの、数時間後に再びアナフィラキシー(ショック症状)が起こる可能性があるので、万が一の際のケアのため一泊入院しなければならないという結論に。
自分で運転して遥々ここまで同行してくれた家内は、心身共にさぞ疲れていたに違いなかったが、自分に代わって入院手続きをすべて済ませてくれ、薄暮の道をまた清里の山荘に帰って行った。不慮の事故とはいえ、まことに申し訳ない結果になってしまった。

その後の自分はといえば、右腕には点滴の注射針、胸に心電図の電極、左人差し指には脈拍センサーのクリップが取り付けられ、それらの何れからも長いチューブやコードが何本も延び可動式点滴台とモニターに接続されて、がんじがらめで身動きならず。
モニターのディスプレイには、心臓の鼓動・脈拍・血圧・酸素濃度・呼吸数などが表示され、それをナースセンターでも終夜監視しているらしく、2~3時間ごとに見廻りがあって、結局、ロクに睡眠がとれなかった。

それでも、無事に夜は明け、7時半ごろに担当ドクターの巡回診察があって、もう安心でしょうということになり、晴れて無罪放免。10時ごろには家内が迎えに来てくれ、やっと、嵐のような一昼夜が終わった。
己の問題だから、自分は痛かろうと眠れなかろうと構わなかったのだが、長距離を2度も往復した家内には何と言っていいかわからないほど苦労を掛けてしまった。山荘に残しておくわけにも行かず終始車に同乗していたムッシュも、いい迷惑だったに違いない。

何の因果で2度も刺されたのか、災難という他ないのかも知れないが、外へ出ると割合い普通にスズメバチが飛び回っている森の中の生活は、こうなってみると少し腰が退けてくる。しばらくは、あの“ブーン”という羽音が耳に付いて離れないだろう。
いまは刺され傷の痛みもほとんど癒え、横浜での日常に戻っているが、今回の清里行では、楽しかったこと、有意義に過ごしたことも数あった中でも、どうしても、生まれて初めて乗ることになってしまった救急車の1件が、強く印象に残った。

なかなか得難い経験をしたと思ってはいるが、できれば3度目は繰り返さないで済むようにしたいものだと密かに念じている。

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