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2013年8月

2013年8月19日 (月)

昔の夏、いまの夏

“言うまいと思えど今日の暑さかな”...そんな陳腐な句が思わず口をついて出る猛暑の今日このごろ。毎日、“観測史上最高温”だの、“40度超”だのというニュースが飛び交って、もういい加減ゲンナリする。
去年の夏もこうだったか、どうやって凌いだっけ...などと、考えても詮ないことをツイ、茹だった頭で思いめぐらしてしまうが、この数年は毎夏、同じように暑く、同じようにブツブツ言ってきたという記憶しか蘇って来ない。

それを調べてみて実際のところがわかったからといって何かの助けになるわけでもないが、思ったことをそのままにしておくのも何だか気が済まないので一応ウィキペディアを紐解いてみると、確かに、2010年以来そういう傾向にあるらしい。
もっと言えば、2000年代に入ってからは、それ以前と比べると統計的にも明らかに、年間の猛暑日の日数が多くなっているそうだ。齢をとるにしたがって夏がこたえるようになってきたと思っていたが、どうも齢のせいばかりではなかったようだ。

年寄りとペットは高温に弱いので、熱中症にならないようにご注意をと、このごろとみにテレビや新聞の話題として取り上げられるが、老夫婦と犬1匹の我が家は言ってみればその典型のような世帯。でもいまのところ、なんとか無事に過ごせている。
各部屋のエアコンを四六時中点けていればいいのだろうが、経済的な見地からもそういうわけにも行かず、できるだけ小まめにスイッチをオン・オフし、その代わりに扇風機は、メインのダイニングルーム用の他に、各人(犬)1台を備えている。

夜間などは寝苦しいから、エアコンは一晩中点けっ放しにしていたいところだが、それでは身体にもよくないと思うのでタイマーにしておくと、寝入ることはできても、夜半や早朝にどうしても目が覚めてしまい、このところは睡眠不足気味。
それと同じ理由かどうかわからないが、ムッシュも夏になってからやたらと朝が早い。暑くない時季には早くてせいぜい7時起きだったものが、6時半起き、6時起きになり、最近ではついに、5時半に叫び出すようになった。

もしやどこか具合でも悪いといけないと思い、こちらは飛び起きて洗顔もそこそこにケージに駆けつけるのだが、開けてやると元気に飛び出してきて、そのまま朝の散歩へ向い、帰って朝食を平らげると、後は午前中一杯、好きな場所でのんびりとまどろんでいる。
毎日その繰り返しなので、体調は悪くないのだろうと安心しているのだが、ただでさえもう少し眠っていたい早朝の貴重な時間を割かれるこちとらとしては、いささか困惑の態。一体どうしたらいいのか、何とかならないものかと悩んでいる。

それにしても暑い。夏は暑くて当たり前かもしれないが、昔からこんなだったろうか?東北の田舎にいた子供のころの夏の記憶は、最早さだかではないが、いまの東京や横浜ほどではなかったような気がする。
自分が幼少期を過ごした福島の阿武隈盆地は、いまでは全国でも有数の猛暑地域として知られているが、辛かったことはすっかり忘れてしまっているのかも知れないけれども、どうも、耐え難いほど暑かったという記憶はない。
わずかに覚えているのは、第二次大戦で日本が降伏しラジオを通じて天皇の詔勅が下った日と、高校野球の地方予選であえなく一敗地にまみれてしまった日。どちらの日も、真夏の太陽がジリジリと照りつけていた気がする。

何しろそのころは、エアコンはもちろんのこと、我々庶民の家には扇風機などというものすらなかったわけで、涼をとると言えばもっぱら団扇か扇子だけ。それでも何とか凌げていたのは、基本的に、気温もいまほどは高くなかったということではないのだろうか?
冷蔵庫や扇風機が手に入ったのは、世帯を持ち、長男が生まれてから。東京オリンピックが開催され、東京都が水不足になった年だった。暑さはさほど応えなかったが、赤ん坊が汗疹でむずかるので、あやしながら毎晩外に夕涼みに出ていたのを思い出す。

ところで、昔も暑くてたまらなかったという記憶があまりないのは、年齢や体力とも関係があったのかも知れない。幼少期、青年時代、働き盛りのころなども、暑くなかったはずはないのだが、自分のエネルギーがそれを吹き飛ばしていたようだ。
小・中・高校はもちろん大学にも、冷房設備などはなかったし、自分が第一線で働いていた時代はクールビズなどという都合のいい慣習もなく、真夏でもスーツにネクタイだったが、それでも別に不平不満も言わずに季節をやり過ごしていた。

とは言っても、大昔ではなくてふた昔かひと昔くらいまで時代が上がってくると、暑さの記憶もだいぶ鮮明になる。1984年、自分はひと夏猛暑のニューヨークにいたが、その年の日本もニューヨークに負けず、出国したときも帰国したときも暑かった。
88年には手術で三週間入院することがあって、梅雨明けのころ退院し快気祝いのつもりで京都旅行に行ったら、生憎好天を通り越した焼けつくような炎天に晒され、もう一度入院しそうになった。

記録に残ってはいないかもしれないが、88年も暑い夏だった。ちょうどその盛りの時期に、家内は大阪で行われた花博の展示場にボランティアで一週間ほど手伝いに行っていたが、酷暑の中での奉仕作業がたたってダウン、帰宅後即、三週間の入院となってしまった。

最近では2008年、家を建て替えた年。幸か不幸か、工事開始とそのための引っ越しが、7月中旬という夏のど真ん中になってしまった。そのときの経緯は以前「引っ越し狂騒曲」で書いたが、その夏は正直言って、古希越えの夫婦にはほんとうにキツかった。
統計では、2010年が観測史上最も暑かった夏ということになるらしいが、なぜか自分にはその印象が薄い。この年は、前立腺ガンを宣告され、精密検査や手術・入院のための手配・準備などで初夏から秋口まで忙殺されていて、それどころではなかったからだろう。

2011年以来の3年というものは、年々暑さがエスカレートしてきているような気さえする。齢も、一つまた一つと重ねているので、体感温度が、実際の気温に輪をかけたものになっているのかも知れない。
にもかかわらず、夫婦およびワンコともども、熱中症でダウンもせず、ここまで過ごせてきたのはまことに有難いという他ない。多病息災というか、何だかんだと医者通いの多い生活が自然に健康に留意する結果になって、案外幸いしているような気もする。

齢をとると、何かにつけていまの暮らしと比べて“昔はああだった、こうだった...”といった思い出話をするようになるが、自分も今回は、あまりの暑さのせいか、どうでもいい個人的な夏の思い出話を繰り広げてしまった。

さて、こう暑くては当然、山荘に逃げ込みたいところだが、7月末の前回からまたいろいろとスケジュールが入ってなかなか行けず、早や3週間経ってしまった。

今週の半ば過ぎくらいに何とか出掛けたいと思っているが、サテどうなるか...。

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2013年8月 5日 (月)

3ヵ月ぶりの清里

「土用」に入り「大暑」だという日の午後に発って、実に久し振りに清里へ行って来た。前回はゴールデンウィークの前半だけで帰ってきたから、約3ヵ月ぶりということになる。当然もっと早く行きたかったのだが、いろいろあって、こうなってしまった。
今年は早々と梅雨が明け、すでに一頻り猛暑の洗礼を受けており、いまさら土用と言われてもピンと来なかったが、それでもその日は30度を越す暑さで、これからももう一山、暑さのピークが来るかも知れないと予感させられた。

これまでにないほど、あまりにも長い間ご無沙汰していたので、何となく身支度もマゴマゴ、ほとんど横浜にいるままの感覚で出かけてしまったが、標高1000メートルに達しない辺りまではよかったものの、清里高原に入ったころから急に肌寒くなってきた。
山荘到着時の気温は20度を割り込み、薄い綿カーディガンぐらいでは間に合わない寒さ。玄関内のクローゼットに厚手のアウターを常備してあったからいいようなものの、この甚だしい気温差には、長年のことでわかっていながら、いつも同じ戸惑いを繰り返す。

結局、暖炉こそ焚かなかったものの、やはり床暖房は点けざるを得ず、風呂に浸かり全身が温まってやっと人心地。ただ、ムッシュはといえば、暑かった横浜から避難でき、むしろこの低温が気持ち良さそうで、夕食を摂ったらすぐに眠りに就いた。
既報のごとく、前回、今年初めてきたときには、冬季の凍結で浴室のシャワーが壊れていて不自由したが、留守中に管理センターのSさんに取替え工事をしてもらっていたおかげで、今回は何の問題もなく滞在第一夜を迎えることができた。

そんなに長いわけではないが短か過ぎもしない一週間というのが、今回の滞在予定期間。なら、慌てることもないと、翌日は朝から雨だったこともあって、家の中でのんびり。しかし気温は20度までしか上がらずやはり寒いので、真夏というのに暖かく重ね着。
テレビによれば、その日の東京は27度とか。してみればあちらもそんなに暑くないわけだが、前日は都内で局地豪雨に襲われたところもあったようで、勤めを終えて家路に急ぐかなりの人々がたいへんな目に遭遇したらしい。皆さんご苦労様でした。

朝食の後はいつもコーヒー(と言っても最近はコーヒー牛乳状態の薄めマイルドのもの)にするのだが、ここのところずっとアイスにしていた横浜とは室温が違うので、さすがに清里では久々のホット。夏のさ中で異例だが、これはこれで美味であった。
今回は徹底的にのんびりするつもりで、あえて、本数冊以外にはパソコンはもちろん何もヒマつぶしの道具は持ってこなかったら、ヒマをつぶすというのもなかなか難しいもので、思わず、昼寝などしてしまった。

グータラばかりしていてもいけないと思い、労働も少し..と発心。といっても、いつもと変哲なく、前庭駐車場の草むしりや裏庭の枕木遊歩道および家の周りの周回歩道の笹刈りぐらいだが、膝を曲げ腰を屈めての作業なので、正直のところ応えた。
もうダメだ、ギブアップしたい...と何度も思いながら、一方では、途中で投げ出すわけには行かぬ...という義務感というか責任感のようなものもあって、ともあれ今年もやり遂げたが、あと何年体力が続くか...。

Picsでも、外へ出ると、単に疲れるだけではなくて、フィトンチッドを一杯に含んだ空気が美味しいし、樹木や山野草の花々が、目を楽しませてくれる。いま森全体は、ウツギやヤマアジサイの白い花々で真っ盛り。
我が家の庭も、上を仰げばそれらとヤマボウシが重なり合い、下からはホタルブクロやオダマキが立ち上がっていた。いつもならそこここに群生するギボシは、今年はまだ姿を見せず、その代わりというわけでもなかろうが、早々とタマゴダケが1本生えていた。
(写真は上から順にホタルブクロ、オダマキ、タマゴダケ)

さて、前回はどこにも出かけなかったので、今回は一度くらい外に出ても良いかと思い、大泉の「藤乃家」まで蕎麦を食しに。齢を重ねてくると、だんだんレストランやカフェのメニューよりも、ザル蕎麦のようなシンプルなものがよくなってくる。
ついでに「ひまわり市場」と「ウエルシア」にも寄って買い物をし、帰途、「清泉寮」でお土産の瓶詰ジャムを仕入れ、定番だからとソフトクリームも食べてきた。ムッシュは昼寝させたまま出かけたが、帰って来てもまだ眠っていた。いい子、いい子。

気がつくと、もうこちらに来て5日め。毎日がどうということなく過ぎて行き、所在なく、持ってきた本も全部読んでしまい、こちらに置いてある一度読んだ本を読み返す。エンタテインメント系のものだと案外内容が記憶に残っていないもので、けっこう楽しめた。
本といえば、建て替えのとき段ボールに詰めて運び込んだものがいまもそのままで、横浜の家の書棚が満杯になっているため、持ち帰るに持ち帰れない。専門書なども多数あるから処分してしまうのも惜しいような気がするし、ハテ、どうしたものか...。

帰宅予定の前日もすることが特になく、手持無沙汰。いっそ今日帰ろうかなどと家内と話し合ったが、急に思い立ってではバタバタするし、日曜なので中央道上りは渋滞するかも知れないと考え直す。
気温はやはり、あまり上がらず22度。肌寒くはあるが快適といえば快適。明日戻る東京・横浜は今日も30度まで上がったらしいから、こちらのこの低温はむしろ、有難いと思うべきなのだろう。

...と、持て余したようでもあったが過ぎてみれば束の間だったようにも感じられる日々が終わって帰宅する日は、生憎の雨...しかもかなりの激しさ。運転はもちろん荷物の積み込みもたいへんになるナァと、降り出した前夜から憂鬱だった。
でも、翌日に前立腺ガン手術後2年半の検診があるので、帰らないわけには行かず、気持ちを奮い立たせて用意・出発。この雨では途中の乗り降りのときにも必要になるだろうからと、こちらに置いてあった厚手の撥水ジャケットも身に付けたままで。

ところが何と...、国道141号線の弘法坂を下ったあたりから雨は小止みになり始め、須玉に着くころはほとんど上がったではないか。気温も出発時は20度あるかなしかだったのにもう25度までアップ。撥水ジャケットはたちまち無用の長物になってしまった。
実は、帰途トイレ休憩に立ち寄る談合坂SAでの乗降が、駐車場と建物とがかなり離れているため、大雨のときはムッシュ連れだとずぶ濡れになってたいへんだろうと心配していたのだが、それも杞憂に終わって、この日の帰宅は結果オーライだった。

中央道上りは、なぜか走行車両の台数は多かったけれどもさしたる渋滞もなく、きわめて順調に運行。横浜の家にはほぼ最短時間で到着したので、ムッシュには夕食を待たせることもなく、荷物下ろしも余裕を持ってできた。
でも、勝手なことを言うようだが、清里から帰ってくるとやっぱり横浜は蒸し暑い。我が家は24時間自動換気のシステムが作動しているはずなのだが、それでも、1週間戸締りをしたまま出掛けると、帰って来たときにはモワッとする。

毎度のことながら、数時間でガラリと変わる清里と横浜の気温差には、体調のフォローが難しいが、猛暑のときに逃げ込む場所があるだけ良しとせねばなるまい。暑いの寒いのとその都度文句を言っているのは我が侭が過ぎるというもの。
と、納得して、あちらは寒かろうと雨が降ろうと、こちらのこの暑さが続いている8月中には、もう一度清里に行ってこようと改めて思う。もう齢で、往き帰りは確かに楽ではなくなったが、時間だけはタップリあるのだから、できるうちにそうしておかねば...。

余談ながら、帰宅の翌日に行った東京医療センターの検診では、前立腺のPSA値が0.33まで下がっていた。実は、前回3月の検診では、それまでほぼ順調に下がり続けていた同値がなぜか突然2.44まで跳ね上がり心配していたが、これで一安心ということのようだ。
何と言っても健康第一。この暑い中、皆さまにおかれましても、くれぐれもご自愛の程を。

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