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2013年8月 5日 (月)

3ヵ月ぶりの清里

「土用」に入り「大暑」だという日の午後に発って、実に久し振りに清里へ行って来た。前回はゴールデンウィークの前半だけで帰ってきたから、約3ヵ月ぶりということになる。当然もっと早く行きたかったのだが、いろいろあって、こうなってしまった。
今年は早々と梅雨が明け、すでに一頻り猛暑の洗礼を受けており、いまさら土用と言われてもピンと来なかったが、それでもその日は30度を越す暑さで、これからももう一山、暑さのピークが来るかも知れないと予感させられた。

これまでにないほど、あまりにも長い間ご無沙汰していたので、何となく身支度もマゴマゴ、ほとんど横浜にいるままの感覚で出かけてしまったが、標高1000メートルに達しない辺りまではよかったものの、清里高原に入ったころから急に肌寒くなってきた。
山荘到着時の気温は20度を割り込み、薄い綿カーディガンぐらいでは間に合わない寒さ。玄関内のクローゼットに厚手のアウターを常備してあったからいいようなものの、この甚だしい気温差には、長年のことでわかっていながら、いつも同じ戸惑いを繰り返す。

結局、暖炉こそ焚かなかったものの、やはり床暖房は点けざるを得ず、風呂に浸かり全身が温まってやっと人心地。ただ、ムッシュはといえば、暑かった横浜から避難でき、むしろこの低温が気持ち良さそうで、夕食を摂ったらすぐに眠りに就いた。
既報のごとく、前回、今年初めてきたときには、冬季の凍結で浴室のシャワーが壊れていて不自由したが、留守中に管理センターのSさんに取替え工事をしてもらっていたおかげで、今回は何の問題もなく滞在第一夜を迎えることができた。

そんなに長いわけではないが短か過ぎもしない一週間というのが、今回の滞在予定期間。なら、慌てることもないと、翌日は朝から雨だったこともあって、家の中でのんびり。しかし気温は20度までしか上がらずやはり寒いので、真夏というのに暖かく重ね着。
テレビによれば、その日の東京は27度とか。してみればあちらもそんなに暑くないわけだが、前日は都内で局地豪雨に襲われたところもあったようで、勤めを終えて家路に急ぐかなりの人々がたいへんな目に遭遇したらしい。皆さんご苦労様でした。

朝食の後はいつもコーヒー(と言っても最近はコーヒー牛乳状態の薄めマイルドのもの)にするのだが、ここのところずっとアイスにしていた横浜とは室温が違うので、さすがに清里では久々のホット。夏のさ中で異例だが、これはこれで美味であった。
今回は徹底的にのんびりするつもりで、あえて、本数冊以外にはパソコンはもちろん何もヒマつぶしの道具は持ってこなかったら、ヒマをつぶすというのもなかなか難しいもので、思わず、昼寝などしてしまった。

グータラばかりしていてもいけないと思い、労働も少し..と発心。といっても、いつもと変哲なく、前庭駐車場の草むしりや裏庭の枕木遊歩道および家の周りの周回歩道の笹刈りぐらいだが、膝を曲げ腰を屈めての作業なので、正直のところ応えた。
もうダメだ、ギブアップしたい...と何度も思いながら、一方では、途中で投げ出すわけには行かぬ...という義務感というか責任感のようなものもあって、ともあれ今年もやり遂げたが、あと何年体力が続くか...。

Picsでも、外へ出ると、単に疲れるだけではなくて、フィトンチッドを一杯に含んだ空気が美味しいし、樹木や山野草の花々が、目を楽しませてくれる。いま森全体は、ウツギやヤマアジサイの白い花々で真っ盛り。
我が家の庭も、上を仰げばそれらとヤマボウシが重なり合い、下からはホタルブクロやオダマキが立ち上がっていた。いつもならそこここに群生するギボシは、今年はまだ姿を見せず、その代わりというわけでもなかろうが、早々とタマゴダケが1本生えていた。
(写真は上から順にホタルブクロ、オダマキ、タマゴダケ)

さて、前回はどこにも出かけなかったので、今回は一度くらい外に出ても良いかと思い、大泉の「藤乃家」まで蕎麦を食しに。齢を重ねてくると、だんだんレストランやカフェのメニューよりも、ザル蕎麦のようなシンプルなものがよくなってくる。
ついでに「ひまわり市場」と「ウエルシア」にも寄って買い物をし、帰途、「清泉寮」でお土産の瓶詰ジャムを仕入れ、定番だからとソフトクリームも食べてきた。ムッシュは昼寝させたまま出かけたが、帰って来てもまだ眠っていた。いい子、いい子。

気がつくと、もうこちらに来て5日め。毎日がどうということなく過ぎて行き、所在なく、持ってきた本も全部読んでしまい、こちらに置いてある一度読んだ本を読み返す。エンタテインメント系のものだと案外内容が記憶に残っていないもので、けっこう楽しめた。
本といえば、建て替えのとき段ボールに詰めて運び込んだものがいまもそのままで、横浜の家の書棚が満杯になっているため、持ち帰るに持ち帰れない。専門書なども多数あるから処分してしまうのも惜しいような気がするし、ハテ、どうしたものか...。

帰宅予定の前日もすることが特になく、手持無沙汰。いっそ今日帰ろうかなどと家内と話し合ったが、急に思い立ってではバタバタするし、日曜なので中央道上りは渋滞するかも知れないと考え直す。
気温はやはり、あまり上がらず22度。肌寒くはあるが快適といえば快適。明日戻る東京・横浜は今日も30度まで上がったらしいから、こちらのこの低温はむしろ、有難いと思うべきなのだろう。

...と、持て余したようでもあったが過ぎてみれば束の間だったようにも感じられる日々が終わって帰宅する日は、生憎の雨...しかもかなりの激しさ。運転はもちろん荷物の積み込みもたいへんになるナァと、降り出した前夜から憂鬱だった。
でも、翌日に前立腺ガン手術後2年半の検診があるので、帰らないわけには行かず、気持ちを奮い立たせて用意・出発。この雨では途中の乗り降りのときにも必要になるだろうからと、こちらに置いてあった厚手の撥水ジャケットも身に付けたままで。

ところが何と...、国道141号線の弘法坂を下ったあたりから雨は小止みになり始め、須玉に着くころはほとんど上がったではないか。気温も出発時は20度あるかなしかだったのにもう25度までアップ。撥水ジャケットはたちまち無用の長物になってしまった。
実は、帰途トイレ休憩に立ち寄る談合坂SAでの乗降が、駐車場と建物とがかなり離れているため、大雨のときはムッシュ連れだとずぶ濡れになってたいへんだろうと心配していたのだが、それも杞憂に終わって、この日の帰宅は結果オーライだった。

中央道上りは、なぜか走行車両の台数は多かったけれどもさしたる渋滞もなく、きわめて順調に運行。横浜の家にはほぼ最短時間で到着したので、ムッシュには夕食を待たせることもなく、荷物下ろしも余裕を持ってできた。
でも、勝手なことを言うようだが、清里から帰ってくるとやっぱり横浜は蒸し暑い。我が家は24時間自動換気のシステムが作動しているはずなのだが、それでも、1週間戸締りをしたまま出掛けると、帰って来たときにはモワッとする。

毎度のことながら、数時間でガラリと変わる清里と横浜の気温差には、体調のフォローが難しいが、猛暑のときに逃げ込む場所があるだけ良しとせねばなるまい。暑いの寒いのとその都度文句を言っているのは我が侭が過ぎるというもの。
と、納得して、あちらは寒かろうと雨が降ろうと、こちらのこの暑さが続いている8月中には、もう一度清里に行ってこようと改めて思う。もう齢で、往き帰りは確かに楽ではなくなったが、時間だけはタップリあるのだから、できるうちにそうしておかねば...。

余談ながら、帰宅の翌日に行った東京医療センターの検診では、前立腺のPSA値が0.33まで下がっていた。実は、前回3月の検診では、それまでほぼ順調に下がり続けていた同値がなぜか突然2.44まで跳ね上がり心配していたが、これで一安心ということのようだ。
何と言っても健康第一。この暑い中、皆さまにおかれましても、くれぐれもご自愛の程を。

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