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2013年6月10日 (月)

梅雨は何処へ

アジサイ 低血圧の質なので、生来この時季は苦手なのだが、今年は有難いというか、何というか...気象庁が例年より10日も早い梅雨入り宣言をしたというのに、皮肉にもそれ以来さっぱり、それらしい兆候がない。
庭にアジサイも咲いて、舞台装置は万全に整っているのだが、それに風情を添えるシトシト雨も一向に降って来ず、忘れたころにほんのチョッピリのお湿りがあるくらいで、連日、5月の延長のような天候が続いている。

梅雨は一体何処へ行ってしまったのだろう?今年はいわゆるカラ梅雨なのか?自分勝手なことを言えば、それならそれでたいへん結構なのだが、農作物や電力事情などのことを考えたら、そんなことも言っていられないのだろう。
昨年の夏は記録的な猛暑だったが、今年も春からの夏日続きを考えると、またあの暑い日々が繰り返されるのかと、いまから辟易しそうになってしまう。さりとて寒い夏でも世の中は何かと困るし、何とかほどほどに行かないものだろうか?

...などと、呑気に気候談義をしている場合ではない...いま、我が家は。実は、一病息災ならぬ“多病息災”を自認して健康管理には人一倍気を遣って来た家内が、23年ぶりに急遽入院、先週末に手術を受けた。
科目は眼科。“老眼が進んだのかしら?それとも乱視?どうも最近モノが見えにくくなって来たヮ”と嘆いてはいたけれども、あまり深刻に考えていなかった彼女が、5年ぶりに行きつけの眼科医院を訪ねたところ、検査の結果、思いもかけない宣告を受けた。

老眼どころか、最近は簡単な手術で治るという白内障程度でも済まない、網膜の病気で、「加齢性黄斑変性症」と診断され、ごく近年注目され始めたため専門医のいるところでないと治療ができないとのこと。で、「聖マリアンナ医科大学病院」を紹介された。
その医院とはつながりがあるらしく、その場で診察の予約がとれ、紹介状も書いてもらえて、5日後に行くことになったが、予想もしていなかった結果の上に、バタバタと追い立てられるようなスケジュールになって、家内は心の準備もできぬまま茫然として帰宅した。

そして5日後、朝一番の診察だったが、様々な検査で何度も院内各科に移動を余儀なくされ、その結果がわかって治療方針が最終決定したのは昼過ぎ。病名は、右目黄斑変性のかなり進んだ段階になる「黄斑円孔」ということだった。
早急に手術の要ありとの判断で、診察してくださったドクターが眼科部長だったこともあり、通常なら2ヵ月待ちのところに無理にスケジュールを割りこませていただくかたちになって、8日後に入院、9日後に手術と決まった。

手術と言っても個所が個所だし、そんな急に言われても...と家内は逡巡し、避けられるものなら避けたい思いはあったようだが、治すためにはそれしか方法がないとなればウンもスンもなく、辛いけれどもフォローせざるを得なかった。
「黄斑変性」とは、目の網膜の中心にある直径2ミリほどの“黄斑”部が、主に老化により機能が低下するために起こる病気で、そこに“孔”があいてしまった状態を「黄斑円孔」と呼ぶのだそうだ。

家内から、ドクターにそう診断されたと聞いたときには、“まさか選りによって彼女があの病気に...”と、一瞬、耳を疑った。というのは、実はごく最近、仕事がらみでその病名を聞いたことがあったから。広告電通賞の選考会でのことだった。
自分の担当している種目・部門に、ノバルティスファーマという企業からの応募があり、そのタイトルが「加齢黄斑変性疾患啓発キャンペーン」で、この作品は最終的に、プロモーションキャンペーン部門の最優秀賞に選ばれた。

もちろん、広告のビジュアルに“片目ずつの視力自己チェックチャート”を組み込むなどした関心喚起手法の卓抜さが評価されたこともあるが、難しい病気であるにもかかわらずこれまで認知が低過ぎたという問題の解決姿勢が共感を呼んだことも想像に難くない。
そういうことで、自分の頭の片隅にはこの病気に関する情報・知識が、あらかじめある程度インプットされていたので、家内から手術の話を聞いたときには、徒に同情や慰めを言うよりも、前向きに取り組むよう励まし勇気づけることに心を配った。

病院にとっても、急に追加された予定だったので、入院・手術の確定日時は寸前まで二転三転、結局、最初聞いていた予定から1日遅れて入院、即日手術ということになって、慌ただしい雰囲気の中でそのときを迎えた。
ドクターからの話というのは簡単なものでしかなかったので、ネットを通じてできる限りの事前知識・情報は入手していたが、何分にも急なことだったので、車椅子で手術室に入るときの家内の不安感はいかばかりだったかと、察するに余りある。

でも、もう手術は終わった。執刀医が“成功いたしました”と言ってくれたし、その24時間・48時間後の検診でも、“順調に推移しています”とのことだったので、いまは、肩の荷が少し軽くなったような気がする。家内本人はまだまだたいへんだと思うが...。
何がたいへんかと言って、手術そのものもさることながら、最初の数日間は四六時中顔面を下に向けて、ベッドでは終始うつ伏せになっていなければならないのが一番辛いだろう。が、そうしていないと、手術で閉じた網膜の孔が剥離してしまうのだそうだ。

手術当日は、二男が朝方自分の車で家内を迎えに来て病院まで送り届けてくれ、娘が自宅から直行して身の周りのこまごまとした世話を焼き、昼からは入れ替わって自分が、ムッシュを動物病院に預けて駆けつけ、長男は仕事先から合流した。
近年の自分の3回の手術では、家内には昼から夜まで長時間待たせて心身の苦労をかけ、今回は何とかその恩返しをしたいと思っていたが、彼女にとっては幸いだったことに日中でしかも1時間弱で済んでしまったので、その意を十分尽くせたかどうか心もとない。

いまのところ自分は、入院・手術の日から毎日見舞いに行き、子供たちも入れ替わり立ち替わりで顔を出しているが、家内も日一日と、言葉の端々に回復の様子が窺えるようになってきた。ぜひ、このまま快方に向かって欲しいと、毎晩就寝前に祈っている。
そんなわけで、ここしばらくはムッシュとの二人暮らしだが、入院前に家内がいろいろ食材を用意しておいてくれたし、娘も1~2度来てくれるというので、食生活の方は何とでもなると楽観している。けれども、火の用心・戸締りやゴミ出しなどにはやはり神経を使う。

でも、そんなことは、連日病院のベッドで苦行を強いられている家内のことを思えば、愚痴などこぼしたら罰が当たるというもの。多分、彼女は心配していることと思うが、帰ってきたら、笑って、成長した自分(といまさら言うのも変だが)の姿を見せたい。
芝生や玄関先と窓辺の鉢植えの水遣りは、もともと自分の毎日の仕事だから忘れることなくやっているが、留守中の宿題として自ら引き受けた、庭の草むしり、咲き終わったツツジの剪定、生垣の消毒なども、早めに済ませておこうと思う。

いじらしいのはムッシュ。家内が入院する直前ごろから家の中の雰囲気が何となくいつもと違うのを察して落ち着かない様子だったが、愚図るわけでもなく、大人しくいつものように暮らしている。ただ、どうしても、昼寝をしようとしなくなった。
きっと、いまにもママが、“タダイマー、ムッちゃん!”と言って玄関のドアを開けて入ってくるのではないかと思って、気が気ではないのだろう。パパが書斎に引っ込んでいるときには、そうやって何時間も、上がり框のマットの上で正面を見据えて座り込んでいる。

そんなわけで、普段は世話ばかりかけている我々家族一同だが、及ばずながら力を合わせて何とか家事をこなしているので、家内も休心の上、ゆっくりと療養に専念して欲しい。

それでは今日も後ほど、病院に行って来よう。

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