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2013年4月

2013年4月29日 (月)

寒がり爺さんの遅い啓蟄

冬服を一たんは仕舞ったもののまた出してみたり、一進一退する気候に翻弄されながらも暦は着実に進んで、今年もまたゴールデンウィークに突入。ここまで来ればいくら何でも、もう寒さとはお別れできるだろう。
それにしてもこの一月半くらい、嫌になるほど不順な天候が続いていた。“春に三日の晴れなし”とかいう俚諺もあるようだが、今年ほどそれを実感したことはない。その所為だけにするわけではないけれども、先月は最少限の外出しかする気になれなかった。

が、この4月からはさすがに、寒がり爺さんの自分もようやく本格的に始動することに...。上旬の示現会展、中旬の広告電通賞選考会、そして下旬のムッシュの狂犬病予防接種など、毎年決まったタイミングで、恒例の外出スケジュールが入ってくるので、それが刺激になっていやでも動き出さざるを得なくなるのだ。
地中で冬籠りしていた虫たちが春の気配に目を覚ますのは昔から3月と決まっているようだが、自分にとっての啓蟄はだいぶ遅れて、そんな4月ということになる。

例年この季節は、万物の勢いが蘇るという自然の摂理なのだろうか、自分も、アッチが痛いのコッチが痒いのとは言いながらも、総じて体調は上向き。疲労感とか倦怠感とかはなくて、積極的に外出できている。
その皮切りが国立新美術館での示現会展だったが、ウィークデーにもかかわらずたいへんな人出。今年は出展数も多く、鑑賞し終えるのにいつもより時間がかかって少々疲れはしたが、相変らず奇を衒わない正攻法の作品ばかりで、爽やかな満足感を味わえた。

例年なら、館外に出ると満開の桜の花びらが肩に散りかかるところなのだが、今年はその時季は過ぎて葉桜になりかけ。多少風もあり、他には目を楽しませるものとて特になかったけれども、久し振りの六本木だったので、東京ミッドタウンまでブラブラと。
時間も昼過ぎになっていたこととて、ランチに軽い(けれども美味しい)サンドイッチとソフトドリンクでも...と思い、良さそうな店を物色したが、残念ながら気に入ったところが見つからず、そんなに空腹ではなかったこともあって、そのまま帰宅した。

後日、広告電通賞選考会で汐留に行ったときにも、同じ結果になってしまった。昨年までは、六本木ではベーグルカフェに、汐留ではサンドイッチバーに、迷わず入っていたのだが、今年はどうもそれすらがヘビーに思えて、食指が動かなかった。
朝食からあまり時間が経っていなかったということもあるのだが、胃の手術後、節食を心がけているうちに基本的に小食になってしまったようだ。真面目な話、どこかに、お子様ランチならぬ“ジイ様ランチ”でも出してくれるところがあると良いのだが...。

食べ物の話はさておき、その汐留の電通ビルで行われた広告電通賞選考会は、今年から、自分がどちらも担当していた「セールスプロモーション」と「ダイレクト」が、「プロモ&ダイレクト」という部門に一本化されることになった。
せっかく5年前から別々の部門として扱われてきたが、企業のマーケティングの目的とそのための手法の多様化で、実際問題として両者の境界が定かではなくなってきたこともあり、この二つが発展的統合を遂げるのは時間の問題だったのかも知れない。

ただ、自分も再々ここで問題提起しているように、歴史的に新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・ポスターそしてインターネットと“メディア別”を基準にしてきたところに、その後プロモ・公共などという“目的別”が加わった形になっていて、整合性の点で違和感のある現在の部門設定の在り方についても、この辺で一考していいのではないかとも思う。
選考基準も、従来は発想の斬新性や表現の独創性が第一とされてきたが、それもさりながら、明確な成果と費用対効果が当然のこととしてもっと重視されて然るべき...とも。

とまれ、この東京地区選考会が終わって、次は来月下旬の最終選考会。それまで、約一月の間、公務はお休みになるので、陽気もよくなる(だろう)ことだし、ムッシュと3人連れで、清里の山荘をオープンしに行って来ることにする。
今年の春で12歳半になるムッシュも、お蔭さまでまずまず元気。人間で言えばもう60代半ばに相当するところまで行っているわけだが、チットもそうは見えない愛くるしさと人懐っこさで、家族とご近所の人々を癒している。

でも、先日、市主催の本年度の狂犬病予防注射を受けた後は心配させられた。注射後の昼寝から起きたら、その前とまったく様子が変わっていて、元気がなくなりやっと歩いているような状態。一体どうしたことかと思ったが、注射の副作用ではないかとピンと来た。
ネットで調べてみたら、やはりそれらしいとわかり、嘔吐や下痢などそれ以上具合が悪くなるようだったら直ちにペットクリニックに連れて行くつもりでいたが、食欲はあり吐きもせず便も正常、いつも通りに就眠したので、その晩は経過を観察することにした。

翌日も、前日同様、可哀そうなくらい動きはノロノロ。いつもならプリプリとお尻を振りながら小走りに歩み、多少の段差はものともせず駈け上り駈け下りてかなりの距離を喜んで散歩するのだが、その日は大儀そうにして、家から出てもすぐに戻りたがる有様。
普段の朝は7時ごろになると大声で吠えて目が覚めたことを知らせ、ケージを開けてやると元気一杯に跳び出してくるのだが、注射後のまる二日というものは8時になってもワンとも言わず、心配してしまった。

ムッシュの背中 いつものムッシュにほぼ戻ったのは三日経ってから。その間、ケージの中でも外でもひたすら眠って、専ら身体を休めているようだった。こんなことは昨年まではまったくなかったが、やはり彼も、老境にさしかっかってきたということなのだろうか?
だんだん老境はお互いさまになってきて、4年後には自分の年齢と彼の換算年齢が一致するが、そのころもいまとさして変わらぬ日常を過ごせていたら幸せだろうと、散歩中に彼の小さな脊中に目を遣りながら、フと思ったりした。

シリアスに痛いとか苦しいとかいう自覚症状は何もないのに、相変らずあの検査この検診と病院通いが減らない自分だが、この4月には久し振りにグッドニュースもあった。頑固だったピロリ菌の除滅(正確には基準値以下へのダウン)に成功したのだ。
昨年秋から治療(抗生物質の服用)を開始したが1回目では失敗、年が明けてから再挑戦した結果で、1年後にまた確認の検査をすることにはなっているけれども、とりあえず、あの大粒の抗生剤の大量集中服用をしなくてもよくなったことにホッとしている。

余談だが、自分たち夫婦は今年の四月で、世帯を持ってから満50年になった。添い遂げるのが当たり前という保守的な結婚観の持ち主で寿命もそこそこ伸びている我々の世代としては、さして珍しいことでもないと思うが、ともあれ、振り返ってある種の感慨はある。
いわゆる“金婚”ということになるわけだろうから、祝いの席でも設ければ良いのかも知れないが、周りに対して当の本人が言い立てるのも催促がましくてナンだし、どこかでひっそりと、けれどもチョッと張り込んで、ランチでもしようかと、家内と話し合っている。

サテ清里だが、いまの時季、高地にある我が山荘の辺りはまだ少し寒いので、今回はとりあえずオープンだけにしてあまり長居をせず、ゆっくりして来るのは辺りがすっかり新緑に彩られる6月初めごろにしようと思う。

けれども今回の、近づくに従って季節が逆戻りして行くような山への道中と、着いてからの現地の様子は、次回に久々の“山荘四季だより”としてお伝えするつもり。

どちら様も、“ハブ・ア・ナイス・ゴールデンウィーク!”

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2013年4月15日 (月)

私とイギリス

先週、マーガレット・サッチャー元イギリス首相が逝去した...というニュースを目にして、フと自分が、長かった外資系企業ビジネスマン人生の中で、数年間ではあったが、米資企業だけではなくて英資企業でも働いていたことを思い出した。
いや、そのことを忘れていたわけではないから、“フと思い出した”というのは正確ではなく、むしろ逆に、いろいろな意味で忘れかねていたその当時の記憶が、“サッチャー”というキーワードで再びアーカイブから引き出されたと言った方がいいかも知れない。

その英資企業というのは「サーチ&サーチ・アドバタイジング」という国際総合広告エージェンシー。昭和の時代が終わるころだったが、イギリスでは日の出の勢いで成長しつつあって日本にも上陸、自分は請われて、日本法人の経営に参加することになった。
そのサーチ&サーチ(以下S&S)の記憶がなぜサッチャーと結びつくのかと言えば、知る人ぞ知る、このエージェンシーこそが、1979年の英選挙で保守党を大勝に導くキャンペーンを企画・演出し、彼女を首相に推し上げた蔭の立役者だったからだ。

広告表現の独創性もあって、業界ではそのときのことが後々までの語り草となり、その成功がS&S大躍進の大きなステップになったが、一方では積極的にM&Aを推進、世界の名門エージェンシーを次々と傘下に収めて、瞬く間に売上高世界第1位にのし上がった。
自分はその日本法人で、本来はマーケティングという専門分野での貢献を期待されたはずだったが、はからずも、現地トップとして財務・人事・本社折衝という総合広告エージェンシーの副社長としての責務も負うという、2重・3重の役割を担うことになる。

いま思えば汗顔の至りだが、自分はどうやらその辺りで一時期、ある種の自己過信に陥っていた気がする。それまで折角スペシャリストとしての地歩を築いて来たのに、柄にもなく、経営のすべての分野を掌握するジェネラリストを目指そうという欲が出てきたのだ。
その志とそれに向かっての注力は、必ずしも否定すべきものではなかったと思うのだが、残念なことに、運と現実の環境がそれに伴わず、十分に満足できる成果を上げることが適わなかった。もちろんそこには、自分の力不足もあったろうことは否めない。

幸か不幸かその時期は、バブル景気が膨らんで弾けた時代とピッタリ重なり、気がつくとイギリスでは本社が、過度のM&A投資が祟って銀行管理下に置かれる状態になり、経理担当者とは連絡がとれなくなっていた。
そこで止むなく日本で独自の資金繰りをしなければならない破目に陥ったが、このとき、名目だけだったイギリス人社長はすでに退陣しており、数ヶ月間というものは自分が、実質的な最高責任者として内外両面の陣頭指揮をとり、筆舌に尽くし難い苦労を味わった。

外資企業には間々あることだが、そうこうしている中にイギリス本社の旧経営陣はすべて入れ替わり、やがて日本法人にも新しいマネジメントが送り込まれて来て、いつのまにか事実上、自分の出る幕はなくなっていた。
かくて自分は“勇退”せざるを得なくなるわけだが、そこに至るまでのプロセスは米資企業のように単純率直ではなく、英本社からの使者は表面的にはこちらの貢献に敬意を表しつつも裏面では何かと落ち度を探り出し、自発的に身を退くように仕向けてきた。

さすが諜報戦略に長けたお国柄と、米資企業との違いに妙なところで感心したが、そんなことで怯むのは嫌なので堂々と自分の言い分を主張し、こちらから三行半を叩き付けてやった。けれどもよく考えてみたら、それこそ、向うの思うつぼだったかも知れない。
“白豪主義”に譬えるのも少し違うかもしれないが、アジア地区の本拠を日本ではなくてシンガポールに置き、現地トップの上に、オーストラリアやシンガポールなど旧イギリス植民地系の白人(好きな言い方ではないが)を持ってくる人事政策も感じが悪かった。

長年米資企業に馴染んで、いっぱしの国際ビジネスマンになったつもりでいた身には、そういう権謀術策はある種のカルチャーショックだったが、いまとなっては、実に貴重な体験と勉強をさせてもらったと思える心境になっている。
ただ本音を言えば、その数年間は、自分の本来歩むべき道から外れて、マーケティング専門家としては何も充電することができなかったのが、後で悔やまれた。まったく無駄な年月だったとは思わないが、足踏みして、放電する一方だったような気がする。

このわずかな期間の経験だけで極めつけて言うのも短絡的だが、そんなわけで、自分にとってのイギリスは、いつの間にか、働く場所としては残念ながら好ましいとばかりは言い切れない国になってしまっていた。
しかしだからと言って、イギリスという国の個人と風土は嫌いではない。元気なアメリカ・アメリカ人とはまた違う、懐かしさと心の安らぎのようなものが感じられることがあるからだ。オフ・ビジネスや旅先での人との触れ合いの中で、ずいぶんそれを実感した。

最初にロンドンを訪れたのは、いまから四十何年も前のこと。リーダーズダイジェストの時代に、初めての海外出張で米フロリダでの国際会議に出席した後ヨーロッパから極東にかけての各国オフィスを歴訪するという1ヵ月半の世界一周旅行をしたときだった。
日本を出て最初の2週間は、米国内でニューヨークを中心に西から東そして北から南また北へと移動し、次いでイギリスに向かったが、摩天楼が林立し忙しなく人と車が行き交う国からロンドンの市内に入ったときには、なぜか、何とも言えずホッとした。

ほど良く古びた石壁のビルと背の低い交通信号が落ち着いたたたずまいを見せ、街行く人々に道を尋ねても、誰もがとても親切に対応してくれたし、タクシードライバーのマナーも安心でき、季節はまだ春にはほど遠かったのに、大気さえ暖かく思えた。
経済は実際には低迷していたのかも知れないが、“揺篭から墓場まで”と譬えられた社会福祉が充実していた時代のこの国の人々はみんな穏やかで、訪問した英オフィスの人々も上から下まで、まだ旅慣れていなかったこの日本人を、1週間、大歓待し続けてくれた。

初めてのアメリカもエキサイティングだったが、イギリスもすっかり好きになった自分は、その後、アムステルダムなど欧州での国際会議があった際には、取引先企業のロンドン・オフィスなどにも用件をつくって、帰途に立ち寄り旧交を温めるようになった。
もちろん仕事がらみだが、ビートルズがオーディションを受けて不合格になったというデッカ・スタジオを見学したり、当時の話題ミュージカル「オー!カルカッタ」を観にウエストエンド(確かアデルフィ劇場?)に連れて行ってもらったことが忘れられない。

リーダーズダイジェストを退社した後しばらくは、イギリスに縁がなくなっていたが、S&Sでのクライアント「ブリティッシュ・エアウェイズ」(英国航空)とは個人的にも親しくなっていたので、十何年振りかでまた、イギリスを訪れる機会ができた。
1991年の湾岸戦争で国際線乗客激減という営業的打撃を蒙った英国航空が、欧州線利用促進のため、あえて停戦直後に、“東京―ロンドン+欧州内1都市往復運賃5万円”という特別ツアーを企画、自分もプライベートの資格でそれを利用できることになったのだ。

たまたま娘が高校を卒業し大学に入学することになっていた春休みだったので、そのお祝いを兼ねて家内と3人で参加し、ロンドン4泊+ローマ3泊というコースをとったが、彼女たちにとって初めてのロンドンは、予想以上に楽しめたようだった。
ハイドパークやテムズ河畔の散歩、リージェントストリートやボンドストリートでの買い物、ハロッズでのアフタヌーンティー、ウィンザー城への遠出、ホテルの傍の何でもないカフェでの朝食...等々、イギリスは彼女たちの心にも、忘れ難い思い出を焼きつけた。

早いもので、あれからもすでに20年余り、その間公私でフランスやイタリーやドイツには何度か旅することがあったが、なぜかイギリスには立ち寄る機会がなかった。
いまは、体調の問題とムッシュのことがあるので、海外旅行に出ることそのものがなかなか難しいが、できればイギリスには、もう一度行っておきたい気がする。

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2013年4月 1日 (月)

花冷え

やっと待ち望んでいた4月になった。3月という月の間は、まだどこか“春は名のみの...”という季節感から抜けきれなかったが、4月の声を聞くともう“春本番!”という気分になるのは自分だけだろうか?
でも今年は、寒暖の移り変わって行く様子がどうもおかしい。先々週の前半などは、彼岸前なのに晩春か初夏かというほどの陽気になったかと思うと、その週末から先週にかけては、一転、ひと月前の肌寒さに逆戻り、おまけに冷たい雨まで降った。

おかげで桜の名所はどこも、開花が予想外に早過ぎてしまって、イベントの予定日とタイミングが合わず大慌て...したかと思うと一方、お花見は雨に祟られたり寒さに震え上がったりする始末。こちらも何となく、春を楽しむ調子が出ない。
あの、一気に気温が上昇した数日は、もう冬着とは完全にお別れと思い、内でも外でも重ね着する枚数を思いきって減らしたが、いくらも日を置かないうちに十度以上も気温が下がって、またもとの黙阿弥。こうコロコロ気温が乱高下しては、年寄りは身がもたない。

御嶽神社の桜ただ、今年の桜の花は、早咲きした割には長持ちしている。5分咲きに気がついたころからすでに10日以上経つけれども、いまだに満開状態を保っているのは、途中で一度寒くなったのがかえって幸いしたのかも知れない。
いつもなら1週間であらかた散ってしまうご近所の御嶽神社の桜も曇天の下で健気に咲き続けているし、近辺の人気の桜並木、たまプラーザの駅前通りやカリタス短大横の桜通りにも、依然として観桜の人出が絶えない。

このような、桜の咲く時期に陽気が定まらず季節が逆戻りして一時的に冷え込むことを、俳諧の道では風流に“花冷え”などと呼んでいるようだが、こちとらご老体としては風流だけでは済まされず、体調への微妙な影響があったりする。
この季節は、いきなり上がったり下がったりする気温に交感神経と副交感神経のバランスがとれなくなり、毎年のように、どことない不調が生じてはホームドクターに“自律神経失調症ですナ”と診断され、とりあえず...と、トランキライザーなどを処方されてきた。

が、今年の春はどうも、そんな不定愁訴だけでは済まなかったようだ。あの、急に気温が下がった日の朝、目が覚めてみたら、首筋から肩そして肩甲骨の内側と二の腕から肘にかけての辺りまで右上半身が固まったように痛くて、どうにも動かしにくくなっていた。
以前から慢性的に肩凝り症だったので、その朝の寒さにベッドの中で縮こまっていたことでそれを昂じさせたかと思い、起床してからしばらく、肩を回したり首を回したりしてみたが、いつものようには動かない上に、凝りというよりは痛みがキツくなるばかり。

そんなとき、肩凝りぐらいは運動で治す...と称して、身体を動かしているうちに症状が軽くなり、多少は気になるところが残っても、そういう体質だからと自己納得していたのがいつものことだったが、今回はどうもそれでは済まなさそうだという感じがした。
食事の箸の上げ下げや、ムッシュを散歩させるときのリードやバッグにも妙に重みを感じ、右腕を浮かすような姿勢をするとき酷く疲れるのだ。パソコンも、キーボードを叩くのはともかく、マウスのクリックがいちいち辛い。

こういう症状に陥った場合、皆さんだったらどうするだろうか?常識的にはまず整形外科に診てもらうということになるのだろうが、自分の再三の経験では、一般の整形外科で問題が解決したことはなかった。
これまで、似たような症状で3院ほどかかったことがあったが、どこでも、頸椎などのX線写真を撮って、牽引や電気刺激やレーザーなどによる物理療法を施され、注射を打たれたり鎮痛剤や湿布を投薬され続けるだけで、快癒の見通しは一向に立たなかった。

自分のような症状には、これに対して、整体・整骨・カイロプラクティックなどの伝統的な手技によって施療する一派があるが、以前、整形外科では治らなかった腱鞘炎のような症状で整体院にかかり、そう長期間を要せず快癒したことがあった。
もう8年前になるが、「体系ダイレクトマーケティング」を上梓したとき、1年余の間猛烈に原稿書きに集中したため、右腕が肘を中心に肩から手首・指まで、痛いような、痺れるような、ダルいような感じになって、上がらなくなったときのことだ。

整形外科では必ずしも腱鞘炎と言われたわけではなかったが、対症療法を繰り返すばかりで治癒の度合いがはかばかしくなく悩んでいたところに、良い整骨院があると紹介してくれた方が近所にいて、物は試しと通い始めた。
その整骨院では、そのときの自分の症状を“俗に言うハネムーン・エルボーですね”と診立てたが、そんな心当たりはないので“冗談でしょう”と言ったら、正式には“撓骨神経麻痺”と言い新婚さんの腕枕以外の原因でもなることがあると聞いて納得。

余談はさておき、そのときは10回余り通院してほぼ軽快した(自己判断だったが)ので、保険が利かなくてけっこう高額なものにはついたが、そこの治療法は確かに効果のあるものだと信頼するに至った。
で、今回も、ずいぶん久しぶりだったが、迷わずまた訪れた次第。8年も経ったのでスタッフの顔ぶれはさすがにほとんど変わっていたが、相変らず、整形外科ではなかなか治癒成果が得られないという、悩める老若男女で賑わっていた。

今回の自分の症状に対する診立てはこうだった。考えられる原因は、パソコン作業による身体の特定部位の反復的過剰使用による勤続疲労ということもさりながら、より根本的な問題は、その際の不正な一定姿勢の継続による筋や筋膜の過緊張だ...と。
その緊張が限界を超えたために、本来備わっていたはずの身体バランス調整機能が崩れ、今回のような症状として発現したのだということで、要は、パソコン作業の量よりもむしろその姿勢とペースに問題があったということらしかった。

身体的緊張感とバランス回復機能という点では、やはり、60歳台だった8年前とくらべて衰えは隠すべくもない状態になってしまっており、この冬の寒さとここに来ての花冷えが、それに輪をかけたということになるようだった。
度重なる入院・手術も無事にやり過ごし、風邪もひかず元気いぱいに過ごしているつもりだったが、意外なところに伏兵がいて、いまさらながら、無理はできぬと自分の齢を思い知らされた。

今度のことではまだ2回しか通院していないが、“健骨美勢”(正しい骨格、良い姿勢)を実現するというこの治療院の“身体調整”という手技は、確かに効き目が顕著で、早くも、ずいぶん腕や肩の固さが取れ、軽く動かせるようになった。
自分でも、同じ姿勢を長く続けないようにして、合間合間に“肩回し運動――両肘を水平に上げ、指先を肩に付けて、息を吐きながら前後に回す”や“手指反らし体操”をすると良いと教わったので励行しているが、これは効く。気持が良くなる。

テナわけで、最近は寒さがぶり返すしそのせいか首や肩が凝るしで、正直のところ、外面はともかく内心はいささか憂鬱だったが、それを察してどうか家内が用意してくれた昨晩の食事でいっぺんに機嫌が治った。

筍ご飯木の芽添え旬のタケノコの炊き込みご飯に、我が家の庭で摘んだ木の芽を添えて、味噌汁もタケノコ。“筍づくし”は吾が輩の大好物だ。

花冷えのころには、たまに嬉しいこともある。

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