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2012年9月17日 (月)

我が加齢なる日々

本日9月17日は「敬老の日」...だけれども、“だからどうした”とツッこまれると、とりたてて深い感慨があってそう言ったわけでもないので返す言葉に詰まってしまう。この日は、毎年あまり気にすることもないまま遣り過ごしていたが、なぜか今年は少し意識した。
考えて見れば、チョッと前に、後期高齢者になったということでこれまでよりもエラく高額になった国民健康保険料の通知書を受け取って、この国は敬老どころか高齢者に酷い仕打ちをするものだと腹を立てたことが印象に残っていたからかも知れない。

ナーニが敬老の日だ!自慢にゃならないがこちとらこれまで、町内会や子供たちからの敬老プレゼント以外には、どこでも、敬老されたという思いなどしたことない。もっとも、あまり敬老々々と年寄り扱いされるのも好きではないが...。
本当に身体が不自由になったら、他人の善意は有難く受け止めようとは思うが、自分がいわゆる高齢者になったからといって、ことさら弱者ぶって何かと露骨に他人の助けを期待したり要求したりするのは感心しないとかねがね思っているので...。

でも本音を言えば、座席が満員のバスや電車に乗ったとき、自分も含めた明らかに年配者と思える他人が前に立っているのに知らんぷりをして(またはケータイなどに夢中になって)いる若年者が多い現状にはムカつく。
自分は恰好つけだから、よほど具合が悪いときでもなければ“座らせて欲しい”と頼み込む気はないが、明らかに自分などよりずっと高齢の方がそうやってシカトされているときには、見かねて思わず横から口を出したくなる。

そんな場面には、出かける度によく出くわすけれども、実際問題として自分が当事者であるとき、席を譲りましょうと声をかけられた験しは先ずない。マアいいのだが何となく残念で、一度くらいは敬老の意を表されても悪くないのでは...と思わないでもない。
反対に、シルバーシートだから遠慮は要らなかろうと思って座っているとき、同年輩かもしかしたら少し下ぐらいの年恰好のお年寄りに前に立たれ、譲って欲しそうな顔をされて、サテどうすべきかと困ってしまうことがある。

相手が女性だったら、そういう顔をされる前に迷わず声をかけて自分から立ち上がるが、男性の場合にはビミョーな内面的葛藤があり、どうしたものか戸惑ってしまう。特に、“譲れョ”と言わんばかりの威張りくさった態度のジジイに対しては、大人げないとは思いつつも、反感が先に立つ。
...とあれこれ、悩むほどの問題でもないが、実を言うとこのごろは自分も、乗物の中で20~30分も立ちっ放しでいると、腰から下が棒のようになって、座りたいと思うことが多くなってきた。やはり、齢は争えないということなのだろうか?

だがそういうときでも、恥も見栄もなく頼み込むということができないのが、自分の悟りの足りなさ。なまじ未だにお洒落に未練があって実年齢に相応しくない形振りをしている手前、ツイ何事もないように装ってしまい、敬老されるチャンスを逸する。
この若づくりのために、他所でも、思わぬ目に遭うことがある。過般、“終活セミナー”に通っていたときもそうで、同年輩者同士の集いなのにいつの間にか若手扱いをされ、損な役回りを押しつけられたりして、何となく割り切れぬ思いをした。

でも、いつまでも若くありたい、若く見られたいという思いは、齢を重ねるほど強まってくるものだから、年甲斐もないとは思っても、若づくりが確かに効を奏してこういう目に遭うのは、痛し痒しではあるが、嬉し恥かしくもあるところ。
せっかく若く見てもらっている(らしい)のに、何も自ら実年齢相応に老ける必要もないと思って、入院・手術を繰り返してボディーが一気にスリムになったのを幸い(?)に、これでもいまは、その体重・体型を維持すべく食事や運動に気をつけている。

運動と言っても、筋力トレーニングというほどではなく、ムッシュの散歩を兼ねたウォーキングやストレッチング程度の有酸素運動で、無理はしないようにし、食事は家内の協力も得て、低脂肪・高蛋白・多野菜の“腹八分目よく噛んで”を心がけている。
お蔭で...というか、この夏の猛暑続きにもバテず熱中症にもならず風邪などもひかず、体調は絶好、先日の内科の血液検査でもとても好ましい数値が出たとドクターが言っていた。やたらエアコンに頼らず、自然に汗をかいているのもいいのかも知れない。

とは言え、そこはトシがトシだから、どこも何ともない健康体というわけには行かない。古希を過ぎたころから、加齢が原因ということで甲状腺機能低下症と診断され、体調を正常に維持するため、毎日サプリメントというか薬の服用を欠かせない身となった。
加齢と言えば、先日どうも眼の具合が悪い(朝起きたとき片目が開けにくい)ので久し振りに眼科の扉を叩いたが、あれこれ検査してもらった結果、心配するようなことは何もないと言われ、眼薬が切れてもまだ少し違和感があるので再診を受けに行ったら、それくらいのことは齢になったら仕方がないのですと説諭され、薬ももらえず追い返された。

このごろ自覚するのは、やはりモノ忘れが多くなったこと。家内から何か用事を頼まれて後でやろうと思っていると、ほぼ必ず忘れてしまうので、言われたら直ちにやるか、メモをとって目立つところに置いておくかするようにしている。
何しろ、3つ聞いたら必ず1つは忘れるという、自慢にならない忘却の3割バッターなのだが、忘れる以前のそもそも聞くときに真剣に記憶に留めようとしていないという、いい加減さを指摘されることもある。

それでも、頼まれごとはそうやって何とかこなして行けるが、自分がツイ今しがたとった行動も忘れたり記憶に残らなかったりすることがときどきあるようになってきたのには、我ながら困ってしまう。(これって、かなりアブナイ症状では?)
たとえば、朝食や夕食の味噌汁の実とか付け合わせのオカズ。自分は健康管理とボケ防止の意味もあって毎食のメニューを記録することにしているのだが、これが意識に残らないことがタマにあって家内の助けを借りる始末...それでは何にもならないのだが。

清里の山荘から帰るときの諸電源のスイッチOFFや各ドアの施錠もそうだ。昨日今日ではなくてもうだいぶ前からのことだが、毎回、チャンとやったはずのことに自信が持てなくなって、念のためと再三戻って見直すこともしばしば。
だからいまは、家内と自分のそれぞれの持ち場について各自指差確認の上相互チェックすることにしている。横浜の自宅の方のセキュリティも、ときたま忘れることがあるのは例外ではないが、セコムのアラームがそれをカバーしてくれているので助かっている。

しっかり者の家内も、このごろタマに、外出するときに老眼鏡を忘れたり、ケータイを携帯しそこなったりするようになった。自分などは、なぜかそういう物は忘れないが、日常の言動がカラッキシ駄目で、それぞれ違いがあるものだと妙に納得している。
そんな二人に共通しているのは、テレビ番組の出演者や場所などを話題にするとき、なかなか直ぐにタレントの名前や地名などの固有名詞が出て来なくなったことで、いつも“ホラ、アレ、あの...何ていったっけ...”と言い合っている。

自分はいま、どうでもいい昔の雑学的なことはチャンと憶えているし、家内も、忘れて欲しいと思うようなコチラの過去のことまで鮮明に記憶しているが、いつの間にか二人とも、現在のそのときそのときのことは、意識的な記憶の努力を必要とするようになった。
そういう諸々のことでドクターに相談しても、たぶん、“加齢のせいです...仕方ありませんね”と言われるのがオチなのだろうナ...。

加齢はつらいよ...。

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