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2012年6月25日 (月)

たかがブログ、されどブログ

生来の低血圧体質のところに梅雨で、このごろ身体がカッタルくてたまらず、それが精神的にも影響して、何かをしようと思ってもどうにも気分が乗らない。家内から頼まれている庭仕事も口実を作っては一日延ばし、自分のデスクワークにもなかなか取りかかる気になれず、エンタテインメント系の本を読んだりテレビを見たりして、ダラダラと時を過ごしている。このブログも、最初週1だったものをいまは2週に1度にし、十分時間を置いて頭の中が切り代わったところで次の回に取りかかれるようにしているのだが、それも、ネタが思い浮かばないうちにすぐにアップ予定日がやって来て、焦ってしまう。
たかがブログぐらいで何を苦労しているのか、そのときそのときにあったこと感じたことをそのまま書けばいいのではないか、とお思いになる向きもあるかも知れないが、自分の場合は勝手に連載エッセイでも書いている積もりになっていたので、あらかじめカテゴリーやネタの方針、文量や表現スタイル、頻度やアップ曜日などを決めておけばそれに沿って楽に書いて行けるのではないかと思っていたところ、それが逆目に出てしまったようだ。誰に要求されたわけでもなく自分で決めたことなのだが、いまでは日々それに縛られて、ブログを書くことが必ずしも楽しみばかりでなく、プレッシャーにもなりつつある。

されどブログ...思えばここまでよく続いている。もう6年半、回数にして260回以上、1回平均4000字あまりという結構な文量で書いているし、山荘ネタ以外は基本的に同じテーマを繰り返し取り上げないようにしているから、いい加減息切れがするわけだ。誰も何も文句を言っているわけではないのだからあまり堅苦しく考えず、似たようなネタを何度も繰り返したり、あるときは長くてもあるときは極端に短くなったり、また自分で決めているアップ日(隔週月曜)に間に合いそうもないというケースがしばしばあったりしても、あまり気にしないようにした方がいいのかとも思う。
そもそも自分は、滑稽にも独り合点して意識過剰になり過ぎているのかも知れない。アップ予定日直前になっても何も書くことがまとまらないでいると、もし遅れたりしたらその日をチャンと覚えていて読みに来て下さる方の期待を裏切ることになって申し訳ないなどと勝手に思い込んで、何とか間に合わせねば...などと焦りまくるのだ。よく考えれば、流行作家の人気連載などではないのだから、自分のブログがそんな風に期待されているということはあり得ないのだが...。マイペースのようでいて半面、変に几帳面なところもあるB型人間の弱点が出てしまっているのだろう。

それにしてもここまで来ると、いかに気分が乗らなかったりネタに悩んだりすることがあっても、そう簡単には書くことを止められないし、予定日に遅れることさえ心苦しくなる。これも勝手な自分だけの思い込みだろうが、そんなことをすると何だか、長い間の友人との約束事を違えることになるような気がするし、大袈裟に言えば、それをしないと世の中から忘れられて行ってしまうような気さえしてくるからだ。別に、ブログ以外の外部との関わりを一切絶っているわけでもなく、友人たちとの交流もご近所付き合いも公私のコミュニティへの参加も、そこそこ欠かさずにいるというのに...。
筆が進まない(キーボードを打つ指が動かないというべきか?)ままに、もし突然このブログを休んだり止めたりしたら...などと仮想したこともこれまでに何度かないではなかったが、その度に胸が苦しくなるような罪悪感に襲われ、またそうしてしまったときに押し寄せて来るであろう空虚感のようなものを想像して、思い止まった。第一線から引退して気ままにマイペースで仕事を続けて行くことに決めたときに、公私にわたる外部との関係を維持するためのほんの自己アピールの手段として始めたはずだったが、どうやら、いつの間にかそれ自体が目的化してしまったようだ。

なぜそんなことになってしまったのか...いろいろ考えてみたが、原因の一つは記名記事にしていることにあるような気もする。これまで築き上げてきた(というほど大そうなものでもないが)自分に対する世間の評価が変わったり下がったりするのを恐れ、あまりにも私的で誰の興味も惹かないようなネタは意識して避け、何とか共感を得たい、面白かった参考になったと言われたいと、気張り過ぎて自縄自縛に陥っていた。実は、何でも良ければネタは結構思いつくもので、匿名だったらもっとサクサクと書けていたのかも知れない(もっともそれでは読みに来てくれる方もいなかったかも知れないが)。
もう一つの原因は柄に合わないエッセイスト気取り。以前にも述懐したことがあったが、菲才を顧みず若いころ文筆家を夢見ていて果たせなかったので、ここを一つの疑似体験の場に見立て、ささやかな自己満足をしていた。文体や用語に必要以上に凝っていたつもりはなかったが、勢いで書きっ放しにした方がむしろブログらしくて良いものを、妙に何度も推敲したりして、ムダな神経を使ってきたようだ。誰も自分などのブログにそんなものを求めていないのに、独りアアでもないコウでもないと呻吟していた様は、傍から見れば笑止千万なものだったに違いない。

書けない苦しさ紛れにとんだ弱音を吐いてアレコレ自己分析をしてしまったが、サテこれからどうしようか...と考えるまでもなく、結論は決まっている。自分にとってのブログはもはや単なる備忘録を超えて、大袈裟に言えば、いま自分らしく生き続けるための“よすが”になってしまっているので、ネタ切れとか気分が乗らないとか言って止めたり休んだりするわけには行かない。このブログは言ってみれば、自分にとって、私から公に向けて開け放った覗き窓であり、現在を映すと同時に過去をも照らす反射鏡であり、ひとときの安息を得るための小空間にもなっているのだ。
加えて言うならばそれは、いまや自らが自らに課した仕事のようなものにもなっており、ともすれば無為に陥りがちな日常の生活に一定のペースをつくり、たぶん、ボケ防止に一役も二役も買ってくれているはずでもある。考えをまとめたり展開したりするためになけなしの頭を使い、それを文書化するためにキーボードを叩いて、近ごろ不器用になってきた指先を使うからだ。ただ自分の場合、生来の自己中心気質のため、コミュニケーションがほぼ一方通行になり、せっかくコメントを寄せてくださった方との交流がマルチに発展せず、これはソーシャルメディアの利用し方として如何なものかという思いはある。

コメントしてくださった方にマメにコメントを返してまたコメントをいただいて...というやりとりが、何だかきりのない重荷になるような気がして初めから逡巡してしまうのだ。極端な人見知りを自認しているわけではないが、誰とでも満遍なく付き合っていけるマメさとソツのなさを持ち合わせている方ではないというグータラさ加減が災いしているのかも知れない。
だから、よく勧められるが、TwitterやFacebookはやる気にならない。他人のつぶやきや発信を四六時中気にかけてまたそれに反応するような神経の使い方には自信がないからだが、別の見方をすればそれは、単に自分の年齢の高さとネットリテラシーの低さの問題かも知れない。もっとも、自分がまだ現役でバリバリ仕事をしている立場だったとしたら、話は違ってくるだろうが...。

そんなわけで今回は、ブログは何とか書いているがソーシャルメディアをソーシャルに使いこなせていない中途半端な後期高齢者の、愚にもつかない繰り言で失礼をいたしました。何だかんだと言いながらも、フィジカルが許す限り、今後ともこのブログは続けて行くつもりでおりますので、よろしかったらご贔屓のほどを...。

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コメント

先生の記事には気づきが多く、日々に紛れて後回しにしがちな重要事項が、本来の優先順位に引き戻される心地がします。これからも無理のないペースで続けて頂けると嬉しいです。(くれぐれも、ご無理のないペースで!)

投稿: Betty | 2012年7月 4日 (水) 11時23分

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