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2012年5月

2012年5月28日 (月)

“終活”セミナー

町内の回覧でフと目にした呼びかけがキッカケで、いま、高齢者向けのあるセミナーに通っている。と言っても、俳句や詩吟などの趣味の講座ではない。老後をより良く生き、逝くための勉強会とでもいうか、さるNPO法人から講師を招いて近くの特別養護老人ホームが企画・主催した、いわゆる“終活”セミナーだ。“就活”ならぬ“終活”とは、自分も最近になって知ったのだが、人生の最終章を自分にとってより良く理想的なものにするためそれに向かって行う準備のことで、たとえば葬儀のスタイルやお墓のこと、遺産相続のことなどを生前にとり決めて置くことを意味するらしい。
週1日で全10回、約2ヵ月にわたるそのセミナーで取り上げられるテーマは、“エンディングノートを書くと自分の生き方が見えてくる”、“元気なうちに考える自分らしいお葬式とお墓のこと”、“もしも認知症になってしまったら...”、“医者や薬との賢い付き合い方”、“自分らしい人生の旅立ち~ターミナルについて考える”、“残された大切な人に宛てる置手紙~自分らしい遺言について”、“老後の住処~どこで暮らすことを望みますか”...などなど、どれも齢をとったら無関心ではいられないことばかりで、毎回、それらの講義・Q&Aの後に軽い体操レクリエーションがついている。

これまでこのようなことは、自分でまったく考えたことがないわけでもなかった。そういったことについての記事も読んだし、テレビ番組も視て、自分たちもそろそろ備えておかねばということが頭の中にあったのは事実。またこのところ、同世代の親族やご近所の方々を見送ることがたて続けにあり、自分も、手遅れだったらいまごろこんなにしてはいられなかった病気で入院手術したことなどもあって、自分にもしものことがあった場合、後に残る家族の負担を最小限にするような準備を自分が元気なうちにしておかなくてはと再々考えるようになり、あまり楽しい話題ではないとは思いつつ家内と話すこともあった。
そして自分自身としては、いわゆる「エンディングノート」――万が一に備えて自分の人生の終盤から死後までの諸々のことについての希望をメッセージとして残すためのノート――をまとめることに、そろそろ着手しなければと思っていたところだった。と言っても、正直、どんなことをカバーすべきなのか、どういう順序・形式で書けば良いのかなど、系統立てて考えたこともなかったし、見当もついていなかったので、自分にとって今回は願ってもない機会だった。しかしそれにしても、他の参加者の方々が、いわゆる“終活本”などで、すでにかなりの勉強をされているらしかったのには驚いた。

セミナーは今月の半ばから始まって、まだ、“エンディングノート”と“お葬式・お墓”の2回を終えたばかり。参加者は40人ほどで8割方は女性、中にはご夫婦での参加者もおられた。お見受けしたところ、だいたい自分と同年輩か少し上かも知れない方々。こういう集いに積極的に出て来られるわけだから、もちろん皆さん、心身ともにお健やかの様子。初回の自己紹介では朗々と歌まで披露された方もいて、さすが歌好きの吾輩も顔負けしたが、講義が始まると皆真剣に講師の話に集中し、質疑・応答も活発に飛び交った。自分も、遠慮なくそれに加わらせていただいたが...。
話を聞いてみると、すでに配偶者を亡くされたり、ご自身が生死の間を彷徨う大病を経験されたりという切実な事情をお持ちの方も少なからずおられたし、身近な方の葬儀・お墓のことで、わからないままに葬儀社やお寺の言うなりにしていたらとんでもない費用がかかったという体験を披露された方もいた。そして第2週目の葬儀の話の回では、講師の問いに対して、“自分のお葬式は簡素に”、“戒名は不必要”という回答の方が圧倒的多数を占めて、昨今の同世代の考え方が改めて確認された感があったし、途中の儀礼・イベントを一切省く“直葬”を望むという方が意外に何人もおられたのには、少々驚いた。

自分の場合、エンディングノートを書き始めようとしてもまだまだ考えがまとまらず、あれこれ迷っているばかりだが、その原因の一つとして、そういうものに自分だけの立場から希望や理想を連ねることが却って残された者に苦労をかけることになりはしないかという、根本的な疑問がある。故人が生前から切望していたことがわかったとしても、経済的やその他の理由からそれを実現するのが難しいということは大いにあり得るし、趣旨が事後に遺族が困らないようにというのであれば、むしろ“遺族にとっていちばん都合の良いやり方で”というメッセージを残しておくのが正解ではないかと思ったりもする。
とすると、自分の頭の中だけで考えを独走させるようなことをせず、オープンに家族と話し合って、自分の希望を述べると同時に家族の意見を取り入れて計画をまとめ了承をとりつけておくのが妥当のような気もするが、そういうプロセスを経てなおかつ自分の希望を実現するのも、現実にはなかなか難しいことと思う。たとえ家族とはいえ人それぞれに考え方が異なり、何もかも望むような方向へと結論をリードすることは困難なのが普通だし、第一、こういうテーマで感情を交えず冷静に理性的に家族間で話し合いをするなどということが、そもそも無理かも知れない。

でも、それにもかかわらず、万が一ということがあったときの遺族の手間を最小限にするためにあらかじめ本人が準備しておけることは間違いなくいくつかはあるので、いまは先ず、そこから手を付けることにしようと思っている。手始めは訃報の送り先名簿。これは、毎年アップデートしている年賀状の宛先ファイルがパソコンに入っているから、これを編集すればそのまま(?)使い物になる。メールだけで挨拶し合っている方もあるので、そのデータも加えておかねばならないが...。そのときになったらすぐにわかるように、デスクトップ上にアイコンで保存しておこう。
遺影用の写真も、たまたま適当なものがある。一つは、かなり大判のパネル仕上げになっているプリント。何年か前に業界誌の表紙になったときのもので、プロが撮影し、記念にと作ってくれたもの。白黒だが、自然な笑顔になっているので自分では気に入っている。カラーのものは、データとして何枚か、やはりパソコンに入っている。ウエブやパンフレットに掲載するためにプロが撮ってくれたものと素人が撮ったスナップがあるが、大きく伸ばしたことがないのでどれが良いかわからない。マアこういうものは、遺族に好きなものを選んでもらったら良いのだろう。

エンディングノートには、お葬式やお別れ会で流して欲しい音楽の曲名などを書き込む欄もあるようだが、遺族にわがままを聞いてもらえるようであれば、これはぜひお願いしたいところ。きっと、旅立った本人と残った人々の間を目に見えない糸でつなぐような何かを、その場のそれぞれの方々の胸の中に去来させてくれるはずだからだ。と言っても、一曲だけしか選べないとなると、いささか迷いが出る。クラシックの大曲を1曲だけということにするか、それともいっそポピュラー・ナンバーをメドレーにして次々と流してもらうか...。自分にとっては後者の方が、らしくていいかも知れない。
...などと、基本的なことの準備をし始めているはずなのに妙にディーテールばかりに気をとられているのは、自分の中にまだまだこのことに対する切迫感が足りない証拠だが、現実、有難いことにいまはすこぶる元気なので、どうもいまひとつ真剣に“終活”に向き合う気分になれないというのが正直なところ。そんなことを言っていては、このセミナーに参加している意味がなくなってしまうのだろうが...。過去2回のセミナーの内容を家内に報告しようとしても、家内もあまり聞きたがらない。病気から回復したばかりなのにもうそんなことを話し合うなんて...という気持ちなのだろうが、それもわかる。

...と、このことについては勉強中、試行錯誤中だが、10回のコースが完了するころにはもうちょっと考えの整理がついて、どうすべきか、何をすべきか、何から始めるべきかが見えるようになっていると思う。
ともあれ、普段の生活の中では誰に尋ねたらいいのかなかなかわからなかった問題について、一通りの話を聞くことができそうだし、相談したいときの受付窓口があるということもわかっただけでも、まずは今回のセミナーに参加した収穫があった。

人前で講義をするのには慣れているが、じっと拝聴だけしているのは苦手な方なので、果たして最終回まで保ちますかどうか...真面目に通い抜くつもりではおりますが...。

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2012年5月14日 (月)

宅配と訪問販売の間

ムッシュと散歩している途中で、ご近所の何軒かの家の前に食事宅配会社の車がとまっているのをよく見かけるようになった。ご高齢の夫婦二人だけかどちらか一人だけのお宅だが、そう言えばいつの間にか我が町内にも、そういう、いわゆる高齢者世帯(我が家もその中の一つになるのかも知れないけれども)が増えた。どこかの団地やマンションのように“孤独死”などという話しは、さすがにこれまで一度も聞いたことがないが、どのお宅も、かつては同居していた子供世代がとうに巣立って、いまでは2世代以上にわたる家族で同居しているお宅はごくわずかしかなくなってしまった。
先日、生垣を剪定していたら通りかかって、“お元気ですナ、お若い!”と声をかけて来られた裏のTさんも、聞けばもう88歳とか...やはりご夫婦二人だけの暮らしで、運転も止め、杖をついて時たま歩いてはおられるが、奥さんが日常の買い物に出かけるのもだんだんお辛くなってきたようで、食事の宅配サービスを重用していると言っていた。幸いまだ若い(?)我が家の場合は、同じ夫婦二人暮らしでも、車であれ徒歩であれ出歩くのに不自由しない(というよりもむしろ積極的に外出するのが好きな方だ)し、これまで食事の宅配サービスというものは、受けた経験はもちろん、考えてみたこともない。

とは言え、将来のことはわからない。もしかしたらいつかそのお世話になることがあるのかも知れないが、そういう食事をしている自分たちの姿はどうも想像できない。根拠はないが自分たちは、おそらくグッドバイ寸前まで忙しく動き回っているような気がする。が、宅配という商品入手方法の便利さは、いまでも、好きで利用しているネットショッピングですでに十分認識しているから、我が家の場合には、買い物に出かけるのが苦労になったら、完パケの食事ではなくて、自分で調理するための食材やせいぜい惣菜を届けてもらう、“ネットスーパー”利用の方向に走るということはあるかも知れない。
...と言う程度の関心しかいままではなかったのだが、調べてみると宅配は、単に物流の形態としてだけではなくて、商品・サービスと結びついたビジネスのかたちとして急激に成長していることがわかった。通信販売などの諸々の商品の配送手段という意味でだけはなくて、ある特定の商品または商品ジャンルの全マーケティングプロセスというニュアンスにおいてということだ。特に、食品・飲料分野での事業展開が積極的に進められているようで、製造・流通小売・サービスなどそれぞれの業態から、さまざまな企業が参入しており、市場規模は1兆円を優に超え、2013年には2兆円に迫ると言われている。

ただ、一口に“食品宅配”と言っても、事業母体、扱い商材、顧客開拓・受注チャネルなどの違いによって、いくつかのパターンに分かれるようだ。事業母体としては、食品・飲料のメーカーもあればその流通・小売業者あるいは関連サービス業者、さらに異業種からの新規参入もあり、扱い商材としては、調理済み食事から惣菜、加工食品・生鮮食材、またミネラルウォーターまで、そして顧客獲得・受注については、インターネット・チラシ広告、店頭告知・紹介などから定期カタログやメルマガの配布、そして電話・ファックス・メール・訪問などにつなげるチャネルがあるようだ。
参入している個別企業を見ると、すでに実績があり一般にも名の知られている事業者としては、パルシステム(生協)、イトーヨーカ堂、西友、イオン、セブンイレブン、森永乳業、明治乳業、サントリー、ワタミ...などがあり、ローソン、紀ノ国屋、マルエツ、サミットストア、ユニー、三越、キューピー、マクドナルド...などがそれらを急追、食品流通市場の川上から川下までにわたるあらゆるポジションの企業が入り乱れて、特に、スーパー、コンビニエンスストア、乳製品メーカーなどの業界では、同業者間での熾烈な競争が繰り広げられている。

それかあらぬか、先日我が家は、望んだわけでもないのに、ライバル関係にある乳業2社の宅配契約勧誘の訪問を、たて続けに受ける破目に。先に来たのは「森永」だ。ある日、家内が買い物に出かけていて自分とムッシュとで留守番をしていたとき、インターフォンのチャイムが鳴った。モニター画面を見ても、ダークスーツ姿の若い男性としかわからず、ムッシュが大声で啼きたてるため何を言っているのか聞えないので、もしや取引銀行の新人担当者が挨拶にでも来たのかと、とりあえず顔を出した。すると、年配のやはりスーツ姿の男性と二人連れで、若い方が何かモゴモゴ言っている。
牛乳や健康ドリンクの類いが何本か入った袋を門扉越しに差し出して、どうやら“試飲してみて欲しい”ということらしく、“森永から来た”と言っているのはわかった。新入社員が先輩に連れられてサンプリングの現場研修を受けているようにも見えたので、“本社の人?”と聞いたらそうだという。“2~3日後にビンの回収に参ります”と言われたが、そのときは商品普及のための単なるPR・調査活動の一環かと思い、ツイ気軽に受け取ってしまった。でも、一緒に置いて行ったパンフレットを見ると、どうも来たのは販売店の人間らしく、そう言えば名刺も置いて行かなかった。

家内が帰って来て、事の顛末を話すと、“そんなもの受取ったらダメよ、後でしつこくセールスされるんだから...だいたい宅配の牛乳なんてスーパーで売っている値段の倍はするのヨ。そういうところが来ても、出て行って話を聞くまでもないの!”と叱られた。まことにご尤も、当方、日常生活必需品の買い物に関する常識の無さと、突然の訪問者に対する脇の甘さを反省するばかりだったが、大企業の名前を出すだけで己の身分も明らかにせず、曖昧な言を弄してお人好しの老人に取り入り、とにかくセールスの足掛かりをつくろうとしたあの連中のやり方には腹が立ち、ブランドに対する強い違和感も覚えた。
その理由の第一は、アポもなく事前の予告的情報周知もなく、突然訪問というかたちで他人の時間に割り込んで来たこと。そして第二は、キチンとした身形をして知名度のある企業の名前を出せば門前払いはされないと思ってか(こちらはまんまとそれに引っかかってしまったわけだが)、本来の身分を“詐称”した(と言ってキツければ“明確に社名・個人名を名乗らなかった”)こと。これではその辺の胡散臭い訪問販売そのものではないか?“大森永”ともあろうものが意識してこのようなやり方を進めているのだとしたらとんでもないことだし、もし無意識だったら、ずいぶん杜撰なことだと思った。

わが国では“特定商取引”という括り方をされている「通信販売」「訪問販売」「電話勧誘販売」などの中で、通信販売はいまではすっかり体系化され市民権を得ているが、訪問販売や電話勧誘販売は、なお問題が多い商法として、一般消費者から決して歓迎はされていない。太陽光発電・住宅リフォーム・宗教(商品ではないが)...などの招かざる直接宅訪による勧誘、墓地分譲・結婚仲介・先物投資...などの望まざる直接電話による勧誘には、自分も一市民としてきわめて迷惑で腹立たしく感ずるのみならず、もとマーケターとしての目から見ても、なんと稚拙で理屈に適わないことをしているのだろうと呆れ返る。
そもそもそんなビジネスのやり方をしていたら、たまたま間違って売込みや成約に結びつくことはあっても、大方の場合その商品・ブランドに対する疑念を増し反感を高める結果になって、長い目で見ての成果は決して得られないはず。事前にも事後にも、売り手と対象客の間に良好な関係を構築するという努力が何もなされていないからだ。関係構築とは、少なくとも、たとえばチラシその他の周知メディアである程度の予告をし事前認知を得ておくこと、そしてコンタクトの事後にも(その可否如何にかかわらず)相手に迷惑をかけないかたちでのフォローアップ・コミュニケーションをはかることである。

そのような一連のプロセスが、最も始原的なかたちでのマーケティングと言えるわけで、そのプロセスの前後を省略したいまの訪問販売や電話勧誘販売はマーケティングの体をなしておらず、従ってビジネスとしての真の成功を得られるわけがない。ところで、宅配の話が途中で訪問販売にズレてしまったが、宅配は個宅訪問のかたちをとるビジネスではあるけれども訪問販売とイコールではない。だから大方の企業は、この事業を前記のようなオーソドックスなプロセスにしたがって展開し成功させているのに、何を狙ってかそれを問題の多い訪問販売のかたちと組み合わせている企業の意図は理解に苦しむ。
牛乳の宅配事業は確かに、定着させることができれば、価格競争の厳しい量販店での販売に比べれば安定して収益性の高いビジネスになるから、今後のためそこへ注力するのは経営方針として間違っていないが、だったら、マーケティングを知り尽くしているはずの森永ほどの企業なら、訪問販売まがいの短絡的なアプローチに走らず、手間隙かかるようでも段階を踏んだ戦略をとったらどうなのだろうか?結局その方が、事業の長期的観点からすれば成功確率が上がり、ひいては採算性も良くなるはずだから...と自分などは思う。余計なお世話かも知れないが...。

そんな理屈を捏ねていると、例の勧誘員が試飲サンプルのビンを回収に来た。“貴方が出るとまた話がややこしくなるから私が出ます”と家内が出て行ったので玄関のドアーの内側で聞くともなく聞いていると、“ウチでは牛乳は私がお店でしか買わないの!そういうことのワケが何もわかっていない年寄りにこういうものを勧めないでネ!”と家内がピシャリと断っているのが聞えた。(ワケのわからない年寄り?‼ トホホ...)

サテ、これで一件落着かと思っていたら、日を置かずまたインターフォンが鳴った。モニターを見ると中年の大人しそうな女性だったが、またムッシュが騒いで言っていることが聞えないので、こんどは家内が出て行ったら、“明治乳業です...宅配牛乳のお勧めに参りました”だと...。ヤレヤレ...

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