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2012年4月

2012年4月30日 (月)

2012年山荘開き

今年になって初めて、清里の山荘へ行ってきた。現地の例年の気候状況からするともう少し後にしたかったのだが、毎年この時期は、どうしても4月中に済ましておかなければならない用事があって、いつも連休前ということになってしまう。今回の滞在期間はわずか2泊3日、冬の間の5ヵ月間閉めていた山荘をオープンするための諸作業をし、あちこちで用事を済ませたら、チョッと一息入れただけで横浜にUターンだ。慌しいようだが、年の初回はそんなものでいいということにしている。4月とはいえ、清里の森はまだまだ早春の肌寒さで、どっちみち長居には適さないと思っていたし...。
というわけで、4月最終週の後半になって出発。天気予報では、初日は曇り後雨、2日目は雨後曇り、3日目になってやっと晴れ間が出るということで、往きの道中は雨の中を覚悟していたが、ラッキーにも中央道に乗るころから雨が止み出し、談合坂SAでのトイレ休憩のための乗り降りも傘要らず、山荘に到着してからの荷物下ろしと開荘作業のための地下室往復も傘なしでできて大助かりだった。ムッシュを連れての山荘行は、雨に降られると本人(犬)はもちろん、連れているこちらとしても何かと煩わしいが、そんな思いをせずに済んだのも有難かった。

昨年の初回もほぼ同時期だったが、あのときは到着したら雪がチラついていたほどの低温。けれども、今回は寒いながらもそれほどのことはなく、慌てず作業できて楽だった。2日目の朝も思ったほど寒くなく、曇ってはいたけれども雨も降っておらず、ムッシュとの散歩もリラックスしてできた。昼過ぎに、諸々の用事を足しがてら萌木の村に立ち寄ったときには薄日さえ射してきて、思いがけず春めいた陽気に。我が山荘よりも標高が200メートルほど低いだけだが、ずいぶん体感が違うものだと思った。昨年の4月末に訪れたときには寒さのせいか人影もまばらだったが、今回はけっこう人が出ていた。
萌木の村から戻ってからは、ムッシュを昼寝させその間に庭に出て、冬の間に折れたり倒れたりした大小の木の枝の片付け。ここ清里の森は雪こそそんなに積もらないのだが、北西から吹き付ける八ヶ岳颪が厳しく、毎年かなりの量の折れ枝が出る。大方は柴と言ってもいいくらいのさして嵩張らないものだが、中にはやっと移動できるほどの長大なものも何本か混じっていて、それらを邪魔にならない数箇所にまとめるのはいい運動になる。のみならず、程よい枯れ具合の焚きつけと薪を暖炉用に集めている結果にもなって、まことに無駄がない...とは自画自賛。

周りの木々を見回したが、モミやトウヒなどの常緑針葉樹以外は、まだ花蕾はもちろん葉芽も固く縮こまって灰褐色のままで、寒々とした眺め。でも、よく目を凝らしたら、そんな中にも小さな春の兆しが見つかった。開ききっていないフキノトウ、先端からわずかに芽を覗かせたタラの木、傍に近づいてやっとわかるツツジの新芽...などだ。新芽といえば天麩羅にすると美味この上ないタラの木は、山荘を建てた当初は沢山生えていたものがなぜかいつの間にか姿を消し、落胆していたが、それがどういう自然の摂理かわからぬけれども昨年あたりからまた姿を見せるようになり、喜んでいる。
前夜、空がよく晴れていて素晴らしい星空だったので翌朝の快晴が予想されたが、3日目、横浜へ帰る日は、ベッドサイドの窓のカーテンを通した早朝の陽射しで目が覚めた。前日に増して、この時期の清里とは思えない暖かさになり、帰り支度も早々に終わったので、午後の出発までにはだいぶ間があると、久し振りに清泉寮へソフトクリームを食べに。めずらしく雲がなかったので、八ヶ岳も南アルプスも全容をクッキリと望むことができたが、やはり春の訪れが遅かったせいか、連山にはまだだいぶ雪が残ったまま。富士山も、姿の見えていた部分は真っ白だった。

4月の末ともなると関東の平地では桜はほとんど終り、咲き残っているとしてももう八重桜くらいしかいないが、今回の清里往復でははからずも、今年2度目の花見を楽しむことができた。中央道は標高500メートル前後の地帯が多いので、沿線の山々はいま山桜の真っ盛り、全山がパステルカラーの薄ピンクで靄っており、甲府盆地の辺りではそれに濃ピンクの桃の花も加わって咲き競っていた。国道141号線沿いにはソメイヨシノも、未だ満開の状態で見受けられ、南清里道の駅の中空に泳ぐ数百匹(と言われている)の鯉のぼりの脊に、花吹雪が降りかかっていた。
それにしても、あんなに寒さを気にしていたのは何だったのかと思えたほど暖かかったこの3日間。特に横浜へ帰る日などは、暖かいというよりも暑いと言った方がいいかも知れないくらいの夏日だった。我が山荘の辺りも朝からグングン気温が上がって、昼近くには20度を越し、帰り途の中央道では28度にも達する始末で、今年初めて車内冷房のエアコンを点けた。マア、自分などは、どちらかといえば寒いよりはまだ暑い方が好きなので、その意味でもこの陽気は悪くなかった。お蔭で、ホンの短期間だったにもかかわらず、2人と1匹で、散歩とお出かけを楽しみ、しかもゆっくり骨休めもできた気がする。

正直いうと出かける前は、清里はまだ寒い上に予定していた期間はお天気が芳しくない(予報では)...という先入観があって、腰を上げるのが億劫だったが、帰って来ていまは、行って良かったと思っている。特別にいいことがあったわけでも何でもなく、普通に過ごしてきただけだが、何だかとても楽しかった。
ムッシュもいま、楽しかった今回の清里のことでも思い出しているのか、ソファーのクッションに顎を載せ、笑っているような表情でまどろんでいる。

5月の連休後は、仕事や集まりの予定がビッシリと入っていて、下旬まで出掛ける余裕がないが、梅雨に入る前の月末にでも、また行って来ようかと思う。そのころは多分、タラの芽も食べごろになっていることだろうし...。

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2012年4月16日 (月)

春だ!元気が湧いてきた!

花は咲き鳥は歌う、“陽春”という言葉に相応しいこの季節。11歳になり、犬としてはもうシニアの域に入っているムッシュも、すっかり暖かくなったせいかこのところ頗る元気で、散歩の足が伸びている。ツイこの間まで寒い寒いと厚着をしていた自分も、いつの間にか1枚脱げ2枚脱げして身が軽くなり、何やら体の底から、何か運動をしたいという衝動が湧き起こってくる。本来ならムッシュとの散歩ぐらいにしておくのがちょうど良いのかも知れないが、根が体育会出身、自分の現在の体力も弁えず、身体に負荷のかかることを敢えてやってみたくなるのだ。
と言っても、若いころと同じというわけには行かないのはわかっているから、では何にしたらいいのかと考えを巡らした。で、直ぐに頭に浮かんだのは、ありきたりだがゴルフ...のまずは再練習。これでもまだ芦の湖カントリーのメンバーだが、ご無沙汰してもう20年近く、ゴルフ自体も、何となく出かけなくなってから15年以上経つ。なのに今もって、シーズンごとに会報と割引券が届き(先日も本年春季の分が)、身体がまったく動かなくならないうちに、もう一度行っておきたいものと思っていたところだった。何しろ、道具を買い替えたばかりのところで止めてしまっていたので...。

腕に自信のある向きなら、久し振りだろうと何だろうと、思い立ったら直ぐにコースに向うところなのだろうが、当方、よくプレーしていたころでも大したスコアを出したことのない典型的なアベレージ・ゴルファーで、行かなくなってからときどき見ていた夢も、どういうわけかミスショットばかり。せめて以前のレベル近くまでは戻らなければコースに出て恥をかくのが目に見えているので、まずはしばらく練習場に通って往年のカンを取り戻してからと自戒した。幸い自宅の近くには、距離210ヤード全88打席の大練習場があり、そこへは歩いても5~6分で行ける。
しかし、つらつら考えてみるに、15年間、素振りすらしていなかったので、これは練習のための練習が必要そうだと庭に出て、何本かのクラブを振ってみた。すると、ムムッ!これはイカン...と、愕然。これまでタマに、部屋の中でエアー・スゥイングをしていたときにイメージしていた感覚とはまるで異なり、足は踏ん張れない、グリップが決まらない、肩が回らない...のナイナイ尽くしで、思い切り振り抜いたらその瞬間、脇腹に肉離れでも起こしそうになる。だからお年寄りのゴルフが、ああいうチョコチョコッとしたフォームになるのだなと、その理由を、自分が当の年寄りになってみて初めて覚った。

それでもとにかくスコアだけまとまればいい、運動になりさえすればいいという考え方もあるが、そこまで形振り構わなくなるのは、かつてはフォーム・シングル(?)と言われた男のプライドが許さない(と言うほどのものでもないただの恰好付けだが)。ので、せめて素振りがスムーズにバランスよくできるようになるまで、身体づくりの段階からやり直そうと、改めて思った。だが、15年間の運動ブランクと加齢によるハンディを取り戻すのは、容易なことではなさそう。自分で日常的にできるウォーキングやジョギングぐらいでは不十分で、然るべきトレーニングを行って筋力をつけ直す必要があると感じた。
ということで、逸る心を抑え、残念だがゴルフ練習場通いはひとまずお預けにし、差し当たっての目標をスポーツジム通いということに定め直した。が、これも15年振りで、当然、昔やっていたのと同じことをやればいいというわけには行かないだろうから、サテどこへ行ってどんなトレーニングに取り組むか、ということをまず考える必要に直面した。けれども、これも上手い具合に、自分の住んでいる場所からバスで10~15分ぐらいで行けるところに、プール、トレーニングマシーンなどを備えた公営のスポーツ施設があり、料金が格安な上に規模も下手な会員制ジムより大きいので、そこへ行ってみることに。

そこで、また考えたのは、何から始めようかということ。それによって、用意して行くものも違ってくるし...。もう若くはない...というよりもすっかり草臥れた身体でいきなりマシーントレーニングに取り組むのは危険極まりないとは常識的にも見当がつくので、ここでも、まどろっこしいようだが基礎体力づくりから始めるべき、と考えた。施設にも電話をかけて相談して、年齢を考えればプールでの水中ウォーキングあたりからスタートするのが無難でしょうということになった。温水プールだけに年寄りの冷や水にもならないし...というのは自分の下手な冗談。
それはさて置き、B型人間はそうと決めたら即行動で、早速、仕舞ったままにしてあった海パン・水泳帽・ゴーグルなどを取り出し、行って来ましたこの施設へ、道すがら桜吹雪を肩に受けながら、うららかな春の昼下がりに...。果たして自分のような年代の人々も来ているのかと、行く前はチョッピリ気になっていたが、案ずるよりも産むが易しで、ウィークデーだったせいもあるのだろうが、行ってみたら大半が同世代らしき方々だった。25メートルの競泳用プールが真ん中にあり、その周りを全長130メートルの流水プールが囲んでいて、ジャグジーや採暖室もあるというナカナカのつくりで感心させられた。

水泳は、ジム通いを止めてからも、12~3年くらい前までは清里の丘の公園プールや大泉のいずみプールにときどき行っていたから、ゴルフと比べて多少はブランクが少ないと言えないこともないが、それでも長いこと手足を動かしていないのに変わりはないので、恰好を付けてすぐにコースで泳ぎ出さずに、いささか恥かしいものがありはしたけれども、年配のご婦人方に混じり流水プールでウォーキングすることから始めた。あらかじめ要領を聞いていたので、その通りに“前歩き”“横歩き”“後ろ歩き”と身体の向きを変えながら何周かしたら、水流の抵抗が結構感じられて、良い基礎運動になった気がした。
初回のその日は、身体慣らしの意味でもこれに徹して、つまらなくともひたすら外周の流水プールで歩き続けようと心に決めていたのだが、内側の25メートルプールのコースで気持ちよさそうに泳いでいる人達の姿を見たら羨ましくなって、チョッと試してみるぐらいなら身体に障ることもないだろうと、途中でそちらへ移った。ところが、思っていたのと実際は大違いで、手足が力強く水を掻いたり蹴ったりできず、やっと半分過ぎまで進んだところで太ももが攣ってしまい、そこでストップせざるを得ない始末に...。しばらくそれが治まるのを待って再び泳ぎ出したら、今度は息が上がってしまった。情けなや...。

たった1時間だったが、それぐらいでも充分以上に運動をした気分になった。やはり齢と身体は正直というところなのだろうか?また、あんまり久し振りだったので忘れてしまっていたが、骨や筋を傷めないためにも、長く続けるためにも、そして成果を上げるためにも、拙速の自己流は禁物で、じれったいようでもチャンと段階は踏まなければならないということを、改めて思い知らされた。水中ウォーキングから泳ぎへ、プールからジムへ、ランニングマシーンから筋トレへ、そしてそれらを経て足腰が復活したら、ゴルフの練習場、コースへ...と。道のりは長いかも知れないが急ぐまい。
今しばらくは地道にプールでのトレーニングを続ける積りだが、ある段階からはマシーン・エクササイズも取り入れて行こうと思っているので、帰り際にその設備のあるトレーニングルームにも立ち寄ってみた。この日、シューズやウエアなどの準備はして来なかったので、見学だけでもさせて欲しいと申し入れたら快諾を得られ、ジックリと見て周ることができたが、かなり広いスペースに、ランニングマシーンやエアロバイクをはじめ、レッグエクステンション、チェストプレス、ラットプルダウン、腹筋台、ベンチプレスそれにダンベルなど、ボディ各部の筋トレ用マシーン・道具が必要十分に揃っていた。

ここの様子を見る前まで実は、今さらジム通い再開は遅過ぎはしまいかと、内心いささか懸念していたのだが、プールでもトレーニングルームでも、同世代らしき方々を多数見かけたのには安心した。ただ、ほとんどの皆さんの目的はオーバーウエイトの絞り込みと見受けられたけれども、自分の目的は逆に、失われたウエイトの取り戻し。
で、すっかりやせ細ってしまったボディを人前に晒すことにコンプレックスを抱いていたが、どういうわけか、ロッカールームの鏡の前で一緒になったメタボ体型の小父さんに、“腹が凹んでいていい身体をしてますナア”と褒められてしまい、返す言葉に詰まった。もちろん、それをまともに受け止めたわけではなく、なるべく早いいつの日にか、そう言われるのに真に相応しい体型になりたいものと独り心に誓った。

早くも筋肉痛に見舞われているが、ともあれ始まったばかりで、今はアレコレ言っている段階ではない。すべてこれから、これから...。

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2012年4月 2日 (月)

テレビで懐かしい店に出逢えた

テレビ東京の夜の10時台は、“日経スペシャル”と冠のついた「未来世紀ジパング」とか「ガイアの夜明け」とか「カンブリア宮殿」など、なかなか面白い経済特集番組が帯になっているので、タイトルによって、ときどきチャンネルを合わせている。先日も、“世界のスーパー新潮流:札幌・八ヶ岳・NY―ローカル・スーパーの逆襲...”という新聞の番組表の見出しに惹かれて、「未来世紀ジパング」を視てしまった。特にスーパー業界に興味を持っていたわけではないのだが、八ヶ岳、NY...と来たので、そこのスーパーなら若しかしたら、あの店が出て来るのではないかと期待を持ったのだ。
その回の内容は、日本でもアメリカでも、長引く消費不況で苦戦が続いているスーパーマーケット業界に、これから目指すべき方向を示唆しているかも知れない新しい潮流が生まれている...という話。“Every day low price”で世界最大の売上高を誇る巨大スーパーにのし上がった「ウォルマート」の戦略に代表されるように、世界中どこでもほとんどのスーパーは、生き残るためにとにかく低価格競争ということで凌ぎを削ってきたが、どうやらそれが限界に達して、地域密着型というか顧客要望特化型というか、そういった新たな方向に路線転換を余儀なくされ始めたということだ。

番組内で紹介されていたのは、そういう、売り上げや出店数などの規模を追求することなく、ひたすら顧客の要望に応えようと品ぞろえやサービスの充実に徹してきた、日米のいくつかのスーパー。日本では八ヶ岳山麓の北杜市や北海道の札幌市から、アメリカではオレゴン州ポートランドやニューヨークのアッパーウエストサイドからのレポートだった。札幌やポートランドのスーパーは、初めて聞く名前だったが、北杜市とニューヨークのそれは、若しや?と思っていたのがズバリ的中、よく知っている(どころではないお馴染みの)店で、あまりにも懐かしかったので、家内にも声をかけた。
ニューヨークの店以外はどの店も地方都市に所在するので、番組ではこれらをひと括りにして“ローカル・スーパーの逆襲”という見出しをつけていたが、確かにその、客との距離の近さと声の聞こえ方のダイレクトさ、それを反映した仕入れ・品ぞろえのユニークさとサービスのフレンドリーさは、都会のこの業態の店では忘れられた、地方ならではのものかも知れない。けれども、ここで取り上げられたニューヨークのスーパーにしても、大都会の真っ只中に位置する店であるにもかかわらず、そんな古き良き小売業者のローカリズムが、脈々と息づいているように感じられた。

さて、3年余ぶりにテレビの画面で出逢って懐かしさ一杯の気持になった八ヶ岳山麓のスーパーは、「ひまわり市場」と言って、わが山荘のある清里に隣接した大泉地区(下新居交差点近く)にある。清里には、なぜかスーパーというものが根付かず、開店してもほんの短期間しか存続しなかったので、この店には20年以上前に山荘を建てて間もなくから買い物に行っていたが、そのころの店舗は現在とは道路を挟んで反対側の場所にあり、建物は正直言って古ぼけて汚らしく、品ぞろえも雰囲気もいかにも田舎スーパー(失礼な言い方でごめんなさい)といった、パッとしない感じの店だった。
だから、たまにその近くに用事があったときに寄ってみるぐらいで、あまり積極的にそこで買い物をする気にはなれず、だいぶ長い間ご無沙汰していたが、3年半前に自宅建て替えのため半年間山荘暮らしをすることになったとき、久々に足を向けてみてビックリした。その2~3年前(2006年頃?)に現在の場所に移転し、店舗の建物・売場レイアウトだけでなく、品ぞろえから接客、サービスアイディアまで何もかもが一新され、とても魅力的な店に生まれ変わっていたのだ。代が替わったのか、資本が代わったのか、事情はよくわからないが、経営者が若い人になったらしかった。

富士山・南アルプス・八ヶ岳を望む高原のスーパーにもかかわらず、この店の一番の売りは新鮮な魚介類。中でも、毎週末のこの道50年というベテラン職人による本格鮨の手握りサービスと、年何回かの本マグロ解体即売会が大人気で、近隣だけでなく東京からも情報(社長がブログで発信している)を知ったファンが駆けつけるほど。番組では、その盛況と客の喜んでいる声が活き活きと伝えられていた。自分たちも清里で暮らしている間、ずいぶん足繁く通ったが、風光明媚な周辺環境だけでなく、まるで個人商店のような親しみのこもった応対が、とても爽やかに心地よく感じられた。
この店で特筆できるのは鮮魚だけではない。土地柄で、もちろん農産物や天然の食材も豊富かつ新鮮。調味料なども、中央では無名だが品質の優れたものが置いてあるし、パンやケーキも地元店の逸品を取り揃えてくれていて、都会のお洒落な店にヒケをとらない味を楽しめる。店外のフリースペースやアネックスでは、ときにイベントが行われたり、やはり地元の制作者の人たちが、手芸雑貨・アクセサリーなどのワゴンセールを繰り拡げていたりして、さながら自由なバザール的雰囲気も...。この店は、客ばかりでなく地元の業者も大切にし、地域に根差して共に栄えて行こうとしているという印象を受けた。

さて、番組に登場したもう一つの懐かしいスーパーは、ニューヨーク、マンハッタンのブロードウェイ80丁目にある「ゼイバーズ」。1934年(自分の生れた年よりも前!)に街の小さなお惣菜屋さんとして創業し、抜群の味と“最高品質の商品を適正な価格で販売する”というモットーで人気を博して大成功し、大きくはなったが店舗の場所も変わらずに現在に至っているという老舗で、いまではありとあらゆる食品・食関連用品を扱っているけれども、商売の原点となったオリジナルお惣菜は、tasting(試食)して買ってもらうという昔ながらのスタイルを愚直に守っている。
この店の名物としてテレビで真っ先に紹介されていたのは、自家製のスモークサーモン。自分たちも、ベーグルでサンドイッチにするため買い求めたことがあるが、抜群の美味。実際に遭遇したことはないけれども、あのブラピも常連客だそうな。それともう一つのこの店の売りはチーズで、世界中から仕入れた600種類もあるというチーズが、店の入り口からごく近い売場に、天井まで隙間なく積み上げられている。チーズだけではない。パンもケーキもジャムもコーヒーもジュースも、1階は食料品で溢れかえるばかり。そして2階へ行けば便利で面白そうなキッチン用品が、これも所狭しとばかりに並んでいる。

この店を訪れるようになったキッカケは、ネットやガイドブックの情報だったか口コミだったか忘れてしまったが、もともとは自分たちが、時間や形式などに拘束されずホテルの自室で気ままに軽い食事をするための食材(たいがいベーグルとクリームチーズとトマトかオレンジのジュースということになるが)を仕入れようとして恰好の店を当たっていたことが底辺にある。「ゼイバーズ」に行き着くまでにはそれが、街角の屋台だったりその辺のデリだったり、普通のスーパーだったりしたが、ここを知ってからは、他所では味も値段も満足できなくなった。何しろ、美味い上に滅法安いのだから仕方がない。
この店では、アメリカにしては珍しい親切を受けた忘れられない思い出がある。通い始めのころだったが、他の店でいろいろな買い物をした後で寄ったために両手が手提げ袋で一杯になっていて、そこで買ったものが入った袋をレジ横に置いたままカードにサインをし、間抜けなことにそれを忘れて店外へ出てしまった。が、何歩か歩いたところに店の人が大声を上げて追いかけてきて、それを手渡してくれた。そのときは有難いやら恥かしいやらだったが、あとで思い返して心が暖まった。あのまま気がつかずにホテルまで帰って来ていたら、そのときの旅はきっと心残りなものになっていただろうといまも思う。

家の建て替えや自分の病気続きで、外国にはもう5年近く出かけていないし、山荘へ行っても、ここのところ出無精と短期滞在ばかりでロクに出歩いていないが、先日のテレビ番組を視て、また「ひまわり市場」や「ゼイバーズ」に買い物に行きたくなった。
ニューヨークには、身体が本調子になるまでもう少しの間は無理かも知れないが、大泉にはこんどのゴールデンウィークあたりにでも行って、久し振りに鮨でも買ってきたい。

やっと暖かくなり、心身に活気が蘇ってきたので、そんなことも考えられるようになった。

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