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2011年11月

2011年11月21日 (月)

11月の定例行事

早々と冬が来たかと思うほど冷え込んだり、一転、汗ばむほどの陽気に戻ったりを繰り返し、暑からず寒からずの気持の良い日が続くということがあまりなかった今年の秋も、いつの間にか終わりに近づいて、もう11月も下旬。今年はこれまでの毎月、何だかんだと、病気の検査・治療の予定に拘束され、自分自身の気分や意思による外出や山荘通いは、その合間を縫ってという状態だったが、この月は久し振りに、気持ちの上でではあるけれども、そのバランスが逆転したような気がする。
先月までは、決められたスケジュールで、病院と自宅という決まり切ったコースを往復することの繰り返しが主体の日常だったが、今月からはそれもグッと減り、自分で予定を立てて、自分の行きたいところへ出かける機会が増えてきたのでそう感ずるのかも知れない。増えてきたと言っても、上旬のクラス会、中旬の日展、下旬の清里と、わずかな回数に過ぎないのだが、久しく遠ざかっていた場に自発的に足を運んで、自分のペースで動き回れたことによる解放感が、そういう気持ちにさせてくれたのだろう。

クラス会の会場は早稲田大隈庭園の完之荘だったが、今年も日程が学園祭と重なり、大学の周辺とキャンパス内はたいへんな人出。地下鉄東西線の早稲田駅で下りて地上へ出ると、正門方面に向かう通りはまるで初詣状態で、右に左に人波を避けながらでないと、なかなか前に進めず一苦労。途中の大隈講堂前の広場は、例年グループ・パフォーマンスが行われているところで、昨年は和太鼓をバックにしてのチアリーディングだったが、今年はスゥイングのリズムに乗せた男女混成チームのタップダンス。そういうのが決して嫌いな方ではないのでしばらく眺めていたかったが、集合時間に遅れそうになったので、密かに歩くステップだけそれに合わせるようにして、横目で見ながら通過した。
昨年は17人だったが、今年の出席者は13人。年々歯が抜けるように減ってきて、最多のときの半分になってしまった。幸い、この1年間に物故者はなかったが、欠席者の近況報告ハガキに目を通すと、病気療養中が目立った。かつてはそこここで上がる大声が喧しいほどだったこの集まりも、いまはいたって静かなものになって、出席者同士は、ともあれこうしてまた顔合わせが出来たのはお互い幸せなことと、多くは語らずながら頷き合って、誰からも2次会の提案が出ないまま淡々とお開きに。チョッピリ物足りないような気がしないでもなかったが、自分たちぐらいの年代はもうこれでいいのだろうと納得。

一週間おいて日展へ。六本木の国立新美術館へは、4月の示現会展以来。評議委員の成田画伯から毎年招待状を頂戴するお蔭だが、振り返ってみると、もう30年近く寄せていただいている勘定になる。ムッシュ連れというわけには行かないので、ここ何年か家内とは別々の日に行っているが、今年も変わりなくここに足を運べたことが嬉しい。日曜日だったにもかかわらず思っていたほどの混雑はなく、ゆっくり鑑賞することができて、静かな感動と心地よい刺激を受けたが、絵画部門、それも成田画伯の出展している洋画を見ただけで体力が精一杯になってしまい、日本画や彫刻や書道の方までは回れなかった。
六本木まで出てきたら、たまにはどこかで外ご飯を...ということで、新美術館が開館したてのころはいつ行っても満席で入れなかった3階のポール・ボキューズのレストランを覗いてみたら、意外に空いていた。でも、フレンチのコースはいまの自分にはいささかヘビーすぎるのでパス。美味しそうだったし、お値段もリーズナブルだったのだが...。で、外へ出て東京ミッドタウンに向かうと、近所の商店会のイベントらしく、通り道にはビッシリと飲食や土産物の屋台が出て、いわゆるB級グルメを立ち食いしている人々も沢山いた。が、これも落ち着かないし...とパスして、結局、いつものベーグル・カフェへ。

自分では元気なつもりでいたけれども、情けないことに、2週続けて外出したら少し疲れが出たので、数日家で大人しくしていたが、山荘の“水抜き”(クローズ作業)にはもう後のないタイミングになってきたので、翌週の後半には2泊3日で今年最後の清里へ。相当の冷え込みとの予報に、出かける前日までは億劫だったが、案ずるより産むが易しで、出発当日は上々の好天、翌日もまずまずの穏やかな日和で安堵した。ところが、帰る日の未明から突然、窓を打つ雨音が聞え出し、朝方には本降りになり、時間が経つほどにますます勢いを増して、横浜の家に戻り着くまでも、遂に小止みになることがなかった。
今回山荘に到着するまでは、まさか前回遭遇したような大ハプニングはもうないだろう、イヤ、二度とないはずだ...と思っていたが、実は、内心気にならなかったわけではなかった。一度ああいう目に遭うと、気にすまいと思っても、どうしても気になってしまって...。で、どうだったのかというと、やっぱりありました...小ハプニングが。電気関係はすべて問題ないことを確認して、ヤレ嬉しやと胸を撫で下ろしていたら、スイッチを入れてから30分以上経っても床暖房が暖まって来ないのに気がついた。何度かやり直してみてもやはりダメで、これはまた一難かと諦めかかっていたときにハタと閃き、地下室のボイラーを調べたら不凍液の水量が限界レベル以下まで減っていた。液を補充して、結果的に事なきを得たが、何年も点検を怠っていたことが原因だったと、深く反省した。

さて、これで、毎年11月の定例行事は一段落したことになるが、今年の11月に関して言えば、あと2つやり残していることがある。1つはインフルエンザの予防接種で、もう1つは今回で2度目になる高齢者講習(運転免許更新のための)だ。毎年この季節になると、アチコチでコンコン咳をしている人々が増え始めるが、自分はここ10年以上(と思うがもっとかも知れない)、風邪で寝込んだり、咳や熱が出て医者にかかった記憶がない。子供のころから喉が弱く、働き盛りのころもよく風邪をひいていたが、いまではすっかり縁が切れたようだ。ハードだった生活から引退して免疫力がアップしたのか、ちょうどそのころから始めたインフルエンザ予防接種が効を奏しているのか、実際のところわからないが、多分それは後者のご利益に違いないと信じて、毎年欠かさずに続けている。
高齢者講習は、第1回目を受けたときと今回とでは、さほど心身のコンディションが変わったとは自分では思っていないが、あれからもう5年も経ったのか...、自分も否応なくそれだけ齢を重ねてしまったわけだ...だんだんハンドルを握る機会が少なくなってきたが第3回目もいまと同じような気持ちで講習を受けられるだろうか...などと、つい、来し方行く末を考えてしまう。前回は、動体視力・反射神経・注意力・運転実技などの検査で、総合的に“平均よりはやや良い程度”という判定結果に落ち着いたが、サテ今回はどうなりますか...。まだまだヤル気はあるのだが、気持ちだけではなかなか結果がついて来ないかも知れない。マア、あまり力まず、せいぜい頑張ってくるとしよう。

清里は、国道141号線の弘法坂よりも下のあたり、つまり標高1000メートル以下のところまでは、まだ紅葉が残っていたが、標高1400メートルの我が山荘の周辺は、モミやトウヒなどの針葉常緑樹以外は完全に葉が落ちて、一面、寒々とした晩秋の景色になっていた。招待状が来ていたので買い物に行った萌木の村も、もはや11月というよりは12月の雰囲気で、ロックやハットウォルデンの屋内・外も、芝生広場も、もうすっかり、華やかなクリスマス・デコレーションで彩られていた。
帰ってきて食事をしながらテレビを見ていたら、つい先日行ってきたばかりの六本木の東京ミッドタウンのクリスマス・イルミネーションも点灯したと、ニュースが伝えていた。昔は12月に入らないとなかなか暮れの気分にはなれなかったが、いまは11月も下旬になると、そういう演出された季節感によって前のめりで年の瀬を感じさせられているようで、何となく気ぜわしくなり、落ち着かない

昨年の前立腺の手術からも、今月でちょうど1年が経過した。お蔭さまで経過はきわめて順調で、3ヵ月ごとに通院して血液その他の検査と診察を受けているが、治癒度の指標となるPSA値もスムーズに下がり続け、今回の測定ではついに1.00を割った。この病気を疑うボーダーラインのPSA値が4.00で、問題なしとされていた5年~10年前でも2.00~3.00のレベルだったから、期待していたことではあったけれども、一年間で実際にここまで下がったことは素直に喜べる。
その後、胃の方も、何の違和感もない食生活を送ることができていて、ときおり、手術をしたことを忘れそうになる。この調子なら、来年もまた元気に初詣に行けそうだ...と今から言っていると、鬼に笑われるか...。

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2011年11月 7日 (月)

デジタルとアナログの狭間で

先日NHKから、“放送受信料「クレジットカード継続払」のお知らせ”なる文書が届いた。カード会社からの利用明細では年額と引落し日だけしかわからないので、それが何月から何月までの期間に対応するものなのかを確認したいと、家内が家計簿記帳のため問い合わせていたものに対する返信だったようだが、そのような文書発行サービスは来年の4月から取り止めになるという連絡文も、そこには併せ記載されていた。
理由は、業務改善の一環として、受信料を専ら番組充実に振り向けたい、紙の使用を減らして資源の有効活用に寄与したい...など、もっともなことではあったが、問題は、今後受信料明細を確認し、それを書類のかたちで保存したい人は、パソコンかケータイによるインターネットを通じて、NHKのウエブサイトにアクセスし、自分でプリントアウトするほか方法がなくなるという点。当然そのためには、あらかじめ、所定のサイトへの会員登録手続きをしておかなければならなくなる。

同様の、紙による連絡文書送付の廃止とそれに替えたウエブ閲覧への移行という企業側の都合による一方的な変更は、我が家の場合、実は1年ほど前からケータイ(au)の利用明細に関しても経験済みで、いまは否も応もなくそれに対応しているところ。なので、こんども、やれやれNHKもか、これも世の流れで仕方のないことなのかと、一たんはあきらめにも似た感懐を抱いたが、パソコンやケータイを持っていない人、あるいは持っていてもインターネットを使いこなせていない人などはどうするのだろうという疑念が残った。
そういう方々にくらべれば多少の心得はあるかも知れない自分にしても、決して、唯々諾々としてそのような通知を受け入れ、何の苦労もなくそういう変更にフォローできているわけではない。慣れるまでは利用ガイドと首っ引きで、試行錯誤を繰り返し、暗証番号を間違えてやり直したり、自分で決めたはずのIDやパスワードを忘れて何度も取り直したりしながら、やっと最近、何とかスムーズにログインして、求める情報に辿り着き、正しくプリントアウトできるようになったところだ。

いろいろな会員サイトやショッピングサイトなどで、さまざまな暗証番号・ID・パスワードを使っているので、最初のうちは、どれがどれのものだったかゴッチャになり、何度もログインに失敗して、パスワードなどはその都度、仮のものを発行してもらっては登録し直す始末で、けっこう神経を使い、手間もかかった。セキュリティのために必要だとは重々理解しつつも、未だに、こういうことは面倒なものだという感じは否めない。
この種の情報はケータイからもアクセスできることになっているわけだが、電話とメールとカメラと歩数計ぐらいの機能しか利用していない家内はもちろん、自分も、ケータイを使う気にはなれない――などと恰好をつけて言うよりも、ケータイは“使えない”と言った方が正直になる。ボタンが小さく押し辛いし、画面・文字が小さくて見えにくく、情報に辿り着くための操作もいろいろ複雑で、なかなか覚えられないのだ。世はスマホブームで、全ケータイの半分はスマホになっているというが、こちとらはガラケーでさえ、せっかくの多機能を生かし切っていない。

こんな状況をまさに裏付けるかのような調査報告をネット上で見かけた。いまやパソコンの世帯普及率は76%、ケータイのそれは95%を超えているのに、年齢層を60歳以上に限るとパソコンの普及率は52.7%に減り、しかもそれをインターネット接続に利用している人はわずか7%程度になってしまうというのだ。ケータイをインターネット接続のために使う人に至っては0.7%という統計誤差的な微々たる数字だそうで、信じられるものかどうかもわからないほどだが、要は、自分たちのような年代の人間は、情報をパソコンやケータイを通じてインターネットから得るということをあまりしないということなのだろう。
とすれば、auやNHKのような方針転換は、そういう人たちに対する一種の“情報差別”になるのではないだろうか?あえて問い合わせてはいないのでわからないが、何らかの代替策は講じられているのだろうか?利用料明細という情報そのものの価値・重要性の高低についての企業としての判断と、それにもとづく今回のような措置の適否の議論は一先ず擱くとして、これをキッカケに顧客に対する情報提供におけるデジタル化への傾斜に拍車がかかるとしたら問題だ。そういう企業は、将来世の中の情報はデジタル一色になり、アナログなかたちの情報は不要になるとでも信じているのだろうか?

自分が関わってきた、ビジネス・コミュニケーションの世界でも、企業から市場に向けて発信する情報がアナログからデジタルへと年々シフトして行く様子が、広告費統計などから如実に見てとれる。圧倒的だったマスメディアのシェアが目に見えて下がって行き、代わりにインターネットがハイペースで伸びている。マスメディアの中でも特に、新聞・雑誌という印刷メディアの凋落ぶりが目立ち、断然たるトップシェアを維持してきたテレビさえも、ジリ、ジリと、その数字が下がりつつある。
そんなところからか、“テレビはもはや死に体だ”とか、“いずれ広告はインターネットに席巻される”とかいったことを言い出すお先走りのジャーナリズムも出て来ているが、それはどうだろうか?確かにインターネットには、広告メディアとして、在来のメディアの次元を超えた機能的特性があり、それが利用シェアを急激に拡大させているのは事実だが、やがてそれによってすべてのビジネス・コミュニケーションが置き換えられるとか、アナログメディアにはまったく用がなくなるなどと考えるのは、当たっていないと思う。

インターネットは、これまでの諸アナログメディアのあり方に多大な影響を与えていることは間違いないし、それぞれが情報通信の世界においてかつて占めていたウエイトを大きく変えてしまうほどのインパクトを持っているものであることも否定できないが、それらをまったく駆逐してしまうような存在にはなるはずがないと自分は思っている。アナログメディアは、インターネッというデジタルメディアの出現によって、当座は何らかのマイナスを蒙っているかも知れないが、変容のための新しい生命を吹き込まれ、新たな機会を得ていることもまた、疑いを入れないところではないだろうか?
テレビが出現したときに映画産業がダメになってしまうと言われたが、結局いまどうなっているか?通販が急速に台頭したときいまにも店舗販売がなくなってしまうようなことが言われたが、その後実際にそのようなことが起こったか?話が飛躍するけれども、アメリカン・チェリーの輸入が自由化されたとき日本のサクランボ農家は壊滅してしまうと騒がれたが、いまどちらのサクランボがより売れているか?これらの例を引いて一概に論ずるのは乱暴かもしれないが、そういったかつての大騒ぎの顛末を考えてみると、いまの“インターネット一辺倒”、“デジタル万能” 論の先行きも見えてくるような気がする。

自分たちシニア世代の大部分は、ケータイやパソコンを自在に使いこなせず、結果的にデジタル情報への対応が不得意であるところから、それだけのことで“化石”とか“情弱”とかいった侮蔑的な陰口を叩かれることがあるようだが、おかしなことだ。そう言っている連中は、自分たちのような世代がすっかり交代するとすべての人がデジタル情報の端末機器を操るようになり、紙に印刷されたかたちで届けられるようなアナログな情報はまったくお呼びでなくなるとでも思っているらしいが、上記のような例を引用するまでもなく、長く受け入れられてきたものは、そんなに簡単にはその存在理由と価値を失わない。
浅学菲才にして感覚的にしか言えないが、いくら世代が代わろうとも、また情報技術が進んでも、人間が人間のままである限り、アナログ情報は必要であり続けると思う。人間の五感というものは本来、デジタルなかたちだけで発信される情報を受け入れ続けることに耐えるようにはできていないのではないかと思うからだ。人間は生理的に、意識的であれ無意識的であれ、デジタルな情報は一たんアナログな情報に変換してからでなければ、ある一定のキャパシティ以上は受け入れ切れないのではないだろうか?故スティーブ・ジョブスが生涯追求していたのも、そのことへの答えだったのではないかと思う。

アナログ情報とそれを運ぶさまざまなかたちのアナログメディアは、デジタル情報とデジタルメディアによってすべからく機械的に置き換えることができるような存在ではなく、存在すべき本来的な意味があって存在してきたし、これからも当然に存在し続けるものだと思う。ただし、デジタルと無関係にでも対立的にでもなく、相互に関わり合い、影響し合い、立ち位置と役割を変容させながら...。
ビジネスコミュニケーション・メディアについても、同様のことが言えるだろう。これから見えてくるのは、新デジタルメディアと旧アナログメディアの交代という図式ではなくて、新旧相関の結果としての相互補完的共存ということになるのではないか。そして、そう考えず単純に情報の完全デジタル化という未来を想定して突っ走る業界や企業は、市場や顧客の中に根源的に存在しているものが見えぬまま偏ったビジネス成果に向かって進み、気がついたときには大きなものを失っているということになるのではないかと懸念する。

...と、デジタルとアナログの狭間を行きつ戻りつし、auやNHKのサービス方針変更通知からそんなことを考えてしまった自分は、時代とズレているのだろうか?

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