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2011年10月

2011年10月24日 (月)

病理組織検査の結果が出た!

またまた病気ネタで恐縮だが、本ブログは自分自身の健康管理記録を兼ねさせてもらっている面もあるので、どうかご容赦を...。

先月中旬に入院、内視鏡手術で摘出した胃の病変部の病理組織検査の結果が判明した。術前は“...の疑い”ということで断定はされていなかったが、病名はやはり、早期ながら「胃ガン」。しかし、ドクターは“最も良いかたちで切除することができました”という言い方で完治を宣言、あとは、今後の経過ウォッチのため、年1回の定期的内視鏡検査を受ければいいということだった。話を聞くまでは、正直いろいろなケースを想定し、どういう結果が出ても粛々と対応しようと心の準備をしていたが、ともあれ一安心した。
ここ3年というもの、自分自身としては肉体的苦痛があっての挙句ではなかったのでさほど大ごとに意識してはいなかったが、一昨年は胃、昨年は前立腺、そして今年は再び胃と、毎年、入院・手術を繰り返していたのは、決して偶然の連続ではなかったのではないかと
このごろは危惧するようになっていただけに、その連鎖をここで断ち切ることになった今回の結果は、久し振りの朗報だった。この上は、前立腺ガンがこれまでの調子で順調に推移し、来月の検査でPSA値がさらに下がってくれれば、取りあえず言うことはない。

でも、安心できることになったからこその感想かも知れないが、なかなか、放置すれば深刻なことになる病気が治ったのだという喜びの実感が湧いて来ない。痛いとか苦しいとかいう自覚症状が何もなかったのに手術ということになり、手術自体にもさしたる辛さはなく、短期間の入院後、食事に多少気を遣う他はまったくそれまでと変わらない生活を続けることができてきたので、病気だったと言われても、またそれが治ったと言われても、どうもピンと来ず、したがってドラマチックな感懐を抱くに至っていないのかも知れない。
けれども今度の手術では、前の2回の場合とは異なって、結果を聞くまでは必ずしも楽天的なことばかりをイメージしていたわけではなかった。事前に、断定はできないが“早期胃ガンの疑い”があると聞かされていたし、手術で摘出した病変部の病理組織検査の結果によっては追加手術もあり得るということも承知し、何よりも手術自体に予想を大幅に超える時間がかかっただけに、何もなかったら幸いだが、何かがあったとしてもおかしくはないという心構えはしていた。

そのように、検査結果がどちらに転ぶかによって、その後の生活スケジュールが大きく変わって来ることが予想されていたので、それが判明する日が来るまでは何も、先の予定が決められないでいた。問題なかったら、あれもしよう、これも進めようと、密かに希望を膨らませていた半面、もし直ちに再入院などということになったら、キャンセルして迷惑をかけるといけないから、軽々しく仕事を引き受けたり人と会ったりする約束はできないなと、自重もしていた。何十年か忘れていた、入学・卒業・入社試験などの結果待ちの心境と似たようなものだったかも知れない。
検査結果告知の当日は、どちらかと言えば長い話になることを想定し、重要事項を聞き洩らすことのないよう、正式の病名は?進行の度合いは?先日の手術ではだいぶ時間がかかったようだが病変部は相当大きかったり深かったりしたのか?全部取り切れたのか?他に転移はしていなかったのか?今後の予定はどうなるのか?などというチェックポイントを、何度も頭に思い浮かべながら順番を待っていた。最善の場合でも今後しばらくは何やかやと検査が続くのだろうなと、あまりポジティブな期待はしていなかった。

それが、思いもかけず単純明快な結論になって、話は5分もかからずに終わってしまった。切除した病変部の写真をパソコン上で見せられ、“この通り、完全に切り取ることができ、いちばん良い結果になりました”と、ニコニコしながらドクターが言うので、恐る恐る“では、完治ということですか?”と聞き返すと、即座に“そういうことです”という答えが返ってきて、次の句が継げなくなってしまった。辛うじて“病名は...?”とだけ尋ねると、事もなげに“早期胃ガンですね”という返答。いまは、胃ガンと言われても驚くにあたらず、早期ならば内視鏡手術だけで90%以上の確率で完治するということのようだ。
胃の手術は2度目だったから、今回は単純なことでは済まないかも知れないと覚悟していたところに、思いもかけない結論で、気が抜けたほどだった。前立腺のガンが限局的で他臓器に転移していないと聞かされた昨年のあのときも安堵の気持を抱いたが、今回は完治したと聞かされて、そんな簡単なものかと、最初は信じられなかった。そう宣言してくれたドクターには失礼かも知れないが、ネガティブな内容の文献を読み過ぎて、心のどこかに、本当にこれでもう大丈夫なのかという疑念がわだかまっていたのだろう。
    
とは言え、直面していた心配の種はきれいサッパリと拭い去られたのは紛れもない事実。反対の結果を聞かされた場合とくらべれば、天と地ほどの差がある。取り越し苦労ばかりしていないで、ここは素直に喜ばねばなるまいと、家で気をもんでいた家内にも、結果はオーライだったと連絡したら、心から安心してくれたようだった。で、やっと前向きな気持ちがジワジワと湧き上がってきて、病院からの帰り道は足取りも軽くなり、途中、買い物などでそれまでのストレスを発散しながら家路を辿った。
だいたい、いま現在体調が悪ければ別だが、それがどこも何ともないのだから、完治と言われれば当然、気分が悪かろうはずはない。急に、あれもしようこれもしなければとヤル気が出て来て、お墨付きも出たことだし、早速お気に入りのレストランでの食事にも出かけようと、行動意欲も高まって来た。現金なもので、こういう結果とわかる前は、何となく何をするにも気乗りがせず、山荘のクロージングに出かけるのさえ億劫と感じる心理状態に落ち込んでいたが、いまでは持ち直して、責任感が蘇ってきた。

これで、胃の方の病院との関係が今後まったくなくなるわけではないだろうけれども、ひと先ずは一段落ということになるらしい。が、振り返れば2007年以来、検査・手術の繰り返しで、付き合いはずっと絶えることがなかった。X腺検査で異常が見つかり内視鏡による精密検査でポリープがあると診断されたのが最初で、このときは特に何もせず経過観察でよいということになったが、翌2008年の検査を、家の建て替えのための引っ越しでバタバタしていてスキップしたのがいけなかった。2009年の再検査では、以前の病変部が扁平腺腫という前ガン状態にあることがわかり、1回目の手術を受けた。
その結果は、問題部分の完全摘出に成功したとして、1年後に経過確認すれば良いということになったが、2010年の検診時に、ほぼ同じ場所にまたもや腺腫が発生していたことがわかり、以後、翌2011年2月および8月の再検診・再々検診を経て、今回の2度目の手術に至った。その間、2010年には一方で、ほぼ1年を通じて前立腺ガンの諸検査と手術に明け暮れ、いま思い出してみても、我ながらよく乗り切ったと思う。もちろん、家族の協力と心遣いがあってこそのことだったが...。

偉そうに言うわけではないが、体験的に思う。病院とのお付き合いは、できればないに越したことはないが、己を守るためには健康診断は面倒がらず、積極的に受けるべきだ。それも自治体などの基本検診だけでなく、男女それぞれ特有の、そして共通のガン検診も...。さらに、どこかに問題があるとわかったら、それと積極的に向かい合い、早目々々に治療に取り組むこと。これが、事態の深刻化を未然に食い止めることにつながるはずだから。2年続けてガンと診断され、前立腺、胃の手術を受けたが、早期に発見・処置したおかげで、最短時間でもとの生活に復帰できている自分が、何よりの手本だ。
とは言え自分も、もうこれ以上の病気の心配はなくなるなどとはもちろん思っていない。体力も齢相応に衰えて行くだろうし、何も考えない安易な生活に浸り続ければ、治ったと思った病気が再発したり、新たな疾患にかかったりすることがあるかも知れない。なので、この一段落を機に、食事内容や生活ペースにはより一層気を配って、身体の免疫力を低下させないような暮らしを維持したいものと、改めて考えている。無為に長生きすることは望まないが、まだまだ、したいこと、しておかなければならないことも沢山あるので...。

願わくは、これでしばらくの間、病気ネタを書かずに済むことを願って...。

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2011年10月10日 (月)

山荘で大ハプニング

先週後半、紅葉にはチョッとまだ間があると思ったが、用事があって清里の山荘に行ってきた。家内が夏のうち避暑させていたセントポーリアの鉢を、そろそろ横浜の方へ引き上げなければならない季節になったということで...。自分だけの用で皆を付合わせるのは心苦しいから、1泊だけして単独で行ってくると家内は言っていたのだが、それではいくら何でも身体がキツかろうし、そうすることで留守番をするこちらの方が楽になるということでも必ずしもないので、いろいろ相談した結果、2泊3日のショートステイではあるけれども、やっぱりいつも通り、2人と1匹で行くことにした。
というのも、自分のしつけが甘かったのかも知れないが、家内がいない夜はムッシュが寝つかなくて困るのだ。彼女が友人たちと2~3日山荘に出かけて、自分と二人でお留守番をするときなどは、2日目以降はあきらめて観念するが、初日は必ず、一晩中、ひっきりなしにケージの中で啼き続けていて、本人(犬)はもちろんだが、こちらも、何度もベッドから出てなだめたり叱ったりで、眠る時間がなくなってしまう。先日、自分の手術で家内の病院からの帰りが深夜になったときなども、留守番をしてくれていた二男の言うことをどうしても聞かず、家内が帰宅してやっと寝ついたのだそうだ。

それはそれとして、前回行ったときからまだ1ヵ月と少ししか経っていないけれども、気候条件はすっかり変わってしまい、出かける前日までは横浜でも、晩秋の寒さが続いていた。ので、その中を清里に向かうのは、いささか気が重いと思っていたが、出かける当日になって一転、横浜は夏日と言われるほど気温が急上昇し、この分なら清里の寒さもそんなに厳しくならないのでは?と、例年に懲りずに、また甘い期待を持ってしまった。あらかじめ当地の天気予報も調べ、この期間、最高温度は17~8度までしか上がらず、夜間・早朝は5度以下になることもあるということを知っていながら...だ。
長袖のシャツを着て出たので、中央道を下りる辺りまではやや暑いくらい。日が沈み始め、141号線に差しかかるころになって、ようやく適温になってきた。登坂するにしたがって気温はどんどん下がり始め、清里高原に入る前に20度を割り、山荘に到着したときには12度まで急降下していた。何と言ってもまだ10月初めなので、迷いながら最小限の寒さ仕度をし、身近には綿カーディガンしか置いていなかったが、車外へ出ると、それを羽織っただけでは耐え難い冷えが、身体の芯に沁み込んできた。

でも、すっかり日は暮れたが、途中渋滞もなく意外に早く(午後6時に)着くことができたので、ヤレ嬉しや、早く屋内に入って暖をとろうと、いつも通り玄関を開けようとしたら、何と、とんでもないハプニングが待っていた!暗くなってから着いたときには、まず外付けのポーチ灯を点けるのだが、スイッチを入れても点灯しない。ン?と思ったが、電球が切れているということもあるかも知れないと、車のライトの明かりで玄関を開け、屋内廊下各所のスイッチも入れてみたが、それらもダメ。
そこでさすがに、これは電気関係に何か容易ならざる事態が発生したと感じ、家内と共々、懐中電灯を頼りに配電盤のブレーカーを点検...あれこれいじってみたが、漏電ブレーカーが落ちて(“切”になって)いたこと以外は、どこがどうしたのかわからない。ちょうどムッシュの晩ご飯どきで、車内でも少し催促が始まっていたがそれどころではなく、このままではどうしようもなくなると、とりあえず、管理センターに相談の電話をかけた。すると、時間が割合早かったのが幸いし、いつもお世話になっているAさんがまだ在所していて、話を聞いてくれた。が、夜勤の人との交代時間で動けないので、こちらから管理センターまで来られないかという。

もちろん、そうする外ないから、さっそく2人と1匹で駆けつけた。直接より詳しく状況を話すと、漏電ブレーカーが落ちていたのなら、それは、さまざまな電源の配線のうちどれかに断線などがあったのだろうから、個別のブレーカーを上げ下げして、まずはその個所を特定しなければならない、でもAさんは一緒に行けないから、自分と電話でやりとりしながら、一つ一つのブレーカーを点検しよう――ということになった。で、再び山荘に戻り、配電盤面を懐中電灯で照らし、Aさんと電話で話しつつ、問題個所発見のための点検を始めた。可哀そうに、ムッシュはまだ、晩ご飯にありつけない。
点検のやり方はこうだった(皆さんも、覚えておくとそういうことがあったときの参考になるかも知れない)。まず主電源のブレーカーから始まって、漏電ブレーカー、そして各部屋や場所ごとの個別ブレーカーを、一つずつ“切”にして行き、次に同じ順序で、それらを一つずつ“入”にして行く。その際、個別電源のどれかのブレーカーを“入”にしたときに漏電ブレーカーが落ちて、上がらなく(“入”にならなく)なれば、その個所に原因(断線など)があるということになり、そのブレーカーさえ“切”にしておけば、漏電ブレーカーは上がるようになって、他の電源は使えるようになるというのだ。

この点検でわかったのは、冬季の凍結防止のため床下(地下室)の配水管に巻いてあるいわゆる“水管注熱”用の配線のどこかに何らかの異常があったということ。確かにAさんの言う通り、その水管注熱のブレーカーを“切”にしたら、漏電ブレーカーが上がるようになり、他のすべての電源が回復して、屋内外の照明も、ボイラーや床暖房も、テレビもキッチンの電気製品も、外の浄化槽のモーターも、すべて正常に作動し始めた。水管注熱自体の必要な時季はまだ少し先だから、とりあえず今回はこれでステイOKということになりホッと胸をなで下ろし、ムッシュも1時間以上遅れてやっと夕食にありついた。
一時はどうなることかと思い、これから探してホテル泊?でもペット連れで泊まれるのか?それとも横浜までトンボ帰り?など、さまざまなことが頭に浮かんだが、ひとまず解決してホントに助かった。とっさに適切なアドバイスをしてくれたAさんにはいくら感謝してもし足りないくらいだが、聞いてみれば、近年似たようなケースが、ここ「清里の森」で少なからず発生しているそうだ。大多数の家が、築20年以上経つので、電気配線なども個所によっては経年劣化して、そういう事態を招くことが多いらしい。

さて、そういうことで今回、ステイには差し支えがなかったが、だからと言って、そのまま帰るわけには行かない。次回山荘に来るのはおそらく11月半ば、もうそろそろ水周りの凍結が心配になり始めるころで、今年の最終回になるだろうから、ここで何らかの手を打って置かねばならないことは自明。で、翌朝またまたAさんの手を煩わせて、信頼できる設備業者に来てもらった。本来ならば、山荘を建てたときの業者に頼むべきなのだろうが、工務店経由だったので名前も知らなければ直接連絡する方法もなく、工務店の棟梁に依頼した日には、いつのことになるかわからなくなってしまいそうなので...。
Aさんが紹介してくれた業者は、社長が翌日さっそく様子を見に来てくれ、横浜に帰宅する日には職人と二人で来て、朝から半日かけ注熱用配線を全点検し、問題個所を発見してくれた。しかし、コンクリート床の一部を削り、埋め込んであった部品をまるごと交換しなければならないという話で、その日のうちの修理は当然無理ということになり、日を改めて工事してもらう約束をした。できるだけ早い方が良いに決まっているのだが、それに合わせてこちらがまた来て立ち会うのも難しいので、管理センターに預けてあるスペアキーを使い、専用入り口から地下室に入ってもらうことにして...。

ナナカマド そんなわけで、今回は、家内のセントポーリアを持ち帰るという本来の目的以外には、このハプニングへの対応に追われて何もできなかった。でも、それで良かったと思っている。もし今度のようなことが、今回ではなくて次回に来たとき、そして今回より遅い時刻に到着したときに起こったら、一体どうなってしまったろうかと、考えただけで冷や汗が出る。その意味で今回は、たまたま、いろいろな条件が良い方向に作用して、より大ごとにならないで済んだということで、まことに、不幸中の幸いだった。
どこへも出かけなかったので、周囲の秋の様子は赤くなったナナカマドの実ぐらいでしか気づけなかったが、夜間の尋常ならざる冷え込みで、森の秋はかなり深まっていることだけは如実に感じさせられた。

さあ、次回はクローズ作業だが、正直言えばこれもだんだんキツくなってきて、いろいろなことを考えてしまう。山荘通いも、決して楽しいばかりではない。
マア人生も、そんなものかも知れないが...。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり...って。

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