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2011年9月

2011年9月26日 (月)

退院しました!

毎年同じような諺を引用しているような気もするが、古人は上手いことを言ったもので、“暑さ寒さも彼岸まで”とは確かにその通り。ついこの間までアツいアツいと言っていたのに、このところはメッキリ過ごし易くなった。サテ、入院・手術のため前回(9月5日)から3週間空けてしまったが、先日退院してきたので取りあえずご報告。でも、その日は何と、あの台風15号が東京・横浜に猛威を振るった日。しかし午前中に自宅に戻れたので、まったく何の苦労もなかったのは幸いだった。
入院したのは、2年前の夏に胃腺腫で内視鏡手術を受けた昭和大横浜市北部病院。病変部もほぼ同じだが、今回は前回のEMR(内視鏡的粘膜切除術)では無理なため、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)というより大がかりな手術をしなければならないということで、前回は2泊3日の入院、入院当日即手術だったのに対して、最低1週間の入院が必要、入院は手術の前日ということになった。

9月5日にも書いたが、この日も身体はどこも何ともなく、朝食も自宅でいつも通り済ませ、元気一杯(というのも変だが)病院にチェックインした。そして昼からは病院食となったのだが、これが、これから胃の手術をする人間がこんなものをこれだけ食べて良いのだろうかというヴォリューム・メニュー。全部は覚えていないけれども、昼食は揚げ春巻きと揚げシューマイをメインに副菜があと2~3品、デザートまでついて、夕食は肉・野菜ともタップリの酢豚がメインでフルーツつき。ご飯も家で食べている量よりはるかに多く、とても完食し切れなかった。もっとも、後で強制排出(失礼!)させられたが...。
その日は、午後になると家内も帰宅して、血圧や体温・脈拍測定など基礎体調の確認、薬(下剤!)の服用、これからの施術・療養計画の説明などが看護師さんからあったほかは格別に予定もなく、独り病室の中にいても至って無聊、一向に病人気分が盛り上がらず、もちろんベッドに横たわっている気にもならない。前回と同じ設えの特別療養環境室なので大人しくテレビでも見ていれば良かったのかもしれないが、それもつまらないので、同じ7階にある270度ヴューのデイ・ルームの窓からの展望をしばし楽しんだり、9階のレストランを覗き掲示されたメニューを熟読してみたり、1階ロビー・フロアのコンビニで週刊誌を立ち読みしたりして、夜までの時間をつぶした。

翌、手術日は、10時ごろに点滴が始まり、11時前後にはスタンバイ・コールがあると聞いていたので、家内も10時前には来院し、当人もすっかりその積りで待機していたら、11時直前に、どうやら1~2時間遅れて、午後1時ごろ開始ということになりそうだという連絡が入り、さらにその時間になると、こんどはそれが3~4時になるかも知れないという第2報が入った。こちとらは最早や俎板の上の鯉だし、寸刻を争う急病人でもないから、言われるままに待つ以外どうしようもなかったが、自分の前のオペに何か突発的なことでもあったのだろうとは想像・理解しながらも、朝からもう数時間もただただ待たされているのには、家内ともども、ちょっぴりイラついた。
で、コールのかかったのが、結局、幾ら何でもいよいよだろうと病衣に着替えてからもさらに1時間経った夕方の5時。何と、予定よりも半日遅れになってしまった。おまけに、手術とは関係ないが、もうそろそろかと思い始めていたころ、かなりの揺れ(関東地方震度3)があったりして、人騒がせなことだった。毎朝のテレビの運勢占いなどはほとんど気にせず聞き流している方なのに、思えばその日は、自分の山羊座が最悪ランクで、次から次へとハプニングに見舞われると言っていたのが妙に気になっていたが、まさかこれ以上はあるまい、もう勘弁願いたいと念じながら、手術室に向かった。

実際に手術台に横たわったのは多分、午後6時ごろ。やっと、イヨイヨだなという、緊張感が湧いてきた。何人かのスタッフが同時に慌ただしく立ち働き、まず、血圧や脈拍や心電図をモニターし続けるため、指先や手首や脇腹に計測器の端末が接着され、口にはマウスピースを咬まされ、鼻には酸素吸入のチューブが差し込まれた。ほとんど間を措かず、腕には点滴の針が入り、鎮静薬・鎮痛剤の注射も始まった。定かではないが、今回は時間も長くかかりそうということでか、吸入式の麻酔剤も用いてもらったようで、これら一連の作業が終わったなと思ったところで、フッと意識が途切れた。
それからのことはもう、何もわからない。誰か(多分担当のY医師?)の“中澤サーン、終わりましたヨー...”という呼びかけと、家内の“終わって良かったわネ、じゃあ帰りますヨ...”という言葉だけが、かすかに記憶に残っていた。が、あとは朦朧、チャンと目覚めたのは翌朝で、看護師さんが“ご気分いかがですかー”とやってきたときだった。いま何時かと聞いたら午前8時とのことで、それまでは昏々と眠り続けていたらしい。

やがて回診に来たY医師に聞くと、思いもかけなかった難手術だったようだ。医師から聞いたことを素人が表現するのだから正確な言い方になっているかどうかわからないが、様子はこうだったと言う。――通常この手術は、粘膜の下層に病変部を持ち上げる膨隆剤を注入して、持ち上がったところをザックリと切り取るのだが、自分の場合はなかなか頑固な腫瘍でそれが持ち上がらず、20本余りの周囲血管を結索してやっと、それを切除することができたのだとか。幸い、穿孔や血管損傷よる大出血などの偶発症もなく、万が一の場合を想定して同意書を取られていた輸血や血液製剤の使用などもなくて済んだ。
このESDという手術にかかる時間は、病変部の状態によって一定ではなく、通常ならば1~2時間と言われているが、最長では8時間もかかった例もあると言う。自分の場合は...というと、終わったのが午後11時だったそうだから、5時間かかった勘定になる。自分でもそんなに長くなるとは夢にも思っていなかったから、聞いて驚き、午前から深夜まで延々13時間も病室内で待っていた家内にはたいへん心配と苦労をかけたと済まなく思い、同時に、会社を休んで家でムッシュの面倒を見ながらその間留守番をしてくれていた二男にも世話をかけ、寝ないでママを待っていたムッシュにも可哀そうなことをしたと思った。

手術の翌日からは、栄養分の他に、抗生物質・抗潰瘍薬の点滴と投薬が始まった。もちろん手術当日から絶食で、これが3日間続いた。予想外に傷が大きくなったから、大事をとって経口食の摂取を通常より1日遅らせたのだそうだ。退院も、通常より2~3日先になるとも言われた。そんなわけで、点滴だけでなく食事と言えるものが出たのは、手術後4日目から。寝てばかりいたせいか不思議と、その間さほど空腹感もなかったが、さすがに、たとえ重湯でも、久し振りのお米の味は何とも言えず舌と心に沁みた。
次の日にはそれが3分から5分の粥になり、さらに翌日には5分から7分の粥になって、その夜には遂に全粥になった。お菜は、白身の魚も出たが、全体を通じてほとんど脂っ気のない野菜煮物系。ヨーグルトや果汁風味の流動食的栄養飲料が毎食必ずついて、傷ついた胃を保護するための食事メニューとしての参考になった。経口食が始まってからは、できるだけ動いた方が体力の回復を早めるということも教えられたので、病室のある7階のフロアだけだったけれども、三角形になっている病棟回廊を、点滴スタンドを押しながら何回も何回も歩き回り、室内でも、極力ベッドから離れて過ごすようにしていた。

すると、たしかに自分でも体調は悪くないなということが確信でき、体内にだんだん力が蘇って来るのも感じられて、もしかしたら退院は、もうそんなに先にしてもらわなくても良いのではないかという勝手な自信も湧いてきた。...テナことを思いながら美味しく全粥の夕食を頂いていたところへ、その思いが通じたかのような朗報が舞い込んできた。それまで何度かの血液検査や毎日の問診・触診の繰り返しの結果、予想以上に回復が順調で状態が良いとわかったので、明日退院可ということになったのだ。
手術直後には、けっこう十分な日数をかけた療養を要する状態と診断され、入院期間は10日前後にはなると覚悟していたが、結果的には標準とほとんど変わらない7泊8日で出所...じゃなかった退院できたのは望外の喜びであった。しかも、2年前のときは今回の半分以下の期間だったにもかかわらず、退院直後はしばしば横にならなければいられないほど体力が低下していたが、今回は自分でも驚くほど体調が良く、いま、食事以外は入院前とほとんど変わらない日常を送ることができている。

今回の手術の成果は、切り取った病変部の組織を顕微鏡で詳細に分析・検討する病理検査の結果を待たないと最終的には何とも言えないのだが、自分としては、根拠はないけれども、いまから3週間後の再診の日に、きっといい返事を聞けるものと信じている。

(世相・身辺雑感)

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2011年9月 5日 (月)

元気なれど、また手術

このところ、少しだけ体重も戻って、夏バテもせず元気に過ごしていたが、昨年・一昨年に続いてまたもや今年も、手術を受けなければならない破目になった。病気の話など辛気臭くて、読む方も楽しくもないだろうから、あまり気が進まなかったが、自分のようなケースは思ったよりも多いとも聞くし、誰かの何かの参考にでもなればと、また後日のための自分の備忘録として、ネグらずに書き留めておくことにした。
これまで拙ブログを読み続けていただいている方はすでにご承知のように、自分は昨年11月には前立腺ガンの小腺源(放射線カプセル)埋込手術を、一昨年8月には胃腺腫(ポリープの一種)の内視鏡によるEMR(内視鏡的粘膜切除)手術を受けている。昨年の前立腺の方はお蔭さまで、PSA(前立腺特異抗原)の数値が、術後3ヵ月毎の血液検査で、術前の6.50から3.13、2.08、そして1.20(つい1ヵ月前、術後9ヵ月目の測定値)と下がり続け、順調な経過で推移中と診断されている。

ちなみにこの数値は、一般的に4.00以下なら問題なしとされており、それがこの基準値を上回っているレベルから漸減するという変化は、放射線の組織内照射によってガン細胞が死滅し続け、限りなくゼロに近づいて行く状況を意味するが、自分の場合には、12ヵ月目の検査で1.00を切り、そのレベルが安定継続するようであれば完治ということになると言われているので、楽しみにしている。
一方、一昨年の胃腺腫の方だが、昨年8月の術後12ヵ月目の内視鏡検査で、切除したはずの個所に、また、ほぼ同規模の腺腫が発生しているのが見つかった。で、そのときの検査の結論としては、ガンのおそれはないということで、6ヵ月毎の内視鏡検査で経過観察を続けましょうということになっていた。そしてその流れでの本年2月の検査でも、変化はナシということだったが、また6ヵ月経った先月半ばに検査(術後2年目)を受けたら、表面から観察する限りでは状態が変化しているようには見えないのだが、より深層部の状態も調べておいた方が良い、という診断になり、再手術を受けることになった。

今回の手術はESD(内視鏡的粘膜下層剥離)という手法で行うことになっているが、これは、前回のEMRのような、病変部粘膜の上部だけを引っ張り上げて吸い取る方式ではなくて、より下層まで広範囲に切り取るというやり方だそうで、組織のサンプルだけの内視鏡検査や表層部だけのEMRではわからない、組織全体の検査・分析でもあるという。そのため、前回は1~2時間の手術、2泊3日の入院で済んだが、今回は手術に4~5時間、入院は最短でも1週間あまり、場合によっては追加手術などということもあるので、さらに入院日数が長びくことがあるかも知れないとのこと。
前立腺の方の回復が順調だったので、つい勝手に(というか希望的・楽天的に)、胃の方も、検診の結果は再手術などということにはならないだろうと決め込んでいたが、そうも行かなかった。が、だからと言って、率直なところ、自分としては格別に気落ちしているわけでも、あれこれ思い悩んだりしているわけでもない。これが、もし開腹手術だったら、多少は苦痛もあるだろうし、回復にも倍の時間がかかるだろうし...と、チョッと引いてしまうところだが、いまは幸いにもこの程度のことは内視鏡でできてしまうから、有難いくらいのもの。内視鏡は、これまでに通算で10回は呑んでいるから、もう慣れたもので、内視鏡手術ならドンと来い!という心境だ。

内視鏡つまり胃カメラというと、未経験で先輩から昔のそれの話を聞いただけの人は、大の男でも逃げ出したくなるほど辛いらしいという先入観があるようだが、いまは決してそんなことはない。どこの病院でも、喉の麻酔の他に鎮静剤(軽い睡眠薬)を使ってくれるから、夢見心地の中に終わってしまう。だから、その必要を告げられた人は、自分の状態の早期確認のためにも、食わず嫌いで逃げ回っていないで、できるだけ早くこれを(50代に入った男性は併せてPSA検査も)、気軽に受けることを勧めたい。
とは言え自分の場合は、正直のところ、また家内をはじめ家族には、心配と迷惑を掛けてしまうナア...とは思っている。本人としては、“度々で済みませんが、またチョッと行って来ますので...”というほどの気持ちなのだが...。自分は、祖父・叔父・母を胃ガンで亡くしているので、家系的にヤッパリ自分も...などという俗説が脳裏をかすめたりしないこともないが、その説が正しいわけでも、自分がそうと決まっているわけでもないのに、余計なことを考えても始まらない。手術と分析結果がどう出ても、そのときはそのとき。その時点での可能な最善を尽くすだけで、これほど早期に心配の芽を摘み取る機会が得られたことを、むしろ感謝せねば...と思っている。

医師の、これまでの検査の結果を見る限りでの所見は、“いまのところガンの細胞は見つかっていないが、ガンがないとは言い切れない――だから病変部分を全部切り取って、徹底的に調べるのだ”とのこと。自分としても、1年も2年も経過観察だけでジリジリしているよりも、その方が結論が早くわかって、よほど気持ちがいい。いや、ホントに...。強がりじゃあなくて...。
そんなわけで、あと10日ほどでまた、前回と同じ昭和大学横浜市北部病院でこの手術を受けることが決まっているのだが、その前に、実は本日、9月5日に、手術のための全身的な予備検査がある。血液検査から始まって、一般X線撮影、CTスキャン、心電図...等々だが、これらも、前立腺の手術のときに経験済みで、要領はすっかり呑み込んでいるつもり...と、面倒とも何とも思っていないが、こういうことに馴れっこになるのも、よく考えてみると果たして、いいことなのかどうか...。

フシグロセンノウの花とタマゴダケところで、そういうことになると当分(少なくとも10月中旬ぐらいまで)は、遠出するのは無理になるだろうと思い、いまのうちに夏の名残りを楽しんでおこうと、先日帰ってきたばかりだったが、またまた山荘へ行ってきた。今回は、前回仕事の都合で合流できなかった二男もやって来て、庭の笹刈りや中・高木の枝落しを手伝ってくれ、大いに助かった。やはり、男手が増えると、こういう力仕事はハカが行く。
ふだんの心掛けがいいのか、今回も現地でのお天気には恵まれたが、心なしか2週間前とくらべると、陽射しが弱くなったような気がした。清里の森は早くも、夏から秋に移りつつあるのだろうか...。テナことを柄にもなく想いながら庭を散策していたら、小さい秋をふたつばかり見つけた。ひとつは、可憐なオレンジ色のフシグロセンノウの花。何年か前に麓の園芸店で苗を買って植え付けたものが、1年で花が付かなくなり諦めていたところ、数年ぶりで咲いたもの。もうひとつは、いつも同じ場所に生えてくる鮮やかな朱色のタマゴダケ。例年、本格的な秋になってから顔を見せるのだが、今年は早かった。

さて話は戻って手術のこと。自覚症状的には、胃の部分はどこも何ともなく、食欲もまったく普通なので、これで手術をしなければならないというのは、どうも妙な気分だが、マア、とりあえず行って来るとしよう。その結果、たとえ何が見つかっても、タイミング的には早期だし、この手術の予後はきわめて良好だそうだから、どうか皆さんご心配なく。
本来なら、このブログの次回は、今月の19日か20日ごろになるのだが、そのときはちょうど入院の真っ最中なので、たぶんその回はお休みさせていただき、再開は、早くていまから4週~1ヵ月後くらいになってしまうと思う。

メールも、13日ごろまでは見られるし、返事も出せると思うけれども、月半から少なくとも2週間、つまり月末までは無理になる(順調に行った場合で)ので、あらかじめここで、失礼をお詫びしておきたい。

では、そんなわけで...。

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