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2011年5月 2日 (月)

カントリーの歌が聞こえる

山荘のオープンのため、今年初めて清里に行ってきた。昨年は11月下旬に手術・入院することが決まっていたのでその月の初めに早々とクローズし、それが最後になっていたから、約5ヵ月ぶりということになる。出発は、当初予定していた日がひどい雨風になったため翌日にズラしたらこれが大正解で、快晴の上に気温もうなぎ登り、横浜の家を出るころは22度にも達していた。この時季は、これでいつも清里の気温を読み間違えるのだが、その日も、“これだけこちらが暖かけりゃあ、いくら何でも...”と、春仕度で出かけた。
中央道は、日曜の下りとあって渋滞もなく、遠く近くにいまが盛りの山桜を愛でつつ快適にドライブ。ムッシュも、本来ならばお昼寝の時間なのだが久しぶりの遠出が嬉しいのか、後部座席を右に左に動いて、移り変わる車窓の風景を楽しんでいた様子。いつも通り談合坂SAで小憩した以外はどこにも止まらず淡々と走り続けて長坂インターまで来ると、毎度のことながら、海抜600~700メートルのこのあたりの春はまだ始まったばかりという感じだったが、今年はそれも平地と同様に、1週間あまり遅れていたようだ。

南アルプスは雲に隠れて見えなかったが、八ヶ岳の峰々の7合目あたりから上はまだ真っ白に冠雪したままだし、大泉の坂道沿いの桜も、枝垂れが1本だけ開花してはいたが、あとの多くはこれからのようだった。そして高原大橋まで来ると気温は9度まで急降下していて、我が山荘に着く頃はさらに下がって4度、雪までチラついて来る始末で、車外での防寒に綿のアウターしか用意してこなかったことを今更悔いたが後の祭。まったく、20数年懲りずに、ほとんど毎回同じようなことを繰り返しているのだから困ったものだ。
実のところ今回は、山荘の中に足を踏み込むまで、先月11日の大地震(とその直後の長野の中震)による被害を心配していた。横浜の家では幸いにしてそのとき、震度5弱だったにもかかわらず何一つ倒れたりも、落ちたりも、破損したりもしなかったが、こちらは、ダイニング・カウンター上壁面の浅いアルコーブに磁器を飾ったり、カップボード上には無造作に本を立てたりオルゴールを置いたりしていたので、何も影響がなくて済んだはずはないと、ある程度の覚悟はしていた。

ところが、隅々まで点検したけれども、どこにも何一つ損傷はなく、まずは片付けだろうと予想していただけに拍子抜けはしたものの、正直、ヤレヤレと胸をなで下ろした。今回はゲートのパスカードの更新処理をしてもらう必要があったので、管理センターに立ち寄ったらちょうどAさんがいて、ひとしきり先日の地震の話になったが、当日ここら辺りは震度4で、森の中では水道管本管が1箇所破損し、翌日まで停電が続いて、そのとき来ていた人はだいぶ難儀したそうだから、我が家はまったくラッキーだったようだ。
長期クローズ後のオープンは、まずは配電盤のオフにしていたスイッチをオンに戻し、ボイラーや生活用水の排水管を締め戻した上で水道元栓を開けて各カランから圧のかかった空気を排出、しばらくの間は水を出しっ放しにしておかなければならないので、すべての装置が機能し出すまでにはいささか時間がかかったが、ともあれ今年も、凍結や破損や水漏れもなく、ボイラーも床暖房も正常に作動し始めて一安心。だが、数ヵ月の間冷えに冷えていた屋内は容易なことでは暖まらず、床暖房だけでなく暖炉も焚いて部屋全体が暖まって来たところでやっと人心地がついた。

山荘の木々 4月ももう終わろうかという時季なのに、気温は夜が更けるにつれてさらに下がって翌朝の天候が思いやられたが、朝目覚めてみたら快晴。...と思ったのは束の間で、ムッシュの散歩を終えたころにまた雪が降ってきた。だが、今日はこのまま寒い一日になるのかと思ったらそうでもなく、30分も降ったら雲が消えて再び日が射してきた。しかし朝食後に庭に出てみると、開き残ったフキノトウが2~3個見つかっただけで、春の訪れを告げる植物はまったく見当たらず。昨年の同時期にはカラマツに、遠目には薄緑色に見える若芽が沢山ついていたのだが今年はまだで、森はほとんど灰褐色のままだった。
車を前庭に入れようとしたときからしてそうだったが、かなり太目の枝がやたら折れ落ちているのが目についた。この冬はさして大雪だったとも思わないでいたが、強風の日が多かったのだろうか...。むろん、タラの芽やコゴミ、ウドなどはまだ影も形もなく、カラマツや白樺・ブナなどの新緑とツツジの花が見られるのはズッと先のことになりそうだ。結局その日は、晴れ間と雪雲の目まぐるしい繰り返しでどこに出る気にもならず、一日中家の中に籠っていたが、マア意図せぬ骨休めにはなった。

次の日も朝は快晴...だったが、だんだん雲が出てきて、雪がチラつかないだけマシながらも、前日同様の低気温。でも、その日も終日家の中でくすぶっているのも芸がないので、街の様子を見に外出することに。山荘の設備業者への支払いを地元の山梨中央銀行の口座に振り込む必要があったし、昨年のゴールデンウイークに蔓バラの苗を頼んでいた萌木の村のバラ専門店「フェアヘーブン」にも様子を見に立ち寄ってみようかと思ったからだ。村の広場でムッシュを遊ばせて、寒くなければどこかの店のテラス席で、愛犬共々軽いランチをするのも悪くないかなとも思っていた。
けれども、どうやら今年は自分たちの訪れるタイミングがやや早過ぎたようで、ウイークデーということもあったかも知れないが、フェアヘーブンも含めて萌木の村のほとんどの店はまだクローズ中。ロックにもメリーゴーランドカフェにも、寒い中テラス席で食事をしているような酔狂な客はいなかった。ブラついている観光客の姿もほとんど見えず、振込みをしようと思った山梨中央銀行の清里駅前ATMも節電で使用停止中。結局、家に戻って、昼食は簡単に済ませてしまった。

牧場通り今回は後に予定が詰まっていたため、GW前3泊4日の短期滞在で、アッという間に横浜に帰る日が来てしまったが、まずは山荘を無事オープン、管理費を支払ってゲートカードを更新し、今後は気楽に来られるようにしておくという基本目的は果たしたから、さしたることはできなかったにしても、とりあえずはこれで善しとせねばなるまい。次に来るころにはきっと、色とりどりのツツジが咲き競い、木々の若葉が目にも鮮やかになり、タラの芽も食べごろになっているに違いない。
サテ、帰りの日は到着の日とはガラリと変わって、山の上でも午前中から20度近い暖かさ。横浜自宅到着は午後6時ごろを目標としていたので、あえて最初から高速には乗らず、道の駅で地産品を買ったり、長沢の桜を眺めたりしながら、韮崎まではブラブラと国道141号線を辿ることに。朝のうちに一仕事を済ませのんびりと帰り支度をして、午後2時ごろに山荘を発ち、国道には清里駅の方を回らず牧場通りから出た。

国道141号南清里 標高がわが山荘よりも300メートル近く下がるこの通り沿いは気温も一段と暖かく、いまがちょうど春の初め。白い花を一杯につけたコブシの並木が何ともきれいだった。こういう景色が目に映ると決まって自分のような単純構造の頭の中に聞こえてくるのはご存知あの唄“♪白樺ぁ青空、南ぃ風ぇ、コブシぃ咲ぁく...”の「北国の春」。作詞者のいで・はくが故郷の南牧村(清里の隣村)の情景を思い浮かべて書いたというから、自分のこんな短絡的反能も満更見当はずれではなさそうだ。
そしてそこから141号線に出てしばらく下ると、道は南清里高原を貫く直線コースになって眼前に広々とした空間が開けるが、ここでまたいつも聞こえてくるのが“♪Country road take me home, to the place I belong...”と繰り返すジョン・デンバーの「故郷へ帰りたい」。道の両側に広がる田園と大きな空が“Almost heaven...”という歌詞から始まるシーンにつながり、バンジョーが刻む曲のテンポと車のスピード感が快く一体化してくるような気がするからだ。

久しくカラオケを自粛していることによる禁断症状か、こうなると思わず鼻歌が出てしまう。そんな自分を隣席の家内は、“また始まった”という表情でほとんど無視しているが、これは実は、自分にとってのささやかな癒しなので、どうか許して欲しい。
自然に囲まれ暖かい春の陽を浴びて、車を走らせながら、あるいはムッシュを散歩させながら、目に映り心の感ずるままにこういうカントリー・ソングを口ずさむのは、清里に来たときの自分とっての無上の楽しみの一つなのだ。

あれから数日、平地ではもう春が終わろうとしているが、我が山荘の辺りに本格的な春が訪れるまでには、もうしばらくかかるだろう。

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コメント

今回は・・・本当にニアミスでしたね!
あの凍える萌木の村にて・・酔狂にも・・・散歩組みですよ~!

又いつか・・・!山にもおめにかかりましょう!

投稿: まみ | 2011年5月 9日 (月) 09時56分

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