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2011年5月

2011年5月16日 (月)

弟子とiPadと仕事と読書

去る連休中のよく晴れた一日、近ごろ八面六臂で活躍中の中堅マーケターH君が、久し振りに、赤坂からたまプラーザまで足を運んでくれた。特別な用事があったわけではなかったけれども、昨年の9月に会ったきりで、彼にも自分の方にも話したいことがだいぶ溜まっていて、もっと早くから会おうと言っていたのが、例の大震災の発生で予定の摺り合わせが一たん中断し、その日まで延び延びになっていた。
彼は、以前にもここで紹介し、このページに彼の会社へのリンクも貼ってあるが、自分の倅ほどの齢の少壮企業家で、こんな自分を“師匠”と呼び、その弟子を自任してくれている。流派を立てているわけでも一門を構えているわけでもないのに、どういうわけか自分の周りには、同様に思ってくれているいまどき奇特な中堅・若手のマーケターが隠れ弟子として何人かいて、H君はさしずめその一番弟子ということになるのかも知れない。

そう言ってヨイショしてくれるのをいいことに師匠風を吹かせているわけではないが、H君には何かとITがらみでは、新しいことを教わったり、仕事を手伝ってもらったりしているし、すっかり出無精になった自分のための業界情報窓口の役割も果たしてもらっている。彼は好奇心旺盛、新しいモノやコトには敏感で、TwitterやFacebookは人に先んじて始めたし、iPhoneやiPadも発売されると真っ先に手に入れたようだ。
実はこのブログを始めたのも“師匠でもできますよ、わからなかったら手伝いますから”と彼に後押しされたのがキッカケで、ついこの間までは“Twitterも始めましょう”と盛んに誘われ、いまはFacebookを薦められている。いつも、七つ道具が入っている(らしい)重そうなショルダーバッグを持ち歩いているが、その日も、中からiPadを取り出して、“面白いですよー”と、いろいろ使って見せてくれた。

PCやケータイですら十分に使いこなせていない自分だが、実はiPadについては、発売される前からいろいろ情報だけは耳に入っていて、よくわからないながらも密かに興味を持っていた。そもそも自分が最初にいじったPCが、長男からのお下がりのMac PowerBook最古型だったし、いまもやはり、長男からプレゼントしてもらったiPodを音楽端末として愛用しており、仕事でのPCは長年Windowsを使ってきたけれども、シンプルで直感的に操作できるMacのガジェットは、以前から嫌いではなかった。
いま使っているN社のPCは購入以来2年あまり、まったくトラブル知らずでどこと言って不満はないが、薄型で持ち運びできないほど重くはないとはいえ基本的にデスクトップ・タイプなので、いつでもどこでもというわけにも行かず、山荘で仕事をしようと思う際などは、それまで15年以上使い続けてきたノート・タイプのように気軽に携えて行けないことに、ときどきフラストレーションを感じていた。

自分は、まだメールとワードでの文書づくりぐらいにしかPCを使いこなせていなかった昔から、生意気にも、書斎のデスク上で使うノートPCとは別に、海外旅行などの際にホテルや機内で仕事をするための、極小型ノートPCを持っていた。マニアなら覚えているかも知れないが、2000年に発売されたS社のVの横248mm・縦153mm・厚さ29mmという当時の最小モデルで、これは旅のお伴にピッタリだと、現在の平均的ノートPC価格の倍ほどもの大枚をはたいて、発売後いちはやく入手した。
そのころの一般的な携帯電話は、最近のスマートフォンはおろか、いわゆるiモードのレベルにまでも達していなかったから、出張の多いビジネスマンはそういうサブ機を持つのが必須のような気がしていたのだが、そのときは最先端だったこのモデルも、それから10年以上経ち、自分も海外へそんなに頻繁には出掛けなくなったいまではすっかり出番が減って、山荘などへ携帯してもっぱらもの書き用に使うワープロ代わりとなり、公私のコミュニケーションや調べものそして情報のチェック・収集・ストックなどのために使う自宅書斎のデスクトップとその役割を住み分けている。

そんな、ITリテラシーがぜんぜん高くない自分などが取り立ててそれ以上の欲を出す必要もないPC環境の中で、フとiPadに対する興味が芽生えたのは、巷間盛んに話題にされている2本指でのピンチアウト(というらしい)による“直感的操作の快適性”と、ページめくりや文字の拡大に代表される“読書端末としての便利機能”に魅かれたから。いずれも、実物にはチョッと触らせてもらった経験があるだけで、ほとんどがウエブ上のユーザー感想に基づいて想像を膨らませているに過ぎないが...。
というのも、午前2時間、午後2時間、夜間2時間と、少なくとも1日に平均6時間はPCを使っている、齢を考えればヘビー過ぎるユーザーの自分は、頻繁な左右マウス操作のためか、慢性的な右肘痛と手指のむくみに悩まされ、右肩・首筋がいつも凝っている状態で、特に、キーボード上でのタッチパッド操作ができない現在のデスクトップPCにしてからは、一層それがひどくなったような気がし、それだけに、いまPCでやっていることをいちいちマウス・クリックせずにできたらどんなにか楽だろうと思ったのだ。

また、犬の散歩とiPodでの音楽リスニング以外の気分転換とストレス発散のために、図書館から週に1回、4~5冊ずつエンタテインメント系の本を借りてきては、電車・バスでの移動中、病院・医院での待ち時間、トイレタイム、パソコン作業の合間、そして就寝前のひとときなどに読むのがすっかり日常の慣わしになっている自分には、元来活字人間ではあるけれども、あのiPadでの読書はきわめて合理的であるように思える。
実は我が家の書棚は、書斎の3基とリビングルームの1基のいずれもがかなり大型なのにもかかわらず、家の建て替えで一時的に清里の山荘へ移した段ボール何十箱分もの本をまだほとんど戻していないというのに、すでに1年ぐらい前から満杯状態。それ以来、よほど必要性のある場合以外には、楽しみに読む本は買わずに図書館から借りてくるようになったが、かつて読んだ本を探そうとするときなどすごく不便を感じ、もし自分の持っている本や図書館の蔵書が全部デジタル化されていてiPadのような端末で自在に検索し読むことができたらさぞ便利だろうと考えたわけだ。

恐らく使いこなせなくて余計な苦労が増えるだけかもしれないけれども、思いがけなくスッと入って行けたら他にもいろいろ楽しそうなことができるみたいだし、このところこれといって新しい買い物もしていないからそろそろ...とも思って、ほとんど、いますぐにでも...という気持になってしまったが、それではあまりにも衝動的過ぎる、PCを替えるときだってもう少しよく調べてからにしたっけ...と、一たん踏みとどまった。
で、検討したのは、自分がいまそういうディバイスで何をしたいと思っているのか?ということと、そのしたいことが本当にiPadで実現できるのか?ということ。したいことと言っても、そんなに大それた望みはなく、極小型PCよりも楽に持ち運び・操作ができて、Webの閲覧と調べ物、ワープロでの原稿書き、メールのやり、といった基本的なことに使え、その上本を読んだり音楽を聞いたりできればそれで十分なのだが、山ほどあったiPadについての論評を読んでみても、正直のところ“何となく”しか理解できなかった。

iPadはPCだと言う人もいれば、PCの代わりにはなり得ないと言う人もいて、素人は、それならこれは一体何なのかと戸惑ってしまうが、どうやらそれは基準の置き方の差による見解の相違らしく、自分が望んでいるようなことは、ある程度のレベルまではできそうだということはわかった。ただ問題は、いちばん期待していた読書ディバイスで、この点でiPadは、いますぐには到底、図書館の代わりにはなり得ないようだ。将来はいざ知らず現在のところでは、自分が読みたいような日本語のコンテンツ(既刊の小説本)は、質的にも量的にも、きわめて充実度が低いらしい。
自分はできるだけストレスフリーに読書を楽しみたいので、いまはどこへでも気軽に携帯できる文庫本を重宝してはいるが、本は紙と印刷でなければ...などというこだわりはない。デジタル大いに結構で、文庫とは違った意味でストレスの少ない読書ができそうなiPadには大いに期待していたのだが、コンテンツが揃っていなければどうにも仕方がなく、当分の間は購入を見合わせて、山荘のお伴はこれまで通りS社の昔の極小型Vとし、読書のためには変わらずセッセと図書館通いを続けるしかないようだ。

せっかくその気になったのにチョッと引っかかって勢いが止まってしまったが、こういう理解で正しかったのかどうか、こんどH君と会ったとき、もう一度よく聞いてみよう。

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2011年5月 2日 (月)

カントリーの歌が聞こえる

山荘のオープンのため、今年初めて清里に行ってきた。昨年は11月下旬に手術・入院することが決まっていたのでその月の初めに早々とクローズし、それが最後になっていたから、約5ヵ月ぶりということになる。出発は、当初予定していた日がひどい雨風になったため翌日にズラしたらこれが大正解で、快晴の上に気温もうなぎ登り、横浜の家を出るころは22度にも達していた。この時季は、これでいつも清里の気温を読み間違えるのだが、その日も、“これだけこちらが暖かけりゃあ、いくら何でも...”と、春仕度で出かけた。
中央道は、日曜の下りとあって渋滞もなく、遠く近くにいまが盛りの山桜を愛でつつ快適にドライブ。ムッシュも、本来ならばお昼寝の時間なのだが久しぶりの遠出が嬉しいのか、後部座席を右に左に動いて、移り変わる車窓の風景を楽しんでいた様子。いつも通り談合坂SAで小憩した以外はどこにも止まらず淡々と走り続けて長坂インターまで来ると、毎度のことながら、海抜600~700メートルのこのあたりの春はまだ始まったばかりという感じだったが、今年はそれも平地と同様に、1週間あまり遅れていたようだ。

南アルプスは雲に隠れて見えなかったが、八ヶ岳の峰々の7合目あたりから上はまだ真っ白に冠雪したままだし、大泉の坂道沿いの桜も、枝垂れが1本だけ開花してはいたが、あとの多くはこれからのようだった。そして高原大橋まで来ると気温は9度まで急降下していて、我が山荘に着く頃はさらに下がって4度、雪までチラついて来る始末で、車外での防寒に綿のアウターしか用意してこなかったことを今更悔いたが後の祭。まったく、20数年懲りずに、ほとんど毎回同じようなことを繰り返しているのだから困ったものだ。
実のところ今回は、山荘の中に足を踏み込むまで、先月11日の大地震(とその直後の長野の中震)による被害を心配していた。横浜の家では幸いにしてそのとき、震度5弱だったにもかかわらず何一つ倒れたりも、落ちたりも、破損したりもしなかったが、こちらは、ダイニング・カウンター上壁面の浅いアルコーブに磁器を飾ったり、カップボード上には無造作に本を立てたりオルゴールを置いたりしていたので、何も影響がなくて済んだはずはないと、ある程度の覚悟はしていた。

ところが、隅々まで点検したけれども、どこにも何一つ損傷はなく、まずは片付けだろうと予想していただけに拍子抜けはしたものの、正直、ヤレヤレと胸をなで下ろした。今回はゲートのパスカードの更新処理をしてもらう必要があったので、管理センターに立ち寄ったらちょうどAさんがいて、ひとしきり先日の地震の話になったが、当日ここら辺りは震度4で、森の中では水道管本管が1箇所破損し、翌日まで停電が続いて、そのとき来ていた人はだいぶ難儀したそうだから、我が家はまったくラッキーだったようだ。
長期クローズ後のオープンは、まずは配電盤のオフにしていたスイッチをオンに戻し、ボイラーや生活用水の排水管を締め戻した上で水道元栓を開けて各カランから圧のかかった空気を排出、しばらくの間は水を出しっ放しにしておかなければならないので、すべての装置が機能し出すまでにはいささか時間がかかったが、ともあれ今年も、凍結や破損や水漏れもなく、ボイラーも床暖房も正常に作動し始めて一安心。だが、数ヵ月の間冷えに冷えていた屋内は容易なことでは暖まらず、床暖房だけでなく暖炉も焚いて部屋全体が暖まって来たところでやっと人心地がついた。

山荘の木々 4月ももう終わろうかという時季なのに、気温は夜が更けるにつれてさらに下がって翌朝の天候が思いやられたが、朝目覚めてみたら快晴。...と思ったのは束の間で、ムッシュの散歩を終えたころにまた雪が降ってきた。だが、今日はこのまま寒い一日になるのかと思ったらそうでもなく、30分も降ったら雲が消えて再び日が射してきた。しかし朝食後に庭に出てみると、開き残ったフキノトウが2~3個見つかっただけで、春の訪れを告げる植物はまったく見当たらず。昨年の同時期にはカラマツに、遠目には薄緑色に見える若芽が沢山ついていたのだが今年はまだで、森はほとんど灰褐色のままだった。
車を前庭に入れようとしたときからしてそうだったが、かなり太目の枝がやたら折れ落ちているのが目についた。この冬はさして大雪だったとも思わないでいたが、強風の日が多かったのだろうか...。むろん、タラの芽やコゴミ、ウドなどはまだ影も形もなく、カラマツや白樺・ブナなどの新緑とツツジの花が見られるのはズッと先のことになりそうだ。結局その日は、晴れ間と雪雲の目まぐるしい繰り返しでどこに出る気にもならず、一日中家の中に籠っていたが、マア意図せぬ骨休めにはなった。

次の日も朝は快晴...だったが、だんだん雲が出てきて、雪がチラつかないだけマシながらも、前日同様の低気温。でも、その日も終日家の中でくすぶっているのも芸がないので、街の様子を見に外出することに。山荘の設備業者への支払いを地元の山梨中央銀行の口座に振り込む必要があったし、昨年のゴールデンウイークに蔓バラの苗を頼んでいた萌木の村のバラ専門店「フェアヘーブン」にも様子を見に立ち寄ってみようかと思ったからだ。村の広場でムッシュを遊ばせて、寒くなければどこかの店のテラス席で、愛犬共々軽いランチをするのも悪くないかなとも思っていた。
けれども、どうやら今年は自分たちの訪れるタイミングがやや早過ぎたようで、ウイークデーということもあったかも知れないが、フェアヘーブンも含めて萌木の村のほとんどの店はまだクローズ中。ロックにもメリーゴーランドカフェにも、寒い中テラス席で食事をしているような酔狂な客はいなかった。ブラついている観光客の姿もほとんど見えず、振込みをしようと思った山梨中央銀行の清里駅前ATMも節電で使用停止中。結局、家に戻って、昼食は簡単に済ませてしまった。

牧場通り今回は後に予定が詰まっていたため、GW前3泊4日の短期滞在で、アッという間に横浜に帰る日が来てしまったが、まずは山荘を無事オープン、管理費を支払ってゲートカードを更新し、今後は気楽に来られるようにしておくという基本目的は果たしたから、さしたることはできなかったにしても、とりあえずはこれで善しとせねばなるまい。次に来るころにはきっと、色とりどりのツツジが咲き競い、木々の若葉が目にも鮮やかになり、タラの芽も食べごろになっているに違いない。
サテ、帰りの日は到着の日とはガラリと変わって、山の上でも午前中から20度近い暖かさ。横浜自宅到着は午後6時ごろを目標としていたので、あえて最初から高速には乗らず、道の駅で地産品を買ったり、長沢の桜を眺めたりしながら、韮崎まではブラブラと国道141号線を辿ることに。朝のうちに一仕事を済ませのんびりと帰り支度をして、午後2時ごろに山荘を発ち、国道には清里駅の方を回らず牧場通りから出た。

国道141号南清里 標高がわが山荘よりも300メートル近く下がるこの通り沿いは気温も一段と暖かく、いまがちょうど春の初め。白い花を一杯につけたコブシの並木が何ともきれいだった。こういう景色が目に映ると決まって自分のような単純構造の頭の中に聞こえてくるのはご存知あの唄“♪白樺ぁ青空、南ぃ風ぇ、コブシぃ咲ぁく...”の「北国の春」。作詞者のいで・はくが故郷の南牧村(清里の隣村)の情景を思い浮かべて書いたというから、自分のこんな短絡的反能も満更見当はずれではなさそうだ。
そしてそこから141号線に出てしばらく下ると、道は南清里高原を貫く直線コースになって眼前に広々とした空間が開けるが、ここでまたいつも聞こえてくるのが“♪Country road take me home, to the place I belong...”と繰り返すジョン・デンバーの「故郷へ帰りたい」。道の両側に広がる田園と大きな空が“Almost heaven...”という歌詞から始まるシーンにつながり、バンジョーが刻む曲のテンポと車のスピード感が快く一体化してくるような気がするからだ。

久しくカラオケを自粛していることによる禁断症状か、こうなると思わず鼻歌が出てしまう。そんな自分を隣席の家内は、“また始まった”という表情でほとんど無視しているが、これは実は、自分にとってのささやかな癒しなので、どうか許して欲しい。
自然に囲まれ暖かい春の陽を浴びて、車を走らせながら、あるいはムッシュを散歩させながら、目に映り心の感ずるままにこういうカントリー・ソングを口ずさむのは、清里に来たときの自分とっての無上の楽しみの一つなのだ。

あれから数日、平地ではもう春が終わろうとしているが、我が山荘の辺りに本格的な春が訪れるまでには、もうしばらくかかるだろう。

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