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2011年3月 7日 (月)

帰ってきた花粉症

穏やかな自然の営みを開始 先月の末近くになって春一番が吹き荒れ、汗ばむほどの陽気になったかと思えば、一転、3月になったのに真冬の気温に逆戻り...しかしまた何日か経つと少し暖かくなったり寒くなったり...。毎年思うのだがこの時季は、3歩進んでは2歩下がって、じれったいように足踏みしながらも、少しずつ春に向かって歩を進めているようだ。
それでもやはり冬とは違う、柔らかい陽射しが降り注ぐようになった庭でムッシュを遊ばせながら、如雨露で花壇の草花に水遣りをしていたら、どこからか番いのメジロが飛んできて、蕾が薄紅色に膨らんできた豊後梅の梢に止まった。足元には、昨年と同じ場所にチューリップが幼葉をのぞかせ、ノースポールの白い小さな花が開きかかっていて、また季節が、穏やかな自然の営みを開始したのに気付かされる。

暦が3月に変わって、自分の身辺もようやくいろいろなことが落ち着き、生活が“普通”のペースに戻ってきた。昨年の11月下旬に入院・治療した前立腺ガンの経過もほぼ順調で、先月の検診の結果、次からは3ヵ月毎の状態確認でいいことになり、一昨年の夏に手術した胃腺腫も、1年後検診で同じ個所にまた同じような腺腫ができていてちょっと心配したが、その半年後つまり先月の再検診でガン化はしていないことがわかり、以後は6ヵ月毎にチェックし続ければいいということになった。
普通と言えば、前立腺の放射線治療の影響でしばらくの間トイレが近いという状態が続いている以外には、わが体調も、ここ2~3年前の普通の状態に戻ったように思う。もちろんそれは、“良い意味での普通”ということだが、今春は花粉症も一緒に、また普通の状態に戻った。一昨年から昨年にかけては前記のような病気に終始したせいか、ついつい花粉症は出番を逸していて、例年予防を兼ねて早手回しにもらっていた薬が、ほとんど手つかずで残ってしまい、もしかしたら体質が変わって卒業できたのかと密かに期待していたけれども、どうやらそういうわけにも行かなかったようだ。

“花粉症は元気でエネルギッシュな人に発症しやすく、病弱な人や高齢者には発症しにくい”という俗説(?)があるが、あながちこれは全くの見当違いとも言えないようで、調べてみるとチャンとした医師も、“元気な人は免疫力も強いので、花粉を吸収すると体内に必要以上の抗体が増えて過剰な免疫反応が起こり、そういうバランスの崩れがアレルギー症状を引き起こす”と言っている。そしてそれは逆に言えば、“免疫力自体が弱ければそういう症状は起きにくく、また起きても軽くて済む”という理屈になるようだ。
自分の場合を振り返ってみると、この理屈には何となく納得させられるところがある。確かにいま思えば、2009年から2010年にかけての自分の体調は、かつてないほど低下し、免疫力も落ちるところまで落ちていたかも知れない。これまでも度々書いてきたように、2008年の家の建て替えで、限界寸前まで心身を消耗し、多分その影響で翌年には胃腺腫の手術をする破目になり、その結果食事にも制約ができて身体も痩せるところまで痩せ、齢のせいばかりではなく、すっかりエネルギーを失くしてしまった。

その建て替えの準備と工事の1年間は、忙しさのためと現場の横浜を離れていたことから、毎年欠かさなかった定期検診を受けずじまいになり、多少の体調異変にも目を瞑る結果となってしまったが、後で考えるとどうもそれがいけなかったようだ。戻って早速、地元の病院でガン検診を含む総合検診を受けたら、あちこちが要精密検査ということになって、内視鏡・超音波・CTなどの検査をたて続けに受け、胃の腺腫だけでなく、大腸にもポリープが発見された(悪性ではなかったので経過観察ということで済み今年もパスした)。
2009年末の寒さが厳しくなったころからは、前年の冬から始まって悩んでいた手指の爪の異常がまた現れ始めた。ほとんどの爪が二重になり、先に生えていた部分が脆く割れやすくなってしまったのだ。それまで経験したことのなかった奇妙な症状なので、どこでどう診てもらったらいいのか判断に迷ったが、インターネットなどで調べてみて皮膚科の範疇に属するのではなかろうかと見当をつけ、専門医院の扉を叩いた。しかしそこでは納得のゆく診断結果は得られず、あるいは身体の内部的な問題が外に現れたということも考えられるのかと、かかりつけの内科医に相談した。

で、症状から考えられるあらゆるケースを想定したチェック項目を含んだ血液検査をしましょうということになり、結果、意外なことが判明した。TSH(甲状腺刺激ホルモン)という項目の数値が基準よりもやや高く、それは甲状腺の機能の低下を示しているということだった。病気というのか症状なのか、まんま「甲状腺機能低下症」と呼ぶそうだが、貧血・低体温・倦怠感・爪や皮膚の異変など、確かに、その典型的症状とされているもののいくつかには思い当るところがあった。
この病気(症状)は、本来男性よりも女性に多く見られ、加齢にしたがって発症度が高まると言われており、原因は必ずしも明確にはなっていないらしいが、どうやら自己免疫疾患の一種と見なされているようだ。では、そもそもその自己免疫疾患にはなぜなるのかと言えば、これが基本的には、肉体的・精神的ストレスが積み重なったことによる体調不良で免疫力が落ちたことが引き金になるという話。それじゃあ自分の場合は、<齢+ストレス>という絶悪の組み合わせによって、なるべくしてなったわけだと、妙に納得が行った。

マ、原因が何であれ、要するにこれは甲状腺ホルモンの出方が不足しているわけだから、足りない分をコンスタントに補って行きさえすれば別に問題はないらしい。早い話が、視力が弱ってきたらいつも眼鏡をかけていないと不自由するのと同じことだと、どこかのお医者さんも言っていた。というわけでその後は、定期的に血液検査を受けTSH値を確認しては薬(というよりもサプリ?)を出してもらって、毎日服用している。
そう診断され、自分もいよいよ紛れもないご老体であることを認めざるを得なくなったかと、いささか落ち込んで、いままではどうもこのことを他人に打ち明けるのは気が進まなかったが、いつまで恰好をつけていても、何かの拍子にバレるだろうと、この際白状することにした。しかし、これに気がついて良かったこともある。薬(サプリ?)が効いているのかこの冬は、あれほど悩んでいた二重爪がまったく影をひそめ、すっかりもとの健康だったときの状態に戻り、低体温も改善されて、気力も蘇ってきた。

実は、先に報告した前立腺ガンの兆候発見のキッカケとなったPSA(前立腺特異抗原)値の異常も、最初は、このときの血液検査で偶然判明した。その後のバタバタは、昨年11・12月のブログにも書いた通りで、地元病院での各種検査・入院から、治療方法の検討・選択とそのための最適な医療施設探し、そして選んだ国立東京医療センターでの小線源治療(放射線組織内照射)、退院1ヵ月および3ヵ月後の検診と、昨年春以来つい先月までの約1年間は、次々と組まれてゆくスケジュールに追いまくられていた。
その間一方では、一昨年に受けた胃の手術の1年後検診とさらにその再検診(いずれも内視鏡)を受け、それもほぼ時を同じくして一段落したのは前述した通りだが、これらの経験のお蔭で(あまり自慢にはならないが)、血液検査と内視鏡検査にはすっかり慣れて平気になってしまった。こうなったらもう矢でも鉄砲でも持ってこい!という心境だが、冗談はさておき、いまはこの種の検査は、ほとんど苦痛なく受けられるから、誰でもある年齢になったら、億劫がらずに受けておくことをお薦めしたい。

早々と予防接種を済ませておいたこともあるかも知れないけれども、お蔭さまでこの冬は、インフルエンザどころか普通の風邪ひとつひかない。花粉症は帰って来たが、これも身体全体の健康回復の証し、エネルギーの再チャージ状態と思えば、むしろ愛おしく(?)さえ思えるほど。多少目が痒かったり、鼻がムズムズするぐらいは、久し振りの挨拶代わりと温かく受け止めてやらねばなるまい(...とは、正直言えば痩せ我慢だが)。
それにしても、最近は実に良く眠るようになった。かつては夜半の12時前にベッドに入ることなど考えられず、深夜に就寝しても4~5時間も熟睡すれば気持ちよく目が覚めたものだったが、いまでは宵の10時半を回るともう横になりたくなり、朝は7時を過ぎても、まだ眠っていたいと思うようになってしまった。前立腺治療アフターケアの薬を服用しているせいで、どうしても夜中に1~2度トイレに起きることがあるからか?或いはそれを含めて、これが“齢”というものなのだろうか?

病気ネタはもうこれぐらいで終りにして、今後は書かないで済むようになりたいものだ。

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コメント

よく眠れるのは・・・お若いことです!
眠るにも体力が必要で・・・ですから老境の人々は浅くひがな船を漕ぎ、昼も夜もうつうつと・・・。
ぐ~っと夜を寝て、昼間活動できるのは・・・元気なことと思われますよ!
あらゆる病症も、いい方向に向いておられるご様子・・・よかったね!

投稿: まみ | 2011年3月 8日 (火) 10時41分

初めまして千葉県野田市の小原昭治と言います。
1950年の四月号の最終ページにリーダーズダイジェストの営業担当「高橋一雄」様をご存じ方、又は本人と連絡ができませんか。
もしかすると高橋一雄様は大正12年の関東大震災年にお生まれになって、母親が明治三十年生まれの「旧姓落合タケ」さん(長女)ではないでしょうか。
タケ様が私の母ふで(三女)が妹になります。
1950年ごろに高橋一雄様から私の父親小原富蔵にリーダーズダイジェスト誌を定期購読者として本を頂いておりました。
父親は機械屋の親方でリーダーズダイジェスト誌を読んで世の中に役立つようにと川口市議会議員を三期務めました。
高橋一雄様は上野で美術商も営んだ方だと思います。
私は現在以前勤めた「小原歯車工業株式会社」の100年写真集を製作中で父・母親のルーツを調べている時に高橋一雄様事が知りたくなりました。
どんな些細な情報でもお知らせ頂ければ幸いです。
宜しく御願い致します。


投稿: 小原 昭治 | 2011年3月20日 (日) 22時00分

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