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2011年1月10日 (月)

新春雑記

寒気は厳しいが好天続きの良いお正月。年末から元旦にかけても穏やかな日和だった。恒例のご近所御嶽神社への初詣は、年の変わる30分以上前に出かけると先頭から十数番以内に並ぶことができ、列が動き出してから10分くらいでお参りを済ませられるので、今年もそのように。一昨年・昨年と2年続けて手術を受ける羽目になったこともあり、もうそういうことのないようにと神頼みをしてきたが、自分に限らずこの先頭グループには、単なる年越し行事気分ではなく、けっこう時間をかけて真剣にお祈りしている人たちが多いように見受けられた。
頭から2~3人目の初老のご婦人の疲労感漂うその後ろ姿は、もしかしたらご家族の誰かの快癒祈願かとも思え、自分の2~3人前の学生風の若者の横顔には、恋愛かはたまた就職か思い詰めたような色が浮かび、直ぐ前の防寒作業服のままの中年男性のガッチリした背中は、なかなか良くならない景気がそのまま重くのしかかっているようにも見えた。...とは、勝手な想像に過ぎないが、みんなそれぞれに、内容や大小の差はあれ悩みや願い事があるから、寒中深夜にわざわざこういうところへ足を運ぶのだろう。ともあれ2011年は、誰にとっても良い年であるように祈りたい。

年を越したあと眠りに就いたのが大分遅かったので、元日の朝はゆっくりと寝正月を決め込むつもりでいたが、結局いつもと同じ時間に目が覚め、暮れも正月も関係ないムッシュと、いつも通りの朝の散歩。朝日を一杯に浴びて清々しい気分だったが、何か不思議な感じがした。近所の散歩コースの路上には人影がほとんど見当たらず、車もまったくと言っていいほど走っていないのだ。やはりお正月だとこんなこともあるのかと自分は独り納得したが、ムッシュはいつもと違う光景にあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、しきりと立ち止まって辺りを見渡しては、どうも腑に落ちないといった様子だった。
午前中に長男と二男が、午後からは娘夫婦と孫娘がやって来て、はからずも全員集合というかたちになり、我が家は久し振りの大賑わい。小さな子がいる娘一家はお茶とケーキだけで夕刻に帰ったが、未だ独り者の倅たちは、昼は雑煮とお節料理そして夜は鋤焼きと、母の味を2食にわたって堪能し、初風呂で温まり、遅くまで談笑していった。孫娘にはお年玉をあげ絵本をプレゼントして大喜びされたが、親も3人の子供たちから、それぞれの心尽くしの年賀の品を贈られ、倅たちからは今年もまたお年玉をもらって、素直に嬉しかった。正直のところ少し疲れはした(特に家内は)ものの、楽しく、いい元日だった。

2日は、夫婦二人だけで富山風ブリ雑煮。家内が両親から受け継いだ味だが、四十年以上も食し続けていると、いまや我が家でも、それがすっかりお袋の味に。美味しくていくらでも食べられそうな気がしたが、やはり寄る年波(?)か、お餅は3個で満腹してしまった。昔はお腹がパンパンになるほど何杯もお代りをしたものだったが...。
正月のテレビは特番バラエティのようなものばかりだから、あんまり視る気が起きないのだが、2日・3日だけは別で、専ら「箱根駅伝」に釘付け。普通のマラソンも好きだが、駅伝、とりわけこの箱根駅伝には、どういうものか力が入る。全コースの沿道が風景も季節感もよくわかっているところばかりなので一入臨場感をそそられるし、何といっても、往路・復路そして区間ごとにコースの個性があることからさまざまなドラマが生み出されるのには、ほんとうに興味が尽きない。今年は自分の母校が総合優勝し、倅たちの母校はどちらもシード入りを維持したので、まずは目出度し目出度しというところ。

川崎大師 4日には、自らを鼓舞する意味も含めて、かねて宣言していた通り今年も川崎大師へお参りに。昨年の同日も胃の手術後4ヵ月半の身体で詣でたが、前立腺の手術後1ヵ月あまりしか経っていない今回の方が、むしろ、体力的には充実していたような気がする。川崎大師は参道が長いので、人波が滞り始めるところまで最低でも15分は歩き、そこから山門に達するまでにはさらに15分徐行、境内に入ってからも本堂の賽銭箱の前に辿りつくまでに20~30分ほどかかるが、その日は3が日も過ぎて人出もピークを越え、お天気にも恵まれていたせいか、そんな待ち時間も一向に苦にならなかった。
いつも通りに、古札を納めて、娘一家とムッシュも含めた家族全員分の開運やら厄除けやら交通安全やらの御守と、横浜の本宅と清里の山荘それぞれ用の御札をいただき、山門前の「住吉」で土産の葛餅を買って帰途についたが、昨年は全国のB級グルメコンテストが話題になりテレビでもとりあげられたせいか、参道の両側は例年にも増してエスニック・スナックの屋台が目白押し。食欲をそそられる独特の匂いが漂よい、どの店にも若者や子供連れが群がり大繁盛で、何だか細やかな幸福感のお裾分けに与ったような気がした。

年賀状は、例年交わしていた方から急に来なくなると気懸りなものだが、よくしたもので、いつも七草粥のころまでにはほぼ出そろって一安心する。それでも毎年、一人...二人...と欠けて行く方がいて、自分と似たり寄ったりの年齢の方だと、もしや何かあったのではと、余計な心配をしてしまう。逆に、入院・手術などと聞いていた方から元気になったという報せを受けたときには、心から良かったと思えるので、自分も近ごろは、ごく親しい間柄の何人かの友人・知人には、年賀と併せてその後の体調などを報告するようにしているが、そうした一人であるTさんからは、賀状の他にメールも届いた。
2006年7月28日の“君子の交わり”と題した回にも書いたように、Tさんとは長い間、絶妙な距離感を保った良い意味での遊び友達の関係を続けさせてもらってきたが、この2~3年は、お互いあまりあからさまに口には出さずとも、体調の問題などもあるとそれとなく察し合って、年1回、近況を伝え合うに止めてきた。そんな中で昨年の正月は久し振りに旧交を温めることができ、お互いもう夜遊びはシンドいから“昼カラ(オケ)”にしようかなどと言って再会を約していたが、早や1年が経ってしまったところだった。

メールは、自分が年賀状に無沙汰のお詫びかたがた昨年の手術のことをチラッと報告したからだったが、聞けばTさんも、3年前から PSA(前立腺腫瘍マーカー)値がグレーゾーンに達し、精密検査の要ありと言われていたそうで、そのときはたまたま腎臓ガンも同時に発見されたためそちらの手術が優先され、前立腺の検査は先延ばしになったとのことだった。それが一段落した一昨年には、今度はガンが膀胱にも転移していたことがわかり、当然こちらの方が優先されて、またもや前立腺は後回しになったという。1年前の再会は、そのときの話を思い起こすと、この膀胱ガンの手術後しばらくしてからのことだった。
そして昨年の8月、PSAがとうとうかなりの高値に達したので、ようやく精密検査と本格的治療の運びになったが、Tさんの場合過去の手術歴と年齢から外科的手術は不可能なため、内分泌(投薬)療法で PSA値を下がるところまで下げた上で放射線治療に移行する予定だそうな。Tさんは自分が知る限りでもこのほか、約30年前に直腸ガンの手術をし、4年半前(つまり前述のブログを書いた時期の少し前)には前ガン状態の十二指腸腺腫の手術を受けており、まことに壮絶な体験と言うほかない。

なのにご当人は、“またどこかに(ガンが)出るかも知れないけれども、そのときはそのときなりに手術・治療してもらえば良いだけのこと”と、至って恬淡としており、“幸い上部消化器系は問題なく遊びには何の支障もないので、日常行動は相変らず”などと、冗談交じりに語っている。その楽観主義には敬服させられるばかりで、自分も、身近にこういう友人がいるからこそ、いたずらに想い煩うことのない心境を保ち得ているのだと思う。
実は、Tさんとは多分、今月のうちに、また1年振りの再会を果たすことができるようになるはず。ランチをしようということになっているが、どこか適当な場所があれば、久し振りにお歌の方にも流れるかも知れない。最近は、カラオケが精神衛生上好ましいことが医学的にも証明されているというし、何より、これからまた新たな治療が始まるTさんにとっては、それが文字通りの“応援歌”になるとも思うので...。

自分も本日でまた一つ齢を重ねるけれども、良いのか悪いのかわからないが、まだ一向にご隠居気分になれない。幸いメタボとは程遠い体型を保ち得ているし、まだ背筋を伸ばし大股でスタスタ歩くこともできるので、今年も“Young at Heart”で行きたいと思う。
別に、それでどうしようという気はないのだが、前向きに快活に生きて行きたいので...。

今年も、皆様には幸多からんことを‼

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