« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月24日 (月)

就職“超”氷河期というけれど...

このところズッと晴れた日が続いているのは、低血圧の自分としてはたいへん有難い。が、一方で寒さが半端ではないのも、皮下脂肪の蓄えのない自分にはかなり応える。...などと、いつもの個人的お天気談義はどうでもいいことで、日本列島は関東・東海地域を除いて全国的に大雪に見舞われるなど、センター試験の学生たちもだいぶ難儀したようだ。
また、この寒さのせいでもあるまいが、今春卒業予定の大学生たちの就職戦線も、史上稀に見る“超・氷河期”状態とか。彼らの就職内定率は、先週初めに文部科学省と厚生労働省が発表したところによると、2010年12月1日時点で未だ68.8%と、この時期としては過去最低の数字だという。そう言えば、娘がこの就職氷河期の第一世代だった。本人も最大限に努力したが、親もあれこれできることはすべてしたあの頃のことを思い出すと、いまでもこの話題には無関心でいられなくなる。

いまはインターネットを通じて手軽に応募できるため、一人で数多くの企業の求人サイトに登録する学生が年々増え続け、2011年春に卒業予定の大学生のプレエントリー(事前登録)数は平均97社にも達しているという。しかしその分、企業側は事務手数が増大するので、予め採用対象大学を絞る傾向にあり、一部の学生に内定が集中する一方で何十社応募しても決まらない学生が続出するという現象が起きているらしい。
だがこの状況の背景には、どうもそういう理由だけではなくて、中堅・中小企業の採用意欲は旺盛なのに学生の方は大企業志向が強いという、構造的なズレというかミスマッチがあるようだ。今春卒業予定の大学生の求人倍率は、計算すると確かに従業員数5000人以上のいわゆる大企業に関しては0.47倍というシビアな数字になるが、1000人未満の中堅企業の場合にはそれが2.16倍に緩み、300人未満の中小企業だと4.41倍というかなり余裕の数字になるそうだ。

この不景気の状況下、どこでもいいから経営が安定し内情のある程度わかる国内大企業に入りたいという心情はわからなくもないが、学生時代に訣別するこれからがいよいよ自分の夢実現の本番と思うならば、それだけが最良の選択肢と思い込まず、もっと大きく目を見開いて、特色のある中堅・中小企業やベンチャー・外資企業などをも応募の対象に入れるという、柔軟な価値観を持ってもいいのではないかと、自分などは考える。
そして、大企業ならばどんな業種の会社でもいいと、やたら数多くの企業に応募しまくるのではなくて、自分は何を目指したいのか、いま何に興味があり何が得意なのかなどをよく考えて、企業規模の大小はあまり気にせず志望分野を絞り、そこに集中した方が、かえって効率の良い就職活動ができるのではないかとも思う。つまり、誰かも書いていたが、“企業に選ばれる”よりも自分で“企業を選ぶ”という発想をする必要があると思うのだ。

大企業に入社し、与えられる仕事に不平不満は言わず、組織の一員としてそこそこ安定したサラリーマン人生を全うすることができたら、それはそれで結構なことであり、そういう生き方をとやかく言うつもりはない。けれども、中小企業に就職し、苦労はあっても、また必ずしも安定ばかりは得られなくとも、興味が持てて自分の力を発揮できる仕事に巡り合い、ずっとその道で生きることができたら、これまた幸せな人生と言ってもいいのではないだろうか?
これは、どちらが良いかという比較の問題ではなく、人それぞれの考え方次第ということで、どちらも有りだと思う。ところが、そこのところがよくわからず、大手企業に入社しさえすれば自然に幸せな道が開けるのだろうという程度に考えて就職し、直ぐに“こんなはずでは...”という壁に突き当たる新入社員も多いと聞く。事実、この超氷河期の中で、2010年度の新入社員の多くが入社半年の間に仕事に対するモチベーションを下げ、50%以上が退社を意識しながら働いているという調査結果も報告されている(こういうのを「青い鳥症候群」と言うらしい)。

余計なお世話で見当違いかも知れないとは思いながらも、ツイこんなことを書き出したのは、いまの大学新卒者は“誰もが大企業志向”で“業種は何でも”よく、折角就職してもすぐ“青い鳥症候群”に罹ってしまう、といった報道に触れて、自分たちが同じ年ごろだった時代とはずいぶん就職観が変わったものだという感懐を抱き、何を甘いことを...と感じたからだった。教育のせいかそれとも社会環境の反映だろうか、いまどきの若い人たちは、個性を発揮して生き方に多様な道を模索するという選択をしなく(できなく?)なったが、それは何だかチョッと淋しいし、考えようによってはいささか気の毒な気もする。
そこへ行くと自分などはあの頃、就職先を志望するときには企業の知名度くらいは気にしたものの、規模とか安定度とかはほとんどと言っていいほど意識せず、ただ単に、やりたいこと、またはそれに近いことができそうな会社を、限られた情報(大学就職課の壁に張り出される求人ビラ)の中から見つけ出しては順次応募していただけだった。その頃でも、いわゆる大企業からの求人は当然かなりあったはずだが、常識的な就職観からやや外れていたらしい自分は、そういった情報にはまったく目が行かなかった。

そんな就活の結果、自分が入社したのは米資系の雑誌出版社。当時、世界最大の発行部数とか言っていたので知名度は高かったが、日本法人としての実態は従業員数300人程度の中小企業にすぎなかった。卒業後に消息を知らせ合った友人たちの大半は、銀行・保険・通信・飲料・燃料・商社・鉄鋼・自動車・事務機・電機・流通などの大手企業に入社していたが、自分にはそれが一向に羨ましいとも思えず、むしろ、個性や自己主張を重んじ最初から志望に近い仕事に取り組ませてくれる会社に入れたことに満足していた。
志望だった物書きの近道になるかと思って出版社に入り編集に採用されたはずだったが、入社2~3年して気がついたらいつの間にかマーケティングの仕事に首を突っ込み、商品企画や販売計画に携わり広告コピーも書くようになっていた。その中で、外部のメーカーや広告会社などとのビジネス・ネットワークも生まれ、親会社・姉妹会社間の国際人脈も広がり、重要な事業部門を任され収益に責任を持つ立場になって、仕事が面白くなり欲も出て夢中で頑張っているうちに、マーケティングの専門能力と英語力も身についた。

もし自分が国内資本の大企業に入社していたら、とてもそんなわけには行かなかっただろう。多分、出る釘として打たれ、生意気だと干されて、何も身につかぬままそこを飛び出してしまい、顧みて自分でも満足しているいまのようなゴールには辿り着けていなかったと思う。その意味で、最初の就職に際しての自分の選択は、一般的な観念に照らしてどうあれ、結果的に的外れではなかったということになる。
もちろん人それぞれだし、企業も生き物だから、自分のような就職観が常に誰にでも当てはまるとは思わないが、そのような考え方をすることは少なくとも、機会の門戸を拡げ、志望の可能性を高め、納得できる生き方を見つける近道になるのではないかとは思う。自分の場合も、最初の会社が足掛かりとなって、45年間に働き場所こそ数回変えたが、ついに仕事分野は変えることなくキャリアを全うし、いまもその道で、ささやかながら他人様に必要とされているらしいことを感じつつ、張り合いのある日々を送ることができている。

現在まだ就活中の学生諸君とは、生きてきた時代も違えば、年齢も祖父と孫ほど隔たるわけだから、自分などの経験や信念を語っても何の参考にもならないかも知れないが、この国のこれからを担ってもらわなければならないそういう人たちのまだかなりの部分が相応しいスタート地点に立てないでいるという話を聞くと、実際には何もできなくとも、せめて応援の気持ちだけでも伝えたいと思う。
当の学生諸君がこれを読んでいるかどうかわからないけれども、とりあえずここでエール代わりに、時空を超えて人生の真実を衝く中国古典由来の処世訓を贈っておこう。それは『鶏口となるも牛後となるなかれ』――就職哲学として噛み砕けば、“大手企業に入って個を抑え組織の歯車になるよりも、小規模企業に入り個を発揮して経営に直接参画するような生き方を選べ”ということだ。JALやGM やリーマンブラザーズや山一證券は不滅ではなかったし、ソニーもパナソニックもアップルもグーグルも、みんな初めはベンチャーだった。どんな会社が良い会社なのかは最初から決まっていたわけではない。

就職超氷河期とはいうけれど、固定観念に囚われず、受動的ではなく能動的に考えれば必ず道は開けると思う。いい就職となるかどうかは諸君次第。 健闘を祈る!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月10日 (月)

新春雑記

寒気は厳しいが好天続きの良いお正月。年末から元旦にかけても穏やかな日和だった。恒例のご近所御嶽神社への初詣は、年の変わる30分以上前に出かけると先頭から十数番以内に並ぶことができ、列が動き出してから10分くらいでお参りを済ませられるので、今年もそのように。一昨年・昨年と2年続けて手術を受ける羽目になったこともあり、もうそういうことのないようにと神頼みをしてきたが、自分に限らずこの先頭グループには、単なる年越し行事気分ではなく、けっこう時間をかけて真剣にお祈りしている人たちが多いように見受けられた。
頭から2~3人目の初老のご婦人の疲労感漂うその後ろ姿は、もしかしたらご家族の誰かの快癒祈願かとも思え、自分の2~3人前の学生風の若者の横顔には、恋愛かはたまた就職か思い詰めたような色が浮かび、直ぐ前の防寒作業服のままの中年男性のガッチリした背中は、なかなか良くならない景気がそのまま重くのしかかっているようにも見えた。...とは、勝手な想像に過ぎないが、みんなそれぞれに、内容や大小の差はあれ悩みや願い事があるから、寒中深夜にわざわざこういうところへ足を運ぶのだろう。ともあれ2011年は、誰にとっても良い年であるように祈りたい。

年を越したあと眠りに就いたのが大分遅かったので、元日の朝はゆっくりと寝正月を決め込むつもりでいたが、結局いつもと同じ時間に目が覚め、暮れも正月も関係ないムッシュと、いつも通りの朝の散歩。朝日を一杯に浴びて清々しい気分だったが、何か不思議な感じがした。近所の散歩コースの路上には人影がほとんど見当たらず、車もまったくと言っていいほど走っていないのだ。やはりお正月だとこんなこともあるのかと自分は独り納得したが、ムッシュはいつもと違う光景にあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、しきりと立ち止まって辺りを見渡しては、どうも腑に落ちないといった様子だった。
午前中に長男と二男が、午後からは娘夫婦と孫娘がやって来て、はからずも全員集合というかたちになり、我が家は久し振りの大賑わい。小さな子がいる娘一家はお茶とケーキだけで夕刻に帰ったが、未だ独り者の倅たちは、昼は雑煮とお節料理そして夜は鋤焼きと、母の味を2食にわたって堪能し、初風呂で温まり、遅くまで談笑していった。孫娘にはお年玉をあげ絵本をプレゼントして大喜びされたが、親も3人の子供たちから、それぞれの心尽くしの年賀の品を贈られ、倅たちからは今年もまたお年玉をもらって、素直に嬉しかった。正直のところ少し疲れはした(特に家内は)ものの、楽しく、いい元日だった。

2日は、夫婦二人だけで富山風ブリ雑煮。家内が両親から受け継いだ味だが、四十年以上も食し続けていると、いまや我が家でも、それがすっかりお袋の味に。美味しくていくらでも食べられそうな気がしたが、やはり寄る年波(?)か、お餅は3個で満腹してしまった。昔はお腹がパンパンになるほど何杯もお代りをしたものだったが...。
正月のテレビは特番バラエティのようなものばかりだから、あんまり視る気が起きないのだが、2日・3日だけは別で、専ら「箱根駅伝」に釘付け。普通のマラソンも好きだが、駅伝、とりわけこの箱根駅伝には、どういうものか力が入る。全コースの沿道が風景も季節感もよくわかっているところばかりなので一入臨場感をそそられるし、何といっても、往路・復路そして区間ごとにコースの個性があることからさまざまなドラマが生み出されるのには、ほんとうに興味が尽きない。今年は自分の母校が総合優勝し、倅たちの母校はどちらもシード入りを維持したので、まずは目出度し目出度しというところ。

川崎大師 4日には、自らを鼓舞する意味も含めて、かねて宣言していた通り今年も川崎大師へお参りに。昨年の同日も胃の手術後4ヵ月半の身体で詣でたが、前立腺の手術後1ヵ月あまりしか経っていない今回の方が、むしろ、体力的には充実していたような気がする。川崎大師は参道が長いので、人波が滞り始めるところまで最低でも15分は歩き、そこから山門に達するまでにはさらに15分徐行、境内に入ってからも本堂の賽銭箱の前に辿りつくまでに20~30分ほどかかるが、その日は3が日も過ぎて人出もピークを越え、お天気にも恵まれていたせいか、そんな待ち時間も一向に苦にならなかった。
いつも通りに、古札を納めて、娘一家とムッシュも含めた家族全員分の開運やら厄除けやら交通安全やらの御守と、横浜の本宅と清里の山荘それぞれ用の御札をいただき、山門前の「住吉」で土産の葛餅を買って帰途についたが、昨年は全国のB級グルメコンテストが話題になりテレビでもとりあげられたせいか、参道の両側は例年にも増してエスニック・スナックの屋台が目白押し。食欲をそそられる独特の匂いが漂よい、どの店にも若者や子供連れが群がり大繁盛で、何だか細やかな幸福感のお裾分けに与ったような気がした。

年賀状は、例年交わしていた方から急に来なくなると気懸りなものだが、よくしたもので、いつも七草粥のころまでにはほぼ出そろって一安心する。それでも毎年、一人...二人...と欠けて行く方がいて、自分と似たり寄ったりの年齢の方だと、もしや何かあったのではと、余計な心配をしてしまう。逆に、入院・手術などと聞いていた方から元気になったという報せを受けたときには、心から良かったと思えるので、自分も近ごろは、ごく親しい間柄の何人かの友人・知人には、年賀と併せてその後の体調などを報告するようにしているが、そうした一人であるTさんからは、賀状の他にメールも届いた。
2006年7月28日の“君子の交わり”と題した回にも書いたように、Tさんとは長い間、絶妙な距離感を保った良い意味での遊び友達の関係を続けさせてもらってきたが、この2~3年は、お互いあまりあからさまに口には出さずとも、体調の問題などもあるとそれとなく察し合って、年1回、近況を伝え合うに止めてきた。そんな中で昨年の正月は久し振りに旧交を温めることができ、お互いもう夜遊びはシンドいから“昼カラ(オケ)”にしようかなどと言って再会を約していたが、早や1年が経ってしまったところだった。

メールは、自分が年賀状に無沙汰のお詫びかたがた昨年の手術のことをチラッと報告したからだったが、聞けばTさんも、3年前から PSA(前立腺腫瘍マーカー)値がグレーゾーンに達し、精密検査の要ありと言われていたそうで、そのときはたまたま腎臓ガンも同時に発見されたためそちらの手術が優先され、前立腺の検査は先延ばしになったとのことだった。それが一段落した一昨年には、今度はガンが膀胱にも転移していたことがわかり、当然こちらの方が優先されて、またもや前立腺は後回しになったという。1年前の再会は、そのときの話を思い起こすと、この膀胱ガンの手術後しばらくしてからのことだった。
そして昨年の8月、PSAがとうとうかなりの高値に達したので、ようやく精密検査と本格的治療の運びになったが、Tさんの場合過去の手術歴と年齢から外科的手術は不可能なため、内分泌(投薬)療法で PSA値を下がるところまで下げた上で放射線治療に移行する予定だそうな。Tさんは自分が知る限りでもこのほか、約30年前に直腸ガンの手術をし、4年半前(つまり前述のブログを書いた時期の少し前)には前ガン状態の十二指腸腺腫の手術を受けており、まことに壮絶な体験と言うほかない。

なのにご当人は、“またどこかに(ガンが)出るかも知れないけれども、そのときはそのときなりに手術・治療してもらえば良いだけのこと”と、至って恬淡としており、“幸い上部消化器系は問題なく遊びには何の支障もないので、日常行動は相変らず”などと、冗談交じりに語っている。その楽観主義には敬服させられるばかりで、自分も、身近にこういう友人がいるからこそ、いたずらに想い煩うことのない心境を保ち得ているのだと思う。
実は、Tさんとは多分、今月のうちに、また1年振りの再会を果たすことができるようになるはず。ランチをしようということになっているが、どこか適当な場所があれば、久し振りにお歌の方にも流れるかも知れない。最近は、カラオケが精神衛生上好ましいことが医学的にも証明されているというし、何より、これからまた新たな治療が始まるTさんにとっては、それが文字通りの“応援歌”になるとも思うので...。

自分も本日でまた一つ齢を重ねるけれども、良いのか悪いのかわからないが、まだ一向にご隠居気分になれない。幸いメタボとは程遠い体型を保ち得ているし、まだ背筋を伸ばし大股でスタスタ歩くこともできるので、今年も“Young at Heart”で行きたいと思う。
別に、それでどうしようという気はないのだが、前向きに快活に生きて行きたいので...。

今年も、皆様には幸多からんことを‼

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »