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2010年11月15日 (月)

清里・早稲田...それぞれの秋

先月末に季節遅れの台風が行き過ぎてからは、一転、秋らしい好天に恵まれたこともあり、今月初め、久し振りに清里へ行った。今年は11月から12月にかけて何やかやと予定が集中しているので、例年より1ヵ月早いけれども山荘をクローズするのが主目的だったが、短時日ながらそれなりに、往く山の秋の情緒も楽しんできた。
着いた翌朝、どこかで“コンコン...コンコン...”と壁をノックするような音が聞えた。ので、反射的に思わず“ハイッ!”と返事をして立ち上がり、夢うつつのままドアを開けてみたら誰もいない...が、音は続いている。少し意識がはっきりしてきたところで四方に耳を澄まし確かめると、どうやら屋外らしいとわかりカーテンを開けてみた。すると何と、窓の横の頬杖(壁から斜め上に伸びて軒桁を支えている腕木)を、それに逆さまに止まった状態のクマゲラ(大キツツキ)が頻りに突いていた。

日の出 その翌日は、荘厳な日の出ショウ。未明に早々と目が覚めてしまい、まだ黒々とした木々の間を通して東の空を眺めていたら、初めは薄墨色だったのがだんだん青みがかり、淡い茜色に明るんできたかと思うと、やがて炎のようなオレンジ色からまばゆいばかりの白銀色に変わり、それに連れて手前の森が、逆光を浴びて黄金色に染め出され、その光の中に紅葉・黄葉が浮き出し始めた。
時間にしてわずか三十分前後、アッという間だったが、やはり自分も遺伝子に太陽信仰が刷り込まれている日本人、訳もなく感動した。葉がすっかり散り落ちて透明感のある冬期の日の出には、これまでも何度かお目にかかったことがあったが、カラフルな紅葉期のそれは、20年以上ここにいて今回が初めて。季節と天候と目覚めのタイミングの三拍子がなかなか揃わなくて体験できずにいたが、この朝はラッキーだった。

今年最後ということで、昨年以来ずっとご無沙汰していた「萌木の村」の「ハットウォルデン」へも顔を出し、ランチをしてきた。ホテルの支配人だったKさんは村の中での責任がより重くなって専任ではなくなったらしく、1年余り来なかった間にレストラン・スタッフの顔ぶれも新しくなり、シェフも代替わりして、料理の傾向も値段も変わった。
25年以上も通い続けていると、こういう観光地では、時流と客層の変化に合わせてホテルもいろいろ試行錯誤しなければならないのはよくわかるので、今回の変わり様についてはあえて何も言わないが、できればこれからは、この店ならではのものを頑固に守り続けて欲しいと思うのは、客の我が侭だろうか。でも、シーズンオフで来客が少なかったお蔭で、旧知・新顔のみんなから、代わる代わる村の近況やOB・OGたちの消息などを聞かせてもらいながら食事をすることができて、馴染みの店ならではの寛いだ時間を過ごせた。

山荘は、各部屋の掃除は前日までに済ませ、最終日は朝食後すぐから、荷物(と言っても大したものはないが)の積み込みを始め、それが終わるといよいよ“水抜き”作業。毎年のことで手順はすべて呑み込んでいるはずなのに、最近は自分も家内もとみに記憶に自信がなくなってきたため、あらかじめ作ってきたメモを見つついちいち確認、その上さらに、分担した部分を相互チェックするので、これまでの倍の時間がかかった。
それでもなお、昨年はチョッと見落としをして管理センターの手を煩わせてしまった洗濯機の蛇口部分の始末に確信が持てなくなり、聞くだけのつもりでまた電話をしたところ、いつもお世話になっているAさんがわざわざ飛んできてくれた。感謝と恐縮の行ったり来たりだが、同時に、この土地でそういう人間関係ができたことを嬉しくも思った。

八ヶ岳冠雪 帰り道、森の広場から、薄っすらと冠雪したばかりの八ヶ岳(の主峰赤岳)が、抜けるように青い空をバックにクッキリと見えた。明らかに冬はそこまで近づいているはずなのに、我が庭の紅葉はまだ半分ほど、キノコも例年マメに顔を出すシモフリシメジ(今回も味噌汁にして美味しくいただいた)以外はまったく姿がなく、秋の進行がどうもおかしい感じ。
今年は年間を通して5度しか来ることができず、夏の盛りからここまでもアッという間だったが、ともあれ、八ヶ岳・清里の森とはこれで来年までお別れ。こんど来るのはたぶん桜のころになるだろうが、それまでにはいつもの季節感を取り戻していて欲しい。


大隈講堂 いよいよシーズン到来ということで、横浜の自宅に戻ってすぐ、お定まりのインフルエンザ予防接種。そして数日後は、早稲田のリーガロイヤルホテルで本年度のクラス会。例年この時期は曇り空で薄寒く、キャンパスには枯れ葉が舞っていた気がするが、今年は連日の小春日和で、この日も日中はポカポカ陽気。大隈講堂横の大銀杏もまだ黄葉には程遠く、晩秋の風情は全然だった。
ところで、東西線早稲田駅で地上に出たとたん、普段にない人の波。それが、大学正門方向にゾロゾロと流れて行く。何ごとかと訝っていたら、どうやら文化祭らしいとわかった。大隈講堂前には鉄骨でステージ様のものが組み立てられ、その上で、大太鼓の大音声に合わせて若者たちが乱舞(としか見えなかった)しており、正門前の広場は見物客で一杯だった。後で聞いたら、「チアリーディング」なる“スポーツ”だとか...。フーン???

馬場下方面からは、その広場がホテルへの順路に当たっていたので、人を掻き分け掻き分け通り抜けるのに一苦労。さらにホテルの中も、いつもにない混雑だった。結婚披露宴とおぼしきグループ、さまざまなジェネレーションのクラス会らしき連中、それに外国からの観光客などでゴッタ返しており、この月は考えてみればそういう月だったということを、改めて実感した。
我がグループが集ったのは、今回は宴会場の方ではなく、個室風にアレンジされたカフェの一隅。だんだん集まる人数も減り、飲み食いもスケールが小さくなってきたので、それで良かろうということになった。にもかかわらず、もと飲兵衛の性か、今回も幹事はツイ“飲み放題”という点にこだわってしまったようだが、その実、自分を含めて半数はノン・アルコール派。アルコール派も軽くビールかワインで、ロクに杯を重ねていなかった。

食事は、オイリー、クリーミーな料理が多いいわゆる宴会メニューではなく、バラエティに富んだパーティー料理にはなっているが和のテーストも取込んだ、シニア向きのフルコース。どの皿もまずまずの味わいで、この種の食事としては質的にかなり満足できたけれども、小食がすっかり身についてしまった自分には、ボリュームが多過ぎた。
“飲み放題、食べ放題”的なサービスが必ずしも有難いわけではない、自分を含めた何人かのために幹事が気を遣って、2次会として“歌い放題”の場を設けてくれようとしたが、この日は生憎、ホテル付属のカラオケ・スタジオが全室満杯。だからと言って、どこか街中の店に入ってまでもというほどの気にはなれず、結局、誰もが大人しく明るいうちに家に向かった。今や我々の世代には、それが無難ということなのかも知れない。

もとは50人ほどのクラスで、一頃はその半数近くが顔を見せていたが、今年集まったのは17人。鬼籍に入った者も判っているだけで6人を数えるのは、多いのか少ないのか...。今回訃報を聞くことのなかったのは幸いだったが、ここ数年、開会に先立って、いまは亡き友に黙祷を捧げ、元気で来年も会おうとお互いを励まし合うのが慣わしになっている。
近況報告も、趣味や旅行談ばかりでなく、健康問題が多くなった。みんなマメに定期検診を受け、自己管理しているようで、昔は深刻だった病気を早期発見、適切に処置・手術し、いまはすっかり回復しているという話が、いくつも淡々と交わされた。が、そんな中で元気が出たのは、それぞれ103歳と99歳の母堂がご健在という2人の友の話。“検診のデータがすべて親の方が優っているんだよ”と、彼らは嬉しそうに自虐していた。

あれから、また1週間。来週末には自分も、チョッとした手術のため、3泊4日の旅...ではなかった、入院をする。ありふれた症候だから、ご心配いただくには及ばないが、同世代の方々の参考に供するため、後日、顛末を報告させていただくかも知れない。
と言っても現在の体調は、それ以外どこも何ともないので、入院の前に、今年も「日展」を鑑賞しに六本木まで出かけ、ついでにお上りさんよろしく、ヒルズやミッドタウンのクリスマス・イルミネーションでも見物して来ようかと思っている。

清里の山荘を閉め、予防接種も済ませ、クラス会に出席し、日展を見て、プラス身体のオーバーホールをして、2010年の我が秋は一段落となる。

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