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2010年9月

2010年9月21日 (火)

プレゼンテーション

先の何週間かテレビや週刊誌が格好のネタとして取り上げ続けていた、民主党の党首選が終わった。関係者本人たちの言い分はともかく、傍目にはどうしても民意や国情をさておいた政権党内部の主導権争いにしか見えなかったこのキャンペーンは、ともあれ現首相の再選ということに落ち着いて、“トップがコロコロ変わる日本”という世界の顰蹙を買わずに済んだことだけは、まだしもだった。
と言って、これでこの国の現在と先行きには心配がなくなったかといえば、とてもそんなわけには行かないだろう。これまで報道されている限りの各議員の発言や動き、今回の党首候補者のスピーチなどを見聞きしていても、国のため国民のために打つ手が具体的にいま一つ見えて来ず、“命がけで”とか“誠実に”とか“挙党一致”とかいう抽象的な形容詞の繰り返しばかりが鼻について、いまいちばん肝心な“経済・外交面での政策”が明確に示されなかった。

...というようなことを、柄にもなく、冒頭思わず口走ってしまったが、今回は別に政治談議をしようと思っていたわけではない。この手の話は百人百論、自分などよりはるかに当を得た意見をお持ちの方はいくらでも居られるだろうし、わかったようなことを言って恥をかきたくもないので、それは諸賢の判断にまかせてこれ以上の言及は避けようと思うが、この話題から入ったのには、実はそれなりの理由があった。この選挙キャンペーンから何となく、“プレゼンテーション”という言葉が頭に浮かんだのだ。
自分はこれまでの自分の仕事柄からか、こういった活動はつまるところ、2人の党首候補者の、党議員およびサポーターという訴求対象に対する“競合プレゼンテーション”に他ならないのではないかと思えて、メディアを通じて目や耳に入って来るどちらの演説や討論での主張により実があるか、その広報活動における表現やパフォーマンスなどはどちらがより巧みか、そして第三者的に見てどちらが対象者によりアピールするか...などというところに興味を惹かれていたからだ。

自分のような門外漢が、政治や政治家についてこういう場で云々するのははなはだ烏滸がましいので、今回の民主党党首選挙でどちらがどうだったといった論評はあえて差し控える(一国民としての個人的意見はもちろんある)が、このキャンペーンをある種のマーケティングとして観察したとき(“選挙マーケティング”という言葉もあるようだし)、ビジネスにおける新企画・製品(あるいはその改案)などの提案・売込みにも通ずるところがあって、マーケターとしても、なかなか面白いと思ったわけである。
この選挙をマーケティングに例えさせてもらうと、達成すべき「目的」は“この国の現状を立て直し将来を安心できるものにする”こと、それを生み出す原動力として差し当たって必要とされる「製品」(案)は政権与党の“二人の党首候補者”、目的を実現するための「戦略・戦術」は彼らが競い合って対象者に訴求している“政策”ということになり、街頭演説や公開討論などでの彼らの“パフォーマンス”は、まさに、目的のために製品・戦略を選択してもらうための「プレゼンテーション」ということになる。

問題は、その意が十分に伝わって、より良い結果を産み出すための選択がなされたのかということだが、その判定・評価にはもうしばらく時間がかかるだろうから、ひとまず措いておく。ただ、政治であれビジネスであれ、国内のことであれ国際的なことであれ、「プレゼンテーション」という行為の出来不出来が得てして、組織あるいはそこに属する人の命運を左右することにも結びつきかねないのを実感してきた身として、この機会に改めてそれについて考えてみてもいいのではないかと思った。
もちろん自分には経験がないから、政治の本当のところはわからないが、ここまで生きて来た間には度々政治的な判断というものを迫られて、押したり引いたりしながら世間を渡って来なければならなかったし、ビジネスの世界では内でも外でもそれが日常茶飯事だった。だから、このことの重要性と要領は嫌というほど学んできたつもりがあるので、さまざまな分野の仕事に携わる人に共通して何がしかの参考やリマインダーになるかも知れないと思い、ここでいくつかのことを言っておく気になった。

いまさら自分ごときが能書きを垂れる必要もないと思うが、そもそも「プレゼンテーション」とは、“ある人が特定の対象者に、事実情報や自分の意見や企画・提案などを発表・提示・説明して、説得・売込みを図る行為”などと定義づけられており、まずはその“内容のまとめ方・表現のかたち”(コンテンツ)と“伝え方・演出”(利用ツールなどを含むプレゼンテーション・スキル)が基本であり、伝達効果を上げるためには、他の手段を活用して“サポート”を図るという配慮も必要とされる。
“内容”ということでは、企画・計画の提案、調査・研究成果の報告、意見や主張の発表...、“表現のかたち”としては、文章のみ、図解、表・グラフ化、画像入り、アニメーション化...、“伝え方”は、スピーチのみ、文書配布・説明、スライド・ビデオ化、ショー仕立て...、“サポート”には、リサーチや第三者の客観的評価による事前証明、人的チャネルまたはある種のメディアを通じての援護口コミ...などがあるということになっている。

自分もこの半世紀の間に、①一つの企業・グループ内での担当部門の事業計画から始まって、②さまざまな業種・業態・国籍の既存・見込取引先のアカウント維持・獲得のための提案、③時代のトレンドに副った業界や組織・団体向けの啓蒙的講演、④専門基礎知識を学生たちに注入するための教育的講義、そしていまでは⑤依頼された企業の社員のスキルアップのための実践的研修...など、数え切れないほど、実にさまざまな目的とかたちのプレゼンテーションをこなしてきた。
現在進行形の⑤に関しては、当然、対価に見合う実質的な成果責任を伴う仕事という自覚を持っているが、いま考えれば①は、いわば身内の手続きのようなものだったし、③と④はどちらかと言えば専門家としての自己主張で、自分個人に対する評価以上のことはあまり気にせずに居られた。そこへ行くと、何と言っても最も神経を使ったのは、その一回一回が自分の会社のその後に影響を及ぼすことになる、広告代理店経営者時代のそれだった。でも、この時代の成功と失敗の経験が、どれほど自分を鍛え、ビジネスマンとしてタフに成長させてくれたか計り知れないものがある。

自分は元来訥弁で声も低く、立て板に水のような喋りかたはできないし、家庭内でも自分の意を通したいプレゼンテーションが上手く出来ずに困っているほどで、“語り・伝えること”をこれまでの仕事の重要な部分にしてきた割には、決して百戦錬磨のプレセンターになれたとは思っていない。なのに、これまでの伸るか反るかのプレゼンテーションでは意外に高い勝率を収めてきたし、いまもって公の場でのスピーチなどを依頼されたりもする。こんな自分の、一体何がポイントになってきたのだろう。
プレゼンテーションに関して一般的にも言われていることは、「対象者の利得・希望にフォーカスする」「最初に伝えるべき内容(目的・論旨)を明確にしておく」「終りに全体を要約し理解・納得度を確認する」「“話す”ことが基本だが図表や画像で“見せる”ことがより重要」「“理性”だけでなく“感性”にも訴えかけ楽しませ感動させる」「パソコンとプロジェクターはもちろんビデオやボードなども駆使してマルチメディア化する」「対象者(特にキーパーソン)に向かって語りかけるように」「上手く“間”をとる(特に強調したいポイントの後で)」「時間は長過ぎず資料配布は事後に」「プレゼンテーションは説明ではなくて双方向コミュニケーションと心得る」「リハーサルをしておく」...等々。

こういったことは自分も十分に踏まえたが、それだけでは競合相手を差異化することは難しいと思っていたので、例えば、プレゼンテーションの内容を一般論的にではなくていちいち対象者に固有化(すなわち“パーソナライズ”)して親近感を搔き立てるようにしたり(日本的感覚からは面映ゆいところもあったが)、一般的に“喋りはゆっくりと”などと言われているが対象者(外国人など)によってはむしろテンポを速めたり、また“話芸”などと同様に本題にスッと引き込むために軽いジョークなども振っていわゆる“つかみ”の部分を工夫するなど、自分なりの考えも加味してきた。
と言っても、果たしてそれがどれだけプラスしたかは本当のところよくわからないのだが、次の2つのことだけには確信がある。その一つは、提案に説得力を持たせるために、自主的に事前リサーチや情報収集をして客観的なデータで理論武装しておくこと。リサーチの方法としては、アンケートなどもあるが、「VOXPOP」と通称される、街頭ビデオ・インタビューなどが効果的だった。そしてもう一つはプレゼンテーション全般を通じての“意外性”と“創造性”の折り込み。プログラムの構成・進行から始まって、メディアやツールの使いこなし方、言葉と文字の選び方、図や絵のつくり方など、すべての面で、その都度、可能な限りのオリジナリティとドラマティックさを追求するようにした。そういうプレゼンテーション自体が、自分たちの力量を示すことになると思っていたので...。

もっとも、これらはほとんどが広告代理店時代のこと。一人で重い責任を背負っていたわけではなかった大学での講義や社会人向けの講演などでは、正直に告白すると、準備や資料にそこまで力を入れていなかったこともある。しかし、いま誰かから相談を受けて大きなプロジェクトのプレゼンテーションに関わるようなことがあったら、きっと齢を忘れて、また熱くなってしまうかも知れない。

これからの“選挙マーケティング”も、「公職選挙法」などという時代錯誤的な縛りはあるが、工夫次第でまだまだでスマートに、しかも心に響くようなプレゼンテーションができそうな気がするが、どんなものだろう?

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2010年9月 6日 (月)

潮の香り

月が改まり九月に入った。九月と言えば歳時記的にはもう秋、本来なら暑さも峠を越して残暑ということになっているはずだが、そんな様子はとても見えず、7月中旬から続く猛暑は一向に収まる気配が見えない。が、そんなハードなコンディションの中でも自分は、ご老体(?)ながら何とか熱中症にもならず、夏バテというほどのこともなく、まずまず息災に毎日を過ごせているから有難い。
しかし、これからの2~3ヵ月は、11月下旬の手術を控えて事前のプランニングおよび全身状態チェックのための各種検査があり、別口(昨年の胃の手術)の1年後検診などもあるので、あまり無理なことはできないと思い、炎天下に繁華街へ出かけるようなことは極力控えていたが、先日はよんどころない用事があって、久々に、港のそばまで行ってきた。

ハマ生まれのハマ育ちでいまもそこで暮らしている生粋のハマっ子の友人や、卒業後この街に根を下ろし事務所を開いて以来ずっとそこから動かない弁護士の友人などもいるので、ツイこの間まで、関内や横浜駅周辺にはときどき出没していたし、たまには“みなとみらい”のホテルで家内とディナーなどをすることもあったから、まるっきり市の中心部にご無沙汰していたわけではなかったが、そこから先の海の見えるところまでは、考えてみるとずいぶん長い間、足を延ばしていなかった。
実は用事というのはパスポートの申請で、神奈川県のパスポートセンターが置かれている「産業貿易センター」へ足を運んだのだが、これが12年振り。お向かいの「山下公園」に至ってはその倍以上もの年月の間訪れていなかった。そう言えば、子供たちに「氷川丸」を見学させたり「大桟橋」に接岸した豪華客船を見に連れて行ったのは、まだ彼らが小さく自分も若かったころ...いつの間にかあれから四半世紀余りが過ぎてしまった。

パスポートの有効期間は最長10年なのに前回以来12年とは?...と、お気付きの方もいると思うが、これには訳がある。期限が切れたのが2008年の秋だったが、ちょうどそのときは家の建て替えの真っ最中で、清里で暮らしており、仕事と工事進行の確認の他にはとても、何度にもわたって横浜まで出かけるほどの心身の余裕がなく、また差し迫った渡航予定があったわけでもなかったので、実際に必要が生じたときに新たに申請すればいいと、失効するにまかせていたのだ。
そして、横浜に戻ったらできるだけ早く再申請して、遅くとも翌年の秋ごろにはどこかへ出かける積りでいたのだが、これも、予期せぬ出来事で延期せざるを得なくなってしまった。すでに何度も書いているように、昨年は春先に検診で消化器系の疾患を指摘され、秋口まで精密検査に続く入院・手術の日を送り、退院後も体力低下のため海外旅行どころではなくなり、したがってパスポートの手続きも先延ばしということになっていた。

そこで今年こそはということで、寒さも少し和らいできた3月に東京の文京区役所まで出かけ早々と戸籍抄本を入手(郵便でも可ということは知っていたが、ついでに昔住んでいた辺りも見て来たかったので)、一拍おいてパスポートの申請にも行こうと思っていたら、チョッとした体調不良のため内科医院で血液検査をしてもらったのがキッカケで異常が発見され、またまた病院通いと検診漬けになり、とうとうここまで来てしまった。
パスポートの申請に有効な戸籍抄本は発行より6ヵ月以内のものとされているので、これを無駄にしないためにはどうしても9月の初旬には手続きを済まさなければならない勘定になり、少しは涼しくなりそうな日を待っていたが、どうやらその望みは無理のようだし、自分の持ち時間も後がなくなったので、ギリギリのところで思い切って出かけた次第。

ご存知の方も多いと思うけれども、山下町の産貿センターへのアクセスは、市営地下鉄ブルーラインを横浜または桜木町で「みなとみらい線」に乗り換え「日本大通り」駅で降り海方向へ5分ほど歩くか、横浜駅東口のバスターミナルから市営バスに乗って「大桟橋」バス停で降車するか、の2通りがあるが、バスは駅に直結したS百貨店の1階からスタートする上に、道向かいだがセンターの真ん前にストップするので、なるべく直射日光の下を歩かずに済ませたいと思っていた自分としては、迷わずこちらを選んだ。
何れにしても、いまはこのように便利になったが、かつてはそこまで行くのには、関内でJRか地下鉄を降り、横浜球場のある公園を横切って結構な距離を15分ほど歩いたものだった。もちろんそのころもバス便はあったはずだが、まだ現役でなかなか時間がとれず、スケジュールの合間を縫って来なければならなかった身には、何となくバスという乗物がまどろっこしくて、利用する気にならなかった。

それに引き替えいまは、時間はほとんどどうにでも融通をつけられる立場。速さと正確さと大量輸送を追求する電車や地下鉄のような効率本位の乗物は味気ないと感ずるようになり、むしろ、街の中をアッチに曲がりコッチに曲がりしながらユルユルと移動し、乗り合わせる人々の様子や沿線の景色の変化なども観察して楽しめるバスのようなスローな乗物の方が好ましくなってしまったので、そういう選択をしたわけだ。
いわゆる“海岸通り”を走る路線バスに、始発停留所から乗車したので、後部の二人掛け席に一人でゆったりと座り、無心に車窓に目をやっていたが、久し振りだったせいか、見慣れたはずの“郵船ビル”や“市合同庁舎(旧生糸検査所)”や“税関ビル”といったレトロな洋風建築と濃い緑のイチョウ並木がヤケにエキゾチックに感じられて、一瞬、どこか異国の知らない町を旅しているような不思議な錯覚に陥った。

横浜の港の風景 ところでパスポートの手続きだが、かつてと比べるとずいぶん早くなったような気がした。戸籍抄本だけ用意して行って、写真は現場のスタジオで撮り、申請用紙に記入するのに7~10分くらい費やし、受付窓口で2~3人の3~5分待ち、書類確認窓口では7~8人の10~15分待ちしたくらいで、合計30分足らずで済んでしまった。窓口スタッフがだいぶ増えていたような気もしたし、いまは海外渡航者の数も頭打ちになって相対的に時間がかからなくなったのかも知れないが、ともあれ拍子抜けするほどだった。
新しいパスポートは1週間後には手に入るわけだが、実は今回、戸籍抄本を無駄にしないために急遽やってきただけで、さしあたってどこかに出かける予定が決まっていたわけではない。とは言っても、前回(ニューヨークへ)出かけてからもう3年が過ぎ、とうに我慢の限界は超えており、本音はすぐにでもどこかへ飛んで行きたいところ。けれども、少なくともあと半年くらいは自重しなければならないのは、前述した通りだ。

さて、予定よりも早く用が済んだので、折角ここまで来たのだから海風にでも当たって行くかという気になって、産貿センターの前の道を渡り山下公園へ行ってみた。これまでにこの岸壁から何度横浜の港を眺め渡したか覚えていないが、思えば、最後にここを訪れてから、自分で意識していた以上の歳月が経っており、公園そのものと右手の埠頭に係留された「氷川丸」は昔のままだったが、その他の景観は大きく変化していた。
海に向かって右手奥には、かつてはその場所に見えることのなかった「ベイブリッジ」が、強い夏の陽を浴びて白銀色に映え、大きく左手に首を廻らすとそこには、やはりかつては存在していなかった“みなとみらい”のビル群が林立し、その手前には「大桟橋」が、すっかりきれいに変身して横たわっていた。沖にはハシケが浮かび、その上に真っ青な夏空が大きく広がり、ハマの港はそのまま遠く外国まで続いているようにも思え、たまたまパスポートを申請に来た日の眺めとしてまことに相応しい印象だった。

自分はもし、海・山どちらか好きかと問われれば、とりあえず“山”と答えるだろうだが、こういう美しい港の雰囲気ももちろん大好きだ。たまに来て思い入れが加わるから余計そう感ずるのかもしれないが...。
さあて、今度ここに来るのはいつになるのだろう。パスポートの更新のときか...でも次のパスポートは果たして必要になるのか...それまでここからの眺めは変わらないままでいるのだろうか...。

帰りしな、足元にヒタヒタと打ち寄せる小波が、かすかな潮の香りを運んできた。

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