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2010年8月

2010年8月23日 (月)

つかの間の別天地

先週、雨が降って出足をくじかれ、予定より2日遅れで清里の山荘に向かったが、お盆休み最後の土曜日だったのに中央道下りは途中渋滞もなく、滞在期間も期せずして平地の猛暑日とピッタリ重なって、結果的に絶好のタイミングとなった。
特に到着した日は、夜間20度まで気温が下がり、半袖では肌寒く感じるほどで、今回はいくら何でももう必要ないだろうと仕舞い込んであったカーディガンを、また引っ張り出して羽織る始末。風呂は、夏になってから横浜の家ではシャワーだけで済ませていたが、清里の山荘では久し振りに湯を張ってゆっくりと浸った。ベッドも、翌日からは毛布だけで足りたが、この初日は布団を掛けても暑過ぎるということがなかった。

寒いほどの冷気のお蔭でその夜は、全員久し振りに寝苦しさを忘れて熟睡、翌朝は木漏れ日と小鳥の声でやっと目が覚めた。窓を開けると流れ込んできた森の空気が何とも清冽で、昨日までの横浜の暑い朝が嘘のようだった。早速、朝食前にムッシュと散歩に出たが、カラマツやモミやトウヒなどの針葉樹から発散される芳香が鼻に心地よく、人犬共に思わず歩がはかどった。
自分もパソコンはおいてきたし、家内もチェックするスーパーのチラシもなし、二人とも午前中はひたすら休息する他なく、珍しく食卓に座ったままテレビ漬け。見るともなく画面に目をやっていると、何と東京は朝からグングン気温が上がり、今年最高の暑さになりそうと言っていた。が、ここは、窓辺の温度計で21度、申し訳ないような涼しさだった。

「清里の森」ではこの夏中、「涼風祭」と銘打った管理公社と有志が主催する各種イベントの昨年に続く第2回が進行中だが、この日は午後から音楽堂で、N響メンバーによるクインテットでの室内楽コンサートがあるというので出かけてみた。バイオリンが金田幸男と船木陽子、ヴィオラが井野辺大輔、チェロが藤村俊介、ピアノが梅村祐子という例年お馴染みの編成で、アンコールも含め7曲を演奏。
定員300人でステージも狭く、シートもベンチ式という簡素で小さなホールだが、立ち見も出る盛況。周囲は林と草原なので、両サイドの開放された窓から窓へ、とき折りそよ風が通り抜ける。ボストン郊外のタングルウッド・コンサートとまでは行かなかったけれども野外演奏会の気分は満点で、聴衆も普段着のままならば、奏者も上着なしの私服でリラックス。モーツアルト、シューマン、ドヴォルザークなどの小品で、癒やしの2時間を過ごさせてもらった。

その翌日も東京・横浜では、前日を超える猛暑とのニュース。早朝でもなければ、人間はともかくワンコの散歩はとても無理なところだが、有難いことにこちらは屋外でも一日中快適なコンディション。毎日、朝に昼に夕に、何度でも出歩きたい気分になり、ムッシュも喜んで従いてきたが、そうしているうちにチョッとしたことに気がついた。
例年ならお盆を過ぎると、森の中は潮が引いたように人影が少なくなるのだが、今年は一向にそのきざしがなく、引き続き滞在している人も多い上に、週が改まってから出てくる人さえ少なからず見られた。昨年と違って高速道料金の夏休み期間特別割引が廃止され人出が分散したことにもよるかも知れないが、どうも、勢いの衰える気配の見えないこの暑さのために平地から避難してくる人々が後を絶たないというのが本当のところではないかという気がする。

森の中の植物相 森の中の植物相も、何かいつもの夏とは違うような気がした。木々の緑はまだまだ夏色に深く、半面、地上の花の色がバカに少ないのだ。例年のいまごろだと、森はもう夏のピークを過ぎて、そこかしこにオオマツヨイグサの黄色い花が風に揺れ、薄紅色の花をいっぱいにつけたハギが咲き乱れているはずなのに、目につくのは青紫色のギボシとソバナくらい。それもチョボチョボだ。雨が少なく水分が足りなかったのかも知れない。
けれども、晴天続きで湿度が少なくなっていたためか、大気はサラサラと肌に気持ちよく、庭の草むしりや木の枝の剪定など相当な労働をしてビッショリ汗をかいても、すぐにそれが引っ込んで乾いてしまうのには助かった。でも、通りがかったご近所のおバアちゃんから、“ご精が出ますね、お若いですね”などとお世辞を言われて、ツイ頑張ってしまい、その後は反動で前後不覚に昼寝した。

今回は特に行きたいところがあったわけでなし、森から出ずに、もっぱら山荘で休養と思っていたが、数日過ぎると持参してきた読み物やオヤツも底をついてきて、コンビニくらいは行こうかということになり、141号線沿いのセブンイレブンまで足を運んだ。ついでに道の向かい側に渡って「萌木の村」を一廻り、ムッシュを遊ばせてきた。森の中ではたまにしか会えなかったワン友に、ここでは沢山会うことができて、彼もご機嫌のようだった。
チャンとした店まで遠出するのは時間もかかるし何かと手間だが、たまには外食もしないと家内に負担がかかり過ぎるだろうと、管理公社経営のテニスコート・クラブハウス・カフェの「木の里」に十何年ぶりかでランチに行ってみたら、いつもは事務所の方にいるお馴染みのAさんがキッチンに入っていて、オヤオヤということに。メニューはいつも同じで限られたものしかないが味は悪くなく、これからも、しょっちゅうでは飽きてしまうにしてもたまには利用するかという気になった。

真夏とは思えないほど涼しい山の別天地での一週間はアッという間に過ぎ、平地に戻らなければならない日がやって来た。自分の家なのだからいつでも好きなときに来て、好きなだけ滞在していればいいようなものだが、これでもまだ浮世のしがらみが何かとあって、自然にいろいろな予定でカレンダーが埋まって行き、飽きるほど長くこちらに来ているというわけにはなかなか行かない。
そうしてみると、横浜の家の建て替えで夏から年末までをズッと山荘で暮らしていた一昨年の半年間は、つくづく意義深い日々であったと改めて思う。横浜の本宅と清里の山荘間を往復すること自体がそろそろキツくなり、この2ヵ所の建物と庭の維持・管理も心身の大きな負担と感ずるようになってきた近ごろは、この清里の夏の至福感をいつまで味わい続けられるのかと、フと考えることもある。

とり立ててどこへ行ったというわけでもなく、何を食べたというわけでもなし、普段できなかった何かがやっとできたというほどでもなかったが、ともあれ、東京や横浜でいちばん暑さの厳しかったこの時期を、つかの間だけでも涼しい清里の森の中で過ごせたのは何よりの幸せだった。
...と、いまは暑い横浜でその余韻に浸っている他ないが、残暑のうちにもう一度くらいは山に戻りたい。でも、すでに何かと予定が入り始めているので、果たしてどうなることか...。

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2010年8月 9日 (月)

八月は夢花火...

暦の上ではもう立秋だが、相変らずの暑い日が続いている。昨年はどうだったか、何故かあんまり思い出せない(手術で入院していたからか...)が、家の建て替えのため清里の山荘へ一時引っ越していた一昨年が、ちょうどこんなだったような気がする。例年ならいまごろはとうに山へ行っているはずで、今年も梅雨が明けたら一日でも早くと思っていたのだが、GW後あたりからずっと、さまざまな検査を次々と受けなければならなくなって、その結果による先の見通しがなかなか立たず、山へ行く日も決められずにいた。
大体のところではあるけれども、やっとその見通しもついたので、さっそく今週の後半からでもスッ飛んで行こうかと思っているのだが、結局、お盆休みの時期になってしまった。この時期の清里は、ふだんあまり人っ気のない森の中は賑やかになっていいのだが、外へ出て食事などしようと思うとどこへ行っても満員なのが良し悪し。だからというわけでもないけれども、晩秋の予定のための体力温存ということもあるから、今年は山荘の中でゆっくりしていることにする。

ここ横浜では、こうも暑いとムッシュの散歩もロクにできない。外を歩くのが大好きな彼は、通常、朝食前(午前8時前後)のプチ散歩と昼寝後(午後4時過ぎ)の本格的散歩の2回に加えて、昼食後(正午過ぎ)と夕食後(午後6時過ぎ)にも用足しかたがた外へ出るのだが、さすがにこのところの照りつける陽射しには閉口し、日蔭ができて多少風が感じられるような朝夕だけ、本来の半分にも満たない距離を歩いて、あとは庭の木陰でソソクサと用を済ませ、一日の大部分を屋内で過ごしている。
フジテレビの朝のミニ番組に「きょうのワンコ」というのがあって、こんな季節柄か、“近所の川で泳ぐワンコ”とか“ビニールプールで遊ぶワンコ”とか、水遊びの好きなワンコが再々取り上げられていたが、見るからに気持ち良さそうで、ムッシュも山へ行ったら早速、すぐ近くの渓流に連れて行ってやろうと思った。 ...ンーん、それもそうだがこんな夏は、ワンコのみならず人間も水に浸かりたくなる。そう言えば自分も、もうずいぶん長い間泳いでいない。直近でも10年近く前になるか...イヤ、それほどでもないかも知れない...よく覚えていない。

いつだったにしろ、最後に泳いだのは清里の「丘の公園」か、大泉の「いずみフレンドパーク」だったと思う。それぞれ一夏に2~3度、2~3年間は通ったが、基本的に家族レジャー用のプールなので子供連れがけっこう多くて、なかなか自分のペースで泳げず、いつの間にか足が遠のいてしまった。その前は、まだ現役でバリバリ働いていたころ、通勤路線の途中にあったスポーツジムに通っていたので、必然的に週に1~2度は泳いでいたが、さらに前になると、夏休みに家の近所や家族旅行の行き先で、まだ小さかった子供たちを遊ばせるのに懸命だった思い出につながる。
それでもそのころは海外に出かけることも多かったので、シーズンを問わず必ず水着を携行し、ホテルに着くや否や先ずはプールに飛び込んで一泳ぎするなど、忙しい仕事の合間を目一杯エンジョイしていた。が、そういうこともできるような立場になるずっと前の独り者のころには、なぜか泳ぎを楽しんだ記憶が無い。一番遊びたい盛りだったはずだが、泳ぐのにも金がかかる都会暮らしの中で先立つものが乏しく、それどころではなかった。何かのグループに紛れ込んで、江の島あたりへ海水浴に出かけたことが1度くらいはあったが、都内のプールには全く無縁だった。

だから、今年のように焼けつくような太陽の下での泳ぎの記憶は、半世紀以上を一気に遡って、東北の田舎町で過ごしていた少年時代の夏につながる。けれどもそのシーンは、大海原から波が打ち寄せる白砂のビーチでもなければ、洒落たデッキチェアの並んだプールサイドでもなく、裸足で歩くと火傷しそうなほど熱くなった河原石のゴロゴロする町外れの川。奥羽山脈と阿武隈山地に挟まれ海からは遠く離れた内陸部の盆地の町だったし、いまと違ってそのころは、プールなどというものは町のどこにも存在しなかった。
旧名“梁川”(現“伊達市”)というだけあって、その町は水運と漁業で昔から河川には何かと所縁があったようで、街の北縁を悠々と流れる「阿武隈川」、市街地のど真ん中を東西に横切って阿武隈川に合流する「広瀬川」、そしてその広瀬川に注ぎ込む「塩野川」という大・中・小3本の河川が、徒歩または自転車を転がして行ける場所にあり、小学生から高校生まで、その技量・体力・住居ロケーションに応じて、川泳ぎにはこと欠かなかった。

幼かったころの水遊びは別にして、水泳の記憶としていまに至るまで忘れられないのは、炎天下の阿武隈川。町の少年たちは、小学校高学年から中学生ぐらいになると、中小河川の広瀬川や塩野川を卒業して、大河阿武隈川へ向かうようになるが、いよいよそのときが来ると、何か武者震いのようなものを感じ、一種の覚悟を決めることになる。それは、一人前の男になるためには避けるわけには行かない通過儀礼を目前にした畏怖感のようなものだったかも知れない。
何しろ、それまでは精々25mプールほどの深さと幅の川での経験しかないのに、川底に足のとどかない部分の幅が最狭でも50m以上、広いところでは100m前後もある大河川に、いきなりデビューすることになるのだ。正直言ってそのときの心理は複雑...内心、できれば逃げ帰りたいところだが、ここを踏み越えなければ仲間に後れをとることになると、表面は平然とした態度を装う。下らないといえば下らない見栄に過ぎないが、昔の男が大人になるまでには、ところどころにこんな通過点があった。

みんなに注目されている手前、もはや逃げも隠れもできず、遥か彼方に見える岸を目指してともかく泳ぎ出すわけだが、それだけの距離に挑戦することも初めてならば水流の勝手も違って、何とか泳げるからといっても問題なく辿り着けるわけでは決してない。見た目よりずっと流れが速くその勢いで身体が持って行かれるので、最短距離で泳ぐことなどは不可能、実際の泳行距離は目測の3~5割増しということになり、ままよ、とばかり中ほどまで泳いで行ったところで、思わず力が尽きそうになる。
何度も溺れかけ、それでも必死に手足を動かしているうちにようやく足が川底にとどくところまで来たらしいことがわかり、向う岸の水草に手が掛かったときには、もう泣きそう。初めてのときには流石にまた泳いで帰る自信がなく、恥を忍んで土手道を裸足で1000m以上迂回し、橋を渡って出発点に戻った。なのにその後も、懲りずに再三同じコースにチャレンジしてはその都度苦しい思いを繰り返した。あの日々の印象は鮮烈で、フと屋外で、今年のように強烈な太陽光線が直接首筋に射さるような思いをする度に、いまでも、したたか水を吸い込んで鼻の奥がツーンとなったあの故郷の夏を思い出す。

庭でジリジリ照らされながら樹木や芝生に水遣りをした後、シャワーを浴びて汗を流し、自室に引き上げて火照った身体をエアコンの冷気になぶらせていると、まだ涼しいというところまでは行かないにしても、肌はそこそこサッパリしてきてダル気持ちよくなり、熱帯夜での寝不足もあってか思わずウトウト...。遠い日にヘトヘトに疲れて川から戻り、欲も得もなく貪った昼寝の午後にタイムスリップしそうになった。
タンクトップに短パンならぬランニングシャツに半ズボン、麦わら帽子、熱い砂利道から立ちのぼる陽炎、かき氷(わが地方では“氷すい”と言った)とアイスキャンデー、井戸水なのであまり冷えていない西瓜、なかなか手がつかない夏休みの宿題、入道雲に蝉しぐれ、打ち水・団扇の風・蚊帳...そんな昔の事物や光景が、半覚醒の脳裏に次々と脈絡なく浮かんでは消える。井上陽水の「少年時代」ではないが、まことに“八月は夢花火”。

長々と思い出の世界に遊んでしまったが、もしかしたら、あまりの暑さとなかなか行けない山恋しさで、白昼夢を見ていたのかもしれない。渋滞情報を聞いてしまうとツイ出足が鈍るが、何とか今週中には出かけたいものだ。
帰宅後の「山荘四季だより」が、こんな夏の一服の清涼剤として役に立てるよう、久し振りに楽しんで来たい。

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