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2010年3月

2010年3月29日 (月)

いまごろ初めて赤坂Sacas

赤坂にオフィスと居を構えるH君に会いに行ってきた。ビジネスの現場にタッチすることがほとんどなくなり、ナマの情報にリアルタイムで接する機会がすっかり減って、ともすればメディア経由のニュースだけしか目や耳に入って来なくなってしまっている身には、ときどき彼のような第一線で活躍中の人たちから、最近のビジネス事情や世の中のトレンドを聞いておくことが必要なのだ。
彼と彼のスタッフN君には、自分の弱いIT面でさんざんサポートしてもらっており、2~3ヵ月に一度は顔を合わせてはいるのだが、彼が仕事でこちらの方へ出てくるときにあざみ野駅近辺で会ったり、自分が都心まで出向く途中に渋谷で待ち合わせたりということが多く、赤坂まで足を延ばしたのは久し振りのこと。地下鉄で通過はしょっちゅうしているのに、気がついてみたら、もう3年近く赤坂の街を歩いていなかった。

お天気が良かったら桜並木のある通りをブラついて、ランチはそのあとでということにしていたが、その日は生憎の冷たい雨。そんな中を散歩しても仕方がないと、H君が地下鉄出口まで迎えに来て、すぐそばの「マロン」というカフェに案内してくれた。彼の考えでは、散策後まず鮨屋か蕎麦屋で腹ごしらえをして、その後でコーヒーを飲みにその店に繰りこむ手筈だったようだが、サンドイッチなどもあると聞いたので、雨の中わざわざ歩き回ることもないからそこだけで済ませようと、自分が希望した。
その店のマスターはパリでしばらく修業していたとかで、他店にはない独特のブレンドのコーヒーを出し、フランスパンのサンドイッチもなかなかイケるということだったので、最近とみに、そういうカジュアルな組み合わせの軽めのランチの方がよくなっていた自分には、願ったり叶ったりだった。H君もすっかり常連になっているらしかったが、確かに彼がいう通りパンもコーヒーも満足できる味わいで、自分が頼んだミネストローネ風の骨付きチキン入り野菜スープも、なかなかのものだった。

TBS 山王下から乃木坂に抜ける通称“赤坂通り”に面したその店のガラス窓越しに見える彩り豊かな街並みと、それを背景に歩道を行き交う人々の姿は、郊外のユックリと時間が経過するような街の風景をいつの間にか見慣れてしまった自分には、何か気ぜわしく感じられたが、同時に、若いころの自分が立っていていた舞台をいまは観客として眺めているような感覚にもおそわれて、奇妙な懐かしさも感じた。
ちょうどランチタイムでもあったため、どんどんグループ客が入って来たが、みんな、いかにも業界人という空気を漂わせている連中ばかり。よく考えたらそれもその筈で、道をはさんだ北側の大きなビルはテレビ局のTBSだったし、少し離れたその東側は、大手広告代理店の博報堂グループが入居しているオフィスビルだった。かつて自分が昼に夜に出没していた(もちろん仕事で!)ころの赤坂は、“和”と“アジア”と“ラテン”がモザイクになった、銀座とも新宿とも渋谷とも六本木とも違うエスニックな街だったが、大規模再開発された一角が誕生したいまでは、お台場や汐留や六本木ヒルズなどと共通する雰囲気を持った、ビジネス街の様相も見せ始めたようだ。

昼食の間もしょっちゅうケータイに電話がかかってくる多忙なH君と、気ままなペースで好きな仕事しかしていない自分の話は、噛み合わないようで噛み合い、アッチに飛びこっちに飛んだ。彼の会社の景気、最近の仕事内容、クライアントの要望の変化、情報環境が激変したこの時代の広告代理店の動向と業界団体の現況、そしてやはり中心話題は、ダイレクトマーケティングとインターネットのこと。彼自身も彼の会社もそこに徹していて、それ故に存在価値を発揮しており、そのうちいつか大化けするのではないかと楽しみだ。
仕事の他に、落語・食べ歩き・見て歩きと、好奇心旺盛で活動的な彼は、ブログもそれに応じて幾つも書き分けているが、いまハマっているのはTwitter(これも仕事がらみと個人用とで2つある)で、自分にも、“まずはやってみることですョ”と盛んに薦める。これを自からやらずしてソーシャルメディア・マーケティングを論じることはできないだろうから、何だかよくわからないけれどもやってみるかと思ってはいるのだが、ケータイを自在に操れるわけでもないのにこれを始めたら、パソコンに向かう時間がまた増えて負担になるような気がし、イザというところで二の足を踏んでいる。

赤坂Bizタワー さて、忙しいH君と別れてからは、何となくそのまま地下へ降り、気がつくと千代田線赤坂駅の改札口の前まで来ていたが、よく考えたらまだ時間は早いし、折角だから最近の赤坂はどんなことになっているのか観察して行こうかと思い直した。そう言えば、この辺りの地上は「赤坂Sacas」とかなんとか呼ぶようになったと話には聞いていたが、恥ずかしながらまだ一度も実際に来たことはなかった。
昔はなかった(と思う)改札口正面の大きな昇り口からエスカレーターで上がると、そこもその上のフロアも、ショッピング&ダイニング・モール。どこかで見たような気がするレイアウトだったが、オフィス・エリアと商業施設エリアを複合したビルを設計すると多分、最大公約数的にはこういうことになってしまうのだろうと独り合点。「赤坂Bizタワー」と命名されたその超高層ビルの1階ロビーは博報堂の受付になっていたが、そこにも、何となく既視感があった。自分が毎年広告賞選考のために定期的に足を運んでいる汐留の「電通」のそれによく似ていると感じたからだと思う。

中にいる間は、ここが赤坂とはいまひとつピンと来なかったが、“一ツ木通り”に出てみてやっと昔を思い出した。あのころは、昼はわざわざ竹橋のオフィスから焼肉を食べにこの辺まで出てきたり、夜はこの場所にあったTBS旧・旧社屋地下のフレンチ・レストラン(店名は忘れてしまったが)で商談を兼ねた食事をしては、遅くまで店を開けていた「コージー・コーナー」に寄って家族の土産にケーキを買い求めたり、さらにたまには、飲めもしないのに付き合いでバーにも立ち寄ったりと、よく食べ、元気に働き、そしてチョッピリ息抜きもしていた。
TBSの本館社屋が一ツ木通りから少し奥まった丘の上に移動し、千代田線が全線開通するまでは、どちらかと言えば銀座線の見附から歩いてくる一帯が赤坂の中心で、乃木坂へ抜ける赤坂通りに面した辺りはさほど繁華とは言えなかったように記憶している。いまでこそ「Sacas坂」とかいう洒落た風な名前で呼ばれ街路樹が並びきれいに整備されている坂道も、当時は、旧社屋本館やスタジオとか倉庫の間を抜けて駐車場に向かう、簡易コンクリート舗装の無名・無機質な坂道でしかなかった。

そのSacas坂をいま下から見遥かすと、丘の上には、辺りの高層ビル群にあまりそぐわない形の体育館かイベントホールのような建物が見えた。後で調べたらあれが、公演広告などで名前だけは聞いていたミュージカル劇場「赤坂Act シアター」とライブハウス「赤坂Blitz」だったと知ったが、昔とはまるで変ってしまった坂の上の景色には、茫然とするよりも、むしろ新奇さを感じさせられた。
3月も下旬、彼岸も過ぎたというのに、降りしきる冷たい雨で、折角開花し始めた「TBS放送センター」ビル前の広場(「Sacas広場」というらしい)の桜は3分咲きのまま、まだまだ春の彩りには程遠かった。この日は、晴れていれば赤坂桜廻りと洒落込んでいたはずのところ、気まぐれ陽気のためそれが叶わなかったが、商店街の路地裏の桜がカフェの窓からチラリと見えたし、行き帰りの車窓からも沿道の桜並木が淡いピンクに色づき始めたのがわかって、この雨に打たれながらもジッと耐えている風情のここの桜と合わせ、今年最初の花見は、一先ずこれでよしとしておくことにした。

去年の夏の入院・手術以来、やや体力がダウンし、すっかり出無精になってしまっていたが、丸の内や大手町とはもちろん西新宿や六本木とも違うビジネス・エリアに知らぬ間になっていたこの街を久し振りに訪れて、何だかチョッピリ刺激を受け、気分が高揚した。

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2010年3月22日 (月)

アナログな私のデジタルな日々

こうやってブログを書いていながら言うのもナンだが、正直なところこのごろ、机に向かい一定時間続けてパソコン作業をするのがキツいと感ずるようになった。慢性的に目が疲れ、肩が凝り、首が回らず、根気が保たない。昔はそれほどでもなかったのに、だんだんそうなってきた。最近、何かにつけて医者に言われる“加齢”のせいだろうか?
それも確かにあるかも知れない。が、直接的な原因は自分でわかっている。へばり付いている時間が長過ぎるのだ。外出する用事が特にない日などは、食事とムッシュの散歩をはさんで、平均して午前中2時間、午後3時間、夜3~4時間は、パソコンから離れられずにいる。職業としてそうまでしなければならないわけではなく、好きで読んだり、調べたり、書いたりするのに、際限なく時間を費やしてしまうのだ。そういう病気があるかどうか知らないが、もしかしたら“パソコン依存症”とでもいうのかも知れない。

これだけパソコン浸りになっている自分のことを他人が聞いたら、さぞかし齢に似合わぬデジタル人間かと思うかも知れないが、さにあらず。単に、新しいことに首を突っ込むのが嫌いではなく、そうなるとトコトン知らなければ気が済まず、知ったら自分なりに理解し考えたことを表現し発表してみたくなる性分が災いして、そういうことに便利な道具にハマっているだけで、実はITリテラシーの低い、根っからのアナログ人間だ。
子供のころから、絵を描いたり、歌を唱ったり、文を綴ったりなど、理屈よりも感性を活かせることが好きで得手でもあり、まだ誰もデジタルがどうのこうのと言わなかった時代に社会に出て、入った会社が出版社。本当は編集志望で、ヒョンなキッカケから長くマーケティングの仕事に携わってきたが、現役最後の15年くらいを除いては、関わってきたメディアはアナログ(それも印刷)が中心だった。だからいまでも、保存しておきたいネット情報はプリントアウトしておかないと心もとなく、本も、電子書籍やiPadなどのかたちでは、とても読む気にはなれない。

パソコンを使うと言っても、別に、搭載機能をフルに駆使して技術的に難しいことや凝ったことをしているわけではない。毎日午前中は、メールのチェックとメルマガの気になった情報や役に立ちそうなデータのクリッピングから始まって、その日のニュースに一通り目を通した後、“お気に入り”のいくつかのブログを読み、最後に、必要があるメールには返事を書く――という、あまり頭を働かせないでも済むことをするのが、大体の決まり。
午後は、自身のブログも含めて、いま考えている書き物の構想をゆっくりと練る時間に当てている積もりでいるのだが、瞑想しているうちに眠気がさしてきて、なかなかまとまったことができずに、断片的なアイディアを書き留めたり、検索エンジンを使って調べ物をするなど、下準備だけに終始することもしばしば。やっとシャンとして、書き物や資料作りにかかり始めるのは夜間になってからで、この時間帯が結局いちばん能率が上がるのだが、悲しいかな気力・体力が持続せず、日付が変わるころにはチャーンと頭が垂れてきて、上と下の瞼がくっ付きそうになってくる。

ザッとこんな日々を、週末も祝祭日も関係なくなくダラダラと送っているわけで、それでは慢性的疲労に陥るのも当たり前、もっと身体を使うことをして気分転換をはかり、メリハリのある生活を心がけなさいという声も聞こえてくるが、それが、わかっていながらなかなか実行できないでいるから始末が悪い。
ならば、イチイチ痛いの痒いのとこぼすなという話になり、それも重々承知だが、今回、思わず冒頭のようなボヤキを発してしまったのには、訳があった。ツイこの間のことだが、それぞれがまったく関係のない二つの用件で、パソコンを使う上でのごく基本的なプログラムに長時間、そして何回も繰り返し取り組まなければならない破目に陥り、日常作業とは勝手の違う悪戦苦闘を続けた結果、両方とも何とか目的は達したものの、ホトホト疲労困憊してしまったのだ。

その一つは、セキュリティ・ソフトの更新。昨年の春、パソコン自体を買い替えたときに併せてインストールした、Jシステム社の「Kなんとかスキー」というプログラムだ。1年の有効期限が残り1ヵ月を切ると、毎朝デスクトップに“期限まであと○○日です”というお知らせウィンドウが現れ始め、最初のうちはまだまだ間があると放っていたものの、“あと○日”となって、コリャ早くしなきゃイカンと慌ててメッセージに対応、指示に従ってYESボタンを押し続けて、まずは“更新キー”なるものを購入した。
そこまでは良かったのだが、その先が??? 購入確認のEメールが送られてきて、そこに示された20桁のコードを使って製品のセットアップなるステップを踏まなければプログラムは発効しないということだったが、いくつも記載されたURLのどれからリンクすればいいのかわからない。“バージョン○○の製品をご利用の方”とか“会員登録済みの方”とかオプションするようになっているのだが、自分がどういう立場なのかがわかっていないからチンプンカンプン。片っ端からリンクを試みているうちに、やっとそれらしいところに入り込めたが、こんどはそこで説明・指示されていることがわからないときた。

こういった更新や立ち上げの作業をいつまでも倅に頼っていずに、なんとか自力でやってみようと、せっかく始めたのだが、説明・指示の用語だけでなく文章そのものが、日本語なのに、アナログ人間の自分には理解できないのだ。必死になって自分なりの解釈を試み、壁に突き当たっては初めからやり直すこと数回、気分を変え、日を改めてもみて、延べにして5時間以上は粘ったような気がするが、頭が痛くなって遂にギブアップ!そして、フリーダイヤルでないのが癪だったが、J社のサポートセンターに電話した。
率直に初心者だとことわり(一応キャリア15年余ではあるが実際その域を出ていないのだから仕方がない)、“メールからリンクして作業を始めたけれども指示されていることの意味がわからず立ち往生している”と事情を話すと、“コリャア、この人あかんワ”と思われたのか、リンクではなくてキーワード検索からのアクセスに導かれた。その後は、“次に...してください”と言われるまま、途中に無言の待ち時間も含めて数十分、やっと目的地に辿りついたが、その間自分が何をどうしたか、全然憶えていない。特に根拠もなく、今回も有効期限を1年にしてしまったが、いまから次回の更新が思いやられる。

もう一つは、上記の件とほぼ並行して取り組んでいた、デジカメ写真の縮小プリント。家内が運転免許の更新のため指定サイズ(横25mmx縦30mm)の写真が必要になり、スーパーのセルフ撮影ボックスで撮ってきたところトリミングが上手く行かず、“アーア、今回もまたあそこ(警察署内の交通安全委員会)で撮ってもらうしかないのかしら、料金が高い上にキレイに写してくれないからイヤなのよネー...”と言っているのを小耳にはさみ、知らぬふりもできなくなって、自分が撮って縮小プリントしようかと言ってしまった。
とりあえず、何カットか撮った中の良さそうなものをパソコンに取り込み、画面クリックだけで指定のサイズまで縮小できたので、それをプリントしようとしたらその通りに行かない。アレコレ何度試みてみても、印画紙のサイズ(たまたま在庫があったL判)に拡大されてしまうのだ。チャンとしたやり方をしなかったのがいけなかったかと、改めて、パソコンにプリインストールされていた写真編集プログラムに従ってみたが、それでも上手く行かない。サテどうしようかと迷ったが、前記のセキュリティ・ソフトの更新で手を焼いたことに懲りていたので、それ以上無駄な労力を使うのは止め、その段階でPCのメーカーN社のカスタマーセンターに電話(これはフリーダイヤル)をした。

パソコン本体の問題でもないのに、N社の顧客サポートは意外に親切だったが、同じ写真編集プログラムに従って導いてもらったた結果、やはり失敗した。いく通りかのアプローチが試みられ、自分のやり方が間違いではなかったこともわかったが、家内の写真のL判プリントがドンドン増えてゆくだけで、どうやってもダメ。結局、これはプリンターの設定の問題のようだから、そちらの方をいろいろ試してみて、それでもダメだったらプリンター・メーカー(C社)のサポートセンターに電話するほかないということになった。
けれども、C社はフリーダイヤルではないし、長引いた挙句またダメだったら骨折り損のくたびれ儲けになると、まずはコールはせずに、少し頭を冷やした上で、自分で設定にチャレンジしてみようと決心した。プリンターの設定画面には、ページ・レイアウトや用紙サイズなどの選択で日頃から割合馴染みがあったので、もしかしたら自分にもできるのでは...と一縷の望みをつないで。すると...プロパティを開いてデータ・サイズと関係ありそうな設定を片っ端から選択してはプリントしているうちに、幸運にも、まったく偶然に、希望サイズのプリントに行き着いた。縦・横の数字を指定したわけでもなく、どうしてそれができたのかいまもってわからないが、ともあれギリギリのところで面目を保てた。

こうして、いまはまたいつもの低レベルのデジタルライフに戻っているが、パソコンなどに縁がない悠々自適の友人から手書きの季節便りをもらったりすると、いっそ、この道具を使わなくなったらどんなにか心が解放され身体が楽になるかと一瞬夢想する。そしてフと、パソコンを始めていなかったら、一体いまごろ自分はどんな暮らしをしていたろうかと、詮ないことを想ってみたりもしたが、どうやらいつの間にか、ケータイはともかく、これなしの自分というものは考えられなくなっていた。
十二分に使いこなすというところまではとても到達していないが、物を書くときの紙とペン代わりだけでなく、勉強や調べ物での図書館・百科事典の代わり、内外ニュース・天気予報・路線・グルメ・健康などの生活情報源、和洋書・CD・DVD・保険・チケット・地方名産などの購入や金融機関との取引手段として、そして何よりも、人と人とのつながりを維持し、強め、新たに創り出し拡げもする有難いツールとして、パソコンとインターネットはいまの自分にとって、掛け替えのないものになっている。

長い付き合いのホームドクターも、アレコレ不定愁訴を漏らす自分にこう言っていた。“困りましたネー。だけど、いまの中澤さんにパソコンを止めろというのは、私に医者を止めろと言うようなものかも知れませんから、どうしようもないですネー...”と。

マア、身体はともかくオツムの状態をできるだけ老化させないように保つため多少は役に立つだろうから、四の五の言わずに何とか折り合いをつけて、自分なりのデジタルライフを続けて行くしかないと自らに言い聞かせている今日このごろデシタ。

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2010年3月 8日 (月)

広告費統計を見て考えた

毎年3月が近くなると、電通がまとめた“日本の広告費”の前年度の統計が発表される。今年も2月22日、同社サイト上にニュース・リリースとして2009年度のデータが掲載されたので、早速拝見した。
全広告・メディア業界が関心を持ち参考にもしているレポートだし、自分としても、そのデータをときに引用し自分流に解釈して使わせてもらったりもしているので、本来、これについてとやかく言う立場にはないとわかってはいるが、それでもやはり、例年のことながら一読した後には、物足りなさを禁じることができなかった。

そこでの主な指摘は、2009年度の総広告費は約5兆9000億円で前年比-11.5%、マスコミ四媒体では-14.3%で、特に新聞が-18.6%、テレビもこれまでになく-10.2%と減り幅を大きくし、インターネットと衛星メディアのみが微増で、業種的には「金融・保険」が大幅減、「自動車・関連品」「情報・通信」「不動産・住宅設備」などをはじめとしてほとんどが前年比マイナス...といったところで、その原因は景気低迷による企業の経費削減と結論づけられている。
つまりこの統計は、一般的に “広告費”という呼び方をする企業のビジネス投資に見る全体的な減少傾向と、それを“メディア別”に見た場合のミックスの割合の変化について、集計した数字が示すままにごく常識的なコメントを付しているのだが、なぜそうなったかについては、それ以上掘り下げた原因分析・背景洞察をしておらず、そこが、自分の感ずる物足りなさの原因になっているのだ。

確かに、不景気の影響で広告費と呼ばれる支出の引き締めはあろうし、広告メディアとしてのインターネットには他のメディアと比較した場合のコスト面での優位性があるかも知れず、それが全体額の減少やメディア別シェアの変化に影響を与えていることは間違いない。しかし、だからと言って、それがいまの結果をもたらしている理由のほとんどすべてということで済ましてしまっては、あまりにも皮相的に過ぎるのではないだろうか?
この時代、人々は情報に対して、受発信の両方向性を持ったコミュニケーション・チャネル(オンライン)を自由に選んで、自らの主体性のもとに接触するようになって来ているということは周知のはずなのに、業界はそれを、基本的に発信という単方向性しかないチャネル(オフライン)を通じて、企業の一方的な思惑のもとに到達させようとする“広告”という概念の枠内でしか考えようとしないでいるため、その意味での広告としての扱い高とか、そういう広告を掲載するメディア間の競合・盛衰のみに目が行き、このような集計のし方、結論づけになってしまっているのではないだろうか?

もちろん“メディア別”の広告費集計も、それはそれで意味のあることではあるが、そこからなぜそうなったかという推論を導き出すためには、それが“どんな目的のため”の広告だったのかを知る必要が出てくる。イメージ形成、アウェアネス蓄積、レスポンス獲得、販売またはその促進・サポート、顧客関係形成・維持、ブランドロイヤルティ構築...など、目的によって必要とされるメディアの機能は異なり、メディアの選び方・使い方も変わってくるからだ。
新聞・雑誌・ラジオそしてテレビといった、伝統的ないわゆるマスコミ四媒体の広告費が年ごとに減少し、一方でインターネット(モバイルを含む)や衛星メディア関連の広告費が増えているのも、ただ単に、そういった新しいメディアを通じて到達できる市場が規模的に大きくなってきているとか、その割には費用が嵩まないとかいうことだけではなくて、企業が広告費を使う目的が、かつてとは異なったものになりつつあるということを表しているのではないだろうか?

つまり、広告費も“目的別”という切り口から見ないと、過去と現在のつながりがわからなくなるということなのだが、残念ながら現在のところこの国では、そのような統計データにはお目にかかれない。広告費の推移に関するオフィシャルなデータと言えば、他には経済産業省の「特定サービス産業動態統計」があるが、こちらも集計のかたちは基本的に電通データと変わらないので、そこからは、企業の広告支出に対する市場・個人生活者の現実的反応との相関、そしてそれにもとづくその投資の有効性の有無は見えてこない。
これは、長い間この国ではマーケティングというものを、市場・個人生活者の側からではなく産業・企業の側からしか見てこなかったことの構造的帰結で、なにも広告業界のみならず大部分の広告主企業が、いまに至るまでその変化の実状を理解できないままそれとは噛み合わないコミュニケーション政策をとり続け成果を上げられずにきたのも、この一方的な企業目線に起因しているのではないかと思う。

リサーチ先進国の米国でも、フォレスターリサーチ/ANA(全米広告主協会)をはじめ、ニールセン、ジュピターリサーチその他の調査機関が実施・報告するこの種の統計の大勢は、基本的にメディア別(ただし日本の場合よりも細分化)で、2009年度については、電通資料とほぼ同時期にニールセンのデータが発表された。そこからは、総広告費は1054億ドル(@90円換算で9兆4860億円)で前年比-9.0%、新聞・雑誌がそれぞれ-13.7%と-19.3%で、テレビは-9.9%、インターネットは0.1%の微増...と、日本とよく似た傾向が見て取れるが、自分としてはこれらとは別系統の、DMA(米国ダイレクトマーケティング協会)発表の調査・分析報告にも注目している。
それは、同協会が毎年発行する業界白書「Power of Direct Marketing」上に掲載されているもので、業界の性格からして当然ではあるが、米国の年間総広告費を、メディア別だけでなく“ダイレクトマーケティング”という“目的”の面からも捉えている。すなわち、各メディアに投下された広告費を、General Ad(ブランド認知・イメージ形成などのための伝統的な単方向発信型広告)とDirect Marketing Ad(直接販売・セールスリード開発・店頭集客・顧客関係維持などのためのダイレクトマーケティング的な双方向交信型広告)とに区分して集計、その割合を対比しているのだ。

それによると、ニールセンの統計にもあるように、2009年度の総広告費およびほとんどのメディアのそれは前年度を大幅に下回ったが、その中のダイレクトマーケティングを目的とする広告の割合は、全体として3%ほどではあるけれども前年を上回った(総広告費中のシェアが52.7%から54.3%に上がった)という。
この、伝統型広告とダイレクトマーケティング広告のシェア逆転という現象は、今年だけの偶然ではなく、2007年度の統計以来もう3年間続いているが、それは、情報通信技術の進化(デジタル化・オンライン化への傾斜)とそれによる市場・生活者の情報に対する接触し方の変化(消費者・顧客主導)によって伝統型広告への投資効果が薄れ始め、企業が個別客のターゲティングとロイヤルティ獲得のために、“ダイレクトマーケティング的なコミュニケーション戦略”をとらざるを得なくなってきたことの現れに他ならない。

マーケティング・チャネルとしてのインターネットの大躍進も、単に広告メディアとしていろいろな新しい工夫ができて面白いからということだけが理由ではなく、実はこの現象と密接な関連があるはずだ。にもかかわらず、電通の統計でもニールセンのそれにおいても、インターネットへのマーケティング投資は単純に“インターネット広告”として一括りにされているが、インターネットをこのように伝統型メディアと同列の単なる広告メディアとして扱っていると市場の動向観測を誤ることになるだろう。
インターネットによるマーケティングコミュニケーションは、ディスプレー広告、サーチ広告、メール広告など広告と言う概念で括っているかたちばかりでなく、それに当てはまらないEメール、ソーシャルネットワーキングなどをも含めて、細分化して把握しないと使用の背景がわからなくなると思うのだが、前出のDMAの統計は、そのような詳細にまでは徹していないにしても、印刷メディアの中では“ダイレクトメール”を他から区分し、インターネットは“Eメール”と“非Eメール”に分けているので、“目的との関連における何か”が少しはわかるような気がする。

そのような、企業の広告戦略の歴史的転換の兆しを感じさせるかのように、2009年には、テレビによるブランディング広告の代表格だった「ペプシ」が、長年続けてきた“スーパーボウル”のスポンサーを降りて、その予算300万ドルをCRMプログラムに投ずるという異例の決断をし、同様に典型的伝統型広告主だった「フォード」も、製品の販売とユーザー・ロイヤルティ確立の目的で、遂にソーシャルメディアの利用に踏み切った。
が、これは大きなうねりが始まる予兆のようなものに過ぎなかったのかも知れない。フォレスター/ANAが米国の大広告主104社に対して実施した最新の調査で77%が今後テレビ広告の予算を大幅にインターネット――特にソーシャルメディア――にシフトすると回答していることからも推察できるように、おそらく2010年からは、ペプシやフォード以外の多くの広告主企業で、テスト中だったこのような新戦略がどんどん本格化されてくると容易に想像できる。自分もこの場で毎年のように(2006年12月18日2008年1月14日2009年1月12日)指摘してきているが、広告は最早、投資に対する明確な効果(ROI)の追求を曖昧にしているわけには行かなくなっていることの、それは当然の結果だからだ。

自分は何も、毎年たいへんな手間をかけて作成発表される貴重なこの年間広告費統計に、それをただ利用するだけの気楽な立場から好き勝手な注文をつけているわけではない。この種の統計がいかに難しく手がかかるかは百も承知の上だが、それでも、常により意味のある内容を目指すことには意義があるから、誰かがそのことを言い続ける必要があると思って、あえて発言している。
“言うは易く行うは難し”かも知れないが、一つの企業だけの骨折りに甘えずに、広告・マーケティング関連の協会をはじめ、セールスプロモーション、ダイレクトメール、テレサービス、インターネット、通信販売、モバイル...など各分野の業界団体が協力して調査を企画・実施し、いわゆる広告費だけでなく、その名目では表面化してこないマーケティングコミュニケーション支出のデータも持ち寄って、これまでとは異なった(たとえば“目的別使用実態”といった)側面からそれを捉え直してみることができたら、ひとり広告・マーケティングコミュニケーションのみならず、新時代の産業経済全般の未来予測にも、どれだけ役に立つかと思う。

きっとそこからは、“いま何が起りつつあるのか”が浮き彫りにされて、企業もエージェンシーも、それぞれの関連業界が“将来に向けて何を考え為すべきか”が見えてくるはず。いきなりそのような方向転換をとは言わないが、まずは、現在の統計データを手がけてくれている電通あたりが、クライアントに協力を要請して、そういう方向づけをしてくれないだろうか?
もしそれが実現されたら、広告統計は単に、よく言われる“景気を映しだす鏡”に止まらず、“景気を見通す望遠鏡”にもなって、より大きく国家の産業経済に貢献できることになるのではないかと思ったりするのだが...。

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