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2010年2月

2010年2月22日 (月)

アキハバラは遠く...

近ごろは秋葉原のことをアキハバラと言わず“アキバ”と呼ぶのが普通らしい(昔からそうだったという説もあってどちらでもいいけれど)が、そのアキバに、先日、自分としては実に実に久し振りに行ってきた。会員になっているダイレクトマーケティング学会のセミナーが、同駅近くの富士ソフトビルで開催されたので...。
そんなにご無沙汰したつもりはなかったのだが、振り返ってみたら学会のこの種の催事には、もう3年も顔を出していなかった。なかなか興味の持てるテーマがなかったり、場所が遠くて億劫だったり、私的スケジュールで縛られていたり、というのが理由だったが、今回は“Twitterのマーケティングへのアプリケーション”に関係がありそうな話しだとあってチョッとそそられ、重い腰を上げた。

その道のトップランナーである講師2人からの話で、その現状と機能についての知識を多少拡げかつ深めることができたような気はしたが、まだまだ疑問だらけ。果たしてこれが、マーケティングにどれだけの影響をもたらすものかは、ピンと来ないままだった。
旬な話題として関心を持ち、Wikipediaに説明されている程度に概念を知っているだけで、基本的に勉強不足だし、自分が個人的に実践しているわけでもないのだから話しにならない。直感的に、ITリテラシーが高くマメでマニアックな人でないとなかなか続かなそうな気がしているが、先入観に過ぎるだろうか? 自分などは、わずか140字以内に要約してキーボード上で意味のある呟きを発し誰かと遣り取りを続けるのは、普通に文章を綴りメールで送受信するよりはるかに難しいと思ってしまうのだが...。

本当は、今回このセミナーを受講した後に、ここで“マーケティング随論”として、自分のとりあえずのTwitter論を書くつもりでいたが、現時点でしたり顔であれこれ言ったら恥をかきそうな気がしてきたので、機会を改め、もっと勉強と経験を積んでからにすることにした。それまでに、Twitterに限らずソーシャル・メディア全体についての見識もアップデートしておかねば...。
ちょうどいいタイミングで、このブログを始めるキッカケをつくってくれ日ごろ何かと自分の仕事にも協力してくれている若い企業家H君からメールが届いた。余談として書いていたが、彼もTwitterを楽しんでいるようで、そのうちに自分をTwitterの世界へ引っ張り込んでくれると言っている。することが増え、負担にならないか心配だが、ともあれ、それに便乗して手習いを始めてみるのも悪くないかとも思っている。

ところで、今回秋葉原に行くことになって改めて気がついたのだが、首都圏に住んでいながら信じられない話だけれど、自分は少なくともこの20年間ほど、高田馬場・目白・池袋・上野を除くJR総武線以北の山手線駅では下車する機会がなかった。朧な記憶を辿って懸命に思い出してみても、秋葉原は多分25年ぶりくらいになる。もちろんこの駅は山手・京浜東北線と総武線というJR幹線のクロス・ポイントだから、通過は最近までも何度もしているはずだが、なぜか、下車することはトンとなかった。
元来が典型的な文系で、電子製品組み立てなどの趣味はないし、アニメやゲームなどのオタクでもないので、“秋葉原は安いらしい”という評判につられて家電ブームのハシリのころにはそこそこ足を運んでいたが、家族が増え生活拠点が都内(文京・大田区)から東(千葉県市川市)へ、そして南(神奈川県横須賀・横浜市)へと遠ざかり、たまたま同時期に家電量販店・ディスカウントストアの郊外店が急速に増えて行ったことなどもあって、いつしか足が遠のいていたのだ。

そんなわけで、久しぶりに出かけることになっても、いま住んでいるところからどこを通って行けば面倒がないか、時間はどれだけかかりそうか...といったことの見当が俄かにはつかず、ヤフーの路線探索で調べてやっと、成程という行き方を発見した。頭の中では、表参道・銀座経由で田園都市線・銀座線・日比谷線と乗り継ぐのが無難かと思っていたが、実際には、二子玉川で大井町線に乗り換え大井町からは京浜東北線を使うのが、時間的にも料金的にもベストとわかった。
見当が外れたのは、電車を降りてから駅出口までの順路も...。後で考えると、地上に出るのだから高架のホームからは当然下に向かうべきだったのが、人の波に捲き込まれてボーッとしたまま総武線のホームに上がってしまった。会場への出口は中央改札口だとは事前に確認していたので、さすがにコリャいかんと気付き、恥かしいから間違えたことを誰にも悟られないようにさり気なく(のつもりで)案内表示を目で追っていたら、親切な駅員さんに声をかけられて、直行エレベーターのところまで案内してもらう始末。エレベーターの中で、ああ我老いたりと、独り赤面した。

ヨドバシ 中央改札口から外へ出て、またビックリ。そこは京浜東北・山手線と総武線が交叉してつくり出される4つのゾーンの東北部分にあたるわけだが、自分の記憶に残っていた光景とはまるで違う世界(“世界”はちょっと大げさか)が拡がっていた。昔もあまり来たことがなかったので定かではないが、確かこの辺りは殺風景な貨物駅だったはず。が、いまはきれいに整備されたロータリーになっていて、それを取り囲んで中・高層ビルが建っていた。
テレビなどで目に馴染んでいた、いわゆる“電気街”の極彩色の街並みでもない、落ち着いた山手の新興オフィス街への玄関口といった雰囲気で、わずかに、東側の昭和通り方面に見えた「ヨドバシAkiba」のビルが、どこか大阪梅田のデパートっぽいフォルムと壁面にいくつも掛かった派手な垂れ幕で、アキバらしさを醸し出していた。

この街に初めて足を踏み入れたのは、昭和30年代初めの学生のころ。同じ下宿のチョイと金回りの良かった友人が“五球スーパー”の新型ラジオを買うというので同行した。ラジオの民間放送が開始されて数年、各局で音楽番組華やかなりし時代だったが、田舎の実家から持ってきた古色蒼然たる木製キャビネットの真空管ラジオでは受信感度が悪くてクリアに聴きとれず、キャビネットもプラスティックでモダンに成型されていた五球スーパー・ラジオを店先で視聴したときには、“感度”がよくて“感動”した。
ソニーがトランジスタ・ラジオを発売して話題を呼んだのもこのころだったはずだが、貧乏学生には手の届かなかった高嶺の花で、実物にお目にかかったのはずっと後のことだった。理系の連中はガード下の店で部品を買って来て自分でラジオを組み立てる者も多く、その方面の専門誌もあり、鉱石ラジオ・キットの通販広告が誌面を賑わせていた。秋葉原にはかつて「○○無線」という名の店が多かったのもそれに関係があり、現存する「ラジオ会館」ビルも、そのブームのピークのときに建設されたそうだ。

所帯を持ってからも、都内のアパート住まいや市川の集合住宅のころは、家電品といえばやはり秋葉原だった。遠い昔のことだから、もう何をどの店で買ったか全然覚えていないが、多分、最初の冷蔵庫と電気洗濯機(当時はまだ手回し脱水式)、それから扇風機と電気炬燵などを、何軒もの店を回って値段を比較した上で決めたと記憶する。
横須賀の戸建ての家に越してからは、そこまで出るのも一苦労ということで、個人的買い物に関しては、ほとんど秋葉原を利用することがなくなった。ただ、当時仕事で、オーディオ製品の流通についての調査のため何度も同所へは足を運び、いわゆる“バッタもん”(金融流れ品、倒産処分品)の経路や、生産市場としての近隣諸国の技術・品質管理水準など、興味深い裏事情を学んだりもした。

秋葉原センタープレイスビル それ以来、外国人観光客の必須ショッピング・スポットとして、メイド喫茶の発祥の地として、新ソフトやゲームの発売ごとにオタッキーたちが徹夜の行列をつくる場所として、そしてまたあの痛ましい事件があった街として、メディアや小説だけを通じて“アキバ”を知り、ステロタイプなイメージを抱いていたが、今回足を運んでみて、またチョッと印象が変わった。 ...と言うより、再発見したと言った方がいいだろうか。
もっともそれは、時間が無くて肝心の中央通りの電気街やガード下の部品店街まで足を延ばせず、イメージ通りの喧騒を目のあたりにできなかったせいかも知れない。が、それにしても、ロータリーの一角に立ち、駅出口正面のセンタープレイスビルや今回の会場だった富士ソフトビル、そして秋葉原UTX、秋葉原ダイビル、TOKYO TIMES TOWERなど周辺に聳え立つ中・高層ビル群を眺め渡してみて、やはりこの街は、単なるIT商品のショッピング・エリアから脱皮して、よりスケールの大きなビジネス・エリアに変容しつつあることを実感させられた。

学会への顔出しがあまりにも久し振りだったものだから、古くから親しくしている人たちから、元気だったか、大丈夫かと気遣ってもらったが、正直のところ、受講者席に座って3時間近くジッと他人の話を聞いていて疲れてしまったのは事実。身勝手なものだが、自分が講師として話す分にはそうでもないのだけれども...。 見渡せば周囲は、自分よりはるかに若い人ばかり。“世代交代”という文字が頭に浮かんだ。
セミナーの後、ビル1階レストラン街のパブで、ブッフェ・スタイルのビヤー・パーティがあったが、皆が大ジョッキで乾杯する中、自分だけウーロン茶では何とも間が持たないし、近ごろは同じ姿勢で長時間立ちっ放しでいると足が棒になるので、早々に失礼した。

すぐに役立ちそうな何かが得られたわけではなかったが、久々に、学習意欲に燃えた若いビジネスマンや学生たちの中にわが身を置いてみて、まだ自分の中に燃え残っている何かが刺激されたのは確かだった。

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2010年2月 8日 (月)

ムッシュと甘い蜜の香り

100206_2 立春が過ぎても寒い日が続いていたが、今週からは少し暖かくなるらしいので、自分のような寒がりにとっては有難い。しかし、つい先日は雪まで降ったし、これでスンナリ本当の春に移行というわけには、なかなか行かないだろう。それでも、御嶽神社境内の早咲きの梅は律儀なもので、今年も例年と同じ時期に白い花をつけ始めている。
花と言えば...ムッシュが珍(大!?)事件を引き起こし、ここ何日か家内はお冠だった。あろうことか、彼女が長い月日をかけて大事に育ててきてやっと付いた洋蘭の花芽を、アッという間に食べ尽くしてしまったのだ。あまりのことに、いつもは優しいママがキレてしまって、本人(犬)もさすがにうろたえていたが、覆水盆に返らず。

つい先日の夕方のこと。2階の自室で仕事をしていたら、1階から“お父さん、チョッと来てー”という家内の悲鳴が聞えた。何ごとかと、階段を走り下りて駆けつけると、リビングルームの窓際に置いてあったシンピジウムの大鉢の前で、彼女が茫然と、そして半ベソをかいて立ち尽くしていた。
その様子だけでは事情がよく呑み込めなかったので、一体どうしたのかと尋ねると、ムッシュが、もうすぐ開花しようかというところだったシンピジウムの花芽を、全部、茎ごと、根元から食べてしまったとのこと。確かに、その残骸らしき尖った葉先や堅そうな芯の部分が、鉢の近辺に散らばっていた。家内がキッチン仕事をしていて目が届かなかった、わずか30分ほどの間の出来事だったようだ。

ちょうど1年前に、家内が親しくしている行きつけの美容院の美容師さんから新築祝いにと頂戴した鉢で、そのとき見事に咲いていた花がすっかり散り落ちた後、1年近く丹精してやっと再びここまで漕ぎつけたのに...と、彼女は嘆くことしきり。
花芽は18個、すべて1本の茎についていたもので、それがなくなったとなると当分(数ヵ月~1年)は見込みがないらしく、これまでの努力が水の泡になったと、家内の落胆と怒りは半端ではなかった。自分もその気持ちは十分理解できたが、そんなものをそんなに大量に食べてしまったムッシュのお腹も大丈夫だろうかと、一方ではそれも心配だった。

園芸に疎い自分などにはよくわからなかったが、どうやらこのシンピジウムの花芽からは、甘い蜜が滴るほどに滲み出て芳香を放っていたらしく、それがムッシュの嗅覚をいたく刺激し、このとんでもない行動に駆り立ててしまったようだった。
そう言えば、庭で遊んでいるときにハーブ類の枯れ葉を夢中で食べようとしていたし、日向ボッコのときにはテラスに出していた鉢植えのシャコバサボテンの花に齧りついていたこともあったから、こちらも予め気をつけなければいけなかったのかも知れないが、まさか、あんな硬いものを、それもあんなに沢山平らげてしまうとは、夢にも思わなかった。

本人(犬)にしてみれば、どこにある植物なら食べてもよくて、どこにあるのがいけないのか、どれがママの大事にしているもので、どれがそうでもないのか、などというビミョーなことは分かるわけがないし、たとえ事前に言って聞かせていたとしてもピンと来なかっただろう。が、とにかくママが本気で怒っているので、結果的に自分がエライことをしでかしてしまったとは気がついたようだ。
ふだん小さなオイタをしたときなら、コソコソとソファーの下に隠れ、ほとぼりの冷めたころにノコノコと出て来て、ママやパパに苦笑混じりで叱られるくらいで済んだのだが、今回ばかりはそうは行かなさそうだと悟ったか、大声で一喝されたら、現場で固まってしまった。目は虚ろ、耳と尻尾は垂れ、いつもの愛くるしい表情はどこへやら、ただでも小さな体をいっそう縮めている姿は、哀れでさえあった。

しかし、何がどれだけいけない事だったのか、今後のためにも分からせておく必要があると思い、家内はもちろん自分からも、齧り残した花茎の根株と葉先を指差しながら、強い口調で繰り返し言って聞かせた。
晩ご飯の直前だったが、異常なほど大量に葉茎や花芽を食べてしまったこともあるし、罰の意味も含めて当然その一食は抜き。大好物の食後のガムもあげなかった。こちらとしても可哀そうな気がして辛かったが、早々にケージに退去させて消灯し寝かしつけた。いつもならそれからも、少し甘え啼きするのだが、その夜のムッシュは一声も発しなかった。

その日の家内はどれだけ怒っても足りなかったようだが、実のところ自分は、チョッと厳しくし過ぎたかなと気になって、ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかった。4歳で我が家に来たムッシュは、もういい大人なのにあんなに頭ごなしに叱られて、傷心のあまり自分たちに対する気持ちが冷めてしまったのでは...などと、あらぬことまで考えた。
が、いつの間にか眠りに落ちてしまい、翌朝は定刻に目が覚めた。いつもの朝なら、自分たちが1階に下りて行くころにはムッシュの啼き声が聞えるのだが、その朝は何も...。もしや打ちひしがれてグッタリとしているのではと、恐る恐るケージを覗き込んだら、いつものように元気にピョンピョン飛び跳ねているので、やれやれ思い過ごしだったと一安心。

だが、あれだけのものを食べた後だからか...ケージ内は近来になく惨憺たる有様だった。上から下から放出されたもの(失礼!)が、トイレ内だけでは済まず、まわりのマットや毛布にも散乱してイヤハヤという状態。
だから言わんこっちゃぁない...あんなものを食べるからだョ!と、怒ってみても仕方がないとは思いつつもブツブツ。それはともかくとして、この種の片付け清掃は自分の役割なので、久し振りに朝から大仕事をした。で、すっかり神経が疲れて、自分はもはや叱る気も失せていたが、ムッシュはママから、また改めて懇々とお小言を頂戴していた。

いつもなら、起きぬけにママのところへ素っ飛んで行くと“ムーちゃんオハヨー”と頭を撫でてもらえるのだが、その朝はこんな失敗の上塗りもあって、ママはまだまだ立腹中。教育のためには両親とも一貫した姿勢でなければないから、こちらも散歩中はムッツリ。途中でムッシュに声をかけてくださったご近所の方々にも、ぎごちない笑顔をつくり無言で頭を下げただけ。もしかしたら、今日はずいぶん愛想が悪いと思われたかも知れない。
翌々日にはお兄ちゃん達が揃ってやってきたので、ムッシュは何とか縋りついて遊んでもらおうとしていたが、話を聞いて親の教育的姿勢に協力したお兄ちゃん達にも、“それじゃあしょうがないなー”と素っ気なくされていた。

それはそうと、昨年の9月21日(今年の夏は...)に書いたが、あのとき以来ムッシュは、ペットクリニックの先生にダイエットを命じられ、2.5キロの標準体重まで減量するのを目標に、食事の量をコントロールしていた。しかし、その甲斐があり過ぎたか、最近はだいぶウエストが細く、お尻も小さくなってきたように見え、いささか気になっていた。
クリニックには、体重チェックのためときどき寄るように言われていたのに、快食・快眠・快便ですこぶる元気だったのでツイご無沙汰していたが、痩せれば痩せたで心配なものだし、今回あんなものを食べてしまったこともあったから、ともあれ久し振りの体重チェックがてら、先生の意見を聞こうと足を運んだ。

測ってみたら体重は、何と2.4キロまで減って、すでに目標値を下回っていた。でも、元気なら心配はいらない、体重減は食事量の減らし過ぎでしょうというのが結論。半年前には食べさせ過ぎと言われて、指定された食事量を厳守していたのだが...難しいものだ。
道理で、ママやパパが食事をしているときに、必死になっておねだりすると思った。庭でハーブの枯れ葉を食べたりシャコバサボテンの花をパクリとやっていたのも、空腹のせいだったか。

それにしても、シンピジウムの花芽18個はマズかったョ。いやウマかったのか...!? 
結局、今後は週に2回くらいずつ体重チェックをしながら、以前太らせてしまったときほどではなく食事を増量してみましょうということに。何だか、納得のような、でもチョッピリ腑に落ちないような気持ち...。

ところでムッシュの方は、すっかり改心して花芽を狙うのをあきらめたかというと、どうもそうでもないらしい。例のシンピジウムの鉢は、彼が届きにくい高さのテーブルに移したが、花芽はなくなってもまだ甘い蜜の香りがするのか、ときどき傍へ行っては上を見上げている。
シャコバサボテンの鉢も室内に取り込んだが、低いティーテーブルの上に置いたら、いつの間にかまた、花がなくなっていた。付近に散り落ちてもいないから、さては...と思ったけれども、ご当人(犬)は知らん顔。

まだ、そんなに空腹なのかしらん...でもまあいい、お腹をこわしたりさえしなければ...。“この顔を見ていると怒れなくなるネー...”と、ママとパパはもう達観した。

あれからまだ数えるほどしか日は経っていないが、ムッシュは何ごともなかったように、今日も元気に散歩に飛び出して行く。

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