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2010年1月

2010年1月25日 (月)

エアラインのマーケティング

経営が事実上破綻し、存続すら危うかった日本航空(以下JAL)が、法的整理すなわち会社更生法適用というかたちで再生を目指すことになった。この1~2年間、内外の大企業の同じような話がまだ幾つも記憶に新しいが、JALの場合は自分にとっても、いろいろな意味で身近な問題として感じられる。
JALはこれまで、一乗客としてもかなりの頻度で利用し、したがってカード会員にもなっていて、マイレージを貯めては何度も特典のお世話になった。のみならず、マーケティング・コンサルタントとしてある部分の仕事に関わっていた時期もあり、個人的に親しくしていた内部の人たちもいるので、特にそう思うのかも知れない。

が、何よりも自分は、どういうわけかエアラインのマーケティングに縁があり、いわゆる航空自由化が始まった1980年代から何社もの米欧エアラインの日本市場での勢力拡大プロジェクトに関わって、その最盛期から過渡期にかけての有為転変も経験しながら大いに勉強させてもらう機会があったので、この産業自体に普通以上の興味と思い入れを持つようになったのも事実だ。
だからというわけではないが、巷間いろいろ言われているのは百も承知ながら、JALが最悪の結果には至らずに、ともあれ再建計画の目途がついたということは、ひと先ず良かったのではないかと思っている。

もちろん、事ここまで至ったのは、明らかに同社自身に本質的な問題が多々あってのことだし、この結末は国民感情からも、また業界全般の観点からも、必ずしも納得できるものではないが、長い目、広い視野で日本の国益を考えた場合、決して単純に見捨ててしまって済むというものではないから、そう思うわけである。
とは言っても、深刻な病状にあるJALが健康体に回復するための道程はきわめて嶮しい。負債の大幅圧縮と公的資金投入というカンフル注射を行い、全体の3分の1にあたる人員の削減や給与・年金の切り下げ、子会社の半減や内外の不採算路線からの撤退と支店の閉鎖などの荒療治をすることによって、当面の延命は可能だろうが、問題は、真の自力更生のために、今後営業面でどんな具体策を、どう積極的に打つのかということだ。

いまの段階では、そこまでの詳細な話しはまだ聞えて来ないが、当面はそれどころではないのかも知れないし、財務・人事・管理方針などについての再建ロードマップは、もしかしたらすでに、水面下で着々と進行しているのかも知れない。
いずれにしても、このような企業経営の根幹部分については、経験も見識も浅い自分などがとやかく言うまでもなく適切な策が打ち出され実施されて行くものと信じ、期待しているが、それだけでは、企業は新しい活力を取り戻せない。コストの切り詰めと管理だけでは、滑走路に立つところまでは可能でも、自力テイクオフはできない。JALが再び大空に飛び立てるようになるためには、先ずは積極的な収益達成を図らなければならず、そのためには、旧来のスタイルから脱却したマーケティング戦略の推進が緊急かつ重要な課題になってくる。

前述したように自分は、かつて相当期間、米欧主要エアライン数社のマーケティング活動に関わってきた(JALに関してはグッズの通信販売というごく部分的な事業のアドバイザーをしただけだった)ので、その体験がトラウマとなって、ビジネスの第一線を退いてからもエアライン各社のマーケティングを観察する癖が抜け切らない。
また、現役時代から現在まで多年にわたって、主に国際線の個人およびビジネス・ユーザーとして、さまざまなエアラインで頻繁に飛び回り、それぞれから市場・旅客に向けて発信される情報にも関心を持ってきた。とりわけ近年の利用が最も多かったJALについては、経営のこともさりながら、広告キャンペーン、ホームページ、送られて来るダイレクトメール、Eメールなどを、 “これでは...”という問題意識を感じながら見ていた。

何が問題なのかを一言で言えば、酷評するようだが“JALがマーケティングと思ってやってきたことは実はマーケティングになっていない”ということになる。もっと具体的に言うならJALは、昔ながらのスタイルでの販売・広告・広報・顧客対応などは行ってきたが、競合他社との差異化による固有市場の確立、それによるロイヤルな顧客の創造と維持、厳密なコスト意識に基づく費用対効果(ROI)の追求という、今日の自由競争市場では当然の目的を明確に意識せずに、漫然とした活動を続けて来たということだ。
すなわち、この企業内部だけに通用する論理に基づく内側からの発想で、航空関連事業には無差別に手を拡げ、不特定多様な市場にわたり不特定多数の人々を対象として、総花的・画一的な情報を一方的に発信し、ほんとうは台所が苦しいのに殿様感覚で大盤振る舞いを続けてきた(としか見えない)ということである。

事実、自分はJALカード(JC)の会員でありJALマイレージバンク(JMB)のメンバーだが、JMBは、自分がどんなプロファイルでどんな意見や要望を持ち、どんな搭乗履歴があってメンバーの中ではどんなグループに属するか、といったことには無頓着に、常に、全会員に共通の、そのとき彼らが“売りたい”商品・情報をコンテンツとしたEメールを、一方的に送りつけてくる。それも、セキュリティ・ソフトウエアがときどきスパム・メールと間違えて自動的に識別してしまうほどの高頻度で...。
年1回の古典的な“バースデー・グリーティング”以外には会員であることを実感させられ個人的に気を惹かれるようなメッセージは受け取ったことがないし、何もかもテンコ盛りにしたチラシ風の構成が読み辛く関心を集中できないこともあって、ヘッドラインだけをチラッと見ては、ザッとスクロールしてやり過ごしてしまうケースがほとんどだ。

JCからは、Eメールとは別に、旅行した後やカードでショッピングした後に(年会費の自動引落し時も含めて)、ダイレクトメールで利用実績明細書が送られてくる。この封書にもやはり、あれもこれもと、会員誌らしき小冊子をはじめ、さまざまな目的の販売・販促パンフレットがギュウ詰めになっているが、利用明細部分以外は自分の個人情報に基づいて特化した訴求がなされているわけでもないので、特に読もうという気が起らない。
これでは、折角Eメールやダイレクトメールという個人訴求メディアを使っていながら、メッセージを対象にカスタマイズしていない無差別大量メールと同じことになってしまって、レスポンス確率が悪くなる上にROIも良くならない。

個人的感覚で細かい指摘をしているようだが、一事が万事、JALが生まれ変わるには、この考え方を根本的に改める必要がある。すなわち、多角化を止めてJALの強みを生かせる事業だけに専門化、競合他社を差異化する新しいブランド価値を創出し、すべての市場にと欲を出さずターゲットを絞り込みそこに集中、それらに基づいて規模は小さくとも選び抜いたJALだけの固定客層を形成して、結果として最適な採算を目指すのだ。
言うは易いが、そんなことが実現可能なのだろうか? 率直に言って、ゼロから始めるのは難しい。が、幸いにもJALの場合には、それを進めるにあたっての基盤(会員データベース)が存在しており、むしろこの考え方を戦略として実行に移すことこそが、迂遠に見えて実は最も合理的に再成長に向かう近道になる。

その具体的な方法論は? 話が長くなるからズバリ言ってしまえば、それは「フリークエント・フライヤー・プログラム」(通称FFP)ということになる。ご存知の、“会員になった旅客は、搭乗距離に比例してマイルで表されるポイントを獲得し、その積算が一定額に達すると無料航空券その他の特典に交換することができる”という仕組みだ。
現行のJMBがそれではないか、すでにどのエアラインも実施しているではないか、と思うかも知れないが、どこでどう誤解したのかあるいは意図的にそうしたのか、JALも含めて日本の場合はほとんど、小売業やカード業などで一般化しているポイント・システム(利用頻度に関わらず会員なら誰にでも一律に適用される単なる割引還元)と同じ、本来のFFPとは似て非なるものになってしまっている。

FFPとは、“多頻度利用客こそ最も収益への貢献度が高い優良旅客”という証明されている大原則に基づいて、そういう会員を戦略的に育成し集中的に訴求することによって収益効率の最適化を実現しようとするプログラムで、ポイント・システムとは異なり、多頻度利用会員ほどより手厚い特典が受けられるのが根本的な仕組み。
会員はその利用実績に応じてデータベース上でランク分けされ、新たな利用ごとにそれが更新、常により上のランクへの移行をはかるためのプロモーションがなされるが、そのために、貢献度に応じたランクごとの特典体系の構築が重要な意味を持ってくる。ここが、貢献度を判別することなく同じ条件で提供される一般的なポイントとは違うところだ。

これは、会員データを単に固定的にセグメントあるいはグルーピングするだけではなく、絶えずグループ間で流動させ、データベース全体を常に活性化させておくのが肝要ということで、各ランクのグループの性格にカスタマイズした、長期にわたる双方向のコミュニケーションが不可欠になる。
そしてその結果として、会員のプロファイルや搭乗履歴・要望なども判明、それに対応することにより関係が深化し信頼感も高まって、ブランドに対する“ロイヤルティ”が形成されるようになってくる。それでこの戦略は、一般企業にも敷衍できるものとして単なる短期的なセールスプロモーションとは区別し、「ロイヤルティプログラム」とも呼ぶようになった。よりいま風な表現をすれば、“究極のCRM”とでも言っていいかも知れない。

自分は理屈だけを言っているわけではない。このFFPを自分は、ニューヨークでの修業時代、いまは亡い「パンアメリカン航空」のClipper Clubの企画に関わらせてもらうかたちで初めて知り、帰国後、FFPの元祖「アメリカン航空」のAAdvantage日本導入のプレゼンテーションに参加し、次いで「英国航空」のExecutive Clubの日本市場版の企画設計に携わり(残念ながらその時点では実現に至らなかったが)、やがて「ルフトハンザ・ドイツ航空」のMiles & Moreが日本で発足したが行き詰まっていたとき、請われてそれを立ち上げ直し、打ち合わせのため本社・支店のあるケルンとフランクフルトまで行ってきた。
正直のところ、知識不足での見当違いもあったし、理想が全部実現できたわけでもなかったが、これらを通じて得た経験はマーケタ―としての自分の貴重な財産となり、大きな自信に結び付いた。それだけに、時代は変わったとは言え、FFPこそがJAL再建のためのマーケティングの“鍵”になるような気がして仕方がない。

JALはまだ、真のFFPに取り組んでいない。いきなり全面的にとは言わないが、これを仮説と考えて、少なくとも“テスト”(小規模のパイロット・ラン)で検証してみる価値はあると思うのだが...。

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2010年1月12日 (火)

平凡な正月の幸せ

松が明け、七草粥もいただき、今日はもう鏡開き。すっかりのんびりさせてもらっているうちにだいぶ日が経ち、新年のご挨拶が遅くなってしまった。
皆さん、昨年は有難うございました。本年も何とぞよろしくお願いいたします。

1年前とくらべて、ずいぶん落ち着いた暮れ・正月を過ごすことができた。冷えは厳しかったが、押しなべてお天気も良く、元日の朝も休まず気持ちよくムッシュと散歩。身は引き締まるが、何やら体内から元気が湧いてくるような気がした。
体調が悪くないからだろうが、恒例にしていた年末・年始の決まりごとを意識的に簡素化し、心身に無理がかからぬように心がけたのも良かったのかもしれない。

まだ独身の倅たちは、数年前までは実家に泊りがけで年越しするのが当たり前と思っていたようだったが、いつまでも昔のままではない両親の負担を察して、このごろは元日に顔を出し日帰りするようになった。
つい2~3年前までは、家内のオール手作りのお節料理と2種類の雑煮をただ美味い美味いとパクつくだけだった自分も、流石に感ずるところがあり、今年はあえてそれを簡素化することを、あらかじめ提案していた。

おせち それがある程度は効を奏したようで、確かに、かつてのように睡眠不足のまま疲れ切って元日を迎えるようなことにはならずに済んだが、長年の習慣はなかなか変えられないもので、家内はお節料理の内容を多少は出来合いで間に合わせたものの、やっぱりあらかたを手作りして、結局、例年と変わらないボリュームとバラエティにしてしまった。
自分も、年末の窓ガラス拭きなどの作業は倅たちに任せてできるだけ楽をしようと思っていながら、連中が仕事納めになるまで待てずに、彼らの顔を立てるため1室分を残しただけで、1階も2階もほとんど自力で済ませてしまった。

元日は、倅たちが昼ごろに来るということだったので、自分たちも朝食抜きで思いっ切り朝寝坊し、顔ぶれが揃ったところでお雑煮のブランチと行くつもりだった。
が、何のことはない、いつも通りの時間に目が覚めてしまって、彼らがやって来るのを待っているうちにお腹がグーグー言い出して困った。

恒例によって我が家の元日のお雑煮は、昆布・鰹節ダシの澄まし汁に鶏ささ身・竹の子・かまぼこ・三つ葉・柚子などの具が入ったいわゆる“東京風”だが、餅好きの彼らは、好物がタップリと詰まったお節料理も促進剤になって、食が進むこと進むこと。
半分頼もしい思いで、しかし半分は腹も身の内と心配しながらその様子を見ていたら、家内が“お父さんも昔はそうでしたョ”と横で笑っていた。そうだったかなあ?もう忘れてしまったが...。

独り者にはなかなか機会がなかろうと夕食はすき焼きにしたら、これまたたらふく平らげ、風呂にも入って芯から温まり、倅たちは二人とも遅くまで談笑して大満足で帰って行った。でも、こちらの心も温まる思いもあった。
世間では連中ぐらいの年齢になってもまだ親からお年玉を貰っている向きもあるという話をテレビで聞いたが、彼らは何年か前から、両親にお年玉を呉れるようになった。

また今回は、ガラス拭きこそ間に合わなかったが、自分が独力ではできない力仕事を2人にしてもらったのも助かった。1年前の引っ越し以来とりあえず1階のリビングルームに置いたきりになっていた重いマッサージチェアを、2階の私室に運び上げてもらったのだ。
ムッシュは、久々にお兄ちゃんたちが2人そろって顔を見せたので大はしゃぎ。ちょうど昼寝の時間のはずだったのに、寝ている場合じゃあないとばかり、飛び付くヮ舐めるヮとジャレまくり遊びまくり。正月に免じて許していたら夜になっても遅くまで寝つかなかったが、やがて疲れ果て自らダウンしてしまった。

あくる2日は娘一家が来宅。午後からだったので、家内は夕食のためにと、我が家では“富山風”と通称しているブリ雑煮の汁(素焼きして細かくほぐしたブリをメインに、ニンジン・ゴボウの笹がき、こんにゃくの薄切り・焼豆腐などを具として、日本酒と味醂を隠し味にしたケンチン風の醤油味)をタップリと作って待っていた。
が、遊び疲れた孫娘が眠くなりおウチに帰りたいということになったので、折角だからとそれを、タッパーウエアに入れて持ち帰らせた。若い所帯は特にお雑煮の用意もしていないということだったから、餅も十分に持たせて...。

娘は元日には、3世代の大家族が顔を揃えた亭主の実家に挨拶に行って来たようだったが、自分の両親とワンコだけの我が家に来ると、やはり気が楽になるのか寛ぎっ放し。
家内が独りでお茶を淹れたり菓子を出したり孫の相手になったりしていたが、そのことを気付いていたかどうか...父親のB型をそっくり受け継いだ彼女は、終始、喋って笑って、上機嫌で帰って行った。ムッシュはこの日も、嬉しくてロクに昼寝せず。

久し振りに賑やかで楽しかったがチョッピリ疲れもした2日間が過ぎ、3日になって自分たちはやっと一息。ムッシュも、ここで一気に睡眠不足を取り戻そうと思ったのか、この日は散歩もそこそこに寝てばかりだった。
そして翌4日は、川崎大師への初詣でだ。毎年頭のブログに書いているように今年も、元日午前零時の御嶽神社への参拝とのダブル。何もご苦労様に毎年2ヵ所もと、自分でも思わぬでもないが、前者へは30年以上、後者へは25年間続けて来て、今さら止められない。

まあ神様と仏様だからバッティングすることもなかろうと、地元の御嶽神社にはご町内に住まう者としての家内安全を、より広域の川崎大師には離れ住む息子たちや娘家族一同をも含めた開運厄除をと、勝手に役割分担をお願いしている。
考えようによっては、年1回のこの行事は気力・体力のバロメーターにもなるし、こうなったら身体が動かなくなるまで続けようと思っている。

川崎大師の境内 例年だと川崎大師は、3が日の内に詣でるのだが、今年は心がけた一連の省力化の方針に沿い、大方の企業の仕事始めで人出も減るだろうと推測した4日の月曜日にした。
読みは的中し、大師駅からの参道の人波はいつもと違ってかき分けるまでもないほど。例年なら道幅いっぱいに広がった群衆が少し進んでは止まりして1時間近くはかかった大山門まで難なく15分ほどで到着。境内に入ってからも混雑状況は7~8割といったところで、お参りを済ませお札とお守りを購入するという全行程を終えても、かかった時間はいつもの半分だった。

川崎大師の屋台 これまでならばこの後は、お参りに時間を食ったということで帰り足を急いだものだったが、今年は余裕で沿道の風景を見ながらブラブラ歩き。で、改めて気がついたのは、参道の両サイドに連なった屋台の数の多さと多彩さ。
焼きそば・たこ焼き・イカ焼き・お好み焼き・トウモロコシなどの伝統系軽食から、ホルモン・串ステーキ・唐揚げ・じゃがバター・豚汁などの新興系スタミナ食、さつまスティック・メープルカステラ・りんご飴・バナナチョコ・クレープなどのギャル系スイーツ、そしてコーンドッグ・シャーピン・トッポキ・ドネルケバブなどの国際系ファーストフード等々、いつの間にこんなに増えたのかと思うほどだった。

山門前の「住吉」で“久寿餅”を求め、帰途溝の口で乗り換えるついでにデパートMに寄って「紀の国屋」の“相国最中”を買って帰るのも毎正月の慣わし。その日の夕食作りは休んでもらおうと、店内の「ちよだ鮨」で家内の好物の“貝づくし”もテークアウトした。
早めに家を出て、思った以上にお参りの時間が少なくて済んだので、珍しく十分明るいうちに帰宅、ムッシュのお昼寝後の散歩にも間に合った。軽く疲れはしたが、程よい距離を歩いた快さもあり、今年もお役目を果たしたという満足感と久し振りに活気のある雑踏に身を委ねた楽しさを味わった一日ではあった。

何ごともいつも通り、恙無くスタートできた2010年。娘と家内から“誕プレ”をもらって、自分はまた一つ齢を重ねたが、特にその実感はない。体調が良くなったせいか気持ちが前向きになって、今年は公私共に何かを成し遂げられそうな予感がしている。

お蔭さまで元気に迎えることができ、平凡であることの幸せさを感じた正月だった。

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