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2009年12月

2009年12月25日 (金)

いろいろあった2009年

飲めない夫婦二人とワンコだけのクリスマスイブは、ブッツのローストビーフとサラダで軽めの自宅ディナーをし、食後にグラマシーニューヨークのケーキを一切れいただいたくらいで、静かにささやかに済ませた。さて、今日からいよいよ年末の秒読み。でもこの齢になると、昔は恒例にしていた行事を何かと省略するようにしているので、それほど追い立てられるような気持ちにはならない。
年賀状も、文面を簡略化し、最小限の方々を除いては頂戴する都度という方式で失礼させていただくことにしたので、数日前には出し終えた。今年は春にコンピューターを買い替えたため、いざとなって気がついたら去年までの年賀状ソフトと勝手が変わっていて、住所録の整理やデザインに思いがけず手間取り、忙しい長男の手も少し借りてしまったが。

残っている仕事と言ったら、あとは門扉の松飾りくらいか...とは自分でそう思っているだけで、実際は何かもっと言い付かるかも知れないが、それにしても昨年とくらべればずいぶん落ち着いた気分の年の暮れではある。
昨年は押し迫ったころにやっと新居が建物だけ完成し、ちょうど昨日、クリスマスイブに清里の山荘から戻って来たが、トランクルームに預けておいた家財の搬入、電気・電話・ケーブルテレビとインターネットそしてセキュリティサービスの工事、外構工事の継続、一部未設だった照明・エアコン取り付けなどで連日テンヤワンヤしていたところに区役所から早速課税担当の役人が訪ねてきたりして、ロクに荷物を整理することもできないまま正月を迎えたっけ。

あれから1年、過ぎてみるとアッという間だった気がするが、我が家的には例年にないほどさまざまなことがあった。家内が正月早々、まだ開梱できずにいた段ボールに躓いて転倒、片膝を骨折し全治に5カ月かかり(リハビリはまだ続けている)、自分も3月に定期ガン検診を受けたら胃と大腸にポリープが見つかって、大腸は良性で問題なかったものの胃は8月に内視鏡による摘出手術をした。
自分が退院してきたら、こんどはムッシュの具合がおかしくなっていて、1ヵ月あまりペットクリニックに通院。幸いいまは、全員まずまず元気だが、こんなにお医者さんの世話になってばかりいた年も未だかつてなかったように思う。やっぱり、自宅の建て替えで山荘へ引っ越したり戻ったり、その間自分は遠距離通勤で仕事を続けたりという無理が、後になって家族中に直接・間接に響いたのだろうか?

すでに報告したように、手術の後は体重が落ちるところまで落ち、いまもほとんど元に戻っていないが、このインフルエンザ大流行期に風邪一つひかず、食欲もあって夜もよく眠れ、最近は何かとヤル気も回復してきたのは上出来と言わねばなるまい。
ただ、毎年この季節になると手足の先端が冷えて霜焼け的症状が始まり、この数年は何本かの指の関節が少し節くれて痛むようになって、朝目を覚ますと手首から指にかけて強張りを感ずることも度々。小銭入れからコインを摘まみ出そうとして取落したり、細かい箸使いができにくくなったりということをしばしば自覚するようになってチョッピリ気になってきたので、大ごとに至らないうちにと病院を訪れた。

症状を話してまず診てもらったのが整形外科。頸椎の異常がないかどうかを調べるためにX線写真を撮ったが症状の原因となるような問題個所は見当たらず、3日後にこんどは神経内科へ。脳のCTスキャンと採血・採尿をしてもらったが、CTの結果はすぐにわかった。
自分の脳の写真を見たのは初めてだったので、もしかして神経のことだけでなくもっと深刻なことを言われることがあるかも知れないと固唾をのんでいたら、ドクターがおもむろに託宣するには“脳神経的には何の問題ありませんね”だと。

“ン?”と、狐につままれたような感じだったが、“それでは、ついでと言ってはナンですが、ボケの可能性とかはわかるのでしょうか?”と尋ねると、“イヤー、実にしっかりした脳をしていらっしゃる。これはアルツハイマーとかになる心配はまったくありませんね”と保証されてしまった。“へえー”と、自分でも信じられない思いだった。
で、現在の指先の症状から考えられるのは、あとはリウマチ性の何かかも知れないということで、1週間後、血液と尿の検査結果をもとに専門ドクターの診察を受けることになった。ヤレヤレまだ何だかわからないのかとも思ったが、脳の状態に太鼓判を押されたのには気を良くし、喜び勇んで帰宅して報告したら、“ホントかしら?”と一言。自分の普段の言動に散々悩まされている方としては、そう思うのも無理はないが...。

これまで身近にリウマチを患っていた人がいなかったので、一体どういう病気なのかはよくわからなかったけれども、決して簡単なものではないことは何となく知っていたので、もしそうだったら一難去ってまた一難、今年はまったくツイていないな...などと、次にドクターに会うまでの間あれこれ考えなかったと言えば嘘になる。
が、整形外科と神経内科のドクターもいい人だったが、リウマチ専門のドクターもとても親切で、これまでの検査データをすべてチェックして症状の出ている部位をよく診察し、こちらの訴えにもよく耳を傾け、日常の生活習慣なども聞き質した上で、懇切に診断結果を説明してくれた。

結論は...何とリウマチでもないとのこと!所見では、“身体の使い方”の問題だという。と言っても、“どのように”だけではなく、“どれだけ”使っているかということが原因になっているのだそうだ。前にも一度、自覚し反省もしたが、一日中(といっても延べ約8~9時間)パソコンにへばり付いているのがいけないらしい。要するに一種の職業病のようなもので、現在の症状を改善するには、それをスッパリと止めることだと言われた。
多少時間を減らしたり、ストレッチなどの運動をするくらいでは現状維持がせいぜいで、治そうと思ったらまず何もせずに身体を休めて(寝て)いるのが一番と言われて途方に暮れてしまったが、結局、現在の症状が我慢できるレベルなら、これから少しは、何もしない時間をつくるべしというところにオチがついた。

頸椎にも脳神経にも問題なく、リウマチでもないとわかり、これで1年の最後まで病気騒ぎする必要もなくなり、ひとまず安心はしたものの何となくスッキリと割り切れない気分。 ンーん、難しいがドクターの言葉に従って、来年から何とかもう少し、ボケーッとしている時間を増やすように努力してみるか...。
凝り性という持って生まれた“性分”、勤勉が一番と教えられてきた“育ち”、そして長じてのめり込んでしまった終点のない“興味分野と仕事”...まことに因果なことだが、これらを全否定されたら生きて行く甲斐がなくなる。が、モノには程度というものがあるから程々にしなさいということだろうと理解して、現状維持で手を打つことにしよう。

というわけで、振り返れば、最後までいろいろとあったものの今回は何とかそれらしい年末・年始を送ることができそう。
このブログもスタートして満4年になるけれど、自慢じゃあないが日記は三日坊主だった自分としては、よく続いていると我ながら感心する。今年の後半から多少ペースダウンはしたが、来年も拙文を綴り続けて行きたいと思っているので、どちら様も宜しゅうに。

では、本年はここまでとさせていただき、年明けは多分10日前後にお目にかかるつもり。

みなさん有難うございました。 どうぞ良いお年を!

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2009年12月21日 (月)

いまクーポンから目が離せない

Xmas 今年もすっかり押し迫ったが、経済状況が好転しそうな兆しは一向に見えてこない。年が明けてから2番底もあり得るなどとも言われており、公私にわたってまことに心配なことだ。自分個人は現役を退いてすでに久しいので、蒙るものは最小限で済んでいるが、日本の経済を前線でまた後方で支えている企業も個人も、いまは本当に大変だと思う。
一昨年あたりまではなかなか華やかだったご近所の家々のクリスマス・デコレーションも、今年はグッと控えめ。我が家も小さな子がいるわけでなし、ひっそりと慎ましく、家内の手作りリースを玄関ドアに掛けているだけだ。

良くも悪くも景気の影響がさほどストレートには及んで来ない自分たちのような立場の者にも、そんな世相から自然発生した節約マインドは、無意識のうちに深く浸み込んでしまっている。
家内がデパートから帰って来て、チョッと素敵なコートがあったと言っていたので、気に入ったのならすぐに買えば...と言うと、セールにならなければ買う気がしないという。これまでも毎年そう言っては買いっぱぐれて、後で悔しがっていたのだが、こういう時代には、むしろそういう感覚こそ必要なのかも知れない。

そう言えば、少し前に読んだデジタル版「ニューヨークタイムズ」に、この出口の見えない不景気にはアメリカでも、たとえ懐具合に余裕があっても高額な買い物をするのは罪悪的という気風が蔓延し、比較的裕福な階層の人々の中にも質素に暮らす考え方が根付いているとの、ペンシルバニア大学のマーケティング学者の談話が載っていた。
米国内最大の小売チェーンでさえ2ケタの率の売上減を食い止められない、そんな市場の状況に対応するように、広告のキャンペーン・コンセプトも、従来の“消費誘惑型”は影を潜め、消費者心理に合わせた“実利提供型”へと大きく転換している。

それを消費者の気持ちとして言い表すと、“誘惑よさようなら、クーポンよこんにちは”ということになるだろうか。日本ではまだそれほどでもないようだがアメリカでは、この景気の低迷が始まって以来、多くのブランドや小売りチェーンが何とかして消費者の購買意欲をかきたてようと、“クーポン”を多用するようになっている。
言わずと知れた、広告・集客・販売促進を目的として代金割引や景品進呈といった特典提供のために配布する切り取り式の印刷小片のことで、それを使用するマーケティング手法は“クーポニング”と呼ばれている。

最近の「シカゴトリビューン」や「アドバタイジングエイジ」に掲載されていた、アメリカの場合の話だが、クーポンは発祥が100余年前、19世紀末にさかのぼり、例の“大恐慌”の時代を通じてその効力を証明し、1950~60年代にブームを迎えて1992年に79億枚という償還量でピークに達した。
以後は2006年の26億枚までジリジリと下降線を辿り、昨年後半まではそのまま横這いだったが、最終4半期からは再び上昇に転じ、償還枚数は月平均20%以上の率で伸び続けて、今年度の合計償還量は32億枚に達すると見られ、その勢いは不況を脱出してからも衰えることはないだろうと予測されている。

それ以前と以後とで何が違うのかと言えば、答えははっきりしている。パソコン、ケータイをプラットホームとする“デジタル化”、“モバイル化”という、新しいメディア環境の出現で、クーポンに関する情報の入手と取出・利用の機会が格段に拡大したのだ。
本来クーポンは、新聞・雑誌広告中に刷り込まれるスタイルから始まって、それ専門のフリーペーパーにまで発展し、折り込み・投げ込みチラシですっかりポピュラーになり、ときにダイレクトメール同封のかたちも見られる、印刷メディアに依拠する手法だったが、近年ではむしろ、“デジタル・クーポン”が注目を浴びるようになった。

すなわち、ウエブサイトからプリントして、あるいはケータイに保存して店頭で示す、“オンライン・クーポン”とか“ネット・クーポン”とか“モバイル・クーポン”と呼ばれるものがそれで、これらデジタル・クーポンの利用は、景気の減速に反比例して、過去1年間で爆発的に伸びている。
事実、インターネット上では、クーポン専門サイトは求人サイトに次いで最もよくビジットされるサイトとして知られ、今年、「ヤフー」における“クーポン”というキーワードでの検索結果は経済関連項目検索ランキングの第1位になっており、「グーグル」のクーポン掲載ページの検索件数は昨年の倍になったという。

クーポンといえば長年、シリアルや洗剤など日用消費財のための、メーカー主導の販売促進手法と相場が決まっていたが、いまはだいぶ様相が変わってきている。
小売業者主導であらゆる商品分野にわたって利用されているのはネット上を見れば一目瞭然だし、これまではイメージがどうのこうのと言っていた自動車や金融サービスや高級アパレルブランドまでもがこの流れを無視し得なくなり、間接的な欲求誘引から直接的な購買喚起へと、広告アプローチのリメークが行われている。

またクーポンは、もともと時限的・短期的な販売促進の機能が評価されて、新商品への注目・認知度アップのために有効な施策とされていたはずだったが、どうやらそれだけのものではないということも証明されつつあるようだ。
米国「コムスコア」社が成人インターネット・ユーザーに対して行ったオンライン・クーポン利用状況調査によれば、一度クーポンを利用して買い物をした人の4分の3がそのクーポンをオファーし続ける店に再来店するといい、クーポンは新しいブランドへの集客に効果があるだけでなく、ブランドへのロイヤルティ形成にも貢献することがわかった。

してみるとこれからのマーケティングでより大きな機会にチャレンジするためには、“クーポニング”という戦略を通して、ブランドに対する“ロイヤルティ”と“価格”という2つの要素のクロス・ポイントを追求する必要があるということになる。
そしてそのチャレンジにおけるキーワードは“モバイル”と“ソーシャルネットワーキング”。ケータイはいつでもどこでも個人の身辺に存在するから、手軽に欲しいオファーを見つけ、保存し、使うためのツールになり、ソーシャルサイトがその情報と経験に対する信頼と共感を蓄積・拡大して行く役割を果たすことになるからだ。

と、わざわざそんな講釈をするまでもなく、実際自分たちの生活の中にも自然にクーポンは入り込んでいる。夫婦2人だけの暮らしだから時には簡単な食べ方をしようと、口に合いそうなもののクーポンが発行されれば、バーガーショップのMでテイクアウトすることもあれば、中華ファミレスのBでデザートをオーダーすることもある。
年に1~2度しか行かないが、家内のところには小淵沢のアウトレット内にある米国の革製品ブランドCの店から、シーズン毎にディスカウントクーポン同封のダイレクトメールが送られて来るので、ツイ、2回に1回くらいは足を運ぶ。

というよりも、昔から、家内とアメリカ本土やハワイへ行ったときにはいつも、買い物もレジャーもフリーペーパーでつぶさに調べて、むしろ積極的にクーポンを利用しているので、そうすることには何の抵抗もない。
家内が言う通りこんな時代には、消費者個人としては正価で物を買うのが何だかバカバカしくさえなるが、マーケターとしては、単なる値引き競争のあげくデフレ・スパイラルに陥らないためにも、日本のメーカーや小売・サービス業者は、継続販売とブランド・ロイヤルティにも繋がるクーポニング戦略にもっと力を入れるべきだと思う。

クーポニングは、償還量で見る限りいまのところ“新聞折り込み”のかたちが主流のようだが、“インターネット”特に“モバイル”が急速にそれを追い上げていると聞く。
クーポンは、時代に沿って“次世代化”した。不況時のみならず、新時代のマーケティング傾向として、これからも目が離せない。

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2009年12月 7日 (月)

清里、また来春まで

先月末、週間天気予報と睨めっこをし、雨が降らない日が続くのを待ち兼ねるようにして、1泊2日で清里の山荘へ行ってきた。その日の午後3時に着いて翌日の1時にはもう発ったから、実質的に滞在していたのは丸1日にも満たなかった。
今年最後で、目的はいわゆる“水抜き”、すなわち来春までのクロージングなので、何かと作業が多くムッシュをかまっていられないため、独りにして可哀そうとは思ったが、近所の行きつけのペットクリニックに預かってもらった。年に1~2回のことだし、連れて行ってもこの時季こんな短時日では、寒いばかりでゆっくり散歩もできるわけでもなく、本人(犬?)のためにもむしろその方が、ストレスが少なくて済むと思ったからだ。

とは言え、いつもなら後部座席に同乗し、一般道では信号でストップするたびに“早くスタートしろー”と(でもいうように)叫んだり、高速道のSAで休憩したときには束の間を惜しんで忙しく走り回って用を足したり居合わせたワンちゃんたちとジャレ合ったりしているはずのムッシュが傍にいないのは、何だかチョッピリ淋しかった。
水抜きのときに預けてくるのは初めてのことではなかったが、山荘暮らしの中でもすっかり生活の一部となっていたムッシュの存在が、ほんの一時的にせよ欠落すると、手がかからない分だけ気楽でいいと自己納得はしつつも、やはり物足りないものだった。

ところで、紅葉はどこも前回の山荘行のときで見納めかと思っていたが、どうしてどうして、小仏トンネルの手前から笹子トンネルを抜けたあたりまで、中央道沿線の山々はまだまだいい色に染まっていた。もしかしたら今回の方がむしろきれいだったかも知れないとさえ思え、予想外の目の保養をした気分だった。
そういうこともあってか、往路の談合坂SAではパーキングするのに列ができる有様。こんなことも近年珍しい。久し振りの好天で週末でもあったし、高速道路料金1000円のご利益もあったのかも知れない。

横浜を昼前に出て明るいうちに到着したので、車を降りたときにはあまり寒さが気にならなかった。けれども、屋内に入るとさすがに冷え切っていて、やはり何よりも先に暖炉を焚かずにはいられず、やっと人心地がつき窓の外に目を遣る余裕が出たところで、庭の広葉樹もすっかり裸になって森は遠くまで見通しがよくなり、約1ヵ月前に来たときにはまだ冠雪してなかった周辺の山々が薄っすらと白くなり始めているのに気がついた。
意外だったのは、シーズンオフにもかかわらず、森のあちこちのお宅には結構沢山の車が見えていたこと。近辺で何かイベントでもあったのだろうか?あるいは皆さんもたまたま我が家と同じく水抜きだったのか。

着いた途端に作業を始めるのも慌ただしいと思い、その日はゆっくりとして翌朝早起きし、昨年秋に手が回らなかったベランダの脚部と土台の塗装をした。思ったより寒くなかったので、楽に1時間足らずで終えることができた。ほんとの朝飯前だった。
で、朝食を済ませたら本番。前回から間もないので、床にはたいして塵も埃もなかったが、まずは1・2階全室の掃除機がけ。クローズする当日だから、床暖房だけにして暖炉は焚かず、灰の中に残り火のないことを早々に確認する。

そして自分は地下室へ回って、順番に、ボイラーの循環ポンプのプラグをコンセントから抜き、ガス、オイル、水道と、元栓を閉めて行く。
けれども、運転中枢の凍結防止のために、ボイラー本体につながるプラグと床暖房のプラグは抜かない。最初はよくわからなくて、全部抜いてしまったり逆に抜かなかったりして失敗し、何年か経ってやっと覚えた。なかなかややこしいのだ。

そうしておいて、いよいよ水抜きにかかる。ボイラー内に貯まっている分(実際にはお湯だが)と生活排水を、それぞれ3本ずつの排水管のバルブを全開にして排出する。生活排水の方はそれほどでもないが、ボイラーは我が家の場合ペンションなどで使われる業務用サイズなので、水が抜け切るまでにはかなり時間がかかってジリジリする。
一方、1・2階のすべての水回りは家内の領分。キッチン、洗面所、風呂場、サンルームの流し台などは、カランのハンドルやレバーを全開にした上で下部の水抜きバルブも緩めて、水を完全に出し切る。シャワーや洗濯機のホースもよく振って水が残らないようにし、トイレはタンクを空にして電源は入れたままにしておく。長年そうしていたのに、2年ほど前にはカン違いしてウォシュレットをダメにしてしまった。

これらすべてを、持ち場を代えて相互確認した後、必要なそれぞれの個所に不凍液を流し込んで、やっと水抜きのプロセスが終わる。そして最後に、配電盤のスイッチのONのままにしておくところとOFFにするところを確かめて、すべてのチェックは終了、屋外へ出て玄関のドアに施錠する。
20年繰り返してきたことだが、それでもときに、忘れたり間違えたりすることがあり、前述のウォシュレット事件の他にも、最初のうちは毎年のように水道管やカランのどこかを凍結破裂させていた。そんな事故をもう起こさないようにと、昨今は何度も何度も見直しをしないと自信が持てなくなって、結果、作業にかかる時間がどんどん長くなっている。

そんなわけで、着いた日はゆっくりとしたものの、翌日の午前はベランダ塗装で外へ出ただけで庭を見回る暇もなかったが、帰途に就く直前、家内が急に思い出したように裏庭に走って行って、モミの木の枝を何本か切り取って来た。今年はまた以前のように、クリスマスデコレーション用のリースを作るのだという。
そう言えば1年前のいまごろは、新居のビルダーと毎日のようにメールや電話のやりとりをして工事の追い込み状況を確認し、引っ越し業者をはじめ電話・電力・水道会社やインターネットプロバイダーと入居時の作業タイミング・段取りを打ち合わせ、郵便の宛先や新聞配達の切り替え日を手配するなど、横浜に戻るためにしなければならないことが山ほどあって、とてもクリスマスにまでは気が回らなかったことを思い出した。

あのときのことを考えると、齢のせいで作業にかかる時間が多少長くなり、その手間を面倒に感ずる気持ちが増したとは言え、今年の水抜き作業ぐらいは苦労の中に入らないのかも知れない。ともあれ無事に済ませ、雨や雪にも降られず、早めに山荘を出ることができてホッとした。
ムッシュ連れでなかったので、帰りは141号線を通って久し振りに須玉の「ぼのボーノ」に寄って行きたかったが、彼が首を長くして待っているだろうから一刻も早く帰ってやらねばと思い直し、長坂インターから高速に入ることにして、ランチはその途中の「藤乃家」の蕎麦で軽く済ませた。と言っても、いつも通り十分美味かったが。

帰りの中央道は、日曜日の午後という時間帯のせいかやや渋滞。でも、預けるときに予定していた時間よりも1時間早くムッシュを迎えに行くことができた。
さぞかし待ちかねて、喜んで飛びついてくるかと思っていたら、お姉さんに連れられて泊っていた部屋から出て来たムッシュは、何だか拗ねているような表情。“ボク一人をおいてどこへ行ってたんだョ”とでも言いたげに、サッサと出口へ向かい、外へ出ると家までまっしぐら。でも、玄関で待っていたママの顔を見たら、引っくり返って喜んでいた。

あれからわずか1週間しか経っていないが、平穏な日常が続くともう一月も経ったような気もする。
週末、こちらは雨だったが、清里の森には雪が降ったようだ。我が山荘もいまは白一色の中に埋もれて静かに冬眠していることだろう。

この“山荘四季だより”のカテゴリーも、本年はこれでクローズとし、来春まで休ませていただくことにする。

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