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2009年9月

2009年9月21日 (月)

今年の夏は...

8月半ばに内視鏡手術、摘出した胃腺腫の病理検査結果が判明した。手術前検査と手術の際の所見通り、そのまま放置しておくとガン化するが現在はガンではない、いわゆる“前ガン”状態だったということで、この部位については完治ということになるらしい。
自分でもそのはずだと信じていたから、特に改めての感懐はないが、家族を安心させることができたので、一先ず良かったと思っている。

とは言え、これで今後は何も気にせず、このことは忘れ去っても良いというわけには行かないようで、1年後の(そしておそらくこれからは毎年の)検査が義務づけられている。
当然だろうし、これまでも毎年ガン検診は受けて来たのだから、どうということはない。ともあれ、半年間続いていた病院通いに一たんピリオドを打てて、結構々々。

思えばこの腺腫は、すでに2年前にガン検診を受けた際に精密検査で指摘されていたが、その時点では放置しておいて何ら差支えないという医師の診断だったのでそのままにしていたもの。
でも、本来なら昨年も検診を受けるべきだったところ、家の建て替えで病院から遠く離れたと土地に引っ越してしまったため、とうとうその機会を逸し、年末にこちらに戻り今年に入って直ぐに申し込んで、やっと今回の結果に漕ぎつけた。

一昨年来、本年5月までずっと検診を受けていたのは、住まいの最寄りにある「横浜総合病院」だったが、手術を受けたのは、隣の区の「昭和大学横浜市北部病院」。自分でセカンド・オピニオンを求めたわけではなく、横浜総合病院の薦めと紹介によってそうした。
3月、横浜総合病院での上部消化器=胃X腺検査から始まって、4月には内視鏡検査(下部消化器=大腸も含めて)、5月には上部・下部消化器のCT検査と進み、6月からは昭和大学横浜市北部病院に移って、7月に内視鏡再検査、そして8月に手術・入院という運びになり、その間には検査前・後の診察や診断も入って、ここまで来るのにほぼ6ヵ月かかった。

手術後1ヵ月間は、処方された薬を服用し食事内容にも気をつけていたが、いまはもう、何でも食べていいことになっている。とは言うものの、それまでも別に好物を我慢してきた意識はないし、解禁になったからといって、待ちかねていて食べたものもない。
この数年、脂っこいものは口に合わなくなくなっていたし、“腹八分目でゆっくりと良く噛んで”も板について、いつの間にか食事のときは自然にオチョボ口(?)になり、少しずつ嚥下する癖がついてしまった。

それ自体は生活習慣として悪くはないのだろうが、困ったのは痩せ過ぎてしまったこと。節食効果に、昨年1年間の家の建て替えに関わる諸々のエネルギー消耗が加わって、これ以上減りようがないというところまで体重が落ち込み、この半年余りも、病院通いでそれを取り戻す間もなくここまできてしまった。
それでも体重減はまだいいとして、メッキリ体力も衰えたような気がするのが何とも情けない。山荘での力仕事がシンドくなり、仕事のために外出した日は後でドッと疲れが出るし、ムッシュとの散歩も、あまり遠くまで足を延ばす気にならなくなった。

ムッシュと言えば、いつも元気一杯がトレードマークだったが、実はこの1ヵ月はクリニック通いしている。発端は自分が手術で入院した日。当日は家内も自分に付き添って昼前から夜まで病院にいたので、ムッシュは出かける前に、かかりつけのペットクリニックに預け、家内の帰宅後引き取りに行った。
そのクリニックでは、先生初め看護師のお姉さんたちにもよく懐いていたし、わずか半日間のことだったので、まったく心配していなかったのだが、引き取ったとき、いつになく大量の涎をたらしていたと聞かされて、ちょっと引っかかっていた。

そしてその3日後、自分の退院の翌朝、どうも普段と様子が違うと気がついた。いつもなら、パパとママのどちらかが2階から下りてくる8時頃、“早くケージから出してヨ”とワン、ワン言ってせがむのに、9時を過ぎても10時近くになっても何も声を出さない。
最初は、疲れているのかもしれないから好きなだけ寝かせておこうと思っていたが、さすがに気になって見に行ったら、ノロノロと大儀そうに出てきて、そのままソファーの下(床の一部をタイル張りにしてあるのでヒンヤリとして気持ちがいいらしい)へ直行。

食欲はまずまずながら、大好きな散歩にも行きたがらず、午後もソファーの下で寝てばかりで、夕方になってやっといつもの状態に戻った(かに見えた)。暑い日が続いていたので、熱中症だったりしたら大変と部屋の温度を涼しくしてやったら、その晩はよく眠れたらしく、翌日は朝遅かった以外は普段の動き。
しかし、さらに1日過ぎて、その翌朝になったら、動作が極端に弱々しくなっていた。ケージから出てくるのもやっとで、玄関の15センチほどの段差も跳び下りられない。これは只事ではないと、彼を抱きかかえてクリニックへ走った。

食欲はある、お腹もこわしていないが、寝てばかり。動作が緩慢で、背中が丸くなり、段差の飛び下り・飛び上がりができない...などの症状を話したら、触診だけでは何とも言えないので血液検査とX腺検査をしましょうと、思いがけない大ごとになってしまったが、1時間あまり待つとその場で結果が出た。
血液検査のデータを見る限りでは問題はないが、X線写真を見ると肝臓がやや腫れており、膀胱に尿が溜まっていて、尻尾に近い辺りの脊椎間軟骨が一部磨り減っているとのことで、どれが主因とは言えないが、多分かなり身体中が痛いはず――という診断だった。

ムッシュはこの11月で9歳になるが、年齢的なものによる症状もあるとも言われて、こんな愛くるしい顔なのにそうなのかと、可哀そうで辛くなった。
自分も十分齢を重ねてきて、ちょうどアチコチにガタが来ているときだっただけに、思わずわが身とムッシュを重ねて、考えなくても良いことまで考えてしまった。

ともあれ、そこで痛み止めの注射を打ってもらい、強肝と利尿の薬を処方してもらってその日の午後から飲み始めたら、まる一日経ったころから回復が目に見えてきて、数日後再診を受けに行ったときには、もう元気なときのムッシュと変わらないように見えるほどになっていた。
が、その際また超音波検査も受けた結果、肝臓の肥大がもとに戻ったわけでもないことが確認され、以来、一週間ごとに診察を受けては薬の服用を続けている。お蔭でいまは、ほとんど以前のムッシュに帰ったような感じで、一緒に無理のない散歩を楽しんでいる。

散歩のついでに毎週立ち寄って体重測定をするようにも言われている。初診のとき標準(2.5キロ)より0.5キロオーバーだったので、ダイエットしなければならないのだ。おねだりされたからといって、人間の食べ物をあげたりすることのないようにとも指導された。
そう言えば...と心当たりがなくもなし、可愛けりゃこそ人間の方で気をつけてやらねば...と深く自戒。それにしても、パパはもっと食べて何とか体重を増やしたいと思っているのに、ムッシュは食べたいのを我慢して減量しなければならないとは、何とも皮肉。

そんなこんなで今年の夏は、世間的には、衆院選での民主党圧勝、イチローの快挙、新型インフルエンザ再猛威、タレントの薬物事件など、大きな話題が続いたが、我が家的にはただただ慌ただしく過ぎてしまい、気がついたら秋風が吹き始めていた。
清里の山荘にも、8月の初めと9月の初めにそれぞれ数日ずつ滞在しただけで、とても、ゆっくりと夏を楽しんだという気分ではなく、何とか束の間の休息をしてきに過ぎない。むしろ昨年の方が、引っ越すまでは気息えんえんだったけれども、その後はゆったりと過ごせた夏だったと、いま懐かしく思い出す。

この後、夏はすっかり終わっているだろうが、キノコたちがそこここに顔を覗かせ、早い紅葉が始まる来月初めころに、また山荘に行ければと思っている。

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2009年9月 7日 (月)

ビジネスも“チエンジ”が肝要

先月、現地の日付で8月17日、創業以来87年の歴史を持ち、かつては20世紀のアメリカ・メディアの象徴とまで言われた名門出版社の経営破綻を報じるニュースが、米国の主だった新聞やビジネス紙・誌に一斉に掲載された。
その見出しは、いずれも「リーダーズダイジェスト、連邦破産法第11章(日本でいう民事再生法)適用申請へ」といったものだったが、あるメディアは簡潔に事実だけを、またあるメディアは独自の観点から、この企業がそこまでの段階に至った経緯を伝えていた。

ごく限られた人々の注目しか惹かなかったかも知れないけれども、そのニュースは、翌日には日本の新聞やネット上でも取り上げられ、それを目にした何人かの友人からは、それぞれの感懐を込めたメールも届いた。
自分はといえば、6月ごろにも外紙のデジタル版でいろいろと読んでいたので、そのニュースにそれほど驚いたわけではなく、“やはり...”、“とうとう...”といった淡々とした心境だったが、胸の中に束の間、フッと風が吹いような気はした。

というのも、自分は、プロファイルに明記しここでも何度か書いているように、この米国を本拠とする国際出版社リーダーズダイジェストという企業の日本法人の、言わばOBだから。この会社で自分は、社会人になって最初の15年間を過ごし、マーケターとしての自分の骨肉となっているさまざまなことを学び、身に付けた。
のみならず、国際舞台の場数を踏み、事業経営の難しさも味わうなど、いま思い出しても、まことに得難い経験をさせてもらった。が、自分がこの会社に在籍していたのは、もう30有余年も前までのこと。会社自体が日本市場から撤退してからもすでに四半世紀経って、自分の中のリーダーズダイジェストは、いまや、遠く古き良き時代の思い出の中の存在でしかない。

同社の旗艦月刊誌「リーダーズダイジェスト」は、いまも日本以外の市場では、50ヵ国語で世界78ヵ国の読者1300万人に読まれ、合計発行部数ではなお世界最大と言われているが、1970年代をピークとして、業績は徐々に悪化の途を辿ったようだ。
1990年代に入って株式を公開し、一たん小康状態に転じたかに見えたが、時代に遅れまいと手を出したさまざまな事業が必ずしも成功せず、2007年に投資ファンド「リップルウッド」の傘下に入って再び非公開化してからも、改善を果たせないまま債務負担に耐え切れなくなり、遂に今日の事態に至った。

その原因について報道各社は、おおむね、大衆のテーストの変化(多岐化)による総合月刊誌市場の細分化(読者数低下)、ネット広告の急成長による印刷メディア広告の急激な落ち込み(広告収入減)と、“時代の流れ”という側面から論評していた。確かにそれは、基本的・大局的に的外れではないかも知れない。
が、自分には、リーダーズダイジェストのケースはどうもそれだけでは言いつくせていないような気がしてならず、他にも新・旧の関連記事を読み漁り読み返しているうちに、次のようなコメントが目についた。

“リーダーズダイジェストは変り行く世界に適応できなかった”そして“ダイレクトメールで雑誌を販売するという前提がもはや時代遅れであるということを認めようとしなかった”(ビジネスウィーク)というものと、“リーダーズダイジェストを変えようとすることは狭い場所で航空母艦を急旋回させるようなもの”(フィナンシャルタイムズ)というものがそれだったが、どちらも、この問題の本質に迫っているように感じられた。
一方「ニューヨークタイムズ」はこのニュースを報じるときに、リーダーズダイジェストのことを、多くの出版事業を手掛ける“大手ダイレクトマーケティング企業”と形容していたが、これもリーダーズダイジェストの実体を言い表していると思えた。

リーダーズダイジェスト社は確かに、アメリカの代表的な雑誌出版社であると同時に、かくれもない元祖ダイレクトマーケティング企業で、その厳密な出版物編集哲学と共に、今日でも何ら遜色ない科学的マーケティング体系は誇るに足る卓越したものであったが、そのことへの過信が、変わりゆく市場環境を洞察する目を曇らせ、適応を妨げ、長い年月の間に自縄自縛の状態をつくり出してしまったと、内部にいた者としても実感する。
その兆しは、自分が在籍していた時代にもすでにあった。日本リーダーズダイジェストは、何事も(製品企画もマーケティング計画も)、米国本社の哲学・体系に照らした厳しい審査と最終認可がないと進められず、その手続きのために多くの時間がとられていた。

雑誌出版以外のすべての事業(書籍をはじめ教育・教養・娯楽製品の制作と販売)に関わっていた自分は、現場の指揮・管理だけでなく、米本社へのプレゼンテーション資料と申請書類の準備・作成に、いつもかなりのエネルギーを費やさなければならず、本社の認識・理解の範疇にない新しい試みを提案・説得しようとするときなどは、まことに苦労した。
たとえば、インターネットなどまだ影も形もなかった日本の1970年代は、ダイレクトメールのターゲットに行き詰まっていたダイレクトマーケティング企業が販売を拡大するには、市場顕在化のために新聞やテレビなどのマスメディアによるレスポンス広告を展開するほかない状況に至っていたのだが、それが有効だということを証明するデータが存在しない、ダイレクトメールを使う場合のようにROI(費用対効果)を正確に予測できないという理由で、何度試行を願い出ても却下された。

そうこうしている間に、リーダーズダイジェストに倣い追従していた後発の競合企業は、そんな厳密なことにこだわらずに直感的に通販広告に投資のウエイトを移行し、あくまでもダイレクトメール販売だけにこだわって新顧客獲得に苦戦していたリーダーズダイジェストを、やがて追い越して行った。
看板である雑誌「リーダーズダイジェスト」も、広告獲得のために保証している部数を維持するために、もっぱら、“計算できる予約購読者獲得の方法”であるダイレクトメールに拠らざるを得なかったが、それで精一杯努力しても、“古き良き時代のアメリカの価値観と編集哲学に基づく海外情報の要約月刊誌”という性格のこの雑誌の存在意義が徐々に薄れてきた日本の市場では、部数の減少に歯止めをかけることが難しくなっていた。

そこを去って久しく、いまや部外者に過ぎない自分は、その後の同社の内情についてはほとんど何も知らぬも同然なので、推測であれこれ言うのは僭越とは承知しているが、報道によって明らかになっている情報だけからも、ある程度の想像はつく。恐らくここまで来るまでには、内部・外部の知恵を総結集してさまざまなことが試みられたには違いない。
しかしリーダーズダイジェストは、ビジネスウィークやフィナンシャルタイムズが指摘したように、結局、気がついたときには物理的にも観念的にも自分自身を動かすことができなくなっていて、かつての黄金則であったビジネスモデルから“チエンジ”しきれないまま今日を迎えてしまったのだろう。

と言っても、これでリーダーズダイジェストが消滅してしまうわけではない。今回の申請は米国部門のみを対象とする“プリアレンジド(事前調整)型”と呼ばれるもので、現在22億ドル(約2100億円)の債務を4分の1の5億5000万ドル(約520億円)まで圧縮することにすでに主要債権者との間で合意が成立しているそうで、今後も経営を継続しながら再建が進められるという。
何と言っても、リーダーズダイジェストが築き上げたグローバル・ネットワークと、一説には1億人分とも言われる精緻な顧客データベースがあるのに、この時代、ビジネスが続けられないわけがない。噂レベルの話かも知れないが、メディア王ルパート・マードックやマイクロソフト帝国の皇帝ビル・ゲイツも、この、金銭的価値では計り知れないほど貴重な資産に、いたく関心を持っているとか...。

さて、リーダーズダイジェストはどんな新しいビジネスモデルに“チエンジ”するのだろう...誰がリーダーシップをとることになったとしても、恐らく、この比類ないリソースを活かした、しかし最も今日的なマーケティング(と言えばやっぱりダイレクトマーケティング!)を展開することになると思うのだが...。

まあ、どういう結果になろうと、いまのわが身には何の関係も影響もないこと。ただ、OBの端くれとしては心のどこか片隅で少しは気になるし、マーケティングの仕事に長く関わってきた者としてもいささか興味がある。

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