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2009年7月

2009年7月27日 (月)

マイ・ブログ

ブログを始めてから、もう3年と7ヵ月経った。ほぼ週一ペースなので、約180回になる。周りの若い人たちの奨めと協力と励ましのお蔭で、いつの間にかここまで来ることができたが、コレって、けっこう続いている方なのだろうか?それともまだまだなのか?
元来躁鬱気質で、気分のいいときには快調に指が動くが、いつもそういうわけにも行かず、パソコンの前に座っても頭の中が一向にまとまらないことも多いという厄介な性分の自分としては、ともあれこれまでほとんどペースダウンもせずに続けて来られたのは、上出来ではなかったかと思っている。

何でいまさら、そんなことを言い出したかというと、このごろどうも、自分の考えや気持ちをそれなりに読める記事にまとめて、規則正しく毎週1回月曜日に更新することが、やや重荷に感じられるようになってきたからだ。
週刊誌に連載しているわけじゃなし、締め切りを守らないと大迷惑がかかる関係者がいるわけでもなし、自分がとりあえずそう決めているだけで、もっと気楽に考えてもいいはずなのだが、妙なところで几帳面というこれまた因果な性分のため、それができないでいる。

こんな独断偏見言いたい放題でも、楽しみとか、面白いとか、参考になるとか言って下さり、月曜の新ネタを待っておられるレギュラー読者の方も、数多くはないけれども存在するので、いい加減に流しては申し訳ないと、ツイ、一回一回に力が入ってしまうのだ。
あれこれネタの吟味をしていて1週間何も決められずに悶々としたり、周到に時間をとって書き始めたのはいいがどうも自分でも気に入らなくて途中で書き直したりで、日曜の夜半になってやっとメドがつくということも再々ある。

たかがブログ...その日の出来事についての素直な感想や、そのときどきの気分などを、思いつくままに書きとどめればいいだけで、そんなに堅苦しく考える必要はどこにもないだろうとお思いの方が多いと思うが、自分はどうやら、ブログというものをカン違いし、必要以上に入れ込み過ぎていたらしい。
その点、肩の力を抜いて、しかしカンどころはしっかり押さえて、毎日楽々と写真入りで記事更新をしておられるブロガーの方々は、本来アナログ人間の自分などから見ると、感服すべき存在だ。自分のお気に入りに登録させてもらっている方々の中のお一人がそうで、その軽妙かつ才気煥発な文章からは、いつも元気をいただいている。

でも自分は、どうしてもそのようには書けないことに、いまさらながら気がついた。なまじ物書きの端くれとして、堅い専門書を何冊も書き、ビジネス紙・誌やウエブ上での長期連載を何本も手掛けてきたために、起承転結とか、首尾一貫とか、どうしてもかたちや構成を気にしてしまうのだ。そういう約束ごとなどあえて気にしない自由さにこそ、ブログという表現形式の面白さがあることをわかってはいながら...。
本ブログをスタートするにあたっても、自ら“何でもアリ”にしようと考えてこのようなタイトルにし、その通り自由奔放に書こうと思っていたのだが、いざ始めてみると、なかなか文字通り“気まま”には書けないもので、ネタはアッチコッチ飛びながらも、表現・内容には結構気を遣う結果になってしまった。

記名記事だから、理由や根拠のない無責任なことは書けないという、長年の印刷メディアへの寄稿で身に着いたセルフコントロール意識が自動的に作用して、書く前も書いた後も、チョッとした言葉遣いや用語についても裏付けを取り確認して、何度か推敲をしておかないと安心できなくなってしまったのだ。
特に、いま設けている4つのカテゴリーの一つ「マーケティング随論」は、自分の専門分野であり、期待して読んで下さっている方もいるはずと思えるだけに、基本的に月1回のペースを守るようにし、取り上げるテーマ選びから主張や提案のバックアップのために、資料の読み込みにもずいぶん時間をかけている。結果的に自分の勉強にもなるから、それはそれでいいのだが、こういうものは“随論”と言えるほど気楽には書けないものだと、後になって反省した。

些細なことだが、文体や一人称をどうするかも、いろいろ迷った。“俺”ではいい歳をして粗野な感じがするし、“僕”ではいまさら歯が浮くし、“ワシ”もちょっとイメージダウンにつながりかねない。“私”が普通なのかも知れないが何となく視点が主観的になるような気がして、ややアナクロっぽいけれども、より客観性がある呼び方のように思える“自分”を使うことにした。
文体も、ブログならば口語的・散文的なスタイルが適切だろうとは百も承知。他のウエブ連載などでは“デス、マス”調で書いたこともあったが、そのときはどうも自分をつくったような感じになって気に入らなかった。で、どうせ「気まま...」と銘打っているのだから、“上から目線”と言われようと、“ぶっきら棒”と思われようと構わないと、この文体で行くことにした。ときどき意識的に“ノリ突っ込み”や“自虐的表現”をして、雰囲気を和らげようという努力はしているが...。

そうそう、今回はブログ書きの楽屋話ではなくて、このごろ何だか重荷になってきたという話だったのに、それについては自分自身に原因があるとわかっているというところから横道に逸れたようだ。確かに、もっと気楽に考えれば良いのに、意識過剰になり過ぎて自分でハードルを高くし、問題をより難しくしていた。
声高に叫びたい主張や、共感を訴えたい心情があるわけではないが、長年の間に身に着いてしまった物書きの悲しい習性で、面白くもなんともない話よりは面白い話をして少しでもウケたい、何の参考にもならない情報よりは少しでも他人さまの参考になるような情報を発信して役に立ったと思われたい、などと意識するあまり、話がどんどん長く微細にわたるようになってしまったという面もある。

長文が必ずしも意を尽くせるわけではないとは、自分でも常日頃言っていることだが、この3年半の間に少しずつ、不必要なものを切り捨てる決断力が衰えて行ったのか、書こうと思うことを大胆に取捨選択できなくなって、だんだん話が長くなって行った。最初のころは、およそ3000字ほどでまとめていたものが、いまでは5000字、6000字になってしまうこともしばしばで、我ながら困ったものだと思っている。
だいたい、依頼されてエッセーでも執筆しているような気になって、なまじウケを狙ってツカミやオチに気を配り、余計な神経を使っているからそういうことになるのだろう。これを始めるにあたって「前口上」でも述べたように、自分のボケ防止のための文字通り“備忘ログ”のつもりだったものを、いつの間にか取り違えていたようだ。いや、ホントにボケてしまったのかも知れない。

でも、ブログを始めて良かったと思うこともいくつもある。一線から退いて久しいけれども、タマに顔を合わせた旧知・新知の業界人から“読んでますヨ”などと言ってもらえると素直に張り合いが出るし、何十年ぶりかで思いがけず旧友や親戚・知人などからコメントをもらったりすると、懐かしい気持ちで一杯になる。
意外な副産物としては、これが家族内掲示板として役立っているらしいこと。公私にいま一番忙しい年頃の倅や娘たちとの間では、ともすればたちまち1ヵ月、2ヵ月は音信が途絶えるが、どうやら自分が書くブログの内容から、親の近況を察しているようなのだ。そして望外の喜びといえば、こんな“気まま”な独り書きも好意的に受け止めてくださる、ご自身もブロガーである方とのご縁ができたことか。こうやって弱音を吐いている自分の励みと心の支えとして、永くご縁を保たせていただきたいものだと思っている。

ここまで書いてきて、今回こんなことをグタグタ言っているのは、どうやらこの暑さのせいで体力が消耗し、それに伴って気力も萎えてしまっているからかも知れないと思えてきた。昨年夏に清里へ引っ越す前も、もはや体力・気力の限界かと思うことがあったが、今年は新居の快適な環境の中で暮らしているにもかかわらず、同じようにシンドい。
度々ここでも報告してきた胃部内視鏡再検査の結果がやっと明日わかるが、遅々として進んでいない手術までのプロセスに対する心理的なフラストレーションも、それを助長していたかも知れない。

手術自体は大したことはないと思っているが、何しろその日どりが決まらないと、この暑いのに清里へ避難する予定も立てられない。明日になればいろいろなことが判明し、先の見通しがついてくるとは思うが、今年の夏はとかく何かと面倒になりそうだ。
で、言い難いけれども今回思い切って言っておかなければならなかったのは、これからはもしかしたら、いつものペースでの記事更新は難しくなるかも知れないということ。止めたりするつもりは毛頭ないが、間もなく、不規則な隔週あるいは月一回にペースダウンさせてもらうことになるかと思う。

いままでよく顔を見せてくれていた友人を、たまにしか迎えられなくなるようで、何やら淋しい気もするのだが...。

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2009年7月20日 (月)

ムッシュ、‘わからんじん’の巻

我が家の愛犬ムッシュ(ヨーキー、♂、8歳8ヵ月、体重2.8キロ)は、ときどきここで紹介させてもらっているように、フレンドリーで人の言葉をよく解し、ムダ吠えはせず、快食・快眠・快便でめったに病気の心配はかけないし、自分が言うのもナンだが、ふだんはほんとに手のかからない“よくできた”子だ。
けれども、年に1回ぐらい、タマーに‘わからんじん’になることがある。イヤ、本人(犬)に言わせればチャンと理由があるのに、こちらがわかっていないだけかも知れないが...。つい先夜も、忘れていたほど久し振りだったが、そんなことがあった。

ムッシュ その日は明るいうちから、2ヵ月ぶりに長男と二男がやって来て、ムッシュは大喜び。前日には長女夫婦と小さな孫娘が来ていたが、相手を弁えてお行儀よくしていた反動か、遠慮の要らないお兄ちゃんたちには、飛び付くヮ舐めるヮの好き放題。すっかり3人兄弟気分で、いつもの就寝時間になってもなかなか自分のケージに入ろうとしなかった。
たまの我儘も可愛いものだとは思ったが、そうは言ってもやはり、当然に人間の息子たちが優先。その夜は、全員で好きなDVDでもじっくり鑑賞しようと思っていたので、ムッシュにはいつもの晩ご飯以外にお兄ちゃんたちに出したご馳走も少しお裾分けして気分を良くさせ、遅くなり過ぎないうちに寝かせ付けようとケージへ誘導した。

美味しいものをいただいたので、ツイ気分を良くしてホイホイとケージに入ってしまい、いつの間にか“おやすみー”と消灯されて、ムッシュは慌てたようだった。“まだ遊んでいたいヨー”という感じで、チョッピリ憤慨したような吠え方をしていたが、よくあることだったので、“もう時間なんだからネンネしなさい”と、取り合わなかった。
いつもならば、そこであと2声・3声は啼いても、あきらめて寝るところなのだが、その晩はチョッと様子が違って、1時間経っても2時間経っても啼き続けていた。間断なくというほどではなく、啼いてはしばらく様子を窺うという風ではあったが...。 それが、息子たちが帰ってかなり時間も経ち、そろそろこちらも就寝しようかという時刻になっても止まなかった。

そういうことがあると、まずパパが猫(犬?)撫で声で注意するが無視され、遂にママの出番となり、優しく言い聞かせても改まらないと“ネンネしなさい!”と一喝されて一件落着となるのが通常のパターンなのだが、その夜はどうしたわけか効き目がなかったようだ。夜も更けたことだし、そのうち治まるだろうとタカを括って、自分たちはそれぞれ2階の自室に引き上げ、一たんは眠りに落ちたのだが、1階から相変らず聞えてくる啼き声に、熟睡しないうちに目を覚まさせられた。
ベッドサイドの時計を見ると、まだ午前3時前。いくら何でももう少し寝かせて欲しいと思い、階段の途中まで足を運んだだけで、そこから下に向かって声をかけ、また部屋に戻り横になって目を瞑ったが、一たん目が覚めてしまうとこんどは、こちらがなかなか寝付けなくなった。

意図してではなかったのだが、結果的にムッシュの啼き声に耳を澄ますかたちになってしまい、聴いていると、どうも普通の啼き方ではないような感じがしてきた。だいたい、何か要求しているときには“ワンワン!”...“ワンワン!”...と、後のワンの方にアクセントを置いて、少し間をとりながら訴えるような啼き方をするのだが、それが“ワンワンワッ!”、“ワンワンワッ!”と3連呼で間を置かず、ややヒステリックに叫び始めたのだ。
そうなると、もしやどこか具合でも悪いのでは?と放っておけなくなり、1階へ下りてケージの前まで行ってみると、中でジャンプを繰り返しながら、ますます激しく啼き、どうしたのかと問いかけても聴く耳持たずという状態。お腹でも痛くて我慢できなくなったかと、真夜中だったが庭へ連れ出したら(ケージの中にトイレは設えてあるのだけれど)、どうやらそうでもなかったらしく、小用だけ足してケロッとした顔。

でもまあ、これで多少は気も済んで寝てくれるだろうと、ムッシュをまたケージに入れてよく言い聞かせ、自分もケージ(じゃなかった寝室)に戻ったら、しばらくは沈黙が続いていたが再び3連呼が始まった。具合が悪いわけでもなかったのだから、無視しておいてこちらとしても何とか眠らなければと思ったが、やはり気になって(というかうるさくて)とても寝るどころではなく、また1階へ下りてしまった。
先ほどと同様、ムッシュはジャンプしながら叫び続けていたが、こういうときは怒鳴ったり脅かしたりしても効き目がないことは経験的にも知っていたし、ケージに閉じ込めて置く限り暴れているので、ひと先ず出してやって、ひたすら諄々と言って聞かせるほかあるまいと判断した。

そうしたら、吠え過ぎて喉がカラカラになったのか、ひとしきり水を飲み続け、渇きが治まるとリビングからダイニング、そしてキッチンからママの家事室、さらに玄関ホールや勝手口と、家中を走り回り出した。様子からすると、どうやら、お兄ちゃんたちはどこへ行ったのかと探しているようだった。
眠れないのでヘトヘトだったが、こちらも腰を据えて、“お兄ちゃんたちは、もう帰ったんだから、今日はいい子でネンネしようネ”と何度も言って聞かせると、盛んに首を傾げる仕草をしながらも理解したのか、やっと落ち着いたようだった。が、これでまたケージに入れて立ち去ったら繰り返しになると思い、自分もリビングルームのソファーにひっくり返ると、ムッシュは嬉々としてそのソファーの下(床との隙間10~15センチほど、何かあったときのムッシュの避難場所)に潜り込んできた。

それからやっと、家の中には静寂の時間が訪れ、しばしの間ウツラウツラできたが、気がつくと外はもうすっかり明るくなっていた。まだ早朝の5時だったし、ロクに寝てはいなかったけれども何となく休息できた気分だったので、いつもより2時間以上早かったが散歩に出たら、ムッシュも元気についてきた。
戻ってまたしばらくウトウト。散歩のせいか軽い疲労感を覚え、かえって気持ちが良かった。やがて家内も下りてきたが、朝早くから居るはずのない場所に居る自分とムッシュを見てビックリ。どうしたのかと聞かれて、コレコレシカジカと話したら、自分は“そんなに甘やかしちゃダメよ!”と、ムッシュは“どうして言うこと聞けなかったの!夜中はチャンとネンネしなければダメでしょッ!”と、お小言を頂戴した。

問答無用で、二人とも悄然。ムッシュはパパにはいくら叱られても平気な顔をしているくせに、ママに叱られると耳を寝かせ首をすくめて殊勝な態度を見せている。誰が真の権力者かよく見極めているのだ。自分も、実際のところ一晩中苦労したが、そんなことをグタグタ言っても始まらないので、“どうしてこういうことになったのか”、“今後そうならないためにはどうすれば良いのか”と、前向きに考えることにした。
そう言えばこれまでも、似たようなことが2度ほどあったのを思い出した。一度は3年前、ママがお友達と3~4日間清里の山荘へ行っていて、パパと二人だけで横浜の家でお留守番をしたとき(06年10月20日参照)、もう一度は昨年の秋、長女が孫娘を連れて清里に遊びに来たときだった。

ムッシュ 考えてみると、この2度のケースには共通要因がある。どちらも、ママ、パパ、ムッシュという日ごろの安定した人間(?)関係というか生活環境の中に突然予期せぬ(ムッシュにとっての)変化――たとえば、ムッシュが最も頼っている人(すなわちママ)の不在とか、ママやパパにとってのムッシュ以外の関心対象(すなわちお兄ちゃんや娘や孫)の出現とか――が発生したときに、こういう結果になるのだ
そういうときには、きわめて社会的な動物といわれる犬の内面には、“淋しさ・頼りなさ”とか、“孤独感・疎外感”といった感情が、人間が想像するよりもはるかに大きなインパクトを持って湧き起こり、それが“欲求不満のはけ口”を求める啼き声・行動となって表れるのかも知れない。

その意味で今回のケースは、3年前のママ不在の夜よりも、昨年秋の娘と孫来訪の夜に近い。と言っても、孫娘やお兄ちゃんが来たり泊ったりすると必ずそのように情緒不安定になるのかというとそうでもない。微妙なところなのだが、たとえそんなときでも、家族の一員として同じ場所に彼らと一緒に居さえすれば、自分が必ずしも関心の中心ではなくとも不満に思うわけでもなく、やがて彼らがそこから引き揚げてまたいつもの環境が戻ると、落ち着いて眠りに就き、決して夜半に騒いだりしない。
ところが、いつもの就寝時間になったからといって、自分だけ早々に“おやすみー”とケージに入れられ、その後みんなが楽しげに談笑している(のがよく聞える)のは納得が行かなかったらしい。“ボクだってまだみんなと一緒に居たいのに、何で一人だけ寝かされるんだョー?”というわけだ。そして、“まだ寝なーい!”、“もっとみんなと遊ぶー!”、“ここから出せー!”と怒り叫んでいるうちに、本来なら襲ってくるはずの眠気も吹っ飛び、ケージから出してもらうまで騒いでいたのではないだろうか?

娘と孫が清里に泊りに来たときも、今回とほとんど同じ状況展開だったのだが、“喉元過ぎれば熱さを忘れ”で、その後、なぜあのときそうなったかの分析をしておかなかったため、またそれを繰り返してしまった。今後は、これまでの経験を良い教訓として、自分なりの仮説を導き出し、次回の発生を防ごうと思う。
...というほど大げさなものでもないが、考えついたのは、おおよそ次のようなこと。

1.    ムッシュは自分もママとパパの子供で、お兄ちゃんや娘や孫たちとは兄弟姉妹と思っているらしいから、家族団欒のときは決して、“犬あつかい”して差別したり疎外したりしない。
2.    そんなときは、いつもの就寝時間になったからといって事務的に寝かせつけようとせず、本人(犬)自身が眠くてたまらなくなり、自分からもう寝たいという様子を見せるまで放っておく。

果たしてこの仮説は、当たっているのだろうか? 全然間違っていたりして...。

ところで話は飛ぶけれども、以前話題になった犬語翻訳機「バウリンガル」の進化型(音声同時通訳もできるヤツ)が間もなく発売されるらしいが、自分はいま、一度試してみたい欲求を抑えきれないでいる...。

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2009年7月13日 (月)

梅雨の山荘、戻って検診

先週もいろいろと、スケジュールで一杯だった。週末には昭和大横浜市北部病院で、予約していた胃部内視鏡検査を受けたが、1週間~10日ぐらいで結果がわかるものと思っていたら、次の診察(すなわち結果説明)は2週間半後とのこと。手術の日程など詳しい今後の見通しは、その日にならないとハッキリしない。
5月末に受けた前の病院での内視鏡検査では胃部扁平腺腫ということで、その病院から昭和大での内視鏡手術を薦められ紹介されてきたわけだから、再度検査しても同じ結果になるはずとは思っているが、次のステップまでこんなに時間がかかっていては、様子が変わってしまうのではないかと、素人は正直のところ気にしてしまう。マ、ダブルチェックで最新の状態がわかるわけだから、それはそれで有難いことだが...。

その予定が前から入っていたため、行くならばこの期間しかないということで、検査前の数日は清里の山荘で過ごしてきた。5月・6月が公私ともに何かと忙しかったし、天候も不順だったので、用事があるのについ、出かけるきっかけをつかみ損なっていたが、あらためて数えてみたら、前回以来もう2ヵ月経っていた。
毎年この時季には、家内が育てている何十鉢というセントポーリアを、そろそろ暑くなり始めた横浜から涼しい清里へ大移動しなければならないことになっていた(そして寒くなる前にそれを持ち帰ってこなければならない)し、今回は、昨夏以来置きっ放しにしていた盛夏用の衣類を持ち帰る必要もあったので、静養になるかどうかは別にして、とにかく行かなければならなかった。

この20年間、毎年のことながらこの季節は、どうしても忘れてしまう(か、ないしはタカをくくってしまう)のだが、平地を軽装で発っては、山に来て寒さに震え上がる。今回も、蒸し暑い28度の午後に横浜を出たら、夕刻の清里は17度だった。気温だけ言ってもピンと来ないかもしれないが、20度を下回ると、ウールとは言わないまでもコットンのセーターかカーディガンでも羽織らないと寒くてたまらなくなる。
2ヵ月留守にしたため、前回きれいに刈ったはずの前・横・裏の庭や家の周りの通路は、草茫々、樹々の枝葉もすっかり生い茂って、足元も見通しも悪くなっていた。ヤレヤレこれだから山の家は長期間留守にできない、明日はさっそく草刈りをせねば、でもどこから手をつけたらいいものやら...と、心の中で呟いて溜息が出た。

ヤマボウシの木 翌朝は幸い、陽は差さないが雨は降らず。寝室から見下ろしたヤマボウシの木が、今年は一段と枝を拡げ、一面に十字の白い花をつけていた。秋にはさぞかし沢山の赤い実が生って、熟れ落ちたものにムッシュが夢中でかぶりつくのだろう。落ちる前に摘んで自家製のジャムにするとすこぶる美味らしいのだが、高い脚立がなくて毎年摘み取れないでいる。
散った花が樹下一帯に雪のように降り積もるエゴの木も、今が花盛り。我が家には結構大きくなったものが数株生えているが、表道路に面した1株が特に目立つ。下向きに鈴なりに生る、純白の可憐な五弁の花は、満天星とも言われるように咲いているときは見事だが、あっという間に散り落ちてしまう。


エゴの木 ともあれその日は、前日の疲れが抜けなかったし、必要最小限の通路部分だけ草を刈ってお終いに。いま張り切って一度に全部やろうとしても、また生えてくるし、本格的には夏が終わってからにしようと勝手に決めた。その翌日は、できたら久し振りに地元のレストランにでもランチに行こうかと思っていたのだが、生憎と朝からひどい雨で1日中降り止まず。とうとう出かける気を削がれてしまった。
というわけで、今回の清里は梅雨に祟られ、ほとんど何もせず、どこにも行かず帰途に就いたが、頭を空っぽにしてひたすらボンヤリと、コゲラが赤松の幹を突いているのを眺め、月遅れのウグイスとカッコウの鳴き声だけしか聞こえない森の中をムッシュとそぞろ歩きできたから、神経を休めたという意味では良しとしなければならないのだろう。

そう言えば、これまではほとんど意識していなかったのだが、今回久し振りに行った清里の山荘は、横浜の新居とくらべてとてもシンプルで素朴で妙に懐かしい感じがした。上手く表現できないが、古臭いとかローテクとかいうことだけではなく、何か人間本来の生理に合っているような落ち着いた気持ちになれたのだ。
たとえば風呂のこと。横浜の新居はオール電化ですべてコンピューター制御のため、温度や湯量や各種の設定でいちいちコントロール・パネルのボタンを押さなければならず、それが自分たち世代には、誤操作してはいけないというストレスになるが、その点清里の風呂は、ボイラーに点火し沸かしておけば、後はカラン・レバーの手動で温度も量も加減できるのが気楽だった。こういったことが、一種の“スローライフ”になるのだろうか。

さて、帰宅後1日置いて、いよいよ新病院での検査の日。これまで(前の病院の場合)は、だいたい10時~11時ころの予約で待たされもせず、昼過ぎくらいには帰宅できて、食事も朝食抜きだけで済んだのだが、今回は予約の時間が13時なので、帰宅は15時過ぎにはなり、朝・昼2食抜きになると覚悟していた。けれども結果として、食事はともかく、病院を出ることができたのが19時近くになってしまったのには驚いた。
予約の時間までに受付を済ませれば良いと言われていたが、少しは早めに行くのが常識だろうと30分前に行ったところ、内視鏡検査室前ロビーのソファーはすでに満席(ざっとみて40~50人ほど...付き添いの人々も混じっていたかもしれないが)。受付で“現在1時間遅れになっておりますので、それまでは(1時間半ほど)外出なさっていても構いません”と言われ、帰りに何か買い物をと思っていたところでもあったし、ちょうどいいと、隣接ブロックのT急ショッピング・センターへ暇つぶしに。で、普段にないほどゆっくりと店内を見て回り、15分前(つまり13時45分)に戻ってきたが様子は一向に変わっておらず、未だ座る場所さえなく、折りたたみ椅子を出してもらう始末だった。

それからさらに、今か今かと待つこと2時間近く、やっと声がかかって“待合室”に入れることになったが、検査着に着替えさせられてまた小1時間。そこにはテレビや雑誌なども置いてあって、外のロビーよりは明るくリラックスできるラウンジ風の雰囲気になってはいたが、まだ待たなければならないのかと、いい加減ウンザリした。
でも、ここまで来たらひたすら待つほかないと諦めて周りを見回すと、ご一緒の男女十数人はみな無言で目を閉じて同じような達観した表情。“アラ還暦”から“アラ古希”の年齢層と思しき方々ばかりだった。

そして次に招き入れられたのは、その待合室のさらに奥の大部屋。検査が終わったらしい大勢の方が、点滴の針を腕に射されたまま、フル・リクライニングしたシートで昏々と眠っていた。この場所は“回復室”と言うらしく、シートは数えたら16台、ほとんど満席で、部屋の最奥部というか突き当たりに4つほどの検査個室があり、そのうちの1つの入口横の事務椅子に座って待つように言われた。
他の3つの部屋の入口にも、同様に検査を待つ方々が座っていて、検査のための入室が近づいてくると“3分間含んでいてください”と、喉に麻酔薬を注入された。ので、もしや鎮静剤(睡眠薬)は使わないつもりかと気になって尋ねたら、そういうわけでもなかった。

いよいよ検査個室入り。看護師に言われて診察台で左を下にして横になると、目の前に技師が、こちらに背を向けて座り、指差確認をしながらパソコンの画面と睨めっこしていたが、どうやら前の病院から送られてきた写真を含む検査データのようだった(以前説明を受ける際に一度見せてもらっていたのでそれとわかった)。
喉の麻酔が効いてきたところでマウスピースを咬ませられ、いよいよ鎮静剤の点滴注射が始まった。すぐに意識が朦朧としてきたが頭の芯は完全に眠ってはおらず、前回と違って、内視鏡が挿入され喉を通って行くのがわかった。が、その後の記憶は朧。検査室からどうやって出てきたのかよく覚えていない(多分、脇を支えられながらリクライニング・シートまで歩いてきたのだと思う)が、シートに横たわるときに誰かが背中を支えてくれていたのと、指示されてオットマンに足を載せたことだけは記憶している。

その後は深い眠りに落ちたらしく、目が覚めたら時計はすでに18時を回っており、周りには自分以外に2~3人しか残っていなかった。してみると、自分が受付に来たのは随分と遅い順番だったようだ。そう言えば初診のときもかなり待たされたが、この分野では有名な病院だけに診察希望者が殺到していたのか...。次からはその辺りもよく考えねば...。
今回は鎮静剤が少なめだったのか、検査中は完全昏睡ではなく、何もわからないうちにすべてが終わっていた前回とくらべてちょっと違和感があったが、目が覚めてからは頭もスッキリ。ただ、2~3日間、喉に痛みが残った。同じ内視鏡検査といっても、病院によっていろいろ違いがあるものだ。

次回の予約日は、今月末の28日。もっと早く手術日程の見通しがつくかと思っていたが、これではどんなに早くても8月中ということになりそうだ。でも、チャンとした病院でしっかり手続きを踏んで手術してもらうには、それもやむを得ないのかも知れない。
これまで幸いにも、検診や手術のための通院・入院には永いこと縁がなかったので、大病院ともなるとこんなに混み合って、何ごとにも時間がかかるものとは、トンと想像が及ばなかった。

この検査の診断結果の報告は、多分9月にさせていただくことになるだろう。

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2009年7月 6日 (月)

1年半ぶりの夜遊び

真夏もかくやと思うほどのカンカン照りになったかと思うと、翌日はまたシトシトと降る、やっぱりまだ明けていない梅雨の合間、久し振りに夕方から外出した。昨年秋のクラス会以来、7ヵ月余りご無沙汰していた朋友たちと一夕を過ごす約束をしていたので...。

2007年1月29日にも書いたように、自分たちはクラス会の地域支部会と称して、月1回夕刻から大森山王の某所に参集し、天下国家から文化・趣味・芸能そして身辺些事にいたるまで、大いに談じ、かつ少し(?)歌うことを慣わしにしていたが、昨年は家の建て替えで、清里にいた間はもちろんその前後も、何かとよんどころない事情が続き顔出しができずにいるうちに、かれこれ1年以上経ってしまった。

その間、定期検診の結果この夏手術を受けることになると先日(2009年6月8日)のブログに書いたら、もっと詳しく聞きたいし、ヤツの元気づけのために歌い放題の場を設けてやれということになったらしく、世話人のMとNから臨時の例会開催通知メールが届いた。そこで、これは何としても行かずばなるまいと、万障を繰り合わせた次第。

実はその日の2日後・3日後と、2日続けて仕事のスケジュールが入っていたのだが、その準備も前倒しして怠りなく済ませ、当日は出かける前にムッシュの散歩も終えて、気持ちよく許可してくれた家内にも恐縮と感謝の意を表しつつ家を出たが、外はまだ陽が高く、電車の中もこれからオフィスに戻るビジネスマン諸君と一緒で、何となく後ろめたい気分。

この例会は、メッキリ夜に弱くなってしまった自分たち世代の集まりということで、もともと会場の店主の特別の計らいにより午後6時から開かせてもらっていたが、それでも夜はキツいという者も出てきて、最近は隔月で、昼食を兼ねて表参道方面のレストランにも集まるようになっている。

メンバーの半数以上は、もっぱら昼の部に転向し、つきあいのマメな者は夜の部にも顔を出しているが、自分などは昼は昼でしなければならないことが多いし、今さら男同士が集まってランチをしても楽しいかナーという率直な疑問もあって、何となく気が進まないでいるうち今日に至ってしまった。

1年半ぶりに降りた大森駅の山王側商店街は、どちらかというと飲食店や娯楽施設が密集している地域なので、もしやこの不景気の影響で街の様子がすっかり変わったりしているのではと、ひそかに気にしていたが、どうしてどうして、相変わらずの賑やかさ。これからご出勤のオミズ方面のオネエさまやパート帰りのお買い物のオバサマと思しき方々でごった返していた。

アチコチで閉店の憂き目に遭っている回転寿司チェーンも無事営業中だったので、軽く腹ごしらえをと思いカウンターに座ったが、老眼鏡をかけて文庫本を読みながら摘まんでいたら、握りの1貫、巻き物の1個がバカに巨大に見えて、以前食べていた半分の、たった4皿で満腹してしまった。〆てわずか400円、申し訳ないようなお勘定だった。

定刻に店に着いたのだが、年寄りは気が急くというか(自分も年寄りだけれど)、MとNは疾うに到着していた。久し振りに自分の顔を見て、“オゥ、元気そうじゃないか!”と第1声。“相変わらずダンディ(古い言い方だが)だな!”と第2声。コチトラB型だからすぐに真に受けるが、社交辞令を言い合う間柄ではないからと、悪い気はしない。

そう言うMは相変わらずの太っ腹。Nも上背があるのでBMIは適正範囲と主張するがサイズはMと同じくらいあるようだ。でも最近の学説では、なまじスリムなよりも小太りの方が寿命が長いというではないか――と、自分も彼らに返すと、今度は彼らが悦に入る。で、やっぱり話しは、自分の今回の検査結果、今後の予定などから始まった。

一昨年、自分と同時期に同じ胃部精密検査を受けていた友人のSが、夏前までこの仲間で陽気に歌っていたのにクリスマスを待たずに逝ってしまったということもあったので、余計な心配はさせまいと、問題ないことを先日のブログには書いたのだが、ちゃんと読んでいなかったらしく、同じことをもう一度説明したら、やっと納得、安心してくれた。

自分としては何も心配はしていないし、だからこうして夜遊びに来ているのだが、    早期発見に万全を期して胃と大腸の内視鏡検査は毎年受けているMも、10年以上前に膀胱の内視鏡手術を受けて入院したことがあるがその後はすっかり元気になっているNも、“付き合いのために無理はするなよ”、“手術後は十分摂生して大人しくしていろ”、と気を遣ってくれる。その気持ちと言葉、素直に有難く受け取っておこう。

そして話題は、お互いの近況。まだ元気にちょくちょくゴルフに出かけているM、水彩画だけでなく今度はキーボードのレッスンまで受け始めたN、2人とも趣味三昧の日々でまことに結構ではないかと心底思ったが、彼らに言わせれば、自分のように程々の仕事を、マイペースで死ぬまで続けられるのが一番いいという。日本人は根っからの働き蜂なのだ。

さらに話しはアチコチに飛ぶ。自分が今度手術を受ける横浜市北部病院といえば先日の看護士さん3人のもらい交通事故は気の毒だった...、加害者は運転免許取りたての未成年者だったとか...、だがそういう自分たちも立派な高齢者だからだんだん気をつけるようにしないと...、ところでマイケル・ジャクソンは旅立つのが早過ぎた...、でもエルビス・プレスリーも石原裕次郎も美空ひばりも皆そうだった...など、など。

さて、そんなとりとめもない話をしていたら、予定の2時間のうち早や1時間が経過。時間がもったいない(?)から、早速、本日のメイン・イベントに移らなくてはとご指名により登壇。“暑気払いにハワイアン・メドレーで行けー”という声も掛かって、挨拶代わりに、バラードからフラナンバーまでスタンダードをたて続けに数曲。でも、ワンマン・ショーでは流石の(ナーニが?)ワタシも、嬉しいけれども息苦しくなるので、数曲ごとにMとNが割り込んでちょうどいい塩梅。

店内は借り切り状態だし、遠慮はいらない顔ぶれだからということで、後半は各自厚かましくも、まだ仕上がっていない練習曲まで。自分はフリオ・イグレシアスの「ラ・クンパルシータ」(スペイン語)を、軽くタンゴ・ステップの振りなどをつけながら一度ぜひ験してみたいと思っていたのだが、残念ながら音源がなかった。

気がつけばもう、お開きの時間だったが、外へ出るとまだ宵の口。ウーロン茶を飲み飲みチョッと(?)歌っただけでこんな時間に帰途につくなど、若いころの夜遊びに比べると文字通り今昔の感があるが、それでいいのかも知れない。

MとNとの別れ際、“じゃあ、またな、次は夏の終わりごろかな?”...と握手。 

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