« 人生70年...やはり何ごともなくとは行かぬもの | トップページ | 1本の国際電話から通信システムの40年を振り返った »

2009年6月15日 (月)

森の中の匠たち

そう言えば、清里へ1ヵ月以上行っていない。こちらはもう梅雨入りだが、もともと雨の少ない向うは、いまがベスト・シーズンのはずなのに。でも、先月一杯からここまで、カレンダーが真っ黒になるほどすることがいろいろあって、思い出す余裕もなかった。
そんな中、先週の日曜の朝、「遠くへ行きたい」(ご存知だろうが日テレのロングラン旅番組)で、「八ヶ岳山麓 森の中の匠たち」という回を観た。清里のある高根をはじめ大泉・長坂・小淵沢・白州など八ヶ岳南麓の旧町村が合併して生まれた北杜市に住む、創作楽器、ガラス工芸、オリジナル絵本、自給自足の農林畜産複合型農業などさまざまな分野のこだわりの仕事人(それを番組では“匠”と呼んでいた)たちの話だったが、画面に登場した意外にスマートで社交的な匠たちを見ながら自分は、それとは対照的にアバウトで偏屈で、こちらが気疲れしてしまうローカルな匠たちのことを思い出していた。

番組の匠たちは、一見のんびりと田舎暮らしを楽しんでいるように見えるけれども、おそらくは都会出身者で、自分の好きなことをビジネスにしたいというマインドがあって、そのために望んでこの場所に仕事をしに来た人たちにちがいない。だからこそ都会から押し掛ける観光客の心理やニーズがわかり、テレビの取材などにもソツなく対応でき、仕事を成功させているのだと思う。
良い悪いの問題ではないが、現実の地元の匠の大多数は、なかなかお付き合いに骨が折れ、何か仕事を頼んでもそうスムーズには事は運ばない。都会の常識や人間関係には馴染めず、また馴染もうともせず、この土地だからこそやって行けている人たちで、生活感覚や仕事の観念などが、まるで都会の人間とは違うからだ。我が家でもこれまでの山荘暮らしを通じて、彼らとの感覚・観念の違いによる欲求不満をいやというほど味わわされた。

そもそも、山荘を設計・建築した棟梁が、そんな匠の典型だ。若手(当時)ながら清里のペンション建築では第一人者ということで、たまたまそのペンションの一つに泊ったときオーナーに紹介されて意気投合し、気に入った建物をほぼ約束の予算・期限通りに完成してもらって大いに満足していたが、数年も経たないうちに、いろいろ問題が出て来た。
まずは床暖房。毎年秋口や春先など、しばらく使わなかった後は必ずストライキを起こし、その都度電話で連絡しては設備業者の親父さんに来てもらわなければならなかったので、休日や夜更けに到着したようなときは難儀した。連絡は棟梁を通すことになっていたため、本人がどこかへ遊びに行っていて捕まらなかったり、捕まえても酔っぱらっていたりしたときは、1~2晩、暖炉だけで寒さを我慢しなければならなかったことも再々。挙句の果てにはその設備業者が倒産・夜逃げして修理ができなくなり、新しいボイラーを買わされた。

10年を越したらベランダの床板が腐ってきて、自分が足で踏み抜いてしまった。幸い軽傷だったから良かったが、さらに危険が予想されたので取りあえず部分応急修理を頼んだものの、その2~3年後には完全付け替えをすることになった。が、そう決まってからなかなか取りかかってくれず、夏前に頼んだのに年を越してしまった。
家本体を建てているときにはわからず、後で人伝に知ったのだが、単純にヤイノヤイノ言うと臍を曲げたり、煩がってますます逃げ腰になったりする人物なので、なだめたりすかしたりしながらやっと完工させたのが1年後。でも、その後がまた一苦労で、旧ベランダの解体で出た大型の廃材をなかなか運び去ってくれず、新しいベランダの下がサッパリ、スッキリするまで、さらに2年待たなければならなかった。最初予定通りに山荘が建ったのは、どうやら奇跡に近いことだったらしい。

棟梁との疲れる付き合いはこれで終わったわけではなく、もっとダメを押すような話があるのだが、それはひとまず後回しにし、自説の傍証として、我が山荘の家具づくりの匠、インテリア工芸品づくりの匠の話もしておきたい。
もともとは都会で会社勤めをしていたが、そういう環境に耐えられなくなっていわゆる“脱サラ”をし、このあたりに住みつき、けっこう良い仕事はするのだけれども、やや周りに甘ったれているところがあり、何か少しキツいことを言うとすぐにイジケて近づいて来なくなるという、やはり付き合い方の難しい人たちだ。

家具の匠は、家本体の建築作業スタッフも兼ねていた(当時)こともあって棟梁から紹介され、造りつけのシューズクローゼットを始め、リビングルーム用の引出し付きウッドソファー、ティーテーブルとサイドテーブル(2基)、ダイニングルーム用の大型食卓とベンチ、ワインボード兼用のカップボード、3つのベッドルームそれぞれ用のデスクとチェストなど、実にさまざまの木工家具を造ってもらった。
そのころは多分まだまだ経験不足だったろうから、出来栄えにバラつきがあったのはご愛嬌のうちと思って何も言わなかったが、最も手の込んだ作品だったワインボード兼カップボードを造ってもらったとき、約束の期限が大幅に遅れた上に平気な顔で予算よりかなり上回った額を請求してきたので、その通りに支払いはしたけれどもチョッピリ苦情も言ったら、その後パッタリと顔を見せなくなり、年賀状も来なくなった。どうしているかと案じていたら、一昨年の清泉寮カウンティフェアに店を出していたが、バツが悪そうにして黙って頭を下げただけだった。

インテリア工芸品の匠もやはり脱サラで、ふもとの萌木の村のレストランスタッフやカメラマンをやりながらコツコツと金属工芸品を造っているという話を、そこに食事に行ったとき本人から聞き、ポーチのシーリングランプ用のオリジナル・シェードや、大小の燭台、花置き、ラックやブックエンドなど、さまざまなものを造ってもらった。
なかなかの出来栄えで気に入ったので、何種類かのテーブルウエアをまとめて依頼したら、忙しくなって優先的に時間がとれなくなったのか、他に何か理由があったのかわからないが、どんどん約束が遅れているうちに、音信不通になってしまった。こちらから強く催促したわけでもなかったが、不義理に感じて連絡し辛くなってしまったらしい。そのレストランには今もときどき行っているが、いつ行っても彼の姿は見かけないし、こちらも何だか消息を聞きにくくて、それっきりになっている。

さて、棟梁の話しに戻るが、実は昨年の後半は、横浜で本宅の建て替え工事が進行している一方、清里の山荘でもポーチの付け替え工事が行われていた。好きでタイミングを合わせたわけではなく、やむを得ず、そうなってしまった。というのは、上部がバルコニーになっていたポーチの天井が腐り落ちて、玄関の出入が危険な状態になってしまったのだ。昨年4月オープンに行ったときに、そうなっていた無残な姿を発見した。
もう10年以上前から、建物本体の外壁は何ともないのに、ポーチの壁や天井だけにクラックが走るようになってきたので、もしかして内側に問題が生じているのではないかと思い、よく調べて対策を講じて欲しいと棟梁に言い続けてきたのだが、外側からのその部分だけの補修でお茶を濁されてきて、挙句の果て、こういう結果になってしまったのだ。

直ちに棟梁に連絡し、7月後半からは長期居住するようになるのでそれまでに何とかしておいてくれるように依頼し、その後も山荘に行った都度電話催促していたが、最初の連絡から3ヵ月後に横浜から移り住んだ日まで、例によって何も進んでおらず、ポーチ天井部分の腐食・崩落度はより進行し、危険レベルは最高近くまで上がっていた。
ために、万が一のことを考えて、不自由だけれども裏のベランダ側ドアから出入りすることにし、同時に棟梁にその状況を話して、怪我でもしたらどうしてくれる...と強くプッシュ。すると、さすがに今度は、慌ててスッ飛んできた。彼と一緒に上から下からのチェックをしたが、原因はバルコニーの雨水排水装置の不良とその手摺・床部分の亀裂からの浸水により長年の間に水がたまって、内部がグズグズに腐ってしまったものとわかった。

こりゃあヤバいと予想していたのか、棟梁は高い梯子と大きなヤットコ・掛矢をあらかじめ用意してきており、モノも言わず解体に掛かり始め、その日1日で、旧・バルコニー兼ポーチをすっかり取り外してしまった。
作業の四六時中は密着していなかったので細かいところはわからないが、どうも相当問題があったらしく、それを見られるのが具合悪くて、焦って大急ぎで取り壊しをしたようだった。本来なら2~3人でする作業を1人でやったため、前庭に駐めておいた我が家の車に解体した柱の一部を落として傷をつけてしまったり(端っこだったからまだいいが)というハプニングまで引き起こして...。

そんなこんなで、おおよそのディザインを打ち合わせただけで、ともかく早く、そして費用は最小限(もともとの工事と管理上の手落ちに対する責任を取って欲しいというハラがこちらにもあったから)ということで、やっと工事は始まったが、当時彼が引き受けていた近くの新築工事とかけもちで、その合い間を縫っての仕事だったらしく、一気に進めれば2~3週間で済んだはずの作業のすべてが終了したのは11月に入ってから、残っていた建築材料や道具類が片付いたのは雪が積もるころだった。
それから今年の3月まで、何の連絡もなかったので、ことがことだっただけに今回は費用の請求をし兼ねているのか、あるいは請求金額を決め兼ねているのかと思っていたら、ある日突然、何の配慮もないバッチリ満額の請求書が届いた。

まさか責任の一端は感じているだろうと信じて、工事内容にもアレコレ注文はつけず、納期もいつになるかわからないのを我慢して任せていたら、前もって何の話しもなくイキナリこれだったから、当然、ソレはないだろうということになった。
さんざんもめた末、結局は、もちろん満額ではないけれども請求額のかなりの部分を支払うことで手を打ったが、床暖房のときも、ベランダのときも、似たような仕事ぶりと支払いのし方だったことを思い出し、また家具の匠とインテリア工芸品の匠の場合も考え併せて、信頼しているからと格好をつけてビジネスライクな発注のし方をしなかった自分も悪かったかも知れないと、密かに反省した。

本来気のいい、腕も良い地元の匠連中なのだが、お互いに満足する関係を続けるには、疲れるけれどもこちらが神経を使わなければならいのだろうと、いまは思っている。

テレビは所詮、きれいごとやエンタテインメントになる部分だけしか取り上げない。

|

« 人生70年...やはり何ごともなくとは行かぬもの | トップページ | 1本の国際電話から通信システムの40年を振り返った »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 森の中の匠たち:

« 人生70年...やはり何ごともなくとは行かぬもの | トップページ | 1本の国際電話から通信システムの40年を振り返った »