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2009年5月25日 (月)

毎日がウイークデー

今週は、広告電通賞の部門最終選考会やら総会・パーティーなどが続くので、連日のように都心に出かけることになる。新型インフルエンザがいよいよ身近な脅威となったいま、公共交通機関を利用して大勢の人が集散する場所を往き来するのは、この齢にもなるといささか気苦労なことではあるが、たまに、近所歩きのカジュアルウェアからビジネスウェアに着替えて仕事に出かける気分というものは、決して悪くはない。
常時ではないにせよ、自分がまだ世の中から必要とされている、社会の動きと多少なりともつながっているということが実感できる気がするからで、そう思うことによって元気が出るのだ。とは言っても、そういうことが多過ぎても良し悪しで、現在のような、月2回の顧問業と週1回のブログ書きというコンスタントな仕事をベースに、広告賞審査やカンファレンスでの講演などの集中行事が年に一つ二つというくらいが、脳力と体力維持のために丁度いい。

が、考えてみると、それ以外の時間は十分身体を休めたり、趣味・娯楽三昧に過ごしているのかと言えば、そうでもない。好きな音楽も、乗り物の中や外を歩いているときに、iPodにダウンロードしておいたものを聴くぐらいで、わざわざ室内でプレーヤーに向かうことは滅多にないし、同じく本も、もっぱら電車やトイレやベッドの中でながら読みするだけで、そのためにジックリ時間をかけてということはまずない。
カラオケもこのところ、自分の都合と友人たちの都合とがうまく折り合わなくてすっかりご無沙汰しているし、ゴルフに至ってはもう10年以上、会費を払っているだけでコースに出ていない。そんな、遊ぶことにも不熱心になってしまった自分を何とかしてリフレッシュさせようと、清里の山荘にはせめて月1回くらいは行くようにしているのだが、ツイ仕事がらみの資料やコンピューターを持参して、何のためだったかわからないようにしてしまうことが往々。我ながらどうしようもない。

では一体、そろそろ無限とは言えなくなってきた時間を毎日どう過ごしているのかというと、やりたいことがいくつもあって、その下準備に追われながら、なかなか本格的な作業に着手できないでいる――というのが表向きの言い訳。どうということのない日々の雑事に紛れ、気力・体力が乗らないままズルズルと先延ばしにしているのが実情だ。
4年前に出版した本をアップデートしたい、その前半部分を要約した入門書を上梓したい、かつて2年間にわたって専門紙に連載していた自伝的ダイレクトマーケティング史を全面的に書き直したい、そして仕事だけでなく遊びにもスポーツにも積極的に出かけたいとアレコレ欲張っているのだが、計画ばかりが先走って一向に手を着けられずにいる。

限りがあるといっても、いま時間が不足しているわけではない。とても手が回らないほど忙し過ぎるわけでもない。結局、自分のタイム・マネジメントの問題なのだが、わかっていても上手くできない。成し遂げるには、やはり自分をもっと追い込まないとダメなのかも...。昔からお尻に火が付かないと集中できない性質だったから...。
でも、そんなにまでして成し遂げなければならないことなのかと問われると、コレまた答えに窮する。誰かに是が非でもと頼まれているわけでもなく、それができたら喜んでくれる人がたぶんいて、自分にとってもある種の満足感になるはずと勝手に思い込んでいるだけだから。かくて、昨日、今日そして明日と、変哲のない日が続いて行く。

毎朝起きると、まず食事の前にムッシュの散歩。朝食後は1時間も経たないうちに自室に引き上げて、コンピューターの前に座る。そして昼まで、米欧の主だったオンライン紙・誌のビジネス記事をチェックして気になったものをクリッピング(つまりプリントアウト)、土・日曜にはそれらに仔細に目を通し後日のためにファイルする。午後、ムッシュが昼寝をしている間は、貯まっているファイルや文献を繰ったりネットで検索したりして調べものとメモづくりをしているが、夕方彼が目を覚ますとまた散歩に出る。夜間がいちばん集中できるので、書きものはもっぱら夕食後。興が乗ると、気がついたときは日付が変わっていることがよくある。
これが基本的な日課だが、公私の用事で外出したり、人が訪ねて来たりする日も規則的・不規則的にあるから、毎日が判で押したように同じというわけではない。けれども、概ねこうして日は流れ、一日一日がそれほどハードでないだけに、メリハリをつけてどこかでスッパリと休んで息を抜くという感覚が薄れてくる。現役だったころと違って、土日曜や祝祭日はあまり意識せず、どうでもよくなってくるのだ。

あげく、コンピューターも年中無休、一日12時間営業という状態になり、3月16日に「マイ・パソコン...その後」で報告したように、使い過ぎでダウンということにもなる。おそらくそれが原因でコンピューターを5~6年間に2台潰してしまった勘定になるが、それではそこにヘバリついている本人も相当くたびれるはずだと、やっと自覚した。退職サラリーマン群像を描いた小説で城山三郎の「毎日が日曜日」というのがあったが、その登場人物の一人と同じ退職後の身なのに、これでは“毎日がウイークデー”ではないか!
第一線でフルタイムで働いていたころは、違う意味で“毎日がウイークデー”だったが、それでもやはり、週末を迎えるとホッとした。たとえ休日出勤したり、仕事を持ち帰ることになったとしても...。通常の勤怠観念から解放され、ともあれ朝はゆっくりと起きて、自分のペースで動けるという解放感があり、やり残していたことを全部片付けスッキリとした気持ちで月曜を迎えられるという達成感があったからだ。

ちょうどいま、長男や二男がそんな立場にあるはずで、楽ではなかろうと察するが、苦労ばかりではなく仕事の充実感も併せて味わっていることだろう。それは父も通ってきた道、健康に気をつけながら頑張れよと声をかけてやりたいが、そういう自分が未だに“毎日がウイークデー”では、洒落にならない。
長く外資系の会社にいたから、“よく働きよく遊ぶ”という米欧人のライフスタイルに影響を受け、山荘を持ったのもその考え方の実践の一環だった。だから、本来だったらいまごろの季節は、残雪の八ヶ岳を背景にした紅や黄色のツツジの花のスケッチでもしているか(写生セットを山荘に置いてある)、格好をつけてカウボーイハットなどをかぶり清里の牧場通りあたりで乗馬の手ほどきでも受けているところ(ハットは3色持っている)だった。

それが、いつから、どこでどう外れてしまったのか自分でもよくわからないが、目下のところあえて、予定とはだいぶ違う脇道を進んで行こうとしている。多分、潜在意識下にあった“物書き願望”が、コンピューターという道具とブログという場を得たことによって擬似的に満足させられ、現実にも、それなりの手応えやささやかな自己充足のようなものもあるため、それじゃあもう一丁行ってみるか!と、手を広げる気持ちになってしまっているのかも知れない。
予定とは違ったけれど、この道を歩み続けるのもそれはそれで悪くないと思えるようになっているが、その途上で、あれもしたいこれもしておかなければという思いが次々と湧き起こって、正直いうとこのごろ無意識のうちに歩調が早まり、そのため何だか少しキツいと感じるようになってきた。心は疲れていないつもりだが、それに身体がついて来ないと思うことがときどきあるのだ。積年の疲れがでたか?それとも単に齢のせいか?

ともあれ、いまの生活には何の不満も疑問もないつもりだったが、先日、退職後農業をしながらシンプルでスローな田舎暮らしをしているご夫婦の話しをテレビで見て、未だに何かと気が多く、何もしない時間をつくろうとしない自分の生き方を反省してしまった。
ピンと張り過ぎた糸は切れやすい。“毎日”でも困るが、“週の半分くらいは日曜日”の、ややユルい暮らしにリセットしなければ...。

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