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2009年4月

2009年4月27日 (月)

親馬鹿

ムッシュ と言っても、本当の(?)子供たちはもういい歳だから、いまさらその対象ではない。これは人間のではなくワンコの親としてのはなし。でも、ワンコの親としてってどういうこと?と思われる向きもあるだろう。が、小型犬、特に我が家のムッシュのようなヨークシャーテリアやチワワなどの極小犬を飼っているお宅なら、きっとわかってくれる。ご主人や奥さんが大真面目で自分をワンコのパパやママに擬して、おチビちゃんたちを人間の幼児のように可愛がっているはずだから。
我が家では子供たちも、ムッシュのことは歳の離れた幼い弟のように扱っているし、ムッシュの方も、自分が犬だとは思っていないようで、長男・次男・長女そして長女の娘(つまり孫)がたまに訪ねて来たときの喜びようと言ったらない。ママやパパに甘えるときとはまた違って、遠慮なしに舐めるワ、ジャレつくワで、それはそれは大騒ぎ。孫娘とも、まだ小さかったころにはお互い敬遠し合っていたが、最近では大の仲良しになった。

ムッシュとの一日は、ふつう、毎朝8時過ぎに始まる。そのチョッと前まではママもパパも、まだそれぞれ2階の自室で、フジの帯番組「めざましテレビ」内にある「きょうのわんこ」というミニ・コーナーを視ているからだ。わずか1~2分だが、早朝の用事があったり寝坊したりしない限りこの何年か、だいたい欠かさず見ており、これが終わったところで部屋から出てきて、“今日の子は可愛かったネ”とか、“今日の子よりもウチの子の方が可愛いネ”などと他愛もない話を、朝の挨拶代わりに交わす。
ムッシュは結構寝坊で、1階から“起きたヨー”といった感じの啼き声が聞こえてくるのは、だいたいそのころ。いったん啼きだすと、こちらが“ハイ、ハイ”と言いながらリビングルームのシャッターを上げカーテンを開けて外の光を入れるのももどかしいように、ケージの中で“ワンッ!ワンッ!”と叫びながらジャンプをしているが、これは元気な証拠だ。扉を開けてやるとトタンに飛び出して、脱兎のようにママのところへまっしぐら。

ムッシュ その後パパから声がかかって、食事の前に朝の散歩に出るが、我が家の東側の坂道を200メートルほど歩いたところに公立の中学校があり、斜向かいの三叉路の角が生徒たちの格好の待ち合わせ場所になっているので、道を渡っていつものコースに出ると、必ず何人かの女子生徒や男子生徒に出会う。
顔なじみの子はもちろん、初めての子にも、人懐っこいムッシュは駆け寄って行って後足で立ち上がり愛嬌を振りまくが、生徒たちも、そうされて迷惑がる子は一人もなく、みんなニコニコ応えてくれる。走っていたのにワザワザ立ち止まり黙って頭をなでてくれる男子生徒もいれば、“ヤバ~い!”、“チョー可愛い~!”といった最大級の賛辞で大騒ぎしてくれる女子生徒たちもいる。

朝の散歩でよく会うワン友は、道の向い側のマンションに住むミニチュア・シュナウザーのプッチ君と、ムッシュと同じヨーキーのイヴちゃん。プッチ君はまだ若いが大人しく控えめだし、イヴちゃんは人見知りで引っ込み思案なので、こちらが声をかけてもモジモジしているが、ムッシュの方は、社交的というか甘え上手というか、お友達には“ア、どうも”といった程度のソコソコの挨拶をして、むしろ彼らのママやパパに向けて盛んに尻尾を振り、“ムッシュ君はホントに可愛いねー”などと褒めてもらう。
昨年清里へ一時引っ込む前までは見かけなかったが、その間近所に戸建分譲住宅が一挙に増えたせいか、戻ってきてからよく顔を合わせるようになったワンコも多い。だいたいご主人が連れていて、ウィークデーの朝にも会うので、おそらく自分同様、第一線からは退いた方々ではないかと想像しているが、初めてのころは厳つい表情だったのが、何度か行き会って顔見知りになり、ワンコ同士名乗り合うようになったら、“やあ、ムッシュ君、オハヨー”と声をかけてもらえるようになった。

でもムッシュは、我が家に来る以前はお母さんと娘さんだけの家庭で育ったせいか、どちらかと言えば女性が好きらしい。向う三軒両隣りの奥さんたちはもちろんのこと、町内のお婆ちゃんから娘さんに至るまで顔を覚えていて、散歩の途中で見かけると走り寄って行っては、“ムーちゃんはいつも元気ね”などと可愛がってもらっている。
向うから知らないご婦人が歩いてきても、目が合ったり微笑みかけてもらったりしたら、もうイソイソとそちらへ。自分がケシかけていると誤解されても困るから、小声で“ムッシュ、止めなさい!止めなさい!”とリードを引いて制するのだが、小さいくせに鼻息を荒くして手足を突っ張り、言うことを聞かない。それでいて、傍へ行って“可愛いわねー”などと言われるとトタンに大テレにテレて一目散に駆けだすので、パパは“済みませーン”と謝って、引っ張られる格好で一緒に走る。恥ずかしいったらありゃあしない。

ムッシュ ムッシュは基本的に快食・快眠・快便。朝は軽めだが1日3食、2~3便(失礼!)、昼寝を2~3時間するが、夜から朝にかけても12時間前後は寝ている勘定になる(もっともこの間ズッと熟睡しているのかどうかはわからないが)。柄の割にはチョッと食べ過ぎ寝過ぎではないかと思わないでもないが、それでもまったくメタボ犬にならず2.8キロのベスト・ウェイトを維持しているのは、散歩をよくするお蔭か。朝のほかに1日3回。そのうち2回は昼食後・夕食後の用足しを兼ねたプチ散歩で、本格的なのは昼寝後の1回だけだが。
コースも距離も、特別な予定や時間の制約がない限り、本人(本犬?)まかせのスタイルなので、以前は、ずいぶんいろいろなコースを辿り、遠出もした(清里でもそうだった)が、最近(こちらへ戻ってから)は、なぜか、コースのバラエティも距離も減少した。体力が少し衰えてきたのだろうか?家の中では、元気に駆け回っているのだが。それでもほぼ毎日の規則正しい、合計すると時間で1時間、距離で2キロ近くになるこの散歩は、自分ぐらいの年齢の人間の体調維持のためにも、実にいい運動になるようだ。“たかが犬の散歩”と他人は見るかも知れないが、どうしてどうして、自分にとっては軽視できない。

散歩と用足しといえば、雨の日は外でできないので困る。前の家は南欧風というか、切妻だが四方に軒が張り出したデザインだったし、清里の山荘もチロル風の大屋根で軒側も妻側も深いので、雨の日でも濡れずに家の周りを歩かせることができたのだが、今度の家は北米風というのか、玄関ポーチと勝手口を除いては庇がなく、壁がストレートに立っていて屋根の軒も妻も非常に浅いので、雨を避けるところがない。
家の中から直接出られ庭にも抜けられるように作った屋内車庫の一隅に、ムッシュ用のトイレを設えてあるのだが、まだなかなか慣れてくれず、雨が降る度に庭と家の周りを、傘を差して二人でグルグル回って苦労している。

話は変わるが、少し前、たまプラーザのT百貨店のホールで、ベストセラーになった「犬と私の10の約束」の映画(2008年3月に封切りされたもの)が上映されるというので見に行った。2007年11月12日のここにも書いたように、この本は既に読んで十分に感動し尽くしたつもりでいたのだが、映画はやはり何倍もインパクトがあった。筋も結末も知っているので、絶対涙をこらえられないと思い、あらかじめハンカチとティッシューを用意して行ったが、案の定、会場が暗くなってスクリーンにタイトルが映し出されオープニング・ミュージックが流れ出しただけで、ウルウルしてきた。
豊川悦司、高島礼子、田中麗奈、布施明など、キャストはみなハマっていたが、特に、加瀬亮が良かった。原作を読んでイメージしていた星君のキャラにピッタリで、この映画の基調を造り出していた。ストーリー全体からすれば決してアンハッピーエンドではないのだが、天国へ召された主人公ソックスの元気なコロコロとした仔犬時代の映像が何度も映し出されると、どうしてもムッシュとダブって、親馬鹿パパとしては切なくないと言えば嘘になる映画だった。

ムッシュは4歳半のときに我が家に来て(2007年6月11日参照)まだ4年しか経っていないのだが、いまの自分たちにとって彼のいない生活は考えられない。どちらが先になっても、どちらも辛い...この癒しと安らぎに満ちた時間がいつまでも続けばいいものを...などと、傍らの椅子の上にお座りし無心に円らな瞳で見上げるムッシュを見ながら、ついそんなことを考えてしまった。

≪来週5月4日は勝手ながらお休みさせていただき5月11日にまたお目にかかります≫

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2009年4月20日 (月)

「ROI」「アカウンタビリティ」「クリエーティビティ」

桜もほとんど散って、日によっては汗ばむくらいの陽気になると、毎年、広告電通賞選考会が始まる。これから2ヵ月間、新聞・雑誌・ポスター・ラジオ・テレビ・SP(セールスプロモーション)・インターネット・ダイレクトなどの各部門にわたって選考が進められるのだが、今年も自分としては、まずはSP広告部門の予選会ということで、先週久し振りに汐留まで出かけてきた。
ビジュアル化されたプレゼンテーション・ボードとキャンペーン概要書というかたちで提出されている沢山の選考対象を、一つ一つつぶさに見て読んで、検討し評価するのは、決して楽な仕事ではないが、そこからは、たまたま設けられているSPというワクを越えて、広告というもののいま現在模索されているあり方(目的・メディア戦略・表現手法など)が、凝縮されたかたちで見て取れるので、例年の勉強と楽しみにもなっている。

ただ、昨今の全世界的な景気低迷が広告というものに連動しないはずはないので、それが日本では応募各社の基本政策と戦略・戦術にどう影響し、本質的または形式的にどんな変化として現れるかを注目していたのだが、意外に例年とさほどの違いは感じられず、相変わらず、華々しく話題とアクションを喚起するためにありとあらゆるメディア・手法を動員した、総花的、大盤振る舞いのキャンペーンが目立ったような気がした。
欧米はもっと抑制された状況で、主要企業のマーケターたちは、決して弱気になって単に予算縮小だけに走っているわけではないけれども、伝統的な広告戦略ではこの厳しい事態は乗り切れないと、いち早く変革を目指して体質改善に舵を切り、広告予算の引き締めと内容の見直しにかかっている。それに対し、そういった様子がいまのところあまり見えない日本企業には、まだ余裕があるということなのだろうか?それとも伝統的な戦略がこれからも通用すると楽観しているのだろうか?

そんなことはあるまいと思う。どんな広告主企業も(宣伝部はいざ知らず少なくとも経営陣は)、この厳しい状況は骨身に沁みており、抜本的な政策転換をはかって体質改善策を打ち立てなければならないと思っているはずで、案外、その実現に協力すべき立場にある広告エージェンシーやメディアなどが、伝統の殻から脱して状況の変化に自らを合わせて行くことがなかなかできないでいるのかも知れない。
そのようなことは、実は米国でも、はっきりと調査の結果に現れ始めている。デジタル広告業界誌「アドウィーク」のレポートだが、ブランド・コンサルティング会社ヴァース・グループと調査会社ジュピター・リサーチが共同で昨年末から今年の春にかけて行った年商2億5000万ドル以上の企業101社のCMO(マーケティング担当役員)に対するインタービューの結果では、89%のCMOが、この経済状況下ではこれまでの伝統的な戦略に基づく広告はもはや通用しないと考え、そのソリューションを追求するにあたってエージェンシーが満足できる仕事をしてくれていると考えているCMOはわずか21%、45%のCMOがエージェンシーを、コントロールするのに余計な時間を割かなければならない、厄介の種と見なしているということが判明した。

なぜそういう関係の悪化が生じているのかと言えば、広告主企業の追求するマーケティング目標とそのために必要とされる思考の方向とスキルに、エージェンシーがついて行けていないからということになるようだ。たとえ米国でも、そういう古い体質のエージェンシーは存在するわけだが、このトレンドが後戻りすることはおそらくなく、身を縮めて嵐の吹き止むのを待っているだけでは済まないだろうと言われている。エージェンシーもまた、変革しなければ取り残されて行く事態に追い込まれているのだ。
日本の場合はどうなのか?親しくしている業界の関係者から聞く限りでは、そのような兆候は日本においても例外ではなく、これまで伝統型広告の扱いを中心にしてきたエージェンシーの中にはある種の危機感を抱いているところもあるようだが、このSP広告賞選考という小さな窓から覗き見た限りでは、どうもそれが現場まで伝わっているようには思えず、いささか気になった。

回りくどい言い方をしてきたが、広告主企業は投下した費用に対してシビアに採算を求めるようになってきている。広告は何のためにするのかを考えれば当然の、“広告における「ROI(費用対効果)」の最優先”ということだ。そしてこれは、“提案した広告の成果に責任を持つというエージェンシーの姿勢”すなわち「アカウンタビリティ(成果責任能力)」への期待につながり、さらに、そのような“成果を実現できる根拠に裏付けられた広告表現の独創性”つまり「クリエーティビティ(創造力)」の必要性へと帰結する。
これらは何れも、いま始まったことではないのだが、広告・販促費というものはあらかじめ固定費としてコストに組み込み済みという考え方をする日本の企業では、これまではかけた広告費に対する採算といったものは広告主企業内でもあまりストレートに追及されなかった。エージェンシーも、メディアを仲介した手前メッセージの到達には責任があると思っても採算は自分たちの範疇外という感覚だったし、クリエーティブの独創性というものも、どちらかといえば、採算に結び付く成果を生み出せるかどうかよりも、世間の話題を呼びそうか、表現技術としてどうかといった点で論じられていた。

しかし広告(“マーケティング活動全体”と言った方がより適切かもしれない)のあり方は、インターネットが出現し、コミュニケーションのデジタル化がどんどん進化してきたこの数年、確実に、大きく変わりつつある。送受信メッセージの、その場でリアルタイムでのインタラクション(やりとり)と計測が可能になって、広告はその成果・価値をあいまいにしておいたまま都合よく判断・解釈することが許されなくなり、伝統的なマスメディアは早晩、主役の座をデジタルメディアに明け渡すことを余儀なくされているのだ。
昨年来の景気低迷は、その流れを一気に加速したかも知れない。いま広告主企業は、成果を生み出す仕組みを持った、そしてそのプロセスの見える、“ダイレクトレスポンス”あるいは“セールスプロモーション”的なアプローチをとるオンライン広告をより指向するようになり、メディア別年間広告費の集計・予測にも、このトレンドは如実に現れている。

というわけで、いまさらながらだが、これからの広告・マーケティングのキーワードは、「ROI」「アカウンタビリティ」「クリエーティビティ」であると改めて認識してもいいのではないかと思う。しかし、これまでも散々言われてきたことだけに、蛇足になるかも知れないが、ここでこれらについての自分なりの解釈を述べておきたい。

まず「ROI」――前述したように“費用対効果”という言い方がいちばんわかりやすいと思うが、“対投資利益率”などとも言われて、基本的には“(利益÷投資額)x100”というシンプルな計算式で表される。
広義・原義である会計学用語としては、この式の“利益”の部分が“当期営業利益+減価償却費”、“投資額”の部分が“株主資本+有利子負債”ということになり、ここで論じているような、事業部門や個別のプロジェクト・商品のマーケティング上のROI(狭義)という場合には、“利益”のところが“売上-商品原価-全マーケティング(広告・販促)費”に、“投資額”が“全マーケティング(広告・販促)費”ということになる。

そして「アカウンタビリティ」――本来的・原義的には“会計説明責任”のことだったが、近来的・広義的には“企業の投資家・従業員・融資者・仕入先・顧客などの利害関係者に対して経営者が(または納税者に対して官公庁や自治体などが)負う説明・報告責任”を意味するとされる。
ただしここでは、それを単なる説明・報告責任ということだけではなくて、“企業の部門スタッフからその責任者に対する、部門責任者から経営者に対する、そしてエージェンシーから広告主企業に対する課題実現責任”というところまで踏み込んで解釈している。議論はあるだろうが、長年マーケティングと事業経営に携わってきたものの意識としては、そういうことになる。

さて「クリエーティビティ」だが――これは単に、広告賞を取れそうなアイディアの斬新性といったようなことだけを意味するわけではなく、前述の「アカウンタビリティ」と切り離すことのできない、“広告主企業の課題実現のための、根拠に裏付けられた洞察に基づく、責任の持てる創造性”といったことになる。
そしてこの要素こそは、エージェンシーが最も力を発揮すべき重要な部分なので、「全米広告エージェンシー協会(いわゆる“4A”)」の重鎮たちもこれについては、こんなことを言っている。

-“広告の創造性は顧客の行動に関する知識によって強化される。顧客のハートを射止め
 るビッグなアイディアは、クリエーティブのプロセスに顧客データの分析・解釈を取り
入れることから生まれる。”(FCBドラフト会長ハワード・ドラフト)
-“顧客データは重要だが、それがそのままクリエーティビティに置き換わるわけではなく、エージェンシーには当然、右脳を使ったアイディアが要求される。だが、データに基づく予測ができれば、自分たちの創造の可能性をさらに拡げて新たな機会を創出することもできる。”(DDBワールドワイド社長チャック・ブライマー)

相応の実績もあげ、何れ譲らぬといった自信に満ちた内容の広告キャンペーンに、まとまって触れたことによって刺激を受け、ツイ、最近ずっと考えていた“広告三題噺”をしてしまった。来月はダイレクト広告の選考会とSP広告の最終選考会があるが、また何かを感じて、ものを言いたくなるかも知れない。

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2009年4月13日 (月)

ニューヨーク、マジソン・アヴェニュー

会員になっているDMA(Direct Marketing Association=米国ダイレクトマーケティング協会)の日刊e-ニューズレターを介して、米欧の主だった総合/専門紙・誌のデジタル版にリンクし、これはと思う記事のイントロ部分を拾い読みしてはクリッピング(つまりプリントアウト)するのを毎朝の日課としている。
後でまとめて熟読するために取りあえずそうするのだが、先月分をチェックしているうちに、“景気低迷がマジソン・アヴェニューの顧客対応姿勢を正す”といった意味の、「ニューヨーク・タイムズ」の記事タイトルが目に入った。“マジソン・アヴェニュー”というと、自分たちマーケティング・広告畑の人間にとっては“米国広告業界”の代名詞になるので、てっきり、この不況下で広告会社が迫られている体質改善の話かと思ったが、そうではなくて、同じ体質改善でも、高級ブランド・ショップの接客姿勢のことだった。同紙にレギュラー・コラムを持つファッション・レポーター、エリック・ウィルソンが書いていた。

「マジソン・アヴェニュー」は、ニューヨークのマンハッタンを5番街とパーク・アヴェニューに挟まれて南から北へ走るワンウエイの通りで、57丁目から85丁目の間は高級ブランド・ショップが軒を連ねる世界有数のファッション・ロードとして一般的には知られているが、これまでは、専ら財力を誇示して金に糸目をつけない買い物をする富裕層が相手とばかり、高価な時計や靴を身に着けていない客は一目見てお呼びでないと目もくれない、店員の高ピーな態度がとかくの評判だった。
それがこの景気低迷で客足がパッタリと止まったため、昨年の年末商戦時期には背に腹は代えられなくなり、それまでは考えてもいなかった30~40%(中には60%さえも)の値引きセールまで実施したが焼け石に水。ようやく、“接客姿勢の改善による良い顧客関係の形成”という本質的な政策に目覚め、店員が今更ながら必死で顧客サービスのセミナーなどを受けて、手のひらを返したように愛想のよい対応を心がけるようになったというので、本当かどうか、エリック・ウィルソンが実地検証に出かけたというわけだ。

セミナーでは、店の前を通りかかった人なら誰にでも、“いらっしゃいませ、中に入ってご覧になりませんか?”と歓迎の言葉をかけて引き留め、使用限度額の大きいプレミアム・クレジットカードを持っている人は“映画スター”のように扱えとまで言っているらしい。かつては人を身なりで判断し、安物しか身につけていない客には“ハロー”の一言も言わなかった「イヴサンローラン」でさえも、すっかり改心したと言われている。
それを確認するため、ウィルソンはわざと、みすぼらし過ぎはしないにしてもごく質素な、スウェットシャツにGパン、スニーカー履きという服装で10軒以上の店を回ったが、ほとんどの店で、無視・軽視されるどころか、以前では考えられなかったような丁重な対応を受けたということだ。

以下は、ウィルソン・レポートの要旨。

「シャネル」では、買う気もないのに4000ドルの時計を腕に当てていたら、店員がにこやかに近づいてきて、“そういったドッシリとした感じのお品を召されていらっしゃいますと、よりご立派な印象を人に与えるということが書かれた本を読んだことがございます”などと、さりげなくこちらの気持ちを擽るようなことを言われたし、「ラルフローレン」で3つのフロアーを見て回ったときには、17人は下らない店員から、“いらっしゃいませ!”“こんにちわ!”“よろしかったらお探ししましょうか?”などと声をかけられ、まるで自分がこの店の常連だったかのような気にさせられた。
「プラダ」では、8タイプのローファーをそれぞれ3種類のサイズで試着したが、店員はいやな顔ひとつせずにずっと付き合ってくれ、やっとサイズの合うものを見つけたけれども値段が695ドルだったため結局買うのを止めたときにも、その丁重な態度は変わらなかったし、「マックスマーラ」の店員も、こちらの格好を見れば買う気も力もないのがわかりそうなものなのに、“母への贈り物に8号サイズの淡い色のコートを探しているのだが”と言ったら、陳列フロアーだけでなくストックルームまで駆けまわって、5分とかからないうちに、どれもそれなりにすばらしい5つのスタイルの品を取り揃えてくれた。

ただ、「グッチ」に入ったときは驚いた。“何かお探しですか?”と声はかかったが、頭の上の2階から。水着を買うについて相談し試着もしたいと思って、ガランとした1階のフロアーで5分以上待っていたのに、その間は誰も姿を見せず。仕方なく自分であれこれ漁っていたが、あまりに奇抜な柄ばかりなので買うのを止めて帰ろうとしたら、さっきとは別の店員が声をかけてきて、“オヤ、まだいたんですか”だと。“いろいろ見てたんだよ!”と答えると、その店員は“見るだけ、見るだけ、見るだけネ...”と言って、頭を振りながら立ち去って行った。“クーッ!...”この店には不景気の影響はなかったのだろうか?
そんな思いもさせられたので、グッチのディザイナーだった「トムフロイト」の店でも、最悪の事態も起こりかねないと覚悟していたら、実際はその逆だった。入ったとたん、人品卑しからぬ紳士から“何かお飲み物はいかがですか?”と聞かれ、“ミ、水で結構です”と答えると、すかさず“炭酸の入ったのがよろしいでしょうか?それとも...”と聞き返され、1分もたたないうちに銀盆にうやうやしくハイボールグラスを載せてやってきた執事ふうの店員からさらに、“レモンとライムのどちらをお添えしましょう?”と尋ねられた。結局そこではドレスシャツのディスプレーを褒めまくっただけで、コソコソと店を出たが、さすがに、自分の方があまりにも図々しく失礼ではなかったかという気がした。

...と、彼は、マジソン・アヴェニューのブランド・ショップのあまりの変貌ぶりを面白可笑しくレポートしていたが、自分はこういった欧州系の店には縁も関心もなかったから、以前がそんなに酷かったとはツイぞ知らなかった。同じマジソン・アヴェニューでも、最近までときどき買い物をしていた60丁目の「DKNY」や57丁目の「コーチ」などは、昔からごく当たり前に親切だったので...。
ニューヨークにステイしていたころによく行っていたのは、もっと下った44・45丁目付近。アメリカン・トラッドが好きなので、「ブルックスブラザーズ」をはじめ、「Jプレス」「ポールスチュワート」「Jクルー」などが集まっているこのエリアは便利だった。中でも「ブルックス」は、もとアイヴィー・リーガーとそのガールフレンドといった年配の小父さんや小母さんの店員がいて、お洒落談義をしながら楽しく買い物ができたので、ここの本店だけでなく、5番街、旧ワールドトレードセンター前、シカゴ、ボストン、サンフランシスコなどの店にも、機会があった度に立ち寄ったものだった。

日本でもこの世界的景気低迷の影響で、高級ファッション・ブランドの販売が急速に落ち込み、昨年末から「ルイヴィトン」「カルティエ」「フェラガモ」「クリスチャンディオール」などが相次いで、ほぼ全品7~10%の値下げに踏み切った。家内のところにも「コーチ」から、何と“20%割引セール”(特定の品だけだろうが)の招待状が送られてきた。
いくらブランド信仰国の日本でも、この落ち込みは一時的な割引戦略だけで解決するとは思えないが、そのあたり彼らはどう考えているのだろう?一方でのユニクロやH&Mの盛況をどう見ているのだろうか?この未曽有の不景気は良い教訓になったのか?それとも、のど元過ぎたら熱さを忘れてしまうのか?ニューヨーク・クタイムズのレポーターは何も意見めいたことは言っていなかったけれども、また何ごともなかったように元に戻られては敵わないと思っているに違いない。

そういえば、昨年は家の建て替えでそれどころではなかったが、最後にニューヨークを訪れてからもう1年半以上経つ。想像するに、強欲が過ぎて世界的経済危機の元凶となったビジネスの核心部は、まだまだ立ち直れずにいるようだが、それでもきっとこの街の大多数の人々は希望を捨てずに、毎日をまともに逞しく生きているはずだ。
ニューヨークとはそんな、何かがあっても決してそれによってへこたれてしまうようなことのない、不思議な活力のある都市。理解し難い価値観の街マジソン・アヴェニューには特に用はないが、これからも元気な限り何度でも、この地を訪れたいと思う。

秋が深まり、パーク・アヴェニューのナナカマド並木が真っ赤な実で彩られるころにでも...。

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2009年4月 6日 (月)

望春の清里

例年より一足早く、清里の山荘へ行ってきた。いつもだと、平地のソメイヨシノがすっかり散ったころに出かけ、中央道沿線の山々の白い山桜を眺めながら走って、標高700~800メートルの長坂・大泉あたりでもう一度お花見をするのだが、今年は横浜が2~3分咲き程度で出発して、戻ってきてもまだ5~6分、ここにきてやっと満開になった。
早く出かけたのには訳がある。昨年は自宅の建て替えで、夏から冬にかけて半年近く山荘で暮らしていたが、その際に持って行った秋~冬(冬~春でもある)の衣服類を、暮れに新居に帰ってくるときにまるまる置き忘れてきたので、まずは、それを急ぎ持ち帰りたかった。また、山荘ではあまり役に立っていなかったが新居では使えそうな、籐椅子やキッチンワゴンなどの小家具類を運んできたいという思いもあった。

今回は出かける当日まで、ムッシュを連れて行くかどうか迷っていた。本年度初めての山荘行とあって、到着したとたんにいろいろと作業をしなければならないし、帰りも車いっぱいに荷物を積み込むことになるから、彼にとっては必ずしも嬉しいことではないだろうと考えて...。お馴染みのペット・ホテルに預けて行こうかとも思っていたのだが、いざとなるとそれも可哀そうだし自分たちも淋しいと、結局、連れて行くことに。
賢いもので、こちらがどうしようかと思いあぐねつつ朝から出かける用意を始めていると、彼も敏感にその雰囲気を察知して、ママとパパを交互に見上げながら足元をウロウロ、訴えるような瞳をするので、とても独りおいてゆくわけには行かなくなってしまった。

かくて2人と1匹、ふだん通りの日課も済ませ、成行きまかせでブラブラと遅めの午後に出発。同じ行き先に向けて同じコースを辿りながら、フッと、あの息も絶え絶えだった去年の夏を思い出したが、十分癒えたいまでは、あれは遠い日の夢だったような気さえする。また、本宅から別宅へ向かっているのに、まるで懐かしい田舎の実家にでも帰省するかのような心境になるのはどうしてだろう?新居での暮らしはまだ3ヵ月半だが、昨年は半年近くをずっと山荘で過ごし、身も心もそこに馴染んでしまったからだろうか?
ともあれ、久し振りのことではあるので、水抜き口の閉栓、各ブレーカーのスイッチオン、水道元栓・ガス・オイルなどの開栓、水回り各部の凍結・漏れなどの有無の点検、ボイラーや床暖房の始動など、クローズのときとは逆の作業をしなければならない億劫さはあったが、半面、住み慣れた家に戻るような気楽さもあった。

清里といっても標高1400メートルの高みにある我が山荘の季節感は、平地のだいたい2ヵ月遅れ。だから3月末や4月の初めはまだまだ寒い。清里の森のホームページで気象記録を見ても夜間から朝にかけては氷点下の日が続いていたので覚悟はしていたが、横浜自宅を出たときには2ケタ台だった気温が長坂インターで中央道を下りるころから1ケタ台になり、さらにどんどん下がり続けて、山荘に到着したころはついに0度にまでなった!
夜目でよくは見えなかったが、家の前の道の路肩や玄関ポーチ軒下、横庭の北側斜面などには、まだ少し雪が溶け残っていたようで、車から降りて寒風に晒されると、半端ではない冷気が肌を刺した。

そんな中、自分は屋内と地下室を何度も往復して、すべての排水栓を閉め戻し、水道・ガス・オイルの元栓を開け電源をセット。家内は急いで暖炉を焚き、ボイラーと床暖房をスイッチオン。どこも水漏れはしていない、カランから水も湯もチャンと出る、床も暖まってきた...と、一通りの点検を済ませて、やっと一息ついた。
クローズ時にはチャンと水抜きをしたつもりでも、どこかが凍結して破裂したりしていないか、電気系統は大丈夫か...などと、毎年、ここに戻ってくるまで心配しているが、今年も無事で、ひとまず安心した。そういうことがなくて当たり前なのだが、山荘を建てて数年は、いつも何か一つぐらい忘れたり、見落としをしたりして、春のオープン時に、水が出ない、暖房が利かない、などという騒ぎを繰り返していた。

その晩は2人ともヘトヘトに疲れてしまい、まともに食事する気にもなれず、途中談合坂SAのリトルマーメイドで買ってきたサンドイッチを熱いミルクティーで流し込んだだけ。部屋が暖まってくるにしたがって猛烈な眠気に襲われ、テレビを見る気も話をする気も起こらなくなり、それぞれ早々と2階の自室に引き上げた。
眠りにつく前、目の隅で天窓を見上げると、屋根にも雪が残っていることに気がつき、改めて寒気の厳しさを認識したが、天気予報では翌日は晴れて温度も上がるということだったので、目が覚めるころにはそれも溶けてなくなっているだろうと勝手に想像していた。

ところが翌朝、どうも室内が暗い。カーテンを開けていないからかと思ったが、それだけではないようだ。眠い目をこすりながら上を見ると、天窓が全面雪に覆われているではないか。ン?と思って起き上がり、眼下の裏庭を見ると、そして表側にまわって前庭を見ても、地面もベランダも車の屋根も一面真っ白になっていた。空は確かに青く晴れ上がってはいるが、どうやら昨夜のうちに降ったらしい。
ムッシュに朝の散歩をさせるため外へ出ると、積雪というほどには当たらない1~2センチのパウダースノーで、朝日の当たるところから溶けて行く様子。陽が高く昇るにつれ、軒先のツララもポタポタ水を垂らして痩せ出した。清里はまだ冬から完全に抜け切っていたわけではなかったが、それでもやはり、春は確実に近づいているようだった。

冬から完全に抜け切らない清里 午後には、以前からの残り雪は別として、昨夜の雪はあらかた溶けてしまった。そこで、折角だから家の中に籠ってばかりいないで出かけてみるかということになり、まずは清泉寮のパン工房へ。ここは、食パンも美味しいがデニッシュやジャム類がまたいいと、家内はお土産を含めてしこたま買いこんだ。ムッシュが店内に入れないので、自分は一緒に外で遊んでいたが、シーズンオフのためか建物の周りには人影もなく、広い庭の向うで、夕暮れの八ヶ岳が逆光の中に黒ずんでいた。
ちょっと時間が早かったが、ついでに夕食も済ませて帰ろうと、その足で藤乃家へ。冷えた体を中から温めたかったので、たまには汁ソバもいいかと“八ヶ岳きのこそば”なる特別メニューを注文したら、これが大正解。いいダシが出ていて実に美味かった。

雄大なパノラマ ...と、それぐらいで、とりたてて何もしないうちに時間が経ち、帰る日がきた。でもまずまずの天候だったし、束の間の滞在ながら山荘開きも恙無く終え、未だに冠雪したままの八ヶ岳・富士・南アルプス・奥秩父の山々の雄大なパノラマも、久し振りに目に収めることができた。
昨年末の帰り支度とは違ってのんびりと、しかしこんどは忘れずに衣服・小家具類もみな積み込んで、山荘を後にしたのはやはり来るときと同じ午後だったが、帰り道は甲府盆地一面の桃畑が、麗らかな陽の光に映えて美しかった。たぶん、濃密な春の香りが漂っていたのだろうが、無粋な花粉症マスクの内側までは届いてこなかったのが残念だった。

清里の森が本格的な春になるまでは、あと暫くかかりそうだ。

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