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2009年3月23日 (月)

お山の杉の子――回顧録的花粉症考

ツイこの間まで、まだまだ寒いとコボして鍋物の話などをしていたが、このところポカポカ陽気の日が続き、一気に春めいてきた。よくしたもので、お彼岸のころになると、季節はチャンと帳尻を合わせてくる。
どこかへ出かけるにも、もうオーバーコートまでは要らなくなり、ムッシュとの散歩も、軽装で済むようになった。寒いときにはこわばり気味だった体も少しずつほぐれてきて、何となく元気が漲ってくるような気もするこの季節なのだが、唯一憂鬱なのが花粉症。毎年いまごろになると一度はブログ上でボヤいているが、今年もどうやら、杉花粉の飛散がピークに達する時季になっているようだ。

花粉症の患者が急増し季節の話題として取り上げられるようになったのは1970年代の半ばころからとか言われているが、そのころの自分はまったく何ともなく、その辛さがまだわからなかった。けれども、20年ほど前のある春に突然発症し、以来ずっと悩まされっ放し。
クシャミ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみに涙ポロポロなどが典型なのは同病諸氏のご承知のとおりだが、今年の自分はそれらの症状に加えて、外出後の皮膚露出部分(特に顔面・耳)のチクチク感がひどい。マスクとサングラスは忘れないようにしているのだが、ムッシュとの散歩から帰ってきたときなどは、彼に引っ張られるようにして家の中に入るため、言われている通りイチイチ衣服をはたいていられず、洗顔もすぐにはできないので、そのまま忘れてしまって後で苦しんでいる。

テレビの画面などで黄色い杉花粉が一斉に飛ぶ様を見たりすると、それだけでもうアチコチが痒くなるような気がするのだが、あんな杉林の中で暮らしているわけでもないのに、どうして花粉にまとわりつかれるのだろう?一体アレはどこから飛んでくるのだろうか?と考えてしまう。いま住んでいるエリアを目の届く限り見渡してみても、杉の森や林はおろか、並木や木立と言えるほどのものも見えないのだが...。
と訝っていたら、何と、微粒で軽い杉の花粉は、風に乗って200キロ離れたところからも飛んで来るという話を聞いた。この辺から200キロというと、静岡県の浜松、長野県の松本、新潟県の湯沢、福島県の白河あたりになると思うが、そんなところからもはるばる飛来してくるわけだ。

実は、自分の生まれ育ったのも福島県。といっても阿武隈高地の北西端に近接した小さな町だが、そこにはふつうに、いたるところ杉の木が生い茂っていたので、もしそのままずっと住んでいたら、もっと早くから花粉症の症状が出ていたかも知れない。イヤ、逆に免疫ができて、そんな苦労をしないでも済んでたりして...。
福島県に限らないが、全国どこへ行ってもまず、山があれば杉の木がビッシリと生えている。だがこれは、偶然とか自然だけのなせる業ではない。戦後、産業・経済復興政策の一環として、成長が早く用途の広い杉の育成が着目され、ある時期盛んに、国策としての植林が行われたことの結果なのだ。

自分にも、それについて忘れられない記憶がある。まだ小学生のころに、教師の引率で、決して近いとはいえなかった町外れの半禿山まで徒歩行させられ、数日間にわたって、急斜面に杉苗を植える作業を強いられたのだが、終戦直後の食糧不足でロクに体力のなかった身には、いやで辛くてならなかった。
その山は、小学校の校舎を囲む城址の土塁に登ると真東に見え、先端が尖ったピラミッド型をしていて“トゲモリ”山と呼ばれており、夕刻になるとその背後から月が昇ってくるところから“吐月森”という風流な字が当てられていた(正式には“尖杜”と書くらしい)。まあ、山名の由来談はともかく、その特徴ある山容が好きで、幼いころから朝夕よく眺めていたのだが、この植林以来、あまり向かい合いたくない山になってしまった。

そのころの記憶と一緒に浮かんでくる歌がある。「お山の杉の子」という、終戦直前に“少国民歌”(言うなれば“小学生のための戦時唱歌”)として発表されたが、戦後になって歌詞が一部補・改作されて小学校の音楽教科書にも載ることになり、後年“歌の小母さん”になる安西愛子が音楽学校在学中に歌い、ラジオを通じて全国ヒットした歌だ。

昔 昔 その昔 椎の木林の すぐそばに 
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主のはげやまは いつでもみんなの 笑いもの 
これこれ杉の子 おきなさい お日さまにこにこ 声かけた 声かけた

一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いい)、六(むう)、七(な)
八日 九日 十日たち にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して はいはいお日さま 今日は 
これを眺めた 椎の木は あっははの あっははと 大笑い 大笑い

こんなちび助 なんになる びっくり仰天 杉の子は 
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた なんの負けるか いまにみろ 
大きくなったら みなのため お役に立って 見せまする 見せまする

(吉田テフ子作詞/サトーハチロー補作詞/佐々木すぐる作曲)

歌詞はこの後6番まであって、終戦時に小学生だった年齢の人ならたいてい、上掲の3番あたりまでは覚えているのではないかと思うのだが、その明るく元気な感じのメロディーの割には、自分はこの歌を好きになれなかった。
明らかに国策植林の推進ソングとして、小学生の勤労奉仕とペアで、それに対する士気高揚のために歌わせられているということを子供なりに感じていたのと、歌詞のあちこちに微妙にひっかかるところがあり、無心に楽しく歌うことができなかったからだった。

杉の木自体にはもちろん、何の恨みもない。それどころか、天然の杉に覆われた里山や、杉木立の中の寺や神社は、昔の田舎では当たり前だったから、自分たちの子供のころは、杉の実を詰弾にした杉鉄砲をつくって遊んだり、杉の葉を振り回して山歩きのときの虫除けにしたり、ずいぶん杉には親しんでいた。
無塗装のシンプルでナチュラルな杉積木は昔から玩具の定番だったし、杉板で作られた筆入れや本箱、杉軸の鉛筆など、物資の乏しかった時代には学用品の素材としても杉は使われていた。鉛筆は、木質が柔らかいためナイフの刃が喰い込み過ぎて、なかなかかたち良く削れなかったのを覚えている。

しかし、あれから60年経ったいま、安価な輸入材に押されて杉材の需要は伸びず、その年間生産量は需要量をはるかに上回っているらしく、限界まで成長した杉の子たちは、毎年いたずらに花粉をまき散らすのみで、間伐しようにも人手と費用が追い付かないという。
子供のこととて訳もわからぬままだったから、自分自身の責任ではないにしても、結果的にこういう問題プロジェクトに参加してしまったことのツケが廻り廻って、いまこうして苦しんでいるのは何たる人生の皮肉だろうか...。

今日もまたそのために、頭がボーッとしていて、杉花粉ではないが話が四方八方に飛んだ。

春が待ち遠しかったはずだったが、こうなると早く過ぎて欲しいとも思わないでもない。まったく勝手なもので...。

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