« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月30日 (月)

顧客の気もちの読めない面々

先週は、一消費者としてはきわめて不愉快で、かつ、日ごろマーケティングについてあれこれ言わせてもらっている立場からも見過ごせないことが、立て続けに2回もあった。
その1はクレジットカード会社の、その2はファーストフード会社のケース。前者はコールセンター、後者は店舗という、何れも、いわゆる“顧客接点”での問題だ。

まずは<カード会社N>の場合。もともとは信販系最大手だったが、現在ではメガバンク傘下の銀行系カードになっている企業。第一線を退いて、AカードやDカードを高額な年会費を支払ってまで使い続ける必要がなくなって以来、比較的低会費の割には利用限度額の高いカードとして重宝していた。
けれども最近、よく利用するT屋百貨店のカードもNと提携したので、同じNを2枚も持っている意味がなくなり、年会費のかからないT屋カードの方を生かして以前からの有料カードを退会することにし、今年の1月に電話で手続きをした。

クレジットカードの会員に限らず、コンピューターのソフトウエアなど、こちらから連絡をしないと契約が自動更新され、いつの間にか支払口座から会費や利用代金が引き落とされるという取引のかたちはけっこう多いが、こういう退会あるいは継続中止の申し込みをした場合、必ずしも、何らかのかたちでの確認通知が発行されるわけではない。
このカードの場合も、“この電話で確かに承りました”ということで、特段の確認通知がなかったのが心もとなかったが、AカードやDカード退会のときにはそれでその後は何もなかったので(当たり前だが)、まさかこんなことが起きるとは思ってもいなかった。が...

2か月以上前に退会手続きが受理されたので使っていなかった(というよりも破棄してしまったので使えるわけがなかった)はずのNカードから、「2009年3月分ご利用代金請求書」なる封書が届いたのだ。開封してみると、向う1年間の会費で、1週間後に指定口座(これは他にも使っているから現存)から自動引き落としされるという。
まったく予想もしていなかったことだったので、一瞬、自分が何か手続きを間違えたのか、それともボケてしまって手続きをしたつもりになっていたに過ぎなかったのかという錯覚に陥ったが、気をとり直して記憶をたどり、その何れでもないことを確信したので、N社のコールセンターに電話をしてみることに。

しかし、それからが大変だった。まず、その請求書に記載されている連絡先(局番から判断するとこの地域の会員に特定したコールセンターらしい)に電話しようと思ったが、説明をよく読んでみると、どうやらそれは会員向けのIVRサービス(自動音声応答システム)で、カード番号と暗証番号がわからないと顧客サービス係との直接会話に進めないことがわかった。だが、そのカードはとっくに破棄してしまったし、もちろん番号を覚えているわけもないから、どうしようもない。
ので、こんどは、別のNカード、つまりT屋カードの裏面に虫眼鏡でないと見えないような小さな文字で記載されている番号(「Nカード東日本コールセンター」とあった)にかけてみることに。しかし、何度ダイヤルしても通話中でつながらない。N社ホームページ上で番号を探そうとしたがやはり同じこと。そこで最後の頼みと着目したのが、カード盗難・紛失専用の緊急電話(これだけがフリーダイヤル)だが、これまたつながらず!

でも、ここであきらめては事は解決しないと、それから1時間以上、根気よくこの両方の番号に交互にダイヤルし続けた結果、やっとフリーダイヤルの方につながった。事情を話すと、そこでは対応できないということではあったが、地域の顧客サービス係直通の電話番号がわかり、やっと話の入り口に辿りついた気分になった。
その番号は、一般にオープンしていないのか、何と一発でつながり、電話に出たのも口調から判断して年配の管理職といった感じの男性。で、そこでまた事情を説明して、一体どうしてこんなことが起こったのか、調べてもらうことにした。

そして待つこと数分...来ました、返事が。Oh!ジーザス・クライスト!確かに、こちらが記憶している時期に、退会申し込みを受け付けた記録があるが、結果として会員データベース上での処理ができていなかったため、そのまま請求書が発行されてしまったという。電話を受けた係員が会員データ管理の方に連絡するのを忘れたのか、それとも連絡を受けたデータ管理の係員がファイルから削除するのを忘れたのか?いずれにしても、通常では考えられない“まさか...”に遭遇してしまったようだった。
おまけに引き落としの方は、すでに銀行に依頼済みで最早ストップできないので、一たん引き落とし、後で振り込み直すとのこと。一体、何をやっているんだか...。管理職氏は平謝りはしたものの、やはり原則的にいちいち退会確認書は発行しないことになっており、これを以って改めて退会手続きに替えたいと言っていたが、こちらとしても、こんなことは2度とゴメンだから、あくまでも“退会確認書”の発行を要求したところ、渋々承諾。しかし、もう1週間経ったが、いまのところそれはまだ、自分の手許に届いていない...。

次は<ハンバーガーのM>。イニシアルがMのところは2社あるが、外食ビジネス最大手の方だ。バーガーが特別好きなわけではないけれども、夫婦ともベーグルやマフィンなどでサンドイッチしたアメリカンな軽食が嫌いではないので、ブランチにしたいときに、時たま近所のショップまで出かけて、朝食メニューをテークアウトしてくる。台所に立つほどの器用さもない自分ができる、せめてもの家内の家事負担軽減という意味もある。
利用するのは、いつもというわけではなく、これなら食べてもいいかなと思えるメニューのお徳用クーポンが新聞折り込みに入っているときで、その朝は自分の好きなエッグ&ソーセージ・マフィンがあったので、散歩がてら買いに行こうかという気になった。

自分の家で食べるのだから本来ドリンクは不要だったが、セットでないと買えないので取りあえずジンジャーエールをチョイス。午前の比較的空いている時間だったが、新人研修を兼ねていたらしく、だいぶ待たされた後に、家内の分(は違うメニュー)共々2つの紙袋を受け取って家に戻った。念のためレシートを見て、また袋の上から触ってドリンクのカップが入っていることもチェックし、注文した通りであることを確認したつもりだった。
ところが、帰宅してドリンク・カップを取り出し、横に付いていたストローを蓋に突き刺して一口啜ったら...予期していた味と違う。何と、アイス・カフェオレだった!不味かったわけではないが、コーヒーは朝飲んだばかりだし、いま飲みたいと思っていたものではなかったので、それ以上は口をつけなかった。

たかがセットもののドリンクのことだから、目くじらを立てるほどのこともなく、放っておこうかとは思ったが、注文に基づくレシートの記載は正しかったのに客に引き渡す商品が間違っていたわけで、店内の作業プロセス上で何らかの問題があったのは明らかであり、もしかしたらもう一人、迷惑している人がいるかも知れないとも推察して、一応、店には言っておこうと考えた。何れにしてもミスはミスだし、あってはならないことなのだから。
ただ、そのためにまた直ぐ、わざわざ店に足を運ぶのも面倒だし、それほど急ぐことでもなかろうと思い、後でその店があるスーパー・ストアに行く用事があるからそのついでに寄ってくるという家内に託すことにした。

夕刻、家内が憤慨して帰ってきた。Mの店員(女性)は失礼にも程があるというのだ。この件についての経緯を話し、注意を促したところ、“済みません”でも“失礼しました”でもなく、“じゃあ、ジンジャーエールに取替えればいいんですか”とホザいたそうな。店の間違いで迷惑をかけられた上そんな対応をされたら、誰だって怒る。
普段はクールな家内もさすがにたまりかね、“客に迷惑をかけておいて、そういう言い方はないでしょう”と感情を露わにしたら、やっと、奥で話を聞いていた責任者らしき男性が出てきて口添えし、そこで初めてその店員は“済みませんでした”と言ったそうだ。こちらもヒマなわけではないから、いつまでもそれに時間を費やしていられないと家内は帰ってきたが、取りあえずと持たされてきた代りのジンジャーエールも、カップの蓋の閉め方がいい加減だったらしく、中身はあらかたこぼれて、紙袋がグチャグチャになっていた。

いわれのない侮辱を受けた思いだった家内は、帰宅後改めて店に電話をかけて、作業ミスはともあれ客対応が問題ではないかと抗議し、かの女性店員と責任者と称する男性の名前を聞き出していたが、先方は、こちらがどこの誰なのかを知ろうともせず、とにかく謝って、その場限りのことにしたい様子だった。
そうなるとこの件はなかったことにされてしまい、何の教訓にもならず、また繰り返されるおそれもあると思って、ともかくMの本部に電話して事実関係を通知し、見解と対応策を聞く気になった。

電話番号を調べようとMのホームページを開き、通常のサイトならトップページの最上段にあるはずの「問い合わせ・ご要望」のボタンを探した。が、見つからない。「会社情報」に含まれている場合もあるのでそこも開いてみたが、やはりない。もしや?と思い「よくあるご質問」を開いてそのページの一番下までスクロールしたら、やっと「フリーダイヤル」が見つかったけれども、取り扱い時間が週日の9時~17時ですでにクローズ。で、細かいことを書くのは面倒だったが、そこに用意されていたメール・フォームで送信した。
返信の要求はしておいたが念には念をと、翌朝電話でフォローアップ。メールと同じ内容を伝えると、予想していた通り、慇懃であまりにも流暢過ぎる型通りの詫びの言葉。翌日のメール返信も、“従業員の対応で不快感を持たれたことは申し訳ない”、“これまでも従業員教育にはつとめてきたが今後このような不手際のないように努力する”、“お詫びするとともにご意見を感謝する”...と、顧客苦情への返答文例集にでもあるような内容で、何の具体性もない。差出人も責任ある個人ではなく「お客様サービス室」で、ぜんぜん感情修復ができた気はしなかったが、それ以上追及するのも時間の浪費と思って止めにした。

さて、今回を読んでくださった方は、この2件の経緯から何を感じられただろうか?店舗やコールセンターなど客対応の第一線にいる係員の基本的な教育、ミスや問題の発生を最小限にする作業プロセスとシステム、トラブルが発生した際の最適な対処方法、良くも悪くも経験からの学習...などの必要性を当然指摘されるだろうが、自分はそれに加え、“企業の顧客に対する基本的な姿勢”、その表れとしての“企業ウエブサイトのあり方”などに対しても、問題提起をしておきたい。
この2社だけではないが、世の中にはどうも、まだまだ“Customer Centric”(顧客本位)でない、“Customer-friendly”(顧客に親切な)には程遠いサイトが多過ぎるということだ。
何かあったときどこに電話すればいいかわからない、かけるべき電話番号を探そうとしてもなかなか見つからない、かけてもかけてもつながらない、苦情回避や経費節約のためかフリーダイヤルになっていない、手間を省くためできるだけIVR(音声応答システム)やメールで対応しようとしている...等々、今回の経験から、そんなことを感じてしまった。

共感してくださる方もいると思うのだが、企業側はどう受け止めるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月25日 (水)

【番外編】 WBC優勝、目出度し‼

この2日というもの、テレビ実況に釘付けになり、スポーツ・ニュースでもまた、それを反芻していた。その時間は他のことはそっちのけ...。
笑われるかも知れないが、年甲斐もなく、もと高校球児の血が騒ぎ、イチローやダルビッシュになったつもりで、チャンスやピンチにはテレビの前でシャドウスイングやシャドウピッチングしながら見ていた。力が入り過ぎて肩が凝ってしまった。

でも実は、正直言うと今回は、北京オリンピックのことや監督選びのゴタゴタなどもあって、始まるまでは横目で見ていたのだが、だんだん熱くなってきた。
日本のプロ野球に興味が冷めかかってよく認識していなかった、青木や村田や川崎や中島をはじめとする若い選手たちの顔も、今回でしっかり覚えたし、彼らを見直した。こうなってみると、サムライ・ジャパンというニックネームにも、抵抗感がなくなった。

前回のWBCを06年3月28日に書いたときのようにあまり深く思い入れをせず、よくできたアクション・サスペンスドラマを楽しんだような充足感がある。

久しぶりに、元気をもらった。サムライ・ジャパン有難う!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

お山の杉の子――回顧録的花粉症考

ツイこの間まで、まだまだ寒いとコボして鍋物の話などをしていたが、このところポカポカ陽気の日が続き、一気に春めいてきた。よくしたもので、お彼岸のころになると、季節はチャンと帳尻を合わせてくる。
どこかへ出かけるにも、もうオーバーコートまでは要らなくなり、ムッシュとの散歩も、軽装で済むようになった。寒いときにはこわばり気味だった体も少しずつほぐれてきて、何となく元気が漲ってくるような気もするこの季節なのだが、唯一憂鬱なのが花粉症。毎年いまごろになると一度はブログ上でボヤいているが、今年もどうやら、杉花粉の飛散がピークに達する時季になっているようだ。

花粉症の患者が急増し季節の話題として取り上げられるようになったのは1970年代の半ばころからとか言われているが、そのころの自分はまったく何ともなく、その辛さがまだわからなかった。けれども、20年ほど前のある春に突然発症し、以来ずっと悩まされっ放し。
クシャミ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみに涙ポロポロなどが典型なのは同病諸氏のご承知のとおりだが、今年の自分はそれらの症状に加えて、外出後の皮膚露出部分(特に顔面・耳)のチクチク感がひどい。マスクとサングラスは忘れないようにしているのだが、ムッシュとの散歩から帰ってきたときなどは、彼に引っ張られるようにして家の中に入るため、言われている通りイチイチ衣服をはたいていられず、洗顔もすぐにはできないので、そのまま忘れてしまって後で苦しんでいる。

テレビの画面などで黄色い杉花粉が一斉に飛ぶ様を見たりすると、それだけでもうアチコチが痒くなるような気がするのだが、あんな杉林の中で暮らしているわけでもないのに、どうして花粉にまとわりつかれるのだろう?一体アレはどこから飛んでくるのだろうか?と考えてしまう。いま住んでいるエリアを目の届く限り見渡してみても、杉の森や林はおろか、並木や木立と言えるほどのものも見えないのだが...。
と訝っていたら、何と、微粒で軽い杉の花粉は、風に乗って200キロ離れたところからも飛んで来るという話を聞いた。この辺から200キロというと、静岡県の浜松、長野県の松本、新潟県の湯沢、福島県の白河あたりになると思うが、そんなところからもはるばる飛来してくるわけだ。

実は、自分の生まれ育ったのも福島県。といっても阿武隈高地の北西端に近接した小さな町だが、そこにはふつうに、いたるところ杉の木が生い茂っていたので、もしそのままずっと住んでいたら、もっと早くから花粉症の症状が出ていたかも知れない。イヤ、逆に免疫ができて、そんな苦労をしないでも済んでたりして...。
福島県に限らないが、全国どこへ行ってもまず、山があれば杉の木がビッシリと生えている。だがこれは、偶然とか自然だけのなせる業ではない。戦後、産業・経済復興政策の一環として、成長が早く用途の広い杉の育成が着目され、ある時期盛んに、国策としての植林が行われたことの結果なのだ。

自分にも、それについて忘れられない記憶がある。まだ小学生のころに、教師の引率で、決して近いとはいえなかった町外れの半禿山まで徒歩行させられ、数日間にわたって、急斜面に杉苗を植える作業を強いられたのだが、終戦直後の食糧不足でロクに体力のなかった身には、いやで辛くてならなかった。
その山は、小学校の校舎を囲む城址の土塁に登ると真東に見え、先端が尖ったピラミッド型をしていて“トゲモリ”山と呼ばれており、夕刻になるとその背後から月が昇ってくるところから“吐月森”という風流な字が当てられていた(正式には“尖杜”と書くらしい)。まあ、山名の由来談はともかく、その特徴ある山容が好きで、幼いころから朝夕よく眺めていたのだが、この植林以来、あまり向かい合いたくない山になってしまった。

そのころの記憶と一緒に浮かんでくる歌がある。「お山の杉の子」という、終戦直前に“少国民歌”(言うなれば“小学生のための戦時唱歌”)として発表されたが、戦後になって歌詞が一部補・改作されて小学校の音楽教科書にも載ることになり、後年“歌の小母さん”になる安西愛子が音楽学校在学中に歌い、ラジオを通じて全国ヒットした歌だ。

昔 昔 その昔 椎の木林の すぐそばに 
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主のはげやまは いつでもみんなの 笑いもの 
これこれ杉の子 おきなさい お日さまにこにこ 声かけた 声かけた

一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いい)、六(むう)、七(な)
八日 九日 十日たち にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して はいはいお日さま 今日は 
これを眺めた 椎の木は あっははの あっははと 大笑い 大笑い

こんなちび助 なんになる びっくり仰天 杉の子は 
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた なんの負けるか いまにみろ 
大きくなったら みなのため お役に立って 見せまする 見せまする

(吉田テフ子作詞/サトーハチロー補作詞/佐々木すぐる作曲)

歌詞はこの後6番まであって、終戦時に小学生だった年齢の人ならたいてい、上掲の3番あたりまでは覚えているのではないかと思うのだが、その明るく元気な感じのメロディーの割には、自分はこの歌を好きになれなかった。
明らかに国策植林の推進ソングとして、小学生の勤労奉仕とペアで、それに対する士気高揚のために歌わせられているということを子供なりに感じていたのと、歌詞のあちこちに微妙にひっかかるところがあり、無心に楽しく歌うことができなかったからだった。

杉の木自体にはもちろん、何の恨みもない。それどころか、天然の杉に覆われた里山や、杉木立の中の寺や神社は、昔の田舎では当たり前だったから、自分たちの子供のころは、杉の実を詰弾にした杉鉄砲をつくって遊んだり、杉の葉を振り回して山歩きのときの虫除けにしたり、ずいぶん杉には親しんでいた。
無塗装のシンプルでナチュラルな杉積木は昔から玩具の定番だったし、杉板で作られた筆入れや本箱、杉軸の鉛筆など、物資の乏しかった時代には学用品の素材としても杉は使われていた。鉛筆は、木質が柔らかいためナイフの刃が喰い込み過ぎて、なかなかかたち良く削れなかったのを覚えている。

しかし、あれから60年経ったいま、安価な輸入材に押されて杉材の需要は伸びず、その年間生産量は需要量をはるかに上回っているらしく、限界まで成長した杉の子たちは、毎年いたずらに花粉をまき散らすのみで、間伐しようにも人手と費用が追い付かないという。
子供のこととて訳もわからぬままだったから、自分自身の責任ではないにしても、結果的にこういう問題プロジェクトに参加してしまったことのツケが廻り廻って、いまこうして苦しんでいるのは何たる人生の皮肉だろうか...。

今日もまたそのために、頭がボーッとしていて、杉花粉ではないが話が四方八方に飛んだ。

春が待ち遠しかったはずだったが、こうなると早く過ぎて欲しいとも思わないでもない。まったく勝手なもので...。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月16日 (月)

マイ・パソコン...その後

<祝>カムバック!! 自分で祝ってりゃあ世話はないが、予想よりも早くここに戻ってくることができたのでツイ嬉しくなってしまって...。

我がパソコンは、1月19日に報告した後も相変わらず調子が悪くて悪くて、薄氷を踏むような思いをしながら使っていたが、先々週の記事をアップした後、電源を入れたまま小一時間外出し戻ってきたら、画面が真っ暗になっていた。省電力やスリープの状態ではなく、どうやっても明るくならず、角度を変えて光を当ててみると、かすかにデスクトップの画面が見えるが、アイコンの絵柄や文字はとても読み取れない。でも、だいたいの位置で覚えていたメールやインターネットのショートカット・アイコンをクリックしてみると、それまでと同じように時間がかかりはするものの、画面は開くのがわかった。
ンー...この状況、どこかで経験した記憶があるゾ...と考えてみたら、前機の終末がそうだった。やはりこれと同じS社のVで、約2年半前のこと(その顛末は06年7月20日ご参照)。だがそのときは、極小型ノート(これもS社のVでカメラ機能がついていることなどで一時話題になったヤツ)に繋げて使っていた14型のディスプレーが手元にあったため、それに接続して使うことで作業には穴を開けずに済み、しばらくはそうしていたが、結局、“修理には10万円くらいかかるし、いっそ買い替えては?”というS社カスタマーリンクの兄ちゃんの甘言に乗せられ、同社Sスタイルの通販で新品を買ってしまった。

前のモデルは、それでも4年は保った勘定になり、そんなものかも知れないとまあまあ納得していたが、今回はそういう状態になるのがいささか早過ぎた気がし、もしや回復してくれるのではと一縷の望みを抱いて、ヘルプデスクにサポートしてもらいつつ何度も、さまざまなリカバリーを試みた。しかし、どうやってもダメ。前と同じく、“ディスプレーの液晶バックライトの寿命が尽きたのだと思いますが、修理をいたしますので送ってください”ということになった。とうに保証期限が切れている(メーカー自身の通販だったから量販店で購入した場合のような延長保証の制度もない)ので当然有償、やはり7~10万円で、前後10日間ほどかかるということだった。
こんなに早く、こんなことになるとはまったく思っていなかったから、例のディスプレーはずっと清里の山荘に置いたまま(接続ケーブルも)。それがあれば当座は何とか凌げるのにと思ったが、まだまだ寒い中それだけのために清里まで出かけるのもシンドく、修理に出すか、はたまた買い替えるかの択一を迫られることになった。そしてどちらにしても、データのバックアップを取って置かなければならないことも...。

そう言えば前回のときには、コンピューター・プロの長男にSOSを発し、既存データのバックアップ取りと新機への移し替えをしてもらった。そこで今回も何とかならないものかと、忙しいのはわかっていたので気を遣いつつ相談してみたら、週明け早朝出張の前日、何とか時間を作ってバックアップ取りと移し替え作業をしに来てくれると言う。となると必然的に、現機を修理に出している時間はなく、新品を買うほかない。ならば今度は、行けばその場で手に入り、長期(5年)保証も付けられる家電量販店でと腹を決めた。
長男によれば、バックアップを取るためにパソコンと繋げるディスプレーの代わりには、いま我が家にあるテレビが使えるし、接続ケーブルも持参してくるというので、あと必要なのは新しいパソコンだけになって、その日にまず買いに行き、その後一気に作業をやってしまおうということになった。

で、ちょうどそのころ、引っ越し後まだ完全に済んでいなかった室内の整頓や家具の配置替えなどのための力仕事で次男も来ることになっていたので、男たち全員がタイミングを合わせ、次男の車で最寄りの量販店Y電機へと走り、さっそく新機を仕入れてきた。
これまで9年、3台にわたりS社のV(プラス・ディスプレー1台)を使ってきたが、まったく同じ不具合が、それも思ったより短期間に続けて発生したので、Sはもう沢山という気分になり、長男や販売店の兄ちゃんの意見も聞いた上で、自分の好みも取り入れ、今回はN社のVNというモデルにした。ディスプレーとキーボードが分離している一種のデスクトップ型だが、AC電源以外はコードレス(マウスも)かつ軽量、屋内ならば持ち運びもできるタイプで、なかなか気に入っている。

Y電機から戻ってすぐにバックアップ取りの作業を始めたが、新機の基本的な設定とデータの移し替えが終わった(といっても、すべて長男がやってくれたのだが)ときには、かなり夜も更けていた。翌日の早朝出張のため長男はそれから自分のアパートへ戻り身支度を整えた上で都内前夜泊をせねばならないということだったが、作業が終わるまで文句も言わず次男がずっと待っていて、夜中までかかって兄を送り届けてきた。
グラフィック・ディザイナーの次男は使っているパソコンがMacなので、今回の作業自体には直接タッチしなかったが、決して忙しくなかったはずはないところ黙って時間を割き、機動力を発揮してくれた。ITにあまり強くない上に馬力も衰えてきた父のピンチに直ぐに飛んできて協力してくれた二人とも、どうも有難う。父も母も感謝している。

...が、これですべてが終わったわけではなく、翌日は自分自身でインターネット接続の設定に取り組んだ。長男が心配して、出張先からたびたび電話をしてきたが、プロバイダー(ケーブルテレビ会社I)のサポート・センターのお姉さん(小母さんかな?)がとても親切で無事開通。また、OSが前機のウインドウズXPから新機ではVistaに変わったためやり直さなければならなかったプリンターの設定も、翌々日に済ませることができた。
早速、溜まりに溜まった公私のメールや購読している内外のメルマガをチェック、返事を書いたり情報をクリッピングしたり、お気に入りのブログもまとめて読ませてもらった。そして、なぜこんなことになったのか、いま一つ腑に落ちなかったので、事後ではあるが、自分の使い方に何か問題があったのか?他のVユーザーの場合はどうなのか?そもそもパソコンの寿命はどれくらいなのか?といったことを、さまざまなサイトで調べてみた。

すると、自分とまったく同じように、“処理能力が著しく落ちてきた”、“バックライトがダメになった”と言っているVユーザーが予想外に多く、パソコンに限らずS社の製品は壊れるのが早過ぎると感じている人もかなりいて、それもタイマーでも設定してあったかのように保証期限が切れたころにそうなるため、“Sタイマー” なる都市伝説まで存在する(Wikipediaにも書いてある)ことを知った。
S社のノート・パソコンはスタイリッシュだし、何か1つ同時期の他社にはない新機軸があったりして、好きで3台も続けて使ってきたのだが、どのモデルにも苦労させられた(9年前に買った極小型は裏面のゴム足がベタベタに溶けてしまうほどの異常な高温を発するので、まだ使えるには使えるけれども断熱板に載せなければならない)身としては、そんなことでも言いたくもなる気持ちもわからないではない。

パソコンの寿命というか耐久時間についても、正常な使い方をして約2万時間という説が妙に説得力があった。これは、1日3時間くらいしか使わない人にとっては約10年間に相当するが、仕事柄、自宅などで寝る時間以外はほぼフル稼働させている人の場合は約2年間に相当するという話。
自分などのケースはまさにこの後者に近いのだが、そうすると目いっぱい消耗したということで、今回の件は仕方がなかったのだろうか?確かに、パソコンだけでなく、それを使っている自分自身をも同時に酷使し過ぎていた嫌いがあり、どちらももう少し長持ちさせるには、これを機会に一日の過ごし方を考え直した方がいいかも知れないと、実はそんなことに、まったくパソコンが使えなかったこの1週間で気がついた。

パソコンが使えなくなった最初のうちは、サッサと机の前に座って仕事を始められないことが何か物足りなく苛立たしい気がしてならなかったが、この齢ではむしろそういう何もしない時間のあることこそが正常なのかも知れないと、だんだん思えるようになってきた。またこれまで、情報はほとんどインターネットで間に合うと思い新聞はザッとしか目を通していなかったが、そうでもないことを今更のように認識し、昔のように時間をかけてよく読み、クリッピングしたりもするようになった。
“親が死んでも食休み”などと俗に言うが、食後ゆっくりするようになったら、消化にもいいような気はするし、パソコンの画面と四六時中睨めっこしていなければ、目の疲れも少なくなる。パソコンのない生活は考えられないが、これまでは知らず知らずのうちに中毒症状に陥っていたかも知れないと反省した。

不便でいろいろと困りもしたが、そんな、自分を見直す機会にもなった今回の一件だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 9日 (月)

お休みします

いつも、当ブログを楽しみにして下さっている方々へ

パソコンが不調で、メールも出来ない状態になってしまいました。

只今、新たなパソコンを購入すべく、機種の選定をしております。
このためブログを今回とおそらく次回の2週間、お休みします。

3月23日(月)には復旧出来ると思いますので、
また、その頃にのぞいてみて下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

寒いときは熱々の汁物に限る

先週はほとんど毎日、寒くグズついたお天気だったが、そんな中、仕事と私用であちこちに出かけることが多くて、いささか草臥れてしまった。寒気をこらえようとツイ気を張り、身体を強張らせるため余計な力が入って、なけなしのエネルギーを消耗したようだ。
そんなわけで週末の朝食後、まだまだ春には程遠いし、寒さに負けない元気をつけるために今晩あたり温かい鍋物でもいただきたいナなどと思っていたら、タイムリーにも、その心中を見透かしたようなテレビ番組が目に飛び込んできた。

フジの「めざまし土曜日」の中の、“冬のニューヨークあったかグルメ”と題した、マンハッタン各地域の冬の定番メニュー食べ歩きレポートで、途中から気がついたため最初から最後まで見たわけではないが、イーストビレッジのファラフェル・サンドイッチ、ハーレムのガンボ・スープなどを紹介していた。
ファラフェル・サンドは、確かに熱々だし、ガンボ・スープも香辛料が効いて体の中から温まり悪くないが、ニューヨークでそのてのものと言ったら他にもあって、チキンヌードル・スープやマンハッタン・クラムチャウダーの方がもっと一般的で日本人の口にも合うのに――などと思いながら画面に見入っていた。

思えば自分も、かつてニューヨークに長期滞在していたころ、街角の屋台や駅地下のスープスタンドで、また出張の行き帰りに空港のカフェで、早朝あるいは夜更けに、どれだけ、そんな具沢山のアメリカン・スープのお世話になったかわからない。
そう言えばもう1年半、ニューヨークにはご無沙汰しているなと、いささか旅心も刺激されたが、その朝は、どちらかと言えば食欲の方がもっと刺激され、温かいお茶と味噌汁で朝食を済ませたばかりなのに、昼食にはサンドイッチと熱いカップスープがいいなどと考えてしまう始末。イヤハヤ、それだけ食欲があれば多少疲れ気味でも心配はなかろうと自己納得した。

改めて考えてみると、自分はつくづく、汁物・鍋物というかスープやシチューの類いが好きだと思う。人一倍寒がりのせいかとも自己分析してみたが、暑い時季や場所でも食したいと思うから、それだけの理由ではないのだろう。もしかしたら、食糧事情の悪かった戦中・戦後、有り合わせの穀類や野菜を何でも汁の中にブチ込んでご飯と一緒に炊いた文字通りの雑炊風の食事を、それでも美味しいと思っていただいた記憶が、いわゆる“おふくろの味”として意識下に潜在しているのかもわからない。
あらゆる汁物を験したことがあるというわけではないが、ともかくこれまでに、日本はもちろん世界の各地で、さまざまなタイプのものを、ホテルや旅館、レストランや料理店、カフェやデリ、スタンドや屋台から、家内の手料理、さらには缶詰・ブイヨン・粉末などのインスタントものに至るまでのかちで味わってきたが、どれもそれぞれに美味しく、ブランドや値段は関係なかった。

自分がいま言っている汁物には、洋風概念でのスープやシチューだけでなく、日本・アジアの汁麺類・鍋料理も入る。広い意味では雑煮や豚汁・きのこ汁などもそうだと思う。自分は、生まれ育ちが東北の内陸部なので具材の好みにやや偏りがあるけれども、寄せ鍋・白菜鍋・雑炊・おじやなどの土鍋料理が大好きで、家内によく作ってもらう。毎日オフィスに通っていたころは、昼は鍋焼きうどん、夜は石狩鍋などということもあったし、韓国雑炊のクッパ、雑煮のトックッもときどき食べていた。
汁麺類はいまでも外食することが多いが、どちらかといえば中国よりは日本の、その中でもソバよりはウドンで、このごろは薄味の方が好もしくなってきて、かつてあれほど好きだった油の浮いた濃いスープのラーメンよりも、沖縄ソーキそば、ベトナムのフォー、ハワイのサイミンなどの方が口に合うようになった。ただワンタンだけは別で、昔ながらのしょうゆ味スープ(ただしサッパリ目)のものを家で作ってもらう。そう言えば、最近は食べていないが、ホンコン・台湾・シンガポールなどの汁麺類はアッサリ味で小鉢なので、昔は夜食に現地の屋台でよく食べたものだった。

田舎料理の汁物好きが高じていまのようになったくせに、生意気にも洋食の汁物、すなわちスープ、シチュー類にも目がない。何がそんなに好きなのかベスト3を挙げよと問われれば(誰も問わないだろうが)、ボルシチ、ミネストローネ、クラムチャウダー(ニューイングランド風の白い方)ということになろうか。厳密にいうとスープでもシチューでもないかも知れないが、ポトフも好きでたまらない。嗚呼...。
反面、けっこう大好きな人の多いブイヤーベース、トムヤムクン、チゲ、それに前出したガンボなどは、嫌いというわけではないが、自分から無性に欲しくなるというほどではない。こうしてみると自分は多分、海の食材よりは山の食材、魚介類よりは野菜類が好きなのだ。いま初めて気がついたわけではないが...。

ところで近年は、ムッシュの食事や散歩などの面倒を見ることが生活の節目になっているためか、何となく外出する機会が持ちにくくなり、したがって外で食事をするチャンスも減って、こんどアレを食べようなどと思っていてもなかなか時間をつくれず、そのうちに忘れてしまうというケースが再三ある。
ムッシュが可哀そうだから彼独りを残してまで外食に出かけたいとも思わないが、せっかく食べたくなったものを忘れないように、一応、ここに備忘ログしておこうと思う。と言って別に、そんなに大それたものを望んでいるわけではなく、チャンコ鍋ときりたんぽ鍋くらいのもの。このところ長いこと食していなかったので。

ウウ...2日前のテレビ番組に刺激されて懸命に味覚の記憶を辿り、それを増幅して妄想を逞しくしたので、自分で書いていて、口の中にツバがたまってきた。家内にはまだお願いしていないが、近いうちに何かつくってもらおうか、それともチョッとの時間ムッシュに我慢してもらって外に食べに行こうか...。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »