« コンピューターがわからんッ! | トップページ | 家の履歴書 »

2009年1月26日 (月)

いま、清里の日々を想う

前半は快晴続きで穏やかな正月と喜んでいた今年の正月だったが、暦はやはりダテではなく、大寒に入ったらチャンと本格的な冬になった。このところ、朝夕は横浜も寒気がきつく、日によっては雪片さえチラつき、清里以来治らない両手足指のシモヤケが辛い。清里の冬は横浜より一足半ぐらい早く11月中旬から始まるが、季語として句をひねるわけでもなし、シャレにもならない自分のシモヤケも、だいたい同じころに発症する。
田舎の子だったころの昔とは生活環境も全然違うし、毎日朝晩の水仕事をしているわけでもないのだから、いまさらシモヤケで悩んでいるのもどうかと思うが、この2~3年、気温が一桁台になる季節がやってくると、身体の末端の冷えがひどくなり、そういう症状になってしまうのだ。要するに血の巡りが悪くなっているわけで、末端といってもこれが手足だからまだいいものの、頭の方まで来たらチョッとヤバイのではないかと思う。イヤ、もうすでに来ているという説もあるが...。

で、細かいことをするとき以外は、家の中でもほとんど手袋をしっ放し。パソコンなども、どうしても時間が長くなってしまうため、手袋のままキーボードにタッチせざるを得ず、しょっちゅう余計なキーまで叩いては打ち直しをしているので、効率が悪いこと夥しい。
治療のため、清里にいる間に麓の診療所で処方してもらった塗り薬と飲み薬を用いているが、1ヵ月分だけだったはずなのにまだ使えている。――ということは、真面目に毎日用いていなかったわけで、これでは治りがはかばかしくないのも仕方がない。

ところで麓の診療所とは、正式に言うと大泉中央診療所。昨年10月20日にも書いたが、何ともレトロな雰囲気がたまらなく、いま思い出しても懐かしい。待合スペースの一角が6畳ほどの小上がり風畳の間になっていて、11月中旬ころからは大きなコタツがしつらえられるので、そこに手足を入れて十分暖をとり、“ガソリンの値上がりは困ったモンですナ”などと世間話をしながら、ノンビリと待ち時間を過ごすことができた。
この診療所がある辺りは、旧大泉村の村役場(現北杜市役所支所)やJP(郵便局)、JA(農協)、駐在所などが集まっている地区の中心地だが、北を振り仰げば八ヶ岳、南には甲斐駒・北岳など南アルプスの山々を見遙かす絶好のビュー・ゾーン。内科や歯科や皮膚科で診てもらいに来たついでに目の保養までできる仕掛けになっていた。

そこを初め、チョッとしたところへ出かけるにはどこへ行くにも、山荘からは車で20~30分かかっていた日常は、不便といえば不便ではあったが、行き帰りに繰り返し眺めた360度の雄大な展望と、フィトンチットをタップリと含んだ澄んだ空気は、それを補って余りあるものがあり、夏から晩秋にかけての清里の暮らしには文句をつけるところがなかった。
ただし、冬場の暮らしはそう生易しくはなく、未明には氷点下まで気温が下がるようになる11月の下旬ともなると、毎日朝晩、暖炉を焚かずにはいられなかった。室内全体が暖まるには時間のかかる床暖房だけでは、とても足りなくなるのだ。

12月の清里の山荘の様子 清里・大泉・小淵沢など、八ヶ岳南麓の山梨県側は、北麓の長野県側とくらべると比較的に降雨・降雪量が少ないとされているのだが、それでも一冬に何回かは相当量の雪に見舞われる。まだ自分たちが居た12月の中旬にも20センチほど積もった日があり、車を出すために、車上の雪下ろしと前庭および前面道路の雪かきに大童だった。
その後数日間も、夜間は轍の跡がそのままアイスバーンという状態が続き、その上にまた何度か粉雪が、薄くではあるけれども降り重なることもあって、予定していた12月24日に無事横浜に帰れるどうかヤキモキさせられた。


1月の清里の森の様子 当日後の様子を聞くと、自分たちは丁度いいときに戻ってきたようだ。その翌日・翌々日には2日続けて積雪があったとのことだし、そのまた翌日には、最低気温が氷点下13度近くまで下がったという。もし、山荘を引き揚げるのが1日か2日遅れていたら、その後いろいろと予定が狂って、面倒なことになっていたかも知れない。
清里の森管理公社がホームページで発表している気象記録によれば、年が明けた1月はさらに寒気が厳しくなった。最低気温は連日氷点下で、これまでのところマイナス10度前後の日も10日以上、積雪(写真は管理公社ホームページから転載)はつい先日も含めて4回あり、そのうち20センチに達したことも2回あったと報告されている。

そう言えば、こちらに戻ってからまだ1ヵ月しか経っていない勘定だが、早や、あの厳しい清里の寒気に耐えてきたことを忘れて、氷点下にも達しない横浜の寒さぐらいで音を上げている自分が、考えてみると情けない。森には、家族3代で20年近くも定住して、小学生のお子さんたちを数キロ離れた学校まで通学させているお宅もあるというのに。
5ヵ月あまり清里の森で暮らし、そんな一家ともお近づきになれたりして、楽しいことも沢山あった。マックもミスドも回転寿司もないが、とびきりのパンやケーキやアイスクリームや手打ち蕎麦を食べさせてくれるお店があり、果物・野菜をはじめ地元産の食材もすこぶる美味で、食生活にも何の不満もなかった。デパートやブランド・ブティックはないが、1時間足らず車を走らせれば小淵沢の林間にはアウトレット・モールもあって、ボストン郊外のタングルウッドあたりを散策しているような気分も味わえた。

いまとなっては、そんな清里での日々は、時間がシンプルにゆっくりと流れる異次元の空間で過ごす夢を見ていたようにさえ思えるが、どうやらその夢を、別れを告げる日が過ぎてもボーッと見続けていたようで、大事なものを忘れてきたことを数日気付かなかった。出発する直前に車に積み込もうと思っていたコートやジャケットやパンツなど4組、お気に入りの冬の外出着一式で、自分的には欠かせなかったものだった。
ので、少し落ち着いたら日帰りででも取りに戻ろうかと思っていたが、こんな気候だし、代わりに着るものがないではなしと引き止められ、春まで待つことにした。

いま清里は、真冬に突入したところ。2月に入ると気温はさらに下がり、雪もこれだけでは済まなくなるが、山荘をオープンしに行けるのはいつになるだろう。
建てたばかりのころは本格的な春が待ちきれず、残雪の下にフキノトウが顔を覗かせる3月下旬には出かけたものだったが、最近はそれほどの元気はなく、雪がすっかり消え去ってコブシの花が満開になる4月下旬まで待つようになった。

でも今年は、忘れ物のこともあるし、少し早めに行ってみようか...。

|

« コンピューターがわからんッ! | トップページ | 家の履歴書 »

コメント

一番町に住む旧友からのメールにパレスサイドビルの写真が貼り付けてあって、ふと「リーダーズダイジェスト旧社屋」で検索したら《中澤功の・・・》がトップに現れて、思わぬ福の舞い込みに欣喜雀躍しました。さすがです。面白いです。勉強になります。早速、お気に入りに乗せてこれからも楽しませて頂きます。「S社のV」は僕も4年くらい前から使っていますが、順調だったのに突然大晦日にパンクして「リカバリ」に散々の目に遭いました。大金を取られたリカバリ後も殆ど全ソフトの使い勝手が狂って本当にもうヤンなっちゃっています。長生きしすぎた罰かしら。
「RDジャパン」は大日本印刷系の会社が仕掛けたフンパンものです。早く消えてくれることを期待しています。お元気で、再見!(たぶん清里で?)

投稿: 新庄裕三 | 2009年1月30日 (金) 20時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いま、清里の日々を想う:

« コンピューターがわからんッ! | トップページ | 家の履歴書 »