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2008年12月15日 (月)

私をスキーに連れてって!

横浜に戻るまでの日数が、ついにカウントダウンの段階に入った。八ヶ岳山麓の冬は寒いし何かと不便だから、早く帰りたくてならなかったのだが、いざそれが目の前に迫ったら、この5ヵ月は結構楽しかったと、何だか残り惜しい気もしてくるから勝手なものだ。
11月下旬から今月初旬にかけては、これほどだったかと改めて思わせられる厳しい寒さに見舞われていた清里の森だったが、この週末までは珍しく好天と温暖に恵まれ(といっても日中の最高気温が5度前後まで上がるというだけのことだが)、どうか引っ越しの日まで、このまま推移して欲しいと願っていた。

けれども、そんな一筋縄では行かないのが冬の八ヶ岳。昨日は朝起きてみたら“ドヒャー!”この冬5回目、これまでいちばんの降雪(約20センチも!)だった。引っ越し当日の朝これだったらどうしようと一瞬落ち込んでしまったが、まだ1週間以上あるし、いまから思い煩っても仕方がないと、ポジティブシンキングに切り替えた。
サラサラとしたパウダー・スノーで、この雪で喜んでいるのは多分、付近のスキー場だろう。例年12月に入るとわが家の辺りからは、西北に「サンメドウス清里スキー場」(旧「キッツメドウス大泉・清里スキー場」)の、そして真東の方向には「野辺山スキー場」(いまは「レーシングキャンプ野辺山」と呼ぶらしい)の白いゲレンデが見えてくるのだが、今年は少し遅れ気味だったので気になっていた。だが、きっとこれでOKに違いない。

「清里スキー場」は直ぐそばで、1本道を4~500メートル登るだけ。車なら5分で行ける。「野辺山スキー場」までは15~20分くらい。野辺山にもう一つあるスキー場「シャトレーゼ・リゾート八ヶ岳」(旧「ザイラーバレースキー場」)でも30分とかからない。
スキーをするのには、そんなわけで絶好の環境であり、自分たちが20年前ここに山荘を建てた理由の一つもそれだったと言えなくもない。が、正確に言うと順序が逆で、その年末に清里スキー場がオープンしたのをきっかけに、50の手習いでスキーを始めた。スケートは子供の頃から親しんでいたが、何かとお金のかかるスキーは青年時代にも高嶺の花だったので、機会がないまま、その歳まで来てしまったのだ。

でも、当時まだ十分元気だったし、運動神経も鈍化していないという自信があったので、この機会にぜひマスターしたいと思い立ち、その年の冬は一家総勢5人が連れ立って山荘に向かい、年末からお正月の一週間をスキー(練習)三昧で過ごすことにした。
で、息子たちに薦められ連れられて最初に行ったのは、実はいちばん近い清里スキー場ではなくてザイラーバレー。現在も若いファミリーで賑わっているように、お子チャマでも滑れる易しいコースということで息子たちが配慮したらしかったが、連中は、斜面を歩いて登っては真っ直ぐに滑り下りるのを繰り返せばいいと言うだけで、何もコーチしない。自分たちが滑るのに夢中で、父親のことなどは放りっぱなしだったので、そのときは転び方を多少覚えただけで、結局モノにならなかった。

そこで、やはりチャンと教わらなければ身につかないと一念発起し、清里スキー場でレッスンを受けることに。独身時代は結構滑っていたという家内も、ずっとご無沙汰だったから改めてやり直したいと、一緒に教わった。
しかしながら、根が、あれこれ段階を踏まされるよりもチョッと教わったらすぐに自分で験してみたくなるタイプなので、午前中の半日レッスンでもう十分とばかり切り上げて、早速午後から自分だけで滑ってみた。すると、リフトの乗り降りの要領もどうということなく、滑降する度に格好がついてくるのを実感できたので、楽しくて仕方がなくなった。

経験者の家内はコーチの言うことをよく聞いて、徐々に慎重に滑っているのだが、こちらは怖いもの知らずの好き放題。比較的幅が広く傾斜も緩い初級者コースだけでのことだが、テレビや映画などで見たスマートな技を真似しようとしてはコケて、その無鉄砲さに家族中が呆れていた。
だが自慢じゃないが、スポーツはもちろん音楽も外国語も、習うより馴れろがモットーの実行第一型人間。日が暮れる頃には、いっぱしのスキーヤーのつもりになっていた。

かくて、その年だけでなくその後何年かは、スキーの季節になるとウズウズし出し、家族一同とは行かずとも少なくとも家内共々、冬の八ヶ岳に向かうのが常になった。そのため車も、雪道に強くスキー用具を楽々と積み込める4WDのオフロード車にしたが、厳冬に入る前に一たん水抜きしクローズした山荘を再度開け閉めするのも大変なので、懇意にしている麓のプチホテルにもよく泊った。
あの頃とくらべると、寒さはいまの方が厳しいような気がするが、雪はいまよりも以前の方がよく降ったように記憶している。いまこの辺のスキー場は、人工降雪装置に頼らないとなかなか予定の日にオープンできないらしいが、かつてはホンの補助的にそれを作動させるだけで、ほとんど自然雪で間に合っていたように思う。

地球温暖化の程度が最近ほど深刻ではなかったのか、あのころは4月末から5月初旬のいわゆる“ゴールデンウィーク”中も、スノー・コンディションは良好ではないながら滑れた年がザラだった。
清里スキー場は山荘から至近だったので、よく、日帰りの一般客が引き上げた後の空いている時間帯を狙っては通ったものだった。クローズの時間に無頓着だったため、一度などは気付かずその間際に入場して、係員しかいないゲレンデを“こりゃあ空いてていいや”などとノーテンキなことを言いながら滑っていたら、“今日はこれで終わりです”と10分ぐらいで追い出されて恥をかいたこともあった。

10年近く、そんな危なっかしいことばかりしながらも、幸い怪我もせず、毎シーズン1度や2度は滑っていたが、山荘まで出かけてくること自体がだんだん面倒になってきて、いつの間にかスキー場にも足が遠退いてしまった。
ここ何年もの間、若い人相手の講義や講演でつまらぬオヤジ・ギャグを飛ばしてはスベルことがあっても、スキー場で滑ることはなくなり、いま、スキー板もストックも、シューズもウエアも、山荘のクローゼットの中で静かに眠り続けている。

自分の身体が最早、10年、20年前のようではないことが頭ではわかっていても、このごろフッと、もしかしたらまだイケるかも...などと、雪面を滑降する自分をイメージすることがあり、そういう想像力さえもなくなってしまう前に、もう一度ゲレンデに立ってみたいという気持ちがときたま起きる。
もっとも、こんな慌しい状況下にある今年は当然無理だし、三浦雄一郎ではないから、来年になっても気力・体力がそのまま維持されているかどうかわからない。聞くところによると、清里スキー場の初級者コースは、スノーボーダーに占拠されているようだし...。

でも、齢を重ねたからといって、自ら夢を諦めるようなことだけはしないでいようと思う。何事も...。

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コメント

血気盛んな??勢いを感じるブログに、引越し前のテンションの高い元気さをかんじ・・・。グ~!!
白銀の世界を目前にロマンティック?とばかりは言っていられぬお引越しを、無事慣行のこと・・お祈り申し上げます。
くれぐれも大事無く。

投稿: まみ | 2008年12月15日 (月) 08時13分

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