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2008年12月

2008年12月22日 (月)

イヴも大晦日もないけれど...

今年も残すところあと10日足らずというところまで来てしまったが、7月半ば過ぎに着工した家がいよいよ完工して、明後日、横浜に帰る。
こちらへ移ってきたときは、これから5ヵ月は長いと思ったけれども、過ぎてみたらアッという間。あのときは、猛暑の中の長距離移動とそれまでの準備や片付けの積み重ねで、気息奄々、ダウン寸前だったが、この数ヵ月間ですっかり回復したようで、毎日が氷点下の厳しい寒さの中でも風邪もひかないのは有難い。もっとも、紅葉が終ってからというものは滅多に人と会うこともない森の中では、風邪も流行りようがないのかも知れない。

1週間前にしっかり降った雪は、その後ずっと続いている寒気のため我が家の位置する標高1400メートルの辺りにはまだ大分残っているが、今日も何だか空模様が怪しい。しかし4~500メートルも下ると事情は一変。雪は降ったのか降らなかったのか影もなく、寒気もグッと和らいで、チョッとした高度の差でずいぶん違うものだと思い知らされる。
この分なら横浜の方はさぞや暖かかろうと、インターネットの週間天気予報をチェックしてみたら、最高気温も最低気温もおおよそ10度の差がある。ここのところ横浜は最高15度前後、最低でも5度以上で推移しているようだが、こちらで15度といえばガンガン暖炉を焚いて暖まった室内、5度はよく晴れた無風の日の陽だまりの温もりだ。だから、今度の家に戻ったら、体感としてはずいぶん暖かく感じられるに違いなく、寒がりの自分にとっては嬉しいことではある。

建築現場から遠く離れたところに住んでいたため、今回の工事中は、全工程を通じ2~3回しか足を運んでおらず、もっぱらメール(ときに写真つき)と電話と宅配便のやりとりによって事を進めてきた。ために、この目で細かい造作の途中チェックをしてこなかったので、果たして注文どおりに出来上がっているのかどうか心配がないわけではない。
が、それでもやはり、住み慣れた街の同じ場所に建つ新居に戻るのは、期待感と楽しみの方が勝り、足場とシートが外される寸前に送られてきた建物内外観の画像をパソコンで何度も見ながら、見えない部分にもイメージを馳せている。

そんなことに思いを巡らせながら、いま、持って帰る荷物をまとめているが、旧居を空けるとき、ほとんどの荷物はいわゆるトランクルームに預けて、今回もそれは引っ越し会社によって直接搬入されるから、ここから運び出すものは来るときに自分の車と宅配便で持ってきた身の回りの品々だけ。
と言っても、衣服類を初め、パーソナルテレビや電話機、公私の重要書類など嵩張るものが結構あり、自分にはさらに、パソコンやプリンター、仕事関係の図書・資料などがある。衣類などは、夏物はすべてそのままにして、当座必要な冬物だけを持ち帰ろうと思っているが、それでも夫婦2人の分を合わせると、とても自分の車だけでは収容しきれず、やはり、何個も宅配便を送ることになる。

さて当日は、人も荷物も無事向うに着いたとしても、それですべて落着というわけには行かない。まずは、建築会社からの引渡しとチェックのプロセスがあり、それと前後して、トランクルームから搬出されてきた荷物を屋内各室に受け入れなければならない。そして引き続き、電話会社とケーブルテレビ会社(兼インターネットプロバイダー)の工事がほぼ同時に進行。それぞれ、説明を受けては自分でも確認しなければならないし、多分、オチオチ食事している暇もないだろう。
そんな中、自分は翌日、早速仕事に出かける。以前からの予定で、結果的にたまたま引っ越しの翌日になってしまっただけなのだが、この際なので折角の外出の機会を生かして、行きがけか帰りがけに区役所とデパートにも寄ってこようと思っている。さらにその翌日には警備保障会社の工事があって、それで本当の一段落。その後やっと、自分たちのペースで開梱作業ができるようになる。

...と言うわけで今年は、クリスマスも大晦日もなく慌しく暮れて行くのだろうが、都会の賑わいや華やかさとは無縁だった代わりに大不況にもさほど影響されることなく森の5ヵ月間を送り無事シャバに戻って来られたことを、ここまで協力し、気にかけ、励まし癒してくれた人たちと生きものと大自然に感謝しつつ、新しい年を迎えたいと思う。
折に触れて眺めてきた八ヶ岳・富士・南アルプス・秩父連山とも、来春までしばしの別れ。清里の森のスタッフの方々にも、いろいろとほんとうにお世話になった。

本ブログも今年はこれにて一たん失礼し、来春1月の第1月曜にまたお目にかかる積もり。

皆さん、どうぞ良いお年を!

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2008年12月15日 (月)

私をスキーに連れてって!

横浜に戻るまでの日数が、ついにカウントダウンの段階に入った。八ヶ岳山麓の冬は寒いし何かと不便だから、早く帰りたくてならなかったのだが、いざそれが目の前に迫ったら、この5ヵ月は結構楽しかったと、何だか残り惜しい気もしてくるから勝手なものだ。
11月下旬から今月初旬にかけては、これほどだったかと改めて思わせられる厳しい寒さに見舞われていた清里の森だったが、この週末までは珍しく好天と温暖に恵まれ(といっても日中の最高気温が5度前後まで上がるというだけのことだが)、どうか引っ越しの日まで、このまま推移して欲しいと願っていた。

けれども、そんな一筋縄では行かないのが冬の八ヶ岳。昨日は朝起きてみたら“ドヒャー!”この冬5回目、これまでいちばんの降雪(約20センチも!)だった。引っ越し当日の朝これだったらどうしようと一瞬落ち込んでしまったが、まだ1週間以上あるし、いまから思い煩っても仕方がないと、ポジティブシンキングに切り替えた。
サラサラとしたパウダー・スノーで、この雪で喜んでいるのは多分、付近のスキー場だろう。例年12月に入るとわが家の辺りからは、西北に「サンメドウス清里スキー場」(旧「キッツメドウス大泉・清里スキー場」)の、そして真東の方向には「野辺山スキー場」(いまは「レーシングキャンプ野辺山」と呼ぶらしい)の白いゲレンデが見えてくるのだが、今年は少し遅れ気味だったので気になっていた。だが、きっとこれでOKに違いない。

「清里スキー場」は直ぐそばで、1本道を4~500メートル登るだけ。車なら5分で行ける。「野辺山スキー場」までは15~20分くらい。野辺山にもう一つあるスキー場「シャトレーゼ・リゾート八ヶ岳」(旧「ザイラーバレースキー場」)でも30分とかからない。
スキーをするのには、そんなわけで絶好の環境であり、自分たちが20年前ここに山荘を建てた理由の一つもそれだったと言えなくもない。が、正確に言うと順序が逆で、その年末に清里スキー場がオープンしたのをきっかけに、50の手習いでスキーを始めた。スケートは子供の頃から親しんでいたが、何かとお金のかかるスキーは青年時代にも高嶺の花だったので、機会がないまま、その歳まで来てしまったのだ。

でも、当時まだ十分元気だったし、運動神経も鈍化していないという自信があったので、この機会にぜひマスターしたいと思い立ち、その年の冬は一家総勢5人が連れ立って山荘に向かい、年末からお正月の一週間をスキー(練習)三昧で過ごすことにした。
で、息子たちに薦められ連れられて最初に行ったのは、実はいちばん近い清里スキー場ではなくてザイラーバレー。現在も若いファミリーで賑わっているように、お子チャマでも滑れる易しいコースということで息子たちが配慮したらしかったが、連中は、斜面を歩いて登っては真っ直ぐに滑り下りるのを繰り返せばいいと言うだけで、何もコーチしない。自分たちが滑るのに夢中で、父親のことなどは放りっぱなしだったので、そのときは転び方を多少覚えただけで、結局モノにならなかった。

そこで、やはりチャンと教わらなければ身につかないと一念発起し、清里スキー場でレッスンを受けることに。独身時代は結構滑っていたという家内も、ずっとご無沙汰だったから改めてやり直したいと、一緒に教わった。
しかしながら、根が、あれこれ段階を踏まされるよりもチョッと教わったらすぐに自分で験してみたくなるタイプなので、午前中の半日レッスンでもう十分とばかり切り上げて、早速午後から自分だけで滑ってみた。すると、リフトの乗り降りの要領もどうということなく、滑降する度に格好がついてくるのを実感できたので、楽しくて仕方がなくなった。

経験者の家内はコーチの言うことをよく聞いて、徐々に慎重に滑っているのだが、こちらは怖いもの知らずの好き放題。比較的幅が広く傾斜も緩い初級者コースだけでのことだが、テレビや映画などで見たスマートな技を真似しようとしてはコケて、その無鉄砲さに家族中が呆れていた。
だが自慢じゃないが、スポーツはもちろん音楽も外国語も、習うより馴れろがモットーの実行第一型人間。日が暮れる頃には、いっぱしのスキーヤーのつもりになっていた。

かくて、その年だけでなくその後何年かは、スキーの季節になるとウズウズし出し、家族一同とは行かずとも少なくとも家内共々、冬の八ヶ岳に向かうのが常になった。そのため車も、雪道に強くスキー用具を楽々と積み込める4WDのオフロード車にしたが、厳冬に入る前に一たん水抜きしクローズした山荘を再度開け閉めするのも大変なので、懇意にしている麓のプチホテルにもよく泊った。
あの頃とくらべると、寒さはいまの方が厳しいような気がするが、雪はいまよりも以前の方がよく降ったように記憶している。いまこの辺のスキー場は、人工降雪装置に頼らないとなかなか予定の日にオープンできないらしいが、かつてはホンの補助的にそれを作動させるだけで、ほとんど自然雪で間に合っていたように思う。

地球温暖化の程度が最近ほど深刻ではなかったのか、あのころは4月末から5月初旬のいわゆる“ゴールデンウィーク”中も、スノー・コンディションは良好ではないながら滑れた年がザラだった。
清里スキー場は山荘から至近だったので、よく、日帰りの一般客が引き上げた後の空いている時間帯を狙っては通ったものだった。クローズの時間に無頓着だったため、一度などは気付かずその間際に入場して、係員しかいないゲレンデを“こりゃあ空いてていいや”などとノーテンキなことを言いながら滑っていたら、“今日はこれで終わりです”と10分ぐらいで追い出されて恥をかいたこともあった。

10年近く、そんな危なっかしいことばかりしながらも、幸い怪我もせず、毎シーズン1度や2度は滑っていたが、山荘まで出かけてくること自体がだんだん面倒になってきて、いつの間にかスキー場にも足が遠退いてしまった。
ここ何年もの間、若い人相手の講義や講演でつまらぬオヤジ・ギャグを飛ばしてはスベルことがあっても、スキー場で滑ることはなくなり、いま、スキー板もストックも、シューズもウエアも、山荘のクローゼットの中で静かに眠り続けている。

自分の身体が最早、10年、20年前のようではないことが頭ではわかっていても、このごろフッと、もしかしたらまだイケるかも...などと、雪面を滑降する自分をイメージすることがあり、そういう想像力さえもなくなってしまう前に、もう一度ゲレンデに立ってみたいという気持ちがときたま起きる。
もっとも、こんな慌しい状況下にある今年は当然無理だし、三浦雄一郎ではないから、来年になっても気力・体力がそのまま維持されているかどうかわからない。聞くところによると、清里スキー場の初級者コースは、スノーボーダーに占拠されているようだし...。

でも、齢を重ねたからといって、自ら夢を諦めるようなことだけはしないでいようと思う。何事も...。

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2008年12月 8日 (月)

これでいいのか?インターネット広告

...と、大きく出てしまい、話しが簡単に終らなそうなのが目に見えているが、これは日ごろから頭の中でモヤモヤしていた素朴な疑問だったし、最近たて続けに気になる情報を目にしたこともあって、ともあれ一度、自問自答してみようと思っていた。

仕事柄、四六時中と言ったら大げさだが、二六時中(?)つまり一日の半分くらいは、パソコンにへばり付いている。その内訳は、三分の一が受信したメールや情報の目通しと必要なものへの返信、別の三分の一が原稿や資料などさまざまな文書の作成、そして残りの三分の一が他の人のブログや企業のウエブサイトの閲覧と調べものだ。
いくつかあるお気に入りのブログには、楽しみとして毎日のように訪問させていただいているし、新しい情報を求め、あるいは何かのテーマを追いかけては、さまざまなサイトを縦横無尽に検索しまくっている。

だから、何らかのかたちで広告が掲載されているウエブ・ページには相当の頻度で接し、目の片隅でその広告を見ているはずなのだが、自分の個人的興味でそこに立ち止まり、入り込むことは滅多にない。仕事として、いろいろな企業の活動状況や内情をチェックしウォッチするためにそれを開き、その先までフォローしてみる場合は別として。
つまり、自分がウエブに接触するときは、サイト・コンテンツ自体が関心の中心で、“バナー”であれ“検索連動型”であれ、広告には、よほどその絵や言葉が気にならない限り、ほとんど見向かないということだ。

自分のような年代・立場・興味のものは、オンライン市場の構成者としてはおそらく、極めて少数派だろうし、これらの広告のターゲットとしては別に“お呼びでない”だろうから、こんなことを言うのは大きなお世話かも知れないが、以前からその効果のほどが、業界の通説はともかく本当はどうなのかと、気になっていた。
というのも、オンライン広告を、伝統的な意味での広告の概念・目的で捉えている限り、インターネットというものの機能と特性を十分に生かしていることにはならないのではないかという疑問が、ずっと拭えなかったからだ。

事実、ページ上の掲載形態として、またはコピーやデザインとして目についた、かなりの数の企業のバナー広告を意識的にクリックしてみたが、その広告が多分狙ったはずの目的に最短距離で到達できたケースは、ごく稀にしかなかった。
バナーの表現を見ると、目的は割合単純に、絞り込まれているかのように見えるのだが、そこからリンクして行き着くページがややこしい。意図している最終目的地(キャンペーンページ、商品・サービスページなど)へとストレートにジャンプさせればいいものを、わざわざもう一度より複雑な出発地点(企業ポータル、トップページ)へと連れ戻し、要らぬ行き先まで示して、折角、特定の興味を持って立ち寄ってくれる広告の訪問者を混乱させ、手間をかけるようなことをしているのだ。これでは面倒になって、その訪問を途中で切り上げられても仕方がない。

また、マーケターとクリエーターの意思が通じ合っていないと想像させられるつくり方の広告も多い。ウエブ上で技術的にいろいろなことができるようになったのは結構なのだが、クリエーターがそれにのめり込み過ぎて、広告の本来の目的がなおざりにされている。
バナーからリンクした先が、動画仕立ての企業トップページだったりすると、画面が立ち上がるまでにかなりの時間がかかる上に、本題に入る前のどうでもいい映像を長々と見せ付けられて(一応スキップできるようになってはいるが)、イライラすることが少なくない。クリエーターがそれで企業イメージをアップできると思い込み、広告主がそれに満足しているとしたら、何だか大きな勘違いのような気がするが、そんな文句を言っているのは自分だけなのだろうか?

マーケティング実務家の自分としては、インターネットを単に、伝統的なマスメディア広告戦略の延長線上にある一つのメディアと見做し、認知や好感の獲得までの目的を達成するための広告ミックスの一環としてしか考えず、“ネット視聴率”なるものを効果の評価基準としてROI(費用対効果)を問わずにいる、インターネット広告業界の考え方にも納得が行かなかった。
その先に行動喚起と顧客形成までを視野に入れて、あくまで実績・ROIを評価基準とする“ダイレクトレスポンス”や“オンライン・コマース”のような考え方、インターネットの使い方をするのなら、意味があると思えるのだが。

そんなことを、あまり口には出さなかったが心の中で思っているうちに、この経済危機が引き金となって、懸念していたことが少しずつ、表に出始めてきた。
インターネット業界情報提供ブログ「TechCrunch」の共同編集者の一人Erick Schonfeldが、本年6月に“インターネット・ディスプレイ広告(注)出稿は鈍化傾向”という見出しで同ブログに書いていたことだが、TNS Media Intelligenceの調査によれば、検索連動型広告も含むインターネット広告全体としての出稿予算は、やや鈍化はしながらも相変わらず他のメディアとくらべて高い成長率を維持しているが、その中のディスプレイ広告は、今年の前半で見ると、昨年比で半分の成長率(16.7%→8.5%)に下がったという。

(注)本来は、オフラインかオンラインかにかかわらず、編集的コンテンツと同一または隣接するページに掲載される、グラフィックな “場所貸し”型広告を意味していたが、現在は、ウエブページ上の、文字・映像・音声などの要素も含むさまざまな形態と機能の「バナー広告」を表わす用語として使われている(したがって「検索連動型広告」は含まない)。

また10月にも、デジタルビジネス情報サイト「Silicon Alley Insider」の編集長Henry Blodgetが同サイトのブログで、“大変だ!2009年にはネット上のディスプレイ広告が急減する”という見出しで、インターネット広告業界に対し警鐘を鳴らしている。
2003年以降急成長を続けていたオンライン・ディスプレイ広告の出稿額は、景気後退により2009年には前年比約10%減少し、2010年以降もしばらくは同様の現象が続く可能性があり、YahooやCNETやAOLといったディスプレイ広告依存の大手も深刻な打撃を受けるだろうというのだ。

そしてつい先日、11月の末には、広告業界誌「ADWEEK」のウエブサイトに、 “ディスプレイ広告の終焉は近いか?”というセンセーショナルな見出しで、Mediaweekの編集主幹Mike Shieldsの記事が掲載された。
これまで“ブランディング”という大義のもとに、合理的な効果測定規準も設けられず、採算性の面での価値も問われずにいたオンライン・ディスプレイ広告が、そのかつてのメリットを逆手にとられて、現在の深刻な経済危機の中で真っ先に、広告主のマーケティング予算再カットの槍玉に挙がっているという情報が、多くの業界関係者の談話として紹介されているが、これまでは潜在していた疑問や不満が、ちょうどいい機会とばかり一気に噴出し、新しいトレンドにさえなりつつあるようだ。

曰く、“サイズが小さくて目立たないから、実は、広告としてのインパクトも低く、思っているほどの効力はない”とか、“料金体系は、インプレッション単価(CPM)ベース、つまりリーチ&フリクエンシー基準では不合理で、クリック単価(CPC)ベース、すなわち実績基準にすべき”等々。
ブランディングを目的とする広告としてはインターネットがそんなに大きな影響力を発揮できるわけがないなどということは、前々から囁かれていたし、CPCベースの料金体系も特に新しい発想ではなく、ダイレクトレスポンス広告では当たり前のことだったが、それが表立って言われるようになってきたのは、この厳しい事態に直面して、やっと広告主も、ROIやインターネット広告の評価の仕方に目覚めたということなのだろう。

まあ、業界の動きはともかく、ここで、自分の持ち出した疑問に対する自分なりの答えをまとめるとしたら、とりあえず戦略的には、“インターネットは単なる広告メディアではないから、ブランドの認知と好感獲得までに止まらず、その先の行動喚起と顧客形成という目的までを視野に入れて活用すべき”と、そして戦術的には、“広告からマーケティングの最終目的に向けてランディングさせるまでのプロセスを、もっとシンプルでストレートなものにすべき”とだけ言っておきたい。
お気付きかも知れないが、これは取りも直さず、ダイレクトレスポンス広告の本質だ。誤解・短絡してもらいたくないのであえて断わっておくが、もちろん、そのままオンライン・コマースのことを意味しているわけではなく、伝統的な流通のサポートためにもそういう考え方を適用すべきということである。

あらかじめ自ら危惧していたように、やっぱり長い話になってしまったので結論を急いだが、もしかしたら無意識の飛躍や過不足があるかも知れない。ので、いずれ別の機会に、お読みくださった方との掘り下げた意見交換をしてみたいと思っている。

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2008年12月 1日 (月)

やっぱり本が好き

エンタテインメントもニュースもナレッジも、大概の情報は、インターネットやテレビ・ラジオ、そして新聞・雑誌など、いわゆるコミュニケーションメディアを通じて得られるもので間に合うが、人の好奇心や非日常的状況への夢想などは、それだけではなかなか満たされるものではない。
だから、未知・未踏なる内容の、“本”というかたちの情報源を、常に最小限5冊ぐらいは傍に置いておかないと何か落ち着かず、残りがあと1冊になると、早く次のストックを用意しなければと、少し焦ってしまう。

しかし、山で暮らしていると、歩いて行けるようなすぐ近くに大型書店があるわけでなく、15キロ先のショッピングモールまで行けば本屋さんがあるにはあるが、小規模で自分が欲しいと思っているような類いのものは揃っていない。
東京に出たついでに寄れたらいいのだけれども、生憎、移動コース上には格好の書店がなく、たまに寄り道をしようと思っても、ギリギリのスケジュールで動いているため、まずその余裕をつくり出すことができない。

...と、ないないづくしを嘆いているうちに、とうとうストックが全部切れてしまい、どうしようかとあれこれ考えているまま1ヵ月。家の中にいるときはともかく、仕事で出かけて独りランチをするときなど、もの足りなくて困った。というのも、面白い本を読みながらだと、ありきたりのメニューでも、より美味しく食べられるような気がするからだ。
前にも、外出携行用の本を切らして、移動途上のKIOSKで買った週刊誌で間に合わせようとしたことがあったが、やはりそれでは代わりにならなかった。片手で持ち、その親指でページをめくれる、文庫か新書版の単行本でなければダメなのだ。

で、切羽詰ってとうとう、オンラインで注文することに。もっと早くすればよかったのだが、書店で買うようにパラパラと何ページかをチラ見し、タイトルだけではわからない内容をある程度覗くわけにも行かないため、何度も検索しては、欲しいものを見つけあぐねていた。また1店でまとめ買いしようと思っていても、店によって在庫がマチマチだったりして、一たんカートに入れては途中で止めるということも繰り返していた。
本のオンラインショッピングは、タイトル・著者・内容がわかっていて決め買いをするのなら実に便利だが、自分の好みに合いそうなものを特に当てもなく見つけ出そうというときには、けっこう根気が要る。それでも、専門書の新刊などは、概要や目次が紹介されているからいいが、いま自分が漁っているような既刊のエンタテインメント書の文庫版などにはそれがないから、あれこれ類推を働かせざるを得ず、なかなか決めにくい。

Book_2 とかなんとか文句を言いながらA社一つにまとめて一度に10冊注文した本が先日届き、やっと落ち着いた気持ちになった。これで、横浜に戻るまでのあと3週間あまり(うち仕事での東京往復は1回を残すのみ)は、何とか間に合うだろう。
07年4月30日「書店の楽しみ」の回にも書いたように、今回仕入れたものも、例の分野(古代史もの)ばかり。これまで、通説から新説・珍説・奇説まで、歴史学をはじめ考古学・文化人類学・宗教学・地質学・天文学まで、日本だけでなくアジア・中近東・ヨーロッパ・北南米・太平洋地域まで、そして現代から先史・神話の時代まで、お堅い研究書・ノンフィクションの類いはほとんど読みつくしてしまい、いまでは遂に、学者や研究者ではなくて小説家による、創作読み物にまで対象を拡げた。

それも、必ずしも歴史小説と言われるような文芸作品とは限らず、最近ではミステリー、SF、伝奇ものと、本来それほど見向いていたわけではなかったジャンルも視野に入れ、史書に基づいて日本の古代そのものを舞台にしたオーソドックスな作品ばかりでなく、舞台は現代だが、タテ・ヨコの伏線として日本のみならず世界の古代史や科学とオカルティズムが虚実ないまぜに織り込まれた、超常的な物語をも楽しんでいる。
不遜な言い方かもしれないが、何でも勉強のためと読んだ若いころと違って、いまさら読書からは、なまじの知識や教訓を求めようとは思わない。期待するのは逆に、そんなもので一杯になってしまった頭の中を空っぽにしてリフレッシュしてくれるエンタテインメントだけ。それには、このジャンル、スタイルの読み物が打って付けなのだ。

今回も、まずは定番ものをと、故・黒岩重吾の古代史長編小説の中でこれまで書店で入手できなかったものを、ネット上で丹念に検索して掘り出した。豊田有恒・邦光史朗・井澤元彦など、この系列の作品を書いている作家は他にもいるが、この人ほど量・質両面で徹底した人は見当たらない。一般的には社会派現代小説作家として知られているが、自分はむしろ、その古代史小説作家としての活動側面に大きな関心があり、これまでに購入し読んだ作品は、30点以上にのぼる。

“浅見光彦シリーズ”の内田康夫や、“十津川警部シリーズ”の西村京太郎など、一般愛好家向けミステリー作家として人気の高い人たちの作品の中にも、舞台は現代だが古代の歴史ロマンを巧みに取り入れたものがあるのに気がついた。全作品数からすれば決して点数が多いとは言えないが、ひとつひとつを読んでみると、この人たちも古代史が嫌いではないなと思わせられる。
同趣向のよりマニアックな作品を書いている若手に、高田崇史という作家がいるが、書店で読みたい文庫本が見つからず、新書版のいわゆる“ノベルス”ものの棚を何気なく眺めていてフとタイトルに惹かれ、読んでみたら病みつきになった。気が付くと黒岩重吾に次ぐ購入点数で、今回は新刊にも飛びついてしまった。篠田秀幸なども同じタイプで、この手のものをもっと沢山書いてくれればと思っている。

そして、いま最ものめり込んでいるのが大河伝奇小説。半村良・高橋克彦・明石散人などを読み尽くして、やはりノベルスを物色しているうちに、篠田真由美の“龍の黙示録”という超伝奇シリーズに行き当たった。つぶさに見て行くと、富樫倫太郎・三田誠広、西風隆介など、ミステリー・ノベルスのフィールドには、他にもこのタイプの作家がいる。
史実ともっともらしい仮説を伏線にして、時空を超えた何でもありの世界が作者の力量の限りに繰り広げられるから、面白くないわけがなく、その仮説や伏線について少しでも知識や関心があれば、さらに楽しみが増幅する仕掛けになっているから堪えられない。

読む本を十分ストックできた嬉しさに、思わず、大方の読者諸氏にはあまり興味がないかもしれない自分の偏った好みについて、得々と語ってしまった。可笑しくも何ともないだろうけれども、どうか憫笑くだされ。
でも、もしかしたら、中にはもの好きな同好の士もいたりして...。おられたら、ぜひ、面白そうなタイトル・作家をお教えいただければ有難い。

サテ、こんど出かけるときには、どれを携えて行こうか。

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