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2008年11月17日 (月)

あと何回?のクラス会

先週は、中2日空けただけで1週間のうちに2回、東京・清里間を往復した...と言うと忙しそうに聞こえるが、仕事は先の1回だけで、後の1回は大学のときのクラス会。卒業後数年目から始めてもう40年以上経つが、ほとんど毎年欠かさず、この時季になると集まっている。
今年はたまたま、山荘に引っ込んでいる時期と重なり、行くにも帰るにも時間がかかることになってしまうので、どうしたものかと迷っていたが、“あまり遅くならなければイイワよ”と、2次会についての暗黙の了解も得たので、安心して出席することに。

その日、開宴は昼過ぎからだったが、家を出たのはいつもの仕事のときと同じ午前9時近く。でも、その時間になってもまだ、外の気温は2度までしか上がらず、寒がり屋としては、タートルネックとコーデュロイのジャケットに起毛コットンパンツをはき、コートにはライニングをつけて――と、もうすっかり冬仕度。
その日、中央道ハイウェイバス長坂高根停留所の真正面に見える南アルプスの連山は冠雪して真っ白。2時間半後に着いた新宿も、晩秋というよりは冬の訪れを感じさせる、どんよりとした曇り空だった。

会場は、ひと頃からずっと、キャンパスに隣接したRRホテルの本館か大隈庭園の完之荘だったが、今回はめずらしく大学の付属施設の大隈会館。新しいビルになってからは、ときどき1階の事務所に用事で来ていたくらいで、宴会場としてどんな部屋があるのかよく知らなかったが、行ってみたら、なかなか結構な造りのお座敷。3階なのに障子窓の外はチョッと気の利いたミニ庭園になっており、都心とは思えぬ風情があった。
自分はどちらかといえば椅子・テーブル派で、和室だったら足を伸ばせる掘り炬燵形式が良かったのだが、級友のほとんどが“やはり俺たちの世代は畳に胡坐だよナア”と大いに寛いでいたので、我侭は言わないことにした。食事の方はというと、見るからに低カロリーの和風オードブルに、幕の内弁当と澄し汁のメイン、そしてフルーツのデザート。きっとシニア向けのメニューなのだろうが、いまの自分たちにはピッタリで、まずまず美味しく、そして無駄なく食べられた。

昔は、ほとんどの級友がアルコール中心で、酔うほどにキリがなくなり、もともと下戸の自分などは早く食事にして欲しくて困ったものだったが、いまでは、ビール・ウィスキー・日本酒は飲み放題だといっても、グラスを重ねている者はむしろ少数派。殊勝にジュースやウーロン茶を前に置いている者の方が多くなり、気勢の上がらぬこと夥しい。
けれども、ご機嫌になって独演会を開始する者が一人や二人は出てきて、とりとめない長話にやがて外野や幹事から“わかった、わかった、ハイその辺で...”とストップがかかる。が、それでも別にムクレたりするわけではないのは、やはりお年のせいか。

往年は、50名のクラスで30名近くが顔をそろえたこともあり、長い間20名以上をキープしていたのだが、このところとみに出席者が少なくなって、とうとう一昨年は18人、昨年が13人、今年は辛うじて1人増え14人という状態になった。故人もすでに6人を数え、連絡のつかない者も5人ほどいる。
前の年には座を仕切り、2次会で陽気に唄いまくっていた友の訃報を、その1年後に聞くということが一昨・昨年と2年続いたのはショックだった。特に、年1度のクラス会だけでなく毎月のように顔を合わせては一緒に唄っていた仲間の一人だったSが昨年のいまごろ急逝したことを知ったときには...。何しろ、同じ横浜に住み、病院は別だったがほぼ同時期に胃の精密検査を受けて、様子を報告し合っていた間柄だったのが、プッツリと連絡がとれなくなってわずか3~4ヵ月のことだったから...。

ノン・アルコール派が多数になると、飲み会ではない2次会が必須になるが、歴代幹事もそこのところは心得ていて、最近では例年、1次会を型通りに終えると、あらかじめセットしてあったRRホテルのカラオケ・ルームへと、ほぼ全員が雪崩れ込む。もちろん本年も...。で、今年は、誰からともなく言い出し、まずSを追悼して、Sの好きだった曲から始めようということになった。
自分と同じように米資企業で働き、現地勤務もしていたSは、ブルースやカントリー・ソングをことのほか好み、自分がそういったナンバーを唄い出すといつもコーラスのパートで、頼みもしないのにもう1本のマイクを持ってハモりに出てきて有難迷惑したものだった。しかし、いまではそれさえ懐かしい。

自分が彼に捧げた曲は、レイ・チャールズの「愛さずにはいられない」と、ジョンデンバーの「カントリー・ロード」。どちらの曲もモニターの画面を見ずとも歌えるので、目を閉じ、在りし日のSの顔を瞼の裏に思い浮かべながら絶唱した。そして演歌派の友人NとKは、それぞれ「すきま風」と「群青」を...髪は失くなっていたがロマンチックなハートはいつまでも失くさなかったSは、この種の歌謡曲もよく唄っていた。
もう1曲、トム・ジョーンズの「思い出のグリーングラス」も捧げたかったが、中盤は総員競って唄い出したので...断念。それでもその中に、クール・ファイブ的ビブラートの伝授をNに頼まれた「北ホテル」と、全員唱和のタイムスリップ・ナンバー、ポール・アンカの「ダイアナ」を紛れ込ませた。そして一回りまわった後は、リクエストに応えて越路吹雪の「サン・トワ・マミー」とフリオ・イグレシアスの「ナタリー」。まあ自分としては、これで腹八分目というところだが、多分、いちばん多く唄ったのだろう。

さて、自分は帰りのバスの時間があるからと先に席を立つつもりだったが、ちょうどそれが、予定していたお開きのタイミング。かつては、その後にマージャンなど、さらに3次会に流れたものだったが、いまではそんなことを言い出す者は一人もおらず、みんな、夕食に遅れぬようにと家路を急ぐようになった。
すっかり暗くなったころ、“お互い元気でナ”と、再会を約して握手で別れたが、来年、人数が減っていなければいいが...と、ふと思った。この会もあと何回続けられるのだろう。

いつもより2時間遅いバスでの帰途、iPodのイヤフォンから、エルビス・プレスリーの唄う「マイウェイ」が聞こえてきた。本当はその日、“いまの心境を託して...”などと、シメに歌いたかったが果たせなかった曲で、チョッと心残りがあったので、聞こえないほどの小さな声のつもりでハミングしていたら、隣席の小母さまにチラッと冷たい(と感じた)横目で見られた。

そんなこんなで、久方ぶりに、タガの外れっ放しの1日ではあった。

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コメント

イエイエまだまだ花の?歳。
男声不足の我がコーラス団、部員としてスカウト!させていただきたいと・・・。
如何でしょうか??

投稿: まみ | 2008年11月17日 (月) 09時15分

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