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2008年11月

2008年11月24日 (月)

清里は秋から冬へ

Yamagoushi 清里の森から見える山々は、富士山をはじめ、北岳・甲斐駒などの南アルプスも、赤岳・権現岳などの八ヶ岳も、もう上半身が真っ白になって、いよいよ冬到来を告げている。我が山荘の庭先も、ツイ先日まで紅葉が目を楽しませてくれていたと思ったら、いつの間にか樹々はすっかり落葉して、時として粉雪が舞う寒々とした初冬の景色になってしまった。
でも、遠景の見通しはよくなり、陽光を遮るものがなくなった分、全体に明るくなったような気はする。地面には、まだ鮮やかな色のままのモミジの葉が散り敷き、その上に赤紫に熟しきったヤマボウシの実が沢山落ちこぼれていて、ムッシュが庭へ出るたびに夢中でかぶりつきたがる。確かに、甘いジャムのような強い香りがするから、本犬としてはたまらないのだろう。

月1回くらいのペースで来て、長くて数日しか滞在しなかったこれまでの秋にはさほど気にならなかったが、しばらく車の掃除をさぼっているうちに外も中もカラマツだらけ。特に、フロントグラスとボンネットの間の溝(ワイパーがついているところ)は、まるでビッチリ埋め込んだようになっていて、きれいに取り出すのにエラく苦労した。
散歩も、寒さが身体の芯まで沁みるようになってきたが、ムッシュは相変わらず元気で遠出。それは良いにしても、その度ごとに二人で足に沢山落ち葉をつけて帰ってくるので、ポーチも玄関内も上がりがまちも、いくら掃除しても散らかってしまう。

何日か良いお天気が続いたので、懸案だったベランダの塗装を。毎年やっているのだが、昨年は水性塗料を使って夏季に作業をしたせいか、その後の強烈な直射日光と雨風に当った平面部の塗料がアチコチ浮き上がり剥がれてしまい、冬を越す前に何とかしておかなければならない状態になっていたからだ。
今回はチョッとやソッとでは剥げぬようにと、長坂のホームセンターJで油性塗料を仕入れ、塗り刷毛も大・小2本を新調し、旧い塗料を削ぎ落とすためのブラシも用意した。10㎡ほどの床面に、8段の階段、そしてそれらに付随する手摺りの平面部だけだから(側面や縦柱は昨年の水性塗装でも何ら劣化していない)、塗りの作業はさして大仕事ではないのだが、それにかかるまでの前作業がけっこうたいへんだった。

まず、浮き上がったり剥げたりしている旧い塗装を、金属のヘラのようなもので削ぎ落とし、その上で硬質のブラシをかけて表面を平準化する。さらに微細な粉末が残らないように全体をデッキブラシで清掃、そして雑巾で水分を拭き取っておく。床板の隙間や柱材の継ぎ目に詰まっているカラマツその他の落ち葉を取り除いておくことはもちろんだ。
こう書くと、スムーズにできた一連の作業のようだが、実は、半日ずつ2日を要し、3日目にやっと塗装にかかることができた。けれども、塗りの段階に入ると仕事は何かクリエーティブな感じさえしてきて、鼻唄まじりで楽しんでいるうちに終ってしまった。塗料の色も、前のものとまったく同じものではなかったが、違和感はなく、自分でも満足できる仕上がりになった。

秋が終わりに近づいて、リスをはじめ森の野生動物たちは冬越しのための食料確保に忙しいようだが、それに関して気になっていることが一つある。それは、裏庭のど真ん中に、何だかはわからないが、そういった小動物の棲家があるのではないかということ。
この山荘を建てたときに伐採・裁断した樹木の一部が長い間積み重ねられたままになっていて、上部はすっかり苔で覆われているが、地表に近い数ヵ所に小さな穴が開いており、どうも、何か生き物が出入りしているらしき形跡があるのだ。

Yamane リスか?それともヤマネか? ためしに2ヵ所の穴の前に、小鳥やリスが好きなヒマワリの種を餌皿に入れて置いてみた。すると日中はそのままだが、翌朝になると2つの皿はきれいになっており、穴の入口の少し奥に、食べかすが散乱しているのが見えた。1週間続けてみて、結果は毎朝同じなので、これは間違いないと思った。
しかし、姿は見えない。もしリスだったら、以前にもベランダまで何度も食べにきていたし、先日も窓から見える樹々の枝を飛び回っていたから、とうに姿を見せているはず。するとヤマネか?ヤマネもかつて、2度ほど発見したことがあった(ただし可哀そうにも亡くなった状態で――1度は留守中に屋内の作業用流しに水を飲みに来て帰れなくなったらしく、もう1度は庭で鳥か何かに襲われたらしかった)。昼間はどうしても出現しないところをみると、夜行性のヤマネの可能性が高い。この寒さだから、夜通し観察しているわけには行かないが、遭えたら可愛いだろうと思う。何しろ手の平に乗る超ミニサイズだから。

Shimobashira このところ、日中陽が射しているときは最高気温が5度前後まで上がることもあるが、最低気温は氷点下が当たり前になって、陽の当らない場所には一日中霜柱が立ちっ放し。少しでも風のある日は、八ヶ岳から飛んでくる雪片が空中を舞う。そうなると、室内全体が十分に暖まるまでには時間がかかる床暖房だけでは足りず、朝夕は暖炉を焚くのが欠かせなくなり、したがって、柴や薪の備蓄にも勤しまなければならないことになる。
これまでの年は、暖炉を焚かなければならないほどの日は、年間延べ半月もなかったから、薪の消費も知れたもので、何年も前に買い置いたもので十分間に合っていたが、今年は既に1ヵ月焚き続け、この後も1ヵ月は続けなければならない。買い置きのものだけでも恐らく大丈夫とは思うが、“備えあれば憂いなし”だし、いい運動にもなるので、チェーンソーとマサカリを振るい、積み置いた古材・伐採材で薪作りに励むことにする。

気がついてみれば、もう11月も下旬。例年ならそろそろクローズして帰る時期だが、横浜の家が完工するまであと1ヵ月、雪が降ろうと八ヶ岳颪が吹き荒ぼうと、ここで過ごさなければならない。
戻りの引越しの準備はまだまだ先のことと思っていたら、もう目の前に迫ってきた。そろそろ気持ちを切り替えて用意を始めなくては...。

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2008年11月17日 (月)

あと何回?のクラス会

先週は、中2日空けただけで1週間のうちに2回、東京・清里間を往復した...と言うと忙しそうに聞こえるが、仕事は先の1回だけで、後の1回は大学のときのクラス会。卒業後数年目から始めてもう40年以上経つが、ほとんど毎年欠かさず、この時季になると集まっている。
今年はたまたま、山荘に引っ込んでいる時期と重なり、行くにも帰るにも時間がかかることになってしまうので、どうしたものかと迷っていたが、“あまり遅くならなければイイワよ”と、2次会についての暗黙の了解も得たので、安心して出席することに。

その日、開宴は昼過ぎからだったが、家を出たのはいつもの仕事のときと同じ午前9時近く。でも、その時間になってもまだ、外の気温は2度までしか上がらず、寒がり屋としては、タートルネックとコーデュロイのジャケットに起毛コットンパンツをはき、コートにはライニングをつけて――と、もうすっかり冬仕度。
その日、中央道ハイウェイバス長坂高根停留所の真正面に見える南アルプスの連山は冠雪して真っ白。2時間半後に着いた新宿も、晩秋というよりは冬の訪れを感じさせる、どんよりとした曇り空だった。

会場は、ひと頃からずっと、キャンパスに隣接したRRホテルの本館か大隈庭園の完之荘だったが、今回はめずらしく大学の付属施設の大隈会館。新しいビルになってからは、ときどき1階の事務所に用事で来ていたくらいで、宴会場としてどんな部屋があるのかよく知らなかったが、行ってみたら、なかなか結構な造りのお座敷。3階なのに障子窓の外はチョッと気の利いたミニ庭園になっており、都心とは思えぬ風情があった。
自分はどちらかといえば椅子・テーブル派で、和室だったら足を伸ばせる掘り炬燵形式が良かったのだが、級友のほとんどが“やはり俺たちの世代は畳に胡坐だよナア”と大いに寛いでいたので、我侭は言わないことにした。食事の方はというと、見るからに低カロリーの和風オードブルに、幕の内弁当と澄し汁のメイン、そしてフルーツのデザート。きっとシニア向けのメニューなのだろうが、いまの自分たちにはピッタリで、まずまず美味しく、そして無駄なく食べられた。

昔は、ほとんどの級友がアルコール中心で、酔うほどにキリがなくなり、もともと下戸の自分などは早く食事にして欲しくて困ったものだったが、いまでは、ビール・ウィスキー・日本酒は飲み放題だといっても、グラスを重ねている者はむしろ少数派。殊勝にジュースやウーロン茶を前に置いている者の方が多くなり、気勢の上がらぬこと夥しい。
けれども、ご機嫌になって独演会を開始する者が一人や二人は出てきて、とりとめない長話にやがて外野や幹事から“わかった、わかった、ハイその辺で...”とストップがかかる。が、それでも別にムクレたりするわけではないのは、やはりお年のせいか。

往年は、50名のクラスで30名近くが顔をそろえたこともあり、長い間20名以上をキープしていたのだが、このところとみに出席者が少なくなって、とうとう一昨年は18人、昨年が13人、今年は辛うじて1人増え14人という状態になった。故人もすでに6人を数え、連絡のつかない者も5人ほどいる。
前の年には座を仕切り、2次会で陽気に唄いまくっていた友の訃報を、その1年後に聞くということが一昨・昨年と2年続いたのはショックだった。特に、年1度のクラス会だけでなく毎月のように顔を合わせては一緒に唄っていた仲間の一人だったSが昨年のいまごろ急逝したことを知ったときには...。何しろ、同じ横浜に住み、病院は別だったがほぼ同時期に胃の精密検査を受けて、様子を報告し合っていた間柄だったのが、プッツリと連絡がとれなくなってわずか3~4ヵ月のことだったから...。

ノン・アルコール派が多数になると、飲み会ではない2次会が必須になるが、歴代幹事もそこのところは心得ていて、最近では例年、1次会を型通りに終えると、あらかじめセットしてあったRRホテルのカラオケ・ルームへと、ほぼ全員が雪崩れ込む。もちろん本年も...。で、今年は、誰からともなく言い出し、まずSを追悼して、Sの好きだった曲から始めようということになった。
自分と同じように米資企業で働き、現地勤務もしていたSは、ブルースやカントリー・ソングをことのほか好み、自分がそういったナンバーを唄い出すといつもコーラスのパートで、頼みもしないのにもう1本のマイクを持ってハモりに出てきて有難迷惑したものだった。しかし、いまではそれさえ懐かしい。

自分が彼に捧げた曲は、レイ・チャールズの「愛さずにはいられない」と、ジョンデンバーの「カントリー・ロード」。どちらの曲もモニターの画面を見ずとも歌えるので、目を閉じ、在りし日のSの顔を瞼の裏に思い浮かべながら絶唱した。そして演歌派の友人NとKは、それぞれ「すきま風」と「群青」を...髪は失くなっていたがロマンチックなハートはいつまでも失くさなかったSは、この種の歌謡曲もよく唄っていた。
もう1曲、トム・ジョーンズの「思い出のグリーングラス」も捧げたかったが、中盤は総員競って唄い出したので...断念。それでもその中に、クール・ファイブ的ビブラートの伝授をNに頼まれた「北ホテル」と、全員唱和のタイムスリップ・ナンバー、ポール・アンカの「ダイアナ」を紛れ込ませた。そして一回りまわった後は、リクエストに応えて越路吹雪の「サン・トワ・マミー」とフリオ・イグレシアスの「ナタリー」。まあ自分としては、これで腹八分目というところだが、多分、いちばん多く唄ったのだろう。

さて、自分は帰りのバスの時間があるからと先に席を立つつもりだったが、ちょうどそれが、予定していたお開きのタイミング。かつては、その後にマージャンなど、さらに3次会に流れたものだったが、いまではそんなことを言い出す者は一人もおらず、みんな、夕食に遅れぬようにと家路を急ぐようになった。
すっかり暗くなったころ、“お互い元気でナ”と、再会を約して握手で別れたが、来年、人数が減っていなければいいが...と、ふと思った。この会もあと何回続けられるのだろう。

いつもより2時間遅いバスでの帰途、iPodのイヤフォンから、エルビス・プレスリーの唄う「マイウェイ」が聞こえてきた。本当はその日、“いまの心境を託して...”などと、シメに歌いたかったが果たせなかった曲で、チョッと心残りがあったので、聞こえないほどの小さな声のつもりでハミングしていたら、隣席の小母さまにチラッと冷たい(と感じた)横目で見られた。

そんなこんなで、久方ぶりに、タガの外れっ放しの1日ではあった。

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2008年11月10日 (月)

不況とマーケティング

まだ間接的にはビジネスの世界に関わっているけれども、第一線を引退している今では、現在の景気低迷の影響を自分自身が仕事上で直接受けることはない。が、前期高齢期(?)にある一消費者としては、諸物価・料金の値上がりと、それによる収入の実質的目減りによって、何かと暮らしにくさが増していることは実感せざるを得ないこのごろだ。
息子たちも、日本の基幹産業に関わる仕事をしているので、この世界的不況の影響を受けていないわけはないと気懸かりだし、いまは家庭に入っている娘についても、新卒者の就職内定取り消しのニュースなどを聞くと、氷河期で苦労していたころのことを思い出す。

間もなく新大統領が就任するアメリカでも、一足先に新首相が誕生した日本でも、まず何より優先しなくてはならないのは経済の回復だと思うが、この問題はそう簡単ではない。消費底上げのための一時的な給付金などは、ないよりはあった方がいいには決まっているが、これが問題解決のための抜本的な効果をもたらすとは思えない。アメリカはいざ知らず日本では、こういう時期の国民心理としては、それを消費に回すよりも貯蓄に回す方を選ぶことが十分考えられるからだ。
だから低迷から脱出するためには、そういった政府による一時的な施策だけを頼りにするのではなく、経済活動に携わるそれぞれの企業自体が、根本的・長期的な方策を講じなければならないと思う。たとえばどんなことを?...これには諸説がある。

アメリカでも日本でも、不景気になると真っ先に講じられる対策というのは、安易な“価格アップ”と“コスト・カット”だ。企業が苦しくなった分を消費者にしわ寄せする自己防衛策は論外だが、何でもいいから単純に支出を削減しようとするのも問題だ。無駄や非効率を洗い出してそれを合理化するのは適切な経営施策で、それだったらとやかく言う筋合いはないが、中身をよく考えない無闇な経費削減はいただけない。
実際に不必要なものと、カットしてはならないものとを区別せず、いちばんわかり易い部分を削って、目的・用途ごとの再検討や配分の見直しを十分にしない場合が往々にしてあるから、折角の可能性まで摘み取ってしまったり、築き上げた信用を台無しにしてしまったりして、ときに自らの首を絞めるような結果を招くことすらある。

不況時でも、費用を投下すべきところには投下しなければならないのが現実で、大事なのは、どこに、どんな目的に投下すべきかを見極めること。そして、その目的を達成するために最善の方法論――というか戦略――を模索することだ。
まず目的の設定だが、こういった厳しい環境の中では、単純・短期的な消費促進ということだけでは不十分で、長期的なスパンの中での、“顧客信頼の確立”ということこそが不可欠になってくると思う。つまり、どんなときでも“顧客の支持”という手応えを感じ取ることのできる物理的・精神的基盤を持った企業を目指すということだが、これは、イメージやかたちだけではない真の意味での「ブランディング」、あるいは「ブランド・マネジメント」ということになるのではないだろうか。

念のため言っておくならば、自分は「ブランド」という概念を、“企業が顧客に対して約束し実行する、期待を裏切らない「品質」、安心できる「取引」、満足できる「サービス」などによって生み出される、競合他社に対する優位性”と解釈しており、ブランディングまたはブランド・マネジメントとは、そのような“ブランドを形成し維持するための継続的な活動”と理解している。
この目的は、何も不況時に限らず、現代の企業経営・マーケティングにおける大命題だが、それを遂行するための方法論としては、今日の情報コミュニケーション環境の中では、少なくとも、対照的な2タイプの考え方=戦略が存在する。

その一つは、“トップダウン”とも言われる、エスタブリッシュされた伝統的大企業の立場からの考え方で、①いまのような経済環境の中でも広告投資をセーブしようと考えるのは誤り、②むしろこの環境はそれを増強して挑戦を試みるべきユニークな機会、③これを成長のチャンスととらえてより強いブランドをつくることこそが必要、などという、不況だからこそ特色ある広告のための費用投下を推進しようというもので、強いブランドはより強く、そして生存競争に勝ち残って行かなくてはならないという思想が垣間見える。
それぞれ、①は「バンクオブアメリカ」の広告担当役員アンヌ・サウンダース女史、②は「アメリカンエキスプレス」のマーケティング担当副社長クレア・ベネット女史、③は「チャールズシュワブ」のマーケティング担当役員レベッカ・サージャー女史らによる、本年10月16~19日にフロリダ州オーランドで行われたANA(Association of National Advertisers=全米広告主協会)コンベンションでの発言だ。

もう一つは、上記とは対照的に自ら“ボトムアップ”と称する、Web2.0の申し子のような業態の企業の考え方で、ANAコンベンションと同時期(10月11~16日)にラスベガスで行われたDMA(Direct Marketing Association=全米ダイレクトマーケティング協会)の年次カンファレンスで、基調講演の一つとして「クレイグリスト」の創業者にして顧客サービス責任者のクレイグ・ニューマン氏がプレゼンテーションした内容に代表される考え方。
すでにご承知の読者も多いと思うが、クレイグリストとは、米国サンフランシスコで1995年に創業した、生活情報・求人・家探し・出逢い・物品交換・売買といった地域メッセージ交換のための、大規模な個人向けネット掲示板。専門的に言うならソーシャルネットワーク・サービスの典型、WOM(Word of Mouth=口コミ)マーケティング・サイトだ。大都市での求人情報と不動産情報からは広告料を徴収し、それで経営を成り立たせているが、個人の場合は無料で、世界50ヵ国・567都市で利用されており、サイトのページビューではトップ10に入ると言われている。

ニューマン氏はその肩書きの通り、いまも顧客サービスの仕事に直接関わり、会員の話に耳を傾け、話し合い、約束をしてはそれを実行することを続けているが、彼の事業の核であるオンライン・コンテンツのほとんどは、会員からの提案に基づくものであり、その仕事を通じて彼は“価値を分け合う”という意味を知ったと言っている。
そして彼は、“ブランディングは今日、企業からのトップダウンでは成功しない。ブランドは、いま本当に何が起こり何が進行しているのかを本音で語ってくれる信頼できる友人・仲間との間の情報共有の中で形成される。人々は、何が信頼でき何が真実かを、誇大や見せかけの多すぎる一方的なメディア広告というシステムを通じてではなくて、ソーシャルネットワークという仲間同士の関係網を通じて見出している。”――と結論づけているが、これはまさに、“顧客がブランドの価値を決める”という、ボトムアップの考え方だ。

確かにいま、長期的・基本的なブランディング戦略として、あえてこのようなオンライン・ディスカッションやブログなどの場に商品やマーケティング目的を露出し、意見交換や客観的な評価を通じてブランド価値を形成しようとする企業が増えているが、現在のような経済の長期的低迷が予測される状況下で、読者諸氏はどう考えられるだろうか?
この2つの例は極端な対比かもしれないし、二者択一すれば良いという問題でもないと思うから、いま自分にも、将来の方向性についての見解はあっても、現時点での明確な正解はない。当然、より妥当な第三・第四の考え方があっても然るべきなので、各位の考えをぜひ聞かせていただけたらと思う。

何やら、ここで取り上げた2タイプの戦略の方向性の違いは、米国でこれまで保守党政権がとってきた経済政策と、これから民主党政権がとろうとしているそれの違いを反映しているような気がしないでもないと、書いているうちに思えてきたが、どうなのだろう?

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2008年11月 3日 (月)

犬はかすがい

エー、昔の人は“子はかすがい”などと申しましたが、当節は“犬はかすがい”と言った方が当っておりますようで...。

確かにその通り。“夫婦喧嘩は犬も食わない”という諺もあるが、それが起こらないように、また何とか収まるようにしてくれるのも犬だ。同じペットでも、猫ではそうは行かない。
夫婦の関係などというものは、長年連れ添った間柄ではあっても、いつも平穏無事というわけには行かず、我が家でもときに(大方自分のせいだが)、かなり難しい状況になることがある。気まずく長い沈黙の時間が流れて、単純で不器用な自分には、何が問題なのか、どうしたらいいかがわからず、途方に暮れることも再々。だが、そんなとき、ムッシュのお蔭で救われたことが、これまでどれだけあったかわからない。

ムッシュ ムッシュは、ママとパパの間がどうも微妙な雰囲気になってきたなと感じると、初めはやや引いて、しかし心配そうにその様子を見ているが、やがて2人の間に会話がなくなり、もはや一触即発という空気が立ち込めてくると、そこに絶妙なタイミングで、遠慮がちにトコトコと割って入ってくる。
そして最初はママのところへ行き、膝に手をかけて“どうしたの?”とでもいうような仕草で見上げるので、ママは仕方なしに口を開き、パパに対する鬱憤をムッシュに聞いてもらうというかたちで語り出し、パパもそれが耳に入ってやっと、問題の核心を理解する。

ムッシュ自身がどれほど理解しているのか本当のところはわからないが、ひとしきりママの話を聞くと、彼は今度はパパのところへやって来て、“パパ、またドジったの?ダメだなあ、いつもいつも...”といった眼差しで、じっとパパを見つめる。
そこでパパは、よくぞ来てくれたと藁にもすがる気持ちで、ムッシュに対する独白のかたちで自責と反省の気持ちを述べるわけだが、直接にでは言い訳じみて取り合ってもらえないことも、ムッシュを介したかたちでママの耳にも伝わることになる。

いい歳をした人間の、そんな世話の焼けるプロセスに、しょっちゅう付き合わされているムッシュこそ、実にいい迷惑だと思うが、日頃可愛がってもらっている恩義を感じてくれているのか、彼は二人の間を交互に行ったり来たりして、こちらが話をしている間は、それぞれの前にじっと座り、小首をしきりに傾げながら一生懸命に聞いてくれる。
そうやってムッシュは、いつもと違うパパとママに、懸命に気を遣う様子を見せるので、可愛らしくていじらしくて、やがて二人とも、ツイ、“ムーちゃん、ごめんね。心配をかけて...”と、期せずして同じような言葉を発してしまう。

そうなると、いくら何でも、お互いに対することよりムッシュのことが先に立ち、こんな小さな子にそこまで気を遣わせてはいけないな...と、二人とも親の気持ちに帰らざるを得なくなって、事態が治まるのは時間の問題となる。そしていつの間にか、話題の中心はなし崩しにムッシュに移り、ムッシュもそこでやっと安心して、自分の定位置の座布団の上でリラックスの体勢に入る。
こんなしょうもないことを、いったい何度、そしていつまで繰り返していることか...。でも、ムッシュがいるお蔭で、今日も家の中には、共通の話題があり、穏やかな空気が流れている。まことに、“犬はかすがい”と感謝するほかはない。

ところで本日、11月3日はムッシュの誕生日。猫よりも柄が小さいので、散歩中に会う初めての方からは“何ヵ月ですか?”などと子犬と間違えられるが、満8歳になった。我が家に来たのは2005年3月(その経緯については2006年2月27日を参照)で、それからまだ3年半しか経っていない勘定だが、子犬のときから一緒にいるような気がする。
4歳半まで目黒にいたし、そのあとの3年半も横浜だから、チャキチャキの都会っ子なのだが、この夏から3ヵ月あまりこちらにステイしているうちに、すっかり山の子になってしまった。もともと好奇心が旺盛なので、縦横に走る変化の多い森の中の路は面白くてたまらないようで、散歩に出る度に、いくつかある好みのコースのどれかを、アップダウンなどものともせずに遠出する。

散歩中のムッシュと口に入れて運んできたドングリ 秋の路上は落ち葉だらけで、何とも言えない芳香が発生しているらしく、ムッシュは散歩中に、チリチリに丸まった広葉樹の葉はもちろん、細く尖ったカラマツの葉まで口に入れようとする。あとでゲツ!ゲツ!となって苦しそうだから、やかましく制止するのだが、ときに見逃してしまい、家に帰ってきてから、鼻や口のまわりに葉っぱの切れ端を付けているのを見て、驚くことがある。
傑作なのは、ドングリのコレクション。散歩の帰り道、急に首を立て、わき目も振らず前方を見据えて歩調が早くなるので、どうしたことかと思っていると、家に着いたとたん、ポーチのタイルの上に“ポトリ!”と何かを吐き出す。途中で拾ったドングリを口に入れて運んできたのだ。殻は固いし味もエグいだろうから、食べてお腹でもこわしたら大変だと、折角ながらいつもそこで、“ハイご苦労さん!”となるが、何度取り上げられても懲りず飽きもせずに持ち帰ってくる。そんなドングリが、15個貯まった。干からび始めたが、あまりに可愛いので、記念にと、まだとり置いてある。

森も11月に入り、最後の彩りを留めているモミジやドウダンツツジの他あらかたの木々は、ほとんど葉を落として妙に見通しが良くなり、ムッシュと散歩をしていても一際寒さが身に沁みるようになってきた。このところ毎朝、ダイニングルームの窓の先のアカマツの高枝に、子リスが松の実を食べにやって来るが、そろそろ冬篭りの仕度なのだろうか。
横浜の家の工事も、これからいよいよ佳境に入り、何かと細かくチェックしなければならないことも多くなって、もうノンビリばかりはしていられなくなるが、なんとか家族3人、何事もなく年末まで持ち応えたいものだ。

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