« マイ・オールディーズ | トップページ | わたくし、B型ですが、何か... »

2008年10月 6日 (月)

山荘暮らしの買い物から日本の流通構造改革を想った

地方の町で、しかもその中心部からだいぶ離れた森の中で暮らしていると、買い物をするにも都会に住んでいるようなわけには行かなくて、いろいろな方法を使い分ける工夫が要り、突き詰めて考えて行くと“流通”という問題に突き当たる。

買い物と言っても、生活必需品は家内の役割。自分はせいぜい3度に1度くらい、荷物持ちとムッシュのお守りがてらついて行くだけなので、わかったようなことは言えないのだが...。日常の基本的な食品は、週1~2度、約15キロ20分あまり、車を走らせて長坂や大泉の在地スーパーで仕入れ、ときにこだわりの食材が欲しいときには地元の農場直営店に立ち寄ったり、県境を越えて(と言っても長坂よりずっと近い)野辺山のJA直売所に出向いたりもするし、手近で済ませたいときには、季節限定でオープンしている管理センターの朝市を利用することもある。
どこで買っても、地域原産のものはみんな新鮮で美味しいし、価格もリーズナブル。ジャガイモやキャベツやほうれん草やインゲンなどの生野菜、リンゴやブドウなどの果物だけでなく、豆腐や厚揚げやヨーグルトなどの加工品もそうだ。よく考えてみれば、小売のかたちに違いはあれ、生産者と消費者の間の流通チャネルが限りなく短く、途中で余計な処理も施されず、コストも最小限しか掛かりようがないから、そうならざるを得ないわけで、そんな当たり前の流通の原理を改めて認識した。

日用消耗品も、スーパーに来たついでに、その並びのホームセンターやドラッグストアで買い込むが、これらとは別の意味で日々の暮らしに欠かせない書籍やCDは、店舗が近くに存在しないので、もっぱらインターネットで購入している。流通は直接宅配だし、決済もオンラインで済ますことができるので何も不便はない。鉄道やバスのチケット購入、多額の銀行取引など、物品ではなくてサービスの流通にいたっては、これまでのようにいちいち自分が窓口まで足を運ぶ必要も、そこで待つ必要もなく、しかも費用が節約できるとあって、オンラインほど合理的なシステムはないとさえ感じており、自分としても、仕事以外での主体性を発揮できたという喜びがある。
このような流通のかたちを一括して、買い手の側からはダイレクトショッピング、売り手の側からはダイレクトマーケティングと呼んでも差し支えないと思うが、こうしてみると、インターネットを軸にしたダイレクトマーケティングすなわちネットコマース(消費者の側から言えばネットショッピング)こそは、チャネル短縮とそれによる省コストによって企業と消費者の双方に恩恵をもたらす、流通の新しいかたちになりつつあるのではないかと思えてくる。パソコンだけでなくケータイの高機能化と普遍化によって、そう考えることもあながち無理ではなくなってきた。

このシンプルさに引き比べて、いまもって影響の広がりが止まるところを知らない、例の事故米の問題はどうだろう。マスコミで発表されたその流通経路を見ると、一般人が見ては到底理解できない複雑怪奇さで、これでは責任の所在がどこなのか皆目見当がつかないし、何段階もの転売ステップの度に目くらましが行われマージンが上乗せされてゆくという仕組みしかわからない。その結果最終ユーザーは、まるで目隠しされた状態で欠陥品を不当な価格で掴まされることになるわけで、たまったものではない。日本の伝統的な多段階性流通という慣行のマイナス所産だ。
巨大外国資本の参入にはじまり、食品・日用消費財・家電などの量販店の台頭、そしてネットコマースの盛行で、日本の流通構造改革は近年相当の進化を遂げているとばかり思っていたが、この報道を聞き、業界によってはまだまだこのような前近代性が残っており、それを管理改善すべき行政の目も行き届いていないことを改めて認識した。

流通の前近代性といえば、ネットコマースの最先端を走っているかのような感のある書籍・CD(すなわち出版・音楽ソフト)販売の業界に、いまもって信じられないような制度がまかり通っているのをご存知だろうか。どちらも自分がかつて浅からぬ関係にあった業種(出版についてはいまも著作者として関わっているが)だから過去の経緯もよく知っているのだが、「再販価格維持」という制度で、生産者・供給者が希望する(指示する?)販売価格を小売業者が遵守しなければならないというもの。
小売業者に対して自由な価格設定つまり値引き販売などは認めないということで、誰が考えてもいわゆる“縦カルテル”になる、独禁法違反の疑いが濃厚なこの業界特有の制度だ。諸外国では既に廃止されているにもかかわらず、著作物の多様性維持のための文化的配慮とかいう理由で日本では撤廃が見合わせられ、いまだに通用している状況にある。

これは、流通において、生産者・供給者(すなわち音楽ソフトメーカー・卸商または出版社・取次店)にとっては一定の利益が確保されるというメリットがあるが、消費者にとってはそれが、実勢よりも高価格で購入しなければならないというデメリットになる、市場ニーズに逆行した方策だ。それでも出版業界は近年、時代の動向を読んで、消費者本位の方向に舵をとりつつあるが、音楽ソフト業界は頑なにそれを拒んでいる。
かつて自分は、リーダーズダイジェストという米資の出版社で、オリジナル録音の30センチLPレコード全集を市販価値の約半額に当る価格で通信販売する事業の責任者をしていた時代があったが、消費者・顧客の利益のため、自らのリスクで供給者と消費者を直結し、流通経路を最短化、コストを最小化することによってそれを実現したのに、どうしてもその考え方を伝統的な小売店業界の人々には理解してもらえず、彼らから“業界の敵”呼ばわりされていたことがあった。が、まあそんなことは、いまとなってはどうでもいい。

ほとんどがその制度に依存するしかない小規模店である彼らの立場もわからないではないし、そういった流通形態の存在を意味なしとするわけでもまったくないが、消費者の利益よりも自分たちの利益を優先させたいという考えは違うと、いまでも思っている。いま流通は、生産業者の立場からでもなければ小売業者の立場からでもなく、消費者・顧客の立場から発想して、顧客情報をベースにした商品開発ならびにコミュニケーションと連動することによって成果を確実化し、それによるコスト効率の最大化を通じて生み出した利潤の中の適切な部分を顧客に還元することを考える必要があるのではないか。
そのためには、伝統的な店舗流通というかたちも、ネットコマースに代表される無店舗流通のかたちも、どちらか一方だけでは不十分で、消費者・顧客が自分の都合に合わせてどちらの流通チャネルでも利用できるように対応すべきであり、言ってみれば、“流通の複合構造化”が必要になるということだ。実際、両流通チャネルは、競合ではなくて、互恵・相互補完の関係にあると知るべきである。

そのことに気付き、実施し始めている企業は、日本ではまだごく少数しか存在しないが、2つの示唆的なモデルがあるので、問題提起の意味でここに概略を紹介しておく。詳細に興味のある方は(注)の文献をご参照いただきたい。

1.エージェント・システム:
B-to-B(対企業)のメーカーが流通構造改革を推進する必要から“顧客本位”と“情報化”を追求していった結果ダイレクトマーケティングに行き着いた(直系通販会社を設立)中で、ネットワークされていない立場の弱い小売店を“支援しつつ新しいかたちの協力を求めて行く”という図式。商品情報発信から代金回収まで、通販の一連の顧客直接接触業務プロセスの中に、小売店舗が本来持っている機能(地域に根差した市場開拓・情報収集・アフターサービスなど)を、“エージェント”という立場で組み込んで役割分担させ、その特性を発揮させることによってWin-Winの共存関係を構築するというビジネス・システム。顧客情報は共有で、エージェントは自らの開拓・管轄による顧客から発生する売上について一定のマージンを受け取る。文具・事務用品メーカー「プラス」の直系通販会社「アスクル」が採用しているモデル。(注:拙著「体系ダイレクトマーケティング」第4部事例6参照)

2.インストア・ピックアップ:
上記に対してこれは、B-to-C(対消費者)の通販会社が小売業の立場から流通構造改革を追求していった結果、既存の系列または提携小売店チェーンの利用に思いが至ったケースで、通販企業(ネットショップ)は、発注者がオプションした場合には、受注商品を直接宅配する代わりに最寄りの小売店舗(コンビニエンスストアが最適)まで配送しておき、発注者に明細をEメールで連絡、発注者はそのメールに基づいて小売店舗に出向き、商品をピックアップし支払も済ますという方法。無店舗流通(すなわち直接宅配)を基本としている通販(特にネットコマース)における物流コスト合理化の考え方・システムで、消費者・顧客にとっても利便と経済性(自分の都合に合わせた受取りと配送手数料の節約)につながるサービスになる。米国では「ウォルマート」など多くの“クリック&モルタル”(店舗販売・ネットコマース併営)企業が実施しているモデルだが、日本では「セブン&ワイ」(「セ
ブンイレブン」利用)、「ディノス」(「ローソン」「ファミリーマート」など6社と提携)くらい。(注:拙ブログ07年11月5日参照。)

この2例からも推察できるように、今日、企業が“バランスの取れた安定成長”を目指すならば、事業経営にはどうしても、“顧客中心・情報化”というダイレクトマーケティングの原理・システムを導入し、流通チャネルは“複合構造”にすべきではないかと自分は考えるのだが、飛躍し過ぎだろうか?

“買い物”の話だけに、どうも、“大風呂敷”になってしまったようで...

|

« マイ・オールディーズ | トップページ | わたくし、B型ですが、何か... »

コメント

山の生活に不便なのは、銀行金融窓口と・・。
活字好きの私には本屋の無いこと、さらにCDショップの見当たらないこと・・。
本当に同感!!このことについては、その環境に自分から打開策を持つしか道を知らず、夏の移住前にはリュックいっぱいの、読みたくて居たが読み損ねていた積読や、新刊本をしょっていくのは常。
ネットで買う手もありだが、たとえば医学書など専門書、学術書ならばそれも良い。
けれど読み物好きには、あの本屋のにおいの中で、一巡、また手に取った本の序説あたりに自分の欲しい読みたい本か?のジャッジをしたり、評判の新刊の他にも見渡す本のうず高い中に、ちょっと手にしたお気に入りの発見も楽しみの一つ。

CDも少しの試聴の上買いたい・・・。ワガママはあの山では通じない。

・・・けれど、日常捨てての避暑の暮らし、不便さも一時、それをはるかに越えた、自然の与えてくれる元気はかえがたい。・・・ので、キララ内の本屋ぐらいで・・・まあいいか!

しかしながら、やはり買い物一つにも、功様の薀蓄眼力の奥深さには・・脱帽。
昨日のブログは私どもの戯言の域を超え、もはやレポート。勉強になりました。

投稿: まみ | 2008年10月 7日 (火) 10時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山荘暮らしの買い物から日本の流通構造改革を想った:

« マイ・オールディーズ | トップページ | わたくし、B型ですが、何か... »