« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月27日 (月)

上棟の日

いつもと比べると忙しい1週間だった。火曜日には大泉中央診療所の歯科、木曜日は東京・八丁堀の顧問先、金曜日にはまた診療所の内科、土曜日は一家(と言っても2人と1匹)揃って、建築中の自宅の上棟のため横浜へ。 ...と東奔西走...というのはオーバーで、単に往復しただけだが。
そしてその間を縫って、冬に備えての薪づくりと、外部はもちろん中も落葉だらけになってしまった車の清掃という、最近はサボりがちだった肉体労働...これまた言い過ぎで、単なる作業...に励んだ。

歯科では、2週間前に発生した口内炎は完治ということになったが、“一生、自分の歯を使い続けられるようにケアを続けましょうネー”と言われて、今更とは思ったがそのための指導を受け、半月ごとのチェックとお手入れで今後とも通院をすることに。
内科は、やはりその2週間前に、例年のように指先の冷えがキツくなってきたので相談して受けた採血検査の結果を聞くためだったが、意外にというか有難いことにというか、血液そのものの状態に関する数値も、腎・肝・膵などの各内臓の状態を表わす数値にもまったく問題がないと言われ、とりあえず血液の循環を良くするためにということで、ビタミンE剤を1ヵ月分もらってきた。

これで、まずは一安心したが、血液検査だけで健康上の問題点がすべて判明するわけではないから、今年は家の建替のことで頭が一杯でパスしてしまった総合検診を、来年になったら早々に受けなくてはと思った。
昨年6月の検診以来、十分にドクターの言いつけを守っており、その効果も感じているので、万が一にも問題はなかろうとは思っているのだが、こればかりは素人判断すべきことでないのはわかっており、もう今年も残すところ少なくなったいま、早急に予約申込をしておかなければと、改めて認識した。

中一日おいて一週間に2度目の遠出となった土曜日は、大安吉日ということで、横浜の自宅の“上棟”。午後3時から行うことにしていたが、車で全員一緒に地元に戻る機会はこれまでなかったので、ついでに他の用事も一緒に済ませておきたいと考え、早朝7時半前に山荘を出た。
いつもなら、家内や自分が2階から下りてくるのが8時前後、1階の通称サンルームの中に置いたケージで寝ているムッシュはそれから起きる(多分それ以前から目は覚ましている)のだが、この日はそのタイミングが1時間半先行したので、人もワンコも、なかなか調子が出なかった。

2日間にわたって雨が降り続けていたから、この日もどうなることかと昨夜まで心配していたが、幸いにも出かけるころには上がって、途中の渋滞もなく、休憩時間も適切にとった上でなおかつ、予定より30分以上早く、11時前に現地に着いた。
工事は、2日間の雨でチョッピリ予定が滞り、上棟の本来の意味であるところの、棟を上げ屋根の形が見えるところまでは行っていなかったが、1・2階の床と壁はできていて(ツーバイシックス工法なので)、現場監督も、全体スケジュール的には問題ないと言っていたのでまずまず安心した。

ここでムッシュと自分は車から降り、家内はそのまま、あざみ野駅近くのホームドクターのもとへ。ムッシュは11時半からすぐ近くのペットサロンでカット&シャンプーをしてもらう予約を入れていたので、それまでの間、久しぶりに、なつかしい自宅周辺の散歩。あそこの電柱、ここの草むらと、彼の定番の場所にマーキングをしまくっていた。
彼をペットサロンに預かってもらった後、今度は自分が、12時に予約していたヘアー・サロンへ。山荘へ引っ越す直前に、無理を言って休日にカットをしてもらった店だ。清里にいる間もカットしないわけには行かないので、どこかいい店を見つけなければと思っているうちに3ヵ月経ってしまい、最早限界という状態に達していたので、やっと思いを遂げられてホッとした。

ビルダーと相談した上で決めたことだが、上棟といっても昨今は、神主さんに来てもらったりして古式床しくとり行うというケースはほとんどないということだったので、儀式といっても、工務店棟梁や大工さんその他工事関係者の挨拶と、それに対するこちらからの心付けならびに祝菓子・飲物・弁当の差し入れ程度。
実際に中心になったことは、水回り・電気関係の配管・配線、照明・スイッチ・コンセントの位置、ケーブルテレビ・電話・インターネットそしてセキュリティシステムがらみの利用形態の最終確認などで、これに、予想以上に時間がかかった。ビルダーの営業・現場監督・設計士・インテリアコーディネーターをはじめ、配管などの設備工事会社、電気工事会社、インターネットと電話サービスを含むケーブルテレビ会社、セキュリティサービス会社などの人々たちと、クロスオーバーして話を進めて行かなければならなかったので、家内と2人でテンテコ舞いだったが、長男と次男も来て、ブレーンとしてまた手足として何かとサポートしてくれたので助かった。

すべて終ったのが、予定よりも大幅に遅れた夕方の5時半ごろ。ムッシュも、いつもはタップリ2~3時間はとる昼寝もせずに、よく我慢してくれた。帰途は、八王子インターに入る前にコンビニに寄って軽くサンドイッチで間食し、ムッシュも晩ご飯。その後は談合坂と双葉のそれぞれでの小憩を入れてゆっくりと走り、10時少し前に山荘に着いた。
清里・横浜間の日帰り往復は、人間はともかくムッシュにはかなりキツいのではないかと危惧していたが、これまで長距離同乗を何十回となく経験して、彼なりの車中リラックスの方法を会得したらしいムッシュは、走行中は後部座席で大人しく伏せていて、停まると元気よく飛び出して軽いウォーキングと用足しをするなど、食事の催促以外にはほとんどグズることもなく、今更ながら、よくできたワンコと感心してしまった。

翌日曜日は、外はもう、冬がきたかと思うような冷たい八ヶ岳颪が吹き抜け、カラマツの葉が一気に散り落ちて、森の路上を、茶色い絨毯を敷き詰めたような状態にした。
この日は、清泉寮―八ヶ岳高原横断道路を往復するロードレースがあり、萌木の村ではカントリーフェスタが行われていたはずだが、寒さと前日の疲れで外出する気になれず、ほとんどの時間を家の中で過ごしていた。普段は散歩好きなムッシュさえ、あまり外に出たがらなかった。

一昨日は、人影も家影もまばらな山梨の森の中から数時間で横浜の住宅街にワープして、23年間馴れきっていたはずなのに、何だか異界にでも来たかのような奇妙な違和感を、しばらくの間覚えていた。目に映る時間の流れる感覚の違いを体感していたのだと思うが、たった3ヵ月で、そんな風になってしまうものかと、自分でも驚いた。
仕事で新宿までバスで出て、JRや地下鉄で都内を移動しているときには、そういう感覚は味わっていなかったのだが、なぜだろう?

ともあれ、遠距離を日帰りで往復するハードスケジュールではあったが、無事、上棟という峠を越え、先に進むことになった。あと1ヵ月もすれば、道の先に、完工という目的地も見えてくるようになるだろう。ただ、新しい家への引越しも楽じゃあないだろうと、そろそろ気になってきた。
が、柄にもなくいまから取り越し苦労をしても仕方がないし、こちらに来るときが何とかなったように、帰りも何とかなるはずと楽観して、あとしばらくの間は、精々いまの静かな生活を楽しむことに心を決めた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月20日 (月)

森の秋

♪ 静かな静かな里の秋...ならぬ森の秋。 机から目を上げて窓の外を見ると、2~3メートル先のヤマボウシの葉がいつの間にかだいぶ紅らんで、ツンツン上を向いて生っている実も赤く大粒に。その左手奥のアカマツの幹に絡まりついているのはウルシヅタか、暗紅色だがきれいに色づいている。手前のモミジはまだ3~4分というところで、全体が真紅になるのはこれからのよう。けれども、モミやトウヒなどの常緑針葉樹を残して、ミズナラもカツラもすっかり黄褐色を帯び、裏庭の森は全体が秋色に染まってきた。
玄関から表庭に出てみると、今年はドウダンツツジがいい色で、ナナカマドも、葉はもうほとんどなくなったが、赤い小粒の実が鈴生りになって残っている。
1_yamaboushi_5  2_urushi_3    3_tutuji_2

4_sanpo_2 ムッシュを連れて散歩に出ると、路上には早くも散り落ちたコナラやクヌギの枯葉が積もり、歩を踏むごとにカサコソと音をたて、退色したカラマツの葉が、音もなく肩に降りかかる。ときどき“パーン、パーン”と、まるで銃声のような音がして耳を驚かすが、ドングリが家々の屋根に落下しているのだ。一帯が静かだから、木の葉が落ちても何かと思うほどの音がする。
森の散歩道は、いま、赤・茶・黄・緑のパステル・カラーに彩られて、新緑のときとはまた違った美しさ。咲き残った薄紅色のアザミや薄紫色のノコンギクもひそやかに風情を添えて、秋が一日一日と深まってゆく。



こちらに越してきてからもう3ヵ月。夏はアッという間に過ぎ、いま秋も終盤にさしかかっている。月並みな感想ながら、まことに月日の経つのは早いもの。この分なら、家が完成する年末までも、あまり待ちくたびれずに過ごせるかも知れない。
ここでの生活ペースがすっかり身につき、毎日をゆったりと過ごすようになって、ずっと体調も悪くなかったが、このところ口内炎が出て、2~3日痛みと微熱が取れないでいた。仕事と私用との両方で、1時間刻みのスケジュールをこなしつつ東京・八ヶ岳間の日帰り往復を繰り返した疲労が、積もり積もったのだろうか。

横浜の家ならば、気軽に歩いて、近所のかかりつけの医院に行くところだが、ここでは様子がわからない上、どこへ行くにも遠い。でも、やはりこの土地でも一度は医者に診てもらっておいた方がよかろうと、腰を上げることに。
まずインターネットでザッと調べて、長坂にある北杜市立の総合病院「甲陽病院」と、内科・小児科・神経科・耳鼻科・眼科・皮膚科・歯科と一応揃っている大泉の「大泉中央診療所」に絞り込んだ。選択基準として正しかったかどうかわからないが、なるべく規模の大きそうなところが良いのではと考えたわけである。その先の判断は直感で、あえて小規模な方の、大泉の診療所へ行くことにした。甲陽病院は、以前スズメバチに指を刺されて駆け込んだことがあったが、ここからはかなり距離があって通院しにくいし、大病院の常として延々と待たされそうな気がしたので...。

国道141号線から小淵沢方面に抜ける、車も人通りも建物もまばらな県道沿いにあるその診療所は、築20~30年は経っているかと思われる小ぢんまりとした平屋で、いかにも昔の地方の町の小病院といった趣き。玄関で靴を脱ぎ、ビニールのスリッパに履き替えるようになっていて、十字に走る板張りの廊下にベンチはあるが、コーナーの一角が一段上がった6畳ほどのタタミ部屋で、そこに座って待っているご老人もいた。
自分は内科と歯科で診てもらったが、都会とくらべて拍子抜けするほど待ち時間が短く、先生も看護婦さんもとても親切かつ気さく。たまたま後に続く患者さんがいなかったので、ツイ世間話も弾んでしまった

内科・小児科・神経科の先生が院長で、歯科の先生が奥さんらしく、診察室は、先々週から始まったフジテレビの連ドラ「風のガーデン」に登場する北海道富良野の診療所もこうではないかと思わせる質素な雰囲気。とはいっても、院長は故・緒形拳とは全然ちがったタイプの、血色も恰幅も良い初老の紳士で、“わたくし、生まれも育ちも、いま住んでいるところも大泉で...”と自己紹介までしてくれた。
緒形拳といえば、たまたま自分は、明治座で彼の初舞台を見ている。1960年、「遠い一つの道」という現代劇で、新人ボクサーの役。時代もの中心の新国劇にあって、鮮烈な印象だった。あれから半世紀近く、彼は数々の映画・テレビドラマ・舞台を経て、年輪を重ねた名優となったが、いささか早過ぎる旅に発ってから、はや半月経ってしまった。自分も同い年だが、まだやりたいことが沢山あるので、願わくはもうしばらく元気でいたい。

5_countyfair 週末、景気のいい打ち上げ花火の音に誘われて、「ポール・ラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェア」に出かけた。この数年、清里に来るタイミングとなかなか合わなかったので何年ぶりかになる。前回は、まだムッシュがいなかったから、少なくとも4年以上前だ。
いつも駐車場が大混雑するし、絶好の散歩日和でもあったので、今回は清里の森の出口近くの駐車場に車を置いて、歩いて行こうということになった。ポール・ラッシュ通り(いわゆる“清泉寮通り”)に出るのは、サイクリング・ロードやハイキング・コースのある森を横切って行けば直ぐなので、高をくくっていたが、そこから会場までが、思い込んでいたよりはるかに遠かった。車のときはごくわずかの距離にしか感じていなかったけれども、上り坂ということもあって、けっこうキツかった。会場内を歩き回ったのを別にして、往復4~5キロは歩いたような気がする。

でも、たいへんな人出で大賑わい。家族連れ、若い女性グループが多く、みんな楽しそうな表情をしていた。ムッシュも、久しぶりに沢山の人の中に入って可愛がってもらい、また沢山のお友達とも遊べて大喜び。そろそろ8歳になろうかというのに、元気に全コースを歩ききった。
前回来たときには、ちょうど中村誠一バンドがジャズを演奏していてノリノリで楽しんだが、今回はアトラクションに時間が合わず、テント・ショップ覗きと散策だけ。顔馴染みの「ホテル・ハットウォルデン」や「いずみきのこ園」も出店していたが、とりたてて欲しいと思うほどのものはなく、買ったのは、長野県から来ていた店のリンゴと、静岡県からの店のミカンのみ。

帰り道、あらためて気がついたが、山からの風が吹き抜ける森のメインストリートは、もうすっかり、真っ赤・真っ黄色に彩られていた。八ヶ岳山麓全体としての紅葉は、どうやら今週から来週一杯が見ごろの模様。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月13日 (月)

わたくし、B型ですが、何か...

自分から言い出すことはないが、外で、何かの拍子に血液型の話になったときB型だというと、みんな一様に“エーッ、ほんとですか?”と驚く。B型にどういうイメージを持っているのか知らないが、そう見えないらしい。でも、家族からは、良くも悪くもB型以外であることなど考えられないと言われており、長年の友人や仕事仲間は、わかっちゃいるけどいまさらどうでもいいと思ってか、何も言わない。
もう20~30年前になると思うが、かつて血液型による相性診断といった本が評判になり、血液型の違いによる気質の違いなどが取り沙汰され、自分もチョッピリ興味を持ったことがあったが、元来、人の性格形成などは、生まれた時代や育った風土・生活環境など、それ以外の要因によっても左右されることが多々あるはずと、あまり気にも留めないでいた。ところが最近また、その話題が復活しているらしい。それも、B型の人間について書かれた本がきっかけになって。

以来、あちこちでB型、B型というものだから、参考のためにその本を読んでみようかと思っていたら、いつの間にかベストセラーになり、なんだか買う意欲をなくしてしまった。マスコミや沢山の人にもてはやされているのを見ると、それに追従したくなくなるのだ。
けれども、“B型って意外と沢山の人に興味を持たれているじゃあないか!”と、その現象自体は前向きに受け止め、自己確認のためという理由をつけては時折、そのての雑誌記事やウエブコンテンツが目に入ると、さり気なく拾い読みをしてはいた。けっこう楽しめるサイトがあったりして、それで十分、自分の興味は満足させていたのだが、先日、やはりB型には見えなかった作家の小林信彦が、週刊誌でB型ネタのコラムを書いていたのをたまたま目にして、自分も一度、ブログで取り上げてみようかなという気になった。B型の読者にしか興味を持ってもらえないとは思うが...。

でも、改めてそんなことを考えているうちに、だんだん、いままで意識していなかった自分というものが見えてきた。近頃とみに、家内に対して自分が良かれと思ってしたことがまったく通じず、期待と逆の結果を招くことが多くなり、話をしていても、発想・観点のズレを指摘され、そのために些細なことで面倒な雰囲気になることもあって、そろそろ自分もボケてきたか、歳はとりたくないものだ、などと凹んでいたが、どうやら原因は自分の、B型特有のものの見方・思考回路にあるらしいと閃いて、勝手に自己納得したのだ。
しかし、自分が納得したからといって、それをAB型の家内に説明したところで何の役にも立たず、かえってことをややこしくするのが関の山と自分でも容易に想像できたので、やっと気がついたのに残念だったが、黙っていることにした。

B型人間は、自己中心で我がままという定評(?)があるようだが、そんなことはなく、基本的に自由を愛し、ワクにはめられたり群れて行動するのがきらいなだけ。ただ確かに、他人と一風変った発想をし、なにごともマイペースでしたい類いの人間であることは認める。それを多分、“気まま”というのではないかと思って、このブログもそういうタイトルにしているが、思い起こすと青少年期から、母親が何かの頼みごとで自分を他人に託すときにはいつも、“気まま者なのでどうかよろしくご指導を...”と口を添えていた。
母のその懸念は杞憂に終らなかったようで、長じて自分が選んだ働き場所は、大人しくコツコツやっていればやがて行くところまでは行き着ける日本の会社(かつての)ではなくて、リベラルで自己主張が尊重されるが責任も厳しく問われる、ハイリスク・ハイリターンの外資会社。そのため、山もあれば谷もあり、しなくてもよい苦労も沢山背負ったビジネスマン生活を送ってきたが、いまとなって悔いはない。転社はしたが転職はせず、若いときにこれだと確信した道を一直線に進んできたし、いまも歩み続けている。

地を這うような泥臭さに耐えられる自信はあまりなく、金銭に対する執着心のようなものも足りないB型の自分には、自ら事業を起して成功させるという才覚はないと初めからわかっていたから、組織の中で自己実現する道を選んだわけだが、よく言われるようにB型人間には、弁護士・芸術家・コンサルタントなど、他人に指図をしもされもせず自分1人でやる仕事が向いているかも知れない。確かに、いまの自分もそれに近い立場にあるが、それを実現するためには、起業とは別の、仕事そのものに対する執着心が必要だ。
とは言っても、実際問題として大多数の人は、最初は組織の中で働くことを選択するだろうから、自分の経験による独断と偏見で参考意見を述べるならば、B型人間は外資系または外資的経営スタイルの企業へ行った方が、気持ちよく働けるし、実力も発揮できるのではないかと思う。もちろん、外資系でありさえすればどこでもいいわけではなく、国内系の企業では上手く行かないと言っているわけでもないし、会社の選び方だけでその後のすべてが決定づけられるわけではない。

B型人間は、筋の通らないことがきらい。そのくせお人好しで、頼まれると断れない性質なので、気をつけないとご近所暮らしの中で、猫の首に鈴をつける損な役にまつり上げられ、割に合わない思いをする。自分も、これまで住んできた3つの街のいずれでも、建設会社や行政に対する住民運動のリーダー役をやらされた。
最初に住んだところでは、若気の至りで集会で積極的な発言をし、半ば進んでその役を引き受けてしまったのだが、労多くして感謝されることの少なかったその経験に懲りて、以後は集会に出席しても温和しくしていた。だが、ことの成り行きにツイ黙っていられなくなり意見を吐いては、自ら墓穴を掘ること再三。1つの運動に最低3年はかかり、その間プライベートな時間がかなり犠牲になった。他人だけでなく自分の問題でもあったから、それはそれでいいと言えばいいのだが...。

まあ、いろいろあったし、これからもまだいろいろあるだろうが、B型は過去を後悔しないし、未来も楽観している。根拠も説得力もないかもしれないが、“諦めなければたいていのことは何とかなる”というのがB型の教訓だし、“何でも良い方に解釈すれば人生楽しく暮らせる”というのがB型の生活の知恵。
今回は“気まま...”というタイトルを地で行って、手前味噌なボヤキと開き直りで失礼を。

B型以外の方もそんなB型をご理解くださり、今後ともB型を何とぞよろしく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月 6日 (月)

山荘暮らしの買い物から日本の流通構造改革を想った

地方の町で、しかもその中心部からだいぶ離れた森の中で暮らしていると、買い物をするにも都会に住んでいるようなわけには行かなくて、いろいろな方法を使い分ける工夫が要り、突き詰めて考えて行くと“流通”という問題に突き当たる。

買い物と言っても、生活必需品は家内の役割。自分はせいぜい3度に1度くらい、荷物持ちとムッシュのお守りがてらついて行くだけなので、わかったようなことは言えないのだが...。日常の基本的な食品は、週1~2度、約15キロ20分あまり、車を走らせて長坂や大泉の在地スーパーで仕入れ、ときにこだわりの食材が欲しいときには地元の農場直営店に立ち寄ったり、県境を越えて(と言っても長坂よりずっと近い)野辺山のJA直売所に出向いたりもするし、手近で済ませたいときには、季節限定でオープンしている管理センターの朝市を利用することもある。
どこで買っても、地域原産のものはみんな新鮮で美味しいし、価格もリーズナブル。ジャガイモやキャベツやほうれん草やインゲンなどの生野菜、リンゴやブドウなどの果物だけでなく、豆腐や厚揚げやヨーグルトなどの加工品もそうだ。よく考えてみれば、小売のかたちに違いはあれ、生産者と消費者の間の流通チャネルが限りなく短く、途中で余計な処理も施されず、コストも最小限しか掛かりようがないから、そうならざるを得ないわけで、そんな当たり前の流通の原理を改めて認識した。

日用消耗品も、スーパーに来たついでに、その並びのホームセンターやドラッグストアで買い込むが、これらとは別の意味で日々の暮らしに欠かせない書籍やCDは、店舗が近くに存在しないので、もっぱらインターネットで購入している。流通は直接宅配だし、決済もオンラインで済ますことができるので何も不便はない。鉄道やバスのチケット購入、多額の銀行取引など、物品ではなくてサービスの流通にいたっては、これまでのようにいちいち自分が窓口まで足を運ぶ必要も、そこで待つ必要もなく、しかも費用が節約できるとあって、オンラインほど合理的なシステムはないとさえ感じており、自分としても、仕事以外での主体性を発揮できたという喜びがある。
このような流通のかたちを一括して、買い手の側からはダイレクトショッピング、売り手の側からはダイレクトマーケティングと呼んでも差し支えないと思うが、こうしてみると、インターネットを軸にしたダイレクトマーケティングすなわちネットコマース(消費者の側から言えばネットショッピング)こそは、チャネル短縮とそれによる省コストによって企業と消費者の双方に恩恵をもたらす、流通の新しいかたちになりつつあるのではないかと思えてくる。パソコンだけでなくケータイの高機能化と普遍化によって、そう考えることもあながち無理ではなくなってきた。

このシンプルさに引き比べて、いまもって影響の広がりが止まるところを知らない、例の事故米の問題はどうだろう。マスコミで発表されたその流通経路を見ると、一般人が見ては到底理解できない複雑怪奇さで、これでは責任の所在がどこなのか皆目見当がつかないし、何段階もの転売ステップの度に目くらましが行われマージンが上乗せされてゆくという仕組みしかわからない。その結果最終ユーザーは、まるで目隠しされた状態で欠陥品を不当な価格で掴まされることになるわけで、たまったものではない。日本の伝統的な多段階性流通という慣行のマイナス所産だ。
巨大外国資本の参入にはじまり、食品・日用消費財・家電などの量販店の台頭、そしてネットコマースの盛行で、日本の流通構造改革は近年相当の進化を遂げているとばかり思っていたが、この報道を聞き、業界によってはまだまだこのような前近代性が残っており、それを管理改善すべき行政の目も行き届いていないことを改めて認識した。

流通の前近代性といえば、ネットコマースの最先端を走っているかのような感のある書籍・CD(すなわち出版・音楽ソフト)販売の業界に、いまもって信じられないような制度がまかり通っているのをご存知だろうか。どちらも自分がかつて浅からぬ関係にあった業種(出版についてはいまも著作者として関わっているが)だから過去の経緯もよく知っているのだが、「再販価格維持」という制度で、生産者・供給者が希望する(指示する?)販売価格を小売業者が遵守しなければならないというもの。
小売業者に対して自由な価格設定つまり値引き販売などは認めないということで、誰が考えてもいわゆる“縦カルテル”になる、独禁法違反の疑いが濃厚なこの業界特有の制度だ。諸外国では既に廃止されているにもかかわらず、著作物の多様性維持のための文化的配慮とかいう理由で日本では撤廃が見合わせられ、いまだに通用している状況にある。

これは、流通において、生産者・供給者(すなわち音楽ソフトメーカー・卸商または出版社・取次店)にとっては一定の利益が確保されるというメリットがあるが、消費者にとってはそれが、実勢よりも高価格で購入しなければならないというデメリットになる、市場ニーズに逆行した方策だ。それでも出版業界は近年、時代の動向を読んで、消費者本位の方向に舵をとりつつあるが、音楽ソフト業界は頑なにそれを拒んでいる。
かつて自分は、リーダーズダイジェストという米資の出版社で、オリジナル録音の30センチLPレコード全集を市販価値の約半額に当る価格で通信販売する事業の責任者をしていた時代があったが、消費者・顧客の利益のため、自らのリスクで供給者と消費者を直結し、流通経路を最短化、コストを最小化することによってそれを実現したのに、どうしてもその考え方を伝統的な小売店業界の人々には理解してもらえず、彼らから“業界の敵”呼ばわりされていたことがあった。が、まあそんなことは、いまとなってはどうでもいい。

ほとんどがその制度に依存するしかない小規模店である彼らの立場もわからないではないし、そういった流通形態の存在を意味なしとするわけでもまったくないが、消費者の利益よりも自分たちの利益を優先させたいという考えは違うと、いまでも思っている。いま流通は、生産業者の立場からでもなければ小売業者の立場からでもなく、消費者・顧客の立場から発想して、顧客情報をベースにした商品開発ならびにコミュニケーションと連動することによって成果を確実化し、それによるコスト効率の最大化を通じて生み出した利潤の中の適切な部分を顧客に還元することを考える必要があるのではないか。
そのためには、伝統的な店舗流通というかたちも、ネットコマースに代表される無店舗流通のかたちも、どちらか一方だけでは不十分で、消費者・顧客が自分の都合に合わせてどちらの流通チャネルでも利用できるように対応すべきであり、言ってみれば、“流通の複合構造化”が必要になるということだ。実際、両流通チャネルは、競合ではなくて、互恵・相互補完の関係にあると知るべきである。

そのことに気付き、実施し始めている企業は、日本ではまだごく少数しか存在しないが、2つの示唆的なモデルがあるので、問題提起の意味でここに概略を紹介しておく。詳細に興味のある方は(注)の文献をご参照いただきたい。

1.エージェント・システム:
B-to-B(対企業)のメーカーが流通構造改革を推進する必要から“顧客本位”と“情報化”を追求していった結果ダイレクトマーケティングに行き着いた(直系通販会社を設立)中で、ネットワークされていない立場の弱い小売店を“支援しつつ新しいかたちの協力を求めて行く”という図式。商品情報発信から代金回収まで、通販の一連の顧客直接接触業務プロセスの中に、小売店舗が本来持っている機能(地域に根差した市場開拓・情報収集・アフターサービスなど)を、“エージェント”という立場で組み込んで役割分担させ、その特性を発揮させることによってWin-Winの共存関係を構築するというビジネス・システム。顧客情報は共有で、エージェントは自らの開拓・管轄による顧客から発生する売上について一定のマージンを受け取る。文具・事務用品メーカー「プラス」の直系通販会社「アスクル」が採用しているモデル。(注:拙著「体系ダイレクトマーケティング」第4部事例6参照)

2.インストア・ピックアップ:
上記に対してこれは、B-to-C(対消費者)の通販会社が小売業の立場から流通構造改革を追求していった結果、既存の系列または提携小売店チェーンの利用に思いが至ったケースで、通販企業(ネットショップ)は、発注者がオプションした場合には、受注商品を直接宅配する代わりに最寄りの小売店舗(コンビニエンスストアが最適)まで配送しておき、発注者に明細をEメールで連絡、発注者はそのメールに基づいて小売店舗に出向き、商品をピックアップし支払も済ますという方法。無店舗流通(すなわち直接宅配)を基本としている通販(特にネットコマース)における物流コスト合理化の考え方・システムで、消費者・顧客にとっても利便と経済性(自分の都合に合わせた受取りと配送手数料の節約)につながるサービスになる。米国では「ウォルマート」など多くの“クリック&モルタル”(店舗販売・ネットコマース併営)企業が実施しているモデルだが、日本では「セブン&ワイ」(「セ
ブンイレブン」利用)、「ディノス」(「ローソン」「ファミリーマート」など6社と提携)くらい。(注:拙ブログ07年11月5日参照。)

この2例からも推察できるように、今日、企業が“バランスの取れた安定成長”を目指すならば、事業経営にはどうしても、“顧客中心・情報化”というダイレクトマーケティングの原理・システムを導入し、流通チャネルは“複合構造”にすべきではないかと自分は考えるのだが、飛躍し過ぎだろうか?

“買い物”の話だけに、どうも、“大風呂敷”になってしまったようで...

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »