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2008年8月11日 (月)

人はなぜ買うのか?

先週報告したように、家の建て替のために随分長い時間をかけて、身の回りの沢山の品々を思い切って整理・処分してきた。つもりだったが、それでも、引越し会社が呆れるほど大量のものを、新居へ(とりあえずはトランクルームへ)持ち越すことになり、これまでいかに多くのものを買い込んできたかを、いやでも思い知らされる結果になった。
もちろん、自分は人並み外れた買いもの好きというわけでもないと思っているし、どの買いものにも、その時々でそれなりの理由があったはずなのだが、今回のような機会にあらためてそれを振り返ってみて、何でそんなに買っていたのかと、我ながら驚いてしまった。

しかし、個人的なこととはいえ、これにただ驚いているだけでは、マーケティングを専門としている者として沽券に関わるし、日ごろから広告・宣伝や販売・販促の理論や実践手法などを体系化して説いている手前、せめて自己分析してその因果関係を究明しておく必要があるのではないかと思い、他の研究者の意見・立論も参考にしながら、自分なりの理屈づけに取り組んでみることにした。
もしかしたらそれを通して、消費者としてはごく平均的なタイプの自分を“そこまでさせたものは何だったのか”、そういう消費者を“これからもそうさせるにはどうすれば良いのか”という、B-to-Cのマーケティング・コミュニケーションに役立ちそうな汎用的戦略・戦術論を導き出せないかとも考えたわけである。

ズバリ“Why People Buy”というキーワードで、インターネット上の文献を当ってみると、学者によるアカデミックな論文はあまり見つからず、どちらかというとコンサルタント、コンサルティング会社などによる、実務家向けの“ハウツー的”なものが目立った。いかにもアメリカン・ビジネスマン受けのしそうなフレーズなので、さすがに米国人の書いたコンテンツが多かったが、日本人にも、このテーマについて意見を述べている人はいた。
そのそれぞれが影響を及ぼし合い、受け合っているのか、これまでみんなに影響を与えてきた古典的なセオリーがあるのか、それとも体験的に誰でもそういう結論に達するのか、理論体系としての完成度に差はあるものの、何れも、言っていることは大同小異。それなりに納得できるような気もした半面、なにか物足りなさも感じた。

言われていることの中で、自分にも思い当たり共感できたのは、人が商品やサービスの購入の意思決定をする際、“売り込まれることを好まず”(それはむしろ逆効果のことが多く)、“論理的な動機よりも情緒的な動機が優先”し、“自分が思い描いているイメージに合いそうな”場合に心を動かされる、ということ。
確かに自分も、いかに善意であろうと、こちらの心理を無視した売り手側の思い込みに基づくメッセージを発信されると、誰でも同じじゃあないんだゾ、そんな風に一方的に決め付けるなヨと、とたんにヘソが曲がるタチで、我ながら因果な性分だと思っていたのだが、この見解によれば、そういう人間でもあながち少数派の変わり者ということにならないようだ。“他人と同じでありたい”という心情を抱いている人間も多ければ、“他人と同じではイヤだ”という心情の者も少なくないということなのだろう。
また、人が何かを買うという行動はそう単純なものではなく、実は、“何かを買いたくなる動機があって意思決定”する段階と、“そうなったときにどこの誰から買うか選択”する過程の2つがあるという。

しかし売り手の立場からすると、“競合環境の中で勝ち抜かないと話しにならない”ので、どうしても最初から声高に自ブランドのセールスポイントを叫び立てることになるが、買い手の立場からすれば、どのブランドであろうと、それ以前に、そのもの自体に対する情緒的欲求がかき立てられなければ話にならないということになる。
自分なども、これだけいろいろなものを買い込んできた背景には、一言でいうと、常に“より気分良くありたい”というきわめて抽象的な潜在心理があったような気がする。その“気分良さ”とは、自分の年令やライフステージによって、その時々で決して同じではなかったと思うが、モノやサービスを買う意思決定をする際には、「大」は家や車から「中」は衣服やパソコン、「小」は本やCDまで、またエアラインや銀行・保険会社やISPの選択に至るまで、思えばそういった心理が底流にあったとも言える。

わかりやすい例として衣服がある。若いときも、いい歳になってからも、メタボ気味の時代も、いまのように痩せ過ぎても、自分のような凡人は他人から格好良く見られたいという気持ちがなくならないもので、今もって、何となく着心地が良くしかも自分がスタイリッシュに見えそうなジャケットやパンツやコートやセーターはないかと、デパートの売場を見て回ったり、ウエブ上をザッピングしたりするのを楽しみにしている。
特にブランドなどは意識せず、目に留まったものをあれこれ吟味したり、実際に試着してみたりしているが、それがイメージにピッタリで、しかも電話や店頭での小父さん小母さん、あるいはお兄ちゃんお姐さんの対応が良かったりすると、思わず気分がよくなって、色違いとか生地違いのものを一度に2着も買ってしまうということがよくあり、それが買い過ぎの一つの原因となる“情緒的な動機”ということなのだろうと気がついた。

一般論として、そういった強い購入動機になる情緒的要素にはどんなものがあるかということについては諸説あるが、“快適・快楽・安楽・安心”といった人間としての根源的な欲求から、“風格・洗練・気品・格好良さ・力強さ”などの願望が挙げられており、確かに自分も、この中のいくつかに思い当たる。ブランドは最初から意識しているわけでは必ずしもないが、気に入ったものが結果的にあるブランドに集中してしまうということはあって、そういう結果をもたらすブランドは、いろいろな意味でのコミュニケーションに成功しているということになり、ブランド自体が、購買を動機づける“情緒的要素化”しているとも言える。
有名ブランドのマニアや、ベストセラーの追っかけを、気が知れないと横目で見ていた自分だったが、それは“歴史が古いから”とか、“売れているから”とかいう事実に基づく論理的な理由によるものではなく、そのブランドやベストセラーが巧まずして、あるいは戦略的に発揮した情緒的な刺激によるものなのかも知れないとも思え始めてきた。そういうブランド・商品にはおそらく、単に広告などでつくり上げたイメージではない、内容や使い心地などの満足感、顧客サービスなどの安心感・心地よさなどがあり、それがさまざまな顧客接点で上手にアピールされているから人を惹きつけているのに違いない。

自分で掲げた命題に辻褄を合わせようとしているわけではないが、ここで分析してみた“人はなぜ買うか”というテーマを突き詰めると、“人に買わせるにはどうするか”という話に行き着くように思う。
それについては、技術論として自分も著作に書き、他の研究者・実務家も詳しく論じているので、あえてその上塗りはしないが、一つだけ言えそうなのは、マーケティングも人間相手である限り、理屈だけですべてを割り切ることはできないということだ。特に、右脳の感度が高い日本人がターゲットの場合はそうで、商品やサービスの仕様や特性や価格や条件以前に、あれかこれかと心の琴線に触れるようなプレゼンテーションがなされなければ、その先に話が進まないのではないかと、このごろ思うようになってきた。

意気込んで思い立った割には、何だか竜頭蛇尾な話になってしまった。マーケティングは奥が深く、自分もまだまだ勉強が足りないと反省する次第。

ア、それから、衣服の買い物のことだが、“モウ、いい加減にしないと...。これ以上持ち物を増やさないように、新しく一つ買ったら、古いものを一つ捨てること!”と、家内に厳命されている。

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