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2008年8月

2008年8月26日 (火)

宴のあと

この2週間あまり世間の話題を独占した感のあった北京オリンピックが終った。頃を同じくしてここ数日、気温の低い日が続いているが、これで夏も終わるのだろうか。
テレビの番組も新聞・雑誌の紙面も、報道は連日、朝から晩までオリンピック一色だったが、今回はどうも夢中になってリアルタイムでウォッチしようというほどの気持ちにはなれず、ときどきインターネット上で結果を知っては、それをテレビのニュースでフォローするというぐらいの観戦のし方をしていた。

とは言っても、これだけ多種多彩なスポーツ競技がまとまって行われるオリンピックという機会に格別の興味を持っていたことはもちろんで、それぞれの種目自体は十分楽しんだし、日本選手の期待通りの成果、意外な好結果には興奮・感動して、予想を裏切った結果には率直に失望もした。
いくつかの種目については、選手(特に男子)の心身のひ弱さと指導者の力不足を見せつけられたし、連盟や協会の危機管理の甘さも知らされるところとなったが、いちいちそれらをあげつらうのは趣味ではないので、いまはひとまず、すべての出場選手と裏方さんに、素直に“ご苦労さま”とねぎらいの言葉を贈っておきたい。

人種・宗教や産業・経済、そしてそれらと複雑に絡み合う国際紛争と外交――こういったことをオリンピックと関連づけて論じる向きもあるが、それにも、自分としてはあまり与する気持ちにはなれない。
等閑視するわけではなく、それはむしろ、宴の終ったいまこそ、本来の場で真正面から取り組むべき問題ではないかと思うからだ。マスコミも、いつまでも余談や裏話やプライバシーがらみの五輪ネタを引っ張っていないで、もういい加減に元来の姿勢に立ち返り、そういった本質的な問題こそを追究して欲しい。

さて、わが山荘の森も、夏休みが終りに近づきつつあることもあってか、めっきり、家族連れの賑やかな声が聞こえなくなった。つい先週までは夕闇の木の間を通してあちこちに見えていた家々の窓の灯りもグッと数が減り、ムッシュとの散歩のときに顔を合わせていた人も、ムッシュのお友だちも、ほとんど見ることがなくなって、急に淋しくなった。
路傍をよく観察すると、ハギやアザミなど初秋の草花が咲き始め、庭にはイグチ系やハツタケ系の茸も頭を出し、ベランダの手摺りにはトンボがとまるようになって、秋が密やかに忍び寄ってきた気配が感じられる。

ムッシュ 清里のキノコ

そんなことを思いながら森で過ごしていた先週だったが、週の後半、久しぶりに、仕事と家の建替え工事の進行チェックを兼ねて、東京と横浜に行ってきた。時間を見計らいながら2つの用事をスムーズにこなさなければならなかったので、今回は早朝の7時前に、中央本線長坂駅から「あずさ2号」で新宿へ。
八王子までは、指定席はほぼ50%の乗車率で、周りはほとんどビジネスマンばかり。朝食をとらずに出てきたのでチョッピリお腹が空き、車内販売でサンドイッチとジュースを買い求め、車窓を眺めながらそれを頬張った。久しく忘れていたが、気分はちょっとした出張帰り。でも、昔は物足りなかったそんな朝食をもてあまして、少々残してしまった。

自宅の地縄 新宿に着いたのは、通勤客でまだごった返している時間帯だったが、山手線・田園都市線を逆コースであざみ野へ。駅からのバスを最寄りの停留所で下車し自宅に向かって歩いて行ったら、見えてくる景色が以前と違うので妙な感じがした。すでに旧居は解体され、完全な更地になっているのだから、それで当たり前なのだが...。
前向きなことをしているわけなので、淋しいとか空しいとか、前の家が懐かしいとかいう感傷は、特に湧かず、その日は“地縄”という工程の節目だったので、地面に張り巡らされた縄によるレイアウトの上に、新しく建つ家の姿を思い描いてきた。

前回、8月初旬に出てきたときほどではなかったが、東京も横浜もまだ十分に夏の暑さ。だが、レジャーの最盛期は過ぎたのか、前回見かけた華やいだ軽装のギャルたちの姿はほとんどなく、休みを終えてまた日常の仕事に戻ったという感じの、上着を抱え鞄を提げたビジネスマン諸氏ばかりが目についた。
昼前に、あざみ野から八丁堀へ移動。軽くランチをした後、15時半まで顧問先で、社員の指導と社長との意見交換。マーケティング・エージェンシーという業種柄、社内には夏休み明けの雰囲気などかけらもなく、こちらも仕事モードに本格的スイッチが入った。

そのあと新宿へとって返して、帰途は中央道ハイウエイバス。この時期でもまだまだ出かける人(あるいは帰る人?)は多いと見えて、各方面行きのどのバスも、ほとんど満席の予約状態だった。わが森の中は人の気配が薄れてきたが、観光地はもうしばらく人出が続くのかも知れない。
久しぶりの仕事は、森のスローライフに馴れてしまった身としては、疲れを感じなかったと言えば嘘になるが、そんな気持ちをシャンとさせる効果はあったようだ。1週間後にまた来ることになっているので、そのときまでこのテンションを維持せねば...。

朝早かったし途中から日が暮れたこともあって、帰りのバスの中では終始ウトウト。いつの間にか下車停留所の長坂高根に着いて、側道まで降りたら、家内とムッシュが車で迎えにきてくれていた。その付近はまだ、東京や横浜と変らない30度前後の気温だったが、家に向かってどんどん登って行くと一気に涼しくなり、わが家に着いた宵の8時頃は、20度近くまで下がっていた。
翌日からは平地でも一気に気温が下がったらしいが、清里の森も、日中でも20度前後の日が続き、厚手の長袖シャツだけでは寒くてセーターを着ている。天気予報によれば週明けからはまた少し戻るというが、果たしてどうなのだろう?

ここ2~3日の森は、めずらしく雷を伴わない冷たい雨が一日中降り止まないでいる。23日は二十四節季でいう“処暑”、すなわち夏の暑さが峠を越す、秋との境目だったらしいが、してみると季節とは、なかなか正直なものだ。

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2008年8月18日 (月)

森の暮らし

♪山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ
 娘心はヨー 山の天気よ
(作詞:神保信雄 作曲:不詳 「山男の歌」)

いまどきはシニアの山登り愛好家ぐらいしか歌わないと思うが、自分たちがまだ若かった昭和30年代、「歌声喫茶」なる場所での愛唱歌の一つだったこの歌のこの部分が、近ごろやたらと脳裡に浮かんでならない。
と言っても、“娘さん”の部分ではなくて、“山の天気”の部分がそうさせるのだ。清里の山荘に来て、今日でちょうど1ヵ月になるが、これまでの比較的短期の滞在のときにはわからなかった山の天気の“変りやすさ”をイヤというほど味わって、“なるほど、ホントにそうだ”と、何気なく見過ごしていたこの歌詞のリアリティを認識したわけである。

毎朝、目が覚めて窓のカーテンを開けると、木々の梢のはるか上に目に沁みるような青空が広がり、頬をなでるヒンヤリと乾いた大気が今日一日の快晴を予感させるのだが、実はその状態は24時間とは続かない。
夏季などには決まったように、早いときは午後2~3時ごろ、普通でも夕方に、遅ければ夜更けになってから、おおむね雷鳴を伴った大粒の雨が屋根や窓を叩きつける。それでいて翌朝は、そんなことはほとんど忘れたかのような快晴に戻るから、まさか今日は降るまいとツイたかを括ってしまい、それでまた性懲りもなく降られては大慌てする。

まったく、山男ならずとも振り回され、戸惑ってしまうのだが、考えてみればここは標高1400メートル超、チョッとした山の5合目ぐらいにあたるわけで、そんなことは当然なのかも知れない。
事実、標高700メートルくらいのところにある中央道長坂インター傍のショッピングセンターで買い物をして帰ってきたとき、森の近くまでは何ともなかったのに森に入ったところから大雨が降っていたこともあれば、その逆に下がひどい雷雨で、開けっ放しだった窓を心配しながら帰ってきたら、森の中は何ともなかったということもあった。

ここ八ヶ岳をはじめ、富士山、南アルプス、秩父連山などの山々に囲まれた山梨県は、地域全体がそういう気象条件なのかも知れず、今月の初めなどは、大月の変電所に落雷があって県全体のほとんどの世帯が1時間あまり停電になってしまった。一般家庭ではたまたま夕食を済ませた時間帯だったから、影響はまだしもだったが、幹線道路などでは信号がやられて、交通が一時大混乱に陥ったようだった。
雷が鳴っているとき、数秒から数十秒にわたって電気が消えるのは、もはやこのあたりでは珍しいことでもなんでもなく、自分たちもすっかり慣れっこになって、山の夏の風物詩として受け止める心境に達した。ゴロゴロいう雷鳴が苦手なはずのムッシュも、最初は飛び上がって走り回っていたが、このごろはあまり動じなくなった。

ここ清里の森にも、ときどき雷が落ちる。森の落雷事情をよく知らなかったころに我が家でも、近くの木の天辺に落ちた雷が地下を伝わって建物の中の電気設備に侵入し、電話とボイラーの頭脳部が破壊されたことがあった。ちょうどお盆の時期だったこともあってメーカーや電器屋さんに修理を頼むこともままならず大弱りしたことを覚えている。以来それに懲り、夏から秋にかけてしばらく山荘を空けるときは、ほとんどすべてのブレーカーを下ろして帰るようにし、また山荘でコンピューターを使用中に近くで雷が鳴り始めたら、直ちに作業を中断して、コンセントからコードを抜くことにしている。
ちなみにこの土地の人々は、そんな被害を、“雷に入られた”と表現する。感心だけしている場合ではないが、なかなか言い得て妙ではないか。 “娘さん”はそんなことはあるまいが、この辺の“山の天気”は、気まぐれな上、ときに人を困らせる。

そんなことはあっても、それも森の暮らしの一コマと、このごろは笑って過ごせるようになってきた。何しろ平地は連日の猛暑というのに、それより7~8度は気温が低い涼しさが有難い。“便利さ”をとるか、“のんびり”をとるかと、建て替え中の仮住まいの選択に一時は迷ったが、今ではこちらにして本当に良かったと思っている。引越し騒ぎでだいぶ縮まったかも知れない寿命を、少しずつ取り戻せているような気もする。
確かに、医療機関などの便は、都会にいるときのようなわけには行かないが、その分ここには、それを補ってくれる自然の癒しの環境があることがわかった。そういった理由によるものか、原油高騰の折から近場で楽しもうとする人々が増えてきたからか、例年に比べて今年は、森に長期滞在しているお宅が目立って多い。お蔭で、いままで話を交わす機会がなかったご近所さんとも親しくなり、ムッシュにも沢山のお友達ができた。

とは言え、森の暮らしは基本的に単調だ。外出したくなるような刺激がしょっちゅうあるわけでなし、訪ねてくる人もまばらだから、毎朝ポストに入っている新聞、ほぼ毎日の昼ごろ配達される郵便、時折届く宅配の小包、そして管理センターや近辺の関係業者が投げ込んで行くチラシにさえ、なんだか親しみと温もりを感じてしまう。
あらゆる生活インフラが整った都市部の暮らしの中では、ごく当たり前のこととして特に意識もしていなかった自分たちと社会とのコミュニケーションというものを、ここで暮らすようになって改めて考えさせられた。

時間がゆっくりと流れるようで、聞こえてくるのは小鳥のさえずりばかりという日が多い。だから、神経がリラックスし過ぎてしまい、机に向かっていても、いつの間にかウトウトしてしまうこともしばしばあって、これではマズいと思い始めている。ボーッとしているのがクセになり、脳みそがフヤケて社会復帰できなくなったらたいへんだ。
幸い(?)今週末と来週末は、仕事のために2週連続で東京へ行く。ついでに新居の建築作業進行状況の確認もある。早朝出発することになるので、2重の意味で目を覚まし、チャンとすることをしてこなければ...。

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2008年8月11日 (月)

人はなぜ買うのか?

先週報告したように、家の建て替のために随分長い時間をかけて、身の回りの沢山の品々を思い切って整理・処分してきた。つもりだったが、それでも、引越し会社が呆れるほど大量のものを、新居へ(とりあえずはトランクルームへ)持ち越すことになり、これまでいかに多くのものを買い込んできたかを、いやでも思い知らされる結果になった。
もちろん、自分は人並み外れた買いもの好きというわけでもないと思っているし、どの買いものにも、その時々でそれなりの理由があったはずなのだが、今回のような機会にあらためてそれを振り返ってみて、何でそんなに買っていたのかと、我ながら驚いてしまった。

しかし、個人的なこととはいえ、これにただ驚いているだけでは、マーケティングを専門としている者として沽券に関わるし、日ごろから広告・宣伝や販売・販促の理論や実践手法などを体系化して説いている手前、せめて自己分析してその因果関係を究明しておく必要があるのではないかと思い、他の研究者の意見・立論も参考にしながら、自分なりの理屈づけに取り組んでみることにした。
もしかしたらそれを通して、消費者としてはごく平均的なタイプの自分を“そこまでさせたものは何だったのか”、そういう消費者を“これからもそうさせるにはどうすれば良いのか”という、B-to-Cのマーケティング・コミュニケーションに役立ちそうな汎用的戦略・戦術論を導き出せないかとも考えたわけである。

ズバリ“Why People Buy”というキーワードで、インターネット上の文献を当ってみると、学者によるアカデミックな論文はあまり見つからず、どちらかというとコンサルタント、コンサルティング会社などによる、実務家向けの“ハウツー的”なものが目立った。いかにもアメリカン・ビジネスマン受けのしそうなフレーズなので、さすがに米国人の書いたコンテンツが多かったが、日本人にも、このテーマについて意見を述べている人はいた。
そのそれぞれが影響を及ぼし合い、受け合っているのか、これまでみんなに影響を与えてきた古典的なセオリーがあるのか、それとも体験的に誰でもそういう結論に達するのか、理論体系としての完成度に差はあるものの、何れも、言っていることは大同小異。それなりに納得できるような気もした半面、なにか物足りなさも感じた。

言われていることの中で、自分にも思い当たり共感できたのは、人が商品やサービスの購入の意思決定をする際、“売り込まれることを好まず”(それはむしろ逆効果のことが多く)、“論理的な動機よりも情緒的な動機が優先”し、“自分が思い描いているイメージに合いそうな”場合に心を動かされる、ということ。
確かに自分も、いかに善意であろうと、こちらの心理を無視した売り手側の思い込みに基づくメッセージを発信されると、誰でも同じじゃあないんだゾ、そんな風に一方的に決め付けるなヨと、とたんにヘソが曲がるタチで、我ながら因果な性分だと思っていたのだが、この見解によれば、そういう人間でもあながち少数派の変わり者ということにならないようだ。“他人と同じでありたい”という心情を抱いている人間も多ければ、“他人と同じではイヤだ”という心情の者も少なくないということなのだろう。
また、人が何かを買うという行動はそう単純なものではなく、実は、“何かを買いたくなる動機があって意思決定”する段階と、“そうなったときにどこの誰から買うか選択”する過程の2つがあるという。

しかし売り手の立場からすると、“競合環境の中で勝ち抜かないと話しにならない”ので、どうしても最初から声高に自ブランドのセールスポイントを叫び立てることになるが、買い手の立場からすれば、どのブランドであろうと、それ以前に、そのもの自体に対する情緒的欲求がかき立てられなければ話にならないということになる。
自分なども、これだけいろいろなものを買い込んできた背景には、一言でいうと、常に“より気分良くありたい”というきわめて抽象的な潜在心理があったような気がする。その“気分良さ”とは、自分の年令やライフステージによって、その時々で決して同じではなかったと思うが、モノやサービスを買う意思決定をする際には、「大」は家や車から「中」は衣服やパソコン、「小」は本やCDまで、またエアラインや銀行・保険会社やISPの選択に至るまで、思えばそういった心理が底流にあったとも言える。

わかりやすい例として衣服がある。若いときも、いい歳になってからも、メタボ気味の時代も、いまのように痩せ過ぎても、自分のような凡人は他人から格好良く見られたいという気持ちがなくならないもので、今もって、何となく着心地が良くしかも自分がスタイリッシュに見えそうなジャケットやパンツやコートやセーターはないかと、デパートの売場を見て回ったり、ウエブ上をザッピングしたりするのを楽しみにしている。
特にブランドなどは意識せず、目に留まったものをあれこれ吟味したり、実際に試着してみたりしているが、それがイメージにピッタリで、しかも電話や店頭での小父さん小母さん、あるいはお兄ちゃんお姐さんの対応が良かったりすると、思わず気分がよくなって、色違いとか生地違いのものを一度に2着も買ってしまうということがよくあり、それが買い過ぎの一つの原因となる“情緒的な動機”ということなのだろうと気がついた。

一般論として、そういった強い購入動機になる情緒的要素にはどんなものがあるかということについては諸説あるが、“快適・快楽・安楽・安心”といった人間としての根源的な欲求から、“風格・洗練・気品・格好良さ・力強さ”などの願望が挙げられており、確かに自分も、この中のいくつかに思い当たる。ブランドは最初から意識しているわけでは必ずしもないが、気に入ったものが結果的にあるブランドに集中してしまうということはあって、そういう結果をもたらすブランドは、いろいろな意味でのコミュニケーションに成功しているということになり、ブランド自体が、購買を動機づける“情緒的要素化”しているとも言える。
有名ブランドのマニアや、ベストセラーの追っかけを、気が知れないと横目で見ていた自分だったが、それは“歴史が古いから”とか、“売れているから”とかいう事実に基づく論理的な理由によるものではなく、そのブランドやベストセラーが巧まずして、あるいは戦略的に発揮した情緒的な刺激によるものなのかも知れないとも思え始めてきた。そういうブランド・商品にはおそらく、単に広告などでつくり上げたイメージではない、内容や使い心地などの満足感、顧客サービスなどの安心感・心地よさなどがあり、それがさまざまな顧客接点で上手にアピールされているから人を惹きつけているのに違いない。

自分で掲げた命題に辻褄を合わせようとしているわけではないが、ここで分析してみた“人はなぜ買うか”というテーマを突き詰めると、“人に買わせるにはどうするか”という話に行き着くように思う。
それについては、技術論として自分も著作に書き、他の研究者・実務家も詳しく論じているので、あえてその上塗りはしないが、一つだけ言えそうなのは、マーケティングも人間相手である限り、理屈だけですべてを割り切ることはできないということだ。特に、右脳の感度が高い日本人がターゲットの場合はそうで、商品やサービスの仕様や特性や価格や条件以前に、あれかこれかと心の琴線に触れるようなプレゼンテーションがなされなければ、その先に話が進まないのではないかと、このごろ思うようになってきた。

意気込んで思い立った割には、何だか竜頭蛇尾な話になってしまった。マーケティングは奥が深く、自分もまだまだ勉強が足りないと反省する次第。

ア、それから、衣服の買い物のことだが、“モウ、いい加減にしないと...。これ以上持ち物を増やさないように、新しく一つ買ったら、古いものを一つ捨てること!”と、家内に厳命されている。

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2008年8月 4日 (月)

引越し狂騒曲

先月の初めにしばしの休載宣言をしてからもう1ヵ月経った。そして、その理由であった自宅建て替えのための一時引越しを敢行して早や2週間あまり。
暑くて殺伐な都会の喧騒から離れた高原の暮らしで、このところやっと人心地がついてきたが、思えばこの数ヵ月、特にここ2ヵ月間の生活の目まぐるしさは、尋常の沙汰ではなかった。しなければならなかったことのあまりの多さに、引越しの当日は、体力は限界ギリギリにまで達し、何とか気力でもちこたえたものの、家内共々、まさにダウン寸前といっても過言ではなかった。

その日を当然予想して、それまでにも時間をかけて用意してきたつもりだったが、新居のビルダーと契約をし、旧居の解体工事のスケジュールが決まり、それまでに仮住まいに引っ越さなければならいという、あと1ヵ月半のカウントダウン状態に入ったあたりから、事態は一気にヒートアップ。
新居建築のための今後の諸日程の打ち合わせと、旧居解体とそこから引越すための段取り確認、そしてそれらに伴う費用の決済、自分の仕事関係のスケジュール調整、数ヵ月とはいえ住む場所が変るについての郵便・電話・電気・ガス・水道・銀行・ケーブルテレビ・インターネットなどに関する休止や一たん解約や変更や通知などの諸手続き、かかりつけの内科・歯科・整形外科・ペットクリニックなどのドクターたちとの相談などなど、家を建てるために引越しをするとなると、しなければならないことがこんなに沢山あったかと驚くほど。家内は毎日の家事を、自分は予定の仕事をこなしながら、これらをひとつひとつ遺漏なく進めて行くのは、実際、容易なことではなかった。

家内の日頃の苦労を思い知ったが、“ゴミ出し”も骨の折れる仕事だった。後から後から出てくる不要になった(というかそう決めた)衣類・本・紙製品・樹脂製品・皮革製品・金属製品・ガラス製品、そしてそれらのミックス製品、およびそのどれとも言えないもの――などを、横浜市の分別規準表と首っ引きしながら、毎日仕分けしてはゴミ置き場に運んだり門の前に出したりするのは、肉体的にはともかく、神経的には甚だくたびれた。
いわゆる“粗大ゴミ”は、間際の1~2ヵ月だけでも、若い家庭の1世帯分以上は優に出したと思う。その中には、大きくて重くて、男でも一人では到底動かせない大型家具なども多くあって、それを回収の前夜に2階から下ろしたり室外に出したりし、回収の当日には前の道路まで運んだのだが、正直言って、十分いい歳の自分たちにはキツかった(息子たちも1~2度、そのために来てくれはしたが、9割方は自分たちで動かした)。

しかし何といっても、このバタバタのハイライトは、2日間にわたった“引越し作業そのもの”。どうしても人まかせにできないものだけを自分で梱包し、あとは指示するだけで良いという「おまかせコース」とやらを頼んでいたので楽観していたのだが、予期せぬことが続出した。
なるほど、自分で梱包しなくてもいいということは、山のような蔵書や売るほどある食器類の梱包では大いに助けになった。が、“これは何ですか”、“これはどこ行きですか”、“これはどうしますか”と、朝早くから午後遅くまで6~7人の作業員に矢継ぎ早に尋ねられ、そのたびに右往左往しなければならないのにはホトホト参った。一人に対応しているともう一人の方がお留守になって、結局、指示不徹底のまま、その辺にあるものはどんどん箱詰めされ、積み出されて行ったため、自分たちは何がどうなったのか皆目わからなくなってしまう始末。家内と自分の2人が揃っていた1日目の午前中と2日目ですらそうだったが、自分が仕事で出かけなければならなかった1日目の午後などは、家内一人が、嵐に翻弄されるようなシンドイ思いをした。

2日目は、昼までに梱包と積み出しのすべてが完了したが、それまで自分たちは一瞬も、座る間はおろか喉を潤す間もなく、トラックが去って行ったあと、呆然と立ち尽くすばかり。終ってみて、この「M引越しセンター」という会社の作業っぷりは、確かに手早かったが、自分たちが求め、想像していたものとはだいぶ違っており、欲求不満が残った。
普通の引越しは、すべての家財を旧居のA地点から新居のB地点へ運ぶという単純なケースが多いからだろうか、ともかく早く荷造りして、積んで、運び、生産性を上げるというのがこの会社の方針らしく、顧客によって異なるはずのさまざまなニーズにきめ細かく対応するという感覚がなくて、それを事前に察知できなかったことが、後で悔やまれた。

自分たちの場合は、新居は旧居と同じ場所に、5ヵ月先に出来上がるので、その間ほとんどの家財はトランクルームに預け、当座(夏・秋・初冬)の衣料、身の回りの生活・仕事用品、貴重品、ムッシュ用品などだけを持って仮住まい(山荘)に移り、5ヶ月後にまた預けていたものを新居まで搬出してもらって自分たちも戻る――という、普通の引越しとはちょっと違うかたちになっているのだが、その根本的なことが、現場の引越し作業員にはよく理解されていなかったようだ。
仮住まいに持って行くものは、できるだけ、あらかじめ自分で梱包・上書きしておき、そこまでできなかったものは、トランクルーム行きの家財とは置く場所で区分していたはずだったが、未梱包で当日の指示も行き届かなかったものは作業員の判断で梱包・搬出されてしまったらしく、当座必要だったいろいろなものが行方不明になった。紛失したわけではなく、多分5ヵ月間、トランクルームの中で眠ることになったのだとは思うけれども、トラックが出る前にそれをチェックする機会がなかったのが残念だった。

数え上げたらいくつもあるが、一番困ったのは、引越し先の山荘の鍵。最後に家を出るまではしまい込むこともないと思い、玄関のシューズクローゼット上の小物入れの中に、他のキー(車のスペアキーなど)と共に入れておいたものが、その入れ物ごと、トランクルーム行きの梱包に入ってしまったらしい。幸いスペアキーを、「清里の森」の管理センターに預けておいたから良かったようなものの、そうしていなかったら一体どんな騒ぎになったかと、いま考えても頭が痛くなる。
もう一つは家内の衣服。必要になる可能性があるからと、梱包・入庫すべき他の衣服類とはわざわざ別にしておいた礼服が、やはりどこかにしまわれてしまった。これは1日目の搬出後すぐにわかったので、引越し会社の担当者にトランクルームまで行って調べてもらったが、最早わからなかった。その他にも、信じられないことに、使いかけのペットフード(生もの)や、家内が前日まで水を遣って育てていたセントポーリアの鉢植えまでが、どこかに詰め込まれ、倉庫へ行ってしまった。

この騒ぎの合間に、別口で、ピアノの搬出(専門倉庫での保管のため)とエアコンの取り外し(処分のため)そしてケーブル引込線撤去(一たん解約のため)の作業もしたのだから、なおさらややこしい。
間際までインターネットを使えるようにしておきたかったため、ケーブル撤去は最後の最後にしていたのだが、その前日に、エアコン処分業者が室外機取り外しの際にケーブルを切断してしまうというミスがあって、予定していた仕事上の送受信やネットバンキングができなくなってしまうという、とんだハプニングもあった。

一方、最終的に山荘の方に携行しようと思っていたものも意外に多くなって、かなりの部分、自分の車に積み込むのが無理なことがわかった。それで急遽その分は、次男とビルダーの営業担当者に預けて、後日ついでのときに持って来てもらうことに。
そのためにまた、その場で急遽、どうしてもその日から必要になるものと、少しは待てるものとの仕分けをしたのだが、ここでも混乱したらしく、山荘に着いて開梱してみたら、またまた、“あれもない、これも入っていない”が続出。買えば済むものもあるのだが、それには「長坂インター」の付近まで15キロほど車を走らせなければならず、ガソリン代高騰の折から、1週間後のまとめ買いの機会までの辛抱と相なった。

自分だけのことでも、てっきり携行してきたとばかり思っていた延長コード、LANケーブル、PCプリンター用紙、ホッチキスの針など、こまごまとしたものがいろいろと足りないことがわかった。
そんなテンヤワンヤの中だったが、インターネットがすぐに使えないと不便だろうと引越しの翌日に駆けつけてくれた長男が直ちに回線サービス側(NTT東日本)の設定をしてくれ、長男が帰ったその翌日には自分が、サポートを受けながら何とかプロバイダー側(イッツコム)の設定を済ますことができ、いまこうして使えている。ただ、無線LANカードが1枚足りないので、PCはまだ、電話コンセントに近い食卓の上に置いているが...。

と、まあ、引越しを済ますまではまことにたいへんだったが、日が経つに連れて、その思いも薄らいでゆく。よく考えてみると、この猛暑の時期に横浜を脱出できたことは、思いがけぬ幸いだった。あのままだったら、暑さでもっと体調を崩していたかも知れず、それを回避できたことは有難いと思わなければならないのだろう。
管理センターの人たちのアドバイスで、ここで長期間生活するための要領もチョッピリわかってきた。家内も、静かな環境の中で、溜まりに溜まっていた疲労とストレスが少しずつ癒えているようだし、引越しの最中は居場所も定まらなくて可哀そうだったムッシュも、いまでは毎晩グッスリと眠って元気回復。散歩も気持ち良さそうだ。

そうこうしているうちに、次男が忙しい週末の時間を繰り合わせて、預けていた荷物を届けに来てくれた。今週はビルダーの担当者も、打ち合わせを兼ねて、やはり預けていた荷物を持って来てくれるはずで、来週は再び長男が、無線LANの設定に来てくれることになっている。
みんなの協力のおかげで、多少の不便はあるかも知れないが何やら楽しみもありそうな、数ヵ月の山荘暮らしが始まろうとしている。さあ、自分としても今週からは、平常の仕事ペースに戻らねば...。

これから、東京の顧問先には月に2~3度、中央道をハイウエイバスで往復することになるが、それもまた楽しからずやというところ。ここでの報告は必然的に“山荘四季だより”が増えるかと思うが、このところご無沙汰していた“マーケティング随論”も、むろん忘れてはいない。
久しぶりなので思わず長くなってしまったが、以上、とりあえず近況報告まで。

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