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2008年6月

2008年6月30日 (月)

忙中閑なし...でも山荘へ

来週公表するつもりだが、いま、個人的なことで(というか家庭として)、文字通り寝る間もないほど忙しい毎日を送っている。昨年からずっと継続して計画を進めてきた家庭ビッグ・プロジェクトのスタートが眼前に迫っているからだ。
実は先週末、そのこととの関連もあって、清里の山荘へ行ってきた。前回からちょうど1ヵ月。“忙中閑”と行きたいところなのだが、それどころではなく、持って行く荷物も一杯、やらなければならないことも山ほどあったので、今回はムッシュを近所のかかりつけのペットクリニックに預かってもらった。

そんなわけで、家を出たのは普段よりずっと遅い夕方の時間。山荘に着いたのも、深夜ではないけれども“遅い晩”といっていい時間帯になっていた。ムッシュ連れでなかったので、彼の食事・睡眠時間に縛られない気楽さはあったが、いつも後部座席で、まどろんだり、立ち上がって車外を眺めたりしながら、むずかりもせずに長時間のドライブを共にしている彼が居るべきところにいないと、やはり淋しいもので、途中つい、“いまごろもう寝たかなー”などという話題になってしまった。
夕食も、こだわらず、うるさい注文はつけずに、気軽に食べられればいいと、中央道を勝沼で下り甲府市内に入ってから、国道20号線沿いにある桃のマークの中華ファミレスでとったが、ほどほどにいい味を出していた。

驚いたのは、国道141号線の弘法坂を上りきり、標高1000メートルを越えたあたりから、猛烈な霧が出てきたこと。牧場通りに入るころから10メートル先が見えなくなり、清里の森に着いたときは、辛うじて5メートル先までなら見える状態になっていた。最徐行で何とか山荘に辿り着いたが、これほどまでの霧に出会ったことは、これまでの記憶にもない。標高1400メートルの、ちょっとした山のようなところだから、仕方がないのか。
しかし一夜明けたら、天気予報とはうって変わり、窓から明るい朝の陽が射し込んでいた。外は一面の緑。前回はどこを見てもまだ土が露出していた地面も、今回はすべて下草で覆われていた。高木を沢山伐採し日当たりがよくなったせいか、中・低木の先端が急激に伸び、葉もやたらと繁った気がする。

森全体の印象は前回とさして変らなかったが、我が家の庭では2本あるヤマボウシが白い花を一杯につけ、これも2本あるナナカマドが珍しく目立つほどに花房を垂らし、赤いドウダンツツジの花は半分こぼれ落ち半分咲き残っていた。どうしたわけか、どのレンゲツツジの木にも、例年ならいまごろは一杯についているはずの黄色い花が見当たらなかった。
家の中でしなければならないことが沢山あるので、庭仕事はすまいと思っていたのだが、駐車場を兼ねた前庭の雑草がかなり伸びていたので、今年初めて刈り払い機を振るった。
横浜の自宅でも2~3週間前に芝刈りをしたが、若いときは何でもなかったこの類の仕事が、最近はだんだんシンドくなってきた。そんなことでは情けないのだが。

今年になってから、間が悪く、行く度に肩透かしを食らっていたが、今回やっと、藤乃家の蕎麦にありつくことができた。ウイークデーだったのと、夕方の開店早々に行ったこともあって、珍しく店内はガラ空き。ゆっくりと、久しぶりの天盛りを味わってきた。
横浜の家では、このところずっと、朝から晩まで追われるような気持ちになっていたが、こちらに来ると嫌でもそれから離れることになるので、束の間ホッとし、結果的に少し休まった気持ちになれたかも知れない。

中一日だけ滞在して、帰途についたのは土曜日だったが、談合坂SAで小憩した後再び中央道を走り出したら、いつにない大渋滞。小仏トンネルと上野原の間で事故があったらしく車の流れが止まってしまったので、これはたまらぬと国道20号線に下りたら、こちらも、相模湖町を通過するのにエラく時間がかかり、かつ、大垂水峠を越えたところからJRの高尾駅を過ぎるあたりまで、延々長蛇の列。
ムッシュを夕方の7時に迎えに行くと約束していたので十分余裕を見て出発したはずだったが、その余裕が完全に帳消しになった上、逆にだいぶ遅れそうな見通しに。ギリギリまで状況を見極めていたが、どうにもならなくなり、とうとう八王子で、ペットクリニックに電話連絡した。

到着したのはジャスト8時。ムッシュがどんな様子で出てくるかと心配していたが、やはりいつもとは違っていた。まるで、人間なら100メートルを全速力で駆け抜けた後のように、荒くて急な呼吸が止まらない。そして尻尾は千切れそうに振っているのだが、身体がガタガタ震えている。
淋しかったのだろうか。そう言えばここに連れて来る前に、異様なほど家内に纏わりついていて離れなかったが、何かを察知していたのかも知れない。ペットとは神経が繊細なものだと改めて認識した。けれども、しばらく抱きしめて撫でさすってやっているうちに、やっと落ち着きをとりもどし、いつの間にか自分のケージに入って眠りに就いた。

さて、この後2週間はプロジェクトの最後の追込みで、自分たちの体力が保つかどうか心もとないほどの最大級の忙しさになる。が、ここまで来たら後戻りはできないので、進むしかないと自分に言い聞かせている。では来週、ここでそのことを報告します。

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2008年6月23日 (月)

地下鉄副都心線と渋谷駅東側・西側

この数年、フルタイムで通勤しなくなってからというものは、乗り降りまたは乗り換えをする主要駅周辺でかなり大がかりな工事をしていても、“何ができるのかな?いつまで続くのかな?”という程度に気にするだけで、細かいことにはあまり頓着しなくなってしまっていた。渋谷駅東側の地下でも、長いこと何かやっているようだ...とは思っていたが、いつも現場を通っていたわけでもないので、今年になって急にあちこちで話題になるまで、地下鉄副都心線の駅ができるということがあまりピンときていなかった。
それがいつの間にか進行して、ご存知のようについ先日、完成・開通したが、この路線は自分の日常の行動範囲と重なるところがほとんどないので、いずれそのうちに機会があるだろうと、今のところはまだ乗り急いでいない。

が、地下に新しくどんなものができたのかチョッと覗いて見たい、というもの好きな気持ちはあったので、実は先週末、仕事で八丁堀に行った帰りにわざわざ渋谷で下車して、チェックしてきた。いつもなら地下鉄銀座線を表参道で半蔵門線/田園都市線に乗り換えて、そのままあざみ野まで直行するところなのだが。
まったく予備知識がなく、銀座線を降りてからそこへ最短距離で行くには、どこを通ったら良いのか皆目見当がつかなかったので、とりあえず東横線寄りの改札口から出て、人の流れのままに宮益坂方面に向かったら、連絡通路橋を渡りきるちょっと手前に、地下直通のエレベーターがあった。上がってくるケージを待つ間、外に目を遣ると、旧東急文化会館跡が再開発工事の真っ最中。地下を深く掘って、まだ基礎工事の段階のようにも見えたが、同会館の解体後の状況を目にしたのは初めてだったので、昔日を知る者としてはいささかショッキングだった。適切なたとえではないかも知れないが、自分の中では、ニューヨークのグラウンド・ゼロ(9.11テロ事件の跡地)の、事件1~2年後の光景と重なった。

ところで1970年代の後半、勤務先のオフィスが宮益坂上にあったので、ここに建っていた東急文化会館には、けっこう足繁く訪れた思い出がある。
4階は味・値段ともまずまずのレストラン・フロア(というよりも食堂街)になっていて、5階には「三省堂書店」があり、昼食時にはよくハシゴをした。1階には洋菓子店の「ユーハイム」やフルーツパーラーの「西村」があって、仕事関係者や友人知人との待ち合わせによく使ったし、時たま、家族への土産なども買った。3階には「資生堂」(家内が結婚前に行っていたそうだ)と「文化理容室」(ミスターの行きつけの店だったらしい)という女性・男性のヘアサロンが入っており、2階は「鳩居堂」や「立田野」など銀座の名店ばかりが出店していた「特選街」というショッピング・アーケードになっていた。

この建物は、“文化会館”と名乗っていただけあって、「渋谷パンテオン」「渋谷東急1・2・3」(それぞれ1・5・6・地階)と、映画館が4館も入っており、今なら差し詰め“シネマ・コンプレックス”、当時でいえば “映画の殿堂”といったところだったが、なぜか自分は、ここで映画を見たという記憶があまりない。ただ、東横線のホームや宮益坂方面への連絡通路からよく見えていた、ビル正面入口上の、これら4館で上映中の映画の大看板は、いつも強烈なインパクトがあった。
屋上のドーム型屋根が、ある意味ではこの建物のシンボルだったが、その下8階がプラネタリウムだったことを知っている人も、今では数少ないかも知れない。その昔、沢山の良い子たちが先生に引率されて宇宙・星座の勉強にきていたが、若かりし頃の自分は、1~2度だけだったけれども、ここを密かに睡眠不足解消の場とさせてもらったことがある。

そんなことを回想しつつ、地階(B3?)でエレベーターを出たら、眼前には“駅ばなれ”(という表現があるかどうか知らないが)した空間が広がっていた。建築家の安藤忠雄氏が“地中の宇宙船”をイメージしてディザインしたとかで、よく見ると、丸みを帯びた天井や線路階から改札階までの大きな吹き抜けが、それを思わせないでもなかった。確かに、タテにもヨコにも十分な空間があり、エレベーターやエスカレーターの配置も行き届いていて、地下鉄駅というよりは最新の空港ロビーを思わせた。
いずれそのうちにと思っていたのだが、単純なもので、行き交う人の流れを見ていたら、だんだん眺めるだけでなく乗ってみようかという気にもなってきた。今度時間のあるとき、新宿3丁目まで行ってみようか。地下街好きとしては、伊勢丹と高島屋が地下でどうつながったのかに興味があるし、新宿での仕事はほとんど西新宿なので、東から西へ歩いてどう抜けられるようになったのかも知りたいから...。

帰り道。副都心線渋谷の改札口から半蔵門線/田園都市線渋谷の改札口まではそのまま地下を歩いて行けるというから、教えられたままに進んだら、フロアの高低差もあまりなく、思ったよりもズッと近かった。こんど家の方から来てこの線に乗り換えるときは、なまじ地上に出たりしないで、これと逆方向に、地下を歩くに限ると思った。
でも...と、フト考えた。渋谷は、東側だけでなくむしろ西側を、どげんかせんといかんと。地下鉄の乗り換え駅では、大手町なども難しい方だが、渋谷は迷路のようになっていてさらに難しい上にバリアだらけ。何しろ地下鉄銀座線が3階で、JR・京王井の頭線・東急東横線が2階、半蔵門線/田園都市線が地下3階と、鉄道が何本も重層・クロスしているので、乗り換えるにはもちろん、ハチ公口・玉川口・中央口・南口を出入りするにも、上がったり下がったりが大変。だいたいにおいて駅全体がパッチワークで巨大化してきたようなものだから、よほど慣れないとエレベーターやエスカレーターがどこにあるのかわからないし、階段だけのところも随所にある。弱者・高齢者にとってこれは、さぞかし辛いだろうと、自分もその立場に近づいてわかってきた。

JR、東京メトロ、東急、京王と、文字通り立場を異にする複数の電鉄会社が寄り集まっているわけだから、調整は一筋縄では行かないと思うが、何とかしないと、渋谷駅の西側は“疲れる街”ということで、大人が来なくなってしまうのではないだろうか?

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2008年6月16日 (月)

気候と体調を考えた

今年になってからずっと、何だか気候がおかしい。ここでも度々ボヤいているが、気温が極端に上がったかと思うとまた極端に下がり、6月も半ばというのに、なかなか完全な衣替えに踏み切れない。それにしても、これだけ目まぐるしく気象が変動すると、自分では元気なつもりでいても、どこか体調がおかしくなってくる。
この体調不全は、単にトシのせいか?それとも自分のライフスタイルの問題なのだろうか?と、春先に医者に診てもらったら自律神経失調症と診断され、追われるような仕事を避け映画でも観て気分転換をはかることが大事とアドバイスされているが、寒かった日の翌日、急に真夏日になったり、かと思うとまた逆戻りしたり、こうコロコロと暑かったり寒かったりを繰り返されては、いくら気分転換をしても追いつかなくなる。

個人の話を無理にこじ付けようとしているわけではないが、これはやはり、巨視的に見れば地球温暖化の影響による異常気象の所為ではあるまいか。米国でも、西海岸のワシントン州で季節外れの降雪があったかと思うと、東海岸のニューヨークでは熱波で7人もの死者が出たという。
こういう現象を何とか食い止められないか、何とかしなければということは、いまや先進国なら産・官・民の誰もの関心事。仕事のために毎日チェックしている海外のマーケティング関連ニューズレター上でも、企業や業界の環境保護活動の記事を目にしない日はない。

内外に天変地異が起こり、信じられないような事件も続発している今年の前半だが、大げさに言えば地球全体の存亡を賭けたテーマを論じ合うことになる7月の「洞爺湖サミット」を間近に控え、いま自分も、ひとり内面で盛り上がっている。
サミットへ向けて、「日本学術会議」では“気候変化への適応策”という関係各国の共同声明を発表し、「地球環境シンポジウム」は“地球温暖化への提言”というメッセージを発信したが、自分たち個々の生活者も、面倒だけれども、微力ではあるけれども、日常のゴミ出しにあたっては資源ゴミとそうでないゴミの分別をしているし、やたら車を乗り回さないで、可能な限り公共交通機関を利用するようにしている。

世界中の人々が、そういうところからも気をつけてゆかなければ、やがて大変なことになりかねないと、先日テレビの名画劇場で「デイ・アフター・トゥモロー」を観て、あらためて考えさせられた。ご存知のように、温暖化によって極冠の氷が溶け海流に異変が起き、そのためLAがスーパーストームで壊滅状態になり、ニューヨークが巨大津波に襲われやがて氷河に覆われるという筋で、よく知った場所・建物ばかりが出てくるだけに、我ながら単純だが、映画としての面白さ以上のものを感じてしまった。気分転換のつもりで何気なくチャンネルを合わせたのだったが、見終わってグッタリした。

元来が低血圧なので、雨の日や湿度の高い日は身体全体がむくむように感じ、頭痛に悩まされる自分だが、このところ2~3日は晴れ間が続き、しかもカラッとしていて助かる。梅雨はこれで明けるのだろうか?イヤ、そんなわけには行かないだろう。昨年も、いわゆる梅雨の合間というヤツはあったが、明けるまでずいぶん長くかかった。そして、明けてからは、あの記録的な猛暑だった。今年はどんな夏になるのだろうか。
ムッシュも、梅雨とその後に来る暑い夏は苦手。雨のときは外に出られなくてストレスが溜まるようだし、気温が高くなるとハアハア言って辛そうだ。いつものコースを散歩するときでも、いまくらいの暑さでさえ動きが緩慢になる。それじゃあ誰かと同じじゃないかという噂もあるが...。

それはさておき、昨年総合検診を受けてからそろそろ1年近くになるけれども、あのとき胃の精密検査も受ける破目になったおかげで、以後の食生活に気をつけるようになり、消化器系はすっかり快調になった。(春先にちょっと胃腸症状が出たと思ったが自律神経失調が原因だった)
ただ、寒冷時の指先の血行が悪いようで、ここ何年も、かなりひどいシモヤケとその後遺症としての爪の症状で、年の半分は苦労している。目も、老眼がだんだん進むのは仕方がないが、チョッと使いすぎたかと思うとすぐにシバシバしてくるので点眼薬を手放せない。また、年中肩凝りがとれず、朝目が覚めると首周りから背中がバリバリ、肘が痛くて腕も重いということがよくあるので、整形外科の専門病院でX線検査も含めた診断を受けた。そしたら何と、単に職業や姿勢の問題で特別な治療を要するような病気ではないとのこと。事実、“これで治りますよ”と処方された強力な湿布薬を貼ったら、積年の痛みが1週間も経たずにとれてしまった。この先生は名医というべきなのだろうか?

とまあ、“自分は気候の変動に敏感で”とばかり、相変わらず“暑いの寒いの、痛いの痒いの”と、不定愁訴を漏らしているわけなのだが、いまのところ、家で寝込んだこともなければ、月一回の歯科以外、入院はおろか通院することさえトンとない。ということは、他人から見れば“なあんだ、まずまず健康じゃあないか”ということになるのかも知れない。
家内の方も、かなり以前から、循環器系内科と整形外科のホームドクターがいて、自分などが感心するほど真面目に通っているし、月一回の検診とカウンセリングも受けているので、“一病息災”というか、自分などよりかえって安心だ。

二人ともいわゆる“体育会出身”なので、古稀も超えたというのに未だに気だけは張っていて、梯子に登って自分で庭木や生垣の剪定をするし、電車やバスに乗っても大威張りでシルバーシートに座るようなことはしないなど、自ら年寄り扱いされるのを嫌っているところがある。が、あまりに体力を消耗したときなど思わず弱音を吐くことはあり、当人たちとしても、もうそろそろ無理はできないなという自覚はある。
皆それぞれに独立して、そんな親の日常を見ていない子供たちは、見かけ元気そうな両親が少しずつ弱っているのを恐らく実感できていないだろう。可能ならば長生きして、彼らに心配をかけないようにしたいとは思っているが、こればかりはどうなるかわからない。

いつの間にか、地球の未来を憂える話しが、家族の将来の話になってしまった。失礼のほどご容赦を。

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2008年6月 9日 (月)

人情八丁堀界隈

顧問をしている会社の一つが八丁堀にあり、月に2回ほど通っている。その会社のホームページにもこのブログのリンク・バナーを貼ってあるので、「中澤功の気まま備忘ログ」で検索してもらうとわかるが、急成長中のダイレクトマーケティング専門広告代理店だ。
以前にも書いたけれども、昨年のちょうど今ごろ、DM DAYS NEWYORK 07に参加した際に偶然現地で社長のSさんと出会って以来のことで、早いものでもう1年近く経つ。

自分は長年、勤務地や主な活動範囲が千代田区・港区・新宿区あたりだったため、その間日本橋より東の方は、仕事で訪問先を往復する以外めったに足を延ばすことがなかったが、この数ヵ月は、昼過ぎの僅かな時間ではあるけれども、八丁堀界隈をブラつくことがある。といっても、新大橋通りと八重洲通りの交差点を中心にしたごく狭いエリアだけだが。
なので、まだまだわかったようなことは言えないが、この街、なかなか奥が深い。ところどころに江戸時代の史跡があり、何気ない佇まいの店を訪れても、創業の由緒を聞いて驚かされることがある。だいたいにおいて、八丁堀とか茅場町とか、亀島とか霊岸島とか、桜橋とか新川とか、町名・地名そのものが歴史を語っている。旧江戸市街地で由緒のあった町名を、○○北とか□□中央とか、西△△とか外××とか、実に味気ない町名に変更してしまっている区があるが、どうかこの辺りは、これからもそういうことのないように願いたいものだ。そうしないと、街から歴史の跡が消えてしまう。

ところで、この街に少し慣れてきた半年前ぐらいから、家を午前中に出て、昼食は現地に着いてからとるようにしている。その方が多少でも家内の手を煩わせずに済むし、ある意味で自分にとっての楽しみにもなるからだ。場所柄、この一帯には、美味しいものを食べさせてくれる店がいくらでもあるはずという読みもあった。
で、顧問先の会社に入館する1時間前に現地に着いては、ランチの店を物色しているのだが、この近辺は確かにそういう店には不自由しないものの、まだ、ここぞというところを開拓できていない。いまのところ、新大橋通りと桜橋通り(平成通り?)に挟まれた八重洲通りの南北各1ブロックぐらいしか歩けていないので、今後、亀島橋周辺も探索してみる必要があると思っている。

ともかく、そんな限られた範囲でも、表通りはもちろん狭い裏路地にまで、和・洋・中・エスニックとあらゆるタイプの店がひしめき合っているので、最初のころは迷いに迷い、何を食べるか決めかねるまま歩いているうちに残り時間が少なくなってしまって、結局あわただしくファースト・フードなどで済ますこともしばしばだった。が、毎回それではしょうがないので、いまではとりあえず、和食系の、それも麺類(ということは蕎麦か饂飩)というところに絞っている。
この辺りの店はどこも、サラリーマン・OLの味方というか、ランチにはリーズナブルな値段でヴォリュームたっぷり、カロリータップリのサービス・メニューを出してくれるので、体力全盛期の自分だったら大喜びなのだが、いかんせん、年令とともに淡白な味を好むようになり、かつ量もそれほどいけなくなっているいまは、有難いけれどもトゥー・マッチ。で、どうしても、無難な選択をするとそういうことになってしまう。

土地柄か、蕎麦屋密度はずいぶん高いような気がする。しかし、何店かに入ってみたけれども、山荘に行ったときにいつも訪れる山梨・大泉の藤乃家のように、ここなら通い続けたいと思うような店には、残念ながらまだ行き当たっていない。その点饂飩は、店の数は蕎麦屋ほど多くないが、最近は手打ちではなくともかなり舌触りの良いものが出回るようになってきているせいか、どこの店もまずまずだ。
そんなわけで、このところはだいたい同じ店で、薄味であまりヴォリュームのない紀州梅入りうどんなどを食しているが、それで一件落着というわけではない。たとえ2週間おきとはいっても、同じものばかり食べていたら飽きてくるし、だいいちそれでは、何でもありの八丁堀に来ている甲斐がないので、さらにサーチして、家庭料理っぽい和定食、パイ生地やパンそのものが美味しいオーソドックスなピッツァやサンドゥイッチ、あっさりスープのふかひれラーメンやヴェトナム風饂飩フォーなどが食べられるところを見つけたいと思っている。読者の方々も、ご存知だったら教えていただきたい。

この街にはまた、きっと美味しい和菓子屋さんもあるとにらんでいたが、そのカンは当っていた。気がついただけで2店。どちらも老舗っぽいが、一方が庶民的な感じなのに対し、もう一方はやや高級店。こういう場合自分は、どちらのタイプの店にまず足を向けるかというと、自分の柄からいってやはり庶民的な感じの方。山の手のお嬢様よりは下町娘が好みなのだ。アレ?そういう問題ではないのか。
その店は、新大橋通りから日本橋側に一本入った通称すずらん通りに面し、鍛冶橋通り寄りにあるが、店内に入るとどこか懐かしい雰囲気。大福・吹雪・おはぎ・黄身しぐれ・鹿の子といった通年ものから、道明寺・桜餅・鶯餅・柏餅・葛饅頭・水羊羹といった季節もの、そして海苔巻き・いなり寿司などまで取り揃えた、下町の正しい和菓子屋だ。ケース越しに、おかみさんと若い女性2人(たぶん娘さん?)がにこやかにしかしテキパキと接客し、奥にはご主人(あるいは息子さん?)が無駄口を叩かず(聞こえるわけではないが、たぶん)一心不乱に菓子づくりをしているのが見える。

気軽に好きなものを好きなだけ買えるので、これまでに数回立ち寄っているが、邪魔にならないときに店の歴史を尋ねてみたら、創業は明治時代だそうな。道理で、過不足のないほど良い甘味で、接客を含めた店全体の雰囲気にも、落ち着きが漂っていると思った。
自分が寄る時間帯は、仕事の帰りがけなのでだいたい遅い午後なのだが、時たま、今晩残業する部下への差し入れか、職場のみんなのオヤツなのか、近所の会社の中間管理職らしき小父さんや、制服をきたお姉さんたちが、まとめ買いをして領収書を書いてもらっているのに出くわす。こちらは別に急ぐ身でもないので全然気にせずに待っているのだが、そういうときおかみさんは気を遣って、後でそっと、袋の中にオマケを1個忍ばせてくれる。

何かと世知辛い世の中だが、そんな、ささやかな人情味を感じさせられたことが、この街に来るようになってから2度ほどあった。

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2008年6月 2日 (月)

薫風 清里の森

先週の日曜日から、今年2度目の山荘行。もっと早く、ゴールデンウイークの直後ぐらいにと思っていたのが、何だかんだと忙しくて、前回から早や1ヵ月経ってしまった。けれども今回は天候に恵まれ、3泊4日の滞在中はずっと晴天続き。

横浜の家を出た日は昼過ぎまで雨が降っていたが、折り良く出発前の午後2時くらいからすっかり上ってくれたし、山荘から帰る日も、前2日間 にくらべると八ヶ岳が少々霞んでは見えたものの、一日中まったく降る気配はなかった。ところが帰宅の翌日からは、また雨で気温も急降下。今回の山荘行は、 お天気に関する限りまことにツイていた。日頃の心がけが良いからかナ?

八ヶ岳

うまくタイミングが合えば、採れたてを天ぷらにして...などと、 毎年庭に自生するタラの芽やウドを密かに楽しみにしていたので、着いた日の翌朝、早速チェックのため外に出たが、今年は残念ながら収穫なし。摘みごろもとうに過ぎていたのかも知れない。それでも直ぐには諦めきれず、昨年立ち木を伐採してすっかり陽当たりの良くなった庭を、何か他にも山菜はないかと眺め渡していたら、あちこちに、ゼンマイ(コゴミかもしれない)が生えていたので一応摘んでみた。

が、生ゼンマイの調理のし方がいまひとつわからないということで、結局は食べずじまい。
新緑というにはもう時期を過ぎた庭では、すっかり生い茂ったカラマツやカツラやミズナラやリョウブの葉の下蔭になって、赤いドウダンツツジも三つ葉ツツジも山ツツジも、まだ十分に開花しきっていない状態。レンゲツツジやヤマボウシや山アジサイなどにいたっては全然で、黄色や白い花が見られるようになるのは次回かも知れない。

山ツツジZenmai_3

それにしても、二日間というものは抜けるような青空で、陽射しはけっこう強いのに、風はヒンヤリと肌寒いほど。森を訪れている人もほとんどいないので、静 かで空気が澄んでいて実に気持ちが良く、家の中から窓越しに近くを見ても、庭に出て辺りを眺め渡しても、木々の緑が目に快い。
こ のぐらいが適温なのか、ムッシュも元気いっぱい。一日中散歩に出たがり、目覚め一番、午前、午後、お寝み前と、回数もいつもの倍ならば、走行距離もいつも の倍。楽しくてたまらないように駆けまわるので、それに付き合っているパパはフウフウ言ってしまう。でも、運動になるからいいか。

前回、藤乃家の蕎麦を食べたいと思っていたのにちょうど休日で果たせなかったので、今回こそはと意気込んで行ったが、何と、前日から週末まで臨時の4連休。家内と“今回はマサカそういうことは...”と話し合いながら行ったら、その“マサカ”だった。お天気にはツイていたが、蕎麦にはツイていない。
代わりに他の店でという気にもなれなくて、自宅に逆戻りし、また家内の手を煩わせてしまった。口ばかりでなかなか調理ができるようにならない自分は、せめて外食に誘って、点数を稼ごうと思っていたのに...。

コンピューターを持参して行ったので、原稿書きの仕事もはかどったが、力仕事もだいぶできた。10年近く前に、家の前の道路沿いに大掛矢を振るって20本近くの杭を打ち込み、それに笠木と横木を打ち付け、ペイントも塗って仕上げた手製のフェンスが、冬季の積雪の重みに耐えかねてか、杭の根元の地盤が緩んだのか、かなりの角度で傾いできたので、応急の矯正工事(工事というほどのことでもないが)を施したのだ。
昨春に伏流水路改善工事のため庭を掘り返したとき、大小さまざまの岩石が出たので、その中から径15~20センチほどの小石(というよりも“中石”?)を選んで、それぞれの杭の根元周りの地盤を固めるために埋め込んだ。埋め込む作業も、杭一本ずつ根元の土を掘っては石を入れ、小槌で叩き固めるので、決して楽ではなかったが、一回に1~2個ずつ抱えて20メートルくらいの距離を往復する石運びの方が、けっこう応えた。が、自分で思っていたよりもチャンと仕上がって、それを見た家内に“アラ、良くなったわネー、たいへんだったでしょう”と褒められたら、格好をつけて無理に涼しい顔をつくり、“イヤ、それほどでもなかったヨ”と、痩せ我慢してしまった。

工事といえば、今回来てみたら、ポーチ入口の30センチほどの厚みでアーチ状壁になっている部分の天井が、片側1メートル近くにわたって漆喰が割れ落ち、内側の木部も腐れ落ちていた。数年前から、ポーチの外壁・柱の角などの漆喰にクラックが走るようになって、塗装補修はしていたのだが、どうやら、バルコニーになっている上部のコンクリートの亀裂から雨水が滲み込み、内部に溜まって木部を腐食させ、長年のうちに耐え切れなくなってしまったらしい。
同じくらいの幅のもう片側は幸い剥がれ落ちていなかったので、今回出入りするには差し支えなかったが、早晩落ちる危険性があるのは明らかなので、直ちに、この家を建ててもらったYさんに連絡。6ヵ所の現場に関わっているとかで多忙を極めているらしいYさんだが、事が事だけにすぐに飛んできてくれ、次回(多分3~4週間後)来るまでに全面改修(一たん解体して新たに取付け)してもらうことに。3~4年前にはベランダの全取付け直しをしたが、今度はポーチ・バルコニーの全取付け直し。20年近くも経つと、雨風に晒される部分にはこんなことも起きるものなのか。本体の方はビクともしないのだが。

庭の木々 窓越しに見える木々の緑

と、いろいろあったが、久しぶりの山荘は、中2日のゆとりをとったらずいぶんゆっくりできたような気もした。立ち木伐採後の様子を見に、管理センターのAさんも訪ねてきてくれたし、忙しくてなかなかつかまらなかったYさんとも何年ぶりかで会って四方山話がはずみ、特にどこへ行ったというわけでもなかったが、清里らしい時間を過ごせた。
ムッシュも、車中はもちろん山荘の中でも外でも、すっかり要領を飲み込んで過ごしているので、まったくの世話要らず。往き帰りの中央道談合坂SAでは、老若男女あらゆるジェネレーションの沢山の人々にモテまくって、ご満悦の様子だった。

“忙中閑あり”という感じの、リフレッシュできた数日ではあった。

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