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2008年5月 5日 (月)

♪ 嬉しや五月

5月に入ると、さすがにもう寒くはない...どころか、汗ばむ日もあるくらい。家内はとうにTシャツの軽装になっていたが、自分もとうとうセーターを脱いだ。
そよ風に頬をなぶらせながら、朝食後にムッシュと一緒に近所を散歩するのはまことに気持ちが良いが、もう7歳も半ばにさしかかった彼は、やや気だるそうにトロトロと歩いている。グッスリと昼寝をした後の夕方の散歩では、けっこう元気に走ったりもするのだが。もっともそういう自分も、ムッシュがわが家にやってきた3年前とくらべると、歴然と体力が落ちてきた。あのころは、ムッシュに“走れ、走れ”と掛け声をかけながら、一緒になって公園のまわりを走っていたものだったが、今ではチョッと辛い。

5月といえば、いろいろなことが頭に浮かぶ。メーデー、憲法記念日、こどもの日(というよりも「端午の節句」)、菖蒲湯、鯉のぼり、柏餅、ちまき、筍、木の芽、初鰹、母の日...と、きりがないが、田舎育ちの自分の記憶にいちばん鮮明に残っているのは“ちまき”と“菖蒲湯”だろうか。

ちまきは、自分が生まれた地方(福島県)では“笹巻き”という呼び方をされていたが、和菓子屋などで見かける細長くて何個かが一束になっているタイプではなく、一個一個がもっと大きく分厚い正三角形タイプの方。蒸しあげられた餅米がおにぎり状に固まったものの笹を剥がし、黄な粉をつけて食すだけの至ってシンプルなものだったが、米不足でふだんは麦ご飯しか食べられなかった身にとっては、お菓子のようでもあるが主食のようでもある、この上ないご馳走に感じられた。
また菖蒲湯に関しては、束ねた菖蒲の葉を風呂桶一杯に浮かべて、なぜだったかまだ陽の高いうちに入浴した際の強烈な香りが、葉の先端が肌に触るチクチク感とともに、いまでもアリアリとよみがえる。

当時は砂糖が手に入らず餡をつくれなかったからだろうか、柏餅は子供のころに食べた記憶がなく、大学進学のために上京してから初めて味を知ったが、さほどの感懐はなかった。また、育ったところが内陸部だったし、いまのように流通網が発達していなかったので、いわゆる初鰹なるものは味わったことがなく、鰹といえばもっぱら生利節の甘辛煮付けだったが、いまでもそれが大好物の一つになっている。
筍は、高価な食材として売られているいまとは逆に、新鮮なものがふんだんに食べられた。至るところに竹林があり、いくらでも生えていたから、誰でも採ってよいというわけではなかったろうが、たぶん普通の野菜と同様、簡単に手に入ったのだろう。麦なしご飯は贅沢だったから、何か目出度いことでもあったときぐらいしか筍ご飯はしてもらえなかったし、京風の手の込んだ料理などは知るべくもなかったが、シーズンには味噌汁や煮付けなどのかたちで、毎日のように食べていた。だからか、これも大好物。それを知っているので家内も、この季節になると連日のように、筍ご飯、味噌汁、煮物を食卓に載せてくれる。庭に山椒を植えてあるので、毎日その若葉(いわゆる“木の芽”)を摘んではそれらにトッピングして、より食欲をそそる芳香を楽しんでいる。

端午の節句には、家の中に武者人形などを飾ってもらったような記憶はないし、外にも、高く鯉のぼりを立ててもらった覚えがない。戦時中で品不足だったのか、あまり裕福ではなかったせいか、紙製の鯉のぼりだったように思う。近所に医者の息子の友人がいて、その家には、布製の真鯉・緋鯉に吹流しもついてカラカラと矢車がまわる、歌にあるような“屋根より高い”本格的な鯉のぼりが立っていたが...。
でも、たった一人の男の子にそれでは不憫と思ったのか、無名の田舎絵描きだった父親が渾身の腕を振るって、大きな布地に“鍾馗”(ショウキ、ヒゲ面ギョロ目の魔除けの神様)を描いた旗をつくってくれ、それを毎年、鯉のぼりと共に立てるのが慣わしになっていた。長じてその手製の旗のことはすっかり忘れていたが、長男が生まれたときにそれが、何のコメントもなしに父親から送られてきた。住宅事情もあってそのころはそれを飾ることもできず、以来そのまま、鍾馗は押入れの奥で眠っている。

五月という月は、フッとした瞬間にそんなホロ苦い思い出がこみ上げることもあるけれど、それでも一年中でいちばん好きだ。寒がりで低血圧で気圧に敏感な自分を、この月の晴天が生理的に爽快にしてくれるからかも知れない。
そぞろ歩けば歌も出る。 ♪ 嬉しや五月 草木は萌え... モーツアルトの小品「春への憧れ」が原曲のお馴染み小学唱歌だが、いろいろ訳詩があって、正しくは一番が“楽しや五月...”で始まるらしい。しかしこの何十年の間、すっかり“嬉しや五月...”とばかり思い込んでいた。自分ばかりでなく、家内も。

駄洒落のようでくだらないけれど、いつからか家内と自分だけのときは、何かいいことがあるとお互いに、“嬉しや五月...”というフレーズでさり気なく感情表現するようになった(実際には5月でなくとも、また本心では大喜びしていても)。ストレートに“ワーオ!”などと言って大仰なゼスチュアをするのは照れくさくてできなくなってきたのだ。

ともあれ気まま者としては、この五月晴れはできるだけ長く続いて欲しい。梅雨も来ないと困るのはわかっているが...。

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