« 春待つ心 | トップページ | マーケティングと金儲け »

2008年3月 3日 (月)

漫画少年

フジテレビの朝8時からの情報番組「とくダネ!」の中で毎週火曜日に放送される「温故知人~天国からのメッセージ」というコーナーがある。故人になってしまった著名人を偲ぶ番組だが、対象となるのは、物故間もないときのショックも薄らいで、むしろ懐かしむ心の余裕も出てくるという、ほど良い時間経過の後にとり上げられる人物がほとんどなので、若手噺家の柳家花禄の人情噺風の語り口による味付けもあって、なかなか見せる(聞かせる?)ある種のエンタテインメントになっている。わが家では、かなりよく見ている。
先週、2月26日は、“漫画の神様”とか“日本のウォルと・ディズニー”とか称せられた手塚治虫が取り上げられていた。手塚治虫というとたいていの人は、あの一世を風靡したテレビ・アニメ「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を思い起こすだろうが、自分たちの世代は、あの時代ではなくて、もっとず~っと前の、もうセピア色にぼやけかかっている、いわゆる“赤本”漫画の時代に思いが飛ぶ。

小学校(当時は国民学校といった)の低学年で太平洋戦争の終結を迎えた自分は、家に経済的な余裕がなかったこともあり、買ってもらえた本は数えるほどしかなく、そのころからとみに旺盛になってきた読書欲を、もっぱら、医者や旧家などの裕福な友人宅にあった本を片っ端から借りては読むことで満たしていた。
その中には、戦前発行の立派なハードカバー布装丁の少年向け読み物「怪傑黒頭巾」(高垣眸)、「嗚呼玉杯に花受けて」(佐藤紅緑)、「亜細亜の曙」(山中峯太郎)、「吼える密林」(南洋一郎)などがあり(戦後生まれの世代は知らないだろうなあ)、むさぼるように、何度も何度も読み返しては血沸き肉躍る(表現が古いかな?)思いをしたものだったが、実はその読み物の内容もさることながら、それ以上に、椛島勝一、鈴木御水、齋藤五百枝、伊藤畿久造などの挿絵や、同時に借り読みさせてもらっていた、やはり戦前発行の、「のらくろ」「蛸の八ちゃん」「タンクタンクロー」などの漫画単行本にも夢中になり、教科書の裏やノートの空きスペースや、果ては教室の机の上にまで、それらの主人公を落書しては楽しんでいた。ときにはせがまれて、友人の机にも描くことがあった。

しかし、読み物にしても漫画にしても、そのような戦前ものは、そのころの少年が想像できる世界からそんなに懸け離れたものではなかったので、だんだん夢が膨らまなくなり、小学校の高学年になって野球や相撲などのスポーツにも関心が広がるにつれ、相対的に興味が薄れていった。
が、あるときをキッカケに、漫画への情熱が、再びそれまでにも増して高まることになった。それは、そのころ町の神社の縁日で、露店の戸板の上に無造作に並べられていた赤本漫画の山を、幼友達と一緒に何か掘り出しものはないかと夢中で探りまわしていて、その中から群を抜いてスマートな描法の一冊を見つけ出したときのこと。そのときの、くじにでも当ったような嬉しさは、いまでも忘れていない。その本が、後に手塚の最初期の作品とわかった「新宝島」だった。粗末な花仙紙に確か二色刷り、製本も雑でページ数もあま多くはなかったような気がするが、画面の描写アングルと、コマからコマへの展開に、まるで映画を見ているような動きがあって、それまでのクラシックな漫画を見慣れていた目にはたまらなく新鮮に映った。自分もこんなふうに画けたらどれだけ素晴らしいだろうと思わせられ、またまた模写に夢中になって行った。

その後手塚は、関西を拠点に続々と新作を発表するようになる(とは後で知った)のだが、本屋が一軒しかない東北の田舎町では、そんなマニアックな本は、おいそれと手に入りようがなかった。けれども、どうした伝手でかわからないが友人たちの家では、「ロストワールド<前世紀>」「地底国の怪人」「月世界紳士」「メトロポリス<大都会>」「平原太平記」などを手に入れることができたので、こちらはまた、それを借り読みさせてもらうことになった。
そしてそれらを通じて、こんどは画風だけでなく、手塚が好んでとりあげていた“有史前”とか“未来世界”などのストーリー・テーマにも興味を持つようになり、同じキャラクターがいろいろな作品にコスチュームを変えては登場するという配役の面白さにも気付かされ、どんどん手塚ワールドにのめり込んで行った。

そのころ発行されていた少年雑誌にも、手塚作品が連載されるようになってきた。光文社の「少年」には「鉄腕アトム」、学童社の「漫画少年」には「ジャングル大帝」の連載が開始されたが、一人で何誌もというのはとても無理なので、友人と一誌ずつ分担して購入し、後で交換して読み合った。
が、そのうちに、読んでいるだけでは物足りなくなってきて、自分でも漫画を描きたくなり、彼の作品によく登場する“ヒゲオヤジ”、“アセチレンランプ”、“ハムエッグ”、“ケンイチ君”、“ミッチー”、“ヒョウタンツギ”などのキャラクターを勝手に使い、気に入ったギャグをパクって、漫画キャラ化した自分や友人も登場させた四コマ漫画や短編ストーリー漫画を、ノートに何冊も描きまくった。頼まれもしないのに、中学校の夏休みの絵日記を、手塚タッチの漫画にして提出したりもした。そんなわけで、手塚キャラクターの何人かは、今でも何とか描ける。でも、後年漫画家になる少年たちのように、オリジナル作品を投稿するという知恵は浮かばなかったのだから、何とも幼稚なものだった。

子供のころは、手塚の漫画を読みながら、これが本当の映画になったらどれだけ楽しいかと空想し、大学進学のために上京したばかりのころは、ニュース専門映画館(テレビのない時代には10円くらいで見られるそういう映画館が各盛り場にあった)で併映の米短編カラー漫画映画を見ては、日本にもそういう日が来るのを待ち焦がれていた。
だがテレビの時代になって、実際にアトムやレオが毎週ブラウン管の中で活躍するようになったころには、いつの間にかその、少年時代の夢はどこかへ消えていた。手塚治虫は、アニメに雑誌連載にフル回転し始め、「火の鳥」や「ブラックジャック」や「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」などの大作を次々に発表するが、自分でいくらでも好きな本が買えるようになってみると、不思議なもので、少年のころ借りて読んだものを改めて購入したいと思うことはあっても、それらの新長編を揃えようという気にはならなかった。自分にとっての漫画とは、あくまでもあの初期の手塚作品で、そのころの自分は確かに、野球選手になりたかった“野球少年”であったと同時に、漫画家にもなりたかった“漫画少年”でもあった気がする。

野球選手にも漫画家にもなり損ねたが、自分の古代史ミステリー好きや宇宙SF好き、そしてナンセンス・ギャグ好きのルーツは、きっとこの、初期の手塚漫画の影響を受けているに違いないと、あの番組を見ていてそう自己納得した。大発見でもしたかのように、思わず家内にも話したが、もちろん無反応。まあ、“この世の中、他にもっと大事なことがいろいろあるのに、どうでもいいことを言ってないで!”ということでしょう。(爆!)

|

« 春待つ心 | トップページ | マーケティングと金儲け »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 漫画少年:

« 春待つ心 | トップページ | マーケティングと金儲け »