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2008年2月 4日 (月)

湘南の思い出

20余年前に、いま住んでいる横浜市の青葉区へ越してきたが、それ以前の10年間は、横浜・横須賀・逗子の3市が境界を接する地域に住んでいた。ロック・クライミングの練習ポイントだったことで知る人ぞ知る鷹取山という低山の中腹部に広がっている住宅地で、自宅から低い尾根伝いに10~15分も歩けば、その山の頂上まで行けた。格好のハイキングコースなので、子供たちを連れてよく登ったものだったが、峰の向う側に回ると、晴れた日には、江ノ島から富士山までも望むことができたし、ちょっと下れば神武寺だった。
なぜ今回そんなことを語り出したかというと、先日、テレビ東京の「空から日本を見てみよう」という特番で、思いがけずその辺りを空から目にする機会に遭遇したから。ヘリが都内~川崎~横浜と移動してきて、カメラが三浦半島を俯瞰しながら江ノ島から逗子・葉山の海岸線を映し出したときは、何とも言えず懐かしさがこみ上げた。子供たちが育ち盛り・食べ盛りで、自分たち親にも行動力・機動力があったから、何かといえばすぐに、一家そろって、あそこにもここにも、よく食べに出かけたものだった。

自宅のあった横須賀側には適当なところがなかったので、国道16号線から逗葉新道(ちょうどその頃開通した)を通って、逗子と葉山によく行っていた。逗子で印象に残っているのは、JRと京急の逗子駅のほど近くにある「魚友」という寿司屋さん。外から見ても中に入っても、およそ寿司屋っぽい感じがせず、対応も、“いまシャリが炊き上がるからネ~”などというノンビリしたものだったが、さすがに、もと鮮魚店というだけあって、ネタはとびきり、ヴォリュームもたっぷり、お値段はリーズナブルで、大満足だった。ロクに宣伝もしないのにマニアックなファンがいて、いまも盛業らしい。
後で知ったのだが、一風変った寿司屋さんだという第一印象は当っていたようで、店主はやはりただ者ではなく、アーティストにして民族楽器奏者でもあり、現在、店内は半分が絵画・陶器などのギャラリーと化し、とき折りイベントなども開かれると聞く。

逗葉新道が国道134号線と交差する「長柄」の信号を左折し、葉山トンネル手前の信号を右折するとすぐ左側に、「ボンジュール」というパン屋さんがある。山形食パンがすこぶる美味しく、デニッシュ類も豊富だったので、しょっちゅう買いに行っていた。
焼き上がったそばから飛ぶように売れて行く人気なので、確実に入手するためには予約を入れておかなければならなかったが、それだけ手間をかけてもと思う値打ちを感じさせたパンだった。それを山ほど確保できて一安心し、ではランチでもとときどき立ち寄った併設のカフェ・レストランの南欧料理も、メニューは決して多くはなかったが、味はなかなかのものだった。双子姉妹のお嬢さん(当時)たちが毎日、パン工場と売場の間を忙しげに行き交っていたが、いまも元気で過ごしているだろうか?

何と言っても、ランチにディナーに、いちばん繁く足を運んだのは、葉山森戸海岸の中国料理店「海狼」。ボンジュールの前の道(県道207号線)をさらに海岸方面に向かって進み、海沿いの細い道(森戸海岸線)に突き当たって左折し間もなく橋(森戸橋)を渡った右側、瀟洒な低層マンションの2階(1階は駐車場)にある、上品なたたずまいの店だ。
外から想像する以上に店内は広く、料理は本格的で多彩な高級店だが、“細切り豚肉のつゆそば”や“海老入りつゆそば”また“海老入り焼きそば”そして“蟹肉入りチャーハン”など、気軽な一品料理をリーズナブルな価格で出してもらえたことも、子供連れには有難かった。いまはどうかと、念のためホームページで確認してみたら、あの頃とさして変っていない価格だったのには感激した。

この店は、自分たちが鷹取山の家に住むようになって2~3年後にオープンしたのだが、それまでは、明治中期に創業した葉山御用邸出入りの「かぎ家」という格式高い割烹旅館だったそうだ。裏手にまわると、海に注ぐ手前の森戸川に架かる私設の橋があって、その先に松林が広がり、昔日の和風庭園だった面影を残していた。
「海狼」に行ったときにはいつも、その松林を抜けると眼前に展開する広々とした森戸海岸の砂浜で、まだ幼かった娘と素直な少年だった長男・二男を、好きなように遊ばせていたものだったが、彼らはあの頃のことを覚えているだろうか?

余談だが、この店には、故・石原裕次郎もよく来ていたそうな(逢ったことは一度もなかったが)。それもそのはずで、いまでは同じく故人となってしまっているこの店の先代オーナーとは慶応高校の体育会同士、生涯の親友という間柄だったとか。
ちなみに、石原慎太郎現東京都知事の芥川賞受賞作「太陽の季節」の主人公は、同オーナーがモデルだったと伝えられており、映画化されたときの撮影も、ほとんどこの海岸で行われたと言われている。あの映画は、上京してきたばかりでまだ10代の田舎の兄チャンだった自分も見たが、シチュエーションもファッションもまるで別世界の格好の良さで(当時の言葉でいうと“イカして”いて)、主演の長門裕之も、すっかりジジイになってしまったいまの姿からは想像もつかないくらいスマートだった。みんな若かったのだなぁ。

四半世紀前の想い出から、思わず半世紀前までもさかのぼってしまったが、あれからずいぶん年月が経ってしまったものだ。いま住んでいる街には、もちろんすっかり馴染んでいるが、湘南の空気を一杯に吸っていたあのころも、生き生きと暮らして楽しかった。
番組を見終わった後、家内と“今度ぜひまた「海狼」へ行こう”と約束した。

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