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2008年2月

2008年2月25日 (月)

春待つ心

立春からもう3週間経ち、あと1週間あまりで啓蟄。どちらかといえば春に近づきつつあるのではないかと勝手に思っているのだが、今年はどうも、そんなにすんなりとは行きそうもない感じだ。
一昨日までの2~3日、10度を越す暖かい日が続き、さらに気温は上昇するという予報だったものだから、それまでの完全防寒装備で外出したらどこかで室内に入ったときに暑過ぎて困ると思い、その日はあえてやや軽装に切り替えて出かけた。そしたら、これが大外れ。

朝のうちこそ陽射しが暖かそうで、絶好の外出日和に思えたが、昼前から何だか雲行きが怪しくなり、窓から見える庭木や街路樹の枝が大きく揺れていた。
それでも、たいしたことにはならないだろうとタカをくくって家を出たら、100メートルほど先のバス停に着く間に、せっかく格好をつけてきた髪がほとんど逆立ってしまい、見るも無残な状態に!(正直、自分ではよくわからなかったのだが、他人が見たら多分そうだったろうと思う)列の後ろに並んでいた野球帽の小父さんを見て、自分もキャップをかぶってくれば良かったと後悔した。

あざみ野から横浜市営地下鉄に乗ってすぐ次の駅で降りたのだが、地上に出ると風はさらに強まっており、ヒエーッ...と思ったが、何とか頭を押さえながら目的の場所にたどり着いた。
用事は2時間ほどで済み、まだ夕刻には間があったが、こんな日は寄り道する気も起こらず、早く家に帰るに限るとそこから道路へ出たら、もの凄い強風を正面から受け、駅まで向かうのにエラく苦労した。

あんな強風は、チョッと近年では記憶にない。気温も予想が外れてだいぶ低下したようで、軽装の身には、冷たい北風がかなり応えた。おまけにこの風は花粉も運んできたらしく、くしゃみは出るわ、涙もでるわで、ダブルパンチ、トリプルパンチ。
“さては、これはアレかな?”と思っていたら、やっぱりそうで、後でインターネットのニュースを見たら、気象庁が、関東地方では「春一番」が吹いたと発表していた。

帰宅すると、ムッシュが玄関まで走って迎えに出てきてくれた。その日はずっと外に出られなくてさぞつまらなかったろうから明るいうちにひと歩き行こうかと、そのまま散歩に連れ出した。
強風は相変わらず吹き止まなかったが、ムッシュは嬉々として門から走り出して、家の横の坂道を全速力で駆け上がり、リードを持つ自分もそれに引かれるようにして走った。

坂を上りきると、道の片側は家屋が途絶え何ブロックもの宅造地が広がっていて、ふだんでも何も遮るものがないところを風が吹き抜けているのだが、その日はまたひとしお...。というよりも、その何層倍。
いつもなら格好の散歩コースなので、それを覚えているムッシュは自らそこを目指したのだが、道路からその一角に進入したとたん、まともに強風を受けて、足が止まってしまった。人間でさえ頭を下げて一歩一歩踏みしめないと前へ進めないくらいだから、小さなムッシュには無理もない。きっと吹き飛ばされそうに感じたのだろう。尻尾を巻いて(と言ってもムッシュの尻尾は“婆ちゃん髷”と通称しているくらいで、巻くほど長くないのだが)、たちまち家に戻る結果と相成った。

翌日はすっかり晴れ上がったが、冷たい風は依然として吹き止まない。でも、家の中にばかり籠っているのも如何なものかと、懲りずにムッシュを連れて外へ出る。前日とは違い時間帯が早かったので、彼としても比較的楽だったようだ。
陽射しはずいぶんしっかりしてきたが、空気は相変わらず冷たく、春への歩みは一進一退というところで、体感的には、まだ冬のままなのか、それとも春になりかかっているのか、定かにはわからない。

が、2月も下旬ともなると、自然の中にはどこかに、春の兆候が見えてくるものだ。つい先日までは、散歩中に目に入る花は、垣根の山茶花と植え込みの寒椿くらいのものだったが、いつの間にか、坂下の御嶽神社境内の白梅が八分咲きになっていて、そばを通るとプ~ンといい香りが漂ってくる。
でも、わが家の庭に春が訪れるのはまだまだ先になりそうだ。白木蓮の蕾はだいぶ膨らんできたが、豊後梅(紅梅)や花梨はまだ堅く角ぐんでいるだけ。

久し振りに清里の森の管理公社のライブカメラを覗いたら、あたりはまだ一面の雪。それもそのはず、今月の3日と9日にはそれぞれ30センチを越す積雪があり、気温は連日氷点下のようだ。この分では我が山荘の前庭は、とても足を踏み入れるどころではないだろう。
もう春一番が吹くところまできた平地の暮らしは、むしろ有難いと思わなければならないのかも知れない。

と、自分に言い聞かせつつも、あまりにも寒かった(と、もう過去形にしていいかどうかわからないが)今年は、本格的な春の訪れがつくづく待ち遠しい。

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2008年2月18日 (月)

着道楽

朝日新聞の夕刊に「男の夢ファッション」というコラムがあるが、去る2月4日の、岡田斗司夫氏(評論家)の回を読ませてもらった。この人は多芸多才の旧世代オタクとして、その方面ではつとによく知られているらしいのに、自分はこれまで寡聞にして存じ上げなかったが、ヒョンなことがきっかけで、その名前と業績を知った。
すでにご存知の方もいると思うが、氏は、1年間で50キロ減量というそのユニークなダイエット体験を綴った「いつまでもデブと思うなよ」(通称“いつデブ”)という本を出して大ヒットを飛ばした人。自分は、別にメタボで悩んでいたわけではなかったが、昨年の秋口にたまたまその本をテレビ化した番組を目にして、氏の食事スタイルに大いに共感したのだ。本は買わなかったが、その顛末を語ったブログも拝見した。

昨年10月15日にも書いたので繰り返さないが、氏と動機は異なるけれども同じような“食事記録方式”によってウエスト3センチ減に成功した自分は、それからというもの、ささやかな自己満足的お洒落として、買ってからロクに経たないうちにはけなくなってしまっていた何本もの細身のパンツを、取っ替え引っ替えしては、独り悦に入っている。
夏冬それぞれ数色・数タイプあるものを、やはり同じくらいあるジャケットやセーターとコーディネートしようと思うと、なかなかこれが悩ましい(お気楽だネ)のだが、それでも何とか、行く先・目的そしてそのときの自分の気分に合わせて、毎回異なったコンビネーションで出かけることにしている。が、その度ごとに、家内にひとこと突っ込まれる。“今日は何のコスプレですか?”と。コスプレじゃあなくってTPOだっツーの...。

前置きが長くなったが、岡田氏もウエストが79センチになって(ちなみに自分は78センチ...誰も聞いてないか)、いろいろな持ち服の組合せでお洒落を楽しんでいるようだ。自分がそうありたいと思う人物のイメージを表現し、その人物の気分になりきるためにいろいろ考え、工夫し、それを “コスプレ”と称して、文字通り“遊んで”いる。
氏とは、会ったこともないし年齢も親子に近いほど違うが、このコラムを読んでまた、そんなところにも相通じるものを感じ、いっそう親近感が深まった。自分だけでなく、家内もそう思ったらしい。実はこの新聞記事、最初は家内が見つけて、“これ読んでごらんなさい。面白いわョ。あなたのような人が他にもいるのネ。”とまわしてくれたのだった。

生来アルコールがダメで、ギャンブル(と言ってもマージャン程度だが)の類いは結婚とともに足を洗い、タバコはとうの昔に止め、食事にもすっかり淡白になって、ゴルフに遠出したりジム通いはおろか、ダンスや楽器いじりを再開するほどの元気もなく、かつての道楽者も、いまではせいぜい、iPodとカラオケとコスプレ(オットそうではなかったTPOだった)を楽しんでいるだけだが、そう楽しみが限られてくると、どうも、どれか一部が極端に突出してしまうものらしい。
他人事ではなく自分の場合も、それが“着る物”に行っているようだ。もともと“着道楽”とは自他共に認めており、この20年間くらいで、体型が変ったため不要になったコートやスーツやジャケットやパンツを、折りがあるたびにフリーマーケットに提供したり、リサイクルに供出したりしているのだが、それでも、自分のウォークイン・クローゼットの中には一向に空間ができず、それどころか、もと息子や娘たちがいた部屋のクローゼットまで占領する始末。

原因は自分でもわかっている。毎日オフィス通いをしていた時代に着用していた何十着ものスーツ、ジャケット、パンツ、コートを、まだいくらも着ていなかったとか、結構いい値段だったとかの理由で、処分を決断しかねているところに、それを忘れてどんどん新しいものを買ってくるからだ。
一時期、その傾向を自分でも反省して、新規購入を自重していたのだが、最近はアイテムをパンツやシャツなど嵩張らないものに限るよう気をつけてはいるものの、頻度や点数は前よりもややエスカレートしたかなという感じがしないでもない。自分でも始末が悪いと思っているのだが、どうにも止められない。

本当にお金持ちでお洒落な人は、何を買おうとどれだけ買おうと頓着しないのだろうが、そうではない自分も、ここ何年か(いや昔からだという説もある)、何か買い物の予定があって出かけたときに、予定外のものまで、それも似たようなものをいくつも、買い込んでくるようになってしまった。気に入ったものがあった店では、同じデザインの色違いとか、同じスタイルの生地・縫製パターン違いとかを、一度にまとめて購入してしまうのだ。
同時に複数点購入する場合もあるし、あらかじめ自戒して最初は1点だけに止めておきながら、やっぱりもう1点の方も欲しいと、一たんその場を立ち去ってから考え直したあげくに戻ってくる場合もある。

つい先日も、特に何か目あてがあったわけでもなく仕事帰りに立ち寄っただけだったが、二子玉川にあるデパートの中の「ジョゼフ・オム」という店で、この寒さだったらまだ当分はけそうなグレーの起毛コットン・パンツを見つけた。その店では、昨年冬になったばかりのころに、スタイルもドンピシャ好みで、はき心地もすばらしく良い、シルク混ツイードのパンツを手に入れることができて、同じ型の色違いか生地違いがあったら何れ買おうと思っていたので立ち寄ったわけである。
で、姿見の前でそのパンツを試着していると、売場のお兄ちゃんが声を潜めて、“失礼ですが、中澤さんのお歳でウチのこのサイズのパンツをはきこなせる方はいませんよ。”などと言う。お世辞とはわかっていても、満更でもない気持ちがして“そうかい”と答えると、兄ちゃんすかさず、“そのタイプがお好きでしたら、きっとコレなんかもお似合いになると思いますが...”と、もう1本、ベージュのベルベットのカーゴ・パンツを差し出した。“どうぞ試着だけでも...”と勧められて、はいてみたらこれが結構いい。でも、“またいつものパターンを繰り返してもなあ...”と、一たんは最初の一本だけにしようと思ったのだが、結局、気に入ったものを買うのは、多ければ多いほど満足感も大きくなるだろうと、2本とも買ってしまった。兄ちゃんの殺し文句にしてやられた。

そんな買い方を、その店の隣にある「カルバン・クライン」でも、昨年の夏にしているし、その前の年には別のデパートの「ゴルチェ・オム」でも、同じ買い方をした。足は2本で、イカやタコじゃあないんだから一度に何本ものパンつが要るわけでもないのに、どうしてそんなに買い込むの?と周囲はもはや呆れ顔。理由を聞かれても、自分でも答えに窮する。

そんなことで、いつも“今日は何を着ようか”などと非生産的なことばかり考え、セッセと着替えているわけだが、まあここまでくると、岡田氏とはまた違う意味でのコスプレと言われるのも仕方がないのかも知れない。自分では、誰に迷惑をかけるわけでなし、そんなに変った趣味というほどでもない、ただの“着道楽”だと思っているのだが。

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2008年2月11日 (月)

だから顧客が去って行く...

歳をとって気難しくなったのか(本人はそうも思っていないけれど)、それとも生来の気ままな性格のせいか、長年客として何かを購入したり利用したりしていた会社や店の対応の悪さが我慢できなくなって、大人気ないとは思いつつもつい腹を立ててしまうことが多くなった。この10年くらいを振り返ってみただけでも、そのサービスや接客の不適切さによって不快感を味わわされた経験は、1度や2度ではない。
思い出せるだけでも優に20を超える回数で、その中の何社か、および何店かとは、それっきりの縁となってしまった。また、決して不満がなくなったわけではないけれども、商品そのものには価値を認めざるを得ず、他に替え難い部分があったりするため、イライラをこらえながら仕方なく利用し関係を続けている会社や店もある。

どんな会社や店がそうなのかというと、たとえば

  • 預金するときには揉み手をして家まで出向いてくるくせに、それをちょっとでも動かそうとすると、とたんに手の平を返したようになり、手続きのために平気で何度でも店に足を運ばせ、そのうえ客を客とも思わぬ高ピーな態度をとる大手信託銀行。(本ブログ2006年9月14日参照)

  • 休みで予定があるのに車に不具合が発生して困っているとき、相談をしても何の親身なサポートもしてくれず、自分たちだけは早々と長期の夏休みに入って平然としている、技術志向の自動車メーカーとディーラー。(ウエブ・エッセー「中澤功のカウンターの片隅から―第4話」参照)

  • 客の面前ではいかにも行き届いた心遣いをするかのように見せているが、受付と売場以外には専門の顧客対応機関もなく、電話をすると受話器の向うから、仲間うちの当惑気な本音が聞こえる老舗百貨店。(「同上―第6話」参照)

...などなど。他にもいろいろあるが、こういった会社や店に共通して感じられることは、自分たちの暖簾や商品に自信があるのか、それにすっかりあぐらをかいてしまって、何様かの気分になっていること。顧客の側からものを考えることができず、自分たち(会社や店)中心の考え方しかできなくなっているのだ。
腹立ちまぎれに個人の感情だけでものを言っているわけではないけれども、こういう会社や店は、いまは一見安定しているかに見えても、実はきわめて危なっかしいバランスの上にあるのではないかと思う。いつの間にか、長年支えてくれていた顧客が少しずつ離れて行って、気がついたときには足元がグラグラになっていかねないからである。

1件を忘れたころにまた1件と、こんな思いをさせられることがいつまで経っても尽きないので、またかと思われてもときどき苦言を呈しておこうと、今回も思い立ったわけだったが、昨年中にクリッピングしておいた情報資料に改めて目を通しているうち、このテーマについての格好のコメントを見つけたので、要旨を紹介しておこうと思う。
データベース・マーケティングの専門家アーサー.M.ヒューズが昨2007年10月1日号の「Target Marketing」誌に寄せた、“Why Customers Leave...”と題する一文である。

「1人の新規顧客を獲得するためには、1人の既存顧客を維持するための5倍(10倍という説も)のコストがかかる」などとも言われているように、「既存顧客の維持」は今日の企業経営とマーケティングの重大な関心事だ。したがって、顧客は“何によって惹かれるのか”あるいは“なぜ離れてゆくのか”ということは常に議論の的だったが、これまでは、“より安い価格が重要”、いや“関係の構築こそが鍵”という2派に分かれていた。
そこで最近、コンサルティング会社「オリバー・ワイマン・グループ」が、ホテル・ガソリンスタンド・薬品店・食料品店といった業種の顧客に対し調査を行ったのだが、その結果、 “価格”すなわち商品をいつも安く提供しているかなどによってその会社や店に対する愛着が左右される顧客は全体のわずか15~30%で、70~85%の顧客のそれは、“関係”すなわち自分が客としてどう扱われるかによる、ということが判明した。また、“価格志向”の顧客が“関係志向”の顧客よりも利益性が低いのは自明の理だが、価格だけにポイントを置いたマーケティングを続けてゆくと、関係志向の顧客までもが次第に価格志向に染められ、顧客全体からの利益性も下がってくるということも、この調査でわかったそうだ。

ヒューズは、この調査や自分自身の長年の経験から、顧客が自分が愛着を持っていた会社から離れてゆく可能性のある理由として、①顧客自身の死亡、②価格についての不満、③商品についての不満、④顧客としての処遇についての不満――の4つを挙げ、経営者は常に②が最大の理由と勘違いしているが、④こそが最も普遍的な、顧客をそこまで走らせる要因であることが、数多の業界での調査によって示されていると言っている。
何故そうなのかといえば、顧客がある会社や店に心を惹かれ定着するのは、“価格”だけの問題ではなくて、「自分がどう、どれだけ認識されているか」「気持ちのいいサービスを受けているか」「情報が十分得られているか」「自分にとって有用性があるか」「従業員は友好的か」「明確なブランドの性格が打ち出されているか」そして「商品の品質と価格はどうか」というさまざまな面での関係性全体の問題だからであると彼は言う。

いろいろクレームを寄せてくる人々はまだいい方で、関係志向の顧客のほとんどは、会社や店が彼らを愛する気持ちと彼らが望み期待する遇し方を忘れたとたん、黙って購入・利用を止め、去って行くが、これを防ぐためにはどうしたら良いのだろう?
ちょうどここに、ヒューズが提言する「重要顧客の離反を低減する5つのアイディア」なるものがあるので、参考までに掲げておく。

  1. 顧客がどんな人かを熟知しておくべし:データベースに彼らのプロファイルと接触履歴を把握しておくこと。コールセンターや店舗などあらゆる顧客接点の従業員に、誰が重要顧客なのかを周知徹底し、その人々をそれに相応しく遇するよう教育する。

  2. コミュニケーションを絶やすな:関係を維持し続けるための特別な方策を講じ、実行すること。そしていつも、顧客に対する感謝の気持ちを忘れない。

  3. 重要顧客のためには熟練した顧客サービス係を配置せよ:そういう顧客からの電話は、「着信自動分配装置」(ACD)で自動的に識別して、直接その専任顧客サービス係につなぐ。

  4. 公平性を貫く:購入額が高ければ高いほど、また取引期間が長ければ長いほど、より多くの特典が受けられるようにし、簡単には離れ難い心理にさせる。

  5. 金銭的なことはあまり強調しない:沢山購入し支払ってもらったからといって、それに対する感謝の気持ちを金銭で表わそうとしてはならない。顧客は、そうではない、親しい隣人や友人に対するような心のこもった感謝の表現を望んでいるのだから。

米国人の感覚に基づく考え方だから、自分たち日本人には100パーセントはピンと来ないが、それでもうなずける部分はある。また、ここで言われていることは基本的にB-to-C(対個人消費者)マーケティングの話だが、B-to-B(対企業)の場合にも、それは当てはまる。

いまではすっかり個人消費者の立場になりきって、何かというと企業や店には物申してばかりいる自分だが、たまにはそんな巷の声にも耳を傾け自社・自店を見直してみようというところが出てきてくれたら、その会社や店のためにも喜ばしいとも思っている。

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2008年2月 4日 (月)

湘南の思い出

20余年前に、いま住んでいる横浜市の青葉区へ越してきたが、それ以前の10年間は、横浜・横須賀・逗子の3市が境界を接する地域に住んでいた。ロック・クライミングの練習ポイントだったことで知る人ぞ知る鷹取山という低山の中腹部に広がっている住宅地で、自宅から低い尾根伝いに10~15分も歩けば、その山の頂上まで行けた。格好のハイキングコースなので、子供たちを連れてよく登ったものだったが、峰の向う側に回ると、晴れた日には、江ノ島から富士山までも望むことができたし、ちょっと下れば神武寺だった。
なぜ今回そんなことを語り出したかというと、先日、テレビ東京の「空から日本を見てみよう」という特番で、思いがけずその辺りを空から目にする機会に遭遇したから。ヘリが都内~川崎~横浜と移動してきて、カメラが三浦半島を俯瞰しながら江ノ島から逗子・葉山の海岸線を映し出したときは、何とも言えず懐かしさがこみ上げた。子供たちが育ち盛り・食べ盛りで、自分たち親にも行動力・機動力があったから、何かといえばすぐに、一家そろって、あそこにもここにも、よく食べに出かけたものだった。

自宅のあった横須賀側には適当なところがなかったので、国道16号線から逗葉新道(ちょうどその頃開通した)を通って、逗子と葉山によく行っていた。逗子で印象に残っているのは、JRと京急の逗子駅のほど近くにある「魚友」という寿司屋さん。外から見ても中に入っても、およそ寿司屋っぽい感じがせず、対応も、“いまシャリが炊き上がるからネ~”などというノンビリしたものだったが、さすがに、もと鮮魚店というだけあって、ネタはとびきり、ヴォリュームもたっぷり、お値段はリーズナブルで、大満足だった。ロクに宣伝もしないのにマニアックなファンがいて、いまも盛業らしい。
後で知ったのだが、一風変った寿司屋さんだという第一印象は当っていたようで、店主はやはりただ者ではなく、アーティストにして民族楽器奏者でもあり、現在、店内は半分が絵画・陶器などのギャラリーと化し、とき折りイベントなども開かれると聞く。

逗葉新道が国道134号線と交差する「長柄」の信号を左折し、葉山トンネル手前の信号を右折するとすぐ左側に、「ボンジュール」というパン屋さんがある。山形食パンがすこぶる美味しく、デニッシュ類も豊富だったので、しょっちゅう買いに行っていた。
焼き上がったそばから飛ぶように売れて行く人気なので、確実に入手するためには予約を入れておかなければならなかったが、それだけ手間をかけてもと思う値打ちを感じさせたパンだった。それを山ほど確保できて一安心し、ではランチでもとときどき立ち寄った併設のカフェ・レストランの南欧料理も、メニューは決して多くはなかったが、味はなかなかのものだった。双子姉妹のお嬢さん(当時)たちが毎日、パン工場と売場の間を忙しげに行き交っていたが、いまも元気で過ごしているだろうか?

何と言っても、ランチにディナーに、いちばん繁く足を運んだのは、葉山森戸海岸の中国料理店「海狼」。ボンジュールの前の道(県道207号線)をさらに海岸方面に向かって進み、海沿いの細い道(森戸海岸線)に突き当たって左折し間もなく橋(森戸橋)を渡った右側、瀟洒な低層マンションの2階(1階は駐車場)にある、上品なたたずまいの店だ。
外から想像する以上に店内は広く、料理は本格的で多彩な高級店だが、“細切り豚肉のつゆそば”や“海老入りつゆそば”また“海老入り焼きそば”そして“蟹肉入りチャーハン”など、気軽な一品料理をリーズナブルな価格で出してもらえたことも、子供連れには有難かった。いまはどうかと、念のためホームページで確認してみたら、あの頃とさして変っていない価格だったのには感激した。

この店は、自分たちが鷹取山の家に住むようになって2~3年後にオープンしたのだが、それまでは、明治中期に創業した葉山御用邸出入りの「かぎ家」という格式高い割烹旅館だったそうだ。裏手にまわると、海に注ぐ手前の森戸川に架かる私設の橋があって、その先に松林が広がり、昔日の和風庭園だった面影を残していた。
「海狼」に行ったときにはいつも、その松林を抜けると眼前に展開する広々とした森戸海岸の砂浜で、まだ幼かった娘と素直な少年だった長男・二男を、好きなように遊ばせていたものだったが、彼らはあの頃のことを覚えているだろうか?

余談だが、この店には、故・石原裕次郎もよく来ていたそうな(逢ったことは一度もなかったが)。それもそのはずで、いまでは同じく故人となってしまっているこの店の先代オーナーとは慶応高校の体育会同士、生涯の親友という間柄だったとか。
ちなみに、石原慎太郎現東京都知事の芥川賞受賞作「太陽の季節」の主人公は、同オーナーがモデルだったと伝えられており、映画化されたときの撮影も、ほとんどこの海岸で行われたと言われている。あの映画は、上京してきたばかりでまだ10代の田舎の兄チャンだった自分も見たが、シチュエーションもファッションもまるで別世界の格好の良さで(当時の言葉でいうと“イカして”いて)、主演の長門裕之も、すっかりジジイになってしまったいまの姿からは想像もつかないくらいスマートだった。みんな若かったのだなぁ。

四半世紀前の想い出から、思わず半世紀前までもさかのぼってしまったが、あれからずいぶん年月が経ってしまったものだ。いま住んでいる街には、もちろんすっかり馴染んでいるが、湘南の空気を一杯に吸っていたあのころも、生き生きと暮らして楽しかった。
番組を見終わった後、家内と“今度ぜひまた「海狼」へ行こう”と約束した。

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